作品タグに明記してありますが、今回「原作の登場人物に対するアンチ・ヘイト」に該当する表現がございます。予めご理解いただき、それらが苦手な方はブラウザバックすることをおすすめします。
赤字で記したように読者の皆様が不快に思われるような要素を含んでおりますので、お読みになる際は十分にご理解いただいたうえでお読みください。
それでは、始まります。
「うーん、どうしよ……」
「レジ活も詰まって来たね〜……」
765プロの劇場、その中を悩んでいるような表情で廊下を歩く亜美と真美。
彼女達は今仲間である幸哉を助けるレジスタンスの活動の最中であり、そのメンバーとして加入していた。
しかし、いつも快活でアイドルやプロデューサー達に
どんよりした雰囲気の中、廊下を進む。その途中で三人の少女を見つけた。
百合子、可憐、そして紗代子だった。
「ゆーり!どうしたの!?」
「泣いてるじゃん!」
「あ、亜美ちゃん……」
三人のもとに駆け寄り声をかける。返事を返したのは百合子だった。目元を潤ませ、口元が歪んている。
目の前で啜り泣く彼女に寄り添い、自身も目元を拭う可憐。そして戸惑いと困惑に彩られた表情の紗代子。
見て、と紗代子が壁の方を指で差した。
指の先が示す方向を見る。そこには貼り付けてあったはずの模造紙が真ん中から破かれ、残すは壁にテープが貼られた部分だけが残っていたのだった。
「見て、紙が……」
「破かれてる……!」
目の前の光景に驚きを隠せないどころか、もはや慄くかのように体が震え、声が出せなかった。
自分達のやってきたことが見るも無惨な形で破壊され、爪痕を残していた。
破られた貼り紙を見た瞬間、足に力が入らなくなり、亜美と真美がその場に膝をついた。
「あ、あ……」
「なんで…やぶいたの……?」
状況を受け止めきれなくなったのか二人の頬を涙の雫がつう、と流れる。
頬を伝う雫は徐々に大きくなり、大粒の涙が顔を濡らしていた。
「真美たち、ゆっきーのためにがんばってたのに……!」
「誰がやったの…?ひどいよ…。教えてよ……」
そこまで言って泣きじゃくる亜美と真美の問いに、紗代子が答える。
「私たちが来た時にはもう…。誰が破ったかもわからないの……!」
いつもは気丈かつやる気に満ち溢れる立ち振舞いの彼女の目から涙が溢れ、ついに嗚咽混じりの声を漏らしはじめる。
この場で心を痛めなかった者は、誰一人いなかった。
「な、何してるの…?それに泣いてるし……」
「律子さん……」
泣きじゃくる五人の横を通り過ぎようとする人物がいた。律子である。その姿を見た双子が彼女に縋り付いて離そうとしない。
「りっちゃん……」
「あっ、ちょっと……何かあったのね?」
「うん……」
亜美と真美、そしてこの場にいる三人を律子は真剣な表情で見回す。ただ事でないことを感じ取り真剣に接し話を聞き込む。
話を聞いた律子は軽く頷いて言った。
「今まで貼ってた紙は百合子たちが書いて、社員の人たちに意見を伺っていたのね。だけど今日来たら破られていたと」
「……はい。勝手に貼って、ごめんなさい……」
「いいえ、責めるわけじゃないわ。あれ、私も賛成に貼ってたの」
「……そう、なんですね」
百合子を見て頷き、残ったメンバーを見回す。未だに涙は涸れず流れたままでいる。
律子は泣きじゃくる亜美と真美の頭を撫でて落ち着かせ、三人を見て言った。
「流石にやってることが嫌がらせに近いわね。誰が破ったか他の人に聞いて来るから」
「嫌がらせ……?」
「そう。あなた達がやっていることを邪魔しようとする人がいるかもしれないってこと。私が行ってくるから、皆は手を引いたほうがいいわね」
「でも……」
「これ以上深入りしたらもっと傷つくことになるかもしれないわ。私に任せて」
