クリスマス休暇は退屈だった。
ホグワーツに入学する前と何にも変わらないクリスマス。家族揃っての食事は形だけのもの。クリスマスイブには伯父の家に親戚で集まって晩餐会。楽しいのは大人達だけで、格式張ったこの集まりに子供は退屈で仕方ない。 ホグワーツに居残るアンとセバスチャンが羨ましい。
クリスマス当日の朝は、楽しくもないプレゼントの開封だ。
両親からのプレゼントは毎回似たり寄ったり。父はわたしに本を贈るけど、去年と全く同じ本だった。3年間同じ本だった時もある。母は、わたしが嫌いな髪飾りや、ブローチばかり。
でも文句を言ったりはしない。わたしに興味の無い両親に何かを期待するだけ無駄だと思う。
まるで流れ作業のようにプレゼントを開けていると、素朴な手書きのクリスマスカードが2枚出てきた。一枚はアンとセバスチャンからで、もう一枚はポピーからだ。わたしはプレゼントを隅へ置き、クリスマスカードへと集中した。
わたしのテンションは上がった。友人からのクリスマスカードなんて生まれて初めてもらったし、彼ら3人に送ったクリスマスカードも、勿論わたしには初めての事だったからだ。
アンとセバスチャンのカードには、どちらかが描いたらしいクリスマスツリーと、並んだ二つの雪だるまがあった。絵の下には「休暇明けが待ち遠しい。素敵なクリスマスを」と書かれていて、最後には二人の名前が並んでいた。アンの丸みを帯びた字の隣に、セバスチャンの少し乱れた筆跡。見ているだけで、胸の奥がじんわりと温かくなった。
ポピーのカードは、彼女らしい明るい色の紙に、野花のスケッチが描かれていた。多分、彼女自身の手によるものだ。「冬のあいだも元気でね、来年の新学期もまたよろしく!」と書かれていて、思わず笑ってしまった。
わたしはカードを大切に手帳に挟み、そっと机の引き出しに仕舞った。こんなに嬉しい気持ちになるなんて、少しも思っていなかった。
その後、家の中では淡々とした時間が流れていった。母は親戚への返礼状を書き、父は書斎にこもって何か忙しい。屋敷の外は灰色の空で、時折、雪がちらついていた。
わたしは窓辺の椅子に腰かけて、ホグワーツで過ごした日々を思い出していた。入学初日の出来事や、アンとポピーと友達になった事、セバスチャンと秘密を持った事、色々だ。
寂しさを感じるのに、不思議とその寂しさは、去年まで感じていたものとは違っていた。
今のわたしは──、『帰りたい場所』があるのだから。
そしてあっという間に休暇は終わりを迎えた。
外は一日中、細かな雪が降り続いていた。屋敷の外壁や木々の枝には白が積もり、まるで時間まで凍りついてしまったようだった。
暖炉の火だけが、ぱちぱちと音を立てて生きている。
わたしは火の前のソファに腰かけ、膝の上に手を置いた。荷造りは既に終えている。黒いトランクの上には、アンとセバスチャン、ポピーからのカードを並べていた。何度読み返したか分からない。
どれも短い言葉だったけれど、そこに滲む温かさは、父や母からの贈り物よりもずっと心を満たしてくれる。
母は今夜も伯母とワインを飲みながら談笑し、父は書斎に籠っている。
この家は広過ぎて家族で暮らしている筈なのに、誰の気配も感じられない。
昔はそれが寂しかった。けれど今は、もうその感情を自分の中で飼い慣らしてしまった気がする。
それでも、今のわたしにはホグワーツがある。
アンとポピーがいる。それに、爆発した髪をおさえる薬の完成も間近だ。家では作業するにも母の目があって出来ないしね。
そう思うだけで、胸の奥がじんわりとあたたかくなる。
火の明かりに照らされるクリスマスカードをそっと拾い上げ、わたしは微笑んだ。
「次に会った時、何を話そうか」なんて考えている自分に気づいて、少し可笑しくなる。
窓の外を見れば、雪はまだ降っていた。
空気が冷たいほど、明日の朝が待ち遠しかった。
年が明けて、新学期の前日。白い息を吐きながらホグワーツに戻ってきた。
「イーリス!」
スリザリンの談話室で久しぶりに会ったアンに抱きつかれた。アンに抱き締められて、やっと息が出来た気がした。不思議なほど胸が軽くなった。
