ある意味タイトル通りの話です。
「……塚本はあれだな、俺の勝ちっぽいし奢り確定だ」
大半の学生にとって、長く苦しい闘いを強いられた定期テストの期間明け。それと同時に放課後の部活動も再開の目処が立ち、吹奏楽の楽器のみならず、グラウンドからの檄やボールを蹴る蹴撃音が再び北宇治を包み込む日々が戻って来た。
そんな日々が数日続いた辺りで教師陣の試験の採点も漸く済んだらしい。全学年のほぼ全ての科目で解答用紙が返却されて一喜一憂、中学時代には都市伝説だと思っていた成績優秀な生徒を報せる掲示が各学年の居る階層に貼られる事になった。
進学クラスとして知られる七組と同じ試験を受けていたみたいで、上位一桁台にはほぼ七組の生徒が並ぶ。そんな頭脳明晰な生徒の名前に食い込む形で、俺の名前が掲示内ギリギリの十位に印刷されていた。意地を見せられたのは数学だけだとしても、ほぼ撮影会をメインに据えていた勉強会が功を奏したんだろうな!サンキュー黒江!塚本からのホットドッグの奢りは確定だ!
奢らせる本人がいれば詰め寄って誇示してやりたかったけど、時刻は既に部活が行われる頃合い。夕焼けを遮る曇り空が宇治市を覆い尽くしていており、図書室で雑務を片付けていたから結果発表を確かめ共有する機会を逃していた。要するに周りには誰もいない。
「現代文、世界史、生物……は駄目か、まあ数学だけでも委員長の威厳は見せられたかなあ」
誰もいないのを良いことに、改めて他の科目の表彰台を飾った面子の名前に目を通してみる。流石は進学クラスといった所か、いずれも七組の連中が名を連ねていて……あの日『新世界より』を披露した高坂さんだったっけ?その人の存在も確かめられた。才色兼備ってやつだな。
定期テストの結果も確かめた事だし、今日の予定は帰るだけ。音楽室に立ち寄る案も考えたけど、本日の吹部のスケジュールは先に全体練習があるらしい。それなら図書室にとんぼ帰りで本の虫とでも洒落込むか?特に読む本を決めてないけどそれを漁るのも乙なもんだ。
学年全体の試験結果は既に満足、さあ本に埋もれて時間を潰そうと踵を返そうと意気込んだ所で。
「あ、いたいた。ねえ委員長……ちょっといい?」
「お?井上さんじゃんか、堺さんに……釜屋さんまで?どうしたよ」
教室で何度も聴き慣れた井上さんの呼び声。それに並ぶ形で堺さんと釜屋さんも一緒だ。
前の二人は同じクラスとして声を掛けられても日常の風景ではあったけど、パーカスの一員でもある釜屋さんも着いてきてるのは想定外。長くて面倒になりつつあった副委員長呼びから井上さん呼びに変えたもんで怒ってる……なんて可愛げのある雰囲気には、三人からは感じられなかった。そんな細かな事情ではないらしい。
「えっとね矢田委員長、その……ちょっと力を貸してほしくて」
「時間的にもう部活中だろ、抜け出してまで頼みに来る話なのかよ?そもそも抜け出せる雰囲気だったのか?」
「抜け出すというか、今日は訳あって出入りが自由すぎるというか……パー練前だとしてもなんだか居辛くて。ねえ、二人とも」
井上さんの言葉に黙って頷く堺さんに釜屋さん。とても全国を目指して奮闘中の部活にいる先輩達が、堂々とサボるとも取れる口実を与えるとは考えにくい。女子の手前で絶対に言わないけど、お花を摘みにきてもいなさそう。
「一応言っとくけどな、よく分からんのにどうにか出来るなんて保証はねえぞ」
「うん……それでも、私達にはどうしようもなくて。あんな事があったばかりだから」
「あんな事?」
