英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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※前回までのあらすじ

①A班はルーレに来たけど何も起こらないなんてそうは問屋が卸さない。
②レイ君はジョブチェンジしても有能。はっきり分かんだね。
③クレア大尉のドレスアップ姿は至高。そして去り際に殺し文句を言われる。
④結社苦労人の会の飲み会(ジュース)が行われる。後輩は酒癖(?)が悪かった。
⑤ルーレでの実習はガチで命が危ないレベルと判明。
⑥新たな《使徒》襲来。絶望しかないレベル。

※今回のあらすじ

①まぁそれはそれとしてB班の様子見ましょうか。






花に潜むは美か毒か ーin オルディスー

 

 

 

 

 

 

 

 出会った瞬間、心の底から忌避感を覚えたのを思い出す。

 

 幼いながら異性同性、老いも若きも関係なく魅了するその美貌にではない。静謐な空気の中で響く玲瓏な鈴の音のような透き通った美声にでもない。生まれた時から何不自由なく生きられる、その家の高貴さを羨んだわけでもない。

 

 

 寧ろ、彼女をまるで女神の生まれ変わりであるかのように讃える周囲の人間たちこそが信じられなかった。

 彼らは、一体どのような節穴で彼女を見ていたのか。白百合のような美麗な外見だけを見て褒め称えていたというのならば、それは滑稽と言うしかあるまい。

 

 少なくとも、自分は彼女を美しいとは思わなかったし、そのような事を思ってはいけないと子供心ながらに理解していた。

 ()()は、少なくともそういった類の”モノ”だ。可憐な花に見せかけて、その実は釣られて寄って来た虫を捕らえる蟷螂(カマキリ)のようなものだ。

 

 ……否、そんな殊勝なモノではないのかもしれない。食物連鎖とか、人の理とか、そんなものから既に外れてしまった何かのような感覚。

 

 だからこそ、自分は恐れたのだと確信できる。誰もが彼女に取り巻いて媚びを諂う中、自分だけが逃げ去ったあの時の選択は、決して異常ではなかったのだ。

 

 

 ―――そして今も、その感情に変わりはない。

 

 毒花の香りに誘われるほど、自分は愚かでも、弱くもないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 帝国北西部に位置する海都オルディスは、その名の通り帝国西部の海に面した人口40万人を超える巨大海港都市である。

 海洋貿易の収益は、ゼムリア大陸に存在する小国の国家予算にも匹敵すると言われており、経済的な影響の大きさはエレボニア内でも随一と言える。また、国外の貿易商が多数支社を構えており、国際社会の観点から見ても重要な都市であった。

 

 一時期、ノーザンブリア事変が勃発した際には僅かに収益が傾いたという過去こそあれど、今日までオルディスはエレボニア第二の巨大都市として繁栄を続けていた。

 

 

 そんな土地に、特別実習として訪れたトールズ士官学院特科クラスⅦ組B班一同。

 外憂だけを気にするならば、この実習はそれほど気にかける事もなかっただろう。帝国第二の都市、そして治安の面でもしっかりとした対策が取れている場所だ。それだけならば、比較的温和な形で実習を終える事ができるのではないかと思う者もいたかもしれない。

 

 だが現在、B班を率いるユーシスのストレスは天井知らずで溜まっていた。

 

 

「おー、やっぱスゴいねぇオルディス‼ 何回か潜入した事あったけど、やっぱりこうしてみると色々と楽しそうなところがありそうでワクワクしちゃうよ♪」

 

「ミ・リ・ア・ム貴様ぁ‼ 喋るな動くな勝手に探索しようとするな‼ 貴様の存在が此処ではどれだけ危ういか分かっているだろうが‼」

 

 琥珀色の双眸を爛々と輝かせてあちらこちらに視線を動かし、また誰に許可を得るでもなくあちらこちらに行こうとする。その度に首根っこを掴んで止めるという行為にも、既にユーシスは慣れてしまっていた。

 普段の、それこそ学院にいる時ならば、ユーシスもここまで口を酸っぱくすることはなかっただろう。こうまで面倒を見てやる義理はないと踏んでいたし、何より四六時中一挙手一投足に目を掛けるのはあまりにも疲れ、また無意味な行為だと分かってしまっていたからだ。

 

 だが、この場所で彼女の勝手な行動は許されない。それこそリードから解放された仔犬のような振る舞いは、彼女だけでなくB班全員、もっと言えばトールズ士官学院という施設そのものに迷惑をかける事になる。

 

 

 最近はあまりにも馴染み過ぎて時折ふと忘れるようなこともあったのだが、彼女は、ミリアム・オライオンは『革新派』のトップ、ギリアス・オズボーンが直々に従える走狗の一人なのだ。

