英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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「自分は味方だよ。信頼すべき己を敵としてしまったときこそ人は真の敗北者になってしまうのさ」
    by 安心院なじみ(めだかボックス)









大虎の鳴動

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほー、カリサの奴と会ったのか。《兵站班》の主任がわざわざ来るってことはガチの取引してたな」

 

「何と言うか……見た目はアレなのに隙のなさそうな人だったよ」

 

「当たり前だ。アイツはアレで武器商人歴20年以上の大ベテランだぞ。潜ってきた修羅場の数が違う」

 

「ん? ちょ、ちょっと待て。商人歴20年以上って……あの見た目で何歳なんだよ⁉」

 

「知らね。多分誰も知らんぞ。本人も「20歳からカウントしてません♪」って言ってたからな」

 

 

 RF社本社ビル24階。ここと最上階25階のペントハウスは2フロア分が階続きになっており、そしてそこがラインフォルト家の居住スペースになっていた。

 ルーレ下層での一連の騒動後、会長室で報告書を提出し終えて晴れて学生の身分に戻ったレイと一緒に、リィン達は改めて三日間寝泊りさせて貰う場所を訪れていた。

 

 到着した時間も時間であったため、シャロンが用意してくれていた夕食を摂ろうとしたのだが、そこで席を共にする筈だったイリーナが急用により欠席。

 流石に不貞腐れていたアリサであったが、クロウとエリオットが半ば強引にリィンを隣に座らせたことで微妙な雰囲気は何とか緩和した。フィーは「あれまるでイケニエだね」という感想を漏らしていたが、ある意味それも正解だろう。

 

 そうして夕食の席も(たけなわ)となったところで、先のような話題が挙がった。元々「真っ当ではない知り合い」が来ているという事は分かっていたレイにとって、彼女が取引に来ていたという事も別段不思議な事ではない。

 

 

「《マーナガルム》……レイが《結社》に居た頃から縁が深いって」

 

「ん、シャロンに訊いたか。まぁ確かにそうだよ。詳しくはコイツがあるから言えんがな」

 

 フォークを指の間に挟んだままに右首筋を触るレイ。それについてはリィン達もいい加減理解が及んでいるので触れようとはしない。

 説明を求めている訳でもなかったのだが、レイは苦笑をしながら話を続けた。

 

「アイツらは戦場で、戦う人間相手なら容赦はねーよ。そこんところは、まぁ猟兵の気質的な問題だ」

 

「それは……うん。分かっているつもりだ」

 

 戦場で敵を殺す。それは猟兵でなくとも正規兵でもやっている事だ。「戦場でも人を殺してはならない」などと嘯く程、リィンとて青臭くはない。

 

「だけれど武装していない民間人には手を出さない。絶対に、だ」

 

「それは、団のポリシーなの?」

 

「ポリシーってか、規則だな。他の猟兵団だと村に敵対勢力を追い込んで民間人お構いなしに包囲殲滅するって作戦を取るところも珍しくはないが―――《マーナガルム》は一切しない。()()()()()()()()()()仕事をこなせるだけの練度があるからな。西風のトコとかと違ってそれ程大規模じゃなくて小回りが利きやすいのも理由の一つだが」

 

 そう言うレイの口調は、いつもよりもどこか饒舌で、誇らしげであった。

 マーナガルム(彼ら)からすれば民間人を殺さない事(それ)は当たり前の事なのだ。月をも喰らう神狼であるからこそ、牙を剝く相手は厳選する。叩き潰すは立ち向かう敵であり、それ以外では決してない。

 

「……やっぱり色々とやってたんだね」

 

「まぁな。部隊運用が柄じゃねぇってのはそこで理解したよ。―――今更だが、こんなんメシの場で話す事じゃねぇな。悪い」

 

「それこそ今更よ。普通に皆食べながら聞いてるじゃない」

 

「シャロン、パンおかわり」

 

「かしこまりました、フィー様」

 

 話の内容自体は結構血生臭い筈だったのに、食事の手を止めないまま普通に耳を傾けている面々を見て―――随分と変わったなと思わざるを得ない。元々猟兵として生きていたフィーを除けば、だが。

 だがリィン達とて、僅かも忌避感がないというわけではないだろう。そしてそれは、正しい感情であると言える。

 

 猟兵とはそういう存在なのだ。戦場の鉄風雷火の中で、鮮血の戦化粧を常とする異色の集団。そこに親しみなど極力あってはならない。

 しかし、だからこそ彼らは「戦場の中だけの存在」でなくてはならない。悪鬼もかくやの気迫で以て振るわれる殺戮の刃は、敵兵にのみ向けられなくてはならない。

 だから、正義の味方などでは断じてない。彼らも、そしてレイ(自分)も。

 