先輩達の醸す雰囲気に圧されたとしても、全国出場を一緒に掲げた一年生を今日の空より曇らせるパーカスの根城、音楽室。事情を伺う言葉に口を噤んで、目の前の元気っ子からの独白はこれ以上期待出来そうも無かった。普段はそこまで動じない井上さんですら、ここまで表情に影を落とさせる元凶が音楽室に鎮座しているんだな。そんな暗い顔をされたらしゃーない、猫の手でもなんでも貸してやろう。
「……期待はすんなよ?あくまでも練習中なんだからな」
「お願い、今日ばかりは……とても練習に打ち込める雰囲気じゃないから……」
一体全体何だって言うのか、興味半分怖さ半分。何時もならピアノを弾きたくてウキウキと足を運んでいた筈なのに、パーカス一年組の空気感に充てられて、小匙程度の緊張感と共に原因究明の為音楽室へと繰り出した。
「失礼しまーす、抜け出した一年組を連れ戻して……うわあ」
力を貸してほしい。そう懇願されて音楽室に向かう道中、女子とは一言も言葉を交わさずに辿り着いてしまった。せめて事情のひとつやふたつでも引き出してやりたかったけど、ひそひそと話す声すら発さない部員に掛ける言葉が見つからなかった。
ここまで重苦しくさせる原因が音楽室にいるとは思えず普段の調子で扉を押し開けると、今日の空が晴天だと錯覚させられる程に窮屈で、それでいて暗鬱たる様相を呈していた。田邊先輩は腕を組んで仏頂面。加山先輩は窓越しにただ曇天を眺めるだけ。大野先輩に至ってはマレットを持ってはいるものの、膝を抱えて三角座り。練習の音頭を執る側がこれだと後輩からの忠言は聞く耳を持たないだろう、出入りが自由なんてのは建前でとてもじゃないけど居場所が消えたってのが本音だな?
「あっ、矢田君……」
「んだよ、もうパー練中だぞ」
「すいませーん。普段なら弾きに来ても許されてた時間なんでてっきり!」
力無くても迎えてくれた大野先輩に代わって、虚勢を張る田邊先輩。パー練だってんならスネアを前に一つ打ちでもしてれば説得力が出るってのに。あんまり立場が上の人にやりたくはないけど、少し強気に出てやろう。
「てか先輩の癖につまんない誤魔化しは止めてくださいよ、無言の圧力で俺のクラスメイトが困ってるんすよ」
「かけてねーよ……」
「掛かってるんですよ、パー練前に一斉に席を外した後輩がその証っす」
クラスメイトとは言うけど、釜屋さんは五組じゃない。強引な思い込みだとは自覚してるけど、井上さんと堺さんと同じパートなんだから実質クラスメイトってもんだ。
「井上さんなんて雑務終わりの俺に泣きついて来たレベルでしたよ?こう……なんだ……廊下がプールになりそうな……」
「ちょっ、頼んだのは事実だけど泣いてないってば!」
「しっ、そういう事にしとけって!頼んだのは井上さんだろ?」
それとなく事実に色々付け足して罪悪感をプラスさせる作戦に、副委員長が待ったを掛ける。涙は武器になるらしいし脚色させてもらったけど流石にやりすぎたか?すまん井上さん、俺脚本家には向いてなさそうだわ!
「ごめん順菜達、やりにくかったよね」
「あ、謝らないで下さい沙希先輩!あんな事があったら誰だって落ち込みますよ……」
また出てきた『あんな事』。大抵の事件には動じない井上さんからも先輩を案じるような口振り、今日の授業は和気藹々と過ごしてたし、過去でもなく現在に真新しい事件が起きたと思って良いだろうな。
加山先輩の謝罪を皮切りに、他の先輩も演奏には向いてない雰囲気を作ってた事実に頭を下げた。『あんな事』について聞いてみたかったけど、折角戻りそうな雰囲気を前に少しだけ躊躇われた。
改めてパー練再開!なんて外野からも意気込んだものの、音楽室の雰囲気は暗いまま。ティンパニ並のデカい打楽器どころか、トライアングルみたいな小物を用意する足取りまでも重い。これじゃあ弱小校と言われても言い返せないし、全国を目指してるパートの活動じゃない。
なんともまあ、世話の焼ける部活だなあ?
