北宇治のまえせつさん   作:コーヒーまめ

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原作の流れに乗ろうとすると、途端に複雑になりますね。


20 善意とか浅慮とか 後編

 

「はっ……はっ……」

 

 虱潰しに教室の窓を覗いては次、探っては次。叫んで探して刺激を与えちゃいけないと怯えた先輩を案じて、足音を抑えつつ出来るだけ駆け足で捜し回った。静かで速やかに、とても矛盾した方針だ。

 不幸中の幸いだったのは、吹部以外の部活が北宇治の校舎で丁度今、殆ど出払っている事。閉まるべき教室は閉まっていて、少なくともここにはいないと見切りを付けてその場を去れた。それ以上に、じゃあ何処まで鎧塚先輩は走って行ったのかという不安ばかりが膨れ上がった。

 

「図書室にも来てないのかよ……!」

 

 四階の大きな生物学室にも、三階の一番隠れやすそうな図書室にすら、逃げ込んだ形跡が見当たらなかった。そもそも開いていない以上、隠れ場所には出来ない。徐々に焦る気持ちが嫌な汗になって額を垂れた。この気温だと場所次第では、保健室へ再度運ぶ覚悟を決めるしかないらしい。

 胸騒ぎをそのまま抱えて二階へ降りて、職員室の前を通り過ぎた。パーテーションで仕切られ隠された応接間もあったけど、パニック症状を引き起こした生徒が来たとあればもっと騒ぎになってる筈だ。出来るなら発見までは短い方がいいと踏んで、職員室の捜索を後に回した。

 

「あっ、矢田君!」

 

 職員室の角を右に曲がろうとして、北棟側を捜していた黄前さんが倉庫から出てくるのが見えた。向こうもこっちの存在を確認したのか声を張り、クランクから西渡り廊下を伝ってこちらに走ってきた。

 

「黄前さん!先輩は!?」

「駄目、何処にもいない!そっちもいないの?」

「全部駄目だ、隠れそうな上の図書室にも来てなかった!後はこの二階を端まで捜したら……外もあり得るんじゃねえか」

「そんな……」

「二階も居ないなら外へ行くぞ、上履きで遠くまで逃げてくれるなよ……!」

 

 作戦通りに合流して情報を交換したのも束の間。どちらが言い出すまでもなく、肩を並べ南棟の廊下を小走りで進み出した。一直線になっている廊下が、今だけは妙に長く感じてしまう錯覚を見ている気分だ。無駄に鍵の掛かってない教室を調べざるを得ないのもそれを増長させてしまう。

 構造上、二階の北棟から校舎の外へ出ようと思えば出られる造りになっている。そのスロープにも中庭にも繋がる階段の存在が、より想像上の事態を悪化させる要因にもなっていた。

 

「なあ黄前さん、部活で何か聞いてねーか?先輩達の南中時代の話とか、交友関係とか」

「こ、交友関係?」

「傘木先輩は友達って言ってたけど、あんな反応してるのを目撃したらな。鎧塚先輩の方は友達百人な人にも思えねえし」

「うーん……喋ってる方が珍しい先輩だけど、さっきの優子先輩……リボンを着けた先輩とは話してるのを見掛けるよ。でも、部活だとそれ位かも」

「オーディションの時みたいな喧嘩があった訳でもないんだな?」

「そ、そこまでは分からないよ……私も鎧塚先輩の事を知ったのがここ最近だし……クラスでどう過ごしてるかなんてそれ以上に」

「とにかく、捜すしかねえか」

 

 雑談と呼ぶにはあまりにも空気の重い内容になってしまう。隠れ場所の手掛かりになる過去でも聞き出せればと思ったけど、推理してる暇も惜しい。口を滑らせそうな黄前さんですらこれなら、本当に知らないか知ってても言えないかのどちらかだ。

 

「黄前さん、靴を履き替えてるとも限らねえ。突き当たりまで来ても居ないなら下駄箱と体育館を捜してくれ、俺は校門の事務員さんの所に──」

 

