「ブルー、アーカイブ?」
その日、目が覚めて、口から漏らした言葉は奇しくもタイトルコールのようであった。
ぼんやりとした頭で思い出すのは、つい先程までみていた夢の話。ブルーアーカイブと銘打たれたその物語は、キヴォトスという学園都市で、個性豊かな少女達が波瀾万丈な学園生活を送るというものである。
この世界の少女達は皆、神秘という不思議パワーを持っており、その証拠として彼女達の頭上にはヘイローという謎の光輪が浮かんでいる。その神秘のおかげか少女達は身体能力が高く非常に頑丈で、特に頑丈さに至っては例え銃で撃たれようが爆弾で爆破されようが痛いで済む程だ。中には隕石を呼び出せる者や凶暴なパンケーキを生み出す者など超常の力を使う者もいるが、要するにこのキヴォトスの少女達は何でもありという訳である。
ところで、先程銃に撃たれたらという話をしたが、キヴォトスでは大人も子供も銃を所持している。何せ銃を所持していない人間は全裸よりも少ないと言われる世界だ、きっと人口よりも銃口の方が多いのだろう。そんなキヴォトスで少女達は驚くべき事に喧嘩の要領で銃火器を持ち出す。チンピラのカツアゲでも、ちょっとした意見の食い違いでも、死なないことをいいことに引き金は羽のように軽い。その為か、問題が起きれば話し合いよりも銃火器を用いて解決するトリガーハッピーばかりという始末だ。
当然そんなやり方で上手くいく訳もなく、子供の学園生活とは思えない悲劇がそこかしこに転がっている上、なんなら世界だって滅ぶ。透き通るような世界観を謳いながら、遠慮なく少女達の瞳を曇らせにくるという地獄である。
そこに現れたのが我らが『先生』、彼ないし彼女が居れば、万事解決、順風満帆、とんとん拍子で全てが上手くいく(容易いわけではないが)。地獄の一丁目であるキヴォトスに降り立った、まさに救世主なのだ。
さて、ここからは私の話になるが、私はなにも昨日見た夢が傑作だったという自慢話をしたいわけではない。随分と出来の良い夢を見たものだと、感慨に浸りながら何と無しに仰ぎ見るとあったのだ、ブルーアーカイブの象徴たるヘイローが。
思わず感嘆の言葉を漏らしてしまった、だってそうだろう、粛清しないチョビ髭のおじさんも言っていた、遠くから見える喜劇は近くから見れば悲劇なのだから。誰だって好き好んでドンパチしたくはない。
こうして、自分が喜劇の住人であることを理解した私は、現状を把握すべく上体を起こし自分が裸であることに気がついた。それから辺りを見渡すと、そこは一見して病室のようであったが、薄暗くどうにも不気味な場所だった。
病室と思ったのも私が寝ている簡素なベットと何かを計測する様な機械があるからで、それ以外に何も無い。強いていうなら黒いブラインドのかかった窓と出入り口たる扉、それと監視カメラの様な物がある位で、生活感のあるその他家具の類いは一切置かれておらず、病室というよりは監禁部屋のようであった。
何も無い部屋に裸の少女を寝かせて監視するなんて、変態か悪の科学者の所業だろう。そう考えて思い浮かぶ顔は一人、二人、三人、四人とその他大勢。指折り数えて頭を抱えたくなった。幸い変態で思い浮かぶ人物こそいなかったが、キヴォトスで悪の科学者のような奴らにはいくらでも心当たりがあるのだ。
その時、ガチャリと扉の鍵が開く音がした。それ程大きな音でもなかったが、静かな部屋だったので余計に驚き、すわ何事かと身構えていると、黒いスーツを着込んだ影法師の様な黒い異形の男が入ってきた。
「くっ──」
「黒服」と言おうとして既の所で口を塞いだ。私はコイツを知識としては知っているが記憶の上では知らない、下手な事は言えなかった。彼の名は黒服、ブルーアーカイブに登場する悪い大人、要するに悪役である。彼はゲマトリアという組織で神秘の研究をしており、神秘を持つ生徒達を研究対象として危ない実験をしている。当然、生徒の味方である先生がそんな事を認めるはずもなく敵対しているという訳だ。そんな所に私は居る、つまりはそういう事だろう、度し難い、度し難いぞゲマトリア 。
