ということで今回はサブタイトルからして不穏に思われそうですが、実際楽しいと思える展開はあまりないです。
それでは本編をどうぞ!
「取りあえず、氷室さんが言うには次の公演は参加できる。その後に決めるってさ」
廊下を歩きながら、慶一がメッセージの表示されたスマホの画面を見ながら言った。取り敢えず、続けることだけは許してもらえたようだ。息をついて胸をなでおろす。しかし、話し合いではその事は明言されていなかった。
堅物と言う単語の擬人化たるあの男――氷室がそう簡単に考えを変えるのか、幸哉には疑問でしかなかった。
思考が纏まらず、先程からの暗い気分を引きずったまま話に耳を傾ける。
「――っ!」
慶一の表情が一変した。横に立っていた霧生も彼の持つ端末の画面に目を遣った。
「どうした?……そう来たか」
霧生が反応し、慶一が固まった表情で画面を見せる。画面には温度を感じない、冷徹さを感じる文章が表示されていた。
『現在から定期公演までの期間中に今永に問題行動・或いはその類が見られた場合、即刻契約を解除するものとする』
~~~
レッスンルームに到着すると、まだ人はいなかった。どうやら、自分たちが一番乗りのようだった。体育座りで床に座り込んだ。
それを見て、プロデューサー二人が言った。
「ちょっと資料取ってくる。待っててくれよ」
「私は別件があってね、ここでお別れだ」
そう言い残して部屋を出ていく。ただ一人が部屋に残されている中、部屋の扉が開いた。入って来たのは茶色がかった長い黒髪の少女。その姿に幸哉は面識があった。一緒にたこ焼きを食べた少女――北沢志保だった。
「……」
「あの、こんにちは」
幸哉が挨拶をすると、志保は表情を変えずに無言で会釈をし、そのまま離れて座ってスマホを見始める。以降は自分の存在が見えていないかのように話しかけもせず、ただ黙って佇んでいた。
そんな自分と志保の間が断絶されたかのような雰囲気の中、また扉が開いた。
「はぁ~っ……。はぁ……間に合った……」
息を切らしながら、大勢の人間が入って来た。恵美に奈緒、歩といった見知ったメンバーだった。入って来るなり開口一番、
「大丈夫やったん!?」
奈緒が急に近づいてきた。顔に汗が浮かんでおり、相当急いで来たのか、それとも焦っていたのかはわからない。大丈夫、とは話し合いの件について聞いているのだろう。
「はい、大丈夫……ですけど」
「よかった~~!!何かあったら相談してな!な!?」
そう言ってばっと手を広げて抱きついてきた。目には涙が少しだけ浮かんでおり、鼻を鳴らしてよかった、よかったと呟いている。
「ちょっと、困ってるからやめなって」
のり子が奈緒に抱きつくのをやめるように言った。流石にしつこいと感じたのか、渋々体を離した。そこに恵美が心配そうな表情で言ってくる。
「大丈夫?アタシも聞いたよ、プロデューサーの話。いけそう?」
「はい。でも参加していいなんて……僕をすぐ切ればよかったはずなのに……」
「そんなこと言わないの!さっき参加させてあげてってお願いしてきたんだ」
「そーそー!恵美ちゃんの名演説でゆきやんがライブに出ていいって取り付けちゃったもんね!さっすが~♪」
「やめてよー。だって……友達だもん。それくらいしなきゃ」
恐らく、氷室を説き伏せたうえで参加にこぎ着けてくれたのは彼女のおかげなのだろう。その尽力に感謝するため、頭を下げた。
「……ありがとうございます。僕なんかのために交渉してくれて」
「ど、どういたしまして。私たちは何もしてないけど……」
その時に後ろから声をかけられる。そこには歩に千鶴、そして初対面の長い黄金色の髪をした女性が現れる。
「千鶴さんに歩さん、それと……可憐さんですね」
「ごきげんよう」
「久しぶり」
「……知っててくれたんだね。私、
「今永幸哉です。よろしくお願いします」
「うん、よろしくね……」