 南棟の廊下に面した教室の扉を同じく虱潰しに開きつつ、それが東渡り廊下の取付部を過ぎた頃。突き当たり付近で再び指示を飛ばそうとした矢先にそれは聴こえた。

 ほんの少し開いていた扉の隙間から、誰かのすすり泣く声がする。朧げな記憶でも聴き覚えのあるソプラノボイス。俺達が身を案じている先輩の声だ、黄前さんもそれに気付いてこちらに視線を送ってきた。何かを言うでもなく無言で頷き合い、引き戸のレールを極力鳴らさない様静かに開けた。間違いない、ここに居る。

 

 そこは、なんて事のない普通の教室だった。机に、椅子、そして黒板。代わりに理科系科目の実験で使うであろう、併設された水道付きの幅の広い教壇が目立ってる。理科室に行く程でもない生物の授業をここで数回受けた事ならあった。

 その横幅の広い教壇の裏、開かれたカーテンでも遮れる陽射しの影。周り込まないと見つからない様に膝を抱えて座り込む、鎧塚先輩の姿があった。ずっと走っていたのか髪は乱れ気味で、顔を膝に埋めているせいで前髪が膨らんでいる。

 捜索者側の第一声を悩んで躊躇っていると、黄前さんが自ら話し掛けてくれた。ほぼ初対面の俺より、多少関わりのある黄前さんの方が心理的ハードルは絶対に低い。

 

「先輩……あ、あの……何があったんですか?えっと、希美先輩の事、嫌いなんですか?」

「嫌いじゃない……そうじゃない……」

 

 今ので少しホッとした。問いかけに応じてくれる程度にはこの人は落ち着いてる証拠だからだ。これなら俺でも話して良さそうだろう。

 

「あっじゃあ、何か言われたとか……」

「嫌な事、されてないっすよね?」

「違う、違う……希美は悪くない、悪いのは私。全部私。私が……希美に会うのが怖いから」

 

 酷く自罰的な言い分を打ち明ける人だ。ここまで来ると、傘木先輩側にも何かしらある可能性が浮上する。何かを理由に植え付けてしまった心因的なトラウマが、さっきの逃走劇を引き起こしてしまった。

 

「どうしてですか?」

「分かっちゃうから……現実を」

「現実?」

「私にとって……希美は特別、大切な友達」

「え?」

「私、人が苦手……性格暗いし、中学でも友達が出来なくてずっと独りだった」

 

 なんというか、想像に難くない。失礼なのを承知の上だけど、部活でも碌に喋る姿を見掛けないのなら、普段からそういう人だと憶測が浮かんでしまう。吉川先輩みたいな人に話し掛けられなければ、誰とも話さず無言で一日を終えてしまいそうな光景が見えてしまいそう。

 

「希美はそんな私と仲良くしてくれた……希美が誘ってくれたから、吹奏楽部に入った。嬉しかった、毎日が楽しくって……でも希美にとって、私は友達の一人。沢山居る中の一人だった」

「そんな事……」

「だから、部活辞めるのだって知らなかった……相談一つ無いんだって、私はそんな見捨てられる存在なんだって知るのが怖かった。分からない……どうして吹奏楽部に居るのか分からない……」

 

 そういえば、傘木先輩は同じ南中だと言っていた。オーディションの後に辞めたとも。南中出身者が集団で辞めた話も加山先輩から聞いている。同校出身者の集団で辞めたという話に、少なくとも鎧塚先輩は含まれていなかった。

 引っ込み思案な鎧塚先輩にとって、傘木先輩はかけがえのない友達。そしてムードメーカーな傘木先輩にとって、鎧塚先輩は友達の一人だろう。そうしたすれ違いは今日、震源地となり大きく北宇治を揺らした。

 

 

「じ、じゃあどうして音楽を続けてるんですか?」

「楽器だけが……楽器だけが、私と希美を繋ぐものだから」

 

 

 その独白に、勝手ながらシンパシーを感じてしまう自分がいた。

 誰かと繋がれた音楽が、今は遠く離れている縁を繋ぐ線になっている俺にとって、途切れて欲しくない物だから。通話もしている、時々手紙や写真も送り合う。それでも、二人を繋いでくれたのは、他でもない音楽そのものだった。その繋がりを失いたくなくて、今でもピアノを引き続けている。

