わたしがレイブンクローの1年の男の子をストレートで決めてから1週間。わたしの周りでは変化があった。
ホグワーツ内を歩けば、「プリンセスが来た」って囁きと共に「シッ! 彼女を怒らせない方が良い。鼻を折られるぞ」や、「もう何人も殴られて聖マンゴ病院送りになってるって」とかいう盛られ過ぎた噂までされるようになった。
直接的な嫌がらせをして来る人は前回きりだったし、ある意味での噂のおかげで、これからもそういう人が現れる可能性は低いだろうと思う。ただ────。
「ねえねえ、僕はもう50回くらい君に殴られてるって事になってるんだよ! 笑っちゃうよね!」魔法理論の授業が終わって教室を出ようとすると、ウィーズリーがとても愉快そうにわたしの真横に来て笑う。
「当たり前のようにわたしの真横に来ないで!」
わたしはウィーズリーから離れようと早足でスリザリン寮に急ぐ。いつもだったらアンがくっついて来たりするのだけど、今は違う。
「イーリス待って!」
「一緒に行こうよ!」
「待って!」
わたしの後ろをついて来たのは同じスリザリンの1年生。ドワーフマスティフみたいな顔の男の子と、ひょろっとした体に高い鼻をした男の子。それとブロンドヘアを三つ編みにしてる女の子。確かパーキンソン、トラバース、ロウル。そう名乗ってたと思う。3人はあの出来事から、わたしにまとわりつくようになった子達だ。
彼らは決して自分の意志でわたしに近づいて来たんじゃない。彼らの家は、ブラック家のように選ばれた名門一族。家に従って、そうしなきゃいけなくてわたしに近づいてるだけ。
今回わたしが殴ったレイブンクロー生は、マグル生まれの魔法使いだった。偶然にもね。
どうりで伯父に殴られたと言わないわけだ。伯父はマグルやマグル生まれを見下す人だから、ホグワーツの生徒だろうと関係ない。そもそも話を聞いたりもしないだろう。そういう伯父のせいでわたしまでもが純血主義のマグル嫌いだって多数に思われたらしい。
母は過激派純血主義のカローだし、父はブラックだ。元々ブラック家に媚び売る家は少なくない。伯父の性格がどんなにアレでもね。莫大な資産もあるし、広い人脈もある。だからあわよくばブラック家と親戚になって繋がりが欲しい。伯父や父や母の周りには、いつもそういう魂胆を持った大人達が多かった。
この3人の家も同じ。パーキンソンやトラバースの家は自分達の息子を。ロウルは妹を使って5年生の兄をわたしに薦める気だ。
「イーリス、今年のクリスマスは家に招待するよ!」
「いや、イーリスは僕の家に来るよね?」
「ねえ、私の兄がね!」
3人共家の為に必死だ。わたしは冷めた目で彼らを見てから、振り切るように走り去った。うんざりする。
午前最後の授業に飛行術。今回はグリフィンドールとの合同飛行訓練で、箒が慣れた人達で城周りのリングをくぐり抜けるというスピード対決が行われる事になった。初めは5人ずつで。その中から速かった人が各グループで1人選ばれ、最終的に誰が速いかが決まる。
そして最後の対決に選ばれたのは、レイエス、セバスチャン、エリック・ノースコット。わたし。箒を乗り熟す3人と違って不利だと思われたけど、結果はまさかだった。
「1位はMs. ブラック! 皆さん拍手を!」コガワが笛を鳴らして言った。
今まで未経験者だったわたしが1番速く飛べるなんて、信じられない。授業が終わりを告げて解散になると、生徒達はみんなまばらに城の中へ戻ろうとしてた。
「悔しい! 箒はみんな同じ授業で使うやつなのに!」レイエスが地団駄を踏んで悔しがる。
「あー、2位かよ」オミニスと前を歩いてたセバスチャンが不満気に言う横で、アンはこっちを向いて「イーリス凄い!」って小さな拍手をしてた。
「イーリス、とても素敵だったよ!」パーキンソンが近寄ろうとしたアンを押し退けてわたしの隣を歩く。
「君はクィディッチの才能があるんじゃないかな?」トラバースもそうだった。
「そりゃあそうよ。だってイーリスのお父様はスリザリンでシーカーをやっていたんだもの」ロウルが2人の間に割って入り、得意気な顔をした。
