ワルツは昏き闇の中で   作:あまてら

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Only our secret

 

 

 

「イーリス、また魔法薬学の教室へ行くの?」

「ええ、そうよ」

 

 午後の授業が終わり、自由な時間。スリザリンの談話室を通り抜けて寮を出ようとした時、談話室でセバスチャンとオミニスと一緒にいたアンが、いつものようにわたしに声をかける。

 アンには、シャープ教授の許可をもらって調合台を使っていることや、爆発した髪をおさえる薬を作ろうとしていることを話してある。だから彼女はわたしにしつこくついて来たり、必要以上に問い詰めたりはしない。

 

「今日は図書館に行かないから、後で大広間で会いましょう」

「うん! また後でね、イーリス」

 

 わたしとアンは手を振って別れた。いつものように螺旋階段を上がり、スリザリンの談話室を後にしたわたしは、魔法薬学の教室に向かおうと中央ホールを歩き、噴水の前を通り過ぎてそのまま左へは行かず、右へ進む。今日の目的地は、別の場所だった。

 鐘楼の中庭に出て歩く。通りすがる生徒達は、わたしをブラックだって認識しているけど、それ以上気にする様子はない。なのでわたしもごく自然にホグワーツの北門へ向かった。

 1年生は、用事がなければこの先へ行ってはいけない。だって、この先には『禁じられた森』があるし、3年生にならないと行けないホグズミードもある。わたしは立ち止まることなく、早足で歩き続けた。

 途中、他の生徒達とすれ違う。変に緊張したりおどおどして歩いていると目立ってしまうから、当たり前のような態度で歩くことにした。そうすれば誰にも怪しまれることはなかった。

 寒い──。冬の始まりを感じさせる冷たい風が、顔全体に当たって少し痛い。外へ出る前にマフラーを持ってくれば良かったって今更後悔した。

 

 暫く歩いていると、道の左に簡易な木の板に書かれた案内板が見えて、わたしは立ち止まった。

 此処は、『禁じられた森』への入り口だ。古びた小さな橋の前には鎖が張られているけど、その下をくぐれば簡単に入れてしまえる。

 どうしてわたしがこの入り口の前にいるのか。それは暗照草の為だ。

 ガーリック教授は、あの後メモを取ることは許さなかったけど、まるで自分の冒険譚を語るように大まかな場所を口頭で教えてくれた。

 その話の中には、場所を特定できる手がかりがいくつかあった。例えば、『禁じられた森の入り口付近』、『廃墟の横を流れる川のすぐそば』、『小さな滝』など。

 わたしはそれらを必死に記憶し、急いでスリザリン寮に戻ると、忘れないうちに羊皮紙に書き留めておいたのだ。

 禁じられた森へは入っては行けないと言われているけど、別に奥まで行かなければ良い気がするし、それに暗照草の為には仕方がないと思う。バレなければ。

 入り口の横に煙突飛行粉の発明者であるイグナチア・ワイルドスミスの肖像が飾られてて、こっちに向かって何かを喋っているけど無視だ。

 周りに人がいないかを確認したわたしは、急いで鎖の下をくぐって橋を渡った。

 渡って直ぐに人目につかないように草陰に隠れ、メモを書いた羊皮紙をポケットから出して確認する。真横には川が流れ、廃墟が見える。小さな滝はどこだろう。

 廃墟を右手に川に沿って歩いていくと、なるほど、小さな滝のようなものが見えた。

 なら、洞窟があるのはこの左側の筈だ。わたしはその場所へ向かい、壁のようにそびえる大きな岩に沿って奥へ進んだ。

 

「この辺りだと思うんだけど……」

 

 草や木を避けながら進むと、岩壁の一角に異様なほど生い茂った蔦を見つけた。もしかして——?

 向こうに何かが隠れているような気がして、蔦をそっと手でかき分ける。すると、人ひとりが通れるくらいの大きさの穴が現れた。

 ガーリック教授が言っていた洞窟、これに違いない。そう直感した。

 わたしはその洞窟に入る前に深呼吸をひとつすると、杖を取り出して「ルーモス」と唱えた。この中にきっと暗照草があるんだからって自分に言い聞かせる。でも、体や手が震えは止まらない。だって、洞窟の中は暗闇だから。

 中に足を踏み入れた瞬間、湿った空気が肌にまとわりついた。土や草、それに少し古びたような匂いが鼻を突く。外の寒さと比べるとまだ暖かい気がする。入り口と同じくらいの幅の通路を登って行く感覚で進むと、広間のような空洞へと出た。ルーモスの光がなければ、此処は完全な闇に包まれている。

