北宇治のまえせつさん   作:コーヒーまめ

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8 今、袖を通す

 

「次は英語、その次の単元は……風呂でいいか」

 

 吹奏楽部にとっての一大行事でもあるお祭り、サンライズフェスティバルが幕を降ろしてから暫く。これまた学生にとっての一大行事である定期テストの期間に入った。吹部の部員のみならず、誰しもが待ったを掛けても試験範囲は発表されてしまい、全クラブ活動の休止も余儀なくされて末端にまで通知が行き届いた。

 こうなった以上音楽室は当然閉め切られるし、放課後のホームルームが終われば滝先生にすら帰宅を促される始末。帰宅部には関係のない話でも、サッカー部を始めとした運動系の部員や全国大会を標榜した吹部の連中だって名残惜しそうに校舎を後にしていた。下校中のお供に珍しい顔ぶれが揃うのは、俺は嫌いじゃない。

 

 そんな練習熱心だったり和気藹々としてたりする部員達に倣って、バイトの時間を減らして貰いながら試験勉強に勤しむ事にした。金銭面も当然ながら、学力的な方面でも心配をさせたくない。他人がどれだけ嫌がろうと学生の本分を疎かには出来ないし。

 

 決意と行動までは良かったものの、サンフェスの写真を差し入れた日から、先輩達の台詞や部室の雰囲気に至るまで、あの光景が頭から離れてくれなかった。ひっくり返しても砂の落ちない砂時計みたいに消化不良が続いてる。

 

「井上さん達は、気にならねえのかな」

 

 少なくとも俺よりは吹部の事情を耳にしてるであろうパーカス一年組。話題に出してしまっただけでも染まるあの空気、塚本ですら別ルートから聞き及んでると思う。部員ですらない俺にもしこりを残してるってのに、渦中の人間が振り切って試験勉強に集中出来るかは微妙な所だ。

 サンフェスの出場を人質に取られつつ、何かがあった過去が足を引っ張り続けている吹奏楽部。一難去ってまた一難とはよく言ったもんだな?

 

 当事者でもないし、言わば茶々を入れてるだけの傍観者。どんなお節介を焼けば解決出来るのか……いや、無理だ。何かについても知る術が無いしあれで決着が着いてる状況なら蒸し返すだけになる。尋ねただけであの反応だと直属の後輩でも打つ手は無い、無理にでも割り切って勉強に部活に励むのが関の山だろう。それを今まで続けているんだ。

 

 となると今現在勝手に悩んでる俺が一番悪手を選んでる訳でして。何もかも身が入らない程じゃなくても思考に余力を割かれてる、あまり気持ちの良い状態ではなかった。

 こういう時は、こういう時だからこそ、誰かに相談するに限る。最もこんな個人的に抱えてる悩みを打ち明けられるのは、俺にとっては一人しかいない。

 思い立ったが吉日で充電器からスマホを外し、その悩みを伝えられる番号の持ち主に電話を掛け、応答を待った。

 

「……今日は早すぎたか?」

 

 1コール、2コール。規則正しい呼び出し音が鳴り続けてる。普通の高校ならやっと下校時刻になるような時間帯で、その持ち主に電話を掛けた事なんて一度だってなかった。電源は入ってそうだとしても、習慣を破る形での一方的な連絡に困惑してるだけ……そう思いたい。

 

『も、もしもし矢田君!今日のお話、何時もより早いね……?』

 

 後数回呼び出し音が聴こえたら後回しだな、と諦めかけた時に相手は電話に出てくれた──先生や孤児院関連の人以外で唯一、出自を教えた黒江。おっとりとした感じで話し始める黒江らしからぬ慌てっぷりに、こっちまで慌てそうになる。

 

