北宇治のまえせつさん   作:コーヒーまめ

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タイトルに純正律とありますが、ざっくり書くと音程を奏者側がチューニング等で変化をつけられるのが純正律だと思っています。その対極にあるのがピアノを始めとした平均律と呼ばれています。アニメユーフォの1期4話でも純正律の話はほんの少し触れられていましたが、話すと長くなる上に自分で書いてても難しいのでここでは詳しく書きません、すみません……。


25 純正律のチューニング

 

 窓に掛かったカーテンを少しずらして覗く隙間から見える、枝だけになった桜の木。改札を通るのに定期券の通し方も知らずに手間取っていた入学したての頃が、今となっては懐かしい。学校なんて、徒歩や自転車で通う場所だと思い込んでたからだろうか。

 最寄り駅を降りてからの通学路沿いにある茶畑、時々パーカス部隊に奢る為に立ち寄ったコンビニ、中学まで縁遠かった光景が今はごく自然な生活の一部として視界の隅を流れていく。

 京都での生活に、いや高校生活にも少しだけ慣れた。

 

 駅ビルで北宇治と清良女子のコンサートを見届けて、奇跡の再会までも果たせた記念日から暫くが過ぎていた。遠足当日の気分みたいな、給食のじゃんけんで勝てた時みたいな淡い喜びがずっと心の中で渦巻いている。北宇治の吹部が抱えたある事情を知っていながら。

 駅ビルでのコンサート以降も田中先輩が練習にほとんど来ていない……らしい。そんな話を井上さん達から聞いたのは、十月に突入していよいよ全国大会まで一ヶ月を切った頃だった。駅ビルで演奏する姿をフレームに収めてから、かれこれ一週間以上は過ぎている。コンクールに欠員が出た場合の対処や実例なんて知らねえから、せめて吹部が良い演奏を響かせてくれと空に願うだけに留まった。欠員をそのままで行くと音の厚みに出るだろうし、もしもを考慮して今頃先生達が協議中だろう。

 

 数週間後のコンクールメンバーに想いを馳せながら、通学路でもある住宅街を抜けていった。もう何度通ったか覚えていない校門は、俺個人や吹部の内情も露知らず、けど変わらずに北宇治の生徒を迎えてくれている。入学式の日も、授業が休みだった夏休みも、文化祭の日もここを通って校舎に足を踏み入れた。

 

 今日だって普段通りに門を通って、下駄箱までのアプローチを何時も通りに歩いていた。何気なく階段を登って体育館前に広がるプラザが見えてくる。昨日はバイトのない日で早く寝て、早く着きすぎて電車でも通学路でも誰とも会わない、そんな珍しい朝だった。

 

「よっ矢田。早いね」

「えーっと……中川先輩?」

 

 こうやって下駄箱前の広場で誰かに待ち伏せされるのも、また珍しい朝だった。階段状になっていたベンチで座っていたポニテの先輩が、俺を見て立ち上がる。

 

「おはようございます先輩、なんか久々っすね」

「アンタ、駅ビルのコンサートに来てたんでしょ。だったらそんな久々でもないよ」

「俺の感覚だと久々っすよ、喋るのは夏休み以来ですし」

「矢田の感覚だとそうなるかー。ま、そうだよね」

 

 気怠い朝でも朗らかに笑いながら中川先輩は語っている。吹部の話を又聞きでしか知らない俺よりもずっと当事者に近いだろうに、落ち込む様子がない。強いて言うなら、纏う雰囲気がダウナーな人のそれだから特に落差を感じさせない。

 

「よく分かんないですけど、濃密なスケジュール送ってるんすね。んじゃこれで!」

「あーちょっと待って矢田、今日はアンタを待ってたから」

「俺を?こんな朝っぱらから?」

「そう、思ったより早く来てくれて助かったよ。時間的に聞き耳も立てられなさそうだし、歩きながら喋ろ」

「は、はあ。いいっすけど……」

 

 そんな朗らかな先輩の後を追うように昇降口に入り、下駄箱で靴を履き替える。待ち伏せされる理由に見当をつけるより先に、先輩は俺が上靴に履き替えるのを待っていた。

 

「すんませんお待たせして」

「いいよ別に、こっちが勝手に待ってただけだし。んじゃ行こっか」

 

 廊下を歩く靴の音が二人分。校舎も運動場も、朝練で賑わってすらいない時間。こんなに静かな北宇治はそれこそ夏休み以来だ。

 