律子は百合子、そして取り巻く人間達の目を真っ直ぐ見据えて言葉を伝える。それが素直に効いたのか、五人は礼を言ってその場から立ち去っていった。
亜美達を見送った後、律子は深く息を吸っては吐いてを繰り返し、廊下を歩き始めた。暫く歩を進めて辿り着いたのはオフィスのあるフロア。
「おや、これは秋月さんではありませんか。どうされました?こちらに霧生プロデューサーはおりませんが」
「いえ、少し気になることがあって聞き込みをしている最中ですね」
男性社員が律子に応対する。社員ではない人物の来訪に周囲の目が集まり始めた。そんな最中に顔をしかめた男が近づいて来た。姿勢を正して目の前の男に問いかける。
「あの」
「何かね。ここはオフィスです。勝手に入っていい場所ではありませんよ」
多少嫌そうな男の態度に疑問を覚えながらも、律子は相手の顔を見て質問した。
「廊下の貼り紙の件ですが、どなたか破られたことを知っている人はいらっしゃいますか?」
「――知りませんね。子供達のしたことに何も本気になる必要はないでしょう」
「……え?」
相手の言葉に耳を疑った。否定の言葉には、まるでこの状況に関わりたくないという意思を感じる。
「でも、それを貼った人は泣いていましたよ!無関係でいるわけには……」
「ははは。アイドルの貴女が口を出すよりご自身のことをなされては?」
「そういったことは我々の管轄外ですので……」
「面倒事に巻き込まれると仕事に支障が……」
律子は食い下がるものの、周りは笑ったり白を切る素振りを見せたりと質問に答えようとしない。
「……」
上下の歯がぎり、とこすれる。
レンズの奥の瞳には、舐められたことに対する怒りとはぐらかされたことに起因する不信、そして今の状況を打破すべきという使命感が宿っていた。
これ以上は無駄。そう判断して相手に背中を向けた。
「……わかりました。お忙しいところお邪魔してすみませんでした。失礼します」
「ふん」
男は一貫して嫌悪感を隠そうとせず、鼻を鳴らした。
部屋から出て、律子は服の胸ポケットから灰色の棒型の物体を取り出す。物体の中央にあるボタンを押すと先程部屋で起きた会話の一部始終が再生されていた。
「録れたわ。でも、何か引っかかるなぁ……」
一連の会話を聞き、律子は首を傾げてはいたが一つの確信を得ていた。
〜〜〜
「ごめ〜ん。遅くなった。買い物してて……」
「もう、いつもそうなんだから」
玄関の扉を開けて、鈴葉が入ってくる。右手には酒や料理の入ったエコバッグを提げていた。悪びれることなく謝罪した彼女をこのみが窘める。マンションの一室にはこのみ、莉緒、そして優愛がいた。
荷物をおろし手を洗った所で机の傍に寄り合って座る三人の内、優愛が難しい表情で俯いていた。彼女の顔を見た莉緒がにこやかな表情で見つめる。
「どうしたの?何か嫌なことでもあったのかしら。だったら話、聞いてあげるわ♪」
「そ、そうですね」
「何あったん」
「ひゃっ」
見つめられた優愛は返事を返すも、依然として表情が変わらない。その様子を見た鈴葉が優愛の肩に手を回して近づき、先程と同じ質問を投げかけた。
「ねぇ、何かあったでしょ」
「え、あ…その……」
「話して」
顔を突き合わせ、短くも重たい言葉で揺さぶりをかける。それに対して優愛は観念したのか「わかりました」と小さく呟き服のポケットからスマホを取り出す。
その様子を見たこのみが優愛に問いかける。
「何かあるのね?」
「はい。でも今から流す内容、皆さんにとって不快になるかもしれないんです。この間、録れてしまったものです」
「録れた?」
「……プロデュース課じゃない女の人たちが私の近くで話してて、それで録りました」
「その時録れたんだ」
「それでも、聞きますか?」
