英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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「金、名誉、国家への忠誠心、あるいは人の心さえも、全ては虚構だ」

「諸君らの未来に待ち受けているのは真っ黒な孤独。その中で諸君を支えているのは、外から与えられた虚構などではありえない。諸君が任務を遂行するために唯一必要なものは、常に変化し続ける多様な状況の中でとっさに判断を下す能力―――即ち、その場その場で自分の頭で考える事だけだ」

    by 結城中佐(ジョーカー・ゲーム)







断章 鬼面と女面の鬩ぎ合い  -in クロスベルー

 

 

 

 

 

 

 『西ゼムリア通商会議』―――その場でディーター・クロイス市長によって提唱された『クロスベル国家独立宣言』より、少しばかりの日数が経過した。

 

 現在クロスベル自治州では、国家としてのクロスベルの独立の是非を問う住民投票の実施を待つ日々が続いていた。

 悲願である国家成立を手放しで喜ぶ市民もいれば、この選択が必ずエレボニアとカルバードという二大国を戦争意識に駆り出すという恐れの下に反対意識を提唱する市民もいる。クロスベル通信社による独自の世論調査によれば、その割合は凡そ4:6と言ったところだろうか。

 

 唐突な独立宣言が齎した影響はそれだけではない。

 クロスベル市内のみならず、国外での株価の乱高下が激しくなっている。元より小さな政策の影響すらも受けて変動指数を見せる株価だが、今回はとみにそれが激しい。

 恐らく今、安易に国内外の株に手を出そうとすれば痛い目を見るのは必至だろう。今こうしている間にも、少なからず破産の憂き目にあっている人間が必ずいる筈だ。

 特にカルバード共和国では、通商会議での発言をネタに猛烈な追い上げを見せている野党の追撃もあって、株価の急降下が止まらない状況だ。このままの時勢が続けば、近いうちに大恐慌に突入する恐れもある。そういう意味でも、ロックスミス大統領は暫くは国内の政策に掛かりっきりになるだろう。

 

 そしてクロスベル市内で最も動きが慌ただしいのは、やはり『クロスベル国際銀行(IBC)』である。

 資産額が大陸一と言えば聞こえはいいが、その分背負っている重荷もかなりのものだ。恐らくは今、国内外問わず預金や投資の電話が引っ切り無しに鳴り響いている事だろう。

 とはいえ、現在も『IBC』の総裁職はディーター・クロイスが務めている状況である。自身の発言がどのような効果を齎すのかという事について予想をしていなかったという事は有り得ない。この混乱を一時的に収めた後、政治職に専念する為、マリアベル・クロイスを総裁代行職に委任するという話が実しやかに流れている程だ。

 

 

 まぁ、それについては()()()()()()()()と言える。

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ」

 

 マイヤ・クラディウスは、東通りに借りているアパートの部屋の中で、捲っていた経済情報誌を徐にテーブルの上に投げた。

 市民が貴族階級などの身分に硬く縛られていないこの場所では、実に様々なものが一市民の身の上で手に入る。存在する様々な国内外の情報誌の中には与太話の類を集めただけの品質の低いゴシップ誌のようなものも少なくないが、そういった玉石混合の中から精査して必要な情報を収集するのもまた、諜報員としては必須のスキルだった。

 

 そう。今の彼女は劇団《アルカンシェル》のアーティストではなく、猟兵団《マーナガルム》諜報部隊《月影》の隊員としての顔で過ごしている。

 マイヤの任務には、その二つの顔を使い分ける事も含まれる。手抜きは一切許されず、”アーティスト”という注目度が高い職種に就いてしまった弊害として、より一層動きに瑕疵が出ないよう警戒しなければならない。

 

 

 彼女が《月影》の諜報員としてクロスベルへの潜入調査を言い渡されたのは約2年前。時勢の移り変わりが激しいこの地での諜報活動は傍から見れば困難そうに思えたが、諜報員の観点からすればそれ程悪くはないと思えた。

 時勢の移り変わりが激しいという事は、それだけ過去に縛られない事であるとも言える。市民や政府は常に新しい技術や思想を取り込み、前へ前へと進んでいく気質が強い。その中にパーツの一つとして潜り込んでしまえば、溶け込むのは案外難しくもないのだ。