「どうかしましたか」
「少し気分が悪くて」
黒服は「そうですか」とだけ言って、手元のタブレットと私に繋がれた何かを計測する機械を見比べ始めた。何というかこう、心配りとか無いのだろうか、いや無いだろう、彼にとって私はきっとモルモットなのだ。
「あの!」
「何でしょう」
「あなたは誰ですか?」
「ところで、あなたはご自身の記憶はありますか?」
ひとまず状況を確認しようと思い立ち、夢で知った名前に知らないふりをして男に名前を訊ねると、逆に彼はこちらを見透かすように質問を返してきた。彼の言う通り、私には自分の記憶が無い。生まれてこの方どうやって生きてきたかが分からないのだ。この世界の顛末を語る夢の内容は覚えているが、夢の中でさえ登場しなかった私は騙るものを持ち合わせていなかった。何にせよ記憶が無い事に違いない私は首を横に振る。
「素晴らしい」
黒服は私をまじまじと見つめ大変満足そうに頷いた。「そんな訳があるか!」と思わず突っ込みそうになったが、話の腰を折るのもなんだし、もし彼の機嫌を損ねたらと思うと声を上げることは出来なかった。それにしたって一体何処に記憶喪失が良しとされる世界があるのか、そういえばブルーアーカイブのメインヒロイン(諸説あり)は記憶喪失だがよろしくやっている、ここはそういう世界だったのかも知れない。
恨めしい気持ちと話の続きを求める意味を込めて黒服を睨んでいると、彼は心底嬉しそうに私の身に起こった出来事を語り始めた。
冗長な上に難解なので要約すると、彼の所属する組織ゲマトリアは神秘の研究の為に自ら新しい神秘を生み出すことにしたらしい。しかし、何も無い所から生み出すことは出来なかった為、元から神秘を持っている生徒を使ってあれやこれやしたらしい。何をしたのかという説明は理解出来なかったが、例えるなら人間を切り貼りして別人を作り上げるようなものらしい。なんてことだ、私はモルモットどころかフランケンシュタインの怪物だったらしい。倫理観を冒涜する内容に危うく卒倒しかけたが、劇的過ぎるあまり夢のように思えてなんとか正気でいられた。
「それで、あなたのことは何と呼べば良いのでしょうか?」
「そうですね、生憎私はこのキヴォトスでの名前を持ち合わせていませんので、どうぞお好きなようにお呼び下さい」
何と言う事だ、彼はまだ黒服ではなかったらしい。黒服という名は彼がブルーアーカイブが始まる二年前にある生徒にそう呼ばれてから名乗っている名前だ。つまり現在は物語が始まる二年以上前なのである。しかし困った、名前が無いなら私が名付けることになる。別に黒服と呼んでも良いが、そう呼んだ彼女は籠の鳥になった、私はそれは勘弁願いたい。そこで私は一つの苦肉の策を思いついた、この選択に不安はあるが、明日死ぬよりはマシな筈だ。
「⋯⋯じゃあ、パパで」
「パパ?」
「そう、あなたが私を生み出したのでしょう?だったらあなたは私の親で、私を養う義務がある筈です」
「成る程、あなたは悪い大人の子供になると言うのですか」
「子は親を選べませんから」
「ククク、良いでしょう契約成立です」
良かった、これでもし「お前など子ではない」などと言われたら、フランケンシュタインよろしく生みの親を殺さなければならなかっただろう、尤も返り討ち遭い死ぬのは私だろうが、彼なら生徒に対抗する手段の一つや二つ持っていてもおかしくはない。歯向かえば死、見捨てられたら死、厳しい現実と上手くいった安堵で涙がちょちょぎれそうだ。
「ときに、親が子を養うのを当然とするならば、子が親に報いるのも当然だと思いませんか」
「えっ」
安心したところの突然の手のひら返しに思わず身構える。私は彼と温かい親子関係を築こうとしたことを早くも後悔しつつあった。この悲しき契約モンスターはどんな相手だろうと利益を生み出さないと気が済まないらしい。とはいえ、文字通り裸一貫の私に何を求めるというのだろうか、もしかして体か?
