君と奏でる幸せの音   作:賀茂川泰伸

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お久しぶりです。最近は暑い日が続いていますがお元気ですか?世間はお盆休み。なのでゆっくり本作を読んでいただければと思います。
それでは本編をどうぞ。


第37話 優愛の苦悩

「定時だー!金曜だし今週は休日出勤ないし何しようかな〜」

「楽しそうだな、姫柊」

 

 夕方の五時半。終業のチャイムが鳴り、社員達が帰り支度を始める時間になった。プロデューサー陣も例に漏れずパソコンを閉じ荷物を鞄に詰めていく。

 

「最近は大半が問い合わせや外部への対応といった仕事が多く、残業せざるを得ない状況だったな」

「ほーんと、オーディションで落とした子の親からうちの子を落として男なんて採るのかなんて言われた時はびっくり!そんでクビにして娘を入れろとかギャンギャン言ってくるからモンペ*1かよって感じ」

「それ俺にも来たな…。何回も何回も。覚悟はしてたけど実際にあるとこたえるよ」

「だが、逃げずに応対したのは素晴らしいことだよ。もっと誇るといい」

「クレームをもたらした遠因が何を言うか……」

 

 疲れの色を見せる慶一を霧生が褒め称え、横にいた氷室が呆れたように彼を見る。冷徹な鉄仮面を崩さない男も週末ということもあってか若干の疲労が見てとれる。

 金曜日の終業、それは社会人や学生が心待ちにする時間。オフィスの外から明るい声が聞こえてくるのは765プロも例外ではない。断片的であるが飲み会や土日の予定について話す人々の声が聞こえていた。

 

「帰ろう。週末で業務は終わらせた、これ以上ここにいる理由はないだろう?」

「ですね~。かーえろっ」

 

 霧生の言葉に鈴葉が同意する。それに関しては皆同じことを考えていたのか、手早く支度を進めていく。――ただ一人を除いては。

 

「優愛ー、行くよ?」

「私、もう少し残っていきます。やらないといけないことがあるので」

 

 そう答えたのは優愛。彼女だけ帰り支度をしておらず、書類や筆記具が机に置かれたままである。表情はどこか固く、何かを考えているように見えた。そんな彼女に霧生が近づいていった。

 

「今日は残業はない。早く帰って体を休めてはどうかな?」

「いえ、決めたことなので。お気持ちだけ受け取っておきます」

 

そんな言葉にも、優愛は表情を変えずに返す。その様子にこの場の全員が彼女を訝しんだ。いつもならはきはきと返事をして指示に従うはずが今日は何故か異常なまでに落ち着いた口調で拒否している。

 

「ほんとにいいの?明日休みだけど?」

「……。いいんです」

 

鈴葉の問いにも返答を変えることはなかった。いつもと様子が違うことに、この場の全員は何も言えなかった。

 

「根を詰めすぎるなよ」

「消灯と鍵閉めは任せました」

「はい。お疲れ様です」

 

 代わるがわる声を掛け、バタンという音と共に部屋の扉が閉じられ、オフィス内に静けさが訪れる。そんな中優愛は俯き机の天板に目を落とす。彼女の瞳は潤んでおり、ぐっと握った手は震えている。何かが心を揺るがしているのか、その場から身じろぎすらせず固まっている。

 

「……」

 

やがて机に雫がぽたり、と落ち小さく染みを作る。誰もいないオフィスの中で、優愛は一人呟いた。

 

