岸辺露伴は動かない 偽書   作:八二一

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コロナ禍の時に思いつきました。


アプリケーション・マッドネス

 スマートフォンの登場で、ネットワークと人々の生活はさらに密接になった。今ではリアルタイムに顔を改変したり、撮影した英文を翻訳したり、様々なアプリケーションが存在している。その技術の躍進は凄まじいものがある。

 しかし、その中身──どのような処理を行っているか、誰が作ったか、何のためにその情報が利用されているか──を気にしている人は少ないのではないか。

 

 ネットワークは無限であり、その先が必ずしもこの世に繋がっているとは限らないのだ。

 

 ───

 

 テレビを点けても、ネットを見ても目に入るのは新型の感染症に関するニュースばかりだ。今日の感染者数やら、死者数やら。一体いつになったら、この感染症は終息するのだろうか。

 時世柄、担当編集との打ち合わせもオンラインで行われる事が多くなった。便利になったとはいえ、相手の顔が見えない分、微妙なニュアンスが伝わらないのはもどかしい。

 

 [ところで露伴先生]

 

 [なんだ]

 

 [文字化けアカウントの噂話って知ってますか?]

 

 無機質なチャットでのやり取りの中、担当が不意にそんなことを尋ねてきた。露伴は少しの間考えると[知らないな]と打ち込み送信ボタンをタップする。

 

 その噂はこうだ。

 SNSアプリの友達一覧に突然見た事もないアカウントが追加される。そのアカウントの名前は文字化けしていて読む事ができない。友達一覧から削除もできない、なにかコンタクトを取っても文字化けした文章が送られてきて全く意味不明。そのうちに文字化けは現実世界にも影響を与えるようになって、そして……。

 

 [そして? その後はどうなるんだ]

 

 [わかりません]

 

「わかりません、だって? オイオイオイオイ」

 

 露伴はつぶやいた。

 椅子の背もたれに深く寄りかかりながら、スマートフォンの画面を睨みつける。チャット画面に表示された担当の言葉はまるでやる気のない冗談のように感じた。

 

 [そんな中途半端な都市伝説を僕に聞かせてどうしようっていうんだ]

 

 スラスラとフリックで一通りの文句を書き込むと送信ボタンをタップする。リアリティの欠片もないくだらない噂、都市伝説の類だと思った。一昔前でいうところの『不幸のメール』みたいな物だ。

 しかし、どこか気になるところがあるのも確かだった。まるで魚の骨が喉に引っかかっている様な感覚。もし、それがただの噂ではなく本当の事だった場合、『誰が』『何のために』やっている事なのだろうか。露伴の中で好奇心という名の危険な植物が芽吹き始めていた。

 

 その夜、露伴は気晴らしにSNSアプリを開いた。何をしようという訳でもないが、適当に時間を潰したいと思ったのだ。そういう『空白の時間』を埋めるのに映像配信サイトや、このようなSNSはまさにうってつけだった。

 

 同業者、担当編集、少数の知人のアカウントが並ぶリストを確認していると──目に飛び込んできたのは、見覚えのない奇妙な名前だった。

 

「……なんだこれは?」

 

 そのアカウント名は、確かに『文字化け』している。グチャグチャになったアルファベットや記号が羅列され、意味などまるでなかった。

 露伴はすぐに削除を試みた。しかし削除ボタンをタップしても何も起こらない。アカウントをタップしてプロフィール画面を開こうとすると、スマホが一瞬フリーズし黒い画面になってしまう。

 

「なるほど、面白くなってきたじゃあないか」

 

 露伴は不敵にニヤリと笑った。

 

 

 ───

 

 

 翌日、露伴は『文字化け』の噂話について調べ始めた。調査の舞台は主にインターネットだ。相手もネット経由でこちらに仕掛けてきたのだから、当然それに関する噂もネット上にあるはずだとアタリをつけた。

 似たような事例はすぐにいくつも見つけられた。担当からも聞いていたが『現実世界にも影響を及ぼす』という曖昧な証言があった。しかし、それ以上に具体的な情報はなかった。

 

 それ以上に調査は進展しないまま、露伴は眉間に皺を寄せて画面を閉じた。

 

 ──『現実に影響を及ぼす』か。その結果どうなるんだ? 