 それに何と言っても、当時のクロスベルにはこれ以上ない協力者がいた。遊撃士協会クロスベル支部に所属していた、レイ・クレイドルの存在である。

 

 シナリオは案外単純なものに仕立て上げた。彼女の出身はカルバード共和国のとある辺鄙な村で、貧しい家計を支えるために近代化の著しいクロスベルへと出稼ぎに来たが、市内へと入ったすぐ後に極度の空腹に苛まれて行き倒れになる。

 しかし幸運にも倒れたのはクロスベル支部前であり、()()()()通りかかったレイが担ぎ上げて食事を与えて話を聞くに、彼女が同郷の人間である事が発覚する。そのよしみも兼ねて仕事も斡旋する事になった―――というのが大まかな流れだった。

 

 

 《マーナガルム》団長ヘカティルナと、《月影》部隊長ツバキより仰せつかった任務内容は大きく分けて二つ。

 

 一つは『クロスベルに於ける《結社》の存在の感知と経緯の調査』。

 リベール王国に潜入していた《月影》の構成員であるサヤ・シラヅキからの報告により、リベールにて《結社》の面々が潜伏している可能性が大との事実が浮き彫りになり、その影響で近隣諸国にも魔の手が広がっているのではないかと察したツバキは、すぐさま団長に進言し、近隣諸国への諜報活動の強化を申請。その命令下にてマイヤはクロスベルに潜入する事になった。畢竟、最大の目的はこうなってくる。

 様々な利権が複雑に絡み合うこの地での情報収集は少々手間取りはしたが、逆に言えばその仕組みさえ理解してしまえば難易度はそれ程高くはない。それは、二つ目の任務内容にも深く関わっていた。

 

 二つ目の任務内容は『クロイス家の動向の監視』。

 嘗て”人造生命(ホムンクルス)”を創り上げ、その隠れ蓑として《D∴G教団》というコミュニティを作り出した錬金術師の一族。いずれ《零の至宝》を再び地上に降臨させる事を至上の目的にして1000年もの間妄執を募らせてきた彼らが、《結社》と繋がっている可能性は控えめに言っても高いと判断したのである。

 そして今代で注目すべきは、ディーター・クロイスとマリアベル・クロイスの二名。その中でマイヤは、マリアベル・クロイスの動向の方に注目すべきと判断した。

 噂によれば、クロイス家の歴史の中でも稀代の魔術師(メイガス)として名高いらしく、彼女の方がより強く《零の至宝》への妄執が強いのは想像に難くない。

 

 これらの任務をこなすために、マイヤは潜入先を選ぶことになった。

 第一志望はこの二人が実質的に牛耳っている『IBC』だったのだが、辺境の村の出身者を手放しで雇ってくれる程、セキュリティは甘くない。

 加え、万が一にも怪しまれてマリアベル・クロイスの仕掛けた罠に嵌ってしまえば、一巻の終わりである。臆病と誹られる程に慎重に慎重を重ねて計画を練るのが諜報員にとって大事な項目の一つである以上、対象の懐に潜るという選択肢は断念せざるを得なかった。

 

 そもそもこの地で潜入捜査をして情報を集めるには、『IBC』のみならず他の勢力にも情報の網を張らなければならない。そこでマイヤが目を付けたのは、市内のみならず各国の要人も足繁く通う劇団《アルカンシェル》だった。

 当初は照明や小道具係など、目立たない職種での潜入を行おうとしていたのだが、幸か不幸か、入団したマイヤを待ち受けていたのは、熱烈なスカウトだった。

 

 

『ねぇ、アナタ。舞台に立ってみない? きっと映えると思うのよね。運動神経も高そうだし。

 理由? そんなのないわよ。アタシの勘。ね、ね? 一度でいいからちょっと踊ってみてくれない?』

 

 

 イリア・プラティエ。《炎の舞姫》という異名で知られるトップスターは、マイヤの思惑も正体も知らぬまま、ただ彼女の身体能力の高さと”アーティスト”としての適性の高さに目を付けて、彼女を表舞台へと引きずり込んだのである。

 無論、最初は断ろうとした。諜報員とは原則目立ってはならず、それに照らし合わせると常時様々な視線に晒され続けるアーティストという職業は彼女にとって分が悪かったからだ。