「よっ、黒江。今日はバイトもなけりゃ試験期間だしな。そっちも今頃だと思って掛けたんだけど……不味かったか?掛け直すか?」

『え!?あ、ううん大丈夫だよ!丁度こっちも試験期間だったの!こういう事を守ってる矢田君にしては珍しいなーとか、もしかしてキーボードを買えて嬉しいのかなーなんて考えちゃって!思わず驚いちゃった!』

「金額的に来月だろうし、それはそれで真っ先に教えたいけどよ……まあいいや」

 

 本当に珍しい。中学時代でもここまで慌てる性格はしていなかったから。前に出ようとする積極性こそ無かったものの、動揺する素振りを見せる奴じゃない。宿題だって期限に余裕をもって提出するタイプなのに。

 そんな黒江ですら慌ただしい時に、話すには関係が薄すぎるかねえ?他校のごたつき事情とかさあ。

 

『き、今日はどうしたの?』

「ん?あーそうだな、特に考えてなかったわ」

 

 全く以って嘘。ここ数日間ずっと考えてる、それを黒江に話そうとしてんだもん。

 

「考えてなかったんだけどそっちも試験期間なら丁度いいわ。なあ黒江、ちょっとだけ数学でも教えてくれねーか?ミニ勉強会のつもりでさ」

『う、うん、いいよ!勉強会ってなんだか楽しくなるよね?』

 

 了承を得てから、さっきまで開いてた数学の教科書をもう一度手に取った。試験範囲には付箋を貼っておいたから、ページを確認しなくても遡り易い。

 

「じゃあ何から教えて貰うかね。三角比とか不等式は分かるんだけどさ、確率とか命題ってのがどうも……」

『や、矢田君!』

 

 まるで決意表明というか、運動会で選手宣誓をする代表みたいな声の通し方をしてきた。遮り方といい、さっきから言葉の節々が黒江にしては珍しい。ある意味確率の問題を出されてる気分になれる。

 

『今からビデオ通話に切り替えても、いい?べ、勉強会だし!見せてもらった方が教えやすいよ?』

「確かに一理あるな。よし、それじゃ」

『あっ待って!私が切り替える!それとお願いがあるんだけど……』

「お願い?なんだよ」

『今から切り替えるけど、ほんのちょっとだけ目を瞑ってて。いいよって言ってから開けてほしいの』

 

 時代が時代なら鶴の恩返しみたいな導入だった、目を閉じてろだなんて言われてもビデオ通話の意味がなくなるし。そもそも勉強を見てもらう訳だし。

 井上さんや堺さんは俺をレアキャラ扱いしてきたけど、これだとスマホ越しに会話をしてる黒江の方がレアキャラだ。

 

「なんでさ、見せながら教えるのに?」

『えっと……お勉強の前に、見せたい物があるんだ』

 

 今度はサプライズと来た。俺の知ってる黒江からは出てこないと思ってただけに、引っ越し先での生活が聞いていたよりも楽しそうで笑みが溢れる。そんな提案なら乗らない理由がない。

 

「黒江が何かを見せたいなんて珍しいな。分かった」

『それじゃあ、切り替えるね』

 

 俺が目を閉じてからすぐに、机に置いたスマホから軽快な電子音が鳴った。ビデオ通話に切り替わったんだろうか?機能として使えるとは知ってたけど、いざ使われると緊張する。初めて使う機能で、中学以来の対面が果たせるという高揚感がそうさせた。声はともかく、顔は白いフレームの写真の頃で止まってる。

 

『髪の毛は結べた、ボタンも掛け間違えてない、ネクタイも……うん、ばっちり』

 

 言葉から察するに、身嗜みを整えてるのか?勉強を教えるってんならそんなの気にしなくても……いや、これまでは声だけだったからこそ無関心だっただけで映すとなると話は変わる。しかも相手は異性、部屋着とかパジャマ姿は見せたくない一心なんだろうな。だったら気長に待ってやるか!

