魔法陣を利用して黒龍のいた広いスペースに辿り着くと、真っ先にこびりついたままの血の臭いが鼻先をかすっていく。
元々黒龍が鎮座していた場所よりも大きな範囲で血が染み付いており、どでかい解体ショーが繰り広げられたのが目に見えて分かる。
近くにいたユッタから息を呑む声が聞こえ、先に転移していた何人かの兵士さん達も唖然としていたほどのものだった。
ラハイアーなんか「ひぃ」って情けない声を上げている。
むせ返るような鉄の臭いに、おれは手で鼻と口を覆って少しでも臭いを抑えようとした。
「カテリーネ様、こちらをどうぞ」
リージーさんからハンカチを差し出され、受け取り手と口の間に挟む。
おれもハンカチ持っちゃいるけど、すぐに取り出せそうにないからと気を使われてしまったな……。
治療関係で血を嗅いだりするのも多そうなルチェッテも鼻を覆っているというのに、リージーさんはいつでも冷静沈着そのものだった。プロすぎない?
ラドおじさまはおれの背中を摩ってくれているし、ヴァルムントくんやおれの護衛に他の兵士さん達も通常運転で、この場の安全を確認しにさっさと動いている。こっちもプロだった。
とはいえ、元々いたはずの黒龍以外は特に何もなかったはずだ。
ボス部屋って奥に宝箱とか部屋とかあるのが定番だったりするが、見る限り黒龍がいた場所には宝箱も扉も何も存在していない。
おれが近づいたら見つかる可能性はあるかも……ってくらいか。
次の兵士さん達が魔法陣を使ってこちらにくるのもあるので、口元を覆いながらも足を一歩進めようとしたところ、胸の奥から気持ち悪いなにかが迫り上がってくる感覚が襲いかかってくる。
「う……」
「カテリーネ!」
ふらついてしまった体を一番近くにいたラドおじさまがとっさに受け止めてくれた。
ううう、普段ならラドおじさまの筋肉を味わえてラッキー! ってなってるのに、どんどん気持ち悪さが増していって楽しめる余裕がなくなっていく。
自分で自分の体を支えるのも厳しくなり、ラドおじさまに全部支えてもらう形になってしまった。
こんなに気持ち悪くなっているのは、おれが馬鹿をやって気まずい場所だからか?
と思ったけれど、罪悪感とか自分由来ではない『なにか』がある気がしてならない。
仮におれが馬鹿をやってなかったとしても気分が悪くなっていたと思う。
深い深い奥底から、どろどろとした負の塊が沸々と気味悪く煮立っているような感じだ。
喉から迫り上がってくる不快感を気合いで抑えつつ、力の入りにくい手を根性で動かし強く口元をハンカチで押し付け、万が一吐いた時に備えていく。
「カテリーネ! どうした!?」
「カテリーネさん!?」
「カテリーネ様……!?」
真っ先にルチェッテがおれの様子を確認し始め、兵士さんに指示をして離れていたヴァルムントも駆け寄ってきた。
おれはみんなに対して首も振れず、大丈夫だなんていう言葉すら発せず、ずっとそのままでいることしかできない。
本当に、……本当に、汚物ではなく悪意の集合体が口から出そうな気がしてきていた。
「カテリーネさん、しっかり! どこが悪いか教えてください、ここですか?」
「次の隊が魔法陣より移動完了後、撤退をする!」
「はっ!」
ルチェッテがおれに声をかけるのと、安全確認しに行っていた兵士さん達がヴァルムントの指示で戻ってくる足音が聞こえてくる。
魔法陣は使用するのにクールタイムが必要な上に、どちらか片方が使用していると使えない。
だから次の隊が来るのを待ってから戻るしかないのだ。
早く次の隊が来てくれという気持ちと、周囲が心配の声をかけてくれているのに気持ち悪さで反応できない申し訳なさでいっぱいになっている時に、それは起こった。
「戻られたらクソだるいからさー、やめてくんない?」
「全員走れッ!」
どこからともなく聞こえてきた気だるげな女性の声と共に、急激に背後の方から熱波が襲いかかってきた。
ラドおじさまはおれを抱えたまま、他のみんなもヴァルムントが飛ばした声と同時に前へと走り出していく。
不安定な支え方だと思ったのか、ラドおじさまがおれを抱え直したことによって肩越しに後ろ側が目に入ってくる。
熱波の正体は、轟々と燃えながら大きく迫り来る炎だった。
みんな必死に走っている中でヴァルムントがわざと集団の一番後ろにおり、差し迫ってきている炎に対して剣を抜いて振りかざす。
「させん!」
剣先で描いた先から氷が勢いよく生成され、高く壁となって迫り来る炎の勢いを防いでいく。
しかしながらこのまま止まることはなく、勢いを増幅させた炎が氷を溶かし尽くしていき、再びこちらへ足を伸ばしてくる。
再度氷壁を作っても炎は第二波第三波と重ねて襲いかかってきた。
一度ヴァルムントはおれ達の方へ振り返り、炎とそこそこの距離が取れているのを確認してから背後に氷を作りつつおれ達側に走ってくる。
そうして魔法陣からかなりの距離が離れたところで、一気に炎の勢いがなくなって氷の壁が高く積み上がっていった。
おれ達は奥へ奥へと走り続ける一方、ヴァルムントは炎がなくなったのに気がついたのか走るのと氷を止めて振り返る。
「ちょっとぉ、ちょー乱暴じゃない?」
凄まじい音と共に、一点集中をした炎が氷を貫いて道を作り上げた。
そうしてキラキラと舞う細かい氷と煙の中、出来上がった道からこの状況を作り出したであろう人物が声を上げる。
血のように赤いセミロングの髪とめんどくさそうにこちらを見つめる赤い瞳。
真っ赤なドレスみたいなローブに身を包んでおり、……とてもとても豊かな胸を揺らしながら歩いてきたのであった。