 そして、そんな彼らが今回公にリィン達と接触をし、身分を明かしたという事。それがカリサの独断であったとは考えにくい。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事―――つまりはそういうことを言外に言っていたのだろう。

 

 更に、レイが気になったことがもう一つ。

 

 

「それにしても、まったく母様は……まったくもう」

 

「お嬢様……」

 

「……分かってるわよ。私の方は、まぁまだ我慢できるけど、仮にもトールズの理事なんだから食事の約束くらい守ってもいいでしょうに」

 

 イリーナ・ラインフォルトが夕食の予定をキャンセルして《ルシタニア号》に乗船して何処かへと出張してしまったという事。

 ラインフォルトグループの現会長として多忙を極めているのは分かる。それは今日一日、数時間だけ秘書として付き従ったレイもよく理解していた。突発的な出張などそれこそよくある事であろうし、アリサの半ば諦観している態度からもそれは明らかだ。

 

 だが、秘書代理として付き従っている時に今日一日のイリーナのスケジュールをチェックする機会があったのだが、分どころか秒刻みで動く綿密なスケジュールの中にあって、しかし夕食の時間だけはきっちりと空けてあったのだ。

 それがアリサの言う通り学院の理事の一人としての義務としての事であったのか、それとも彼女なりに娘との久方ぶりの食事を密かに楽しみにしていたのかは分からない。しかしながらキャンセルの知らせを真っ先に聞いたのであろうシャロンがいつもよりも意気消沈していたところを見るに、シャロンにとっても半ば予想外の事だったのだろう。―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 何処に行ったかを察するのは、流石に無理というものだ。機密の観点からもシャロンに直接聞き出すわけにもいかず、知っている可能性があると言えば―――《月影》の面々くらいだろうか。だがこの程度の事でわざわざ連絡を取る訳にもいかない。

 

 不可解な事実が重なっていくと、どうにも悪い予感が真っ先に浮かぶのは悪癖だと分かっていても、今までその予感を頼りに生き残ってきた身としては無視する訳にもいかない。

 ひとまず頭の片隅に置いておく程度に留める事を決めた時には、既にペントハウスの最上階の窓から見える景色はすっかり闇に染まっていた。

 今日一日の報告書を(したた)め、各々自由行動を取る面々を尻目に、レイは書斎の一角に設けてあったソファーに深く座って目を瞑り、情報の整理を行う。

 

 

 現在情報によって確認できている、《結社》の幹部クラスの人間は全部で8名。

 

 《使徒》第二柱―――《蒼の深淵》ヴィータ・クロチルダ

 執行者補佐(レギオンマネージャー)―――《錬金術師(アルケミスト)》ルシード・ビルフェルト

 執行者No.Ⅳ―――《冥氷》ザナレイア

 執行者No.X―――《怪盗紳士》ブルブラン

 執行者No.XⅦ―――《剣王》リディア・レグサー

 《鉄機隊》副長―――《爍刃》カグヤ

 《鉄機隊》副長補佐・近衛筆頭騎士―――《雷閃》ルナフィリア

 

 そして、《使徒》第四柱―――《蒐集家(コレクター)》イルベルト・D・グレゴール。

 

 ただし、これはあくまでも「現時点」であり、以降どうなるかは知れない。ただでさえ宜しくない戦局に更に増援があるなどと考えたくもないが、常に最悪の事態を考えておかなくてはならない。

 彼らを招き入れるのは既に帝国内で下地を整えてある《帝国解放戦線》の仕業で、そしてその戦線を支援しているのは『貴族派』の連中だろう。

 ケルディックで見た領邦軍の目に余る行動、オーロックス砦でリィン達が見たという領邦軍の過剰なまでの軍備増強、一介のテロリストが所有するには不可思議なまでに高価なRF社の高速飛空艇を提供したのも、恐らく『貴族派』。―――レイがトールズに入学する遥か前から、それらの仕込みは済まされていたと考えるのが妥当だろう。

 

 クロスベルにも同程度の戦力が密かに集っているという情報と統合するに、リベールの件と同様、《結社》が介入するだけの意図がある事は明白。

 2年前は異次元に封印されていた空中都市《リベル=アーク》の中心部である七の至宝(セプト・テリオン)が一、「《輝く環(オーリ・オール)》の回収」が企みの主目的であった事を考えると、今回の介入も七の至宝(セプト・テリオン)を狙っている事が予想される。

 