「じゃ、じゃあタウマスって人は、あなたの父親だったの?」後ろから走って来たレイエスがトラバースを自分の体で押し退け、食い気味にわたしの両肩を掴んで揺さぶった。強く揺さぶり過ぎだ。
「そうよ。それが何?」わたしは掴むレイエスの手から強引に離れた。
「あなたの父親と私の父は、スリザリンで同じチームだったって事が今わかったのよ」レイエスはひとり口元を緩ませる。曰く、ホグワーツ内にあるトロフィー室に置かれたクィディッチの優勝トロフィーに、わたしの父の名前とレイエスの父親の名前が記されてるのだそう。
「へえ。そう。よくご存知ね」
興味無く言葉を返すと、レイエスはまだ何かを言おうとしてた。けれどトラバースやパーキンソン、ロウルが無理矢理レイエスをわたしから引き離して、わたしの周りを鉄壁のように取り囲んで並んだ。だからレイエスが何を言おうとしたかわからない。
「イーリス、レイエスは放って置いて行きましょう!」ロウルがレイエスに舌を出し、アンの肩にわざとぶつかって言った。
「おい!」セバスチャンがロウルに文句を言おうとしたけど、アンがセバスチャンの腕を引っ張ってそれを止めていた。ふと見たアンの顔が何だか哀しい表情に見えて、わたしの胸が少し痛んだ。
わたしから離れない3人を鬱陶しく思いながら、彼ら3人よりも早足で城の中へ。昼食を取る為に大広間へ向かった。取り巻きはずっと一緒で、わたしの隣に座って食事まで合わせて食べる。気持ち悪いくらい、常にわたしのご機嫌取りをしてくる。
ブラック家に取り入りたいと思っているのはこの3人の他にもいるのだけど、3人は先ず近づいて来た相手の家柄を訊き、彼ら3人よりも名家では無い、純血の家の生徒に対しての当たりを強める。まるで番犬みたいだ。口汚く罵って、純血相手でもこれなのに、半純潔やマグル生まれはもっと酷かった。甘くて美味しいお菓子でさえ不味く感じるくらいに。
午後の授業は魔法薬学。この時3人の内の2人とは別れ、トラバースはウィーズリーと同じ調合台だったからとても解放されて気が休まったし、授業に集中出来そうで良かった。
今日の調合は『忘れ薬』。いつもの流れでシャープ教授が効果や材料などをランダムに選んだ生徒へ質問する。全員に教科書を閉じるように言うと、今回はセバスチャンが当てられた。
「Mr. サロウ、素材の1つである忘却の川の水の必要量は?」
「はい教授。2滴です」
「では大鍋に2滴の忘却の川の水を入れた後、どれくらいの時間温める?」
「20秒、弱めに温めます」
「そうだ。絞り汁として使う催眠豆は刻みにくく萎びている為に汁が出にくい。どうすれば多く出せるか?」
「き、刻むより銀のナイフの面で潰した方が多く汁が出ます教授」
「正解。スリザリンに5点」
加点されて嬉しがるセバスチャンにアンやオミニス、他のスリザリン生から喜びの声が上がる。教授は「静かに」と注意して黙らせると、続けて言った。
「本日は『忘れ薬』の調合を1人で行ってもらう」
学年が上がればいずれは1人で調合するのだから。シャープ教授の言葉に、魔法薬学が苦手な生徒達の顔が曇った。わたしの隣の席のスウィーティングもそうだ。
始めの合図でみんなが動き出す。わたしも同じく取りかかった。『忘れ薬』は初級レベル。『おできを治す薬』よりも調合は楽に感じた。第一段階は誰よりも早く終わり、放置時間が終わるまで、教科書に書かれている、多分先でやると思う薬の調合のやり方を視読した。
わたしの次に第一段階が終わったのは、セバスチャンとアン、ウィーズリー。隣のスウィーティングは「違う、そうだ、あ、駄目だ」ってぶつぶつ何か独り言を言いながら必死の様子だった。そんな彼女を横目に、わたしは次へと進む。時々大鍋の中身の臭いを嗅ぎながらね。
「教授、出来ました」
完成した『忘れ薬』を教授に確認してもらう。今回は前回よりも自信はあったから、教授が「とても良く出来ている。Ms. ブラックに拍手を。スリザリンに5点」って言って、自ら拍手して下さったのは素直に嬉しい。
