足音はどんどん大きくなり、暗い廊下から光が灯されているこの部屋へと到着しようとしている。
各々がそれぞれの武器を構え、お兄様は隠し持っていたらしい剣を構える中、おれはリージーさんに誘導されて廊下から一番遠い壁まで下げられた。
一度戻った方がいいのではないかと考えがよぎったが、恐らく開けている途中に『誰か』が来てしまうから選択しないのだと気がついた。
おれはとにかく邪魔にならないようにするとして、せめてもと戦うのに維持するのは大変な光を兵士さんの代わりに出すことにする。
「ありがとうございます、カテリーネ様」
「いえ。……皆様、お気をつけて」
ひとつ、またひとつと近づく足音。
一言も喋らずに近づいてくる存在にお兄様が言葉を投げかけた。
「何者だ。立ち止まってから名乗れ。さもないとお前を攻撃することになる」
お兄様の警告が聞こえていないのか、あえて無視をしているのか。
問いかけに一切の反応はなく、歩いてくる足音のペースは変わない。
お兄様は回答なしを敵対と捉え、空いている左手で静かに兵士さんへ指示をした。
指示を受け取った兵士さんが小さな声で呪文を呟き、浮かび上がらせた無数の光の矢を廊下へと解き放つ。
おれは思わず目を瞑ってしまったが、良いのか悪いのか、光の矢は相手に刺さらなかったらしく、何か硬いものに当たって弾き返されたような音が複数響いた。
目を開けると、今度は光の玉みたいなものを作り出して投げ込もうとしている。
兵士さんはバスケットボールくらいの大きさになったそれを、勢いよく廊下の先へと投げ込んだ。
光の玉は矢と同じく何かにぶつかったみたいだが、今度は蒸発する音が聞こえてきた。
……廊下の先には一体、何がいるのだろう。
ゲオフさんとカールさんがおれに攻撃が来ないように防御の姿勢をとり、ラドおじさまがおれの前に立った。
少しでも当たり判定を小さくするべくしゃがみ込むと、リージーさんがおれの肩を抱いて庇うように抱きしめてくる。
固唾を呑んで廊下を見つめていると、ついに敵は部屋へと辿り着き、その正体が光に照らされて全貌を表す。
「……ああ、どうも。こんにちは」
くぐもっているが温厚そうな声に反して、姿は頭から爪先まで真っ黒な鱗で覆われた全身鎧を身につけた人物だった。
武器も何も持っていないのに底冷えする威圧感があり、何故かおれの目には邪悪の……倫理に反する塊にしか見えない。反吐が出るとはこういうことなのだとも理解した瞬間でもあった。
その人物が声を発してすぐに兵士さん2人が剣で攻撃しに行き、お兄様がその手に持っていた剣を首元に向かって投げつける。
敵は向けられた剣を意に介さず前進し、剣による攻撃をそのまま体で受けた。
2人の兵士さんによる攻撃も、お兄様が投げた剣もあっけなく鎧で弾き飛ばされていく。
兵士さん達は弾き飛ばされると理解していたのか、反動を利用して反転。
鎧の繋ぎ目にあたる部分に剣を素早く振り下ろす。
それはまずいと思ったのか、目障りに思ったのか分からないが、敵が大きく右手を振って黒い斬撃を作り出し兵士さん共々弾き飛ばした。
「ぐあああっ!」
兵士さん達は壁にぶつかり、斬撃で折れた剣が地面に落ちていき、胸元まで届いてしまった攻撃によって血が舞い散る。
その間にずっと近くでボソボソと何かを呟いていたリージーさんが、急に手を敵へ向けて水を放つ。
「溺れなさい」
水は敵の頭部全体を包んで呼吸できない状態にさせた。
視界も歪み、いずれ窒息する。
えげつない攻撃方法だと感じたけれど、手早く場を収めるには最適だと思えた。
続け様に同じく呪文を練っていた兵士さんが光の拘束魔法を敵へと巻きつけていく。