「先輩は何時も今日みたいに朝早いんすか?」

「普段はそうでもないけどね、コンクールメンバーじゃないし。それでもチームモナカ……あ、B編成のみんなで練習したりしてたから、去年よりは早いかも」

「クラスの奴から聞きましたけど、B編成の事モナカって言うの本当なんすね。由来とかあるんですか?」

「それ、単に二年の苗字から来てるだけ。森田、私、加部、その頭文字」

「おー単純明快」

 

 意外とその場の思い付きというか、単純なネーミングだった。その割には名前が京都っぽい上にお菓子みたいでしっくり来てる。その場のノリがそのまま本番に活かされる雰囲気、俺は好きだ。

 

「もしかして、コンクールメンバーの朝練があるからそれより早く集まってるモナカで練習するんすか?中々スパルタっすね〜」

「ぷっ、あっははは、そんな訳ないじゃん!練習はするけど、こんなに早く集まるのは搬入する大会前だけだよ」

「じゃあなんでこんな朝早くに?俺も人の事言えませんけど」

「さっきも言ったでしょ、アンタを待ってたの。昼休みの矢田じゃないから、もっと待ちぼうけになると思ってたけどね」

 

 だからこれは嬉しい誤算だよ、そう語りながら廊下を歩く中川先輩と俺。待ってたとは言うけど、コンクールを目前に部外者と接触する用事が思い当たらない。傘木先輩の件ならもう解決したというか、あの二人なら何かあっても折り合いをつけられる気がしてる。

 ただ、行動パターンを把握してるタイプの先輩が、何時現れるか分からない時間帯に俺を待っていた。確実に会うなら昼休みの音楽室で良かったのに、早朝の登校する時間にわざわざ合わせる理由がある、デジャヴとは違うけどそういう口ぶりだ。

 

「矢田、アンタはあすか先輩がコンクールに出られないかもしれないって話、きっと知ってるよね」

 

 休んでるとは教えられたけど、コンクールへの出演にまで波及してるとは聞いていない。それだけ練習に姿を見せていない事の裏返しだとしても、思った以上に深刻な事態にまで悪化している。

 

「……練習をほぼ休んでるとは聞きましたけど、深刻っすね」

「うん、深刻。だから教頭先生が退部届を受け取ったって噂が流れた時、気が気じゃなかった」

「そこはクラスの奴から聞きました、滝先生が否定したって」

「正直、私は今も不安。二度とあすか先輩が部活に帰ってこないんじゃないかって思うとね」

 

 眉を下げて寂しそうな顔をしながらこの場にいない田中先輩を思い浮かべている。パートが同じ後輩なだけあって、読み取れるその想いは強い。夏休みの黄前さんにも似た近い想いが顔に出ている。根は明るい中川先輩の悲痛な面持ちが、それをより強めていた。

 

「俺は……他人事みたいに聞こえるかもしれないっすけど、あの先輩なら良くも悪くも自分でどうにかする、いやしてしまうって思います」

「良くも悪くも、か。なんていうか、アンタの中のあすか先輩は逞しいね」

「中川先輩の知る田中先輩はもっと、もっと逞しいっすよ。絶対に」

 

 隣を歩く先輩が、白い歯を少し覗かせる。きっと当たりだ。

 

「……そんな矢田だから希美の話も出来たし、この話も出来るね」

「どんな話っすか?」

「ウチら吹部の一部で練られてたんだけど──通称『あすか先輩を連れ戻すぞ大作戦』、それをアンタに手伝って欲しいなって」

 

 思わずこけそうになる作戦名だった。作戦名にしては率直すぎるし、作戦の前に大を付ける辺りがなんだか子供っぽい。命名したのは誰だ?

 それよりも気になるのは、作戦名の通りに田中先輩に戻って来て欲しいという意思だった。少なくとも中川先輩は、朝から出会えるか怪しい後輩にそれを持ち掛けてきている。

 

「それを願う為に、朝から待ってたんすか」

「そうだね。この作戦の軸は黄前ちゃんなんだけど、その軸を補強する為にアンタにも力を貸して欲しい」

 

 一体その作戦は、低音パートの後輩でどうするつもりなんだろうか。そして俺をどう使ってどう補強するつもりなんだろうか。霧がかる海みたいに先が見えてこない。

 