「そう身構えないで下さい。私から求めるものは二つ、一つ目は我々ゲマトリアの活動に協力的であること、二つ目は⋯⋯、ククク、良好な親子関係の為には相互理解が重要です。ぜひあなたの知っていることを教えてもらえませんか」
「知っているも何も、私には記憶が無いのですが」
「いいえあなたは夢に見た筈です。この世界の全てブルーアーカイブなるものを、その様に作られたのですから」
私は息をのんだ。黒服は私が少々変わった知識、もといブルーアーカイブの知識があると知っていた、何ならそれも目的だったらしい。さて困った、夢の内容を彼に話す事は大変危険が危ない、私が話したことで彼等ゲマトリアがとんでもない悪事を思い付き、万が一にでも先生に勝ってしまったら、それ即ち世界滅亡ENDなのだから。かといって、黙秘して育児放棄されたら私は路頭に迷う羽目になる。世界か我が身か、悩んで悩んだ末に私が導き出した答えは、ゲマトリアが先生に敵対しない様、都合の良い事だけを話すことだった。
元々ゲマトリアは、若干二名を除き何故か先生に好意的な先生大好きクラブになるのだ、そこで私が彼等ゲマトリアに先生に協力する様持ち掛けることで、ゲマトリアは満場一致で真の先生大好きクラブとなる。我ながら妙案だと思った、これで世界は僅かに平和になり、私は野垂れ死なずに済む、先生は安心して世界救済が出来るという訳だ。私の白い手と黒服の黒い手が硬く結ばれた、今ここに歪な親子関係が完成したのである。
「ブルーアーカイブというのは──」
しかし、その先の言葉が続くことはなかった。突然、心臓が鷲掴みにされた様にと苦しくなり、絞められてもいない首が絞まって呼吸が出来なくなる、吐き気を催す目眩に襲われ、辛うじて咳き込んだのは粘っこくて赤黒い液体だった。未知の恐怖に怯え意識が朦朧とする中、暗黒の男はこう言った。
「実に、興味深い」
・
生まれて早々に死にかけてから早数日、私は晴れてアビドス高等学校に入学した。登校初日から楽しい学校生活を送った私は、今日あった出来事を報告する為、帰宅して勢いよく彼の仕事部屋に飛び込んだ。
「ただいまー」
「おかえりなさいチカゲさん、アビドスはどうでしたか」
結局、黒服は親というには淡白だが私を養ってくれた。衣食銃の全てを揃えてもらい、驚くべきことに名前まで与えられた。「奇星チカゲ」それが私の名前だ。私の名前を尋ねた時に、番号で呼ばれでもしたら顔の亀裂を増やしてやろうと思ったが、案外すんなりとその名前が出てきたものだから初めから用意していたのだろう、その名前はまるで元から自分の名前であったかの様にしっくりきた。彼なりに私のことを思って考えてくれたのかも知れない、何だよ可愛い所もあるじゃないか。そのように作られた?聞こえない聞こえない、悪いね聞き耳は初期値なんだ。私は都合の悪い事実を都合良く無視すると、彼の執務室にあるソファーに座り込んだ。
「凄かったですよ、とても大きな学校で全部見て回るのに何日掛かるか見当もつきません。でも、砂に埋もれて過去の繁栄は見る影も無く、正に砂上の楼閣って感じですね」
実際、アビドスの現状は酷いものだった。生徒の数は教室よりも遥かに少なく活気が無い。建物の大きさばかりは立派だが、管理に手が回らないのか普段使うであろう以外の施設は砂まみれで、一層見窄らしく感じられた。
「ククク、そのアビドスに外からやって来たのですからさぞ奇異の目で見られたことでしょう」
「そりゃもう、特に同級生のホシノちゃんからはまるで変人奇人のように扱われましたよ」
「おや、もう暁のホルスと接触したのですか。どうでしたか彼女は?」
「強いですね、まだ戦っている所を見たことが無いので戦闘技術は分かりませんが、存在感が他の生徒とは段違いです。あれがキヴォトスで最高の神秘というやつなのでしょうか」
黒服は小鳥遊ホシノの体を狙っている。別に性的な意味ではない、何でもホシノの持つ強い神秘を使って新しい実験を行いたいらしい。因みに私は神秘が弱く、すぐ壊れそうだからと戦力外通告を受けている。但し特殊な神秘の観察対象として価値があるとフォローを受けた、別に嬉しくはない。
「それで、彼女を実験に協力してもらうよう働きかけることは可能ですか」
「無理ですね、ホシノちゃんは相当警戒心が強いですよ。パパみたいな怪しい人を紹介したら、私絶交されちゃいますよ」