 

「……鎧塚先輩、俺、傘木先輩のフルートを聴いた事あるんすよ」

「っ……」

 

 静観しようと思った俺の口は、心に反して勝手に動いていた。励ましたくなったのか、それともひけらかしたいのか自分でも分からない。思い出すのは、音楽室で交えたセッションの記憶ばかり。

 

「とても綺麗で、繊細で、元気で。めちゃくちゃ素敵な音色だったっす。打合せ無しのセッションを交えてた時なんか数年ぶりに心が踊りました」

「矢田君、それって何時頃?」

「吹部が合宿してた頃にな。北宇治の詳しい過去まで知らないっすけど、傘木先輩を当時の顧問が選ばなかったのか分かんない程の巧さでしたし、だらけきった吹部に嫌気が差したのも納得のフルートでした」

 

 誰かに聴いてもらう為に弾き始めたピアノが、誰かと弾く為のピアノにもなれると分かったのは、紛れもなく黒江のお陰。あの数日で、傘木先輩はそれを改めて実感させてくれた。個人的な感想をご多分に含んでいるが、それだけ特別な時間だった。

 

「こんな新参者の俺にすら、胸踊るフルートを聴かせてくれた奏者なんです。傘木先輩は音楽も、吹奏楽も、何より鎧塚先輩を見捨てちゃいないっす。あの演奏はきっと、俺には計り知れない強い約束を二人が結んできた証なんです。回り道だとは思いますけど、繋いできた関係をあの先輩は見捨てる訳ないっすよ、絶対に」

 

 震えは止まった。それでも、膝を抱えて顔をうずめるままだ。俺の言葉じゃこれ以上心を開けない。なら後は……託すだけ。鎧塚先輩にしてあげられる事はもう、何も。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……みぞれ!」

「優子先輩……」

 

 本当に外まで捜し回ったのか、軽く息の上がった吉川先輩が開けっ放しの扉から姿を現した。駆け寄るでもなく、それでいて悠長に忍び寄るでもなく。小刻みに力強く鎧塚先輩の方へ歩いて来て、あと頭一つ分近寄れば息の掛かりそうな距離まで詰めて来た。小さい子と接するみたいに、しゃがむ事も忘れていない。

 

「もう、何やってんのよ心配かけて!」

「ごめん……」

 

 叱り方も、まるで親と子供みたいだ。

 

「まだ、希美と話すのは怖い?」

「だって……私には、希美しかいないから……」

 

 どちらかと言えば傘木先輩側に肩入れしているだけに、今の言葉を聞いて少し胸を撫で下ろした。一方的に友達扱いしていた訳じゃない、ただほんの少し、恐怖心を抱いている。

 

「拒絶されたら……」

「何でそんな事言うの!?そしたら何、みぞれにとって私は何なの!?」

「優子は……私が可哀想だから、優しくしてくれた、同情してくれた……」

「バカ!!あんたマジでバカじゃないの!?」

 

 鎧塚先輩の掻き消えそうな言葉を、濃い色の絵の具で塗りつぶすかの如く、吉川先輩の慟哭とも取れる叫びが幾度となく教室中に轟いた。向けたベクトルこそ違うけど、想いの強さはオーディションの時に匹敵している。

 

「優子……?」

「私でもいい加減キレるよ!誰が好き好んで嫌いな奴と行動するのよ!」

「痛い……」

 

 これまでトランペットを抱えてきた華奢な両手で、鎧塚先輩の両頬を押さえ、くしゃくしゃにした。触れた勢いでペチン、と乾いた音が鳴る。

 

「同情?何それ、みぞれは私を友達と思ってなかったわけ!?」

「違う!」

「ああっ」

「危ねえ!」

 

 これまで吉川先輩がどう接してきたのか、どんな想いで残された鎧塚先輩と親交を深めてきたのか知る術はない。お互い同じ南中の人間だからという、単純な経歴で測れる関係とはもう思えない。集団退部事件があっても尚、吹奏楽部に籍を残した人達だけが築いてきた絆だ。それを否定されたからなのか、吉川先輩が鎧塚先輩を押し倒してしまった。