 しかし、熱心に誘ってくるイリアの要望を無下にはできず、要らぬ軋轢を生まないために「できるだけ適当にやろう」という気の進まない思いのままに舞台に立った。

 

 だが、ここで彼女の『仕事に対するプライドの高さ』が邪魔をした。

 やるからには半端は許されない。自分に対して「そうでもなかった」「期待外れ」などというレッテルを張られるのを本能レベルで忌避したマイヤは、自然とイリアが望むままの結果を出してしまったのだ。

 

 そうしてあれよあれよという間にアーティストとして舞台に立つことになってしまったマイヤだったが、救いだったのは「彼女は主役として正面に立つよりも助演として固めた方が強みを活かせるし、映える」という判断を劇団側がしてくれたことだろうか。お蔭でイリアやリーシャに比べれば注目度はそこまででもないが、それでも諜報員としては動き辛くなってしまったのは否めなかった。

 それを部隊長であるツバキに叱責も覚悟で報告したところ、返ってきた応えは―――

 

 

『あ、うん。知ってるよ。僕もう君のグッズ持ってるしね。プロマイドも買ったよ。

 いやぁ、君のグッズの市場はコンスタントに売り上げが固定されてるから価格操作がしやすいってミランダが息巻いてたよ。稼がせて貰ってるってさ』

 

 版権も何もあったものではなかった。思わず自室の机から転げ落ちそうになった当時の彼女を責める事はできないだろう。

 あの《経理班》の守銭奴は、またもや本人の許可も取らずにあこぎな商売に熱を出しているらしい。ツバキもツバキで叱責する様子は微塵も見せずに呵々と笑うばかり。

 しかしその理由を問うと、彼女は―――

 

『だって君なら、それでもちゃんと仕事をしてくれるだろう? 一応これでも僕は自分の部下が最も優秀だと信じて疑わない傲慢な性格だからね。君ならアーティストという職業に就きながらも諜報活動をこなせるだけの実力はあると僕は確信しているし、信じている。それ以外の理由は必要かい?』

 

 寧ろ何を訊いているんだと言わんばかりの口調でそう言って来たのである。

 それは紛れもなく”信頼”だった。《鬼面衆》という異名(コードネーム)を持つ彼女の価値を証明してくれる何よりの言葉に、彼女は吹っ切れた。

 

 諜報員《鬼面衆》として暗躍する姿と、劇団《アルカンシェル》に欠かせないアーティストという姿。この二つの顔を両立させながら、彼女は2年間クロスベルでの活動に勤しんできた。

 そして今、彼女は以前から取り引きをしている協力者との情報共有も行いながら、日に日に情勢が変化していくクロスベルの地で生き抜いている。

 

 

 

 

 

 ちらりと壁に掛かっている小さな時計に目をやって、マイヤは小さく息を吐いてから自室を出た。

 東通りの一角に位置しているこのアパルトメント『アカシア荘』の部屋はお世辞にも新築の物件とは言い難いが、それでも一人暮らしの人間が住むには充分過ぎる程の利便性を兼ね備えている。少なくとも、どこぞの天然が入っている同僚が「安かったから」という理由だけで借りている旧市街のアパルトメント『ロータスハイツ』よりかは遥かに良い物件であると言えよう。

 

「ふんふ~ん♪ あら、マイヤちゃんこんにちは」

 

「こんにちはクラリスさん。お買い物ですか?」

 

「えぇ。マイヤちゃんは今日は劇団の練習はないの?」

 

 アパルトメントの1階に降りた際に声を掛けて来たのは、1階の部屋に住んでいる住民の女性だった。

 名前はクラリス・シーカー。警備隊の所属であった夫を亡くした後は女手一つで2人の娘を育ててきた人物であり、マイヤとは時間が空いた時に茶飲み話をたまにする間柄だった。

 因みに2人の娘はそれぞれ姉は警備隊、妹はクロスベル警察勤務という役職柄警戒はしていたのだが、今のところ正体がバレているという事はない。

 

「はい。公演前の休暇なんです」

 

「あら、そうなの。大変ねぇ、アーティストって」

 

「いえ、楽しんでますよ。とはいえ折角の休暇なので、散歩でもしてリフレッシュしようかなと思いまして」

 