……しかしながら敵は光の拘束をあっけなくぶち破り、水も恐れることなく前進を続けていく。
リージーさんが手に力を入れて水で頭部を圧迫させようとも、全く効いていないように見えた。
威力と持続の影響からか、どんどん荒くなっていく呼吸と体の震えがおれの体に伝わってくる。
「皆、よく頑張ったな」
兵士さんやリージーさんの奮闘の間にお兄様が赤く光る槍を出現させて構えている。
鮮血を思い起こさせる色の槍は、美しさと恐ろしさが同居している代物だった。
お兄様は低い姿勢で駆けて足を切り裂こうと槍を振り翳していく。
槍が敵に届く前に、パァン! と破裂音が鳴り響いた。
敵の顔を覆っていた水が弾け飛び、リージーさんがうめき声を出して崩れ落ちる。
「リージーさんっ!」
慌てて支えると、完全に力が抜けていた。気絶している。
「それはだめですよ、皇子」
敵が後ろへ右手を向けてから前に翳したと思うと、廊下から何かが恐ろしい勢いで飛んでくるのが分かった。
お兄様が舌打ちをし、斜め後ろへ素早く移動するとお兄様がいた場所に飛んできたものが勢いよく転がる。
それは廊下へと調査に出ていた兵士さんで、体の何処かから出血をして気を失っているみたいだった。
「貴様っ!」
「ディートリッヒ様! いきます!」
兵士さんの掛け声を契機に視界が光でいっぱいになった。──目眩しだ。
おれは当たり前に目眩しをくらい、思いっきり目を瞑った。
近くで何かを投げる音が聞こえると同じく、目眩しがあると分かっていたらしいお兄様が動く音が聞こえてくる。
金属が何かに当たって落ちる音が聞こえたと思ったら、重い一撃が固いものに突き刺さった音が耳に届いた。
「これで終わりだ」
段々と回復していった視界に映ったのは、お兄様が敵の胸元へ槍を突き刺した姿だった。
穂先は鎧を突き破り、その奥にある肉体にまで届いている。
位置的に心臓へ到達しているのではないだろうか。
お兄様は油断することなく、そのまま槍を押し込み続けている。
だというのに、敵は薄ら笑いを零した。
「今回は貴方が目的ではないのですが……。まあこれでもいいでしょう」
「本当はカテリーネが狙いだと? ならここで終われ! ライモンド達は絶対にカテリーネから離れるな!」
敵は喉を鳴らし、槍を右手で掴む。
お兄様は渾身の力を振り絞り、槍を貫通させようとしていく。
……明らかにおかしい。
体に痛みが、重要な臓器に刃が届いているというのに、敵は何一つ動じていない。
甲冑の下が見えていたら冷ややかな笑みがあるのではないだろうか。
兵士さんがお兄様を補助しようと、敵の動きを封じようと光の縄を何度も巻きつけていく。
そうして槍が完全に敵の体を貫通したところで、敵はひとつ、言葉を発した。
「すごいですね、今までの貴方の中で一番強い」
「は?」
「いかん!」
ラドおじさまがおれとリージーさんを庇うように抱え込んだ瞬間、赤い光が爆発した。
いつか聞いた花火の爆発音よりも大きな音を立てて、全てを呑み込んでいった。
ラドおじさま越しであっても酷い衝撃を受け、反射的に身を更に小さく縮こませる。
……数秒後、うめき声をあげて床に倒れ落ちてしまったラドおじさま越しに見えた光景は、残酷なものだった。
敵以外の全員が倒れ伏している。
ゲオフさんもカールさんも、魔術を使っていた兵士さんも、いつくかの箇所から血を流して倒れていた。
おれを庇ったラドおじさまは背中からの出血が特に酷くなっている。
お兄様だけ血を流していなかったが、顔は真っ青になっており静かに横たわっていた。
