岸辺露伴は動かない 偽書   作:八二一

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「神絵師の腕を食うと絵が上手くなる」みたいな与太話から思いつきました。


腕喰い

 その日露伴はいつもの様に駅前でスケッチしていた。漫画家である露伴が追求するのはリアリティだ。実際に生きている人間を観察して描くのと、そうでないのとでは一つの絵が持つ奥行きが変わってくる。

 写真のように正確に人々の生きる様子を描写していく。

 

 ふと雑踏の中で自分に向けられた視線に気付く。

 視線の主を探してみると──居た。

 歳の頃は高校生くらいの少年か。スケッチブックと鉛筆を持っている露伴に対して、少年はタブレットとスタイラスペンを持っている。その様子から彼もまた、露伴と同様にスケッチをしているのだろうと思われた。

 

 不意に少年の目が輝きを増す。

 

 ──しまったバレたか……。

 

 人混みを縫う様にして少年が露伴の元まで歩いてくる。

 

「すみません! あの……岸辺露伴先生ですよね、ピンクダークの少年の」

 

「あぁ、そうだが」

 

 恐る恐るといった様子で少年が喋る。その言葉には純粋な憧れと緊張が見える。

 

「あ、の、えっと……サイン頂けないでしょうか。よかったら、あ、握手も!」

 

「あぁ、良いとも」

 

 露伴は持っていたスケッチブックに流れる様にイラストとサインを描くと、ページを破り取り少年に渡す。

 そしてついでに右手を差し出して、少年と握手した。

 

「うわっ……スゲェ……フワフワだ……」

 

 少年は露伴の右手の感触に驚きを隠せない様子。

 露伴ほどの達人となるとペンだこはあるが、掌の感触は何故だかフワフワになるのだ。露伴も若い頃、漫画賞の式典でさる偉大な漫画家と握手した事を思い出した。

 

「君も絵を描くみたいだが、よかったら僕にも見せてくれないか」

 

「僕のは漫画っていうかイラストです。SNSとかに上げてます」

 

 少年は空いた左手で器用にタブレットを操作すると作品を露伴に見せてきた。

 

「フゥン……まぁ、なかなかよく描けてるじゃあないか」

 

 年相応に荒削りだが確かにセンスを感じる(まぁそれでも当時の自分ほどではないが、というのは置いておく)。今は作画環境も整っていて、イラストや漫画はむしろ趣味としてはとっつきやすい方なのかもしれない。露伴が漫画家を志した時はアナログで描く以外に選択肢がなかった。その点は今の若い世代を羨ましいと思う。

 

「ただやっぱり、神絵師って感じではないんですよね。フォロワーも少ないし……」

 

「神絵師?」

 

 あぁ、なるほど。と露伴が納得する。

 この少年の原動力となっているのは強烈な承認欲求だ。誰かに認められたい、あわよくば『神絵師』として持て囃されたいという欲求。

 それを否定はしない。そこから得られるエネルギーもあるし、何より絵を描く理由なんて人それぞれだからだ。

 

「露伴先生はスゴイですよね……16歳で漫画家デビューって」

 

 不意に少年の雰囲気が変わる。この世の物とは思えない、暗く澱んだエネルギーが少年を中心にして渦巻いている様な、そういう陰鬱なパワーがみなぎるのを感じた。

 

「おい、そろそろ手を離してもらえるか」

 

 何かおかしい、そう感じた露伴は握手したままだった右手を離そうとする。しかし少年の力は思ったより強く、ガッチリと握られて振り解くことができない。

 

「いいなぁ……羨ましいなぁ。 その腕、俺にも分けて欲しいなぁ……、神絵師の腕ェ」

 

「何だとッ……!」

 

 少年から先程までの気弱な様子は消え失せていた。むしろもっと酷い。卑屈で、独りよがりな印象を受ける声色。

 

「くっ……コイツ、なんてパワーだ……ッ!?」

 

 スケッチブックと鉛筆を放り出して、固められた右手を外そうと試みる。しかし凄まじい力で握られていて、とてもじゃないが外せない。いや、力というよりなんらかの理(ことわり)を以て外すことが出来ないのだ。

 

「クソッ、ならそちらから手を離してもらうだけだ! ヘブンズ・ドアーッ!」

 

 露伴は自らに備わった異能(ヘブンズ・ドアー)を発揮する。異能の力を受けた少年の皮膚が、まるで本のページを開く様に展開する。ページには少年のこれまでの人生で得た記憶が所狭しと刻み込まれている。そして空いたスペースに露伴は次の文を書き込んだ。『露伴の手を離す』。

 