「はぁー……先輩方、練習前に一曲だけいいっすか?」
「これから始めるけど……まあいいか、一曲だけな」
「あざっす!」
本音は、こんな雰囲気の中での演奏なんて酷くやりづらい。みんなで楽しく同じ居場所で過ごせる音楽で、それをさせてくれないとなると打鍵をする指が錆びた窓みたいに重くなる。
そんな運指でも弾けそうな音に、一曲だけ見当がついた。目を通しただけで陽の目を浴びてなかった、滝先生からの入学祝い。北宇治高校のピアノの譜面台に、五線譜を置くのは初めてだった。
「あれ?今日は楽譜ありなんだね」
「まあ今から練習するのと変わらないし、俺はほぼ知らないジャンルだからな。それじゃあ一曲」
比較的鈍い指で、勢いよく楽譜の音符をなぞり出す。主旋律だけが記されたその楽譜には、四分音符と八分音符が均等に並んだ奏者にとって優しい譜面。変拍子の混ざる難しい曲ではないけど、時折混ざる二分音符が指を休ませてくれる。それ故に先へ先へと弾きたくなる、勇気を持たせてくれる曲。
「委員長、これって!」
「海兵隊……?」
楽譜を渡された時は鳴らしもせずに閉じたのでピンと来てなかったけど、四月の下旬にその正体をやっと掴めた。吹奏楽部がサンフェスを人質に取られた際、課題曲として合わせる事を要求された『海兵隊』、その楽譜だった。練習の邪魔にならない形で音楽室に通い出した頃は、全体どころかパーカスの演奏を聴いたりはしなかった。グラウンドを走ったあの日ですら、出だしの一音だろうと聴いていない。
それがやがて形になり始めて曲へと変わって、サンフェス出場決定の報せを受けた数日前。放課後になった校内にも、立ち去ろうとする生徒ですら思わず手足を動かす『海兵隊』が響き出した。その音には入学式の『暴れん坊将軍』は見る影も無く、堂々たる佇まいで北宇治高校の生徒へエールを送ってきた。
今度は俺から吹部へと、エールを送る番だ。練習に必死で送った自覚は無かったとしても、かつてパーカスを始めとした各パートの面々がそうしてくれた様に。勝手で悪いけど、吹部じゃない生徒達の代表のつもりになって。
「先輩方……俺は部員ですらありません。担任が顧問ってだけで北宇治高校の単なる生徒の一人っす、出身に至っては京都の外からです」
演奏を途中で止めてでも、言わなきゃならない気がした。こんな片手間の『海兵隊』じゃあ吹部が団結して奏でた『海兵隊』には到底及ばない。今の澱んだ空気感の吹部じゃなくて、先生に反発してでも一体となった音色に元気を貰えた……そう感じたのは俺だけだとしても、この人達はそれを知るべきだ。
「──それでも、心配くらいはさせて下さい。今日も過去も何が起きたか知る由もないですけど、俺に見知らぬ土地で過ごす勇気をくれたのは、こんな単音の『海兵隊』じゃあ無かったんですから」
「矢田…………」
きっと、滝先生はこんな楽譜の使い方を考えていない。なんならサンフェスより前の練習で使わせるつもりだったと思う。でなきゃこんな贈り物はしないだろう……こんな状況を見越していたら相当人が悪いけど、思い付いたのは俺だ。
「加山先輩」
「……何?」
「サンフェスの写真を持ってきた時の台詞覚えてます?借りは返すとかどうとか」
「言ったね、それが何?」
「過去の吹部に何があったか、井上さん達に教えてやってはくれませんか。周囲の噂話とかじゃなく、先輩達の言葉で」
「……それは、写真の借りを返す事に繋がる?」
「少なくとも、今の北宇治には必要不可欠っす」
これじゃあなんだか、推理物で犯人を追い詰めようとして捜査をする探偵みたいだ。あの日の反応を窺う限り、パーカス一年生組も噂だけは聞き及んでる。当事者じゃないから知らずに部活が出来るとしても、同じ仲間になった以上は打ち明けてあげても良いと思ってる。
そうして悔恨や後悔を分かち合えば、学年を超えて結束力は強くなる。青春ってのは酸いも甘いもそういう物だろうから。
「…………矢田は知らないと思うけど、さっき全体練習で葵が受験だから辞める。って宣言したのは知ってるよね」
やがて観念した先輩が何を語るかと思ったら、とんでもない発言を放り投げてきた。葵って人が誰かは知らないけど、よりによって全体練習中に?衆人監視の最中で部活から退くって?