 暗闇が恐ろしくてたまらない。考えないようにしながら、壁伝いに空洞を慎重に調べながら歩く。

 かさり。微かな音が近くで響いた。何の音なのかはわからない。でも、生き物の気配がする。

 わたしは息を飲み、その音の正体を探ろうとして、ルーモスの光を向けた。───蜘蛛だ。大小さまざまな蜘蛛が何匹か地面や壁を這っていて、光に気づくと、一斉に素早く闇の奥へと逃げていった。ガーリック教授が言っていたのは、この蜘蛛のことだったのかな? 

 

「インセンディオ!」

 

 突然後ろから炎の呪文が放たれ、驚いたわたしは思わず身をすくめた。

 炎は蜘蛛に向けて放たれたけど、一体誰が?

 杖を掲げ、ルーモスの光を向ける。闇の中から現れたのは、セバスチャンだった。

 

「セバスチャン? どうして洞窟にいるの?」

 

 何故セバスチャンが。頭が混乱して理解が追いつかない。

 

「それは僕が聞きたいよ! 君は魔法薬学の教室に行くって言ったのに、何で洞窟に?」セバスチャンはルーモスを唱え、辺りを気にしながらわたしに問いかけた。

「じ、自由時間よ、何処へ行こうと勝手だわ!」わたしはセバスチャンを睨みつけた。

「てっきり僕は、君がホグズミードへ行くもんだと思ってたのに」

「何でホグズミードなの?」

「だって甘いお菓子が大好きだって言ってたから!」

「わたしがお菓子の為だけに校則を破ると思ったの!?」

 

 ふざけないで。確かにお菓子は好きだけど、わたしはそんな単純じゃない。

 

「思ったよ! でも破るにしても、まさか禁じられた森に入るなんて!」

「別に森の奥まで行ってないし、こんなの入ったうちに入らないわよ!」わたしは腕を組み、ふんっとそっぽを向いた。

「だけどこんな洞窟に1人で来るなんて! 蜘蛛だっているし!」

「わたしは蜘蛛なんか怖くないの!」

「へえ。アンは蜘蛛が大嫌いだから、君も苦手なのかと思った」

「女の子がみんな蜘蛛を怖がるものだなんて決めつけないで!」

「き、決めつけたつもりはないし、そんなに怒らなくてもいいだろ!」

「怒ってないったら!」

「怒ってるよ!」

 

 言い合いを続けてくうちに頭は冷静を取り戻してて、そしたら別の疑問が浮かんできた。

 

「それよりも気になったんだけど。あなた、わたしの後をつけてきたんでしょう?」

「えっ……それは……」

「さっき、ホグズミードに行くと思ったって言ってたわよね? でもそれなら、北門を出るわたしを見ていないと、そうは思わない筈よ」わたしが問い詰めると、セバスチャンは観念したように小さく息を吐いた。

「……そうだよ。君の言う通り、僕は君の後をつけたんだ」

「どうして?」

「ただの好奇心さ。君は授業が終わると、いつも魔法薬学の教室で何かしているし、一昨日もその前も、そのまた前も……。昨日だって、ガーリック教授と二人でこっそり本を広げて話をしてただろう? それを見てたら、気にならない方が無理だよ。だから────」

「ちょっと待って。それって、ずっと隠れて見てたってこと? 気にならない方が無理? だったら何で声をかけないの?」彼の言葉を遮ったわたしは、驚きと疑念を込めて睨みつけた。

 

 友達も直ぐにできるし、人に話しかけるのに物怖じしないだろうに。何で黙って隠れて見ていたのか全然わからない。

 

「か、かけようと思ったよ! でも……」セバスチャンは、ばつが悪そうな顔をして口籠る。

 

 わたしはそんな彼を見て、ため息を吐きながら言った。「もういい」って。

 

「それじゃ、わたしは行くから。あなたはホグワーツに戻って」

 

 まだ入り口なのにこんなところで時間を無駄にするわけにはいかない。わたしはセバスチャンを置いて、1人で壁伝いに歩き出した。

 