 全力で右手を外そうと試みていた露伴は、不意に手を離された勢いで後ろに転倒してしまった。目の前の少年も同様に後ろへひっくり返ってしまっている。

 露伴は尻餅をつきながらも、すぐさま立ちあがろうと右手を支えにしようとする。しかし右腕が力を失い、再び仰向けに倒れる。

 

 露伴は倒れ込んだまま右腕を見つめた。

 そこにはまるで人形の様に生気を失った自らの腕があった。肩から指先までの感覚が一切なく、ペンを握り続けてきた感触も完全に失われてしまっていた。

 

「なんだ、これは……ッ!」

 

 露伴は青ざめながら声を漏らした。

 

 一方で、ひっくり返っていた少年がゆっくりと立ち上がる。その様子はまるで地獄から這い出てきた幽鬼の様であった。しかし、その顔には先ほどまでの卑屈さではなく、異様な高揚感が宿っていた。

 

「す、すげぇ……これが『神絵師』の腕.! 俺はこれで、本当に……!」

 

 少年の右手には薄くなった右腕の様な物がある。まるで炎の様にゆらめいている。

 露伴は少年の言葉に怒りを露わにし、彼を睨みつけた。

 

「貴様……それは、僕の腕を奪ったのか……!?」

 

 少年は露伴の視線を受けても怯むことなく、むしろ得意げに笑みを浮かべた。

 

「そうさ、これが露伴先生の『腕』。神絵師の腕。アンタの絵の実力そのものだ」

 

 露伴は慌ててヘブンズドアーで右腕の一部を本にして読む。そこにはあるべき筈の情報の全てが抜け落ちていた。

 右腕だけが、まるで死人を本にした時の様になっている。露伴は右手を握ろうとしてみるが、感覚は戻らない。指先一つピクリともしないのだ。これではペンを握る事も出来ない。

 

 少年は興奮した様子でさらに続けた。

 

「コレを食えば俺も神絵師になれるんだ……!」

 

 少年が大きく口を開ける。露伴の腕を食うつもりだ。

 

「……なに……?」

 

 少年の言葉に露伴がピクリと反応した。露伴の顔は俯いていて、少年からその表情はよく見えない。だが言葉には僅かに怒気が籠っていた。

 

「……そんなに簡単に絵が上手くなるって、本気でそう思っているのか?」

 

 少年が露伴を見る。露伴の目には静かな闘志が宿ったかの様に燃えていた。露伴の視線が真っ直ぐに少年を射抜く。

 

「右手を奪われたなら、左手で描いてやるだけだ! それを奪われたなら足で! また奪われたなら口で!」

 

 少年は一瞬動きを止め、驚きに目を見開いた。露伴の言葉は、まるで燃え上がる炎の様に力強く響いたからだ。

 

「……何言ってんだよ。腕がなきゃ、絵なんて描けるわけないだろ」

 

 少年は笑いながらも、その笑みにはどこか動揺が混じっている。

 だが、露伴はその視線をまったく揺るがせず、力強く言い放つ。

 

「腕なんて関係ない! いいか! 僕はチヤホヤされたり、金が欲しいから漫画を描いてるんじゃあないッ! 『読んでもらう』為に描いてるんだ! いや、違うな……絵を描くってのは『表現する』為の行為だ!」

 

 露伴は倒れ込んだままの体勢から、左手を支えに立ち上がる。

 

「僕が僕である限り、この岸辺露伴は絵を描き続けるッ。芸術家っていう生き物は『表現し続けないと死ぬ』からだ! 自分が内側から押し潰されるんだ!」

 

 ついに露伴は立ち上がり、両足でしっかりと地を踏み締めて吠える。腕を奪われるなど、この程度の逆境で怯むことはないと強く誇示する様に。

 

「それをなんだ、キサマは……」

 

 動かないはずの右手で少年を指差す露伴。その動きはぎこちないが、ゆっくりと、しかし確実に力が漲っていく。

 露伴は怒っていた。絵を描く者として、漫画家として、なにより『表現者』として、尊厳を踏みにじられた気がしたからだ。どうしようもない怒りが湧いてくる。

 それは目の前の少年だけにではない。少年の些細な心の弱みにつけ込んで、この様な行動をとらせた、少年の背後にいる者に対してもだ。

 

「……な、なんで……魂を抜かれて動くはずが……」

 

「承認欲求だとか、フォロワーだとか、『描く事』に対して不純物が多いんじゃあないか? 今までいくら描いた? デッサンは? 模写は? 感覚が掴めるまで何かを継続したことはあるのか!?」

 

