原作でもアニメでも台詞一つなかった登場人物については私の個人的な解釈が含まれています。
「葉月先輩、先程は申し訳ありませんでした」
「アイス、奢りね!」
「えっ?あっはい」
「アッハハ、冗談だってば」
「えっそうなんですか?」
「アハハハハ」
北宇治高校吹奏楽部は無事、サンフェスでの出番を終えた。およそ一キロの距離を吹きながらというのはあっという間で、楽器や道具を置いた後にやってくる達成感がみんなに表れていると実感させてくれる。
「色々とお疲れ様です、久美子先輩」
「あぁ奏ちゃん、お疲れ様〜」
楽器やパートの垣根を越えた労いがマーチング終着点の各地で行われている中、一年生への指導を終えたタイミングで今年低音パートに入ったユーフォ担当の後輩、奏ちゃんが労ってくれた。
そんな奏ちゃんは緑ちゃん曰く、甘え上手の飼い猫らしい。礼儀正しい一面に小悪魔めいた憎めなさで粗方受け入れてしまうものの、時折狡猾さを覗かせるその振舞いに心の隅で私はほんの少し、苦手意識を抱いていた。
「チューバ隊はみんな、随分と打ち解けましたね。昨日までの関係が嘘のように」
「いい事だと思うよ。美玲ちゃんも一歩、踏み出してくれたみたいだし」
褒め合う部内の空気を他所に私、黄前久美子の中で達成感よりも安心感の方が大きかったのが、新入生であるチューバ担当、美玲ちゃんの存在。その技術とプライドから、パート内でも孤立を深める後輩への解決策を見い出せずにサンフェス直前で不満を爆発させてしまい、スーザフォンを出発点に置き去りにしてしまいかけた。
どうにか美玲ちゃんの壁を取り払えたのは良かったけど、向こうから乗り出してくれなければ危ない所だった。説得中に聴こえたボレロに急かされて後輩二人を連れて戻れたのは、整列まで一分にも満たないまさに出発直前という瞬間。戻るや否や軽く優子先輩からのお叱りを受けた。
「私、美玲が合わせる必要なんてこれっぽっちもないと思うんです。だって美玲は正しいんですから」
「美玲ちゃんは変わりたかったんじゃないかな、ホントはみんなと仲良くなりたいって」
私はただ、スーザフォンを放り出してしまったのは美玲ちゃんが素直になれなかっただけ、そう結論づけた。そんなチューバの後輩へあだ名で呼ばれる事に慣れるという解決策を提示してあげた結果、低音パートの一員として溶け込む美玲ちゃんの姿がそこにあった。
サンフェスを無事に終えた事自体は良しとしてるみたいだけど、私の出した結論に不満気な奏ちゃんから妙な異論が飛んでくる。
「なーんか、色々と絆された後って感じでしたけどね。私の知らない先輩に」
「絆された?誰に?」
「なんでも美玲は、アイスを奢ってもらったそうなんです──矢田明宏とかいう先輩に」
意外だった。というよりも意識の外にある名前だった。奏ちゃんからその名前を聞かされた事もそうだし、周囲に壁を作っていた美玲ちゃんが他人と、しかも矢田君と既に接触していた事が。
あすか先輩が卒業したからなのか、矢田君の存在が三組の日常として溶け込みつつあったからなのか、不意打ちの様に聞かされた名前に多少驚かされつつも会話を続ける。
「奏ちゃん、矢田君の事を知ってるんだ」
「元々噂でしたからね、一年の間で。入学式の日にキーボードを弾いていた背のたかーい先輩が、パート分けの日もサンフェスの練習にも一度だって姿を見せないんですから。やる気のない幽霊部員なのでは?と噂する部員もいましたよ」
「そもそもどこにも入部してないよ、矢田君は」
「みたいですね。美玲を絆したであろう先輩に一体どんな手を行使したのか、きちんと問い質してみたかったのですが」
悪どい言い方はさておいて、美玲ちゃんの態度が柔らかくなった理由が矢田君にあるのなら、確かに私も知りたい気がする。先輩として過ごす上で活かせるヒントが知りたいという欲求が湧いてくる。あすか先輩程貪欲ではないにしても。
「奏ちゃんもアイス、奢ってほしいの?」