「今日は天気が良いし、お散歩にはピッタリの日ね。気を付けてね」

 

「えぇ。クラリスさんも」

 

 ちょっとした談笑を交わしてから、マイヤは港湾区の方へと足を進めた。

 

 『オルキスタワー』の公開以来、クロスベルを訪れる観光客の数は更に跳ね上がったと言ってもいい。観光目的は色々とあるだろうが、大抵の観光客が一度は足を運ぶのが『オルキスタワー』と、エルム湖南東に存在する保有地ミシュラムにある『ミシュラム・ワンダーランド』だ。

 そして、後者の場所に行く為の遊覧船乗り場があるのが港湾区。昼間に近い時間帯ともなればこの場所は様々な国籍の人間で溢れかえている。

 

 マイヤは軒を連ねる屋台の一つに立ち寄り、目についたキンキンに冷えたトロピカルジュースを購入する。

 思わず苦笑を漏らしたくなるほどの”観光地価格”だったが、その程度で財布の中身が寂しくなるような生活は送っていない。遊覧船乗り場に列を作って並ぶ観光客たちを横目に見てストローでマンゴーの香りが漂うジュースをちびちびと飲みながら、彼女は港の近くにある灯台の近くへと足を進めた。

 

 まるで忘れ去られたように屹立している灯台は、しかしただの建造物ではない。夜間のエルム湖の貴重な光源であると共に、ジオフロントC区画へと繋がる入り口が隠されていたりもする。

 しかし今回マイヤが用があるのはジオフロントではない。灯台の近くに設けられた少し湿気り気味の木造のベンチに座って、持ってきた贔屓にしている作家の文庫本小説のページを開いて目を落とすと、その場所のすぐ近く―――しかし視線は決して交わらない位置で悠々と釣り糸を垂らしていた人物が声を掛けて来た。

 

 

 

「……こうもカンカン照りだと魚も食いついて来ねぇわなぁ。ボウズじゃねぇのが奇跡だぜ」

 

「何か釣れたんですか?」

 

「グラトンバスとトラード。竹竿しか持って来なかったからリリースしちまったがな」

 

 そう言いながら軽快に笑っているのは、サングラスに銜え煙草、それに色鮮やかな薄手のシャツという”小粋な遊び人”臭を醸し出した男―――アスラ・クルーガーだった。

 マイヤは小説の文字を目で追いながら、ふぅ、と一つ溜息を吐く。

 

 

 現状、マイヤ・クラディウスとアスラ・クルーガーの2人には、クロスベル警察捜査一課の監視の目は付いていない。

 マイヤの方はただ単純に”諜報員として”の自分の素性がバレていないだけなのだが、アスラの場合は多少事情が異なる。

 クロスベル警察の人間も、世俗で言われている程「無能」ではない。確かに一部の上役は汚職を働いている政治家やマフィアなどとも癒着していたりと噂通りの代物ではあったが、現場で動く者達―――とりわけ防諜・防テロへの対策を第一とする捜査一課の刑事らはひとまず”厄介”と言えるくらいには腕利きが集まっていた。

 

 特にアレックス・ダドリー。主席捜査官である彼は思った以上に鼻が利く。正体を隠すのが既に日常の範囲内であるマイヤはその監視網を上手く掻い潜っているが、アスラは自身に煩わしい監視が付く事を嫌がり、あろう事か自らダドリーの下に赴き、自らの来歴とクロスベル来訪の目的を話したのである。

 如何にも()()()というか、本音を言ってしまえば馬鹿なんじゃなかろうかとすら思える行動だったが、一体如何なる交渉が繰り広げられたのか、アスラは今日も警察組織に監視される事なく悠々と日々を過ごしているのだ。

 

 

 とはいえ、そんな風来坊と《アルカンシェル》のアーティストが人気のない場所で落ち合って何かを話し合っていたなどというところを誰かに見られでもしたら、”あらぬ噂”が流れる可能性がある。こういう事に関しては警察組織よりもメディアの方が鼻が利くため、念には念を入れてこうした形を取ったのだ。

 

 

「今日はリーシャと一緒じゃないんですか?」

 

「んぁ? お前知らんの? リーシャ(アイツ)なら昨日からミシュラムに行ってるぜ。支援課の連中と一緒にな」

 

