英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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※前回のあらすじ

①みんな大好き悪戯好きの仔猫襲来。
②ユーシス、マキアスコンビ犠牲に。乙。
③正妹戦争勃発(?)
④お兄様のストレスがマッハ。





小悪魔仔猫の悪戯事情 Ⅱ

 

 

 

 

 

「改めましてはじめまして。レンよ。よろしくね、お兄さんお姉さんたち♪」

 

 

 授業後、各々あった予定を一身上の都合と言う名目でキャンセルし、第三学生寮の食堂に集まったⅦ組の面々は、まるで何事もなかったかのように晴れ晴れとした顔で自己紹介をする少女を見て一様に嘆息を漏らした。

 

「あら、意外な反応。もう少し怒られるかと思ったのに」

 

「いや、何と言うか、君がレイの知り合いだという事で怒る気が失せたというか……」

 

「この件に関してはもう悟りを開きかけてるわね、私達」

 

「遠回しに俺がディスられてる件について」

 

「普段の行いを顧みたらわかると思うぜ、後輩」

 

 各々いつもと変わらない言動をする中で、しかしまだ警戒心を解いていない人物が二人。

 

 

「腑抜けすぎだろうが貴様ら。―――本人がいる前で言うのは若干気が引けるが、俺はレイ(コイツ)の知り合いだからと警戒を解くつもりは毛頭ないぞ」

 

 厳しい表情をしたままにそう言い切ったユーシスの言葉に、フィーも頷いて同調した。アリサは今回は中立の位置に甘んじるらしく、特に反応は見せていない。

 しかしそれに対して、レイがユーシスに向けて文句を言うようなことはなく、寧ろ―――

 

「おう、遠慮するなユーシス。寧ろ初見でコイツの核心に迫った事が驚きだわ。腕上げたなお前」

 

「あら酷いわお兄様。可愛い妹が疑われているのに」

 

「疑われるような悪戯を仕掛けたのはお前だろうが。因果応報ってヤツだ。反省しろ」

 

 叱責をしてみるも、やはり仔猫は朗らかに笑うばかり。しかしそれこそが彼女の本性なのだから、そこを咎めるわけにはいかなかった。

 

 

 思うがまま、自由奔放に動き、気紛れに出会った人間を惑わし、拐し、振り回してクスクスと無垢に笑う。

 まさに暇を持て余した仔猫そのものだ。退屈を嫌い、面倒を嫌い、しかし自分の望むものがその先にあるのならば、退屈も面倒も許容する。

 

 それを咎めないのは、それこそが彼女が外界に対して愛を示す、たった一つの方法だったから。外に関心を向けるために、自分が”主催者(ホスト)”でなければいけなかったから。

 

 しかし、はて、と思う。

 以前のレンは、果たして今のように”何の邪気もない”笑顔を容易く初対面の相手に見せただろうか、と。

 少なくとも、《執行者》であった頃の彼女は違った。向けるのはやはり笑顔であったとしても、心中は最大限の警戒心と嗜虐心が燻っていた。

 それは、”あなたもどうせ()()なのでしょう?”という、過去の苦いと言うにも憚られる事実に基づいて生まれた心情だ。だからこそレイは、彼女のそれを窘める事が出来ずにいたというのに。

 

「(エステル・ブライトは、どうにも頑なな人間の心を解きほぐすのが上手いらしい)」

 

 流石はカシウス・ブライトの娘だと思い至り、しかしそこで否と認識を改めた。

 ある意味では自分よりも観察眼に長けているこの少女が、偉大な親の受け売り程度の善意に心が絆されるわけがない。それ程までに彼女が負った心の傷というものは深く、根強いものだった。―――結局はレイですらも、《結社》を抜けるまでにそれを癒してあげられなかったほどに。

 

 それはきっと、心の底からの言葉だったのだろう。心の底から、レンという少女を想った言葉だったのだろう。

 レーヴェという頸木を失った空の至宝の天空城で何があったか、などと訊くつもりは毛頭ない。それはただ一人、彼女本人だけが覚えていれば良い事なのだから。

 

 

「え、えっと、フィーちゃん? 何でそんなに不機嫌なんですか?」

 

「…………」

 