「僕も行くから!」セバスチャンは慌てて駆け寄り、わたしと並んで歩き始めた。

「戻らないつもり? 禁じられた森や、蜘蛛がいるこの洞窟に入るのも、もしバレたら罰を受けるわよ?」

「僕だけじゃない、君も同じような立場だろ?」

「わたしは何とかうまくやり過ごせるし、自分の行動は自分で責任を取るわよ」

「だったら僕もそうする。それなら一緒にいても良いだろ? 君がこの洞窟を出ないんだったら僕も出ない。それに1人より2人の方が心強いと思うよ」

 

 バレた時に、罰を受けてしまうなら自分だけにしないとって思ったから1人で来たのに。でも、ここまでついて来たセバスチャンに何を言っても引き下がる気はなさそうだし、それに無理に帰らせて後で面倒なことになるくらいなら……。

 

「わかったわ。どうぞご自由に。でも、次に蜘蛛を見つけても火は使わないで」

「火を使うな? もし襲ってきたらどうするんだ? 小さいのだけとは限らないんだぞ。さっきのよりデカいのが潜んでるかもしれない」

「ちゃんと対処できる魔法があるの! それよりさっきあなたが使った魔法……、授業ではまだ習ってないのに。一体誰に教わったの?」

「教科書を読んで覚えたよ。頭の中で何度か練習したし、こっそり中庭で試したこともある」

「独学なんて凄いわね。難しそうなのに。でも、中庭で試すなんて大胆過ぎるんじゃない?」

「まだ見つかってないから問題ないさ」

 

 これまでセバスチャンのことは、アンの双子の兄としてしか認識していなかった。でもどうやら彼は、わたしよりも規則を破ることに抵抗がないらしい。

 アンもいたずら好きだけど、罰を受けるようなことは極力避けようとする。だから双子でも、性格は全く違うのだと改めて思った。

 

「入り口は狭いのに中は広いんだな」

「そうね」

 

 果ての見えない空洞を壁沿いに歩いた。湿った岩肌が続くだけで、草ひとつ生えてない。此処は本当にガーリック教授が入った洞窟なのだろうか。何だか不安になってきたかも。

「イーリス、そろそろ教えてくれないか? この洞窟に何があるのか」

「そんなに知りたいの?」

「ああ、気になって仕方ないよ」

「ふうん……。アンから、わたしが魔法薬学や薬草学の教室で何をやってるのか聞いてる?」

「聞いたさ。でも、教えてくれなかった」

「だから隠れてこそこそと見てたの?」

「悪かったって! ちゃんと謝る。もう二度としない。だから教えてくれよ」

「仕方ないわね……」

 

 わたしはため息を吐いてその場に立ち止まり、メモを書いた羊皮紙をポケットから取り出してセバスチャンに見せてあげた。

 

「わたしがこの洞窟に来たのは、暗照草という薬草を探す為よ」

 

 セバスチャンの視線が、羊皮紙に描いた暗照草の絵に留まった。絵に自信はないけど、自分としては上手く描けたと思ってる。

 

「これ、君が描いたの?」

「ええ。ガーリック教授に見せてもらった暗照草の押し花を思い出しながらね。小さな葉っぱはシダに似てて、花はスズランに似ていたの」

「……ちょっと、独特な絵だね」

「それって褒めてる?」

「ちゃんと褒めてるって!」

 

 セバスチャンは慌てて手を振り、わたしはじろりと彼を睨んで羊皮紙を折りたたんでポケットに戻した。

 

「そ、それで、その暗照草を見つけてどうするんだ?」

「自分が調合した薬に匂いをつけるの」

「におい? 薬にわざわざにおいを?」

「そうよ」

「誰かにいたずらするとか? でも、それならわざわざ洞窟まで来なくても、トロールの鼻糞の方がよっぽど強烈そうだけど?」

「嫌がらせする薬じゃなくて、わたしの髪につける薬だし、良い香りよ」

「髪につける薬の為にこんな洞窟まで? 嘘だろ? においなんて……。僕には理解出来ないや」

「別にあなたに理解してなんて言ってもないし、してもらわなくてもいい。わたしには大事なことなの!」

 

 わたしはセバスチャンから離れたくなって駆け足になった。

 

「ちょ、ちょっと待ってイーリス!」

「帰って!」

 

 人工的に削られた地面は、劣化して凹凸が激しくて走りにくい。空洞の奥へ進むと、入り口とよく似た細い通路が現れた。でもさっきの通路とは違って、こちらは緩やかに上へと続いてた。

 

「イーリス! 走ったら危ないって!」

 