可憐が自己紹介をして、恵美の横に座った。彼女は引っ込み思案な性格らしい。無理に話しかけるのはやめて恵美の方へ顔を向けた。
「大丈夫。頑張ってるところを見たらきっとわかってくれるよ」
そう言って微笑む恵美の顔を見ていると、黒い雲が立ち込めた心にすっと日差しが入り込むような感覚を覚えた。
そんな最中にも、次々と人が入って来る。
「お、みんな集まってるな。って……ん?誰だ?」
入口に目をやると燃えるような赤い色の髪を左右非対称に分け、右目元に青い星のフェイスペイント、服装はノースリーブに近い半袖という格好の人間が現れた。
その人物は幸哉を一瞥して怪訝そうに言った。
「なんだ、迷子か……?それか誰かの家族……?」
じっと観察するかのような視線を向けているのを見て、奈緒が耳打ちした。
「この子が優希やで。新人の」
「あぁ、なるほどな」
奈緒から幸哉へ視線を向ける。そして名乗った。
「っと、名前言わないとな。あたしはジュリア」
「今永幸哉です。初めまして」
「え?違うのか?名前」
「あれがアイドルとしての名前で、今のが本名です」
「そうか、だったらユウキって呼ばせてもらうぜ。その方が覚えやすいし。よろしくな」
ジュリアはそう言って話の輪に入って来た。彼女の目線の先には沈んだ表情の歩、何故かニヤニヤする茜、そして輪の中に入らず一人佇む志保の姿がある。
「なぁ、なんでそんなしょぼくれてんだ?あとアカネは何企んでんだよ」
質問に対して歩は俯き加減に答えた。
「さっきさ、幸哉がクビにされるって聞いて氷室さんを説得しようって言って来たんだ。ほんとめちゃくちゃ怖かった……」
「いきなりクビ!?そんなのありか!?」
驚きを見せるジュリアを見て、茜が明るい調子で喋り始めた。
「でね、恵美ちゃんのおかげでプロちゃんが考え直してくれたんだ♪今日はライブのお話があるんだよね」
「はぁ……、そういうことか……相変わらず石頭だな、あいつ」
呆れたようにため息をつくジュリアを見て、歩が彼女の方を見る。自分にとっての天敵を何とも思ってない様子に感嘆していた。
「すごいなぁ……アタシなんて名前聞くだけで心臓キュってなるのに」
「大げさだな。ああいうお堅いやつ、ビジネスパートナーぐらいでいいのさ」
「そうやって割り切れるの羨ましいよ……」
会話をしている間に続々人が入って来た。未来に静香、翼といった見知ったメンバー、杏奈に星梨花といった共演がまだのアイドル、響に真と先輩アイドルが部屋に集結する。
そして最後に慶一、そして怠そうな顔で何かをぶつぶつ呟いている鈴葉が入室する。その手には白い箱を抱えていた。
「プロデューサー……なんでそんな疲れたような顔してるの?」
「あゆだってそうじゃん……。何したらそうなんの……」
「氷室さんと話し合ったんだ。幸哉、やめさせられるんだって?」
「そー。あの規則おばけ、ほんとだるいって……」
「こら、発表するんだからしゃっきりしてくれ。みんな見てるんだから」
「あー……はいはい、わかりました。すごいねけーさん」
「その呼び方やめる」
緩いやりとりの中に出てきた「やめさせられる」というワードにアイドルがざわつき始め、その中で真っ先に未来が手を挙げた。
「幸哉くんがやめさせられるって、本当なんですか……?」
「あぁ、本当だよ。俺たちも反対はしたんだけど、予想以上にやめさせろ、って意見が多かったんだ……」
質問を受けた慶一が悲痛な表情で答える。自分の無力さを痛感するかのように顔を下に向けていた。沈んだ雰囲気の中、皆が同情や憐憫を向けるように慶一に視線を向けていた。しかし、一人だけよそ見していた人物がいた。志保だった。
「志保、よそ見しないー」
「……っ、すみません」
鈴葉が志保を窘めて前に向き直らせた。その後は彼女が話を始める。