「あははっ、もしかしてフィーってばヤキモチ焼いてるのかなー?」

 

「……うるさい」

 

「イタタ。ほっぺたつねらないでよー」

 

 それよりも、というのは少し語弊があるが、今現時点では過去の出来事云々よりも憂慮すべき事がある。昼頃―――つまりレンと出会ったそれ以降ずっと、フィーの機嫌が急降下を続けているのである。

 普段、フィーが感情を表に出す事はあまりない。それが今まで面識がなかった他者と関わった末の事となれば、尚更だ。

 だが現に今、フィーは表情の変化こそ薄いものの、纏っているオーラが完全にどんよりと濁ってしまっている。普段ならばエマが声を掛ければ状況がどうであれ反応の色を示すのだが、今に限ってはそれもない。

 ただひたすらに、いつの間にかレイの膝の上という特等席をちゃっかりと確保していたレンに向けて呪いでも掛けるかのような視線を向けているのだ。

 

 それだけで、レイの精神的な疲労感は着々と積み重なっていく。胃がキリキリと痛んでいるような気がするが、それは幻痛だと己に言い聞かせて事なきを得ている状態だ。

 

「……ホラ、降りろレン。俺が飲み物飲めないだろ」

 

「あら良いじゃないお兄様。せっかく久しぶりに会えたのだから、レンはもう少しスキンシップを取っていたいの」

 

「……そう言われたら反論しにくいのが辛いんだよなぁ」

 

「そうでしょう? レンはお兄様の妹だもの。甘えたところで誰も文句は言わないわ」

 

 ―――パキン、と。何かが壊れる音がした。

 嫌な予感しかせずに音のした方向を見てみると、フィーがやはり無表情のまま自分の使っていたティーカップの取っ手の部分を折っていた。

 従来のフィーの握力なら不可能な事なのだが、無意識に氣力を扱ってしまったか、それとも鬱屈とした感情が肉体限界を凌駕したか……どちらにしても恐ろしい事ではあった。

 

 そんな状況であってもレンは変わらず笑みを浮かべている事から、分かっていて煽っているのだろう。一度は二人ともに保護者面をしていた手前、それを窘める事はレイにはできない。

 腹に一物持った人間を相手にした時に向けられる妬み嫉みの悪感情は既に慣れ切ってどうとも思わないのだが、こういった自分を中心に渦巻く環境で巻き起こる宜しくない感情の渦中に立たされる状況そのものには実はあまり慣れていない。それが、自分の”妹分”たちの間で起きている事ならば尚更だ。

 

「が、ガイウス。何だか僕、背筋が寒くなって来たよ……」

 

「良くない風が吹いているな……危険だ」

 

「あのフィーがここまで個人的感情を向けるというのも珍しい気はするが……」

 

 ”龍虎相対する”という表現が東方の方にはあるらしいが、傍観者の見解からはどうにもそういった大仰なものではなく、毛を逆立てた猫同士が縄張りを奪い合っているような―――そんな姿を連想させた。尤も、それを微笑ましいかと問われれば即座に否と返せるのだが。

 

「え、ええと……」

 

 とりあえずこの一触即発な状況を何とかしなければならないという使命感を抱いてしまったリィンは空気を換えるために言葉を発しようとしたが、その前にフィーに新たなティーカップを、そしてクッキーが盛り付けられた大皿を持ってきたシャロンによってそれが為された。

 

 

「フィー様、レン様も、まずはごゆっくりお茶を堪能されて心を落ち着けられてはいかがですか? 僭越ながらお茶菓子もご用意いたしましたので」

 

「……いただきます」

 

 不承不承、といった表情ではあったが、フィーは大皿のクッキーに手を伸ばして、それを口の中に放り込む。そうしてから新しく用意されたティーカップに注がれていたシロップ入りのアイスティーを啜ると、そこに多少の落ち着きが戻った。

 

「ふふ、レンもいただくわ。―――それにしても、あなたとおしゃべりするのも久しぶりね。シャロン」

 

「えぇ。お久しゅうございます。長くお会いする事が叶いませんでしたが、レン様は格段にお美しくなられましたわ」

 

「それを言うならあなたの方だってそうじゃないの。()()()よりも今のシャロンの方がずっとずっとステキだわ」

 