 

「部活だってそう、本当に希美の為だけに吹奏楽続けてきたの?あんだけ練習してコンクール目指して何も無かった?府大会で関西行きが決まって、嬉しくなかった!?私は嬉しかった!頑張ってきて良かった、努力は無駄じゃなかった、中学から引き摺っていたものからやっと解放された気がした!みぞれは違う?何も思わなかった!?ねえ!」

「嬉しかった……でも、でも、それと同じぐらい、辞めていった子に申し訳なかった……喜んで良いのかなって」

「良いに決まってる!!!良いに決まってるじゃん……だから、笑って」

 

 俺には少し、言い切って貰える鎧塚先輩が羨ましかった。同じ努力を積み重ねてきた友達に、努力を肯定してもらえた事実に。酸いも甘いも噛み砕いて、同じ目標を掲げて歩んできた人達だけの特権だ。部外者が欲しがっても手に入る筈のない、一点物のお宝。

 

「……どうして泣くのよ、ほら」

 

 自ら倒してしまった鎧塚先輩を、力いっぱい引っ張り起こす吉川先輩。引き上げた瞬間、倒れ込んだ鎧塚先輩の顔に陽が差した。もう怯えなくてもいい、笑ってもいい、そんな太陽からのメッセージが、塞ぎ込んでいた先輩に降り注いだ気がした。

 ──こんな偶然なら、何時何度でも起きたっていい。

 

「あ……希美先輩……」

「希美……」

 

 出てくるタイミングを伺っていたんだろう。教室の入口には微笑む中川先輩と……オーボエを大切そうに抱えた傘木先輩がこちらを見ていた。今ならきっと、二人は話し合える。

 

「ちゃんと話したら?」

 

 傘木先輩が、こちらに近寄って来る。それに怯えつつも立ち上がり、俯きながらも相対した二人。もう捜し回る必要なんか無さそうだ。

 

「あすか先輩が、これ持ってけって……私、なんか気に障る事しちゃったかな?」

 

 差し出されたオーボエにすら肩を震わせ、深く息を吸った鎧塚先輩。動揺こそ見せているものの、逃げ出す素振りはない。きっと、返す言葉を頭の中で必死に組み立てている最中だ。

 

「私バカだからさ、なんか……心当たりがないんだけど……」

「どうして……どうして話してくれなかったの?」

「え?」

「部活、辞めた時……」

「だって、必要なかったから」

「え?」

 

 鎧塚先輩からの問いかけに、あっけらかんと答える傘木先輩。誘わなかった理由をさも当然といった感じで答えているけど、少し言い方があるんじゃないかと口を出したくなってしまった。

 

「え?だって、みぞれ頑張ってたじゃん。私が腐ってた時も、誰も練習してなくても、一人で練習してた。そんな人に『一緒に辞めよう』とか、言える訳ないじゃん」

「……だから言わなかったの?」

「うん。もしかして、仲間外れにされたって思ってた?」

 

 涙ぐむ鎧塚先輩。言葉よりも、溢れる想いの濁流が止まらない。背中越しだろうと、慌てふためく傘木先輩の様子からどれ程涙を流しているのか想像出来てしまう。

 楽器だけが、それだけが傘木先輩と繋ぐものだと言っていたけど、これはそれ以上だ……この様子だと今から辞めようと囁かれたら、オーボエを置いて吹部から立ち去ったって不思議じゃない。

 でも、今の傘木先輩は辞めようだなんて事を言いに来てはいない。何故ならその手には、二人を繋いだオーボエを抱えているから。

 

「えっなんで違う!違うよ全然違う!そんなつもりじゃ……ごめんねみぞれ!」

「ごめん……」

「どうしてみぞれが謝るの?」

「私ずっと、避けてた……勝手に思い込んで……怖くて……ごめんなさい……」

「みぞれ……」

「ごめんなさい……」

 

 この場にいる誰もが、オーボエとフルートの動向を見守っている。間に流れる沈黙も、二人が産み出した掛け合いの一部となって溶け込んでいる。ズレてはいるけど気不味くはない。ただ、これからの全てを二人に委ねていた。