「強くならないと……。今までの私じゃ、ダメ……!」

 

~~~

 

「ドントムーブです!これじゃモデルになりませんよぉ!」

「そうは言ってもしばらくこのままはきついなぁ……」

「大丈夫…?ロコはいいから、一緒に遊ぼ……」

「アンナ!横から口を出さないでください~!」

 

 ある日の劇場の控室。いつも通りアイドル達が集まる部屋で幸哉は立たされていた。しかも何故か女装であり、アイドルとして活動する際に付けているウィッグを装着し舞台用の衣装に着換えさせられている。少し恥ずかしげな様子で佇んでいる所にヘッドホンを付けてスケッチブックを持った少女――ロコが声を飛ばす。彼女の手にはデッサン用の鉛筆が握られており、女装した幸哉をモデルとしていたようであった。

 

「急にモデルになってくれって言ってたけど、なんでロコは僕を描こうって思った?」

「ボーイッシュな中にフェミニンなオーラを感じたんです。クールとキュートがユナイトしたなユキヤのアピールポイントをロコのアートでリアライズしようと思いました!」

「何言ってるか全然、わかんない……」

 

 横で眠そうな顔でゲームに興じていた杏奈が呟く。それもその筈、ロコの言葉遣いが横文字を交えた……というよりほぼそれで構成された独特なものであったからだ。これでは話の本質を捉えることが難しい。そう考えながら幸哉は彼女の方へ目を向ける。

 

「ええと……それってつまり、僕を絵で表現しようってわけなんだ」

「イグザクトリーです!」

 

 ロコが大きく頷く。その目は楽しみを見つけたように光を帯びている。話し方も明るく上向いていることで彼女が絵を描くことや装飾することに熱中しているのがわかる。現に言われた通り姿勢を直した幸哉に向き直って紙に鉛筆を走らせる様子は、誰も邪魔できない一つの聖域を創り出していた。

 暫く無言で筆を動かしていたが、「いいですよ」と声を発してポーズを解かせる。どうやら描き終わったようでモデルになっていた幸哉と横で見ていた杏奈がロコに近づいていった。

 

「できたの……?」

「はい!エクセレントなアートになりましたよ♪」

「見てもいい?」

「どうぞ。しっかりルックしてくださいね」

「うん。――わぁ……」

 

 手渡されたスケッチブックに目を通すと、思わず感嘆の声が漏れた。そこには凛々しい表情でポーズをとる幸哉の姿がありありと描かれており、今にも動き出しそうなまさに「命が吹き込まれた」と形容するに相応しい仕上がりになっていたのである。

 

「すごい。こんな姿なんだ……」

「でしょう?クールなスタイルが上手く表現できました!」

「幸哉くん、いつもかっこいい、よ……」

「ありがとう。そうかなぁ……」

 

ふと発した疑問に杏奈が頬を染めて答える。思わず褒められてしまったことで幸哉の心も跳ねた。少し恥ずかしげにスケッチブックを持つ姿に少しときめいてしまったからだ。杏奈の表情に心が揺れていていると不意に部屋の扉が開いた。

 

「おはようござ……ふぁぁぁぁぁっ!!!」

「亜利沙さん!?」

 

やって来たのは亜利沙だった。部屋に入って幸哉を見るなり叫びを上げてかっと目を見開いている。他の二人も驚いているのか目をぱちくりさせている。

 

「ゆ、ゆゆゆ……優希ちゃんが目の前に……。今はお休み中だと聞いていましたが……!衣装着てくれるなんてなんて運がいいんでしょうか!!」

「いきなり、なに……」

「杏奈ちゃん!その手に持ってる物はなんですか?ロコちゃんもいるってことは……」

「はい。アートのモデルになってもらいました♪」

「見せていただけますでしょうか!?」

「……」

 

亜利沙が杏奈の持つスケッチブックに目をつけた。自分も見てみたいのかすぐさま近づいていく。しかし杏奈は顔をしかめて持っているそれを取られまいと抱えながら相手を見据えた。

 

「気軽に、触らないで……」

「ひいっ!!」

 

 聞くだけで底冷えしそうな低い声で親の敵でも見たかのような鋭い視線と共に威嚇し、亜利沙が恐れをなして一歩後退る。幸哉とロコがあまりの様子の変わりぶりに驚き固まっていた。

 杏奈と亜利沙、両者の間は数秒の間開いたまま動きが見られない。

 

「……見せてあげようよ。絵はひとり占めするものじゃないと思うんだ」

「うん……。そこまで、言うなら……」

「ほんとですかっ!?」

 

しばらく動けずにいた状況で幸哉が声をかけ、杏奈がしぶしぶ絵を亜利沙の方に向ける。絵を見た瞬間目と口をかっ開き、体が震えた後に叫びを上げた。

 