 クロスベルは―――言うまでもなくキーアそのもの。《零の至宝(デミウルゴス)》の復活がクロイス一族の悲願である事も考慮に入れれば、立ち向かうものはそれこそクロスベルという場所そのものを敵に回す覚悟が必要だ。立ちはだかる者達も、並大抵の技量では撃破できないだろう。

 

 しかしながら、《結社》がエレボニアで何を成そうとしているのか。それが未だに不明瞭のままなのだ。エレボニアにも秘密裏に至宝の一つが眠っている可能性は高そうではあるが、今のところその存在は確認できていない。だからこそ、必要以上に警戒をしなくてはならないのである。

 

 強引にでも繋がりを見出すのならば―――怪しいのはトールズ士官学院の旧校舎と、ノルドに行った際に見かけた巨像。旧校舎の迷宮はレイの持つ《慧神の翠眼(ミーミル・ジェード)》でも解析できなかった事から鑑みるに《大崩壊》以前、旧ゼムリア文明時に創られたモノだと見て相違ない。巨像の方は昔、師のカグヤから聞いた《獅子戦役》時に存在していたらしい兵装に装いが似ている。それについては恐らく、《魔女の眷属(ヘクセン・ブリード)》のエマの方が詳しいだろうが、同じ里に居た経歴を持つヴィータが《使徒》として帝国に来ている以上、これも無関係であるとは思えない。

 

 思考を巡らせばキリがない。しかし情報を口にすることができない以上、向こう側が打ってくる先手に対して少しでも有利な条件を見つけ出さねばならない。―――それが自分にできる最低限の義務であると、レイは思っていた。

 

 

 

「―――レイ? あぁ、ここにいたのか」

 

 すると、徐に声を掛けられ、レイはゆっくりと目を開けてから振り向く。

 

「どうした、リィン」

 

「クロウが文化祭の女子の方の衣装案についてレイにも意見を募りたいって言ってたんでな」

 

「露出度が高くなけりゃいいんじゃね? 常識の範囲内で多少あざとくした方が人気出そう―――ってのはアイツの事だから多分分かってんだろうけどな」

 

 文化祭でのⅦ組の出し物はステージ上での楽曲演奏。それもクラシックのような類ではなく、最近流行り始めているロックな雰囲気の歌を中心に構成することが決まっている。

 であれば、かしこまったドレスやタキシードなどは逆効果。ポップな雰囲気を醸し出しながらも、女子は可愛さと美麗さを兼ね備えた、男子は軽妙でありながら格好良さを求めた服装でなければならない。

 とは言っても、服装のデザインそのものはクロウが一人で進んで推し進めている為、レイとリィンはそれに対してアドバイスを送るのが主な役割となっている。

 最初の頃はあざとさという次元を飛び越えて犯罪的な領域まで侵入したデザインに対して容赦のない制裁(物理)を加える事もしばしばだったが、最近ではマシな方になっているため、余程の事がなければ添削を加えるつもりはなかった。

 

「でもあのバカ調子乗るとやらかすからな。後でチェックしとくか」

 

「ははは」

 

 苦笑するリィンの姿を見て、レイは「あぁ、そうだ」と書斎を離れようとするリィンを引き留めた。

 

「?」

 

「ちとお前と話したいことがあったんだった。まぁ茶でも持ってくるからそこに座って「お待たせいたしました」―――うん、知ってた」

 

 まるでタイミングを見計らっていたかのようにトレイの上に二人分のカップとティーポットを乗せて書斎に入ってきたシャロンに特段驚くこともなく、レイとリィンはそれぞれ向かい合って座る。

 そしてシャロンが去った後、淹れてくれた紅茶を互いに一口啜ってから、改めてレイが口を開く。

 

「そんで話なんだが……あぁ、別にそんな身構えなくてもいいっての。別に物騒な話をしようってわけじゃねぇからさ」

 

「あ、あぁゴメン。つい癖で」

 

「癖ってお前……まぁいいや。んじゃ単刀直入に言わせてもらうけど―――お前まだアリサに告ってねぇの?」

 

 本当に憚る事もなく投げつけられたその言葉に思わず口の中に残る紅茶を吹き出してしまいそうになったが、リィンは何とかそれを堪えた。

 それでも僅かに紅茶が逆流し、数秒ほど(むせ)た後、回復のタイミングを計ってレイが続けて言葉を投げる。

 

「クロウもエリオットも、ついでにあのフィーまで「もうそろそろ限界が近い」ってさっき訴えてきたんだぞ? 前の二人はともかく、フィーにまでそう思われてるってのは相当だかんな」

 

「うぐっ……」

 