「そんな訳ないでしょう、個人的に気になるだけです。部員でもない人がバンドのサポートみたいに部長達から依頼される、環境そのものが」
「環境ねぇ」
「ウチの先輩達にとってそんなに信頼の置ける人なんですか。矢田先輩というのは」
人としては信頼の置ける、そう言えるクラスメイトだとは思ってる。でも優子先輩みたいに演奏を依頼する程の感情を持ち合わせていないし、つばめちゃんみたいにほぼ毎朝話し掛ける親密さも、自分の中には今のところ見当たらない。吹奏楽部の一部員としてはどうかと問われると、あすか先輩のお陰で同情と呼ぶ言葉の方がしっくり来てしまう。
今思えば麗奈と優子先輩の喧嘩を仲裁したのも、希美先輩に手を貸していたのも、あすか先輩のお母さんが振るう暴力を止めたのも、その原動力は何処から湧き出たのだろう。去年はほんの少し、今年はまだ一ヶ月。そのどちらも、矢田君の力の源を知るには足りるような足りないような。
もし、一瞬浮かんでは消えたあの噂話が事実なら。去年談笑混じりに夏紀先輩が一度だけ零した「あすか先輩の親を矢田が説得してたりして」なんて妄想が、事実なのだとしたら。
「本人に会えたら、訊いてみればいいんじゃない?同じクラスだけどあんまり知らないし」
「直接お聞きしろだなんて、久美子先輩らしからぬ投げやりっぷりですね。サンフェス直後で疲れてるんですか?」
「そりゃ疲れるよ〜、吹部のみんなと一緒」
「フン。まあいいですよ」
その未知の原動力で私の後輩とも同じ様に接してくれる、そんな信頼が私に芽生えた。本当にただなんとなく思っただけの、ほんの少しの信頼感。
北宇治はサンフェスで『サンバ・デ・ラヴズユー』を披露し、バトン演技を完璧に物にしたドラムメジャーを先頭にコースを巡り、訪れた観客を見事に惹き付けた。
その会場で撮影した写真を持ってくるついでに井上さんに導かれるがまま、パーカッションの個人練に顔を出すようになり日付を数回越えたある日の事。
「──で、リズの元から青い鳥は飛び立ってしまう……読んだ事のない人向けに語るならそういう話だな。なんか気になった所はあるか?挙手で頼むぞー」
「「はい!!」」
「息ピッタリだな双子。じゃあ、兄貴の蒼太」
パーカッション隊が今年の自由曲『リズと青い鳥』の解釈を深めるべく、俺を臨時講師として国語の授業が開かれた。単に演奏するよりは元になった絵本について理解を深めれば、気持ちがより音に乗るよ!という最もな意見を堺さんから頂戴し、慌てて図書室で絵本を読み耽った。演奏するのあんた達だぞ?
確かに最もな意見だし演奏する曲の背景や歌詞を知るってのはまあ分かる。その講師役を読んだ事も曲を聴いた事のない俺にしていいのか、というのが俺の私感。授業というよりは意見交換、意見交換というよりは読書感想文の読み上げに近い国語の授業だ。釜屋さんどころか大野先輩も生徒役に回ってるし少しやりづらい。でも京都大会は八月下旬、サンフェスからと考えても余裕があるとは言えない時間。
「青い鳥ってかなりラッキーですよね!嵐の夜にリズと会えなかったらどうなってたか」
「同じく!青い鳥は運がいいです!」
「なるほどな。絵本の始めにリズが青い鳥に見惚れるページがあるわけだけど、暮らし始めた時は単なる親切心だったかもしれねえ」
一応役に立てばと思い、黒板に『リズと青い鳥』の感想を図にして書いていく。ざっくりとした感想を元に、パーカッションの皆の意見をそこに書き足す。
「はいっ、次私で!」
「お、オム。なんかあるか?」
「リズってお米よりパン派なんですかね?お手伝いしてる絵がありますし!」
「この絵本の世界に米農家がいれば比較出来そうだけど、パンが主食レベルで食べてるのは間違いないかもな。パン屋さんで働いてるみたいだし……リズはパン派かもっと」
「は~い」
「じゃあ次、北田さん」
「リズちゃんも青い鳥ちゃんもお洒落で可愛くて、服装的に近現代が舞台だと思うんですけど〜、青い鳥ちゃんは姿を変える時に何を参考にしたのかな〜って」