「お褒めいただき嬉しゅうございますわ」

 

 予想外の客人に対しても礼の限りを以て尽くすのがメイドたる彼女の務め。それが前の職場で関わりがあった少女とあれば尚更だ。

 すると、今まで静観していたアリサが徐に口を開いた。

 

「やっぱり、貴女もこの子の事を知ってるのね。シャロン」

 

「はい。レン様はわたくしが《執行者》であった頃にお会い致しました。その後間もなくわたくしは《結社》から離れてしまったために、ご一緒していた時間は1年程度だったのですが」

 

「レンはシャロンの事好きだったわよ? ルナやレイとかと一緒に良く遊んでくれたし」

 

「勿体ないお言葉ですわ」

 

 懐かしむような感情を含んだその言葉に、レンはチョコペーストが練り込まれたクッキーを一つ食べ終えてから再び視線を向ける。

 

 

「それで、今はお兄様のお嫁さんなんでしょう?」

 

 

 その言葉を聞いた瞬間にティーカップを傾ける手が止まったのはレイの方だ。今更隠す事ではないので動揺こそしないが、怪訝な目を妹分に向ける。

 

「……お前それ何処で訊いた」

 

「うふふ♪ レンは確かに《結社》を抜けたけれど、まだ”教えてくれる”人はいるもの」

 

 ”それ”が何を指し示しているか、レイは敢えて訊かない事にした。この期に及んでバレて困る事など有りはしないのだが、それでも藪を突いて蛇を出す真似は馬鹿馬鹿しい。

 

 

「―――一つ、訊いてもいいか?」

 

「おう」

 

「なぁに? お兄さん」

 

 そこでリィンは、ここまでで気になった事を自然な流れで二人に問いかけていた。

 

「二人は、その、本当の兄妹ではないんだよな?」

 

「いやまぁ、そりゃあな。色々と違うだろ。髪の色とか雰囲気とかあと性格とか」

 

「いや髪の色はともかく雰囲気と性格が似てるからそう思ったんだが……」

 

 よくよく見れば色々と違うというのに、何故だかリィンにはレイとレンが近くに居て不自然だと思えなかった。距離感と言うかなんというか、何だかんだで仲の良い兄妹に見え―――

 

 

「うふふ。確かにレンとお兄様は本当の兄妹じゃあないけれど、でもレンはそれでも構わないと思ってるわ。だって―――本当の兄妹だったらイチャイチャできないじゃない♪」

 

「グフッ(吐血)」

 

「フィーちゃんお気を確かに‼ 寮の中で発砲沙汰は流石にマズいです‼」

 

「委員長離して。アイツ殺せない」

 

「レイ様、お薬をお持ちしましたわ」

 

「お、おうサンキュ。実際問題俺に服薬の類は効かねぇんだけどね」

 

 ―――前言撤回。やはり彼女は兄をも巻き込んで引っ掻き回すのがお好きなようだ。

 自分の妹が義理とはいえ、とても淑女であった事を感謝していたリィンであったが、そう思ったところで一度ドミノ倒しのように動き始めてしまった事態は止めようもなく……

 

 

「―――ロリコン」

 

「おい今ロリコンっつったヤツ誰だ‼ 怒らないから俺の前に出てこい‼ 4分の3殺しにしてやる‼」

 

「いや、それほとんど殺してるじゃないか」

 

「でも確かに怪しまれる程度には仲が良いよね」

 

 

「黙っとけエリオット(シスコン)

 

「か、家族が大好きで何が悪いのさ‼ そんな事言ったらマキアスだってそうじゃないか‼」

 

「ちょっと待て。何故今君は僕を巻き込むのと同時にトラウマを抉って来たんだ。場合によっては訴訟も辞さないぞ」

 

「そなたら、騒ぐのもそこまでにしたらどうだ。今は客人の前で―――」

 

 

「ちょっと黙ってて(くれ)(よ)(くれたまえ)、ラウラ(ファザコン)

 

「ほう、そなたら我が剣の錆となりたいか?」

 

「ちょ、ちょっとストップストップ‼ ラウラも空気に呑まれちゃ駄目よ。こういう時は毅然として―――」

 

 