「まぁ俺も恋愛絡みでは偉そうなこと言えたクチでもないんだがな」

 

 とは言え、リィンの思惑もまぁ分からないわけではない。

 周りからは朴念仁などと言われる事もあるが、レイから見れば世間一般的な意味合いでの「朴念仁」とは些かニュアンスが違って見える。

 他人の感情を察する術に関して言えば、そこいらの人間よりも上だろう。ただし察する際に彼は、色々と余計な事を考えてしまう癖がある。

 

 

「……分かってはいるんだ。男らしくないって事ぐらいはさ」

 

 ポツリと、息を吐き出すようにリィンは言葉を漏らした。

 

「アリサの気持ちも……気付いてはいるんだ。俺自身もアリサが……その、好きだって事も自覚してる。でも……その……」

 

「言っちまえ言っちまえ。どうせここには俺とお前しかいないんだ」

 

「……あぁ。最初は、本当に分からなかったんだ。ユミルはお世辞にも人が多いって訳じゃなかったからさ。同世代の異性なんてそうそういなかったから、女心とかがあんまり分からなくて……」

 

「? エリゼ嬢とかいたんじゃないのか?」

 

「エリゼは一応妹だったからな」

 

 成程、やっぱり”精度”の方はあまり宜しくないな―――と思いながら、レイは続くリィンの言葉にティーカップを傾けながら耳を傾ける。

 

「それに―――アリサの相手に俺なんかは相応しくないって思っていたんだ」

 

「相応しくない?」

 

「俺は戸籍上は一応男爵家の人間ではあるけれど、本来はどこの馬の骨とも知れない捨て子だ。対してアリサは帝国の中でも超巨大企業の会長令嬢。……釣り合わないって思ったんだよ」

 

 馬鹿馬鹿しいと切って捨てるのは憚られた。それは間違いなく、血筋やステータスが重要視されるエレボニアで生まれ育った人間が持つ価値観そのものであったからだ。

 国民の階級が明確化されている国において、その階級の垣根を超えての自由恋愛というものは難しいというのが通説だ。特に貴族階級が根強く残っているエレボニアでは、貴族以外のステータスを持つ家であっても、より良い血筋を残そうという傾向が強い。

 リィンは育った家庭が良かったせいか一般的な貴族が抱く傲慢さを欠片も持たずに育ったが、その分自分がみなしごであったせいで養父が貴族界で疎んじられた事も知っている。本人は気にしていないように見えて、自らの出生に対してコンプレックスを密かに抱いていたのだろう。だが―――。

 

 

「でも―――もう()()()()を考えるのはやめた」

 

 

 顔を上げたリィンの表情はとても晴れやかで―――。

 

 

「身分が釣り合うとか、釣り合わないとか、そんな事はレイを見ててどうでもよくなった。人は生まれに縛られる事無くここまで自由に、強く生きられるって良く分かったから。

 だから―――うん。俺はそんな()()()()()には縛られない。ちゃんと、想いを伝えたい」

 

 

 その声は、自信に満ち溢れていた。

 

 

「―――ハッ」

 

 レイは思わず、自分の口角が僅かに吊り上がっているのを自覚する。

 嘲笑などではない。覚悟を決めた友に対する称賛の笑みだ。

 

「腹決まってんじゃねぇか。……ま、できるだけ早く伝える事だな」

 

「それは……気持ちが変わらない内にって事か?」

 

「ん? あぁまぁ確かにそれもあるが……」

 

「?」

 

「いや、何でもない」

 

 「生きていられる間に、伝えたいことは伝えておくべき」―――という言葉を、寸でのところで呑み込む。

 嘗てはいつ死ぬかも分からない場所に身を置き、そして伝えるべきことも伝えられずに大切な人を幾度も見送ってしまったレイだからこそ言える言葉ではあったが、それはリィンに押し付けるべきモノではない。

 失くす事が前提の言葉など、彼らには必要ないものなのだから。

 

「ま、さっきも言ったが俺も褒められる恋愛はしてねぇからな。でも、一つだけ言える事はある」

 

「…………」

 

「好きな人に好きと伝えられるのは、生きている人間の特権だ。―――後悔すんなよ、ダチ公」

 

「……あぁ」

 

 力強く頷いたリィンを見て、レイは内心で安堵の溜息を吐いた。これで彼は、もう足踏みすることもないだろう、と。

 

 これで他のⅦ組の面々ももうヤキモキする事もなくなり万々歳。二人の仲を取り持つ事ができてレイ的にも万々歳。ついでに告白シーンを撮影する機会ができて神出鬼没メイド(シャロン)的にも万々歳と言ったところである。