その問いに対して、優愛が自分以外の三人を見渡して問うた。
「聞かせて。パワハラかもしれないし」
「一応聞いてみましょう」
「そんなに言うくらいなら、大切なことなのよね?」
三人の言葉に頷き、優愛がスマホを操作する。レコーダーのアプリから再生のボタンをクリックした。ややくぐもった音質で女性の声が流れ始める。
『莉緒ってやつ、最近調子乗ってる感じしなーい?胸チラとかしててさぁ』
『ヤバぁ。そんなんで人気出るんだ』
『セクシー(笑)って感じじゃん?見てるこっちはスベってるのまる分かりだし』
『絶対偉い人に媚びてそう〜。やだ不潔ー!』
「え……?」
自分の親友に突如投げかけられた悪口に、このみが思わず声を漏らした。そんなことがあっても録音された音声は容赦なく続いていく。
『馬場このみだっけ?あの人大人ぶってる子供みたいだよね!』
『チビの癖に偉そうにしてんのムカつく~』
『今永くんとかいうやつめっちゃ『ザ・陰キャ』って顔してるよね〜』
『見るだけでテンション下がるー。そんなんだからいじめられてたんじゃない?噂だけど』
『あんなのがアイドルとか無理無理!速攻チャンネル変えちゃう!』
『そいつのせいで余計な仕事増えるし。最っ悪』
「はぁ?」
顔をしかめる鈴葉。自身が先輩と慕うこのみを愚弄し、年上として少なからず面倒を見てきた幸哉に対する人格否定。その二つを大層不愉快な表情で聞いていた。
『ていうかプロデューサーって楽勝そうだよね。子供のご機嫌取りが仕事なんじゃないの?あのサボりの姫柊でもできるんだからさぁ』
『なのに自分達大変です〜みたいな顔してるし。てかさっきの発言とかネットに書くなよー?訴えられたらクビなっちゃうって』
『私はお金さえもらえればどうでもいいっていうかー。アイドル興味ないし。別にどうなったって知ーらない』
『ヤバいって。度胸ありすぎ!』
甲高い笑い声と同時に再生が終了した。
その笑い声は、楽しいや嬉しいといった感情ではなく、誰かをこき下ろし、嘲笑うかのような下卑た悪意を含んでいた。
「ざっ……けんな!」
再生の終了と同時にだん、と机を叩く音が響く。音の方向に目を向けると鈴葉が拳を握って憤然とした表情を作り、体を震わせていた。
ふと莉緒の方を向いた。先程の悪口を聞いてしまったが故に心配になったからである。
「泣いてる…」
「わたし…大丈夫、だから…!」
莉緒は笑ってごまかそうとするものの、涙の雫が光っており自分に向いた謂れなき誹謗中傷に心を傷つけられているのがわかる。
「好きでこんな身長じゃないわよ。でも莉緒ちゃんの悪口なんて!」
「ごめんなさい。こんなの聞かせてしまって……」
「優愛が悪いわけじゃないし。まさか社員の方に敵がいるとかなんなのマジで!あとそんなサボってないわ!」
鈴葉が涙する莉緒を慰め、頭を下げている優愛に気にしていないと伝える。そして自分に飛んできた流れ弾に怒りを露にした。
彼女の隣に座るこのみもまた表情に険しさが生まれていた。
しんとした部屋の中には莉緒が啜り泣く声が響き、それを彼女の良い所を言ったり優しい言葉をかけたりで慰めようと三人が代わる代わる話しかけていた。
〜〜~
千早と行ったレッスンから日が経った。随分と長い期間ユニットを離れてしまったが、一人でも出来る練習や他のアイドルに協力してもらいダンスに歌に研鑽を積んできた。
全ては、公演の成功のため。
着換えてレッスンに向かっていると、女性が一人声をかけてきた。
風花である。いつもの柔和な表情で対応していた。
「こんにちは。今からレッスンなの?」
「はい。そうですけど…、風花さんはお仕事ですか?」
「ううん、今日はお休みだけど家にいるのもどうかなって。皆が頑張ってるところが見たくて来ちゃった。ところで……体の方は元気?」