 そして此処オルディスは、『貴族派』の実質上の首魁であるカイエン公爵が治める地。つまりは不倶戴天の敵の懐に土足で上がり込んでいるようなものなのだ。

 

 それがどれ程の危険を孕んでいるか、そんな事は素人でも分かる。縄張り争いをしている獅子同士が同じ地に居合わせたようなもの。状況が悪ければ殺し合いにすら発展する。

 そんな時限爆弾を抱え込んでこの地に来ることがどれ程危険かなど、そんな事は実習地や生徒の割り振りを考えている学院の理事たちも承知の上の筈だ。であるならば、敢えてこの少女をこの実習地に赴かせたという事になる。

 

 どう足掻いても厄介事の臭いしかしない。―――それが本能的に理解してしまえるからこそ、ユーシスは眉間に刻まれた皺を緩める事ができなかった。

 

「委員長、コイツの行動を制限しておけ。いざとなれば攻撃アーツの一発や二発撃ちこんでも構わん」

 

「え、えーと……」

 

「ぶーぶー。ちょっとー、ユーシス酷くないー?」

 

「妥当な判断だ。本当なら縛り上げた状態で貨物扱いで運ぶ事になったとしても文句を言えん立場だぞ、此処での貴様は」

 

 そう言って眉間を抑えるユーシスを、他のメンバー―――エマ、ガイウス、ラウラ、マキアスも同情の感情を含んだ視線で見つめていた。普段はいがみ合いをしているマキアスも、この時ばかりは置かれた状況に溜息を漏らすしかできない。

 

 

 とはいえ、ミリアムを厄介者扱いするようなメンバーは、幸か不幸かいなかった。

 確かに悩みの種ではあるが、だとしても同じ特科クラスⅦ組のメンバーとして、彼女の抱えた事情くらいは慮る事はできる。

 溜め息を吐きながら、辟易としながらも、決して見捨てる事はないのが彼らの矜持というものだった。

 

「……貴様の突拍子のない行動に今更どうこう言いたくもないが、今回だけは可能な限り自粛しろ。俺達全員を巻き込んで死地に立たせるつもりでないなら、な」

 

「むぅ……」

 

「尤も―――」

 

 その後、ユーシスがミリアムと視線の高さを合わせ、他の誰にも聞こえない程度の声量で言った言葉にミリアムは一瞬驚いたような表情を見せ、そしていつもの通りの笑顔を浮かべた。

 

「しょーがないなー」

 

「ともかく、勝手な行動は控えろ。……貴様たちも気を緩めるなよ。この場所は、俺たちにとって安寧の地とは言い難い」

 

 その言葉には、一同も頷くしかなかった。ケルディックで領邦軍の癒着を身を以て知ったラウラも、バリアハートで『貴族派』のなりふり構わなさを実感したマキアスとエマも、故郷の地を蹂躙されかけたガイウスも、全員がそれが意味するところを知ってしまっている。

 

「まぁ、あちら(ルーレ)もあちらで良くない事に巻き込まれている可能性も高いが」

 

 ポツリとラウラがそう言うと、全員が「あぁ……」と声を漏らした。

 今まで、リィンとレイのコンビが共に同じ実習地へ赴いて何事もなかった時が無い事を考えると、確かにそれはあり得ない話ではなかった。

 

 オルディス程『貴族派』の力が絶対的ではないが、ルーレも四大名門の一角が治める地、そこに在れば―――一悶着は免れないだろう。

 

「どちらにせよ、今回も楽な実習ではないという事か」

 

「今まで楽だった実習の方が少なかったですけどね……」

 

 気を抜けば今までの実習のあまり思い出したくない事を思い出してしまいそうで、エマは(かぶり)を振った。

 このままでは自分の本当の使命も、いつか忙殺される毎日に揉まれてポロッと忘れてしまいそうで怖かったのもあるが。

 

 

 

 そういった前置きを踏まえてオルディスの地に足を踏み入れた6人であったが、街の様子を見回る暇すらなく、オルディス駅前に既に待機していた公爵家に仕える執事に案内され、黒塗りの導力車の送迎で一路カイエン公爵家の邸宅へと向かう事になった。

 

 手回しが良すぎると一瞬思いはしたが、よく考えてみればバリアハートに赴いた際も同じようなものではあった。

 四大名門の首魁ともなれば、この程度の事はやってのけるのだろう。そう考えると別段不自然な事には思えなかったし、何よりその申し出を断る選択肢などありはしない。

 

 オルディスの観光名所である大海原を一望できる道路を走りながら、車は着実に屋敷へと近づいていく。

 それと共に緊張感も高まってきてはいたのだが、窓から景色を見てはしゃぎ倒すミリアムを見ていると、幸か不幸か真剣に考えすぎるのも馬鹿らしくなってくるというのがユーシスの本音ではあった。