「流石イーリスだね!」トラバースが誰よりも大きな音を立てて拍手をしたら、その隣の席にいるウィーズリーの大鍋に怪しい動きがあった。
「あれ? え、わあああ!」
ウィーズリーの大鍋がまた噴き上がった。液体や煙やら、違う物で調合台が汚れてしまうくらいに。
「Mr. ウィーズリー。1点減点」
「ギャレス! またかよ!」
グリフィンドール生から嘆きと呆れの声が上がる。当の本人は全く気にしてない。隣の席のトラバースは自分のローブに大鍋の中身の液体が飛び散って来ただの、「何が自称『魔法薬界の神童』だよ! 大概にしろ!」って文句を言いまくってた。周りにはいい迷惑だと思う。ウィーズリーと同じ調合台じゃなくて良かった。
みんながウィーズリーに注目したり調合したりしてる中、わたしは教科書を視読したり髪油の調合に何の材料を使うか考えたり、羊皮紙にメモを書いたりして時間を潰してた。
なんか──、違う臭いが。流れてきた鼻を掠める臭いに気づき、羽根ペンを持つ手を止める。わたしの隣のスウィーティングの大鍋から、明らかに『忘れ薬』になろうとしてならない臭いがしてきた。わたしはスウィーティングの調合の様子を見てみる事にした。
え、何でよ。
調合が適当で大声を上げたくなる。魔法薬学が苦手だからとか、緊張のせいでなのかそれはわからない。でも何とか自分なりにやろうとしてるのはわかった。そういえば初めから、オークスとペアで調合してる時もこういう風に適当に材料を扱ってた気がする。オークスがいたから何とかなってたみたいね。第一段階は終わってるけど、でもこのままじゃウィーズリーみたく中身が噴き出してしまうんじゃないかって気が気じゃない。わたしはシャープ教授にも目を向けた。今は自分の定位置の場所で生徒の様子を気にしながら、時々分厚い本に目を通してた。──今だ。
「ねえ、適当過ぎない? カノコソウの小枝は2つきっちりよ。あなた半分多く入れてるでしょ?」口元を隠すようにメモしていた羊皮紙を広げ、スウィーティングに近寄ってこっそりと囁く。彼女だけにしか聞こえない声で。スウィーティングは一瞬だけわたしを気にして手を止める。
「ヤドリギの実を粉末にする手を止めないで。黙って聞いてて。このままだとあなたの鍋も噴き上がる。時間が無いからもう正しい『忘れ薬』には仕上がらないけど、魔法薬界の神童みたいに中身が爆発するよりかはマシでしょ?」わたしがそう言うと、彼女は一度だけ小さく頷いて調合を続ける。
「落ち着いてやれば良いのよ。あなたは材料を半分多く入れようとするところがあるみたいだから、半分減せば良い」
それを素直に受け取ってくれたのか、スウィーティングは一度深呼吸をして調合に集中し始めた。それから隣で彼女を見てたけど、もう材料を半分多く入れようとはしなかった。
調合を終えて完成すると、スウィーティングが『忘れ薬』の入った瓶を教授へと渡した。教授は薬の色や栓を外して臭いを確かめる。僅かに眉間の皺を寄せて「合格までは程遠い」って言ったけど、ウィーズリーより上の評価はされた筈。
「今回『忘れ薬』をまともに完成させる事が出来なかった生徒は、宿題として次回の授業までに何故成功しなかったかをまとめたレポートを。その他の生徒は、素材の1つである忘却の川の水を大鍋に入れた際に起こる変化の様子をレポートにし提出するように」
宿題と聞いて気分が下がる生徒が多数。中には喜んでる子もいた。そしてこの流れから授業が終わろうという時、シャープ教授がわたしに目を向けて言った。
「Ms. ブラック、君は随分と魔法薬学の授業に余裕があるようだな。私よりも」
教授の言葉には、遠回しだけど含みがある。だから何を言いたいか直ぐにわかった。教授は気づいてたみたいだ。わたしがスウィーティングに助言してた事。
帰り支度の生徒達がわたしに注目し、スウィーティングが慌てて挙手をした。
「あ、あの教授! イーリスは、私を助けてくれたんです!! だからその────」