「鳥の中でもファッションリーダー的な立場の人、いや鳥?がいたのかもしれないし、飛び回る中で真似出来る服装を見つけたのかも。そういう訳か」
「ですです」
「そういう話も理解を深める大切だな!えーとそれなら……」
一年生達から出てくる細やかな感想を文字にして、黒板に書き連ねる。強いて言うなら俺が今までやってきたやり方とは違う音楽への掘り下げ方に、部外者ながら楽しくなってきている。メロディーや歌を聴く前に、童話の背景について理解を深めるなんてのは俺の人生で通らなかった道だ。やがてすり減ったチョークを新しい物と取り替える。
「はい」
「お、町田さん。どうぞ」
「えーっと、二人ともなんか不器用だけど、でもその切ないのが良いのかなーなんて私は思ったりもします」
「不器用か……どんな所が?」
「女の子が鳥だと知った次の日には『自由になるべきよ』なんて切り出しちゃうし、青い鳥も青い鳥で一緒にいたいのにリズが大好きだから、その言葉を受け入れちゃう所とか」
「その不器用さは互いにとって、不幸になってたか?」
「私はリズでも青い鳥でもありませんけど、幸せになって欲しい気持ちはお互い本物だと思うんです」
「想い合ってたからこそリズは背中を押して、青い鳥は飛び立てたのかもしれねえなあ」
急いでご飯をかきこんだみたいに読んできた俺の理解を易々と越えてくる後輩達の言葉を文字にして、黒板の余白を埋めたり、時には上書きしたり。まるでみんなで一つの作品を組み立てるようなこの一体感に、本来味わえる事のなかったであろう瞬間を噛み締めるようにチョークをすり減らしていく。
流される筈のなかった流れに足を漬けたのは、紛れもなく俺自身の選択。今日の役割を引き受けたのも俺自身の決断。
「ちょっといいですか」
「東浦さん、どうした?」
「道子ちゃんが今話した辺り、曲の方だと『愛ゆえの決断』ってタイトルが付いてて。なので私が一言で表すとしたら……愛かなぁって」
「なんかロマンチストだな」
「いや、そのっ、深い意味はないです。四部構成の内の第三楽章がそういうタイトルなだけで……そもそも物語モチーフの曲ですし!」
「四部構成、そうなのか?」
絵本の知識だけでしか『リズと青い鳥』を知らない俺にとって知らない知識を確かめるべく、その場にいた堺さんに声を掛ける。
待ってましたと言わんばかりの堺さんが、自信満々に音楽知識を語り出す。
「うん!第一楽章から第四楽章まで十二分はあるからどこかはカットされると思うけど、コンクールだと結構定番の譜面なの。特に第三楽章のオーボエとフルートの掛け合いが素敵でね、同じ作曲家の人の曲と比べると少し知名度は低いけどコマーシャルにも使われた事だってあるんだよ!」
「ふーん。物語は読んで理解はしたけど曲としてはどうだ、難しい方だったりするのか?」
「確かに難しい方かも、課題曲も難易度は上の方だし。でも私達なら絶対大丈夫だから!楽しみにしてて!」
そう語る堺さんに同調する形でパーカッション部隊の士気が高まりをみせる。譜面も見た事がなければ演奏自体聴いた事のない曲に対して、俺より遥かに詳しいであろう同級生が腕を組みながら熱弁してくれた。信じる他はない、それ以外の選択を選ぶつもりも全く。
高まる士気に安心して、見ていなかった腕時計を見ようと袖を少し捲った。今日はバイト先に向かわないといけない以上、電車の時間も含めるとそろそろ北宇治から下校する時刻に迫っている。
「それ聞いたら安心したわ、んじゃ後の授業は堺さんに任せていいか?今日バイト先にいかなきゃ駄目でさ」
「おっけー!矢田委員長、今日はありがと。また練習前にピアノ聴かせてねー!」
パーカッションの面々が手を振ったり、去り際の俺に声を掛けてくれる。双子の兄弟なんて同時にセッションのお願いを申し出てくれた。あいこが続きそうなジャンケンを始める二人に苦笑いを浮かべつつもコンクールが終わってからな、と約束を取り付ける。