新学期に入ると、わたしは途中で放置していた、爆発した髪をおさえる薬の完成に取り組んだりした。勿論、授業も宿題も手を抜かない。けれど頭の片隅では、ずっとあの薬のことばかり考えていた。
洞窟に入るわたしを尾行して来たセバスチャンと一緒に見つけた暗照草を、刻んで煮てみたり、乾燥させてみたり、擦り潰してみたり。どのやり方が1番匂いが出るか試して、結果で1番匂いが強まったのは、刻んで煮詰めたのだった。でも一応、それ以外に暗照草を擦り潰して液を搾るのと、乾燥させて擦り潰し、粉にしたもの、3つを用意して、どれが1番自分の髪質に合い、どれが1番良く香るのか検証してみる必要がある。
なので先ず、ほぼ完成してる『爆発した髪をおさえる薬』に、これら3つのやり方で用意した分量の暗照草を混ぜ入れ、調合して試作品にすると、一つ一つ試していくことにした。
「今回はこれよ…」
一週間を試す期間にして、先に使ったのは刻んで煮詰めて絞ったエキスを使用したものから。夜、寝る前に髪に塗り込んだ。指先に残るとろりとした感触と、爽やかでほんのり甘い香り。それに包まれていると、夢の中まで穏やかになれる気がした。翌朝、髪は爆発してなかったけど、匂いは完全に消えてて残念った。一週間試した結果、髪質は良好になるけど、匂いは持続しなかった。
続いては暗照草をそのまま擦り潰して液を搾り取ったもの。結果、髪質は良いけど、匂いは薬と混ぜ合わせると消えてしまい、使用する時にはもう殆ど消えてて残念だった。
最後に残ったのは、13日乾燥させて擦り潰し、粉にしたのを混ぜたもの。粉っぽさが残るかなって思ったけど、混ぜ合わせたら消えて気にならなかった。髪につけると、最初のと同様に匂いの広がりは良く、人を不快にさせる刺激も無いし、次の朝になっても、夜まで良い香りが持続した。
一週間使用してみた結果、最後に試したものが1番匂いが持続した。
試作品だけど、これはもう完成したも同然だって嬉しくて、全ての事を記録にしてまとめ、100センチくらいにまでなった羊皮紙を授業終わりにシャープ教授に読んでもらい、薬の入った小瓶も見てもらった。
ただし、暗照草のことは秘密にしないと罰を受ける事になるし、代用として柑橘系の果物を使用したということにして嘘を書いた。この調合方法と材料は、わたしだけが知り、わたしだけのものにしたかった。
「ほお…。君は完成させる事が出来たのだな、Ms. ブラック」
教授はまとめた羊皮紙に目を通し、小瓶の蓋を開けて匂いを確かめてる。
「はい。でもまだ完璧ではないです。乾燥するにあたり時間もかかるので、もっと短く出来たらと……」
「試しているのは自分の髪だけか?」
教授は小瓶を見つめながら問う。その問いに、わたしは思わず姿勢を正した。
「はい、勿論。自分の為に考えて作ったので。…ですが、この薬を自分で使用して、安全が確かめられた時には、わたしと同じような髪質に悩む人の為にいずれは製品化していけたらなと考えています」
本当は別にそんな事を考えてはいなかったけど、咄嗟になんとなくそう答えた。
「それはとても良い心がけだ。スリザリンに10点」
「ありがとうございます!教授」
褒めてもらえて点数までくれるなんて。期待していたけど、本当に嬉しい。父には一度も褒められたことがなかった。だからこそ、シャープ教授の言葉が胸に沁みた。
心の中で跳ねながら教室を出ると、セバスチャンがわたしが出て来るのを待っていた。
「良かったな、イーリス。しかも点数もくれるなんて!」
セバスチャンは、わたしと同じように嬉しそうな顔をして隣を歩く。
「当たり前よ。シャープ教授は、わたしの努力をちゃんと見てくださるもの」
そう言いながら、頬が緩むのを隠せなかった。
「それはそうとセバスチャン、あなたいい加減にこっそりと覗き見するんじゃなくて入って来て堂々と見ればいいじゃない」
あの洞窟での出来事以来、セバスチャンとはよく話すようになった。
けれど、あの後もセバスチャンは変わらない。
爆発した髪をおさえる薬を調合している時も、暗照草を混ぜ入れる時でさえ、こっそり覗いているだけ。
