彩られた日々の中で、僕らは地に足着けて生きている。   作:晴口 丸

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十二

「あれ、ハルミじゃん」

病院の外に出たところで名前を呼ばれて振り返ると、ソラだった。

「ソラ、お前はどうしたんだ? まさか俺と同じ食あたりか?」

「違う違う。これだよ」

 そう言って見せてきたのは左手に巻かれた包帯だった。

「どうしたそれ? バド部か?」

「そそ、ダブルスで相方のラケットに当たっちゃって。幸い俺は右利きだから、プレーには支障ないと思う」

 呆れた。そんな状態で練習しようというのか。そう思っていると、ソラは視線で察したのか

「まあ練習は控えめにするつもり。サボっちゃうと他の人と実力離されちゃうしね」

「実力至上主義は大変だな」

 陽白高校の部活は全て結果が全てなので、必然どの部活も他とは少し変わった感じの力の入り用である。むしろユウのような楽しくスポーツしたい、という人間の方が珍しく、普通煙たがれるはずだが、彼の人間性故に受け入れられていると言った感じだ。逆にソラは実力を持ってしている方だ。だからこそ彼にとってこのように練習ができない状態というのはきっと辛いに違いない。

「まあ慣れたもんだ」

 彼はなんでもない、というように笑う。

「それよりお前どうした? なんか困ったことあれば言えよ」

 その言葉にぴくりと反応する。

「どうしてそう思うんだ?」

「いや、別に。ただ俺って中学の頃、結構人の顔色伺って生活していた側の人間だから、なんとなく気づきやすいのかも」

「あー、そういうことね」

「まあ言いたくなければ無理にということはしないから」

「……いや、折角だ。ちょっと相談に乗ってくれないか?」

「まあ解決できる保証はないけど」

 僕は先輩が周囲に劣等感を感じていること、また走りたいと思っていることを話した。

「――というわけなんだ。なんというか、どうしたらいいか分かんなくて」

 そういうとソラは少し思案するような顔をした後、顔を上げる。

「そんなに難しく考えなくてもいいんじゃないかな?」

「? どういうことだ?」

「いやさ、当たり前のことだけど、誰がどうやっても先輩の足をすぐにどうにかできるわけじゃないだろ? だからそういう方向で考えるんじゃなくて、もっと簡単な、例えばリハビリを手伝ってみる、とか? 俺がそうってだけだけど、劣等感感じててもユウみたいな奴が支えてくれれば結構安心するぞ」

……なるほど。確かに僕は答えを焦っていた。その結果、出来もしないことをしようとしていた。支えになる、か。自分一人では出なかった考えだ。

「ありがと。結構参考になったやっぱり持つべきものは友達だ」

「おーう、気にすんな。じゃあ熱中症に気をつけろよ」

 僕はすぐに家に向かい、自分に何ができるかをもう一度よく考えることにした。

 

玄関のドアを開けると、コハルがなにか考え事をするかのように膝を抱えて座っていた。

「こんなところで座ってどうした、お疲れさんか?」

「……そんなところ」

僕は靴を脱ぎ、彼女の横を通り過ぎようとする。

しかし、そのタイミングでコハルに、ねえ、と呼びかけられた。

「なんだ?」

「チヨさんのこと、どう思ってるの?」

「どう、って言われても」

コハルの真意を探る様に、質問を返す。

「別に深く考えなくていいわよ。思ってることとか、どういう印象とか」

そう言われ、改めて考えてみる。

……印象、と言われてもここ数日でもかなり変わった。

コハルに共感する様な視線を送っているところも、意外といたずら好きなところも、先輩の過去だって。一言に先輩のことを言い表すことは難しい。

「僕は……なんというか、先輩の事、最初の方はすごい人だって思ってた。ハンデがあるけど、自分のやった事ないことに挑戦して、結果を残して。自分だったらそんなことできない。そんな『先輩』の鏡の様な人だって思ってた。でも、今は少し違う。先輩も、言い方は悪いけど普通の人だった。何も考えずに部活したり、あれこれ悩んだりして生きてる。僕はそんな先輩をすごく尊敬してる」