「え、まあ元気です。早寝早起きして三食食べてますけど…。どういうことですか?」
質問の内容を探ろうと問う幸哉に対して、風花はいつものように穏やかな笑みを崩さずに答えた。
「私元々看護師をしてて、それで体調が悪かったりケガしてないか気になる時があるの。幸哉くんも体には気をつけてね」
わかりました、と返事を返して風花を見た。看護師という病気で苦しい思いをしている人々の傍に寄り添い、献身する、その姿勢こそが彼女の原点なのだろう。今も優しく微笑む風花を見ているとそう思える。
「……」
「志保ちゃん…?」
会話をする二人の目の前を志保が通り過ぎて行った。
無言で去る彼女の足取りはどこか覚束ない。汗が浮かび顔が赤く、不調をきたしているように見えた。
その様子を見た風花が言った。
「……志保ちゃんが心配だからついて行っていい、かな?」
「お願いします。何かあったら大変ですから」
風花に頼み込む。
今の様子を見て問題ないと言えるほど、鈍感ではない。風花を連れて控室に足を運ぶ。そこには既に未来や春香、静香や可奈、翼といった共演するアイドル達が集合していた。
幸哉の姿を見た未来が駆け寄って来た。
「おかえり~!みんな待ってたんだよー」
「あなた今まで何してたのよ。いきなり練習を離れるとか言って……」
「ごめん。その分すごいことするつもりだから」
「すごいこと?」
「そう。前よりはレベル上げられたと思うから見てて」
「風花さんも一緒なんだね。見に来てくれたんですか?」
「うん。あと志保ちゃんが心配で……」
静香の指摘を素直に受け入れる。自分の力不足がユニット、それどころか共に公演に出るメンバーに迷惑をかけてしまったのも事実。
それでもなお、自分の実力を向上させパフォーマンスで志保に見直してもらいたい。そして本番でファンに自分の姿を見せて氷室も自身の解雇を考え直してくれるのではないか、と期待を抱いている。
春香が風花を見て言った。彼女は志保に目を向け、心配と不安が入り混じった様な表情をしていた。当の志保は依然として返事を返さず俯いたまま座っている。先程からずっとそう。一言も発さない。
「顔色悪いよ、大丈夫?」
「…」
「なぁ、無理するなよ。今日は休んでもいいと思うし、また合わせる日くらいあるさ」
「ジュリアさん……」
「こないだからずっとそうやな……。返事せえへんときあるし」
「流石に心配ね。今日はユニットの動きを見る日なのに……」
「……別に何もないわ」
「少しでも調子が悪いならすぐに言ってね」
可奈やジュリア、奈緒、風花が声をかけるが大丈夫、としか言わず座っている。ただならぬ様子を幸哉も感じているが今どうするべきか分からず、周りに目を向ける。
千早の姿が目に入った。同じく志保と組んでいる者同士であるからこそ何か知っていることがあるかもしれない。そう思い立って声をかける。
「何かありました?さっきから北沢さんの様子が……」
そう言うと心配そうな面持ちでいる千早も口を開く。
「先日からずっとこの調子で…。あなたについて聞いたら何故かとても驚いたような顔をしていたの」
「え…?」
「幸哉も何かあったみたいね」
千早の言葉に軽く返事をする。真と海美と一緒にランニングに行った日に志保と一度顔を合わせたことがあった。その時は自分の顔を見られた際に、何故か大いに動揺していたのを覚えている。
志保の心中に何があったのか、今は推し量ることができなかった。
千早とジュリア、そして志保。自分が組むメンバーと合流した。
今回はユニット毎に様子を見るらしくそれぞれ別室でテストを行うらしい。そのために次々と自分達以外のメンバーが部屋を移動していった。
残された四人のうち、ジュリアが話しかけてきた。