「め、めめ…、め……!」

「?」

「メロ過ぎて滅ッ!!」

「え、めろ……?」

 

 突然飛び出した初めて聞く言葉に驚きながら亜利沙を見る。彼女の表情はまるで欲しかった玩具を買って貰った子供か、はたまた神が目の前に舞い降りたかのように目が光り輝いていた。

 この場の視線を集めたまま、亜利沙が興奮した様子で喋り始める。

 

「王子様的凛々しさとお姫様みたいなふわっと香るメルヘンな雰囲気…。二つがベストマッチしたこれはもはや芸術作品の枠を跳び越えた聖画!エントランスの額縁に飾りましょう!いいですよね!?」

「グッドアイディアです!」

「……名案♪」

「えぇ〜……」

 

 亜利沙の提案にロコが乗っかり、それに杏奈が同意する。たかが絵一枚でここまで持ち上げられることに幸哉は困惑の声を漏らす。称賛もそうだが、舞台衣装と女装をさせられていることで羞恥心が勝って顔が赤く染まる。

 

――早く着替えさせてほしい。

 

そう思っていた瞬間、部屋の扉が開いた。

 

「あ、みんな……衣装、持って来ちゃったの!?」

「プロデューサー!今はユウキのアートを……」

 

 入って来たのは優愛だった。この中の誰かに用事でもあるのだろうか、目の前で起こっていることに怪訝な目を向けた後に驚きの表情に変わった。

 絵を見てもらいたいのか、ロコが飼い主を見つけた子犬のようにスケッチブックを持って優愛に近づく。

 しかし、そんな彼女を優愛は平静とした目で見つめ、こう言った。

 

「ダメだよ。衣装は返してくること。いい?」

「……!」

 

いつもの優愛と違う、きっぱりした声。四人の中で一番付き合いが短い幸哉ですらも目を丸くして驚いている。普段なら慌てて流されるような彼女の様子の変わりように何も言えないままでいた。

 

「……プロデューサーさん?」

「すみません。すぐ戻してきます」

「うん。今永くんも返してきてね」

 

そう言って杏奈の方へ寄っていく。しかし杏奈は顔を強張らせていた。

 

「……」

「行こう?今日はお仕事のお話をする日だよ」

「……はい」

 

 小さく頷き、杏奈が優愛についていく。あまりの態度の変わりように心配の目を向けては後を追って部屋を出ていった。残された幸哉、ロコ、亜利沙も杏奈と同様の目を向けたまま戸が閉まるのを見届けていた。

 がちゃり、と音を立てて扉が閉まり部屋に静寂が訪れる。三人は顔を見合わせて話を始めた。

 

「プロデューサーのアティチュード*2、いつもと違いましたね。ロコのアートを見せたら喜んでくれたのに……」

「確かに……。いつも優しいはずがあんなにはっきり注意するなんて珍しいですね」

「……」

 

ロコと亜利沙が先程の優愛について話をする中、幸哉は黙ったまま何かを考えているのか目線を斜め上にやっていた。そこに亜利沙が目をやって話しかける。

 

「幸哉くん?」

「いいや。衣装返してきます」

「うぅ……。もう見納めですか。せめて一枚くらいは……」

「それくらいならいいですよ」

「ほんとですかっ!?」

 

腰が直角にならんとばかりにお辞儀をしてみせ、亜利沙が鞄からデジタルカメラを取り出す。シャッターが切られる音が部屋に小さく消える。どう考えても一枚どころではない量を撮影されてしまい、ついでにロコにもレンズが向けられていた。

 

「すみません。アイドルちゃんが目の前にいたから我慢できませんでした……」

「喜んでくれるならよかった。これからもっと撮られると思うからいい練習になりましたよ」

「許してくださるなんて…。神……しゅき……」

「アリサ〜!」

「え?ちょっといきなり何が……!?」

 

 恍惚とした表情の亜利沙。そんな彼女に笑みを向けると目を見開いたまま、後方へと倒れ込んだ。ロコが床にぶつかりそうな体を支えて呼びかけ、心配になり幸哉も近づく。亜利沙はとても安らかな表情で意識を失っており、どうやら持病や発作などで倒れたわけではなさそうである。尚も幸せそうに沈黙する様子の亜利沙をロコに任せて幸哉は衣装を返しに行った。

 

〜〜〜

 

「……」

 

 とあるスタジオの録音スペース近辺で、優愛は一人佇む。この日は百合子にオファーされた映画のゲスト声優の仕事に追従するべく二人でやってきていたのである。普通なら仕事の行く末を案じたり終わった後にかける言葉を考えたりしているが、優愛の頭の中では別の事が黒い雲の如く心に影を落としていた。

 

数日前の記憶が、鮮明に蘇る。

 