 わたしが駆けると、セバスチャンもすぐに追ってくる。だからこそ、なおさら振り切ろうと必死になった。緩やかだった通路が、次第に険しくなっていくように感じられた。

 

「ついて来ないでよ!」

「君を置いて帰れない!」

 

 古くてガタガタの階段を駆け上がる。高い段もあれば、急に低くなったり。もう走れないかも。息が切れてきてふと後ろを振り返ると、さっきまで少し離れてた筈のセバスチャンが、直ぐそこまで来てて驚いた。

 

「……暗照草なんて、もう、興味ないんでしょ? ホグワーツに帰れば?」

「さっき僕が言ったことで怒ってるならごめん」体力の無いわたしと違って、セバスチャンは全く息切れしてない。

「もう怒ってないから」

「でも、1人じゃ危ないだろ」

 

 こんなやりとりを何回も繰り返しながら進んでいくと、また広い空洞に出た。セバスチャンにもう「帰って」って言う元気も残ってなくて、わたしは黙ったまま歩き続けた。

 洞窟に入ってから1時間以上は経ったと思う。

 ガーリック教授の話ではこんなに険しいとか聞いてないし、もっと簡単に見つかってたのに。

 ここまで来てこの洞窟が間違いだったなら──。もう、気絶するか大泣きするしかない。

 するとその時、横からカサカサと音がして、わたし達は同時に立ち止まった。小さなクモの足音、なんて生易しいものじゃない。

 

「……聴こえた?」セバスチャンが、わたしの背後で小声で言った。

「ええ。はっきりと」

 

 杖を持つ手に力を込めながら答える。でも、顔は向けない。

 ──何かがいる。多分、大きな蜘蛛だと思う。

 しかもわたし達の直ぐそばまで来てる。

 ゆっくりと、静かに。その動きが、むしろ不気味だった。

 

「……火は使うなって、本気?」セバスチャンの声が僅かに上ずる。

「本気よ。暗照草が燃えたら困るわ」

「いや、僕らが喰われるかもしれないってのに、薬草の心配?」

「対処できる魔法があるって言ったの、覚えてる?」

「え?」

「セバスチャン、あなたのルーモス、絶対消さないで」

「何を────」

 

 わたしは息をのみ、ルーモスを解いて直ぐに真横に杖を向ける。

 それは、わたし達2人よりも大きな蜘蛛────アクロマンチュラだった。

 

「アラーニア・エグズメイ!!」わたしは杖を構えて叫んだ。

 

 杖先から眩い白光がほとばしる。

 閃光をまともに受けたアクロマンチュラは、悲鳴のような音をあげて吹き飛ばされ、背後の岩壁に激突して鈍い音が響いた。それでも怯むことなく、足をばたつかせながら直ぐに立ち上がると、奥へ、そして上へと素早く逃げていった。

 

「さ、さっきの呪文って……?」唖然としたセバスチャンが、アクロマンチュラが去った方向を見つめて言った。

「この呪文は、巨大な蜘蛛に効く古い魔法よ」わたしは急いでルーモスを唱える。

「何でそんな魔法を君が?」

「それは────」

 

 父がホグワーツの学生だった頃、禁じられた森から現れたアクロマンチュラが、ホグズミードへ向かう生徒を襲った。

 偶然に居合わせた父はアラーニア・エグズメイを使って生徒を救い、ホグワーツ特別功労賞を授与されたのだ。

 それ以来、父はアクロマンチュラに興味を持ち、研究の為に退治した個体を標本にして書斎に飾っている。

 幼い頃から、わたしは透明な箱に収められた蜘蛛の標本を見せられていた。だから、蜘蛛を怖いとは思ったことがない。

 その標本の透明の箱には『アラーニア・エグズメイ』って呪文が書かれてて、見る度に自然と覚えていった。

 

「君だって凄いじゃないか。その魔法、インセンディオよりずっと難しい呪文だろ?」

「勝手に外には出られないし、やれることなんて限られてるから、仕方なく覚えただけ」

「どうして外に出られないんだ?」

「……それは、もう名前で、わかるでしょ?」

「ああ、君がブラック家のお嬢様だってこと、つい忘れかけてたよ」

「それはどうもありがとう」

 

 蜘蛛の脅威から逃れたわたしたちは、暗照草を探して再び歩き出した。

 

「ま、待ってセバスチャン。この匂い、わかる?」

 

 空洞を奥へ進むと、どこからか吹いてくる風に乗って、柑橘系のような香りが鼻をかすめた。

 