 最低限この実習中に告白が叶えば良い方だと思い、背伸びをしていると、不意にポケットの中に入れていたレイの特注ARCUS(アークス)が着信音を響かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルーレ市中心部上層、俗に空中回廊と呼ばれる一帯の南側の一角に、その店はある。

 

 店名は、ダイニングバー『F』。市内の中心部とは言ってもオーバルストアなどが乱立している場所からは少しばかり離れた位置にあり、夜間も導力灯が煌々とルーレの街を照らし続ける中、その店の周辺は落ち着いた雰囲気を醸し出していた。

 腕時計を確認すれば、時刻は午後の10時を回った頃合い。夜間に学生服姿の人間が街中を歩くと目立つため、可能な限り気配を消してRF本社から歩く事十数分。レイは再び一人になってこの場所を訪れていた。

 

 無論、理由もなく抜け出して此処に来たわけでもなければ、隠れて飲酒をするために来たわけでもない。入口の扉を開け、長い長い階段を下っていくと再び扉が見えたので、真鍮製のノブを回してバーの中へと入っていく。

 

 店内は、まさしく落ち着いたナイトバーといった照明の色で染まっており、耳に入ってくるのはクラシック・ジャズ調の音楽の生演奏。《結社》を抜けて大陸各地を放浪していた時代にたまに入っていたバーとは色合いが違うその雰囲気はレイにとっては少々異色ではあったが、それでも違う空気に呑まれるほど素人ではない。

 さて、自分を呼び出した人物はどこにいるのだろうかと店内を見渡そうとする前に、あちら側からレイの姿を見つけて声をかけてきた。

 

 

「こちらです、レイ君」

 

「―――よう、クレア」

 

 バーのカウンターの一角でカクテルの入ったグラスを前に淑やかに佇んでいたクレアを前にして一瞬言葉を失ったレイだったが、次の瞬間には体裁を保って言葉を返す事に成功した。

 淡い光に照らされた今のクレアは、彼女の淑やかな性格に似合う薄紫色のドレスに身を包んでおり、任務中よりも余所行き用に拵えられたメイクとも相俟って美しさに更に磨きがかかっていた。

 以前帝都で共に過ごした時の服装を太陽のような神々しさと例えるのならば、今のクレアは宵闇に映える月下美人と言ったところだろう。どちらにしても、魅力的なのは変わりなかった。

 

「すみません。急に呼んでしまって」

 

「気にすんな。俺もちょいと言わなきゃいけないことがあったしな」

 

「フフッ。カウンターでは目立ちますから、奥の席に移動しましょうか」

 

「あいよ。あ、マスター、ジンジャエール一つね」

 

 流石に実習中、それも学院の制服を着ている状態での飲酒はご法度なので、なるべくバーの雰囲気を壊さない程度のメニューを注文しておく。

 そうして席を移動し、他の客からも少しばかり離れた場所に再び腰を下ろすと、体面に座ったクレアが再び微笑んだ。

 

「真面目ですね、レイ君は」

 

「一応これでも学院では優等生で通ってるんでな。……こんな時間に学生がいるってだけでも悪目立ちしそうだ」

 

「マスターには私から話は通してありますし、気配を薄くしてる今のレイ君の事を訝しむ人もそうそういないでしょう?」

 

「夜だからか、テンション高いな」

 

 普段よりも大らかな口調のクレアとそれから数分ほど他愛もない言葉を交わし、注文していたジンジャエールがテーブルに届いたところで、レイが少しばかり申し訳なさそうな顔でグラスを回した。

 

 

「……さっきは悪かったな。ああでもしないと面倒臭い事になってたってのは言い訳なんだが」

 

「いえ、私の方こそ迷惑をかけてしまいすみませんでした。交渉事には少しばかり自信があったのですが……いけませんね。まだまだ未熟だったようです」

 

「あの人には俺も一杯食わされてるからなぁ」

 

 第三者という立場を明確にするために他人行儀のまま接しざるを得なかった数時間前の出来事を互いに謝り、ひとまずレイが伝えたい事は伝え終わる―――という訳でもない。

 

「……にしてもらしくないな、クレア。ユーシスらへんから聞く限り、元々地域治安維持は領邦軍の管轄だ。そこに土足で踏み込みに行くんだったら反発があって当然。お前も勿論それは分かっていたはず。なのに何で、あんなに強引に押し通ろうとした?」

 

 レイでなくとも、帝都での一件におけるクレアの手腕を見ていた者であれば、誰であれ疑問を抱くだろう。彼女が本来の在り方で動いていたのならば、もしくは渋々ながらも対立を煽る前に領邦軍を黙らせる事ができた可能性が充分にある。