 

 露伴が噂のその先について考え始める。

 

 例えば不幸のメールの場合、メールの内容通りの行動を取らないと『不幸になる』という結果があった。不幸の内容については人それぞれだろうが、他人に何か行動させたいなら行動の結果(あるいは行動しなかった結果)を提示するはずだ。『現実に影響を及ぼす』なんていう曖昧な情報で人は行動を起こさない。だからこそ、この噂にはイタズラではない妙なリアリティを感じていた。

 

 ──もしかして『何か』させるための噂ではないのか?

 

 露伴は調査を一時中断し、頭の中を整理しようとノートを開いた。それは取材ノート、あるいはネタ帳だった。今までの連載や読切作品の構想や没になったネタなど、様々な情報が雑多に書かれていた。そこにこれまでに得た『文字化け』の情報を書き加えようとペンを走らせる。

 

 しかし、ノートにペンが触れる直前で露伴の手がピタリと止まる。

 

 目の前のノートの罫線がジワジワと崩れ、意味不明な記号の羅列に変化していく。

 

「……なに……?」

 

 思わずノートを閉じる。同時に手元近くに置かれたスマートフォンの画面が自動的に点灯し、音楽に合わせてバイブが震える。

 その画面に表示されていたのは『文字化け』のアカウントの名前だった。緑色の通話ボタンと赤色の終話ボタンも表示されている。『通話』を仕掛けてきた。

 

「なるほど、そちらから動いてきたか」

 

 露伴の眉間が微かに寄る。

 だが、その程度で臆する岸辺露伴ではない。すぐに不敵に微笑むと、迷いなく通話ボタンをタップした。

 

 スマートフォンのスピーカーから音声が流れ出す。しかしそれは声と呼べる物ではなかった。まるでダイヤルアップ接続する時の音や、無線のビープ音、無数の言語が混ざり合った様な異様な音の羅列としか表現できなかった。

 

「言葉をなしていない……いや、そもそも言語じゃあないのか……?」

 

 露伴は音声を解析しようと集中する。しかし、その瞬間、頭の中にジワリとした感覚が広がり始めた。不快な感覚だ。黒いインクが脳内に染み込む様な、現実そのものを何かに侵食されていくような感覚。

 

 危機感を覚えた露伴は終話ボタンをタップする。しかし、やはりというべきかスマートフォンは操作を受け付けない。スピーカーからはただひたすらに不気味な音声が流れ続けている。

 

「こうなったら仕方ない、お前の正体を見せてもらうぞッ!」

 

 露伴の指先がひらめき、隠された異能の力(ヘブンズ・ドアー)が炸裂する。露伴に備わった天からのギフト『対象を本にする能力』がスマートフォンに作用し、(ほど)ける様に本となる。

 

 ヘブンズドアーは端的に言うと対象の情報を閲覧する能力だ。これまで露伴は無機物に使った事は無かったが、うまく成功したみたいだった。しかし考えてみればスマートフォンは情報の集合体。出来て当然と思えば出来る。そういう能力だ。

 

 露伴が本と化したスマートフォンのページをめくる。そこに有ったのは奇怪な記号の羅列だった。奇妙な曲線と直線で構成された、これまで露伴が見たこともない、しかし確実に何かを記したと思われる記号。間違いない、これは文字だ。

 

「……なるほど、まるでコイツは……」

 

 過去にはヴォイニッチ手稿、現在ではコデックスセラフィニアスといった、訳の分からない文字で書かれた奇書というのが有るが、このスマートフォンの状態はまさにソレだった。

 

 露伴は慎重に、本と化したスマートフォンのページをめくっていくが、その間にもスマートフォンから空間への文字化けが侵食していく。

 あるページを開いた瞬間、文字化けがスマートフォンから溢れ出し、それに包まれた露伴の意識が急速に暗転する。

 