「お前もそうだろうが、アリサ(マザコン)

 

「レイ……アンタ言ってはならない事を言ったわね‼ その言葉が私にとって最も縁遠い言葉だと知っての狼藉ならその心臓射貫くわよ‼」

 

「上等だオラァ‼」

 

 

「あぁ、ダメだ。もう止められない」

 

「あはは♪ ボクたちも混ざろうか、ガーちゃん♪」

 

「ЁΣ.δζЙЛ」

 

 一触即発どころか一瞬即発の事態になりかけた直後、騒動の渦中に玲瓏とした声が一つ響いた。

 

 

「―――皆様」

 

 

 その一言だけで、双銃剣を抜いてレンに照準を合わせようとしていたフィーも、それを背後から制止していたエマも、掴みあいの喧嘩に発展しかかっていたエリオットとマキアスも、大剣を抜剣しかかっていたラウラも、矢を限界まで引き絞っていたアリサも、その場のノリで参戦しようとしていたミリアムも、そして口の端から血を垂らしたまま自制心が壊れかけていたレイも―――全員が凍り付いたように止まった。

 

 

「ご近所様方にご迷惑がかかりますので、お静かになされますように」

 

『『『イエス・マム』』』

 

 

 一斉に統率の取れた動きで直立不動になる面々を見ながら、リィンはユーシスと並び立ってアイスティーを一口啜った。

 

「やっぱりこうなったか」

 

「馬鹿共が」

 

「やっぱ怖ぇなぁシャロンさん」

 

「そうだな。というより最初に「ロリコン」って言ったのお前だろ、クロウ」

 

「記憶にございませんなぁ」

 

 傍から見れば良く分からない状況ではあったが、Ⅶ組の平時としてはそこまで異常な事ではない。その様子を見て、レンは一瞬だけ吹き出し、そして―――

 

 

「あははははっ‼ あはははっ‼ ―――おもしろいわ、お兄さんお姉さんたち♪」

 

 

 とても楽しそうに、面白そうに笑っていた。

 それは先程までのどこか達観したような笑みではなく、純粋に心の底から出て来たような、年相応の笑顔だった。

 その表情を見せ、レイはふぅと息を吐くと、眼前のアリサとアイコンタクトを交わして苦笑する。他の面々も苦笑しながらレンの様子を眺めていた。―――一人を除いて。

 

「…………」

 

「ほ、ほらフィーちゃん。仲良くしましょう。ね?」

 

 エマにそう促されて、得物を収めるフィー。しかし嫉妬心までは消えていなかったようで、トコトコとレイの下まで駆け寄ると、彼のカッターシャツの裾を控えめに握った。

 

「? どうした、フィー」

 

「レイ、ちょっと耳貸して」

 

 徐に言われたその言葉に、レイは素直に身を屈ませてフィーと目線を合わせ、耳を貸す。

 するとフィーは、どこか躊躇うような仕草を見せながら、それでもほんのりと頬を赤らめて口を開いた。

 

「……妹は”一人だけ”じゃなくてもいいはず。私よりも先にレンに出会ったのは仕方ないから、せめて―――」

 

 と、そこまで言って再び一度口を閉ざす。そして数秒の間を生んでから、決して誰にも、目の前の”兄”以外には聞こえないような小さな声で呟くように言った。

 

「……私もいるってこと忘れないで。―――おにいちゃん」

 

 フィーの口から、その呼び方をされるのは三度目だった。一度目は出会って話をした時、二度目は以前フィーの願いで一緒に昼寝をした時の寝言で。

 そして今回。あまりにもインパクトが強すぎる妹分が来た事で不安に駆られでもしたのだろうかと思いながら、レイは癖のある銀色の髪の上に手を置き、優しく撫でた。

 

「変な心配してんじゃねぇよ。らしくねぇ。忘れるなんて有り得ねぇから安心しとけ」

 

 そう声を掛けると、フィーは照れ隠しの為か俯き、その状態で控えめに頷いた。そしてそのまま再びエマの方へと走って行ってしまう。

 こうまでしたから次はレンの番か? と当の本人の方を向いてみると、彼女はこちらの様子を見たままに特に動こうとはしなかった。

 まるで―――そう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、レンは《結社》時代にも良く見せた、自らの仕掛けた悪戯に見事に誰かが引っ掛かった時の表情を浮かべていた。狙いは大成功だと、そう言わんばかりに。