 であれば考えられるのは―――。

 

 

「今回の件を以て、『革新派』は『貴族派』に対して明確な敵意を表明した。誰の目から見ても明らかであるように対立構造を見せつける事で、黙らせる敵を明白にしたんだな」

 

「……ご名答です。まさかあそこでルーファス卿が現れるとは思っていなかったため……結果的にレイ君にはまたご迷惑をおかけしてしまいました」

 

 重ね重ねごめんなさい、と再度謝るクレアにレイは気にするなと言葉を掛けたが、実際問題オズボーンが本格的に次の一手を打ち始めたことに対して危機感を抱かずにはいられなかった。

 

 クロスベル自治州ではディーター・クロイス市長による「クロスベル独立宣言」。カルバード共和国では《反移民政策主義》によるテロの頻発化と止まらない株価の下落。―――近隣諸国が少なからず時代の波を作り、或いは呑み込まれようとしている中でオズボーンは、盤面を動かしにかかった。

 エレボニアの平和を脅かす《帝国解放戦線》を背後から支援しているのが『貴族派』であるという事は、この一件を以てはっきりと証明された。もはや疑う余地もない。

 「ギリアス・オズボーンを斃す」という目的、利害が一致している以上、その可能性は特段勘が鋭くない者であっても示唆できるだろう。そうした状況下で、それでもなおこれまで冷戦状況を保ってきたオズボーンのここに来ての判断―――与えられている猶予は、考えているよりも短くなると判断するのが妥当だろう。

 

「その一手目としてルーレに目を付けた理由―――話してくれるのか?」

 

「えぇ。元よりそれをお話しするためにレイ君を呼んだのですから」

 

 

 ラインフォルト家の書斎で連絡を受けた時から、艶っぽい話ではない事は分かっていた。クレア・リーヴェルト個人ではなく、「《鉄道憲兵隊》大尉クレア・リーヴェルト」として話を持ち掛けてきたというのは―――つまりはそういう事だ。

 呼び出したのがレイだけというのも、彼一人だけに重荷を背負わせようという訳ではなく、より正確に機密を仲間の下に持ち帰ってくれる人物であると判断したから。……全く私情が含まれていなかったかと問われれば、首を横に振る事はできなかったが。

 

「現在、《鉄道憲兵隊》はラインフォルトグループ『第一製作所』への強硬調査を検討しています」

 

「『第一製作所』……鉄鋼業と大型機械部門だったか。仕切ってる取締役はログナー侯爵の実弟のハイデル・ログナー……成程」

 

 余りにも巨大すぎる規模であり、更に独立採算制というシステムを導入したことにより、会長のイリーナですらも全貌を把握しきれていない現状において、『貴族派』に縁のある人物が取り仕切っている部門は『革新派』にとっては警戒対象であり―――そしてその強硬捜査を領邦軍が露骨に阻んでくる。

 操作を円滑に進めるためにイリーナ本人に捜査依頼を要請しても、株主の半数以上をログナー侯爵家が掌握し、更に5年前にグエン・ラインフォルトから会長職を簒奪した際に『貴族派』の力を借りている事もあり、手が出せない状況……キナ臭いどころの話ではない。

 

「レイ君は今日、イリーナ会長の下で秘書代理として付き添っていたとか」

 

「まぁな。ただ仕事の概要を教えるだけだとばかり思ってたが……もしかしたら暗にこの事を示唆していたのかもしれないな、あの人は」

 

「イリーナ会長は、この現状を打破するために動くと思いますか?」

 

「思わないね」

 

 レイはピシャリと、それこそ一切の迷いもなくその可能性を打ち切ってみせた。

 

「あの人はガッチガチの経営者だ。『革新派』だろうと『貴族派』だろうと関係なく会社を回していく。派閥間における善悪の観念をあの人に説いても無駄だぜ。そういう感覚から逸脱してるのが「死の商人」ってヤツなんだからな」

 

 そも、軍人とは根本的に価値観が違うのだ。彼ら―――骨の髄まで商人・経営者根性が染みついた人間は特定の存在に対して忠誠を誓う事はない。

 彼らが最も信頼を寄せるのは、いつだって自分自身の商才だ。他者が定める善悪の価値なんてものは説法にすらなりはしない。

 

 

「―――んで、その強制捜査の事をわざわざ”俺達”に伝えたって事は……おいそれと興味本位や正義感で手を出すなって事だろ」

 

「…………」

 

「……言い方が悪かったか。別に責めてるわけじゃねぇよ」

 