「べ、別に覗いてるつもりじゃなくてさ……その、誰かが入って来ないように見張ってたんだよ」
セバスチャンは顔を赤らめて、少し恥ずかしそうに言った。
「…見張ってる? 誰を?」
「ウィーズリーさ。アイツは鬱陶しいだろ? 絶対君の調合の邪魔になると思うんだ。アンも言ってた。だから僕は入り口でアイツが入って来ないように見張ってるのさ」
わたしは半ば呆れながらも、横目でセバスチャンの顔を見た。本気で言っているらしい。
確かにウィーズリーが入って来たことは一度もなかった。
「別に入って来ても無視するだけよ」
わたしはセバスチャンより一歩速く歩いた。背後で、彼が小さく息をつく音がした。
その日の夜、眠る前に『爆発した髪をおさえる薬』を髪に塗り、ナイトキャップを被ったところで、隣のベッドからアンがひょいと顔を出した。
「イーリス、良い匂いね」
彼女は鼻を近づけ、猫のように擦り寄ってくる。思わずくすぐったくて笑ってしまった。
この薬を試作した時、アンにはこっそり打ち明けていた。彼女はまるで自分のことのように喜んでくれたのだ。
「本当に良い匂いだわ」
向かいのベッドのロバーツも、嬉しそうに微笑む。
「みんな揃って同じことばかり言うのね。滑稽だわ」
鏡の前で髪を梳かしていたレイエスが、鼻で笑いながら言い捨てた。
「イメルダ、あなたも前に「良い匂い」って言っていたじゃないの?」
ロバーツが軽く笑うと、レイエスの頬がたちまち赤くなる。
「……と、とにかく! どうせ貴族ご用達の高価な香油を買って、自慢したいだけでしょ? 流石は『ブラック家のお嬢様』ね」
そう言ってブラシを鏡台に置き、誇らしげに腕を組む。
その一言に、アンが弾かれたように立ち上がった。
「この薬はイーリスが自分で頑張って調合したのよ! イーリスに謝って!」
その声が響いた瞬間、部屋の空気がぴんと張りつめた。
アンの顔から血の気が引き、彼女自身が口を押さえる。
この薬のことを知っているのは、アンとシャープ教授、ガーリック教授、それにセバスチャンだけ。
他の子達は、わたしがどこかの店で買ったものだと思っていたのだ。
「ご、ごめんなさい、イーリス……」アンが申し訳なさそうにうつむく。
わたしは小さく息を吐いた。
「別に、ずっと秘密にするつもりなんてなかったし。気にしないでいいわよ」
そう言うと、アンはほっとしたように笑って、勢いよく抱きついてきた。少し照れくさくて、でも嫌ではなかった。
「ちょっと! 本当に自分で調合したの?」
「薬って、どんなものなの? 隠さないで教えてよ!」
レイエスとロバーツが、興味津々といった様子で身を乗り出してくる。
さっきまで興味なさそうにしていたレイエスまで。
「ええ、自分で調合したの」
「どういう効果があるの?」ロバーツが更に身を乗り出す。
「朝起きたとき、髪が爆発しないようにする薬よ」
「まあ! そんなことができるの?」
「飲むの?」
「飲まないわ。髪につけるの」
「ヘアオイルみたいなもの?」
「そうね、近いかもしれないわ。香りも残るの」
ロバーツは目を輝かせてるし、レイエスは知らん顔をしながらも、ちらりとこっちを見てる。
爆発する髪に悩んでいたのは自分だけではなかったのだと、その時初めて気づいた。
ふと、シャープ教授の前で咄嗟に口にした「製品化」の言葉が脳裏をかすめる。
あれは思いつきで言ったことだったけれど──、もしかしたら本当にやってみる価値があるのかもしれない。
『爆発した髪をおさえる薬』を毎晩つけるようになってから、わたしの髪は見違えるほど艶を帯び、指通りも軽やかになった。勿論爆発もしない。
寝る前にその香りを感じるたび、胸の奥が静かに満たされていく。
あの不思議な本から知った匂い。
それはもう誰かのものではなく、わたし自身の香りとして、確かにここにある。
匂いの素となった暗照草を教えてくれたガーリック教授にも、次の授業で薬が完成したことを伝えないと。
暗照草のことは、シャープ教授と同じように秘密にしておくつもり。
寮の灯りが落ちた後も、その香りだけは、静かに枕元に残っていた。
短め