「スウィーティングの調合が適当だったので見るに堪えず。彼女は材料を半分多く入れていましたから、あのまま5回、反時計回りに掻き回していたら大鍋の中身は全て飛び散っていました。ウィーズリーのように鍋を爆発させられては迷惑だと思ったからです教授」
ローブや教科書を汚されたくありませんし。スウィーティングの言葉を遮って堂々と答えると、教授の眉間には皺が深く寄った。
「そうなると判断して事前に止めたと?」
「はい」わたしは真っ直ぐ教授を見つめて言った。
どうして自信たっぷりでいられるのか。実は入学前、『匂い』を調べる為に読んでいたのが家の書斎にあった魔法薬学書で、本当に偶然なんだけど、材料の薬草を探してる最中に『忘れ薬』についてなんとなく読んでて、調合の色々な失敗の結果が記されていたのを覚えていただけ。だからだ。
「ではMs. ブラック。優秀な君には特別に宿題を追加しよう。『忘れ薬』の調合を失敗した際に起こる全ての反応について、まとめのレポートを50センチ分だ。是非とも楽しみにしていよう。──では以上」
教授にはわたしが高慢に見えて知識をひけらかしてたって思われたのかもしれない。そんなつもりは全く無かった。授業でやるって知ってラッキーだと思ってたのに。
授業が終わるとみんながまばらに教室を出ようとし、わたしも教科書を持って席を立つ。アンはセバスチャンやオミニスと一緒に出る時に、こっちを何度か気にしているみたいだった。
「イーリス! 待って!」スウィーティングがわたしに駆け寄って来る。
「何?」
「あの、私のせいで……」
「別にわたしが勝手にやった事よ。でも、そうね。ありがとう。おかげで宿題という楽しみが出来たわ」
「ご、ごめんなさ──」
「おい! お前のせいだからな! イーリスに気安く近寄るな!」トラバースが騎士のような振る舞いでわたしとスウィーティングの間に入って来た。
わたしは、トラバースがスウィーティングに暴言を喚き散らす前に早足で教室を出る。そうすると彼も慌ててわたしについて走る。スウィーティングには嫌味を言いたくてあんな事を言ったんじゃない。何て言葉を返せば良いのかわからなかっただけだ。シャープ教授に出された追加分の宿題は多いけど、それほど苦じゃないかも。家から『忘れ薬』も詳しく記されてる魔法薬学書を持って来ているし、覚えてるから直ぐにまとめて提出すれば良いやって、少し前向きに考える事にした。
「だから私はサロウの次に嫌いなのよあの子!」
「確かに」
午後の授業が全て終わり、変身術の教室の前にある中庭のベンチに座って休んでいると、トラバースから魔法薬学での一連の出来事を聞かされたロウルとパーキンソンが、スウィーティングに対して物凄く憤り始めた。
ロウルが言うサロウとはアンの事で、スリザリンでわたしに近づくアンを嫌ってるのと、お互い兄がいるという理由でアンを警戒してるらしい。
「半純血の魔女のくせにイーリスに近づくなんて!」
ああ、暴言の嵐が起こる。嫌気が差してきたわたしは、何も口を開かずにベンチから立ち上がり、3人を放って闇の魔術に対する防衛術の教室へ続く塔のドアへ歩く。わたしが行くと3人は慌ててついて来た。
「イーリス、あのスウィーティングにはもう近づかないで」
「そうだよ。ブラック家の素晴らしい魔女である君には相応しくないよ」
「知ってる? あの魔女の両親、とても良くない噂があるんだってさ。僕のお母様が言ってたんだけどね」
聞いていると段々腹が立ってくる。しかも親の話まで持ち出して。わたしは堪らずに、「あなた達が彼女にムカついてる事と、親は関係ない」って話を遮ってからドアを開ける。
「本人と親は別だとわたしは思ってるんだけど?」塔の中へ入り、目の前の階段下で立ち止まったわたしは、ついて来る後ろの3人へ振り向いて言った。
「で、でもイーリス! 君がスウィーティングに関わって良い事なんて絶対無い! 両親が純血じゃないのに!」パーキンソンが必死な顔で言い返す。
「だから? 純血じゃなきゃ会話もしちゃいけないの?」
「そうだよ。僕達は純血の中でも特に選ばれた存在なんだ。薄汚い血の混じった奴らなんて関わるだけで損さ。高貴な者には高貴な者が相応しい。魔法界の道理さ」トラバースも目をひん剥く勢いだ。