「あら、誘われなかったんですか?」

 

「生憎と俺は昨日はカルバードの実家の方に帰っててな。それを言うならお前さんだってそうじゃねぇか」

 

「奇遇ですね。私も昨日は()()で手が離せなかったんですよ」

 

 恋人と、或いは親友と休暇を過ごせなかった事に関しては互いに思うところがあったのだろうが、しかし世間話はまだ少しばかり続いた。

 

「でも大丈夫ですか、目を離して。ランディさんやワジ君はともかく、ロイド君はアレ危険ですよ。無自覚に母性本能をくすぐる天才と言っても過言ではありませんね」

 

 実際マイヤが知っているだけでロイド・バニングスという青年に異性として魅力を抱いている者は複数人いる。そこに僅かに興味を持って片手間に観察してみたところ、どうにも彼は無意識に女性が望む行動ができる天才であるらしい。月並みな言葉だが、そうとしか称する事ができなかった。

 だから或いはリーシャも毒牙にかかっているかもしれないと言う意味合いでの言葉だったのだが、しかしアスラは失笑を漏らした。

 

「大丈夫だろうよ。仮にアイツの心が傾いたんだとしたら、そいつは俺にアイツを夢中にさせるだけの男の魅力がなかったってコトだろうさ。みみっちい事をどうこう言うつもりはねぇよ」

 

 紫煙を燻らせて、アスラはそんなことを堂々と言い放った。

 それは間違いなく恋人であるリーシャへの信頼だったのだろうが、同時に己に対する絶対的な自信の表れでもあったのだろう。

 もし恋人が心変わりをしようものなら、その原因は自分にあると大っぴらに言ってのけるような人間だ。―――無論、軽薄な気持ちで彼女に声を掛けようものならばその命知らずの今後は保証できないが。

 

 相も変わらずお熱いようで何より。そう思ったマイヤは、僅かに声色を沈めて”本題”に入った。

 

 

カルバード(そちら)の方は?」

 

「お前らも忍ばせてんなら分かると思うがな。経済的には結構混乱しちまってるよ。だがまぁ、そのお蔭で《ロックスミス機関》の連中と接触できた」

 

 どこか遠くで水鳥の鳴き声が耳朶に届く程度の間を置き、マイヤは本のページをまた一枚捲った。

 

「首尾は?」

 

「上々……とは言い難いかねぇ。野党の連中があーだこーだとうるせぇモンだから、一向に話が進まねぇ。もうちっと時間かかると思うぜ」

 

「そうですか。―――ご協力は感謝します」

 

「ま、気にすんな。そんで? お前さんの方はどうよ」

 

 ニヤリと口角が吊り上がる。そんな様子が手に取るように分かる声を向けられて、マイヤは再びトロピカルジュースを啜ってから控えめに口を開いた。

 

 

「《鉄機隊》幹部”戦乙女(ヴァルキュリア)”、及び《結社》第七使徒《鋼の聖女》アリアンロードのクロスベル入り。そして猟兵団《赤い星座》の雇用主の変更。―――その辺りはアスラさんも掴んでいるのでしょう?」

 

「まぁな。ルナの奴とはこの前会ったばっかだし、《赤い星座》の連中も知ってるぜ。この間そこの麺屋の屋台で《剣獣》と《血塗れ(ブラッディ)》の兄妹がうどん啜ってやがったよ」

 

「……自由奔放ですね。本当に」

 

「因みに俺もちゃっかり一緒に食ってたけどな。《剣獣》の方な、食べ歩きが趣味なんだと。思わず奢ってやるって言ったら、妹の方が食うのなんのって。危うく財布の中身を空にさせられそうな勢いだったぜ」

 

「ごめんなさいちょっと何言ってるのか分からないですね」

 

 情報を掴むために対象となっている人物に偶然を装って近づくのは諜報員として活動していく上ではままあることだが、彼の場合行動が無作為過ぎて読めない。

 恐らくその二人と食事を共にしたのも、情報を聞き出すとか釘を刺すとかの目的があったわけではなく、「ただ面白そうだからやった」だけなのだろう。

 しかしまぁ、彼ほどの実力があれば万が一にも”噛みつかれる”事はあるまい。あれであの二人はただの頭の悪い戦闘狂ではない。狂犬は狂犬でも、噛みつく相手はちゃんと見極める類いのモノだ。