人が増えて随分と賑やかになったなあ、と思いながら音楽室の扉を開ける。アルミのレールを二度滑る音がしても尚活気が保たれている。堺さんの熱弁に力が入っている証だった。
「あれ委員長、もう帰るの?」
音楽室を背にした所に廊下から歩いてきた井上さんが話し掛けてきた。一人だけ途中離席してたと思っていた矢先の出来事だ。堺さんといい井上さんといい、もう二人にとっての委員長じゃないってのに委員長を付けて呼んでくる。
「おう、そろそろバイト先に行かなきゃ駄目でな。ところでなんだそれ?」
そんな井上さんの左手には二枚の白い板が掴まれている。板というかディスク、察するに音源だろうな。
「これ?課題曲と自由曲の音源。さっき先生から貰ってきた!ウチのパート練習はこれが無いと合奏練習まで持っていけないからねー」
「大会に向けていよいよって感じだな。にしても初心者が半々だけど、基礎連は大丈夫なのか?」
「そこは任せてよ!可愛い後輩達の為、私がじゃんじゃん鍛えてみせる!美代子先輩直々に初心者指導係に任命されたし!シングルストロークからパラディドルだってマスターさせてみせるから!」
「頼もしいな、井上さん」
「あーでも、委員長に力を貸して欲しい時はあるかも。音源に合わせるのもいいけど、全体練習以外で生演奏と合わせる機会も作ってあげたいし」
「任せろ、バイトが無けりゃ手を貸してやるから」
「助かる〜!」
一年の頃よりも先輩としての自覚を持って動いている元副委員長の成長は、学級委員の経験よりも進級してからの部活動を通した物であろうという背景は凡そ察せられる。釜屋さんも堺さんも井上さんも、俺が知らない間に前に進んでいる。
それに比べて俺は、本当に前に進めているんだろうか。
「じゃ、俺はこれで。練習頑張れよな〜」
「うん!またね委員長!っと、バイトをしてる委員長に今言っておきたい話があるんだよね」
「なんだよ?」
「来月のあがた祭、パーカッションの皆で行こうと計画してるんだけどさ、委員長も一緒に行こうよ!」
京都歴一年から見ても気の早い誘いだと思った。あがた祭は来月、遊びに誘うだけならもう少し後で良い気がしなくもない。
「気が早くねーか?」
「去年は誘うにもつばめが人慣れしてなくて誘えなかったし、今年もバイトで行けないってなったら嫌だから。他のみんなの予定はまた今度訊くけど、どうかな?もう委員長はパーカッション隊の一人でしょ?」
駆け足気味な誘いだとしても、心のどこかでは嬉しかった。吹部の一員として認められている事よりも、俺を気に掛けてくれる人がいる、そんな事実に喜びを隠し切れるかどうか。
「……分かった、当日のシフトは開けてもらうように頼んでみる」
「サンキュー!一緒に行けるといいね、あがた祭!」
去年のあがた祭は成り行きで先輩達と見て回った、あれも間違いなく楽しさを添えてくれる時間だった。今年はまた違う祭を味わえると思うと一ヶ月先が少しだけ、待ち遠しい。
「ほらみんなこっち向け〜笑顔で〜!」
宇治橋を渡る手前から続く活気を帯びた雑踏が、あがた神社の一の鳥居へと吸い込まれるように流れていく。普段は何処で暮らしてたんだと言わんばかりの人の波があっちこっちに押し寄せては集う。見渡す限りの人、人、人。井上さんとの約束通りにパーカッションと部外者一名であがた祭に来た頃には往来は絶えず、そんな祭当日を迎えていた。
「はい、ティンパニー!……んー、なんか動きっていうかポーズが欲しいな、折角だし」
「あっじゃあこうしない?万沙子を中心にして……みんなで羽みたいに!」
「私!?」
連なる屋台に何度も引き寄せられ、舌鼓を打っては次、遊んでは次。お面を着けたり水風船を弾ませたりするパーカッション隊の皆を切り撮る指が捗り、通りを外れた路地裏で集合写真を撮るまでに一度フィルムを交換する程にはシャッターを切った。