 

「みぞれ──ねえ私ね、府大会観に行ったんだよ。みんなキラキラしてた、鳥肌立った。聴いたよみぞれのソロ!カッコよかった!」

「本当?」

「ホントに決まってるじゃん!私さ、中学の時からみぞれのオーボエ好きだったんだよ」

 

 そこで初めて、傘木先輩からオーボエを手渡された。本来の持ち主に戻ってきたその楽器は、窓から差し込む陽射しに照らされて、今か今かと奏者の息が吹き込まれるのを待ち望んでいる。

 

「なんかさ、キューンってしてさ!──聴きたいな、みぞれのオーボエ!」

 

 鎧塚先輩は、俺の立ち位置からは背を向けていて表情が分からない。ただ、そこにはもうトラウマから逃げ出す先輩も、そのトラウマだと思い込まれてた先輩もいない。

 確かな事は、一つ。

 

「うん。私も、聴いてほしい」

 

 

 笑顔で応える、オーボエ奏者がしゃんと立っていた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「凄い……綺麗な音」

「ここまでの音が、出せる人なんすね……」

 

 真っ赤な夕日が、京都の空を染め上げている。それは北宇治の校舎も例外ではなくて。そんな紅い色を下地に、敷地の何処かでオーボエのコンサートが開かれている。それを渡り廊下の窓を開いて聴いていた。

 校舎の外も中も、日陰になる場所は真っ暗で、とっくに殆どの生徒が下校している会場を貸し切って。オーボエの為に作られた曲なのか、知らないだけか名前は出てこない……けど、山の雪解け水みたいに綺麗な音なのは確かだ。

 

「結局、みぞれの演奏はずっと希美の為にあったんだね」

「まあね」

「希美には勝てないんだなぁ、一年も一緒にいたのに」

「そんなの当然でしょ、希美ってあんたの百倍良い子だし。なんならあんたより矢田の方が良い奴まであるわよ」

「知ってる、だから希美に紹介したんだし。黄前ちゃんは仕方ないにしても、本当に矢田と会えてたのは予想外」

「さり気なく俺達を戦いの道具にしないで欲しいっす」

「あ、あはは……」

 

 なんて所で引き合いに出してきたんだ吉川先輩は。中川先輩もそこは自虐しないでくれよ、他人の為の橋渡しが出来る先輩の方が絶対に良い人なんですから。

 

「でもさ、みぞれにはあんたがいて良かったと思うよ」

「……もしかして、慰めてくれてる?」

「はあ!?」

「はいはい、照れない照れない」

「何それ!」

「キャー夏紀が優しくしてくるよ〜」

「ちょっ、気持ち悪い事言うな!」

「なあ黄前さん、あの二人絶対仲良いよな」

「……二人の前で言っちゃ駄目だからね、それ」

 

 まるで小学生のじゃれ合いみたいにからかい、言い返し、走り回る先輩達。ゴミ捨て場へ呼び出された時も片鱗は見せていたけど……これ程とは。噛み合ってない様に見えて、他の誰よりも噛み合ってる。犬猿の仲と呼ぶには仲が良いのが、吉川先輩と中川先輩の間柄なんだろう。姿が見えなくなっても尚、二人の掛け合いは続いていた。

 

「後は復部の許可が下りればいいんだけどなあ。どう思う?」

「どう思う、って?」

「田中先輩からの許可だな。一通りの経緯は聞いたけど、去年は先輩が引き止めてたらしいじゃん。それが今年になって断固拒否ってのは……なんでだろって思ってな」

「うーん……言っていいのかな、でも、解決したっぽいし……」

 

 解決したっぽい、と黄前さんは口にした。とすればさっきの鎧塚先輩と傘木先輩の一件が、頑なに復部を拒否し続けた理由という事になる。

 

「……ウチってオーボエ、一人しかいないんだ」

「前も言ってたな、ダブルリードでも三人だっけか」

「さっき見たよね。鎧塚先輩、希美先輩を見るだけで気持ち悪くなっちゃうトラウマがあって。全国に行きたいのにたった一人のオーボエが潰れたら、関西どころじゃなくなる。二人を天秤にかけたら、どっちが優先か分かるでしょ?──って、あすか先輩は語ってくれたんだ」

