ホシノの気持ちを想像して読んで下さい。
梔子ユメは激しい砂嵐の中を必死になって走っていた。その日彼女はアビドス自治区復興の大きな一手となる砂漠横断鉄道の権利を買い取るため、市街地を訪れていた。取り引きは上手くいった。どうしてもと言ってついてきた彼女の後輩が血眼になって契約書を読んでいたが、何も問題が見つからなかったことから成功と言って良いだろう。しかし、運悪くその帰り道に砂嵐が起きた。普段であればユメも砂嵐が収まるまで安全な場所で待機している。だがその日は学校に残してきたもう一人の後輩に対する
そこでさらに不幸が重なる。危険だと強く反対する後輩の意見を押し切って砂嵐の中砂漠を進んでいると、不意に砂嵐の影から雷の体を持つ巨大な怪物が現れた。セトの憤怒。ユメの後輩、奇星チカゲがそう呼んでいた怪物は、砂嵐と雷を操っていた。アビドス自治区の砂漠化の原因がその怪物であると踏んだユメがアビドスの生徒会長として責任感を出したせいで、油断した彼女を庇ったチカゲがひどい怪我を負うことになった。
その後、ユメはチカゲから信じられないことを聞いた。怪物の目的、不思議と既視感のある物語、そしてユメが今日この日死ぬことを。何故彼女がそんなことを知っているのかという疑問はあったが、ユメにはそれが何となく嘘には思えなかった。何より、チカゲはユメ自身が知らないユメの話をする度に苦しそうに血を吐いていて、それでもなお普段見せることのない切羽詰まった表情で訴えかけていた。
つまるところホシノへの悪戯も、チカゲの怪我も、アビドスの砂漠化も全て身から出た錆である。だからこそユメはそれらの責任を負うためにひとりで囮を買って出た。
とはいえ、彼女だってそうやすやすと怪物に殺されてやるつもりなどない。幸運なことにチカゲがそばにいてくれて色々なことを教えてくれたため、何も知らずに殺されることはなかった。本来なら掴むことすらできなかったチャンスである。だからこそユメは一生懸命に走った。その甲斐もあってか、いつの間にか振り返っても怪物の姿は見えなくなっていた。
ホッとしたのも束の間、突如激しい風に煽られ思わず顔を覆う。ただでさえ危険な砂嵐の中ぼーっとしている暇なんてない。どうにかして皆んなのところに帰るには、取り敢えず砂嵐が止むまでどこか身を隠す場所を探さなければならないと考え、また歩みを進めようと顔を上げる。
「嘘でしょ――――」
そこには雷の体を持つ巨人がいた。
「ユメ先輩!」
悪い夢を見ていたような気がする。ひどく頭が痛い。辺りを見渡すとそこは見覚えのある場所、薄暗い監禁部屋のようなところにベッドと何らかの機械があるだけの、私が初めて起きた部屋であった。そう、ここはブルーアーカイブという物語の世界。そこに本来、奇星チカゲという生徒は存在しない。であれば、このホシノちゃんとユメ先輩とあった記憶はただの夢ではないはずなのだ。
ホシノちゃんを揶揄ったり、ユメ先輩の生徒会活動を手伝ったり、楽しいことも上手くいかないことも沢山あった。そして
「――ぅぇ」
あの日、ユメ先輩の死因は砂漠での迷子による衰弱死だと思っていた。
居ても立っても居られず、私はおそらく今最も近くにいるであろう人物、
「おや、おはようございます」
「ユメ先輩は、ユメ先輩はどうなったんですか!」
「落ち着きなさい。順を追って説明しましょう」
私が勢いよく詰め寄って問いただすも、彼はひとりでに応接用のソファへ移ると対面に座るよう私に促した。彼の変わらない態度に私は勢いがそがれ、言われるがままに腰を下ろす。
「先日の砂嵐の後、あなたが砂漠の只中で行き倒れていると知ったときは驚きました」
「なんで分かったのですか」
「発信機をつけておいたのです。危ないところでした。ロスしてしまえばそれなりに手痛い損失でしたから」
言いたいことは色々あるが、そのおかげで助かったので余計な口は挟まない。今はそれよりも聞かなければならないことがあるため、私は無言で続きを促した。
「それから約ひと月、あなたは目を覚ましませんでした」
「ひと月!?あれから一ヶ月も経っているのですか!?」
思わず前のめりになって机を蹴り飛ばす。その様子を目の前の男が興味深そうに観察していることに居心地が悪くなり座りなおす。
「全身に重度の火傷に出血多量。よくぞあれで生きていたともいえます。その頑丈さもあなたたちの持つ神秘ゆえか、実に興味深い」
「それであの人は、ユメ先輩はどうなったんですか!」