「なら蒼太と颯介で両端に……そうそうそんな感じ!もっかいいくぞー、はいっティンパニー!」
堺さんを崇めるようなポーズを決めるパーカッションの皆。乗せられた側でも尚乗り気な被写体の中心、堺さん。この光景が不思議とおかしくて、カメラを構える腕の力が程よく抜ける。仲良き事はなんとやらってのはきっと、こういう一枚を表す言葉なんだと覗いたファインダーから伝わってきた。
賑やかで、仲が良い。パーカッションの、或いは吹部全体の在り方が変わりつつあるのかもしれない。
「っしオッケー、今のは良かったぞ!明日か明後日にでも現像して持ってきてやるから楽しみに待っとけ〜」
「え〜まだ委員長が入ってないじゃん!一緒に撮ろうよ!」
「三脚なんて持ってきてねーぞ?そもそも買ってねえ」
「じゃあ通行人の誰かに頼むとかしましょうよ、矢田先輩!」
「さっきスマホで何度も一緒に撮ったろ?それで我慢な」
すっかり写真屋矢田明宏は店仕舞いモードに入ってたのに、井上さんを筆頭に一緒に撮ろうとせがんでくる。気持ちは嬉しい。部員でもない人間を慕ってくれるのもこそばゆい。だからこそ、この距離感がもどかしい。俺はただ普通に生きようとしているだけ。パーカッションの皆はコンクール以外にも依頼演奏とか文化祭を始めとした目標に肩を並べて進んでいる。部外者はただ、眺めて背中を押すだけでこれ以上ない幸せに浸れているってのに。
普通の幸せを、普通以上に貰ってる。この幸福は他の誰にも味わって欲しくない。普通を普通と思わなかった人生をずっと、送ってきたから。
「今日が祭かつ日曜だからって浮かれんなよ、明日からまたコンクールに向けて練習あるんだし。もう遅いんだから今日はこれでお開きな!」
「矢田君、まるで監督みたいだね」
「大野先輩、北宇治の外にいる以上は実質お守り役みたいなもんっすよ?てな訳で解散!寄り道しても構わねーけど、神輿が通る前には帰れよ〜」
「ふふっ、それもそうだね。みんな、今日は帰ろう!明日からまた練習頑張るよー!おー!」
大野先輩が拳を突き上げ、それに倣う形でパーカッションの皆が掛け声を上げる。祭の喧騒にも負けない勇ましい掛け声は、見ている俺にも勇気をくれる。そう、これでいい。これがいいんだ。
「矢田せんぱーい、また明日でーす」
「おう、またな」
現地解散で家の方向もバラバラだからと散り散りになり、交通規制の張られていない道を歩いて一人で帰る。出店のある通りを戻るよりも涼しい風に当たりたい気分になって、宇治川のある方へと歩いてみる。川沿いを通れば宇治橋に行けるだろうし。
神社前よりはずっとまばらになったこの歩道を歩くのは、土地勘のありそうな地元の人とかだろうか。観光目的にしては軽装の人とすれ違っている。普段は閑静であろう住宅街を抜け、コンクリートで舗装された道路が石畳に変わる。街灯がほぼ存在しない道で、微かに光る植え込みに紛れる光と月の照り返しでどうにか橋らしき物が見えた。ここらで涼んで一休み……の、つもりだったけど。
「何突っ立ってんだー塚本」
「うわっ!なんだ矢田かよ……こんな時に脅かすなって」
「驚いたのはこっちだっての」
よーく目を凝らして見てみると、自販機からの逆光で見えにくかった人影に見覚えがあった。その正体はクラス分けでこれまた別々になった塚本。こんなあがた祭の日に一人、私服で佇むその様には何処か哀愁を漂わせていた。
「お前、こんな日に一人で祭に来てたのか?瀧川は?」
「別にちかおとは来てねぇけど……矢田こそ、なんでこんなとこ歩いてんだよ」
「ついさっきまでパーカッションの連中と一緒に祭を巡っててな。現地解散したし、家は宇治川の対岸だから沿って歩けばと思ってさ」
「そ、そっか」
疎遠というには少し違う。時々電車で一緒になるし、休み時間にもすれ違えば一言二言交わし合う仲は続いてる。にしても歯切れの悪いというのが、今の塚本から見て取れる。元五組のよしみで相談にでも乗ってやるか、帰るまでは暇になったし!