 

 だが、レイは何となく察してしまっていた。

 その表情にはどこか―――悲し気な色が含まれていた事に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 その後はと言えば特に何か問題が起きたわけでもなかった。夕食時になればシャロンが腕によりをかけて作った料理が並び、それを一同はいつものように盛大に食べていく。そしてそれは、レンに関しても同じだった。

 

 元々彼女はレイやヨシュアと同じく、シャロンがラインフォルト家への異動が決まった時に修業していた料理の味見役を何度もしていた事もあり、その上達ぶりに本気で舌を巻いたようで、心の底から美味しそうに夕食を堪能していた。

 

「ん~♪ エステルのオムライスも美味しくて好きだけど、シャロンはやっぱりすごいわね」

 

「お口に合いましたようで光栄ですわ。なるべくレン様のお好みに合わせて調理いたしました」

 

「確かにお前、甘い感じの味付け好きだったもんな。―――明日は食後用にケーキでも作るか」

 

「本当⁉ それじゃあレンはあまーいクリームたっぷりのショートケーキが食べたいわ♪」

 

「おう。―――悪いけどシャロン、手伝ってくれ」

 

「承りましたわ。食材の用意はお任せくださいませ」

 

 そんな風に会話を弾ませる三人の事を、一同はどこか微笑ましい目で見ていた。未だ多少の警戒心は持っているユーシスも、わざわざその空気に水を差そうとするほど野暮ではない。

 そしてフィーも、先程言いたいことを言った為か、特に嫉妬の感情を向ける事もなく、食事に専念していた。言いたい事があるとするならばショートケーキの他にチョコレートケーキも作って欲しいという事だったが、レイはフィーの方に視線を向けてからグッと親指を立てた。どうやら、言わずとも察してくれたらしい。

 

 そういった感じで夕食も無事に終わり、他のⅦ組の面々は思い思いに食堂を出ていく。ここから先は入浴時間、就寝時間まで各人の自由行動になる。体に過負荷を掛けるトレーニング以外ならば何をするにも自由な時間だ。

 

「ねぇエマ。わたし、エマとお話ししたいわ。フィーも一緒にお話ししましょう?」

 

「ふふっ、私は全然かまいませんよ。フィーちゃんはどうしますか?」

 

「……行く。話したいことがあるのは私も同じだから」

 

 そう言って食堂を出て行った三人を見送りながらレイは目の前のマグカップに注がれていたミネラルウォーターを飲み干した。

 既に後片付けも手早く終わらせていたシャロンの後姿を見てから、据え置きの時計の方に目を向ける。

 時刻は午後の7時を回った頃。如何にまだ夏の季節感が残っていると言えど、外はもう十分に暗くなっている時間帯だ。

 

 レイは徐に席を立つと、窓の方へと向かって足を進め、そしてそのまま鍵を解くと開け放った。

 室内に飛び込んでくるのは数日前と比べても格段に涼しくなった夜風と、未だ開店時間中のトリスタの個人店から聞こえてくる声。―――そして、大切な女性が最近使い始めた控えめな香水の香りだ。

 

 

「いやまぁ、お前の気持ち分からんでもないよ。前にお前とレンが会った時は、状況とか時間とかその他諸々タイミング悪すぎたしなぁ」

 

「―――アタシの方は特に根に持ってるわけじゃないわよ。昔の事だし、あの時の自分が未熟者だって分かってたしね」

 

 傍から見れば独り言のようにも聞こえるレイの言葉に声を返したのは、寮の外壁に寄りかかったまま立っていたサラだった。

 レイは自分が使っていたのとは別のマグカップにミネラルウォーターを注ぎ、それを外にいたサラに渡す。彼女は「ありがと」と言いながら一口啜り、息を吐いた。

 

「話そうと思えば話せるし、別に怒る気なんてさらさらないわよ。あの状態で善と悪を決めたなら、間違いなく”悪”の方にいたのはアタシだったから」

 

「別に俺はそうは思っちゃいねぇし、アイツもそこは分かってると思うがな」

 