「まぁやめさせられるっていっても一応次のライブ終わってからっていうし、それまでにやめさせようとする人らに見せつけてやる……じゃなくて、ライブの話始めるよ」
途中で自分の願望、もとい恨みのようなものがこもっている気がしなくもなかったが、話を切って慶一にバトンを渡した。
手元の資料をもとに、ホワイトボードに概要を書き込む。ライブの構成や楽曲、公演の日時や時間などでホワイトボードが埋め尽くされた。
慶一がペンで板書を指しながら説明する。
「はい、静かに!幸哉が気になるのはわかるけど、今から公演について話をするぞ。次の公演は前編と後編の二部制に分かれている」
「というわけで、今回はそこでやる曲メンバーの振り分けやるよ。くじ引きで決める形でやるから」
そのために箱を持って来たのだろう。折りたたみ椅子の上に箱を置いた。
「取りあえず、参加メンバーは今仕事があって来られない人もいるから先に引いてしまおう。くじ引いていってくれ」
はーい、とアイドルが返事を返して前に並び、箱の中に手を突っ込んでくじを引き始める。引き終わった者は素早く後ろに戻っていき、全員が引き終わり、床に座ったのを見てプロデューサー二人が発表を始める。
親しい者同士で組めたことに喜ぶ者や自分の意中の曲を当てられなかったことに落胆する者など、多様な反応が見られた。
組み分けの発表の途中のことであった。鈴葉が声をかけた。
「『Blue symphony』、歌う人三人誰?紙に黒ペンで丸書いてるから手ぇ挙げて」
慌てて幸哉は自分が引いた半分に折られた紙を開く。
そこには大きく、黒い丸が書かれていた。
「は、はい!」
「あたしもだ」
ジュリアも挙手し、続いて志保が手を挙げた。
「はい」
「おけ、幸哉とジュリア……え、……志保?」
鈴葉が息をのんだ。その様子に志保が立ち上がって彼女に近づき、くじの中身を見せた。
「どうしたんですか?私、黒引きましたよ」
「黒だったの、僕もです」
「あっうん、わかった……。でもこれ4人曲だから、今いないメンバー後で入れるね」
遠目で一瞬だったが、幸哉の視界に映っていた。
――志保の持っている紙に、黒い丸が書かれていたのを。
幸哉に視線を向けた後、すぐに逸らして志保はもといた所に戻っていった。
幸哉と志保、二人は面識こそあれど話をしたことは殆ど無いと言ってもいい。
そんな中で神の采配か運命の
〜〜〜
その後は予定などスケジュールの説明で時間は消え、お開きとなった。続々と退出する中で話は進退に関する話題になっていた。
「やめるって本当!?」
「はい。そうなるかもしれないです」
最初に聞いてきたのは響。汗を垂らして急接近してきた。後輩がいきなり解雇通知を出されたら困惑するのも理解できる。
その他にも、大多数のメンバーは戸惑いを隠し切れない様子だった。
「やめさせられるなんて……かわいそうです……」
「噓でしょ……?何も悪いことしてないのに……」
「なんであんな事言ったのかな……」
困惑する皆をなんとか収めようと、幸哉が皆の方を向いた。
「でも、話し合いをするって言ってたから、まだクビになってはないと思います。頑張ったら氷室さんも考え直してくれるかもしれない。そんなに気を落とす必要ないよ。頑張らないと」
意を決したように幸哉は言う。
そうは言っても、皆の不安は未だ拭い去れない。そんな中で静香が幸哉の顔を見る。
「あなた、志保とユニットを組むのよね」
「うん」
「うん、じゃないわよ。一回でも話したことあるの?」
「……ない」
「え?」
「ない。あんまりなかった……」
『えぇぇぇぇぇ!?』
一拍おいて、皆がどよめいた。啞然とするメンバーの中でジュリアが幸哉を見る。
「シホと会ったことあるのか?」
「ありはします。だけど……」
~~~
『北沢志保、14歳です』
『ああ、そういや同い年だ。僕も同じ14歳』
『そう……』
~~
「といった感じでしか話してないんです……」