「今まで一人でやってきたのか……。大丈夫だったか?」
「はい。動きは動画で見たり、千早さんとかから教えてもらったりしてました」
「自信あるんなら大丈夫そうだな」
「…本当はもうちょっと早く戻った方がよかったんですけど、自分の力を上げたくて。……迷惑でしたか?」
「いいえ、私が提案したことだからそんなこと思ってないわ」
そんな会話の中、ジュリアの視線は千早に向いていた。
「なぁチハ、ユウキに色々教えてたのか?」
「そうね。歌に関しては私が教えた時があったわ。それ以外は他の人から教わったり、自分でも出来ることをやっていたりしたみたいね」
「なるほど、今日はパワーアップのお披露目ってところだな」
「これまで迷惑かけた分、しっかりついていきますよ」
「……それならいいわ。早く行きましょう」
志保が短く伝えて、一足先に部屋を出ていった。先程から様子がおかしいのに他人が声をかけても生返事しか返さない。三人で互いに顔を見合わせる。
様子がおかしいことは千早とジュリアも理解しているようで、アイコンタクトを交わして交わして志保の後を追い、風花もそれに倣いついて行った。
会場はレッスンルーム。ユニットの状態を審査するかのように歌やダンスの講師、そして慶一が座っていた。
「久しぶり。練習、頑張ってるみたいだな」
「見に来てくれたんですね」
「最近あまり構ってられなくて…。その分、ユニットの動きを見るのが仕事だし、今日はしっかり目に焼き付けるよ」
最近は顔を合わせる機会も減っており、お互いに忙しいのだ、と納得して。
「もうじき定期公演になります。みなさんには今のユニットの完成度を見させてもらうということで相河さんに来ていただいてます」
「本番に近い段階になったからこそ、今のみんなの出来を見て判断していこうと思っています。頑張っていきましょう!」
「「はい!」」
慶一の言葉に皆が返事をしてレッスンが開始される。今日は本番の直前ということもあって皆の表情は真剣。幸哉も例に漏れず講師の説明に耳を傾けていた。
ここからが正念場だ、と意識してふと周りを見渡す。先程からつい志保の方を向いてしまう。何かを抱え込むかのような表情で説明を聞いている。ずっと見てしまい講師から口頭で注意された。
講師達の説明が終わり、遂にレッスンの時間となった。準備体操を始めて体を入念にほぐし、最初はユニットの完成度を見る為に個人の完成度を見ることから始まる様子。
「それではまず一人ずつ見ていくつもりです。練習は本番のように、ということを忘れないようにしてください」
「「はい!」」
講師に名前を呼ばれ、それぞれが練習して身につけたパフォーマンスを披露していく。その様をアイドル達が見つめている。
他人が披露する最中、幸哉は自分を落ち着かせるように胸に手を当ててみせる。体力作りに付き合ってくれた真と海美。ダンスの楽しさを教えてもらった歩に響、エレナ。
そして、同じユニットの仲間であり歌を教わった千早。
これら全員の思いを胸に、今日までの練習の成果を披露する。
「今永さん、お願いします」
「はい!」
講師の声に大きな声で返事をして立ち上がり三歩ほど前、空いたスペースに移動して気を付けの姿勢で立つ。
それと同時に周りの注目が自然と幸哉に注がれるようになった。
審査に参加した慶一もじっと見据えている。
視線を一身に浴びる中、講師が音楽を流し始めた。
次回の公演で披露するユニット曲――「Blue symphony」である。
「――!」
イントロが流れると同時に、部屋の空気が一変した。伸びやかな声が響き、聞く者の鼓膜を揺らす。女性だけが歌っていた原曲に男声のボーカルが加えられることで大いに変化するのではないか。そういった期待を抱かせるような心を打ち、染み入るかのような歌声。周りは驚きに満ち、目を見開いて幸哉に注目していた。