 

「―――執行者No.0《道化師》カンパネルラが恐らく”見届け人”でしょう。それと、《経理部》の人間が『IBC』の金銭の流れに不自然な箇所を見つけました。数箇所の架空口座に、合計で数億ミラ以上もの大金が流れ込んでいます。

 恐らく金はそのまま《結社》の下に流れたのでしょう。第六使徒のF・ノバルティスが関わっているという情報もあります。……連中がどんな”切り札(ジョーカー)”を持っているのかまでは、まだ憶測の域が出ないのでお伝えできませんが」

 

「いんや、充分だろ。あの変態ジジイが関わってる時点でロクな事じゃねぇのは確かだが、どんなエモノを引っ張り出して来るのかくらいは想像できる」

 

「…………」

 

 曰く、集積化導力演算器マーズを搭載した半自立型大型戦術兵器。それを《ゴルディアス級》と称し、《結社》の傘下である《十三工房》の一角が今も研究を続けているという話は、《結社》時代から《マーナガルム》に所属している《整備・開発班》の面々から聞いた事があった。

 元《執行者》No.XV、《殲滅天使》レン。唯一彼女が制御に成功した戦術兵器《パテル=マテル》をオリジナルとして設計・開発が進められていた《ゴルディアス級》の最終兵器―――それがもし完成していたのだとしたら、いずれ訪れるであろう時に持ち込まれる可能性は非常に高いと言えるだろう。

 

 無論、それは仮想の話に過ぎない。あやふやな推測で動くわけにはいかない身としては何とももどかしいというのがマイヤの本音だった。

 そんな心の中を察したのか、煙を吐き出した後にアスラは吐き捨てるように言った。

 

「だが、こりゃあある意味僥倖だ。あの銀行屋がまさか巨大ロボを用意して悦に入るのはちっとばかし意外だったが、少なくともブチギレた帝国と共和国の連中を軽く返り討ちに出来る程度の戦力がなきゃ話にならん。俺らの計画も全てパァだ。

 ま、共和国の方は出来るだけ被害を軽微にして貰いてぇってのが本音だが、その分帝国軍は()()()()()()()()()()()()()

 

 ひょいと釣竿を上げて何も掛かっていない事を確認してから、アスラは僅かに眉間に皺を寄せた。

 

「……ま、その為にガキ一人に丸々負担掛けなきゃならねぇってのが情けねぇがな。あぁ、クソ。性に合わねぇな」

 

「相変わらず、暗殺稼業には向いてない性格ですね。アスラさん」

 

 クスリと、ページに目を落としたまま苦笑するマイヤ。それがどうにも居心地悪く感じられたのか、アスラは再び針先に餌を付けてエルム湖の水面に糸を垂らした。

 

「仕事で殺さにゃいけねぇって時は戸惑わねぇよ。それが俺の業だからな。だがな、殺しとは関係ねぇところでガキが重荷背負わされてるトコとか見たくねぇんだよ。いい歳した大人連中がよってたかって責任を押し付ける様子なんざ、個人的には腸煮えくり返ってるがな」

 

「なら、自由に動けばいいじゃないですか。レイ君にもそうお願いされたんでしょう?」

 

 もしクロスベルが戦火に晒されて、それでも諦めずに、投げ出さずに戦おうとしてる奴を見かけたらさ、助けてやってくれよ。お願いだ―――そう頼まれたのならば、そう動けばいい。

 確かにそうだ。マイヤと比べれば、彼は比較的縛られているモノが少ない。しかしアスラは、僅かに皮肉じみた表情を浮かべた。

 

「そりゃそうなんだがな―――いや、俺はアイツと違ってクロスベルに対する愛情とかは正直ないんだわ。だからここに住んでる奴らの為に、とか言われても正直ピンと来ねぇし、命賭ける理由としちゃあちっとばかし軽すぎる」

 

「…………」

 

「だから俺は、リーシャ(アイツ)の為に命張るんだよ。アイツが進むと決めた道をブン殴って切り開くのが俺の役目だ。その過程で救うモンがあれば残らず救う。んで最終的に全部救えればオールオッケーだ。単純な話だろ?」