「クックック、手厳しいですね。まあ良いでしょう、方法など幾らでもありますから」
「あんまり悪い事ばかりしてると、いつか痛い目を見ますよ」
「ええ、ご忠告感謝します」
ホシノちゃんに関して私は何もするつもりはない。そもそも彼女は私より遥かに強いし、何もしなくても先生が助けてくれる。待てよ、そうすると黒幕の子である私の立場はどうなる。一応、黒服は途中から手を引く為、そこから先生と一緒にホシノちゃんを助け出せば何だかんだでハッピーエンドというのは甘い考えだろうか。まぁ良い、未来の事は先生に頼れば何とかなる、私にはどうしても今やらねばならない事があるのだ。
「ところで、梔子ユメの方はどうですか」
「ななな、何の事でしょう」
「あなたがアビドス高等学校へ入学したいと希望した時、理由は言えないが助けたい人物がいると話していたでしょう。あの時はその人物が小鳥遊ホシノかと思いましたが、あなたは彼女の行く末にそれ程興味がない様なので、昨晩偶々助けたと話していたアビドスの生徒会長がそうなのかと」
「ソ、ソウデスカ」
恐るべし黒服、私の態度と断片的に話したことを繋ぎ合わせて私の目的を見抜いてしまった。そう、私の目的は梔子ユメ、ユメ先輩を助けることである。私が夢に見たブルーアーカイブにおいてユメ先輩は既に故人として登場する。先生でも変えることが出来ない過去、既に死んでしまった彼女は物語の中で唯一先生が助けることが出来ない生徒なのだ。そんな彼女が生きている、だったら助けてやらなければ寝覚めが悪いというものだろう。
「ユメ先輩は、良い先輩ですよ。少し危なっかしいですが」
「アレは他と比べれば幾らかマシですが、大した神秘ではありません。寧ろ、あなたの方が強いのでは?」
「人の価値は神秘で決まる訳じゃないのですよ」
「それ程までに梔子ユメという存在は注目すべき人物なのですか、あなたの見たブルーアーカイブでは」
「禁則事項です!」
黒服が夢の内容を問い詰め始めたので、私は慌てて話を遮る。私は未来を知っているが、その内容を他人に話す事は出来ない。もし誰かに話そうとすれば、いつかのように血反吐を吐いて死にかけることになる。黒服によればこれも神秘の賜物らしいが、神秘と呼ぶにはあまりにも悍ましい力だと思う。そんな訳で私は言えそうにないことを追求された時は、こうして誤魔化すことにしている。因みに、黒服にとっては言えないことを把握するだけでも利用価値があるらしい、つくづく狡猾な奴である。
「クックック、そうでした。あなたの予知は喋れないのでしたね」
「分かっててやってますよね」
「ええ、ですが是非もう一度見たい」
「嫌ですよ、アレすっごく苦しいんですからね!」
人の心は無いのかこの人でなしと、異形の男に言うつもりは無かった。言うだけ無駄である。
「とにかく、ホシノちゃんの件は邪魔しませんから、ユメ先輩の件も邪魔しないで下さいよ。悪い様にはなりませんから」
「良いでしょう」
黒服から邪魔をしないと言質を取れたので良しとする。ただでさえ騙されやすい先輩のことだ、悪い大人代表である黒服の手に掛かれば、あっという間に身ぐるみ剥がされてしまうだろう。やはりアビドスか⋯⋯、いつ出発する?私も同行する。いや違う、あのお人好しの先輩が憂き目に遭うのは忍びない。
「全く、誰かさんと話していると余計に疲れますよ」
「楽しい時間というのは、往々にしてそういうものです」
ゾッとする話だ、そういう仲でもないだろうに。私はソファーから腰を上げると、さっさと部屋を出ようとした。
「今日は疲れたので早く寝ることにします。明日からは⋯⋯、もっと大変でしょうから」
「楽しみにしていますよ。這い寄る混沌であるあなたが、あのアビドスの地に何を起こすのか」
縁起でもない。私はそそくさと自室に向かうと寝支度を始める。
ああ、明日が楽しみだ。夢に見たホシノちゃんとユメ先輩とこれから毎日会えるのだから。それに、ユメ先輩が失踪した砂嵐で、何事もなく帰ってきたら二人はどんな顔をするのだろう。ユメ先輩は喜ぶだろうか、ホシノちゃんは泣くだろうか、それが楽しみで仕方がない。主人公である先生にすら変えられない過去があるならば、私が未知なるキヴォトスをユメに求めてやろう、夢見心地でそう決めたのだ。
○奇星(くしぼし)チカゲ
モチーフ クトゥルフ神話のニャルラトホテプ
名前の由来
奇星→トリックスター
チカゲ→千の化身