歌ばかりに集中せず、ダンスも意識する。徐々に上がるテンポに合わせて腕を振る。複雑な動きは多くないもののその分誤魔化しは効かない。音に体を任せて楽しむように体を動かす。
「わぁ」
「上手に、なってる……」
「すごいわね」
曲がサビに差し掛かる頃、盛り上がりは最大に達した。
よそ見をする者は誰もおらず、幸哉に目が釘付けになっていた。目を見開き、一挙手一投足を見逃すまいと注目を集めている。
そこには今まで自分の力量に悩んでいたとは思えない程、堂々とした姿がそこにはあった。
自らの成果を示すように歌い踊り、曲が遂に終わりを迎えた。
音楽が流れを止めると同時に手の甲で額の汗を拭い姿勢を正し、相手の反応を待つ。
瞬間、部屋の中に大きな拍手が響き渡った。その音に思わず驚いて周りを見回す。講師が、慶一が、そしてアイドル達が、皆一様に惜しみない拍手を幸哉に送っていた。
「――っ、すごい歌声の伸び、それでいて息も切れてない……」
「とても素晴らしいパフォーマンスを見せてくれました!一人で練習することが効果あるなんて…。相河さん!」
「はい。練習の成果が十分に出てましたね。本番もこの調子でよろしくな」
座って見ていたアイドル達も尊敬し称賛するような眼差しで言葉を贈る。
「すごかった~!めちゃくちゃ上手だったね!」
「見ない間にとても良くなってる……」
「めっちゃええ感じや~ん♪」
「幸哉くん、すごい……」
「…ありがとう。本番もこの調子でいけたらな……」
称賛の言葉に照れくさそうに礼を述べ、元居た場所へと戻っていく。確かな成長を実感しながら座っていると出番が進み、志保の名前が呼ばれた。
先程と違い、心配の眼差しが彼女に向けられる。
異様な雰囲気の中、曲が始まる。
「ねぇ、これって……」
「やっぱり大丈夫じゃなさそう……」
志保のパフォーマンスは一応形こそ保っているものの、どこかぎこちなく動きが固い。所々で振りが遅れたり歌い方が弱かったりと安定感を欠いているかのような様子だった。
幸哉もそれを感じ取った。このままだといずれ何かしらアクシデントが起きる。そう思い向こう側で審査している講師達に向かって声を張り上げる。
「音楽止めてください!」
「――えっ?」
驚いたのか慶一がパソコンを操作して音源を止めた。周囲の目が志保から幸哉に変わる。先程まで踊っていた志保も目を向けて問うた。
「今永くん、急に、何を……」
「北沢さん!」
そこまで言った途端、志保の足がふらつき、床に倒れそうになった。このままでは頭を打ち付けて普通に休むどころか病院に行く可能性がある。
倒れそうな所を支えるべく、幸哉の足が勢い良く志保に向かっていった。
「――っ!」
早く動いたことが幸いして床に倒れる前に体を支えることができた。現在、幸哉に体を預け力なくうなだれている。
そこに風花がやって来て志保の額に手を当てた。
「発熱しているみたいです。医務室まで運ぶお手伝いをお願いできますか?」
「はい。歩けそう?」
「……」
風花と講師が幸哉から志保の体を離して二人がかりで体を支え、部屋を出て行った。
「親御さんに連絡だ!ちょっと行ってくるから戻るまで待機しておいてくれ」
慶一もまたアクシデントの対応のため、駆け足で退出する。
先程の騒ぎが嘘のように、部屋は静寂に包まれていた。
~~~
志保が倒れた後、部屋の中で残された人々が座りながら話をしていた。レッスンは少しの間中断となり講師や慶一が対応に追われている。その中で話題は先程医務室へ送られた志保のことが中心となっていた。
「志保ちゃん、一体どうなっちゃうんだろ……」
「――本番まで日が空いてるといっても少ししかないわ。ユニットの練習の時間がとれるかしら……」
