基本、傍観者ではありますけどね。それと今回、短編集みたいな雰囲気が出てます。
「ただいまー」
叱責と慈愛を同時に施されたのは、初めてだった。それが孤児院に関わった人のみならず、教師という立場からも。
不安定な世界から一歩引いた人達の無条件に施される優しさは、授業中にも下校中にも、俺の抱えた荷物を下ろさせて。たった数駅の区間ですら揺り籠で横になっている錯覚を覚えた。
「あらおかえり明宏!学校どうだった?もう慣れたかしら?」
「電車通学が嫌なら何時でも言いなさい。自転車の一台や二台、買ってやるからな」
「ああ、大丈夫だっての。それより電車って凄いよな。座席がふっかふかでさ?毎朝乗り過ごしそうで……」
俺が京都に籍を移してから、里親の老夫婦達はずっとこんな調子で俺を思い遣ってくれている。これまでも子供の居ない生活を送っていたとは聞いたけど、溺愛を体現したかの言葉と行動の応酬が、孤児院とはまた別の空間を象っていた。
「ずっと徒歩で通学してたし同じ方向に色んな人と、ってのがもう新鮮だわ〜」
「定期が切れたら自転車通学してみるか明宏?」
「お父さん、京都の夏は暑いんですよ」
松本先生の優しさも、この二人の献身があってこそと気付かされた俺は……引き取られてからも続くその優しさに、応えたくなってきた。
「それより──父さん、母さん」
高校生活の間だけかもしれない。一生続いていくかもしれない。何れにせよ、あちらが壁を崩そうと四苦八苦しているのなら、俺だってそれに応じるまでだった。
「──!なんだい?何でも言ってご覧?」
「なんか何時もよりお腹空いちゃってさ。まだ開いてたら茶そばのお店、連れてって!」
「よーし、今から行こう。良いところ知ってるんだぞ明宏!」
宇治市で暮らす人間として、里親の下で生きると決まった人間として、俺だって壁を超えるとしよう。父さん母さんと呼び始めた二人の顔は、出逢った頃よりは一段と輝いて見えた。
結局吹奏楽部を初めとして部活動に入る選択肢を白紙に戻し、バイトを探す方向性で固まった。両親曰く、郵便配達とか少し歩いた所の花屋とか。見越してた?って程に選択肢を提示してくれたお陰で凝り固まった視野が広がっていった。
花屋に至っては未知の仕事だったから、ちょっと調べてみたくなったけど……何を調べるべきか。なんだろう、花言葉とかは勉強しておくべきだろうか?それなら放課後に図書室にでも足を運ぶかな。
ところで、朝から妙な視線を感じてる。疎らに登校してきたクラスメイトに混じって、一人ひとりを探ってそうな視線。休み時間の度にトリオで監視してくるもんだから、少し戸惑いすら覚えてしまう。
その視線達が声を掛けてきたのは、昼休みが五分で終わりそうな危ない橋を渡ってる時だった。一番教室のドアに近いから、必然的に話しかけやすい座席にいる俺は都合が良いっぽい。
「ねえねえ、ちょっといい?」
「うん?何か用事?」
そう声を掛けてきたのは、額を主張しているヘアピンの女子と、掛けてもいない眼鏡をくいっと正してるちっこい女子。それから妙に癖っ毛のタコ足頭の女子。前者二人はノリノリだったけど、タコ足女子は完全に旅は道連れ感覚で、連れ回されてますって顔に書いてある。苦労人って印象だ。
「ちょっととある先輩に頼まれて人探ししてるんだけどね、五組の矢田明宏?って人が今何処に居るか知らない?」
経験則ながら、黄色信号が点ってる。誰かに頼まれて探ろうとしてる人達は、大抵策謀に巻き込まれている、言わば使いパシリ。スパイ映画で例えるなら諜報部隊なのだと。そんな部隊に咄嗟に出た出任せが。
「矢田の奴なら、最近図書室通いにハマってるし多分……図書室だな」
「久美子、緑、図書室だってさ!」
「行きましょう二人とも!ありがとうございます!」
「あ、ありがとう〜」
現状ハマってはいないけど、これからハマる予定の場所に先遣隊を送っておいた。敢えて彼女等の選択肢を潰して俺が使いやすくする作戦、果たして上手くいくかどうか。そもそも、そんなパシリに遭遇したのがお初ではある。
「ねーねー委員長」
「どーした?」
「なんだか知らないけど、めっちゃ嘘ついてなかった?」
「これからハマるし大丈夫だろ、図書室通いに」
「知らないよー私」