 そう意気込んだものの、黒江からの『いいよ』がまだ来ていない。ズボラを極め過ぎてパジャマだとしたら時間を掛けすぎてるし、制服にしてもきっと長い。布を織る鶴を気に掛けるじいさんもこんな気分だったんだろうか。

 

「黒江、もういいか?」

『うん。いいよ』

 

 しびれを切らすよりも心配する気持ちが勝って、目を開けていいのか許可を求めた。それに応えて返事をくれたから、ゆっくりと瞼を上げる。

 画面越しに映っているのは黒江本人だった。優しさを象徴するような垂れ目、マシュマロみたいな白い肌、苗字の通りに黒く艶のある髪、間違える道理がない。

 一つ間違えていたとすれば、寝間着か何かと勘違いをしていたその姿。背中に流していた後ろ髪をつむじの辺りで纏め上げ、ワイシャツの襟からは紺色のネクタイをキッチリと結び、白を基調としたシンプルなジャケット。そしてネクタイと同じ色の膝下まであるスカート。材質よりは衣服を身に纏った事による雰囲気が、通学用に仕立てられた一着ではないと主張している。

 

「黒江……その格好って!」

『清良女子吹奏楽部のユニフォームだよ!採寸も終わって昨日やっと配られたんだ〜!』

 

 

 ──その時の俺を一言で言い表すなら、見惚れていた。

 おっとりとした雰囲気を醸し出す黒江真由という人間が、何処か隙を作ってしまうあの黒江が、どんな花よりも輝いて見えるなんて。褒める事を忘れてじっと眺めてしまう、月よりも大きな引力に惹かれていた。

 

 

『これを着て座奏でもマーチングでも吹くんだけど……どうかな、似合うかな?』

 

 器用に片足でターンを決める黒江。ポニーテールに括った髪先が黒江を追いかける様に翻る。雰囲気に衣服に動作、全てが噛み合ったその瞬間、俺の動体視力は音を超えた。思考回路は光より速くなって苦手科目を置き去りにした。今ならどんな試験でも満点が取れそうな、謎めいた万能感が芽生え出した。

 

「──なあ黒江。スマホの画面越しにカメラで撮るってどう思うよ」

『えっ?被写体の色合いが落ちると思うけど……も、もしかして今撮るの?私だよ?』

「頼む!新品のユニフォームに袖を通した黒江は今しかねえから!!」

『が、画面越しに撮る程貴重じゃないよ!?』

「青い薔薇より貴重だろうが!!じゃあ黒江も俺を撮れ、花屋で着けてるエプロン着るから!今そこにあるから!花束はねえけどそれであいこだろ!」

『そっ、それじゃあ私もユーフォを抱えなきゃ──本当に撮るの!?勉強会は!?』

「なんか解ける気がするから後回しな!だから撮ってもいいか!?」

『う、うん!スマホ越しにピントって合うのかな……?』

 

 最初から黒江自身は意図してなかったと思う。勉強会を口実にユニフォームのお披露目会を開きたかったんだと今になって思う。ただそのひたむきさが、何処までも楽しく在りたいというその姿が、抱えた悩みを晴らしてくれた。

 吹部の皆は必ず前を向く。サンフェスで一致団結して同じ方向に向かって行進していた様に。俺がピアノを弾こうとして夢中になるあの瞬間みたいに。その見知らぬ過去は、きっと起爆剤になれるから。

 

「黒江!」

『な、何?』

「こう、実際に吹いてる感じでポーズとれるか?そしたらもっとかっこ良くなる気がする」

『えっと、その……恥ずかしくなってきたから、手短に撮ってね?』




色々悩んだ結果、真由メインで一場面かつ1話丸ごと使おうと思いこうなりました。本来はここからまだ続いていたのですが、次回に持ち越せばどっちも良くなるかな?と。本作品が短編だった頃はこんな感じでした。

念の為書きますと、本作品の黒江真由像は交流のお陰で少しだけ写真を撮られる事に前向きになれてます。本当に少しだけですがそういう解釈でよろしくお願いします。
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