おれが状況を理解しきれずにいると、敵はくつくつとせせら嗤いをしながら、先ほどまで持っていなかった赤い大きな宝玉を右手のひらで回転させながら眺めていた。
「これならば……、可能やもしれない」
恍惚とした声で呟いた内容に体全体の血が引いていくような感じがした。
自分でもよく分かっていないのに、そのままにしてはいけないと本能が叫んでいる。
縮こませていた体を開き、大きく足を踏み出して敵へと向かっていく。
「返してえッ!!」
赤い宝玉に手を伸ばす。
魔術による光の縄も伸ばし、ただただ取り返そうとする。
敵はおれが判断できないほどの速さでおれの背後に回り込み、背中に強烈な一撃を打ち込んできた。
「ゔゔっ!」
地面に叩きつけられ、擦り傷でいっぱいになる。
背中がじわりじわりと熱さを発してやまなくなった。
体が軋む。それでも、動かなきゃ。
「ははは。成功しなかったら、またお会いしましょう。それまで絶望を味わっていてください」
気味の悪い笑い声が部屋の中にこだまする。
敵が立ち去る音が響く。
体をどうにか這わせて追おうとしても、どう足掻こうとも追いつけなかった。
「あ、……あっ、あああ、」
今、今できることをしないと。
急いで皆の治療をする。
一人一人にかけていられないので、全体に治療が行き渡るように魔法を使う。
消耗が激しくなるが、そんなのどうでもいい。
死んでしまうことの方が怖い。
「はっ、……は、……っ」
力という力を振り絞り、限界までの出力を四方に飛ばす。
傷という傷が癒えている感覚と共に体の中の力が擦り潰されていく。
痛みも相まって体が崩れ落ちそうになるのを気力だけで耐え、ただひたすら癒すことだけに注力する。
息がしにくい。咽せて咳が出る。
時々あえて息を止めて、体に力を張らせて倒れないように踏ん張った。
そうして治療を何度も繰り返し、それぞれにある傷をある程度まで癒すことができた。
傷が治せるということは、生きている証拠だ。
……なのな、お兄様だけが治療魔法が効いた感覚がなかった。
怪我はしていそうだから当然かもしれない。
けれど当然であってほしくなかった。
「お兄様」
お兄様に呼びかけをする。
ぐったりとしている。
動かない。
力の抜け切った体を執念だけで動かし、お兄様に近寄る。
何度揺すっても、何度呼びかけても、反応がない。
治療魔法を再度使っても反応がない。
癒している感覚もない。
脈を測る方法なんてちゃんとは知らないのに、お兄様の手首に指を当てて確かめてみたりもしたが、おれの手が震えすぎて何も分からなかった。
荒い呼吸を繰り返す自分の口を手で塞いで息を止め、お兄様の顔の近くに寄って息をしているかを確認する。
細く、浅くながらも、呼吸をしている音が聞こえ、お兄様が生きていることを知る。
止めていた息を再開すると、ひどい呼吸音が場に響いた。
お兄様は生きている。生きている!
……なのに、起きない。
どうして。
どうしてどうしてどうしてどうして!
おれの治療が上手くいっていないだけかもしれない。
きっとやり方が間違っているだけだ。絶対にそうだ。
だからもっと違うアプローチをしないと。
お兄様の体に両手のひらを置き、魔法を使い続ける。
「だ、大丈夫っ、大丈夫ですよ、お兄様」
おれが絶対にお兄様を助けるから。
おれが、絶対にやらなきゃいけないんだ。
だってお兄様は、おれを護ろうとして。
本当は、おれがターゲットだったはずなのに。
「おにいさま、」
おれが、……おれが、やらなくちゃ。
やらなくちゃいけないのに!
おれが助けなきゃ!
なのに、なのに、おれは、
「あ、あああ、……っ」
何をしても、お兄様を助けられなくて、
何も、何も、……できなかった。