「それで解決したっぽい、って言った訳か」

 

 無言で黄前さんは頷いた。それが本当なら田中先輩はこれで許可するだろうし、後は滝先生や松本先生に届け出を出すだけになる。これでもう、傘木先輩は副部長に拘る理由が払拭される筈。それでも少し引っかかる。

 

「なんか釈然としねーな」

「でっでも、これで解決したと思うよ」

「それはそうだけどさ、俺には田中先輩が分かんなくなってきてな」

「どの辺りが?」

「復帰を拒否してもさ、同じ学年なんだし幾らでも遭遇する機会はあるだろ。今回俺が引き合わせちまったけど、これまでだってああなってしまう可能性はあった訳だし……そこに頭が回らない人とは思えねえ。今日のは先延ばしにした果ての荒療治だろ」

 

 記憶が正しければ、堕落した去年の吹部内でも部長の座を打診された位の人望もある。それを断り、自分のユーフォ第一主義を掲げ続けてきた。俺の知る先輩ってのはそういう、どっちつかずの人。部員が減ろうが、ソリストの件だってどうでもいいと言えそうな人だ。

 田中先輩が、何時どうやって鎧塚先輩のトラウマを知ったのかまでは分からない。ある意味公平だからこそ、私的な関係に踏み込んでこなかったのも理解出来る……ただそれを、自分の目的の為に拒み続けてきたのなら。その自我が、後輩のトラウマを助長させていたのなら。

 

「ユーフォが吹きたいってだけの人が、ここまで後輩同士の関係を拗らせてまで大会に拘る理由が分かんねえ。黄前さん」

「な、何?」

「低音パートが使う教室、何処だよ」

「三年三組だけど……なんで?」

「田中先輩側の話が、聞きたくなった」

 

 俺も、俺のやり方でやらせてもらう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり、黄前ちゃんと矢田って知り合いだったんだー!何々、お姉さんを騙す様な関係なの!?」

「そんなのじゃないですよ」

「少なくとも、初めて喋ったのは夏休み直前です。数回喋っただけの関係を隠す訳ないでしょうが……ってか、はぐらかさないでくださいよ」

「つれないねー、矢田も」

 

 今日の事件で、俺が傘木先輩と鎧塚先輩の一件に絡んでいたのを田中先輩も知った筈だ。低音パートの教室を訪れた俺に向けてきた目は、親しい相手へは滅多に送らない突き刺す様な視線だった。

 

「あすか先輩、希美先輩の件ですけど……」

「みぞれちゃんが大丈夫なら、私に拒む理由は無いよ。本当はコンクール終わるまで、引き離しておきたかったんだけどなー」

「はあ……」

 

 出会い頭に逸れた話を早々と修正し、田中先輩は真意を語り出した。『引き離しておきたかった』という言葉が副部長としてなのか、田中あすかという個人による言葉なのかが曖昧だけど、先輩は嘆願を断り続けた。

 

「でもズルい性格してるよねーみぞれちゃんも」

「え?」

 

 俺からすれば、田中先輩の方がズルい性格をしている。部長の肩書きを面倒だと断る割には副部長にはなっておいて、一波乱あれば無関心にやり過ごそうとして。威厳は虎なのにやってる事が狸だ。

 

「思わない?みぞれちゃんが希美ちゃんに固執してるのって、結局一人が怖いからでしょ?優子ちゃんは保険だね」

「そんな……」

「案外人って、打算的に動くものだと思うなー」

「あすか先輩は、穿った見方をしすぎですよ」

「打算的ってのは、先輩みたいな人の事を言うんすか?」

「や、矢田君!」

「あははは、今日の矢田は随分棘があるねー。それより……」

 

 田中先輩の視線の先に、黄前さんと約束しているであろう高坂さんが呼びに来ていた。普段もこうやって、一緒に帰っているんだろう。待ちくたびれたのか表情にちょっとした怒りが滲み出ている。