「戻って来て欲しいってのは伝わりました。でも申し訳ないんすけど、その作戦は内容に関わらず手伝えそうにないです」

「てことは答えはノー、って感じかー……」

「力を貸してやりたい気持ちもあります、時間も多分捻出出来ます。でも作戦目標自体が無理難題っすよ。夏休みの件ならまだ手を貸せましたけど、曲がりなりにも田中先輩の母親絡みなんすよ?下手に手を出して拗れたらそれこそ申し訳が立たないっす」

 

 実際、傘木先輩と鎧塚先輩の仲は荒療治ながら俺がどうするまでもなく修復された。知恵を絞りはしたけど、棚からぼた餅と呼ぶに相応しい結果だった様に思える。あれは何処までも部外者でもあり、傍観者だった。

 

「黄前さんに対しては知りませんけど、中川先輩は俺を買い被りすぎっす。吹部限定の便利屋じゃないんです」

「けど、矢田は今まで上手くやってきてたよ。オーディションの喧嘩の仲裁も、希美の背中だって支えてくれた。その度胸でね」

 

 思わず後頭部が痒くなった。照れ隠しよりは、困惑を痒みで隠して掻いている。普段より気持ち多めに引っ掻いた。

 

「黄前ちゃんから聞いたよ。あすか先輩の母親が学校に来た時、先生達の言い争いに乱入して、あまつさえ母親から先輩へのビンタを掴んで止めてくれたって」

「そんな細かい話まで聞き及んでたんすね」

「同じパートにいるから分かる。あんたはあすか先輩に吹部にとってのデスティニーだなんて呼ばれて、相当お気に入り扱いされてる。黄前ちゃんとは違う方向性の期待感だけど、きっと何とかしてくれるっていう……そんな希望をこの作戦に込めたつもりだよ」

 

 何がデスティニーなのか、利己主義の塊みたいな田中先輩らしくない抽象的な表現だ。そこまで吹部の行く末を左右する人間になった覚えはない。でも、どこまで気に入られているのかはその単語に込められている予感がする。

 

「先輩は、いいんすか?もしかしたらコンクールで吹けるチャンスかもしれないんすよ」

「私はいいの、来年があるし。あすか先輩が復帰出来ないのなら代理で出てもらいますって、滝先生から告げられたけどね。周りにはまだ内緒だけど、その為の個人練も始めてる」

「……一応、言っときます。その作戦に力を貸したとして、上手くやれる保証はこれまでの部内のごたつきよりは皆無です。そもそも作戦内容すら不透明です」

 

 助けられるものなら助けてやりたい。が、相手と分が悪すぎる。田中先輩の母親だって毎日直談判しに来てる訳でもないだろうし、俺が田中先輩のクラスに行ったってどうしようもない。本来俺と先輩は、関わる理由すらない間柄だ。

 それでも関わろうとしているとすればきっと、みんなが部活に注ぎ込む熱意……みたいなものに充てられた。今は、それだけで十分。

 

「まあね、昨日発案されたばかりの作戦だし」

「練られた作戦で大事なのはきっと、中川先輩の覚悟っす。どうしても戻ってこない場合に、全国って大舞台に立つかもって覚悟っす。それを基盤にしない限り、俺も黄前さんも頑張れません」

「覚悟──」

「その覚悟がある限り、俺も覚悟で示します。部員じゃないんでたかが知れてるっすけど、打ち明けられたからには、俺も心意気ってのを示すまでです」

「そっか、覚悟か……ありがと。草案だったけど、アンタに打ち明けて良かったよ」

「本当に力を貸せそうな妙案が思い付いたら、また会いに来てください。覚悟、見せますんで」

 

 互いの足が、職員室前で止まる。これだけ早い時間だと互いの教室にしろ楽器室にしろ、鍵を借りるのは一番乗りの役目でもあり、特権でもある。

 

「矢田」

「なんすか今度は」

「バタバタしてて言いそびれてたんだけど、『レチクル』ってバンドは覚えてる?文化祭のステージに立ってたんだけどさ」

「まあはい一応。実行委員の端くれだったんで」

「そのリーダーのかおる……若井菫っていうんだけど、南中からの友達なんだ。その子達がトラブルで場を繋いでくれたピアニスト達にお礼、言いたがってた。私も後から教えられた動画で見たけどさ、かっこよかったよ」

「あー……遂に北宇治でも広まり出したんすね、それ」

 

 文化祭の面影はもう校舎には見当たらない。となると熱気は記録された媒体にしか残ってない訳だけど、その存在が母校でとうとう語られ出した。黒江が知ってた時点で時間の問題とは思ってたが、恐らくタイムアップだ。井上さんも褒めちぎられて恥ずかしがるし機材トラブルだった都合上、言いふらさないという取り決めが成されたものの……別の意味で覚悟が必要なのは俺達の方らしい──頑張ろうな、副委員長。