可奈が不安を露わにし、静香が危惧するような口ぶりで話す。彼女の言う通り、全員が揃わないと足並みを揃えることは難しい。しかも今回はユニットで公演を行うことがメインになっているため下手を打てば観客が落胆しかねない。
千早が責任を感じているのか申し訳さそうな態度で口を開いた。
「私が幸哉みたいに強く言っておけばあんなことには……」
「ううん、千早ちゃんは悪くないよ。でもさっきからの幸哉くんすごかったね」
すごかった、とは先程のパフォーマンスから異変に気づいたことをいうのだろう。春香の言葉に素直に頷く。
「ありがとうございます。……『助けなきゃ』って思った時、体がスッと動いたんです」
「すごーい……。幸哉くん、いつも誰かを助けてるね」
「そうかなぁ。北沢さん、大丈夫だといいけど…。今までユニット外れてたし、その辺りどう思ってるのかな」
「大丈夫!今ので志保もわかってくれると思うよ。だって幸哉くんが練習頑張ってたからさっきのすごいダンスと歌になったと思うんだ」
「一緒に練習してた時もすっごく真面目だったよ!絶対ライブ~、成功させよ~っ♪」
そんな懸念を振り払うように未来が明るい表情で幸哉を見る。可奈も歌いながら励ましてくれる。静香に翼、周りのメンバーも期待を寄せるような眼差しで見つめている。
その思いに応え、本番でも最高のパフォーマンスを見せていく。
「ありがとう。それと本番まで時間がないけど頑張っていきましょう!」
「「おーっ!」」
声を合わせて、意思を一つにする。
できることを確かめたところで講師が帰ってきてレッスンは再開となった。
〜〜〜
「……」
暗い自分の部屋の中で、志保は目を覚ました。自分は熱を出して倒れたはず。
自分が最後に見た光景、それはユニットを組む少年――幸哉の姿だったことだけは覚えている。
額に手を当てた。何故か熱は引き、身体の怠さも今は消えている。メンバーに連絡をしようとスマホを探したが、見つからない。固定電話を使おうとリビングに出た瞬間だった。
「おとうさん、おかえりっ!」
「ただいま。今日はいいものを買って来たぞ」
そこは志保が今も住んでいる団地の一室。毎日のように見る風景だった。しかし、その風景に些か違いが明らかになっていた。目の前には夕食を作る母親。ベビーベッドに横たわりきゃっきゃと声をあげるまだ乳児だった陸、自分とよく似た女の子の姿。
そして、女の子に抱きつかれる男の姿があった。
「これって……」
何の変哲もない、家族の生活風景がそこにはある。しかし、志保は自分一人だけが疎外されたような違和感を感じていた。
「志保にプレゼントだ。はいこれ」
「なんだろう……」
女の子が渡された袋の封を開ける。中に入っていたのは黒い猫の人形。志保が普段身につけている品と同じ物だった。
間違いない。あれは幼い頃の自分と父親だ。志保はそう確信し、二人の様子を観察する。
父親は未だにもう一人の自分――幼い志保に目をかけており顔が見えない。
「わぁっ!ネコさんだ。買ってくれたの?」
「あぁ。志保が見たら喜ぶと思ってね」
「えへへ…。おとうさん、ありがとう!」
どういたしまして、と父親が言って幼い頃の志保に背を向けて去っていく。それを現在の――十四歳の志保は陰から見ていた。自分と同じ人物がいるという異様な状況の中、志保の心に衝撃が走った。
「――!」
父親の顔が見えた。それはあの少年――幸哉と似た相貌と雰囲気を醸し出していた。
先日から抱えていた既視感の正体は、まさにそれが理由だった。
顔つきは壮年の男性のものであったが、所々に類似する点が見える。
優しい声、時折見せた笑顔。それら全てが記憶の底に眠っていたものである。
(お父さん…私よ、気付いて!)