個人的な印象だけで語るなら、その葵って人は一番肝が据わってる。ホームからアウェイになるのを辞さない覚悟ってのは、ぶっちゃけカッコいい。状況こそ違えど入学初日の俺に近しいシンパシーを感じてしまった。
「受験ってことは、最上級生っすか?」
「おう。テナーサックスの斎藤は三年だ」
「あのー美代子先輩、斎藤先輩が辞める事と去年あったらしい大量退部の噂と、何か関わりがあるんですか?」
もう教えてくれるみたい、そう判断した井上さんがここぞとばかりに質問する。先程まで重たそうだった先輩の口は、思ったよりは気軽に答えてくれた。
「あんまり思い出したくないけど、去年は真面目な子とやる気のない先輩達との熱量の差が激しくてね」
「それだけ聞くと、何処の部活もあり得る話に思うっすけど……」
「それならまだ良かった。でも、特に南中から団体で入学してきた当時の一年とは……天と地ほどの思い入れがあったの。それが不味かった」
「不味かった?」
「うん。経験者ばかり集まった元南中の一年が、何かにつけてサボろうとしてる先輩に真面目にやりましょうってずっと迫ってて。あっちからしたら良い気はしないでしょ、そのせいで楽譜を隠したり、下級生を無視する流れが続いてね?まるでそこにいないみたいに。香織に晴香や葵は仲裁に力を入れてたけど……」
「酷い……あんまりですっ!」
凄惨な過去に、堺さんが薄っすら涙を浮かべる。
俺も話が見えてきた。無気力に近い先輩達とやる気を滾らせる当時の一年生、その衝突でクレバスよりも深い溝が生まれた。滝先生の前任者は知らないけど、無気力ですら許していた名ばかり吹奏楽部を作ってしまい……真剣に練習したかった南中出身者を中心に、それに耐えられず今に至ると。
「私も美代子もナックルですら、怖くて意見出来なくて。結局、大量に退部する流れは抑えきれなかったの」
「みんなが真剣にやれてたら、もっと厚みとか出せたんだろうけどな……」
「葵はもしかして、去年の負い目をずっと引き摺ってたらと思うとね……他パートからの人望もあったし、一緒に辞める部員が出ると思って気が気じゃなかったの」
今の大野先輩の代が、青色のジャージを着る吹奏楽部員が少ない事情にそんな裏があったとは。でもこれで、霧がかった過去がハッキリした。その斎藤先輩は絶対に戻って来ない、閉鎖的かつ集団でただ一人異を唱える意志を持つのなら尚更。
それでもまだ、立て直せる筈。堕落しきった雰囲気から一転、ここまで団結する意地を音で聴かせてくれたから。地底まで落っこちたなら、這い上がるだけ。
「大丈夫ですよ先輩達!その為に私達が入部したんですから!なんならウチの委員長もついてきます」
「おまけ扱いするな!……まあとりあえず、部員じゃないっすけど手伝える範囲なら雑用程度は引き受けますよ。俺のピアノで練習のストレスが晴れるなら、何時だって弾きに来ますんで!」
これが、今の俺の精一杯。部外者にしては深く深く踏み込んだし踏み込み過ぎた。でもその孤児院育ちのお節介が功を奏したのか、大野先輩はスッと立ち上がり田邊先輩は袖を捲って、加山先輩は頬を叩いて気合を入れた。
「後輩にここまで言われちゃ、俺も負けてらんねーな」
「練習……始めよっか!」
「はい!」
やる気を取り戻した上級生に充てられて、怯えて逃げ出していた同級生は見当たらず。そこにはきびきびと動く部員達が、コンクールに向けて再び歩み出そうと楽器を運び出していた。
「バイトも無いし折角なんで、俺も練習手伝いますよ!メトロノームの振り子、どうします?」
「そうだな、課題曲から合わせたいし……頼むわ!」
「了解っす!」
「えっと、矢田君……今日はその、お疲れ様」
「気にすんなって釜屋さん、俺も疑問が晴れたしウィンウィンってやつだ!」
北宇治高校吹奏楽部パーカッションパートの再出発日、景気付けに奢るつもりで通学路に面したコンビニへ。井上さんと堺さんはお礼に色々選んであげる!と意気込んで店内に足を踏み入れた。奢るの俺なんだけどなー?