~~~

 

「……。なぜ、契約を解除させようとお考えになったかを、聞かせていただけますでしょうか」

 

 劇場の応接室。そこでは優愛と彼女が担当しているアイドル――箱崎星梨花の父親だけが向かい合って座り、質問をしている所だった。

 質問に対して、星梨花の父親は目を伏せながら言葉を紡いだ。

 

「第一に、私共の娘を芸能界という危険な場所に置いていくことが難しいと考えたこと。そしてもう一つ。御社に対する若干の不信があったからです」

「……不信、ですか?」

 

 その言葉が意味することは、事務所に対して信頼が崩れる出来事があったことを意味する。芸能事務所、とりわけ765プロでは未成年のタレントが多く所属しており、仕事を振る際に保護者への報告が義務とされている。それを優愛は固く守り続けてきた。今まで誰に対してもオファーがあった場合親へ相談するように伝え、こうして信頼関係を構築している中、目の前の男ははっきりとそれができていないことを言葉にしたのである。

 優愛が動揺したように男を見て質問する。

 

「最近、新しいアイドルの方が加入されたようですね。しかも女装した男子とはこちらも驚きました」

「……恐れ入ります」

「その話は置いておきましょう。先程の新人の方が、私が不信を感じた理由です」

「今永くんが……!?」

 

目を見開く優愛。不信を感じた理由が事務所のみならず個人が理由であるとは予想がつかなかったからである。

 

「本来、あなた方の事務所は女性のみが所属していましたが、男性がそこに入ることになった。その時、御社は何かされましたか?」

「……何も、していませんでした」

「そうですね。本来するべきであるはずの報告を怠り、二回ライブに参加させた。二回目で本人の口からカミングアウトがあって彼に対する批判は収まったとはいえ、今度は事務所に対して批判やクレームが現れるようになっていました」

「――っ!」

 

優愛は息を吞んだ。先日オフィスでされた会話を思い出す。同僚や先輩が外部への説明やクレーム対応に追われていたこと、そしてそれに対して苦心させられていたこと。それら全てを外部の人間に言い当てられてしまい、自身も当事者であったが故に胸が痛む。

 

「このように、報告という社会人として当然の義務を放棄するという怠慢を犯した会社に大切な家族である娘を預けるのは難しいと考えております」

 

 反論の余地がない指摘に、優愛は完全に沈黙した。何も言葉が出てこない。相手が正しくて、自分が間違っている。突き付けられた事実が刃となって自分を刺してきた。しかし、ここで誠意を示さなければ事態が悪化すると悟り、震えた声で言葉を紡いだ。

 

「申し訳、ございませんでした。今後、このようなことがないよう、努めてまいります」

 

最後はほぼ聞こえないような弱々しい声で、謝罪を口にした。一応は受け入れたのかわかりました、と相手が返す。そして、何か気になったことがあったのか、男は優愛に視線を移した。

 

「驚きました。まさか星梨花のプロデューサーがこんなにお若い方だったとは」

「は、はい。今年で二十歳です。高卒で就職して、今に至っています」

「なるほど。現在は大卒者が多い中、社会に飛び込もうとする姿勢、素晴らしいものです」

「ありがとうございま『ですが』」

 

優愛が口を開くがそれを途中で遮り、男が心配するような眼差しで、忠告するかのような口調で話し始めた。

 

「天宮さん、あなたはまだ若い。このような過ちを犯していると社会人としては信用を失ってしまいますよ」

「……」

「これでは娘を任せることは難しいと考えております。お節介にはなりますが、今後の身の振り方をお考えになった方がよいのではないかと思っています」

 

~~~

「……はぁ」

 

廊下で小さく息を吐き、天井を見上げる。灰色のタイルが視界いっぱいに広がる。優愛の心は、目の前の色と同じように染まっていた。

 

――星梨花を、任せられない。

 

 それはプロデューサーとして資格がないと言われたも同義。自分では彼女を守ることすらままならない。

 また別件ではあるが、以前に鈴葉から言われた一言も関係していた。

~~~

 

(優愛、強くなりな)

 

~~~

 

 同僚たる鈴葉の発言も尾を引いている。彼女からすれば、いつもの軽い口調であれど自分が弱いと思ったからこそ出た発言だと思えてしまう。

 

――全ては、自分のせい。

 

 負い目を抱えた優愛の顔は暗く澱み、俯いて下を向いた目は光を失いつつあった。このまま深くて暗い所まで沈みそうになっていた時だった。

 

「プロデューサーさん」

「百合子ちゃん……」

「収録、終わりました。夢だったシリーズの映画に出演できるなんてすごくいい経験になりました!」

「うん。よかったね」

「えっ……?」

 

 いともあっさりとした返事に百合子は困惑した。普段の優愛なら笑顔で褒め、ともすれば涙を流す時もあったはずが今日は淡々とした様子で言葉を贈っている。変わってしまった相手の様子に動揺を隠せないまま、帰るために優愛の背中を追っていく。

 

「あの、どうかしましたか?さっきから元気ないみたいですけど……」

「平気。それよりも次はレッスンだね。早く戻らないと間に合わないよ」

 

そう述べる優愛の声は平坦で、まるで感情が抜け落ちたかのように聞こえてしまう。百合子が心配の眼差しで背中を追いかける。

 

「お仕事、頑張らないと。強くて、完璧に……」

「……」

 

そそくさと走っていく優愛の後ろを、百合子はただ追うことしかできなかった。