「ほーん、薔薇って本数で変わんのか。しかも愛情関係ばっかり。カーネーションは分かりやすいな」
先遣隊が派遣された日の放課後。花の本を手当たり次第に書庫から引いて、図書室内で読み耽った。
花屋で働くとは決断もしていなければ履歴書も用意してない段階にしては早すぎるけど、未知の分野を取り込む行為は、色褪せたページからでも採れたての山菜みたいな新鮮さを味わった。
花言葉の成り立ちの項目まてま読み漁ろうとしたそんな瞬間に。
「閉館の時間で〜す、返却手続きがあったら急いで下さ〜い」
借りてまで読もうとは思っても居なかったので、背表紙の番号に合わせて元の本棚に戻してから図書室を後にした。別に花屋以外にも候補はある、窓の外も夕日すら沈みそうな暗さだ。流石に閉門も近いならピアノも無理だろうし、さっさと帰路に着こうかな。温かい晩飯が、俺を待ってる。
図書室から南棟の廊下に出て、そのまま下駄箱のある一階に向かおうと階段を降りようとして。聴き覚えのあるような楽器の、聴き覚えの無い曲が、階上から空気を伝って響いてきた。
単音でありながら、ハッキリと耳が拾うそれに釣られて四階へ。入学式で通った記憶があるその道が、東の渡り廊下へと誘うように歩かされた。
引き戸越しに、堂々とした佇まいの音源が黒髪を靡かせて、その音色を響かせていた。
「……田中、先輩?」
思いがけず立ち尽くしてしまった理由は幾つかある。何故か渡り廊下で。聴いた事の無い曲を。そして、黒江の私物として持っていた銀色のユーフォニアムと同じ型。あれだけは、楽器に詳しくない俺でも、見間違えたりはしない。それだけ黒江と、俺は……。
頭で仕入れてしまった情報を反芻していたのが仇となったらしい。何時の間にか鳴り止んだユーフォニアムの主は、ガラス越しに俺の姿を視認したかと思えば口角を吊り上げ、こっちに来いとジェスチャーをしていた。今回は別に逃げる理由も無かったし、大人しくそれに従う。
「やっほ〜矢田!盗み聞きとは関心しないね〜」
「聴かされた側としては否定させてもらいますよ、その言葉」
数歩分の距離を空けて、渡り廊下の欄干に持たれかかる。吹き終えたであろう先輩の顔は、何処か晴れやかな表情をしていた。
「上手いっすね、ユーフォ。なんでこんな時間に吹いてたんです?」
「おんやぁー?お姉さんの秘密を引き出そうとするなんてこの先モテないぞー」
「先輩がこっち来いって手招きしたんじゃないですか、てか秘密ならもっと聴かれない場所で吹くでしょ」
「それもそうだけどさー。じゃあ、吹部に入ってない矢田にも教えてしんぜよう。この渡り廊下は金管楽器が個人練で吹きに来るのさ!」
「そっすか。それとこんな時間に吹く理由ってなんか繋がってるんですか?」
「それはねぇ……吹奏楽部副部長の私が単にむしゃくしゃしてただけ!以上!」
ユーフォを担いでる時点で、なんなら指揮を執っていた時点で、吹部の関係者とは推測してたけど……まさか副部長だとは。ナンバー2と初日に絡んでたのかよ!
「つまりはストレス発散、と」
「そういう事!ところで矢田ー、何処か部活に入ったの?」
「帰宅部っすね。家の都合で、他所に入部は憚られて」
「その腕で帰宅部?しかも憚られて?」
「はい、憚られて」
「ふーん……」
その返答を受け取った途端、周辺の空気が張り詰めた様な錯覚を覚えた。当たり障りのない受け答えは、この先輩にとっては面白みに欠ける理由だっただろうか。それもそうだろうな、一度とんずらした相手に対して、煙に巻く返答を良しとするとは思えない。事情を知ってる訳もない先輩の、こちらを見透かそうとする視線に少し怖気づいて、木々の葉を揺らす木枯らしの様にざわついた。
かと思えば、初対面の時みたいにお茶目な仮面を被ってみせて。何を考えたのか、それ以上詮索はしようとはせずに話を切り替えてきた。
「勿体な〜い、低お……吹部の即戦力間違いなしだったのにぃ」
「……すんません、期待に添えなくて」
「暗い顔しないの!入りたくなったら私は絶対歓迎するよ、アキヒロヤタ!低音にカモンジョイナス!」
隣で立ってると、気温差が激しすぎて風邪を引きそうな先輩だ。どんな環境で育てばこんな二面性を持つに至るのか。それを知るには、関わっている時間が短すぎた。