 『革新派』でも『貴族派』でもない中立の第三勢力―――特科クラスⅦ組の設立に関わったオリヴァルトの思想がそうである以上、Ⅶ組のメンバーは須らく注視の対象だろう。

 以前、それこそケルディックで事件に巻き込まれた時のような未熟極まりない状態であったのならば、恐らく今回の件においてもクレアは何も言ってこなかっただろう。それが示す事は―――オズボーンも一瞥する程度にはⅦ組が優秀になってきたという事である。少なくとも、介入を許せば厄介だと思わせる程度には。

 

「分かってる。分かってるよ。なるべく首を突っ込まないように注意はする。―――まぁ、だけど……」

 

 そこまで言って、レイはニヤリと口角を上げた。

 

()()()()()()は買いに行く主義だからな。俺も、アイツらも」

 

「えぇ。私もそこまでは管轄しません。どうか士官学院生として、誇りある行動を」

 

 例え政府側が介入を禁じたとしても、それでも巻き込まれるだろうという予感はあった。今でこそ半ば強がりで笑っていられるが、恐らくは笑ったまま済ませられるようなものでもないだろうという事も。

 害を為すものに対して為されるがままにされる―――それは誇りある軍人を養成する士官学院生としてはあってはならぬ事。そういった建前を利用して、何かあった場合は介入する意欲を示したのだ。

 

「……ま、キナ臭いってのも分かってるし、俺らができる事なんて限られてるけどな。……まぁ、一個だけ個人的に言いたいんだが」

 

「?」

 

()()()()()()()()()()()()

 

 呪いの所為で多くを語れないレイが、その一言に込めた想いや思惑は多い。それをクレアは受け止めたのか、咀嚼するようにゆっくりと首を縦に動かした。

 精強で知られるエレボニア正規軍ですらものともしないような”武闘派”の《執行者》や、文字通り一騎当千の《鉄機隊》の戦乙女たち。そして―――常識の枠外に存在する《使徒》。

 

 そんな存在と相対した時に、下手を打てば命の保証などできない。命を懸けて日々任務に勤しんでいる本家本元の軍人に対しては余計なお世話ではあろうが、それでも言わざるを得なかった。

 どれだけ慎重に行動しても、しすぎるという事はない。だが、拙速に動かなければ取り返しのつかないところまで一瞬で追い込まれる―――油断など、一時たりとも抱いてはならないのだ。

 

「―――はい。しっかりと心に留めておきますね」

 

「ん。―――はい、んじゃこれでシリアスな話は終わり。……肝心な事言い忘れてたしな」

 

「えっ?」

 

 これじゃあリィンの事を説教できないなと心の中で自虐気味に笑いながら、レイはクレアの臙脂色の双眸を見据えて言う。

 

 

「その格好も、凄い綺麗だぞ。クレア」

 

「っ―――。は、はい。あ、ありが……とう……ございます」

 

 白い玉肌を赤く染めながら、俯きがちに、消え入りそうな声で返事を返すクレア。

 その感情の移り具合は、暖色系の照明が照らされている店内であっても充分すぎるほどに見て取れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから数十分後、ダイニングバー『F』を後にして外に出たレイとクレアの二人は、正面に聳える巨大なRF本社を見上げながら息を吐いた。

 

「さーってと。アリサん家に帰ってとっとと寝るとするかぁ」

 

「ごめんなさい。こんな遅くまで付き合わせてしまって」

 

「いいっていいって。ここ最近は文化祭の衣装打ち合わせとかで遅くまで起きてることもあったからなぁ」

 

 ふぁ、と欠伸を噛み殺し、レイはRF本社の最上階を見る。

 ペントハウスの明かりはまだ点いており、恐らくはまだ他のメンバーも起きているのだろう。フィー辺りはもう寝ているだろうかと思いながら、クレアの方を振り向いた。

 

「お前の方もちゃんと睡眠は取れよ? また過労気味になるなんて事がないようにな」

 

「はい。心配しなくても退院後はちゃんと体調管理をしていますよ。―――では」

 

 そう言って軽く一礼をし、ルーレ駅の方へと歩いていくクレアを、レイは徐に「クレア」と呼び止めた。

 

 

「俺は『貴族派』に力を貸すつもりは毛頭ない。だが―――『革新派』に肩入れするつもりもない」

 

 それは、クレアにも分かっていた。

 彼が『革新派』の一員として力を貸してくれればどれだけ力強いだろうかと、儚い妄想をしたこともあった。だが、それは違う。レイ・クレイドルという少年は、この国の派閥の(しがらみ)などに囚われてはいけない存在なのだ。