「……まいったな。ほとんど初対面じゃないか」
説明を聞いて頭を押さえるジュリア。奈緒が難しい表情でうーんと考え込んでいる。
「せやな……未来と静香、歩とかと一緒にたこ焼き食べてたんやけど……あっち、あんま覚えてへんとちゃうか……」
「志保ちゃんって人と関わるの、ちょっと苦手みたいだもんね」
考察するかのような奈緒の台詞に、納得がいってしまう。名前すら言っておらず、そもそも覚えてもらえてない可能性すらある。
翼が言うように、志保は先程の集合からずっと輪に入らずに一人だったし、彼女は説明が終わるなりどこかに去ってしまった。
「そういえば、どうやってクビから参加していいってなったの?」
真が疑問を呈するように言った。それに幸哉はこちらも疑問を抱えたような表情で返す。
「よく分からないんですよ。霧生さんが急に『君のお父さんの名前は?』って言ってから状況が変わったんです」
「お父さんって、今行方不明の?」
「はい。霧生さんと氷室さん、僕のお父さんに恩義があったとかで……」
「恩人の子供だからってことか……」
「恵美さんが話をつけてくれたのもそうですけど、お父さんの話をしたら考え直してくれて」
「わかんなく……なってきた……」
杏奈が考え込んでいるのを見て、幸哉が安心させるように言った。
「たとえクビになっても、僕たちの関係が切れるわけじゃないよ。もちろん一番いいのは次のライブが終わってもアイドルでいられることだと思う。そのためにまずは練習、頑張っていきましょう」
「「おーっ!」」
幸哉の発言に皆が同意する。少しでも明るくしようと、皆が声をあげる。
その様子に、少しだけ安心感を覚えた。
〜〜〜
「う〜ん……はぁ〜〜……」
廊下を歩く慶一と鈴葉。鈴葉の方の顔は曇ってやや下を向き、嘆息しながら歩いていた。
「何があったんだ。ため息なんかついて」
「いやさ、さっきの組分けでさ」
「うん」
「幸哉と志保が同じ組じゃん。あれ、ある意味、最悪の組み合わせって感じだよね……」
「はぁ。どういうわけでそう言ってるんだ?」
「志保ってさ、とんでもレベルのバカ真面目でストイックだし、人と話そうとしないじゃん。あの子、ついて来れんのかな……」
「うーん……」
慶一が難しい表情をしながら呟いた。確かに志保と幸哉はほぼ初対面と言ってもいいレベルの関係。一から信頼を築くことは時間がかかり、また志保の人と関わろうとしない性格上、それも難航しそうな予感がする。
また進退問題も絡んでおり、結果
それ故に、次回の定期公演に失敗は許されない状態になっているのであった。
「ていうわけで今からしんどくなりそうな予感しかしないんだよね……」
「そうだな……俺たちも頑張らないと」
「だね~」
雑談をしながら廊下を歩いていたその時、
「きゃっ!」
「いたっ」
鈴葉が誰かとぶつかった。よく見ると追突したのは若い女性社員だった。ただ顔は青く、まるで生気がない。それでいてふらふらした歩き方で真っ直ぐに進めていない様子だった。
「すみません……」
「待って」
謝罪を口にしてそのまま立ち去ろうとする社員を、鈴葉が手を広げて止めた。
「でも、仕事が……失礼します」
「ダメ!」
「へ……?」
大声で制止する。その様にたじろいだのか、動きを止めた。そこに慶一が諭すように話しかける。
「大丈夫ですか?顔色が悪いんで一旦休みましょう。座れる所まで行きませんか」
慶一の提案に、女性社員は力なく黙って頷いた。
〜〜
ベンチと自販機のあるスペースで、慶一は社員に天然水を買って渡し、彼女に問うた。
「落ち着きましたか」
「はい。なんとか……」
冷えた水を啜って幾分か落ち着いた様子を見せてはいるが、未だに顔色は悪い。それどころか体が小さく震えている。
鈴葉が社員に問いかけた。
「どこの課の人?」
「広報課です」
「そっか……」