「塚本お前、なんかあったか?」
「は、はぁ!?いや別に何も……」
「こんな観光客すら通りそうにない場所で突っ立ってるとか、何かありましたーって言ってるようなもんだぞ?」
「…………」
「──あったな、何か」
「…………誰にも言わねぇって誓えるか、この話」
「男同士の約束は硬えぞ?そこは任せとけ」
こういう時の勘は当たる、直感だ。口籠る塚本の顔を見れば分かる。そして当たりだ。そんな塚本の口から、何故一人で街灯も無いような場所で突っ立っていたのか割と重たい理由が告げられる。
「実はさ……その……」
「なんだ?」
「今日はその、一緒に来てたんだ。久美子と」
あれは暦の上でも冬に入った去年の話。全国まで進めたコンクールの余韻すらも落ち着きを見せた頃、帰りの電車で塚本から恋愛相談を持ちかけられた。幼馴染である黄前さんに告白したいからどんな物を渡せばいいか、と。
終点まであれこれ知恵を絞り悩んだ結論が、恋や愛に因んだ花を渡せというアドバイス。ヘアピンとかはどうだ?と助言をし、意を決して選んだプレゼント渡すと同時に想いを伝えた所、無事結ばれたという事後報告をスマホ越しに受けていた。
実は黄前さんとは旧知の仲だった、という話を聞かされた時はそれはそれは胸焼けしたもんだ。去年の今頃は互いの関係をぼかされていた分、蜂蜜とガムシロップとバニラエッセンスを同量混ぜた原液を薄めずそのまま飲まされた様な、虫歯待ったなしの甘ったるさが一日中漂い続けた感覚は今でも思い出せる。
「やるねえ」
「でさ……二人であがた祭を回ってて」
「うんうん!」
「この辺りはその、車も通る道だし危なくて引き寄せたら、なんかいい感じの雰囲気になって、その……」
「いい雰囲気になって!?」
「今と思ってさ……き……き……キス、しようとして……さっき突き飛ばされて、拒否られた」
その事後報告を聞かされた瞬間、肩を落とした。がっかりした訳じゃないけど、往来がゼロな場所とは言えなさそうな所でやるには勇み足がすぎる同級生の蛮勇に、頭を抱えた。説教を前に軽く息を吹い、呼吸を整える。
「塚本よお、お前のそういう勢いは美点かもしれねえけどな。黄前さんの気持ち、もう少し考えてやりな?」
「わ、わかってるってそんな事!」
「わかってなかったから拒否られたんじゃねーの?」
「それは、まぁ……」
「お前は今だと思っても、あっちが今じゃなかったら出来ねえと思うぞそういうの。カップルでもあるとしてもだ、切磋琢磨する吹奏楽部の部員同士でもあるんだろ」
「だよなぁ……」
しかし、こういう男友達の一大事に人肌脱ぐのも俺の仕事だ。
「しゃーない。塚本、今から焼きそばでもたこ焼きでも奢ってやる。本日限りのタイムセール、特別サービスだ」
「はぁ?なんで?」
「腹が減っては戦は出来ぬって言うだろ。軽く腹拵えして、その後で良いから黄前さんにメッセージでも送ってやれ。気持ちも場所も考えてなかった、反省してますってな」
「……いいのかよ」
「こういう悩める時こそお前の友達、矢田明宏を頼ってくれよ!大丈夫、ちゃんと言えば伝わる伝わる!」
「なんか……ありがとな」
「いいってことよ!そうと決まれば神社まで引き返すか、屋台グルメでまだ食えてねえ奴もあるし食い足りねーや。善は急げだしほら行こうぜ、飯は熱い内にな!」
踵を返し、祭の喧騒に向かって二人で再び歩んでいく。ひょんな出会いから味わう酸っぱい夜更けの青春も、一致団結する皆を眺めている青春もきっと、みんなの糧になる。その風景を眺めるだけでも俺も糧に出来るかもって思うのは、考えすぎだろうか。
サンフェスから飛んであがた祭へ、矢田君なりに名前を呼ぶルールみたいなものは決まってます。
次回とその次ですが割と短めになると思います。