先輩達に巣食っていた蟠りの正体を知れた事で、これから音楽室への足取りも軽くなる……と思う。打ち明けてくれたものの、物理的には解決不可能なタイプだった以上は今後も抱えざるを得ない。それを今日この日に、学年の垣根を超えて分かち合った訳だ。重たい荷物も、一緒に持てば軽くなる。
「にしても、無視、嫌がらせ、んで堕落。下手すりゃ辞めた当事者間でもっとあったかもな」
「あったって……例えば?」
「それはもう殴り合いだろ。女子ならキャットファイトだな」
「そ、それは流石に」
尤も、これはないと思ってる。そんな暴力沙汰なんて知り渡れば出場停止どころかもっと新入部員は減っていただろうし。最悪廃部も検討される、そんな危ない部活がサンフェスみたいな晴れ舞台へ出して貰えるとは考えにくい。
「まあなんにせよ、先輩達が吸い続けてしまった空気をろ過する為に滝先生がやってきたんだろうな。新任らしいし、ガラッと雰囲気を変えるにはそういう人が欲しかったんだろ」
「それはそうかもしれないけど……私は正直、滝先生のやり方は好きじゃない」
この子も中々な事を言う。実力を認めだして反論も鳴りを潜めた……と思いきやこれだ、釜屋さんみたいに面と向かって言わないだけで抱えてる部員はいるんだろうか。
「言うねえ〜釜屋さん」
「そ、そうかな」
「気持ちは分かるぜ。どうせ全体練習の時に名指しで『クラリネットの誰々さん、五十六小節の音を拾えていませんよ』みたいな公開処刑を毎分してるんだろ、その手の厳しさが苦手ならしゃーないって。委員長としてもなんとなく分かるんだよなー、音じゃなくて個人に関心を持てよって感じ?」
こうも評価の分かれる教師もそうはいない。音楽教師としての腕は確かだとしても生徒達の扱いは新任そのもの、クラスも吹部も何処かで破綻しないかヒヤヒヤする。
「朝も放課後のホームルームも、仕切ってるのは殆ど俺だぜ?クラスの雰囲気作りにどれだけ貢献してるかって話よ」
「雰囲気作り……さっきの音楽室みたいな?」
「あれを毎日は心が擦り減るかなあ、笑ってくれたから良かったけどさ」
「どうしてそこまでするの?部員じゃないのに」
「どうしてって、なんか急だな」
「出来れば……教えて。私には分からないから」
人見知りの女子とは思えない視線に、はぐらかすのは違うと考えて、淡々と。
誰かと関わるのに特別な理由なんてないけど、強いて言うならこれしかないって動機をそれとなく形にして語り出した。思い返すのは、他でもない黒江の存在。
「……中学の時に転校してきた奴がいたんだけどさ、すげー寂しそうにしてたんだよ。半端な時期の転校生だし接し方が分かんなくてな」
「転校生?」
「隣の席だし無難な事言ったけど、そいつがどうすれば馴染めるか他のみんなも分かんなくて。色々やって一番仲良くなれたきっかけが……音楽だった。俺にとってのピアノだな」
「その人もピアノが弾けたの?」
井上さんも弾けるらしいから、音楽に携わる人間とくれば素養はあるかもしれない。黒江ももしかしたら、ピアニストだった世界もあったかも。
「さあな。俺が休み時間に弾いた曲をそいつも知っててさ、後からマイ楽器を持ってると分かって合奏もしたりして。気付けば吹部に入ってた」
「気付けばって……」