「そういや矢田の所にちっこいのが三人来なかった?あれ、低音に新しく入った後輩なんだけど」
「さあ?それなりに人と関わってるのでなんとも」
「……まあいいや、標的自らやってきた訳だし。明日お説教かなーこれは」
危険信号が灯ってたのは俺ではなく、名も知らないあの三人らしい。うろ覚えな顔を思い浮かべて、誰にも聞こえない声で謝った。
「失礼しまーす。こちら学級日誌になりまーす」
「お疲れ様です、矢田君」
軽くあしらえたスパイ達や、吹部副部長のストレス発散の現場に居合わせた翌日。慣れつつあった委員長の仕事を片付けたその足は、呼び出しを受けた滝先生の下へと向かっていった。
「お待ちしていましたよ。これで仕事が捗ります」
「それって学級委員長としての仕事ですか?学級運営に関わる話とか、特に思い付かないっすよ」
「その前に、こちらを矢田君に差し上げようと思いましてね」
「これって……」
その言葉と共に差し出されたのは、コピー用紙よりは質の良さそうな数枚の紙。そこにはこの所教科書でしか目にする事の無かった、五線譜が記されていた。
「楽譜ですか」
「ささやかな入学祝いのつもりです。気に入っていただけると、こちらとしても用意した甲斐があるというものですよ」
この所、施しめいた行為をそれなりに受けている。コンビニで買ったらしいグミやスナック菓子のお裾分けも、施しと言えば施しだ。滝先生からもそのような贈り物は初めてだったので、少し戸惑う。
「それは嬉しいですけど、これ主旋律だけじゃないですか?」
ピアノを弾く人間としては、物足りない。まだ初心者が片手で弾く為の物と言われた方がしっくり来る。これだと入学祝いの意味が変わってこないか?ピアノ教室へようこそ!みたいな。
「ええ。その曲は元々、ピアノで弾く曲ではありませんから。偶には未知のジャンルを取り入れるのも、悪くはないと思いましてね」
「知らない世界をって点はまあ、一理あります」
読んでみた感じだと、数時間無くても通せそうな運指をしてる。誰が採譜したのかはさておき、初見でも最後まで弾けそうな単純な曲だ。
「まあ、ありがたく。本題は別にあるんてすよね?」
「そうですね。体育の授業後にジャージのままで助かりました、先に運動場で待っていてください」
「運動場……?」
「ええ。対処しきれない仕事を手伝って貰おうと思いまして。大型のパイプテントが設営してありますから、そちらで待機して下さい」
「は、はあ」
仕事の全容が掴めないまま、俺は職員室から出ていった。田中先輩といい滝先生といい、未だ人となりを掴めない。
鞄を教室に置いたまま、北宇治のグラウンドへ。何時の間にか設営されたテントにテーブルを見る限り、ただ走るだけとは思えない。なんならこれを設営する側と思ってたし。
手持ち無沙汰にテントの柱へ身体を預けていると、滝先生を先頭に赤、青、緑のジャージ達。楽器を抱えている辺り、あの人達が部員らしい。楽器?なんで?こちらの疑問符を他所に、先生の指示でテーブルに楽器を置いていく。
「あのー先生……その子は?」
「彼は私の受け持つクラスの委員長、矢田明宏君です。今日は手伝って貰おうと時間を割いて頂きましてね。皆さんは今から全速力で走って来て下さい。十秒遅れで走る彼に肩を叩かれたら、もう一周追加です」
「あー!久美子、緑、あの時喋ったのが矢田明宏だよ!」
「もしかしてみどり、騙されたんですか!?」
「もしかしなくても騙されたんじゃないかなー」
ははーん。仕事を手伝って貰う、ねえ?肩書上の仕事じゃなくて、部活動の一環に組み込まれるとは誰が予想出来たか。ジャージで都合が良いとは言われた理由に、こんな意味が込められてたとはな。そこの三人組は……なるほどあの時あしらった子達。うん、すまん!
矢面に立った俺に向けられたのは、好奇の視線にしては懐疑心の込められた、吹奏楽部員達の視線。井上さんや堺さんは軽く手を振ってくれたものの、憐れみを隠せていないし塚本にも同情されてた。田中先輩は完全に面白がってる。
ただそれが、例外と思わせる程には滝先生への悪感情は大きく思えてしまった。初日の指導で何したんすか??暴言でも吐きました??これ大半から薄っすら嫌われてません??