広報課。その言葉に二人は聞き覚えがあった。以前の会議で、新人――幸哉の採用に反対した者たちの集まりであったことを思い出す。あの時は排斥しようとする動きを見せていたが目の前の女性からはそれを感じない。
それどころか何かに恐れ
女性社員を見て、鈴葉が声をかける。
「大丈夫?すごい気分悪そうだけど」
「いえ、気にしないでください。私が要領悪くて仕事が進まないから……」
「仕事と言いますけど、何かあったんですか?困ってるなら相談してくださいね。課は違っても同じ社員ですから」
慶一の言葉に、女性はしばらく口を
「え……?」
「それ、ほんとに……!?」
「……そうなんです」
話の内容に、二人は驚きと戦慄を隠せなかった。
彼女が言うには、自分もあの会議に参加していたこと。そこで新人を擁護する発言をしたことがきっかけで自分に課される仕事量が増えたり、逆に仕事を振ってもらえない社員がいたりすること。そして会議以降、残業が増え定時で帰れた日が少ないということ。
この三つが、話の主な内容だった。話の内容に、慶一と鈴葉が顔を見合わせる。
「もしかして……」
「ああ」
――パワーハラスメントだ。
今の話では憶測の域だが、そう呼べるような話だった。ハラスメントの特徴と一致している。広報課だけでなく、他の部署にもそのような事が起きているかもしれない。
しかし、今は目の前の同僚を助けるのが最優先だ。
慶一は立ち上がって、女性社員の方を向いていった。
「今日は早退した方がいいですね。自分達も一緒に伝えますから」
「え、でも……」
「めちゃ顔色悪いって。このままやってたら倒れちゃうよ?」
「一緒に頭下げますから。取りあえず行きましょうか」
「大丈夫?立てる?」
「……ありがとう、ございます」
社員が小さな声で礼を述べた。
鈴葉が女性の手を取って支え、三人はオフィス部屋の方へと歩いていった。
暫く歩いて、広報課の部屋へとたどり着いた。劇場内にはステージ以外にも多数のオフィス用の部屋があり、広報課も劇場に拠点を構えている。
「失礼します!プロデュース課の相河です」
扉を二回ノックして来訪の意を告げる。どうぞ、と声が聞こえて三人は部屋へ入室した。しかし、そこには目を疑いたくなるような光景があった。まず慶一が助けた社員はもちろん、その他の一部の若手社員の顔色が良くない。明らかに過剰な量の仕事を押し付けられていると感じられ、忙しく動いている。
そして上役らしき社員が部下の行動に目を光らせ――いや、監視しているかのようで、怒鳴るなどのことがないとはいえ、明らかに社員達が萎縮している。
しばし目の前の光景に呆然としていたが、慶一が近くにいた上役らしき中年男性に声をかけた。
「すみません、今少しお時間いただけますか?」
しかし中年男はどこか不愉快そうな目で慶一と鈴葉を見る。女性社員はその視線に怯えて鈴葉の後ろに引っ込んだ。
「はぁ……プロデュース課の方が何の用ですか?」
「実は、この方が体調不良で早退したいと言っていまして。許可をいただけますでしょうか」
「今のまま働かせてたら体調不良で倒れると思うので、お願いします」
慶一が女性社員を指し、鈴葉もいつもの態度が消えて真剣な面持ちで伝える。しかし、男はそんな三人を見て面倒くさそうな顔で吐き捨てた。
「この忙しい時に何てことを……。いいでしょう。ただ休んだ分の仕事は誰がするんです?」
「は……?」
男は女性社員を労わったり、憐れむ素振りすらなく淡々とした口調で言う。目の前の苦しそうな社員に何の感慨もない様子だった。
その台詞に対して言葉を失ったがすぐに上司の男に目を向け、
「どういうことで」
「早退するなら早く行ってくれないか。忙しいんだ」
「……失礼しました」
発言の理由を問おうとするも、鬱陶しそうな態度で遮られる。
突き放すような言い方に憮然となったが、今は助けるのが先。余計な口を挟まず、礼を述べて早急に部屋を出た。