「まぁそれでも、アタシがそっちに行って微妙な雰囲気にさせるのもアレだったし、気を遣ったってコトにしておいて頂戴」

 

 サラ・バレスタインとレンの間には因縁がある。―――と言っても、直接刃を交えたわけではなく、サラがレンの悲惨な過去に関わっていたわけでもない。ただそれでも、”因縁”と言ってしまえば”因縁”だ。

 その関係で、雰囲気が嫌な方向に拗れる事を忌避したサラは、普段はしないような残業をしてまで帰寮の時間を遅らせ、時間を潰していたのである。

 

「それに、気にしてないとは言うけれど、それが本当だとは限らないじゃない。あの日からもう6年も経っているけど、あの子からしたらアタシは―――」

 

 

 

「ううん。別にレンは気にしてないわよ? あの時はあなたが()()()()レンたちの敵だったというだけ。それ以上でもそれ以下でもなかったし、その程度でいつまでも悩むほどレンは暇じゃあなかったもの」

 

 

 あっけらかんと、特に何も含むことのない言葉は、レイのすぐ横から聞こえて来た。目線だけをそちらに向けてみると、窓に寄りかかって星空を見ているレンの姿がそこにあった。

 

「お前、委員長とフィーに着いて行ったんじゃないのかよ」

 

「お花を摘みに行くって言って、ちょっと抜け出してきちゃった。だってそうでしょう? 折角エレボニアまで来たのだから、お兄様のお嫁さんとはできる限り話がしたいもの」

 

 そう言ってレンは、サラに視線を向けた。そこには確かに敵愾心など皆無であり、その琥珀色の瞳に移っていたのは”興味”の二文字だけ。

 

「初めまして、ではないけれど、こうしてちゃんとお話しするのは初めてね。サラ・バレスタインさん」

 

「……えぇ、そうね《殲滅天使》。―――いえ、今は普通にレンって呼んだ方が良いのかしら?」

 

「レンとしてはもう《結社》に戻るつもりなんてないから名前で呼んでほしいわ」

 

 この二人の出会いは、そのままレイとサラの出会いとイコールになる。

 

 

 遡る事6年前。七耀教会や遊撃士協会、各国の警察組織や軍が共同で行った《D∴G教団》一斉摘発事件の騒動に紛れるようにして、《結社》も数箇所の《ロッジ》を完膚なきまでに殲滅した。

 その一つが、カルバード共和国にあった《アバロアン=ロッジ》。規模としてはそこそこ大きかった場所であったが、それでも1時間と持たずにただの一人も残さず殺し尽くされた。

 

 後に《マーナガルム》と名を変える子飼いの猟兵団《強化猟兵 第307中隊》、《結社》使徒《第七柱》が麾下、《鉄機隊》。

 加え踏み込んで来たのは超常と呼んでも差し支えのない面々。《剣帝》レオンハルト、《狂血》エルギュラ、そして《殲滅天使》レンに《天剣》レイ・クレイドル。

 本来ならここに加わる筈だった《死拳》アスラ・クルーガー、《神弓》アルトスクが他の場所の制圧に向かっていた事を差し引いても、一国の軍隊をも相手取れる彼らは、一切の情け容赦なく殺戮を開始した。

 

 特に執念を見せたのはこの教団のせいで人生を狂わされた二人だ。遺棄された幼い子供の死体に心を痛めながら、施設内に放たれた魔獣を、研究員を、ただの一つの例外もなく殺していった。

 

 

 ―――死ね。

 

 ―――砕けろ、散れ、その醜い面を晒しながら逝け。

 

 ―――お前達に生きる資格などあるものか。

 

 ―――例えお前達が信仰する異教の魔神とやらがお前達を赦そうとも。

 

 ―――俺(私)達は、決してお前達を赦しはしない。

 

 

 そこに在ったのはただの憎悪。破壊の怨念に憑りつかれた存在が二つ。

 普段なら彼らのそうした行動を戒める《剣帝》も口を挟む事はなく、《狂血》は怨讐に囚われたその姿をも愛おしそうに眺めていた。

 そして《第307中隊》も《鉄機隊》も、そんな彼らの憎悪に引きずられたのか、徹底的に屍山血河を築き上げた。

 