「走るんですか!?」
「心配しなくても彼にはジョギングのペースに留めてもらいます、怠けず走れば一周で終わりますよ」
「そもそも何の意味が……!」
「よーい、スタート!」
「うそっ!?」
「あああ、待ってくださ〜い」
手拍子による発破と共に、一斉に走り出す部員達。合図と共に走り出す人、あたふたとする内に出遅れる人、大所帯の部活にしては統率のとの字も無い。
「矢田君、今から十秒後にお願いしますね」
「まあそれくらいなら……時に先生?」
「なんでしょうか」
「部活で何かありましたよね絶対に、何したんすか」
「ありのままをお伝えしたまでですよ。さあ、矢田君もスタート!」
敵意は見慣れてる俺以上に、飄々とした声でスターター役を買って出る先生。怪しまれない程度に、どうか肩を叩かずに済みますように。出遅れた部員の無事を祈って、俺は殿を務めだした。
「なんか体よく巻き込まれた予感がする」
「あはは、どんまい委員長!」
やむを得ず、数人だけ肩を叩かざるを得なかったその日。なし崩し的に吹部のスパルタ練習の現場を目撃させられた。
息も絶え絶えの状態で鳴らされた楽器はとても舞台で聴かせる音じゃなかったし、今まさにあっけらかんとしてる井上さんのシンバルも、空気が入り過ぎて情けない音を響かせてた。
「やっぱり滝先生、普段とは別人になるよね」
普段の担任ぶりと顧問での振る舞いが違いすぎて、思わず吹奏楽部の練習風景の見学を申し出た。委員長としての責任からかどうかは分からない。見学したのは最初のパーカッションのみだったけど、今後あんな指導がクラスメイトに飛ぶようなら、極力止めるべきだと俺の心が言い出した。大袈裟すぎるかな?
「万沙子もそう思うよね、『貴女はまだマレットを持つ段階にありません』とか。滝先生の本性見たりって感じ?」
「涼しい顔で中々キツい事言ってたけど、予兆でも無かったのかよ?」
「うーん……初めて合奏した日にね、余りにも出来が酷くて『なんですか、これ』『私の時間を無駄にしないで頂きたい』とまで言われちゃって」
「誰かが反論しようとしてもパート毎かつ具体的に駄目だしされるから、ぐうの音も出なかったんだー。初日に全国出場!を目標にしちゃったから仕方ないとこもあるけどね」
「生徒に投げる言葉じゃねえな……」
あれだ、滝先生は生徒とのコミュニケーションには難がありながら、音楽に対しては何処までも真摯になるタイプだわ。ホームルームの進行は投げっぱなしな癖に、音楽の事には誰よりも真剣に、ずっと先を見据えてる。出来ればクラスの運営にも目を向けて欲しいけど。
「このままじゃ府大会どころかサンフェスも怪しいし、私も負けてられないよ!」
「サンフェスって?」
「和歌山出身だし委員長は知らないか、各地の吹奏楽部が行進するイベントがあってね」
「それを人質に取られて、沸き立つ先輩達もいる位には大きなイベントなの。私も楽しみにしてるのになー」
そんな晴れ舞台への出場を取り消されかねない。そんな危機にあるにも関わらず、北宇治高校吹奏楽部への展望を語る二人からは、後ろ向きな台詞が発せられる事は無かった。先生への文句は、ちょっとした御愛嬌なんだろうか。
「はぁー、しゃーない。お前等の応援も兼ねてそこのコンビニでなんか奢ってやるか」
「いいの!?さっすが委員長!」
「大丈夫?アルバイト探してるとは言ってたけど……」
「今日は特別。当面の資金は削れるけど安いもんよ──釜屋さんも何か奢るぞー」
後ろにずっと着いて来ていた、二人と同じ赤い三角タイのパーカッション担当、釜屋さん。井上さんが同じパートだからと一緒に帰る為に引っ張ってきた人。それなら俺が邪魔じゃない?って人見知りしそうな釜屋さんを気遣ったら、どっちも先生の教え子でしょ!と無理矢理付き添いを要求された。これまで一言も交わせなかったのは、多分そのせい。
「えっ……私は、いいよ」
「つばめ、委員長はこう見えて器と度胸はあるんだからゴチになろ!」
「おいコラ副委員長、一言余計だろうが。まあ釜屋さん、旅は道連れって言うしさ?担任の迷惑料とか今日の労いとでも思って奢らせてくれ、なっ」
「…………じゃあ、新発売のスイーツ。妹がいるから、その分も」
「おーっと?意外と図々……なんでもねえ!」
吹奏楽部に、何があったかは分からない。今日のジョギングでも、二年を象徴する青が少ないのが気になった。でもきっと、一念発起する今の吹奏楽部には関係ない。それなら今は、してやれる事でもしてやろう。そう決めた俺は、姦しい三人の後を追ってコンビニのドアをくぐった。
年末年始が近いのと、別作品もあるので次は遅くなると思います。