「イーリス、あなたには私達がいるわ! だからあなたが穢れた血に惑わされないように守ってあげる!」
必死過ぎてもう気味が悪い。目の前の3人に詰め寄られるわたしは、我慢の限界に達して負けじと睨んだ。
「わたしに指図してるの?」
わたしの言葉に3人は焦りの表情に変わった。
「そ、そんなつもりは……」
「僕らの家は、君の家の助けにもなれるし……」
「ブラック家のあなたと同等にいられるのは、私達しかいないわ。だから……」
「やめて!」
わたしが怒りから声を上げると3人は驚き、何かを言わなきゃと口を半開き状態にして硬直してた。まるで石になる呪文でもかけられたように。
「わたしが誰と付き合おうと会話をしようと、その相手を決めるのはあなた達じゃない。わたしよ。友達は自分で選ぶ。純血だとか違うとかそんなのどうでも良い。そんなにブラック家との繋がりが欲しいならどうぞ伯父上に媚びて。わたしに取り巻きは要らない。パーキンソン、トラバース、ロウル。今日までどうもありがとう」
さあ早くわたしの前から消えて。真っ直ぐに彼らを見つめて告げると、3人は顔色を悪くしながら慌てて階段を駆け上がって行った。
まだ言い足りなかった気もするけど、これでもうあの3人がわたしの取り巻きになる事は無くなったんじゃないかなって、凄くすっきりとした気持ちになった。だけどああいうのは彼らだけじゃないから、また同じような人も現れるかもしれないって思うとため息が出る。
わたしは階段には上らず、ドア付近に備えられてた長椅子に腰を下ろして休んだ。
「──ねえ、あの子がいたわ」
長椅子に座ったまま宿題の為に魔法薬学書に目を通していると、通りすがりの誰かの囁き声が耳に入る。また自分かもって思って無視しようとしてたら、そうじゃなかった。
「ゴーントだ」
「ほら、ゴーントってあの……だろ?」
また違う生徒の声。ゴーントは、確かアンの兄のセバスチャンといつも一緒にいるオミニスという男の子。その子の噂話みたい。自分の噂話くらいしか内容を知らないから、何を囁かれてるのかまでは興味無かった。
何人かが囁きながら歩いている中、階段を下りて来るのはそのオミニスだった。先端が赤く光って点滅する特殊な杖を前に出してるオミニスは、わたしの前を通って奥にある大きな窓の方へと1人歩いて行く。
不思議だ。彼の目は盲目だってレイエスが言ってたけど、あの杖で前が見えるのかな。なんて思いつつオミニスが歩いて行く先を見ていたら、そばに長椅子があるのに彼は床に腰を下ろして膝を立て、三角座りをしたのには驚いた。
え、何で──。どうして長椅子に座らずに床に座るんだろう。わたしは周りに目を向ける。アンやセバスチャンは、と見たけど、姿は無い。咄嗟に嫌がらせを受けてると考えたわたしは、見て見ぬ振りも出来たのに何だか気になって、急いでオミニスの前に立って彼を見下ろして言った。
「ねえ! あなた何でこんな床に座ってるの?」
わたしの声に身体をびくりと震わせたオミニスは眉尻を下げると、「その声はイーリス・ブラック?」って、怯えた顔をして左耳を軽く向ける。
「ええ。そうよ。もしかしてあなた、誰かにいじめられてるんじゃないかって思ったんだけど」
「いじめられてなんかないよ。僕は、この床に座るのが気に入ってるだけなんだ」
嘘でしょ? 気に入ってるなんて正気? ホグワーツにはハウスエルフがいるけど、それでも床は汚いのよ。
「気にならないの? 床は、ちょっと、みんなが歩くし……。あなただって、それなりの家で育ってきたでしょう? 嫌じゃないの?」
なるべく言葉を選びながら言う。わたしの知る限り、名家と呼ばれる家に生まれた人は床に座るなんてしてない。取り巻きしてたロウルなんか椅子に座るたびにハンカチーフを広げて座ってたくらいだもの。
「気になんかならないし、嫌じゃない」
「そ、そう……」