コハルはまた黙りこくった。そして、満足したようにふっと笑った。

「あんたのそういう所って美徳だと思うわ」

「そういうってどういう所?」

「さあね。でも昔から変わってないことに安心した。チヨさんのこと、見捨てたりなんかしちゃダメだからね」

僕は首を傾げつつ、わかってるよ、と階段を登って去って行くコハルの背中に返事した。

 

 

……私は昔から他人と変わっていた。生まれつき、右腕がなかった。もちろんそれは誰のせいでもない。自分のせいでも、産んでくれたお母さんのせいでも。

 それでもやっぱり学校に行くとそれについてよく茶化された。辛かったし、引きこもった時もあった。

 自分より頭の悪い人が、劣った人間が、さも私よりも下だ、と言わんばかりに腕のことを言うのは嫌で嫌で仕方がなかった。

 でも、あいつは、お兄ちゃんは違った。私のことを一人の人と、自立した人として、普通に、私が困ったときは優しく接してくれた。それがすごく嬉しかった。

……今から思えば、私はそんな優しさに慣れきっていた。感謝も忘れてそれが当たり前で、当然のものだって思ってた。甘えてた。烏滸がましかった。

中学生に上がって、反抗期になった。この頃になると、生活面で色々なことが自分一人でできるようになっていた。

そこで思い上がった私は兄を突き放した。ちっぽけで薄っぺらい全能感で、もうなんでも自分一人で出来てしまうと思っていた。

その驕りはたった一日で崩された。まず、朝起きて着替えるのに一時間かかった。ご飯を食べるのに何度も口の周りを汚した。身だしなみでさらに使い、いつもより三十分も遅れて家を出た。

登校中にも何度も交通事故を起こしそうになったり、不注意で転け、うまく受け身を取れずに肩を強打したりと、散々だった。

それでも朝のうちに音を上げるのは負けた気がして、色々と足掻いていたものの身体中に大小様々な怪我ができてしまった。私が転けてキズを作る度に浴びせられる視線がたまらなく惨めで、消えてしまいたくなった。

私を何か弱く、可哀想な生き物であるかと言うかのような視線に耐えられなかった。

そこで、漸く私は兄の大きさを知った。これまでどれほど私を助けたのか、守ってくれたのか。

それに気づくと同時に自分が情けなく思った。守ってくれる存在にずいぶんひどく当たってしまった。兄はいつでも私に気を遣ってくれて、そして他の人とは違い、私のことを、弱く、守るべき存在としてではなく、一人の人間として見てくれていたことも分かった。

 

「ごめん、兄さん。私が全部悪かった」

兄さんは急に部屋に飛び込んできた私に驚きつつも笑って対応する。

「はは、珍しいね、いつものあんた呼びじゃないんだ」

私は深く頭を下げた。

「それも含めて。今まで私、調子乗ってた。守ってくれた兄さんに感謝もせず、それが当たり前であるかのように振る舞って。本当に申し訳ないって思ってる」

兄さんは立ち上がり、徐に私の側に寄った。

「いいんだよ、コハルが一番大変な思いをしてるのは分かってる。辛くて、自分の境遇を理不尽に思って誰かに当たりたくなる時もある。でも、ほんの少しでいいから、僕のことも思い出してほしい。それだけでいいから」

兄さんはそう言って、私の右肩を優しく撫でた。思わず、兄さんの肩に顔を埋める。

 彼は驚きつつも、私の背に腕を回し、体の力を抜く。

「ごめん、は言いっこなしだぜ?」

少し恥ずかしさが入ったその言葉は私の中にすぅっと入って行った。

「ありがとう」

久しぶりに兄さんにかけた言葉は綺麗な形を保って彼に届いただろうか?

 

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