~~~

「最近さ、プロデューサーが何か変なんだよ」

 

 声と共に飛んでくる白球をグローブで受け止める。とある公園の中で、二人の人間が向かい合ってキャッチボールをしていた。一方は幸哉。もう一方は少年と見間違うくらい短髪の少女――昴であった。彼女からの誘いを受けてグローブを借りてやってきていたのである。(ほとん)ど球技の経験がない幸哉にも、昴は親切に緩い球を投げて教えていた。おかげで拾い損ねたり暴投したりした時よりは少なからず上達を見せている。

 

「昴のとこの……。誰かな」

「ああ。オレと百合子って同じ人が担当してるんだ。会ったことあるよな」

「天宮さんが?」

「そうなんだよ。何かボーっとしてたり、時々怒ってたりするんだ」

 

 優しさの塊とも言える優愛が怒る。それを聞いた幸哉の頭の中は疑念でいっぱいになった。出会ってから怒りを見せる場面はなく、むしろ初対面からずっと涙を流していたイメージがある。昴の言ったことが理解できず、考えながら投げてしまったせいで彼女が構えたコースからやや右に逸れてしまった。

 

「あ、ごめん。天宮さんが怒るって珍しいよね。優しい人ってイメージがあるから」

「そ。グローブ持ってるだけで注意されたときあったし。久しぶりにやるの楽しいなぁ~」

「部屋の中でやるから怒られるんじゃ……氷室さんとか見つかったら怖いけど?」

「やめてくれよ!オレあの人怖いんだって~」

 

 そう言った途端今度は昴の投げた球が幸哉の体の左側へと抜けてきた。反応しきれずにボールが後ろの草叢(くさむら)へと転がっていったが、それを拾って昴へと投げ返す。緩やかな放物線を描いた白球は彼女が右手にはめたグローブへとおさまった。

 

「ナイス!幸哉って才能あるよ。上手くなってるじゃん」

「そうかな?でも、ボール投げてるだけなのに楽しいよ。こんなのやったことなかったから……」

「だよな。――えいっ!」

「え、曲がった……!?」

 

 その言葉の後に昴がにやりと笑い、ボールを投げ返してきた。それは真っ直ぐ飛んで来ず、手元で曲がるような軌道を描いていた。いきなり起きたことに慌ててグローブを差し出すがボールを掴めずに弾いて足元に落としてしまう。

 ボールを拾い上げ、してやったりな表情の昴へと呼びかける。

 

「さっき、何投げた?ぐいっと曲がったやつ」

「あ、それか?スライダーって変化球。教えてやるよ」

「教えて。投げてみたいんだ」

「いいぜ!ちょうど教えたいって思ってたし!」

 

 昴が満面の笑みで近づき、説明を始める。それに耳を傾ける最中、優愛のことはもう頭の隅に追いやられていた。

~~~

 

「……」

「星梨花ちゃん、最近元気ないよね。センターだって言われたとき、うれしそうだったのに……」

「何かあったの?困ってるなら桃子に話してね」

「……大丈夫です。ライブ、頑張りましょうね」

 

レッスンルームへと繋がる廊下、その中を育と桃子、そして星梨花が歩いている。しかし星梨花の顔は下を向き、声のトーンも落ち込んでいる。そんな彼女を心配するように二人が付き従い、声をかけるが気分が上向く様子はない。

 

「……!」

「……ふっ」

 

星梨花を心配する二人の横を社員が通り過ぎる。彼女達にとってはただの通りすがり。しかし桃子の目だけは捉えていた。

 

――その人物の口元が、何故かいびつに歪んでいたことを。

*1
「モンスターペアレント」の略。理不尽かつ自己中心的な要求をする親のこと。

*2
「態度」を意味する。スペルは「attichude」。




というわけで37話でした。サブタイにオリキャラの名前が載るのは珍しいのでは?
オリジナルの人物に関しては一番上の登場人物紹介をお読みください。
「まーた曇ってるな……」と思われる展開ばかりで申し訳ございません。元からこういった作り方のせいで曇らせが多いです。純粋にキャラクターが好きな方には申し訳ないと思っております。
それでは、次の更新でお会いしましょう。
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