決して人に言われたからじゃなく、自分の意思で好きだから座っているという気持ちが感じられる言い方だった。人それぞれ、というものなのかな。彼が好きで座ってるのなら、これ以上それに対して口出ししないでおこう。わたしはそう納得して、オミニスの横にある長椅子に腰を下ろす。
「今日はセバスチャンやアンと一緒じゃないのね」
「2人は、エリック・ノースコットやネリー・オグスパイアといるから、だから僕は此処にいる」
「別の寮の子?」
「グリフィンドールさ。セバスチャンやアンには直ぐ友達が出来るんだ」
オミニスが言うように、2人は悪意の無い人達以外と仲良くなるのが早い。特にセバスチャンにはもう何人も友人が出来ていて、他の寮生達と楽しそうに話しているのを見た事が何度かあった。
「それならあなたもサロウ兄妹と一緒にいてノースコットやオグスパイアと友達になれば良いんじゃない?」
何で2人から離れてまでこんな床に1人でいるのか不思議に思ったから、特に深い意味なんて無くそう言った。
「僕──、僕は、ゴーントはみんなに嫌われてるから。だから……」オミニスは唇を噛んで顔を下に向けた。
「嫌われてる? 何故?」
ゴーント家が嫌われてるってどういう事なんだろう。だって彼の先祖はサラザール・スリザリンでその直系の子孫だから、「嫌われてる」の意味が理解出来なかった。むしろ逆なんじゃないかな、とさえ思う。
「まあ、あなたの家もわたしの家と同じように名家と呼ばれてる家だし、噂話には事欠かないわよね。そういうの、わからないでもないわ。媚びられたり、妬まれたりすることもあるでしょうけど、だからって別に────」
「同じじゃない!」さっきまで元気なく喋っていたオミニスが急に声を荒げた。
「君の家と僕の家は違う! 同じなんかじゃない! 君には絶対わからない。わかるはずもない!」
少しイラッとした。「わかるはずもない」って言われるのは、正直気に食わなかった。でも普段おとなしくて、セバスチャンの後ろをついて行くだけの男の子だと思っていたから、こんなに感情をむき出しにする彼を見て意外に思った。
「そうね。同じだなんて言ってごめんなさい。あなたもわたしも、名家の子供だから、周りから注目されたり、良くも悪くも言われたりする気持ちはわかるつもりで言っただけだから」
そう言って長椅子から立ち上がり、この場を去ろうとした瞬間──。
「……っう、ううう」
さっきまでの強気な態度が嘘のように、オミニスは突然、大粒の涙をこぼし始めた。
「え? な、何で?」わたしは思わず目を見開いた。
「ううっ、うっ、嫌いだ。君なんか大嫌いだ、イーリス・ブラック!」
待って。泣き出したと思ったら、今度はわたしに向かって「大嫌い」だって? その言葉にわたしは一瞬言葉を失った。しくしくと涙を流すオミニスを見つめながら、動揺が広がる。
「ちょ、ちょっと! 何で泣くの? やめてよ。わたしがいじめて泣かせたって思われるじゃない」
「ううっ、うう……」
わたしは周囲を見渡した。今のところ誰もこちらに気づいていないようでほっとした。それと同時に、早くオミニスから離れたくて仕方がなかった。急に怒り出し、突然泣き出した彼に少し腹が立ってきた。思わず、わたしはオミニスの前にもう一度立ち止まった。
「泣くのはもうやめて。あなたがわたしを大嫌いなのはよくわかったわ。でもね──」
オミニスが顔を下げて涙を流しているのを見たわたしは、その顔を両手で掴み、無理に上向きにさせると、制服のポケットからハンカチーフを取り出して少し乱暴に彼の涙を拭い取る。
「泣くのならね、誰もいないところで泣きなさい。わたしがもしいじめっ子なら、泣いてるあなたをもっと泣かせてやろうって楽しむわよ。あー愉しいって!」
わたしがそう言ってやると、白濁色の水晶のような目からは、もう涙は流れていなかった。そして、ハンカチーフをオミニスの顔に残したまま、わたしはその場を離れた。
階段を駆け上がると、胸の中の小さな怒りは徐々に薄れていった。今まで、媚びるような人が多かった中で、あんなにも直球で「大嫌いだ」と言われると普通はショックを受けるものだろう。けど何故か、不思議と悲しくはなかった。