 

 どこが、と思わず言い返したくなる感情を制して、マイヤはまたまた溜息を吐いた。

 それがどれだけ難しいか、恐らくこの青年にも分かっているだろう。最愛の恋人の為に命を張るというのは、まぁ分からなくもない話ではあるが、その過程で全部救っていくというのは傲慢に過ぎるというものだ。

 必ずどこかに、綻びが出る。救えなかったものが必ず出る。諜報員として潜入している以上、他者の命を盾にしてでも生き延びて正体を隠し通し、任務を全うするのが自分の役目だとマイヤは理解していたし、恐らくそれが一番正しいのだろう。

 だが、この男はいとも簡単にそれを成し遂げてみせると言ってみせたのだ。彼女の使命も何もかもを嘲笑うようにして、絶対的な自身と実力を以て。

 

 

「―――そうですか。では、この辺りでお開きにしましょう。また、機会があれば」

 

 気付けば、逃げるようにしてその場から去っていた。

 中身が空になったジュースの容器をゴミ箱の中へと放り捨てて、マイヤは燦々と降り注ぐ太陽の光に目を向けていた。

 

 己は影だ。歴史の影に潜み、情報を掠め取って生きていく卑賎の存在。

 そこに本物の情愛などあってはならない。もし命が下れば、このクロスベルで過ごした2年間の内に出来た思い出の全てを躊躇わず破却して姿を消さなければならない。

 劇団での思い出は、正直濃すぎたと言っても過言ではない。役者と裏方のスタッフが一丸となって作り上げる作品。それを演じ尽くす事に満たされるものがなかったのかと問われれば、恐らく彼女は答えに窮するだろう。

 

 熱心に舞台の良さを説いてくれた太陽のような先輩アーティストがいた。どこからか拾われてきて、いつの間にか劇団で働く事になった面倒の見甲斐がある後輩がいた。

 そして何より―――切磋琢磨して来た同期であり、親友がいた。

 

 彼女は一体どうするのだろうか。如何なる状況に置かれても”凶手”としての役目を全うするのか? はたまた、全てを投げ捨ててでも正直に生きていく道を選ぶのか?

 自分は元より、それに悩む事もなかった。なかったはずだった。諜報員《鬼面衆》として、過ごした日常をあっさりと逡巡する事すらなく破却できるものだと、そう思っていた。

 

 ならば―――今この胸に蟠っているような感情は何だ?

 ()()()()()()()と、駄々をこねているような靄がかかった感情は何だ?

 

 

 そんな答えの見つからない自問自答を繰り返していると、エルム湖を移動してきた遊覧船が港湾区の波止場に近づいてくる音が聞こえた。

 恐らくあれに乗って、リーシャが帰って来たのだろう。そう推測を立てると、マイヤの進む足の速さは自然と速くなっていた。

 

 今のこんな姿を、見せるわけにはいかない。

 

 その感情は紛れもなく、()()()()が抱いた素直な劣等感だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







 どうも。何をトチ狂ったか、場面をクロスベルに引き戻した十三です。
 いや、理由はあるんです。今の状況下でこれを書かなくては、もうクロスベルがしっちゃかめっちゃかになっちゃうので。

 今回は《月影》構成員、マイヤ・クラディウスちゃんの話でしたが、次回はアスラとリーシャの過去話でも書こうかなと。今書かなきゃうやむやになりそうで怖いんです。いや、ホント。

 あれだ、きっと。この頃アニメの『ジョーカー・ゲーム』にハマって原作も買ったもんだから”情報戦”みたいなのも書きたくなっちゃったんだそうなんだ(汗)
 ……どうか見てやってくださいお願いします。


PS:『BLACK LAGOON』に遅まきながらハマった自分がいる。あの作品見てるとタバコ吸いたくなってくる。いや、私タバコ吸わないけど。
 アリオスさんも張の兄貴みたいな鉄のハートを持ってれば良かったのに。兄貴マジカッコいいっす。バラライカの姉御? あの人はホラ、次元が違うから。
 というか猟兵時代のサラって、性格まんまレヴィっぽかったんじゃないだろうか。あそこまで荒んではいなかっただろうけど(笑)

PS:FGO→おう、イベあくしろよ。

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