「匂い? それより、風が気になるんだけど……」

「きっと暗照草よ……!」わたしは胸が高鳴るのを感じながら、その香りを頼りに駆け出した。

 

「イーリス!」

 

 セバスチャンの声が背後で響いたけど、構わずに進む。空洞の奥には更に通路が続いていて、匂いはそこで一層強くなった。

 そして、目の前に広がったのは、無数に生えた暗照草だった。

 

 通路を抜けた瞬間、視界いっぱいに広がる暗照草が目に飛び込んできた。それは、押し花にされたのとは比べものにならないほど美しく、スズランに似た小さな花々が、淡い光をまといながら静かに揺れている。

 

「君は1人で突っ走り過ぎ────って、マーリンの髭!」

 

 セバスチャンの驚きの声が響く。わたしは、目の前の光景に感動して震えていた。

 

「セバスチャン!」わたしは感激のあまり、アンに抱きつくようにセバスチャンに正面から抱きついた。

「ガーリック教授が言ってた洞窟は此処で正解だった! わたし達、暗照草を見つけたのよ!」

 

 見つけるまで不安だったのに、本当に嬉しくて全ての負の感情が吹き飛んだ気がする。

 

「あ、採取しないと!」

 

 感動で終わらせる前に、暗照草を必要な分だけ採らないと。そう思い出したわたしは、セバスチャンから離れ、ベルトに巻きつけておいたスカーフをほどくと、包んでいたガラス製の保存容器を取り出す。わたしの顔くらいの大きさで、少し重い。

 走っている間に落ちないか心配だったけど、意外と頑丈みたいで良かった。

 

「花を採取するから、ルーモスの光をこっちに向けてくれる?」

 

 丸い蓋を外し、暗照草の前にしゃがむ。摘んだ花を容器に入れようとした。でもセバスチャンの光は、わたしの手元を照らすことなく宙をさまよっていた。

 

「セバスチャン? 何をしてるの? 早くこっちに来てよ!」

 

 彼はじっと何かを考え込んでいた。わたしが声をかけると、弾かれたように顔を上げ、慌てて駆け寄ってくる。

 

「ご、ごめん……」

「謝らなくていいから、光を消さないようにしててほしいの」

「う、ん。……なあ、ちょっと気になることがあるんだけど、聞いてくれる?」

「何?」

「あんな大きなアクロマンチュラが、餌も無いのに何でこんなところにいると思う?」

「うーん……やっぱり、何か食べるものがあるんじゃない?」

 

 わたしは暗照草のことしか頭になかったけど、セバスチャンは別の事に思考を巡らせてたみたいだった。

 

「風が吹いているなら、入り口以外にも外に通じる穴があるのかもしれない。小動物が出入りできるくらいの穴がね」

「その穴があったら何なの?」

 

 花でいっぱいになった保存容器に蓋をし、スカーフで包みながらわたしは問う。

 

「入り口に戻らずに、外へ出られる穴が近くにあるかもしれないってこと!」

「近くに?」

「イーリス、こっちだ!」セバスチャンは風を追うように、わたしの左手を掴んで突然走り出した。

「ちょ、ちょっと待って、セバスチャン!」

「もう花は集めただろ?」

「まだベルトに巻いてないの!」

「持ってればいいよ!」

 

 前を走るセバスチャンは、暗照草が生い茂る空洞を抜け、奥の岩壁の前で立ち止まった。

 

「行き止まり?」

「違う。この上だ」

 

 セバスチャンは顔を上げ、指さす。岩壁の上は段になっていて、そこから微かに風が流れているのがわかった。

 

「どうやって上がるの?」

「こっちだ!」

 

 彼は、階段と呼ぶには心もとない段差の岩の前に立つと、わたしの手を離し、軽やかに登り始めた。

 

「……わたし、入り口に戻って帰る」

 

 上った先に、別の出口がある保証はないし、それに……。

 

「確かめもしないで帰るなんて、もったいないよ」

「それはそうだけど……」

「僕が引っ張り上げるから、大丈夫。ほら、手を貸すよ」

「無理よ。光を消してしまいたくないの」

 

 登ろうとすれば、必然的に杖を仕舞わなければならない。そうしたら、わたしの恐れる暗闇に包まれてしまう。

 

「イーリス、もしかして君……暗闇が怖いのか? だからずっとルーモスを気にして?」

「……そうよ」セバスチャンの問いに、わたしは唇を噛んだ。

 