 そんな中、その割を食った存在がいたとすれば、それは襲撃に備えて《教団》が雇い入れた猟兵団―――《北の猟兵》だろう。

 

 高ランクの猟兵団であるはずの彼らですらも、《結社》の精鋭の前には無惨に骸を晒す他はなかった。《執行者》二人の憎悪の対象ではなかったものの、その行動を阻害しようと阻むものならば例外なく”敵”である。

 そうして殲滅の憂き目にあった彼らの最後の生き残り―――サラ・バレスタインに関して、レンが感じた思いなどは()()()()()()()()

 

 ―――殺すべき対象。死ぬべき存在。特に恨みはないけれど、わたしとお兄様の行く手を阻んだ害悪ならば、やはり生かす事に価値など見出せない。

 

 それは、半ば反射的な行動だった。価値があるとも思えない命を作業的に刈り取ろうと鎌を振り上げた瞬間、それは敬愛する兄によって制止された。

 

 

「アレは、俺が相手をする」

 

 

 そう言ったレイの瞳からは、先程までは宿っていた純粋な憎悪の感情が消えていた。

 そこに在ったのはただ一人の”武人”としての姿。殺戮という作業の一過程ではなく、信念を以て剣を交えるに値すると、そう判断した上での事だったのだろう。

 

 ―――嫉妬心がなかったと言えば、嘘になる。

 ”武闘派”の《執行者》ではない自分ですら軽く縊り殺せるような存在に、兄は”相対するに値する”と判断したのだ。自分の目からしたらそれは、取るに足らない存在だったのにも関わらず。

 

 だがそんな彼女が後に猟兵団を抜け、史上最年少でA級遊撃士に登り詰めたと風の噂で耳にした時は少しばかり関心を持ったのも事実。

 彼に感化され、新しい人生を歩む―――それは紛れもなく、彼女自身が経験した事なのだから。

 

 だから、下らない因縁など引きずっていないし、そもそも持ってすらいない。レンとしてはただ純粋に、話してみたいだけだったのだ。

 兄に惚れた女性に、兄が惚れた女性に。

 

 

「でも残念。今夜は先約が入ってしまっているの」

 

 またの機会で良いかしら? という問いに、サラはただ頷いた。

 そのやり取りを以て再び食堂から去って行った少女の姿を見ながら、サラはマグカップの中身を飲み干した。

 

「本当に気分屋ね、アンタの妹分は」

 

「違いない。だけどそれがアイツの本性で―――他者に甘えられる手段なんだ。許してやってくれ」

 

 そう言ったレイの表情は、どこか悲しそうに揺らいでいた。それに対しサラは、一つ息を吐く。

 

「そこまで狭量な器じゃないつもりよ。アタシは」

 

「そうだな。お前はそうだろうよ。―――で、だ。そんな狭量の器じゃない教官としてのお前に頼みたい事があるんだが」

 

「……嫌な予感がするわね」

 

「別に大したことじゃねぇよ。ただ明日―――」

 

 

 仔猫に追われ、追いかける日常は、まだ終わらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 どうも皆さまお久し振りです。実に12日ぶりの投稿でしょうか。GW明けまで就活は一先ずストップという事で書き上げてみました。
 ……え? 活動報告にイラストの山を積んでおいて何が忙しかったと? し、仕方ないじゃないか‼ 描きたくなっちゃったんだもの‼

 まぁそれとは何の関係もないのですが、昨日は久しぶりの完全休日だったので前に買って一度クリアした『バイオハザード5』やってました。やっぱプラーガはキモい。害悪。
 でもやっぱりウェスカーさんカッコ良い。ボスの強さとしては怖すぎるけど。絶対あなた人間止めてない方が強いですって。これで厨二発言がなかったらなぁ。
 ……というか筆者、クリスではなくてレオン派なんですよね。いや、だってカッコいいじゃないですかレオン。


 ―――とまぁ後書きはこのくらいにして、レンちゃんの出番はまだ続きそうです。書ききれないね、コリャ。
 それではまた。


PS:FGOイベが前回の空の境界イベよりもメンド臭くなっているように感じるのは私だけでしょうか? あとケイネスさんのビジュアルに悪意があるように見える(笑)

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