「取っ掛かりが見えなかったんだろうよ、そいつには。合奏を聴いたりして友達が出来て、そんで芋づる式にな。そこから馴染むまで時間は掛からなかったなあ」
「その人、凄いね」
馴染んでからも割と甲斐甲斐しく世話を焼いたけど、黒江が楽しんでくれたかは分からない。表面上は楽しんでたとしても、転勤族の娘なりの処世術かもしれない。
「本当、凄い奴だよ。転校ばかりで俺のいた中学に来たのも偶然だったけど、結局自分で居場所を作れちまってさ。卒業と同時にまた転校したけど、思い出したら負けてられない!って思えてきて。俺も引っ越すからにはそいつと会っても恥じない生き方を貫くか!って感じでな」
「それが、吹部を手伝う流れに繋がってるんだ」
「これは音楽に限らねーけど、居場所ってのはどんな風にも作れるからな。釜屋さんも見ただろ?不貞腐れたり活気づいたりする先輩達を。コンクールを目指すのもカッコいいけど、しょぼくれながらマレット持つより……やるなら楽しんで音楽に触れて欲しいからな!」
「わ、私も出来るかな。矢田君やその人みたいに楽しく……」
「出来る出来る!初日は一言も喋れなかったのに、今は俺とこんなに喋れてるんだからさ。気楽に行こうぜ!」
「う、うん。頑張る……!」
照れくさそうに左頬を掻き、自分に気合を入れる釜屋さん。その表情はリズム感で苦戦を強いられる女子の顔じゃなかった。
「──なんだか矢田君って、前説の人みたい」
「ま、まえせつ?何それ」
突拍子もなく聞いた事の無い、というよりは言われた事の無い例えに思わず聞き返してしまった。主観だけど、言葉に馴染みがない。
「え、あ、えっと、テレビとか劇場でね、観客に笑い所とか拍手のタイミングを教えたり、自らネタとか漫才を披露したりする人達の事なんだ。そうやって収録前に雰囲気を良くしてくれたり、その、場を温める芸人さんを『前説』っていうの」
「つまり俺はあれか、釜屋さん目線ではお笑い芸人みたいに見えてるのか?」
「ほ、褒めてるんだよ!前説君って呼びたい位だもん!」
一人の女子から、芸人判定を受けていたとは微塵も思ってなくて、これまでの立ち振舞いを振り返りながらついつい深呼吸。そうして一拍置いて自分の口から出てきた言葉が。
「ギリ、許す……!」
辛うじて下ろした許可の一言だった。まあ、粘着イケメン悪魔よりはマシか……。
「委員長、つばめ!新発売のグミだって!」
「いちごのミルフィーユにミルクプリンもあったよ!矢田委員長、お財布は大丈夫?」
「おう、でもあんまり欲張ってくれるなよ。これでも貯めてるんだからな」
「キーボードが欲しいんでしょ?知ってる知ってる!どれかひとつで私はオッケーだよ!」
「それが四人分になるんですけどー?……行ってきな釜屋さん、あいつらに先越されるぞ」
「う、うん!──ありがとう、矢田君」
「そこは前説って呼べよ!?」
こうして北宇治高校吹奏楽部は、全国大会へと向けて新たに舵を取りだした。全国の前には関西、関西の前には府大会。オーディションまであるとなれば、超えるべきハードルは多い。育った土地よりも暑くなりそうな北宇治の夏にむけて、夏服の用意も必要そうだ。
本作品のタイトルを考えるきっかけはつばめちゃんでした、お笑いが好きらしいので。
それより本筋の裏側の話が増えると、どうしても考える内容も文章も増えますね……自分でもこういう作風が好きなだけに、分かっていたとはいえ中々どうして。