 言葉にするのは少し恥ずかしかった。だけど、セバスチャンは何も笑わず、むしろ安心させるように微笑んでる。

 

「だったら、君はルーモスを唱えたままでいい。言っただろ? 僕が引っ張り上げるって」

「……本当に?」

 

 思わず聞き返すと、彼は少しムキになったように笑った。

 

「できるって! さあ!」

 

 差し出された手を見つめるわたしは、杖を握ったまま、恐る恐る左手を伸ばして彼の手を掴んだ。

 

「大丈夫? 重いでしょ?」

「……だ、大丈夫!」

 

 わたしは彼より頭ひとつ分背が高い。きっと重くて大変な筈だ。でもセバスチャンは、そんな素振りを全く見せなかった。

 

「よし、次で最後……!」

 

 セバスチャンのおかげで、ついに上まで登りきった。わたしは両膝をつき、彼はその場で大の字に倒れたけど、直ぐに上半身を起こして立ち上がる。

 

「この先だよ! 外の光が見える!」

 

 セバスチャンはわたしの左手を取って立たせると、そのまま風の吹き抜ける通路へ駆け出す。わたしもセバスチャンの手を握り、彼と並んで走った。

 

「ホグワーツが見える!」

「外へ出たのね!」

 

 蔦のカーテンを抜けた先、わたし達が出たのは、洞窟に開いたもう一つの出口だった。

 洞窟の中をずっと登ってきたせいか、此処はホグワーツが見下ろせるほどの高台だった。

 空の太陽は沈みかけていて、月明かりがそっと辺りを照らし始める。

 湿った洞窟の中にいたから、冷たい風が少しだけ心地良く思った。

 

「左にホグズミードが見えるね」

「綺麗……。ねえ、セバスチャン」

「何?」

 

 わたしは杖を下ろし、そっと目を閉じて深呼吸した。そして再び目を開き、真っ直ぐに前を向いて言った。

 

「蜘蛛は平気だし、暗照草の為だって自分に言い聞かせて1人で来たけど、本当は洞窟に入るの、凄く怖かった。だから……」

 

 途中でムカついたりもしたけど、でも──。

 

「あなたが一緒にいてくれて良かった。本当に……ありがとう、セバスチャン」

「驚いた……。まさか君が僕にありがとうだって? 明日は嵐かも」

「はあ? わたしだって、ありがとうくらい言うわよ。アンにも言ってるんだから、聞いたことないの? もう……せっかく気持ちを込めて伝えたのに!」セバスチャンの手を離し、わたしは腕を組んでそっぽを向いた。

「冗談だよ、冗談。嬉しくてつい。……怒った?」

「怒ってない」

 

 そう言ってセバスチャンに顔を向けたわたしは吹き出した。

 

「あなた、鼻に煤がついてる!」

「えっ?」セバスチャンは鼻を押さえてわたしを見ると、同じように吹き出した。

「そういう君こそ!」

「え、嘘でしょ?」

 

 お互いに鼻を押さえる仕草が可笑しくて、わたし達は同時に吹き出して笑った。

 

「もう暗くなるからホグワーツに戻らないと」

「そうだね」

「此処から降りられる?」

 

 2人で高台から下を覗く。思ったより高い。セバスチャンが指さした先には、段差が続いていた。

 

「慎重に行けば大丈夫だよ」

 

 彼の言葉に頷く。でも、箒で飛べたらもっと楽だったかも。

 

「セバスチャン」

 

 降りる前に、わたしは彼を呼び止めた。言っておかなくちゃいけないことを思い出したからだ。

 

「どうした?」

「この洞窟のこと、蜘蛛を退けたこと、暗照草のこと。誰にも言わないでほしいの」

「誰にも?」

「そう。アンにも」

 

 セバスチャンの表情が、ほんの少し曇る。

 

「心配するから?」

「それもある。これは、この場所の事は、わたしとあなただけの秘密にしたいの。お願い」

「秘密、か」彼は呟き、わたしの目をじっと見た。

「……わかった。約束する。君と僕だけの秘密は、絶対に守る」

 

 セバスチャンが誰にも言わないと信じて、わたしは安堵のため息を吐いた。

 

「じゃあ、降りましょう」

「夕食に間に合うかな?」

「それよりも先にシャワーを浴びたいわ」

 

 まさかこの後、空腹のままホグワーツに戻った時には、既に大広間の食事が終わっているとは思いもしなかった。

 

 

 

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