 

「遅い」

「え、あっ麗奈……」

「じゃ、帰ろっか」

「はい」

「黄前ちゃん。全国、行こうね」

「……はい」

 

 黄前さんは何か言いたそうな表情で鞄を肩に提げ、高坂さんと並んで教室を後にした。去り際に高坂さんは俺の存在を一瞬だけ目視したけど、特に気に留める様子もなく帰っていった。

 

「──さ、矢田。私に何か用事でもあるんでしょ?」

「……随分と遠回しな気配りっすね、黄前さんが帰るのを見計らうなんて」

「矢田ー私はこれでも副部長だよ?後輩の意向を汲み取るのが日課なんだから。松本先生が怒鳴りに来る前に、ちゃっちゃと話して」

 

 汲み取る先の話をしないのが、なんというか田中先輩らしいっちゃらしい。

 正直、その気配りのお陰で余計な心労を掛けずに済む。これから聞くのは吹部の為でもなんでもなく、俺自身の我儘による物だから。

 

「じゃあ聞きます。先輩に、何があったんすか?」

「どういう意味?」

「加山先輩や田邊先輩から、過去の話は聞いてます。吹部が悪辣な環境だったとか、そのせいで南中の人達の大半が吹部を去ったとか」

「……今日みぞれちゃんを捜してくれたのは、その過去に同情でもしてくれたって訳?夏紀が教えてくれたけど、希美ちゃんに手を貸してたのも」

「そこはどうとでも捉えて下さい。同情だろうとなんだろうと、力を貸したのは事実です。俺が言いたいのは……先輩らしくないって話っす。テナーサックスが一人抜けようが、ソリストすらどうでも良さそうに装ってた癖に、今になって関西どころか全国まで見据えてる」

 

 先輩の顔が無機質になっていく。傾聴しているといえば聞こえは良いけど、周囲から音という音が無くなったかの様な静寂が、眼鏡の向こう側からの視線をより鋭く砥いでいる。

 

「傘木先輩は言ってました、田中先輩からの許可が欲しいって。去年先輩だけが引き止めてくれたからっていう、恩義をあの人は感じてました。演奏出来なくても構わない、先輩の役に立ちたいっていう意志があったんすよ。鎧塚先輩との関係は寝耳に水でしたけど、こんな部外者を頼ってまで傘木先輩は今日まで動いてたんすよ……そんだけ先輩に、あんたの許可に拘ってた。断られる理由を教えて貰えないままずっと」

 

 言葉遣いが荒くなっている気がする。この人がやったのは、居場所に戻りたいという意志を拒む事だったから。それも、辞める時に居た筈の仲間の居ない、勇気を振り絞るたった一人に。

 

「先輩は頭良いから判るでしょう、こうやって簡単に人っ子一人の人生を振り回せるって……それが二人になる所だった、いやもうなってたかも分かんねえ。立場が上だって自覚があるんなら、子供が、下の人間が、理由も何も分かんねえのに先輩とか親とか、影響力のある奴の言葉や動機ってもんがどれだけ重くのしかかるか、少しは考えてやれよ……!それが出来てりゃ逃げ出す程のトラウマを引き起こしたり、あんたに何度も懇願しに行ったり──っ」

 

 言葉遣いどころか、語気まで荒くなってしまった自分を自覚した。先輩が黙って聞いてくれているのを良い事に、捲し立てては暴言を浴びせてしまっている──少なくとも、黒江にはこんな姿を見せたくない。

 

「すいません先輩、熱くなり過ぎました。途中から質問にもなってない感情ばかり……」

「──いいよん別に、謝らなくて。ウチには矢田みたいな生意気な後輩がいないし、この方が張り合いがあっていいじゃない」

「生意気なのと無礼なのは、俺の中では違います」

「あんたはやっぱり面白いね──大人しくしてたら傷付く事のない、安全圏で暮らしていけたのに、境界線をお構いなしに踏み越えて、他人の為に無茶をやる。普通、傷付くのって怖いのよ?」

 