 露伴の鬼気迫る様子に怪異に取り憑かれた少年が怯む。その一瞬の隙に少年から、何かの影が飛び出した。

 同時に露伴はペンを左手に持ち替え、驚くべきスピードで少年に文字を書き込む。『露伴に腕を返す』。

 この様な事態を想定していたわけではないが、戯れに左手でペンで握った事があったのが幸いした。

 

 黒い影は、先ほどまで少年が纏っていた暗いオーラそのものの様だった。

 

 露伴は、ヘブンズドアーの影響で気を失っている少年を抱えながら、その影と対峙する。

 この影は表現者を食い物にする悪しきエネルギーそのものだ。名を残せなかった表現者の怨念とかそういう概念に近い。

 

「だがな……」

 

「お前が表現者の成れの果てだというなら、僕がそれに終止符を打ってやる」

 

 露伴が確固たる意思と共にペン先を影に突きつける。影に顔は無いが、その表情は確かに笑っていた。それも嘲笑の顔だった。

 

「かかってこいよ、それともこれ以上『負ける』のが怖いのか?」

 

 嘲笑には嘲笑をぶつける。露伴の挑発に影は気分を悪くしたのか、そのシルエットを巨大にして露伴をも飲み込もうと迫り来る。そして影が露伴を飲み込む。

 

 

 

 ──それは影というよりも闇だった。

 暗く、冷たい、人の目の届かない深海の様な寒さだった。それは、漫画の第一線で脚光を浴び続ける露伴が味わったことのない『無視される』ことの冷たさだった。あるいは世界に繋がったとしても、注目されない自らに対する憐憫の視線だったかもしれない。

 

「そうか……これが君の『世界』だっていうことか」

 

 闇の冷たさに耐える露伴の目の前には、いつの間にか少年がいた。少年はさっきよりもずっと幼く、小学生くらいの歳に見えた。その手には変わらずタブレットが握られている。

 

 少年は幼い声で呟いた。

 

「描いても、誰も見てくれなかった。僕の絵なんて、誰も……だから、もっと目立つようになりたかった。認められたかった……」

 

 露伴は静かに少年を見つめる。少年の小さな声が闇の中で反響し、影そのものがそれに呼応するようにうねり始めた。深海の様だった闇は、そのうちに嵐の様に轟轟と唸りをあげ渦巻く。

 

「……だから、それがどうした?」

 

 露伴は短く言い放つ。その声は嵐にかき消される事なく闇に強く響いた。

 少年が顔を上げる。その目には怯えと疑問が混ざり合っている。

 

「誰かに見てもらうために描くことが悪いと言っているわけじゃあない。ただ、それがすべてだと勘違いしているなら……表現者としては失格だ」

 

 露伴の声は突き放すように冷たかったが、しかしどこか芯の通った響きを持っていた。それは露伴の中にある表現者としてのプライドだった。

 

「表現者ってのは、まず自分のために描くんだよ。他人に媚びるためでも、誰かを騙すためでもない。描きたいものを描く。それだけだ」

 

 少年は戸惑いの表情を浮かべる。

 

「でも、僕の描く絵なんて誰も……」

 

 露伴は少年の言葉を遮った。

 

「だから、何だ? 他人の評価が得られないから、描くのをやめるのか? 他人の目を気にするあまり、自分の目を閉じるのか? それがお前の選ぶ道だっていうのなら、勝手にしろ。ただし──」

 

 その瞬間、露伴の背後に『ヘブンズ・ドアー』の本のページが浮かび上がる。

 

「──僕の前では通用しない」

 

 露伴は左手に握ったペンを振り下ろし、空中に文字を書き込む。その文字は光り輝き、少年と影を囲むように浮かび上がった。

 

『この闇の中に光を灯す』

 

 光が溢れ出し、闇の中に広がる。その中で少年は少しずつ成長するように見えた。タブレットを握りしめた手が震え、少年の表情に決意が宿る。

 影が激しく抵抗するようにうねりを強める。しかし、その動きは徐々に弱まり、やがて闇そのものが淡い光の中に溶けていく。

 少年は幼かった姿から元の姿に戻り、倒れ込むように地面に膝をついた。露伴はそれを見下ろしながら静かに言う。

 

「描き続けろ。それが表現者としてお前にできる唯一のことだ」

 

 少年は涙を浮かべながらうなずく。その手にはいつの間にか新しいスケッチブックが握られていた。

 

 

 

 数日後、駅前には変わらずスケッチをする露伴の姿があった。

 その隣では少年が共に真新しいスケッチブックに一心不乱にスケッチしている。

 

「ふむ」と露伴が不意に少年の方を向く。

 

「まぁ……多少は良くなったんじゃあないか。それでも僕には遠く及ばないが」

 

 その言葉には皮肉と共に、隠しきれない少しの喜びが見えた。

 

 

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