志保が心から呼びかけるも、父親はおろか周りの人間全てが声に反応するどころか存在に気づいてもいない。
せめて触れるだけでも、と手を近づけた瞬間、その手は父親の体をすり抜けてしまった。
「――!」
まさか、と一つの確信が頭をよぎる。
リビングに戻り、母親の方に向かって呼びかけるも気付いていない。触れようとしてもまたすり抜ける。ならば陸、そして自分に触れようとするも触ることができなかった。
志保は自分の存在が世界から消えたようにすら感じていた。
全ては、幻。
幼い頃の自分も、家族の姿も、そして父親も。そこに実体はない。
「あ、あ……」
それを理解した瞬間、体が震え、地面に膝をついた。
目が虚ろになり、呼吸が浅くなる。
どれだけ待ったとしても、家族が志保に気付いてくれることはなかった。
〜〜〜
レッスンが休憩に入り、水分補給し手と顔を洗ってトイレを出たところでふと志保の様子が気になってしまった。
医務室に運ばれたはずだと思い、その方向へと足を進めていた時だった。
「あの……、すみません。医務室はどこですか」
「はい、何ですか?」
後ろから声をかけられ、相手を見ようと振り向く。
そこに立っているのは一人の女性。黒髪を肩口で切り、鞄を持ってオフィスカジュアルの服に身を包んでいる。
働く女性、という形容が合致するような姿であった。その人物の顔は、志保によく似ていた。医務室ということは志保に用があるのではないか。そう思って声をかけてみた。
「もしかして、北沢さんのお母さんで……」
「そ、そうです。765プロは女の人だけがいる事務所と聞いているけど、どうして男の子が……」
「僕もそっちに用があるんです。一緒に行きませんか?」
「はっ、はい……」
流石にアイドルであることを明かすわけにはいかない。食い気味に誘い掛け、女性――志保の母を連れて行く。
劇場内の施設にそれほど詳しい訳ではないが、早く連れて行かなければという一心で足を進める。
歩くこと少しして、医務室とプレートが掛けられた扉の前に立つ。
ノックして扉を開けた。部屋に設置されたベッドには額に冷却シートをつけられた志保が横たわっている。
どうやら、病院に運ぶほど症状は重くなかったらしい。
志保の母がぱあと表情を明るくし、安堵の息を吐いた。
「あぁ、良かった……。相河さんという方から連絡があって、この男の子が案内してくれたの。志保、立てそう?」
母親が呼びかける。
しかし次の瞬間、とんでもない言葉が志保の口から飛び出した。
「おとう、さん……?」
「!?」
どういうわけか涙の雫が流れており、目の前の幸哉に手を伸ばそうとしている。
「志保。この人はお父さんじゃないの。――まさか……」
「――え?」
母親が諭すように言った。志保の表情が悲しげなものになる。しかし何故幸哉を「お父さん」と呼んだのか。混乱する頭をなんとか落ち着かせようとするが胸がざわつきそうもいかなくなっている。
「ありがとうね、連れて来てくれて。行きましょう」
「どういたしまして。……お大事に」
志保の母が礼を言う。それに対し返事をした。志保は母親の肩を借り、医務室を出て行った。一人残された幸哉は今はレッスンの休憩時間であることを思い出し、足早に部屋を去った。
〜〜〜
志保が倒れて一夜が明けた。廊下を風花、そして氷室が並んで歩いている。
「北沢の容態は」
「はい、昨日親御さん…彼女のお母様がここに来られて、相河さんが車でお家まで送り帰して行きました。志保ちゃんが熱を出したときに医務室まで運んだので…。数日は安静に」
「――大事に至らなくて何よりだ。……事の顛末は?」
いつものごとく事務的に処理する氷室に対して風花が概要を伝える。
「テスト中に幸哉くんが異変に気付いて音楽を止めさせて、倒れそうな所を支えたんです」
「……今永か」
会話の最中、出て来た単語に氷室の眉が動く。
そして風花が懇願するかのように氷室に向かって言った。
「幸哉くんは体調の悪かった志保ちゃんのことをすごく心配していて、助けたんですよ。そんな優しい子を、どうして追い出そうとするんですか……?」
悪いことばかり立て続けに起こった回でしたがいかがでしたでしょうか。今回のような誹謗・中傷に類するような表現は今後も出る予定です。気分を害されたようなら申し訳ございません。
次回のお話で、3章は最後となります。