いつまでたっても自分の興味関心ばかりで、肝心な事にお預けを食らっていた私は、痺れを切らして再び同じ問いを繰り返す。彼は話を要約するためかややあってから口を開いた。
「自治区ではこんな噂が流れました。アビドス生徒会長の失踪。どうも『暁のホルス』が方々にあなた達の行方を聞いて回っていたそうで。それからひと月以上、彼女が見つかったという話は聞いたことがありません」
「そんな……」
その黒服の言葉に私は眩暈を覚えた。聞かずとも分かっていたことだ、しかしどうしても受け入れられなかった。
「惜しいことをしました。あなたの近くに『昏きオシリス』があったというなら回収しておけばよかった。ですが今となってはもう」
私は彼が何か言い終わるのを待たずしてヨロヨロと立ち上がる。はやく、はやく行かなければならない。
「どこへ行こうというのです?」
「アビドス高校」
大丈夫。ここには夢の中とは違って私がいたんだ。何か変わっているかもしれない。奇跡が起きたかもしれない。そう自分を奮い立たせて、私たちの帰る場所に向かった。
家がある街からアビドス高等学校まで、私は無我夢中で走った。一ヶ月のも間眠りこけていたせいか、少し走っただけでも息が上がる。途中何度も転んだような気がするし、下手すれば普段歩くより遅かったかもしれない。それでも何とか学校まで辿り着いて、気が付けばいつもの生徒会室に飛び込んでいた。
「ユメ先輩っ!」
「チカゲ……ちゃん?」
突然現れた私に、そこにいたホシノちゃんは目を見開いて戸惑いと驚きのまま固まっていた。私にとってはつい昨日会ったばかりの彼女は、幾分か窶れていて、目には濃い隈と頬に伝うあとがあった。だが、私にはそんなことに構っている余裕などなく、忙しなく室内を見まわし、すぐに視界の隅の下方にそれを見つけた。
「あぁ……うそだ、そんな……」
ユメ先輩の体はホシノちゃんの足元の生徒会室の床に横たわっていた。引き寄せられるように彼女に縋り付くもその体は冷たく、呼吸や鼓動といった生きた音がしない。ずっと気付かないふりをしていたものが溢れ出てきた。
「良かった……あなたが生きていてくれて……」
しばらくそうしていると、私の背にホシノちゃんは少し震えたうんと優しい声でそう話しかけてきた。
「探しても、探しても見つからなくて、心配……したんですよ」
彼女だって辛くないはずがない、広大な砂漠で生きている見込みのない知己をずっと一人で探さなくてはならなかったのは。
「……教えてください。あの日、何があったのか」
だから私は言わなければならない。
「あの日――――」
私の言葉はそこで止まる。
「チカゲちゃん?」
不自然に硬直する私にホシノちゃんは再び声をかけてくる。しかし、その続きを口にすることはできなかった。
「言え……ない……」
出かかった言葉が喉に詰まり、全身に走る悪寒と未知の恐怖。それはつまり、今から話そうとしていたことが
口にすれば命が危ないという感覚をいつもより強く感じる。いつもなら勢いに任せてしまえば、多大なる苦痛と引き換えに話すことが出来なくもない。しかし、眠っていたことによる体力の衰えか、はたまたあの日禁則事項を話して死にかけたゆえか、私の本能が未知の恐怖に支配されて喋ることが出来なかった。
「…………言えないって、なんですか」
途端にホシノちゃんの声が冷たくなる。
「言えない、ってことは知っているのでしょう!?なんで隠す必要があるんですか!」
彼女の追及に怒気がにじみはじめて、ようやく私は自身の失言を悟った。人一人の命に関わる話を、知っていて
「えっと、違っ、ほんとは知らなくて」
「知らないわけがないだろ!あなたはあの日、ユメ先輩と一緒にいたはずだ!」
どうしてこんな見え透いた嘘を言ってしまったのか、私は言ってすぐに後悔した。いっぱいいっぱいで頭が上手く働かない。だが、一度吐いた言葉を引っ込めるわけにもいかない。
「知らない、知らないんです。ほんとに!途中で別れて、それで……」
「嘘をつくな!」
大股で距離を詰めてきたホシノちゃんが私の胸ぐらを掴み上げる。間近に引き寄せられた彼女の表情が恐ろしかった。だが、何か言おうとしても言葉がつっかえて出てきやしない。
「だったら、あの血はなんだ!」
彼女が指をさしたのは、ユメ先輩の制服にべったりと付着した血液。私の血だった。
「あれはっ、あれはちょっとした事故で……」
「事故!?事故であんなッ!…………まさか」
怒りを露わにするホシノちゃんの顔からスッと表情が抜け落ちる。だが、彼女の鮮やかだった瞳は暗く鋭く私を睨み付けていた。