 気がつくと露伴は異様な空間に立っていた。そこはまるで文字の羅列で構成された世界だった。曲線や直線、あるいは記号や記述の塊が無限に広がり、そしてざわめきの様な異様な音を立てていた。

 

「……ここは……。まるで『文字化け』の世界そのものだ」

 

 露伴は異様な状況にあっても、冷静に周囲を観察した。一昔前に見たSF映画の様な非現実的な光景だったが、彼には驚きも恐怖もなかった。むしろ未知の世界を取材できるという強い喜びに満ちていた。

 

 宙に浮かぶ記号の一部を手で掴むようにして眺める。だが、露伴の視界に入ると、すぐにそれらは複雑に変形して崩れ、また別の文字に変わっていく。意味を掴もうとするたびに形を変える、まるで生き物のような動きだった。

 

 その時だった。

 

 空間の奥から人影のような存在が現れた。否、存在そのものが文字化けで構成された何かだった。身体の輪郭はあるものの、表情やその他の詳細な部分は不明瞭で、文字化けで構成されたシルエットそのものだった。それらも絶えず流動し、形を定めることがない。まるで、この空間そのものが一つの生命体であるかのようだった。

 

「……待っていた、という感じか?」

 

 露伴はつぶやき、人影を観察した。その動きには明らかに目的があり、そして明らかにこちらを認識しているようだった。

 

「お前は……何者だ? 僕をここに呼び出したのか?」

 

 声をかけても、返事はなかった。ただ、空間全体が微かに震えたように感じられた。そして人影の身体から発せられる音──ノイズとも電子音ともつかない響きが広がり始めた。それはスマートフォンのスピーカーから聞いたものと同じ、不快で意味不明な音だった。

 

「やはり、コミュニケーションができないか……」

 

 露伴は顎に手を当てて考え込んだ。そして、不敵に微笑む。

 

「ならばこちらからアプローチするまでだ。お前の正体を『読ませてもらう』!」

 

 露伴の指がひらめき、ヘブンズドアーの能力を発動する。異界の存在を本に変え、その正体を暴こうとしたのだ。だが──

 

「……効かない……だと?」

 

 人影の一部がページ状に変化したものの、完全に本になることはなく、また元の形に戻ってしまった。それどころか、一瞬だけ見えたその記述の中身すらすべて文字化けしていた。

 

「なるほど……『次元』が違いすぎて、僕の能力でも完全には解釈できない、というわけか」

 

 露伴は焦ることなく再び観察を始める。すると、人影が微かに動き、まるで悲しげな表情を浮かべたように見えた。

 その瞬間、露伴の意識が再び揺らぎ始めた。

 

 ───

 

 目を開けると、そこはいつもの仕事部屋だった。

 手元のノートは普通の状態に戻っており、スマートフォンも静かに置かれている。

 

「戻ってきた、というわけか……」

 

 露伴はスマートフォンを確認する。SNSアプリを開くが、文字化けのアカウントは消えていた。まるで最初から存在しなかったかのように。

 

「夢……ではないな。確かにあれは現実だった」

 

 露伴はふと、机の上のノートに目を向けた。何気なくページをめくると、そこには異界の文字が一瞬だけ現れ、すぐに消え去った。

 

「……なるほど。挨拶のつもりだったのだろうか」

 

 露伴はノートを閉じ、思案にふける。

 

「高次の存在……か。連中が求めていたのは、ただの雑談だったのかもしれない。僕たち人間がSNSを使うようにな」

 

 そうつぶやくと、露伴は椅子に座り直し、机のライトを点けた。

 

「面白い取材だった。だが次に会う時は、もっと『対話』らしいものをしてみたいものだ」

 

 再びペンを取り、ノートに記録を残し始める。

 

「だが、こんな話を漫画にしたところで、誰が信じるだろうな」

 

 試しに『文字化け』の噂を持ち込んだ担当編集あたりにでも話してみるか。と露伴はSNSアプリで通話しはじめるのだった。

 

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