オシフという名前の僕は、言われるがまま、流されるがままに生きていた人間だった。
皇帝ウベルの圧政に怯えながらも、親に言われるがまま兵士になって。
たまたま仲良くしていた人が解放軍側の人で、もうすぐ解放軍が攻めてくるから戦わない方がいいと言われて、反抗せずに脇の方にいて。
そうして僕が『なにもしていない』間に、解放軍は皇帝を倒してしまった。
圧政から解放された皇都はお祭り騒ぎとなり、解放軍はこのままの勢いでディートリッヒ皇子を倒すのだと息巻く事態となっていった。
討伐で活気付く一方で、皇族や貴族に支えていた人達は気が気じゃない日々へと変わっていった。
現時点では皇子を倒すことに意識を向けていて放っておかれているけど、皇子を倒し終わった後に向く矛先はこちらなんじゃないかって。
皇帝を止める行動をすることもなく、ただ従っていたのを糾弾するんじゃないか?
僕達から仕事や持っていた土地などを奪っていくんじゃないか、と。
元々皇帝派で便乗をして悪どいことをしていた人間は逃げ出したりしていた。
でも僕達は、何もしていないが故に何もできなくなっていた。
ただ断罪されるのを待つだけの、ただ怯えるだけの時間ばかりが過ぎ去っていく。
そうやって精神がすり減っていき、罰を受けていいから早くこの状況から解放されたいとすら思っていた頃。
突然として輝かしい希望が僕達にもたらされることとなった。
僕達に罰を下そうと戻ってきたはずの解放軍は、どうしてか討伐するはずだった皇子の軍を連れてきたのだ。
思わぬ出来事に混乱する中で、第一報として公式に発表されたものは和解をしたという事実だけ。
どうしてそうなったのか色々な噂が飛び交い真実がどれなのかも分からない。
日が経つにつれてようやく、和解となった場にいた人から本当に起こった事が伝わり始めた。
皇子と解放軍との戦いと止めて僕達を救ったのは、隠されていた皇女のお蔭なのだと。
そして皇女様である方のお名前はカテリーネ様というのだと、僕は知った。
◆
終戦が決まってからも僕は兵士を無事に続けることができ、城の修理だったり警備だったりで駆け回っていた。
あの憂鬱な日々と比べたら、こんなことなんでもない。
貴族側と解放軍側で問題は山程あると聞いているとはいえ、劇的に環境が変わったりせず平和でほっとしていた。
今日は中庭近辺の警備担当の日だ。
終戦後は人の立ち入りが多くなった結果、いざこざ防止として警備が増えている。
しかも最近カテリーネ様は医務室に出入りされるようになったと聞いて、ひょっとしたらお姿を見られるんじゃ……なんて期待をした。
けれどカテリーネ様がいらっしゃる気配は全然ない。
このまま会えずに交代の時間が訪れるのかも……と思っていたところで、周辺の空気が変わっていくのを感じ取った。
不思議に思って周囲を見回すと、右奥の廊下から二人ほど歩いてくる音が聞こえる。
一般の人も立ち入る場所だから特別おかしなことではないのに、やけに気になって目線を送ると、同じ方向に顔を向けている人が多くいた。
やがて歩いてくる人達が僕の視界に入った瞬間、僕は理解をする。
護衛を連れた金髪の女の人が、カテリーネ様であることを。
圧倒的な存在感があるのに、どこか儚さを持っているお方だった。
一本一本が輝いて見える金の髪を靡かせながら、色の違う青と赤の瞳で目の前を柔らかく見つめている。
目の色がそれぞれ違うというありえない特徴をもっているのに、怖さよりも神秘的な美しさが一層深まるものだった。
口角をほのかに上げて微笑んでいるその顔は、あどけなさがありながらも艶やかな面持ちをしている。
僕の言葉では言い表せないほどの魅力を持った美しい女性だった。
「……カテリーネ様」
小さく呟いた僕の声は誰にも届かず、空中に消えていく。
全員の視界を奪いながら立ち去っていったカテリーネ様に、ほとんどの者が感嘆のため息をもらした。
……あのお方が、カテリーネ様。
みんなを、僕を救ってくださったお方。
いつの間にか強く握りしめていた拳を解きながら身震いをする。
こんな気持ちを持つのは、初めてのことだった。
僕はただの兵士だ。
たまに警備とかで遠くから見かける程度で、声をかけることすらできない。
見るだけしかできないのに、僕の気持ちはどんどん大きくなっていて止まらなかった。
僕じゃ届かない人だって分かっている。
それなのに、……それなのに、カテリーネ様を好きという気持ちは大きくなっていくばかりだった。
……捨て切れなかったせいで、カテリーネ様がヴァルムント将軍とご婚約されるという知らせを聞いた時はすごい衝撃を受けてしまった。
僕がカテリーネ様と結婚できる訳なんかない。
時々聞く噂で、カテリーネ様が将軍と楽しくお話しされているとも聞いていたし、そんなこと分かりきっていた。
だから将軍と結婚するのは当然だと僕だって思っている。
将軍は現皇帝であらせられるディートリッヒ様の親友で、僕とそんなに変わらない年齢なのに蒼翼将軍を任せられていて。
ただの一兵卒である僕なんかが敵う相手じゃない。
僕には特別な地位も、特別な力も、何もない。
カテリーネ様と一回も話したこともない僕が、選ばれることもないんだ。
当たり前のことなのに、どうしてこんなにも辛いんだろう。
……捨てればいい気持ちだと分かってる。
分かっていても、僕にはカテリーネ様を好きだという気持ちが捨てられなかった。
◆
将軍と仲が深まっていると聞いても、外交という名の旅行に行ったと知っても、僕は想いを捨てられなかった。
寧ろ想いは高まるばかりで、もうこのまま生きていくしかないんじゃないかって思ったくらいだ。
そうして外交を終えたカテリーネ様達が帰国されてから少しして、武闘大会が開催されることとなった。
皇族主催であるから、あわよくばカテリーネ様が僕を認識してくれるかもしれない。
もしかしたら言葉だって交わせるかもしれない!
胸が高鳴った僕は真っ先に出場登録をしに行って、訓練に力を入れまくった。
少しの休憩時間でも鍛錬を欠かさない。
ちょっとでもいいから見てもらいたい。ちょっとでいいから知っていてほしい。
……そんな想いばかりが先行して、手に深い怪我をしてしまった時は絶望でしかなかった。
次また大きい怪我をすると、やりすぎていると判断されて大会に出てはダメだと判断されてしまう。
怪我しないように気をつけてこれだったから、次また怪我しないとは限らない。
やってしまったと後悔する中で、医務室へと通され案内された先に、……僕が崇める聖女様がいらした。
医務室で治療されていることは知っていたけれど、まさか僕を治療してくださるだなんて微塵も思っていなかった。
そのせいで言葉がおぼつかなくて、正直何を言ったのか覚えていない。
カテリーネ様のお言葉は鮮明に覚えているのに!
暖かな治療の光も、柔らかな眼差しも、カテリーネ様からした甘い匂いも全部覚えてる。
やっぱり好きだという気持ちが膨らんでいき、もっと頑張らなきゃと思った。
少しでいい、少しだけでもいい。
カテリーネ様が僕のことを覚えておいてくれたら、それだけで僕は十分幸せになれる。
そう、思っていたのに。
「こんにちは〜、お兄さん。ちょっとボクの話を聞いてくれません?」
街中で目元の見えない民族服を着た男性に声をかけられてから、僕の人生は大きく変わっていったのだった。