ガチャン、と音を立て扉が閉まる。何てことだ、と慶一は先程の上役の部下に対するぞんざいな扱いに、愕然とし顔には出さないものの、心の中では怒りに火がつきつつあった。拳を爪が食い込むくらい握り、怒りをこらえていると
「……この子、駅まで送っていくから。適当に言っといて」
そんな慶一を見て鈴葉が短く伝えた。女性社員も小さく「ありがとうございました」と頭を下げ、彼女に手を引かれてこの場を後にした。
――これから、どうすればいいんだ。
慶一は頭を押さえて小さく息を漏らす。
幸哉が危機に陥り、社内でもパワハラの疑惑が浮上した。
これからの定期公演、いや765プロに暗雲が立ち込めはじめているのを、嫌でも感じることができた。
〜〜
翌日、定期公演のレッスンの初日。運動着を女子アイドルとは別の部屋で着換え、レッスンルームへと移動し部屋に入る。
「幸哉くんだよね?久しぶり!」
「可奈、もしかしてメンバーだったり?」
「うん!一緒に頑張ろうね!」
部屋には以前食事をした矢吹可奈の姿があった。彼女もレッスン用の服に着換えて体操をしており、その最中に話しかけてきたみたいだった。
言葉に肯定して返し、少し離れて幸哉も体をほぐしながら雑談を始める。
その最中で、ある人物を見つけた。志保だった。
昨日と同じように、一人でストレッチをしておりこちらに目を向けない。可奈が話しかけても「そうね」「ええ」としか返事を返さない。それどころか幸哉に対する話しかけはゼロだった。
このような相手とユニットを組むことに対して不安を抱いていると、
「うわぁぁぁっ!」
扉の方から甲高い声が聞こえた。声の方向を見ると、開きっ放しの入口に人間が突っ伏していた。
しばらく経ってからその人間はゆっくり立ち上がり、膝を手で払って頭を掻いた。
「あはは……びっくりさせちゃった」
「春香さん!?」
なんと転んだのは春香だった。倒れ方がおかしいと思ったし、足の方が心配になってくる。そう思って声をかけた。
「大丈夫ですか!?派手にいきましたけど……」
「えへへ、大丈夫……。いつものことだから……」
春香は舌を出して笑っていたが、「いつものこと」といってもあの転びようではアイドルどころか日常生活をまともに送れているか心配になる。
「春香?また転んでいたのね」
「あ、千早ちゃん。別にどうってことないよ」
「そう。……もしかして、あなたが……」
「はい?」
次に入ってきたのは背中まで伸びたロングヘアーのスレンダーな女性だった。
千早と呼ばれた少女が幸哉を見る。目を向けられ、もしかして自分か、という表情になる。
そんな状況の中、千早が名乗った。
「自己紹介をしないと。私は
「今永幸哉です。よろしくお願いします」
「ええ。これから一緒に頑張りましょうね」
千早が軽く頭を下げる。そこに可奈が春香を見て言った。
「もしかしたら、春香さんと千早さんって」
「そう!次のライブ、私たちも出るんだよ」
春香が言うと可奈は驚きと嬉しさを隠せないのか、満面の笑みで喜びを表現している。
「次のライブ〜♪春香さんたちと一緒のステージ♪やった〜!」
喜色満面で歌い出す可奈。彼女の様子に微笑む春香だが、幸哉はそうではない。むしろ春香という先輩と共演することに身が引き締まる思いだった。千早に関しても、彼女の事は動画を見て知っている。だからこそ、二重の緊張で胸が締まる。
「?」
春香と千早は、幸哉の様子をストレッチをしながら遠巻きにそれを眺めているだけだった。
いかがでしたでしょうか。問題だらけの船出となりそうな26話でした。薄々感づいている方がいらっしゃると思いますが、第3章は暗い展開が全面に出る章となります。
光ある所、影も潜むということですね。
次回は「揺れ動く765プロ」という題名でお送り致します。
それでは、次回のお話も楽しみにお待ちください。