「……まさか、お前がユメ先輩のことを殺したのか」
そのホシノちゃんの言うことに、ややあって思わず私は笑うしかなかった。だってそうだろう、私はユメ先輩を助けようとしたのに、まさか犯人だと疑われるとは、これじゃあまるで道化じゃないか。だが、彼女の言うこともあながち間違いでもないのかもしれない。本来のユメ先輩の死因は分からないが、この世界では間違いなく私にも責任がある。もっとやりようはあったのに、しなかった。何の根拠もなく、自分なら出来ると信じていたのだから。
「なんで、何でこんなことしたんだ!信じてたのに!」
「そうやって……、何も根拠がないのに信じているからですよ」
過ちを問いかけてくるホシノちゃんにむしゃくしゃして、ついそんなことを口にしてしまった。私の発言に彼女はカッと顔を赤くしたかと思うと、気付けば私は殴り飛ばされていた。
「お前っ!ユメ先輩がっ、どれだけお前のことを大切に思っていたのか知らないのか!」
顔を殴られた。眩暈がする。知っているさ、だから私が足を引っ張った所為で死んだんだから。
「なんであの人が死ななくちゃならなかったんだっ!」
足を払われて、床に体が打ち付けられた。それが
「こたえろよ、なあ!」
馬乗りに組み伏せられて、何度も、何度も殴られる。それでも、こたえてやることはできない。
「……お前のせいで、
一頻り殴られた後、涙でくしゃくしゃになった顔で彼女はそう絞り出す。そのとき何かが切れた音がした。私は逆に胸ぐらを掴み返す。やってきたことが、これまでが全て否定されている気がして、どうしても我慢出来なかった。
「……ふざけるな、ふざけるな。私のせいだと?思い通りにならないから悪いんだ。…………全部私の言う通りにしておけばよかったのに、どいつもこいつも馬鹿ばっかりで!だから私がさっさと生徒会長にでもなっていれば――――」
「黙れっ!」
私が言い終わる前に彼女はショットガンを持ち出し発泡する。一発、二発、三発、四発、五発、六発、七発、八発。弾切れがおきるまで撃たれた。目と鼻の先からの散弾はものすごく痛いが、しかしその程度で私たちは死なない。そんな事このキヴォトスでは誰でも知っている常識だ。だから彼女は銃を捨てて私の首に手をかけた。
「許さない、死んでユメ先輩に詫びろ!」
きつく彼女の手に力が込められる。私は反射的に抵抗しようとした。首を絞める手を引き剥がそうとする。馬乗りになっている彼女を蹴り上げようとする。だが、もともと力で敵わないのに今の私に勝てる筈も無く。
息ができなくて、意識が朦朧としはじめる。その、暗いところに落ちて存在が消えていくような感覚は、
結局、私は何一つ守れなかった。ホシノちゃんとの約束も、ユメ先輩との約束も、ユメ先輩のことすら…………
ごめん。
「――ぁ、違っ……そんなつもりじゃ――――」
突如、首の締め付けが無くなり息ができるようになって、私は大きく息を吸い込んで咳き込んだ。わけも分からずホシノちゃんの方を見遣ると、彼女は怯えた表情で私を見て後退りしていく。そして何か転びかけた拍子に彼女は身を翻して、生徒会室から逃げる様に飛び出した。
私は待ってくれと思わず声を上げようとしたが、生きようとして激しく咳き込む本能に抗うことは出来なかった。
体が欲するままに呼吸を繰り返す。酸素が身体中に満たされるのとは逆に、何か大切なものが抜けてしまっていくように感じる。
「くそ……」
もう何も見たくなくて、誰にも今の自分を見て欲しくなくて手のひらで顔を覆う。だが、つい何かを求めるように指の隙間から見えるものを目で追ってしまう。
生徒会室の中央に置かれたテーブル、ここで下らない話ばかりしていた。その横にあるホワイトボード、誰かが書いた荒唐無稽な計画がかかれている。部屋の隅のロッカー。たった三人しかいない学校で教室なんて使っていなかったため、私物はほとんど此処に入れていた。そして、私のすぐ側に横たわるユメ先輩の身体。もう取り返しがつかない、私の過ちの跡。
ひとりぼっちの部屋で、動悸も呼吸音もうるさいのに、やけに静かに感じられた。途端にここは私の居場所でないように思えて、いや、もともと私の居場所ではなかったのかも知れないが、そう思えて胸が苦しくなる。
窓の外はいつの間にか空が暗くなっていた。街から離れたところにあるアビドス高校からは星がよく見える。思わずその中で一番明るい星に手を伸ばしたが、体が重たくて星に手は届かなかった。
チカゲヲイジメヌンデ