 それを再認識すると思わず一瞬表情が昏くなってしまうクレアであったが、レイの言葉はまだ終わっていなかった。

 

 

「だけどな―――俺はいつだってクレア・リーヴェルトの味方だ。それだけは、絶対に忘れるなよ」

 

 

 力強く放たれたその言葉が、クレアの心にすとんと滑り落ちる。

 隠し切れない喜色と恥ずかしさが相俟ってレイの方を振り向けないままに、しかしそれでも「……はい」という言葉だけを返して、下層の方へと消えていった。

 

 

「……もっと早く言っとくべきだったかな」

 

 どうにも調子が狂うと髪を搔きながら、レイは空中回廊の上を歩き続ける。

 調子が狂う理由は明白だった。バーに来る前に色々と考えていたという事もあるが―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()調()()()()()()()()()()()()

 

「……ここか」

 

 ともすれば言葉を発した本人すら聞き取れないような掠れた小さな声でそう呟くと、レイは【瞬刻】を発動させて路地裏に入り込む。

 血管のように入り組んだパイプを足場にしながら、ビルとビルの隙間を闇に紛れたままに疾駆する。僅か数秒で気配の残滓を感じ取ったビルの屋上に辿り着いたが、既に人影は何処にもない。

 だが神経を研ぎ澄ませてみると、吹き抜けるビル風に交じって塵芥程度に揺蕩う魔力を感じ取れる。

 それ程遠くではない―――それを理解した瞬間、レイは躊躇う事もなくそのビルの屋上から飛び降り、また別のビルへと飛び移る。

 

 深追いはしないという程度の認識は弁えていたが、不確定要素が蠢くこのルーレで自分を遠巻きに監視していた存在というのがどうにも気にかかり、ただ夜の街を駆け抜ける。

 監視者がヨシュアやシャロンのような、所謂”本職”であったら早々に追跡は諦めていただろう。だが今追っている存在は、本当に微細ながら痕跡を残している。これならば―――辿れた。

 

「《布都天津凬(ふつあまつのかぜ)》ッ‼」

 

 レイがそう叫ぶと、『外の理』で鍛えられた愛刀が空間を超えて主の手元に顕現する。

 ペントハウスの寝室に置いていた《天津凬》は、周知のとおり意志を持つ刀。()()()()()()()()()()()()()()()()()()という気紛れ屋な性格ではあるが、今回はしっかりと応えてくれた愛刀を一瞥し、レイは【瞬刻】の出力を更に上げる。

 

 そして遂に監視者を視界に捉えた瞬間、レイは墜落防止用のネットに足を引っかけ、更に加速しながら―――空中で白刃を抜刀した。

 【剛の型・瞬閃】―――元より仕留める事を前提とした一撃ではなく、あくまでも足を止めるために放った牽制の一閃であったが、その一撃を防いだ相手の剣を視認して、レイは鋭く目を細めた。

 

 観念したのか、それともこれ以上の追いかけっこは無意味だと判断したのか、とあるビルの屋上で数アージュの距離を置いてレイと向かい合うように足を止めた人物の右手に携えられた剣の形状を、レイは良く知っていた。

 

「《ケルンバイター》? ……いや、違うか」

 

「……分かりやがりますか」

 

「《結社》に居た頃はレーヴェによく手合わせをしてもらった。何度も何度も交わした剣の感触を忘れるようじゃ、”達人級”失格だ」

 

 月光を背に立つ少女。長い金髪をビル風に棚引かせ、小柄な体に合わないロングコートを着込むその姿を見て、正体はすぐに理解できた。

 

 

「お前が、俺が《結社》を去った後にレーヴェが弟子に取ったっていう奴か」

 

「えぇ。―――こんな形ではありますが、貴方と顔を合わせられたのは光栄でやがりますよ。先輩」

 

 ただそれだけを言って、嘗ての先達と相対した少女はニィと笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 今回改めて帝国に集まる「《結社》のみの戦力」を挙げてみましたがどうですか?
 ……難易度ノーホープ待ったなしじゃないっすかコレ。まぁ現実なんて総じて無理ゲーですしね。仕方ないね。

 おう頑張るんだよ主人公サイド。気を抜くとエレボニア全滅するぞ。ついでにまだ戦力増えるぞ。今回アホの子(笑)は戦闘ではアホしないかもしれないんだぞ。


PS:FGOのハロイベが退屈すぎるのでヴラドさん相手にドスケベ礼装狩りを延々とし続ける今日この頃。おい、早くマシュのドスケベ礼装出せよ。いつまでもユーザを待たせるなよ。クレオパトラはあんまり欲しくない。

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