 知ってるどの田中先輩とも違う、儚げな笑みにさっきまでの怒りに近い熱を全部奪われた。

 田中先輩にとって、俺は生意気な後輩らしい。それもそうだ、これだけ言葉を浴びせてくる後輩が、機嫌を窺わない後輩が従順と呼べる訳がない。

 

「……先輩、一つ訊いてもいいっすか」

「もう暗いし、最後にしてよ」

「なんで先輩は……俺を気に入ってるんですか。入部もしてない、パートも違う所に入り浸ってる俺を」

 

 ある事無い事を吹き込まれ、それを確かめに来る連中が居た。噂話で機嫌を良くして、パートの雰囲気を間接的に明るくしていると中川先輩が話してくれた事もあった。入学してから暫くは、田中先輩自らの勧誘もあった位だ。自惚れでなければ、気に入っている人間へのそれだと俺は考えている。

 それが先輩らしいかまでは読み取れないけど……俺の存在が、きっと先輩の自由な生き方に繋がっている。それを確かめたくなったからこその質問だ。

 

「……私はね、初めは単に従順で使えそうとか、音楽の才能だけを見て気に入ってた。これまでの北宇治高校吹奏楽部にはいないタイプの好奇心まで引っ提げて。でも今は、それだけじゃない──原動力の見当たらない、アンタの底知れなさが気に入ってるの」

 

 投げかけられた言葉が、上手く噛み砕けない。過去を打ち明けたりした覚えは一度だって無いけど、先輩目線で見た俺が、得体の知れない人間だと思われていたからだ。理屈で捏ねた理由より、本能に近い動機を知りたがってる。

 

「学級委員長になりたがって、部員でもないのに世話を焼いてくれて、今回の件みたいに尽くしてくれて。何があんたをそうさせるのか知らないから私からも訊くよ。もし私がパーカッション担当でも同じ様に接する事、出来る?」

 

 それは先輩相手になのか、パーカス部隊に対してなのか、或いは北宇治の吹部に対してなのか。どんな意図で伏せているのかは不明瞭だけど、立場が変わればどうするの?とでも聞きたいんだろうか。

 マレットを掲げる先輩について、少し考えた。シンバルを叩くタイミングを計る先輩、スティックを持ちスネアをここぞとばかりに連打する先輩、ハープの弦に指をかける先輩。どれもこれもしっくり来ない。だからこそ、他についてもカメラのピントが合わせられない。

 

「俺の中では銀のユーフォを抱える先輩しか想像つかないんで、ちょっと分かんないっす。仮にそうだとしても、北宇治高校吹奏楽部の大元でもある音楽室にずっと、田中先輩がいる事になるんですから……去年あったらしい諍いもなくなって、きっと平和になって……」

 

 過去の一件に思いを馳せた所で、雑念に近い物を振り払った。田中先輩からの質問に関係ない範囲まで思考が及んだから。もしもの話は色々な一面を想像してしまう分、何処までもキリがない。

 

「まあ要するに……ピアノがあるならきっと、パーカス担当だとしても同じ対応になるっすよ」

「そういう所があんたらしいね。矢田」

「……鍵、貸してください。関西大会前に引き止めてしまったんで、戸締まり位はさせてもらいたいです」

「そう?ありがと」

 

 すれ違いざまに、教室の鍵を手渡される。普段戸締まりするクラスの鍵と変わらない筈なのに、何を託されたか重みのある鍵を渡された。

 

「田中先輩!」

 

 その呼びかけに扉の前で立ち止まった先輩が、ゆっくりこちらを振り返る。

 

「関西大会で、終わらないで下さいね……ゴールド金賞よりダメな結果で終わったら俺、先輩の事を嫌いになりそうです」

「──じゃあ矢田は私の事、一生嫌いにならないね!」

 

 

 関西大会は、今日からもう三日後に迫っている。搬出や搬入、移動まで含めれば、練習に割ける時間は長くて時計一周分が関の山だろう。でも今の先輩の発言には、自信ばかりが満ち溢れていた。

 どうやら俺は、先輩を嫌いにはなれないらしい。




今回、過去話で何を誰からどう聞いたとか、それを原作の大きな流れに合わせて大丈夫か凄く悩んだ回でした。
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