 

「……なら、同じ吹部のドラマーにも言ってやってください。あの場の不安定になりかけた拍を、借り物のドラムセットでずっと取ってたんで」

「パーカッションの井上ちゃんだよね、全体練習前に伝えとく。二人共、『レチクル』にとっての功労者だから。失礼しまーす」

 

 中川先輩が職員室のドアをノックして、ゆっくりと開ける。まだ薄暗い日差しが照明代わりになっているその職員室は、顔を洗う前の寝起きみたいにぼんやりしている。それでも、普段通りに俺達を迎え入れてくれた。不思議とそれが、頼もしく思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「店長、本当に帰っていいんすか?」

「うん。これから配達に行くんだけど……ちょっと遠方のお客様だし、あまり遅くなってもいけないから今日は店じまい」

「俺は別に平気ですけどね。明日も学校ありますけど、数時間程度なら店番だってやれますって」

「気持ちだけ受け取るわね。締め作業は済んでるから、戸締まりはお願いね〜」

「……分かりました。配達、お気をつけてー」

 

 客足も考慮して、その日のバイトは珍しく早めの店じまいに。店長が動かす営業車が店から遠ざかるのを何気無しに見送った。中川先輩の明朝からの待ち伏せといい、今日は珍しい事が続いてる。

 バックヤードで制服に着替えて、表の鍵を閉めてから店を出る。休みの日も今日みたいな下校途中の日も、ここから電車に乗らずに帰るのがバイトの日の過ごし方だ。定期券内ではあるけどどうせ一駅隣だし、運動も兼ねて線路沿いを歩く。部活に入ってない人間なりの、ちょっとしたトレーニングのつもり。

 

 バイト先の花屋のすぐ目の前には、三室戸の駅がある。下校してからバイトがある日はここから降りて出勤するけど、帰る為に使ったことはあまりない。そんな三室戸の改札口は宇治駅と違ってほぼ線路に面していて、車道と線路に挟まれた手狭な空間だ。仕事を終えて帰宅してきたであろう人達が、改札口を通って人の流れを作る。丁度そういう時間帯に差し掛かった。

 

 そんな時間でも、思ったより暇を持て余してしまった。本来の閉店時間にはまだ一時間程度もあって、何をして時間を潰そうか迷う。偶には肉屋のコロッケでも買い食いするとか、それとも無くなりそうな歯磨き粉でも買いにスーパーへ立ち寄るとか。行った試しはないけど古着屋に向かうのも良いかもしれない。ふらっと立ち寄った駅舎の、券売機の上にある路線図を眺めながら放課後の過ごし方に頭を捻った。

 

「──ちょっと、そこの貴方」

 

 簡素な路線図を見上げていると、何処となく聞き覚えのある声がした。

 

「聴こえてるの?そこの制服の貴方、貴方に話してるのだけど」

 

 帰宅時間と重なった駅の規模にしては人が多かったし、一度は聞き間違えだと思って流してたら、その呼び声はこっちに向いていた。見渡す限り、学校の制服らしき人間は俺しかいない。他はサラリーマンというか、要するに大人ばかりの中で俺の事を呼んでいる。だからと思ってその声がする方へ顔を向けてみた。そこにいたのは……。

 

「……っ、田中先輩の、お母さん」

「先月に学校で会って以来ね。貴方、矢田明宏さんで間違いないかしら。唐突で悪いけど今から時間を作って頂戴──あすかの後輩がどんな子なのか、一度話がしてみたかったの」

 

 力を貸すという覚悟は今朝中川先輩に示した。作戦への意思表示も決めたつもりではいた。でもまさか、あの時掴んだ繊細な細腕の持ち主と、無理難題な作戦目標と遭遇してしまうとは露ほども思ってなくて、思わず頭を抱えてしまった。でも、ここで逃げる選択肢は選べない。

 どうすれば、拗れずに済むのか。どう接すれば、吹奏楽部の為になるのか──どうすれば田中先輩がコンクールメンバーに、復帰出来るのか。太陽は既に、沈みつつある。




黄前ちゃんがあすか先輩に仕掛けるなら、矢田君が仕掛けるならこっちかな。と思ったので。

エピローグも含めると、一年生編は後3話です。番外編のネタは幾つか浮かんでいますが、ひとまず一年生編の完結を目指します。
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