 

 寧ろ、彼が熟考しなければいけない問題は、他にもあるのだから。

 

 

「ささ、皆様方、こちらにおいで下さいませ」

 

 車から降り、執事に案内された先にあったのは、一瞥しただけでもバリアハートのアルバレア公爵邸よりも更に一回りか二回りほど規模があるカイエン公爵邸であった。

 カイエン公が貴族らしく派手な意匠、事柄を好むというのは貴族の界隈では既に周知の事実ではあったのだが、実際に目にするとユーシスですらも一瞬気圧されてしまう。それだけ、圧倒的な権力の証を見せつけられたような錯覚に陥った。

 

「ようこそオルディスにお越し下さいました。本来であれば旦那様がご挨拶させていただく事になっておりまして、皆様方にお会いになるのをとても楽しみにしておられたのですが……」

 

 曰く、カイエン公は同じ四大名門の一角であるハイアームズ侯爵と会談するためにサザーランド州の州都セントアークに赴いており、オルディスを留守にしているという。実習が終わるまで目通りが叶わないと知った一同だったが、そこに関しては特に不満はなかった。

 貴族のトップに最も近しい人物が多忙なのは当然の事だ。一介の学生である自分たちにそれを責める事は出来ず、それができる権利もない。()()()()()()()()()()()()()()という疑問こそ残りはするが、それを今考えたところでどうしようもない事だろう。

 

「ですが、それではお客様に対して申し訳が立たないとルクレシア様が仰せになられまして、これからお嬢様のお待ちになられているお部屋にご案内させていただきます」

 

「それは(かたじけな)い」

 

 ラウラが、執事の言葉にどこか喜色を混ぜた声色で返す。

 ラウラにしては珍しいその反応に他の面々は驚いたような表情を見せたが、ただ一人ユーシスだけは、心の内で苦虫を噛み潰したような反応をせざるを得なかった。

 

 その名は、彼にとっては毒薬のようなものだ。耳朶に入れるだけで身震いが止まらなくなる。

 Ⅶ組に入ってからは相当理不尽な事柄にも耐性が着き、ある程度の事には動じない胆力を身に着けたと自負していたが、しかしそれでも、やはり克服はできなかったのだとハッキリ分かる。

 

「……ユーシス? どうした?」

 

「いや、何でもない」

 

 そんなユーシスの異常を感じ取ったのか、ガイウスが声を掛けてくる。だがその気遣いに、ユーシスはそっけない返事を返す事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 そこは、外界とは様々な意味で隔離された美に塗れた場所だった。

 

 庭に咲き誇る花々の香りも、木々の騒めきも、空気の震えすら届かない。豪奢な家具と彩りで体裁は保っているが、実質は無菌室と同じようなものだ。

 華美でありながら虚構、美麗でありながら無機質。対照的なはずの価値観が、この部屋には詰まってしまっている。

 

 だがその事を、理解できる人間が果たしてどれだけいるだろうか。この異常性に悍ましさを感じる者が、果たしてどれだけいる事か。

 美意識が無いだとか、そういった真っ当な感性では真意を推し量る事はできない。これを察せられるか否かは、偏に人間観察の技量によるものだろう。

 

 如何な業物を有していても、扱う者が貧弱であればそれはただの(なまくら)と化す。―――いつしかレイはそう言っていた。

 その言葉に、ユーシスは心の底から同意する。……尤も、目の前の女に当てはまるのは、業物ではなく装飾品になるのだろうが。

 

 

「ようこそいらっしゃいました。歓迎いたしますわ、トールズ士官学院特科クラスⅦ組の皆様」

 

 彼女は、まさに美の体現者のような女性であった。

 僅かに青みがかった銀髪は最上級の絹のように滑らかに流れ、蒼耀石(サフィール)の如き双眸も、歌姫(ディーヴァ)のような透き通った声を紡ぐ唇も、それら全てが”女性”という存在を徹底的に磨き上げたかのような、そんな印象を抱かせる。

 白を基調とした貴族服に包まれた肢体は、その上からでも艶めかしいラインを描いており、異性のみならず、同性すら羨望してやまない。―――否、或いは羨望を通り越して崇める者も出てくるだろう。

 

 更にはその眼差しも、慈愛の一言に尽きる。貴族特有の傲慢さや偏屈さは欠片もない。屋敷に招待した自らよりも若い少年少女たちを慈しむかのようなそれを見れば、まるで女神の生まれ変わりだと賛美する者も出て来よう。

 

 事実、大抵の事には動揺を見せないガイウスですら居心地が悪そうにしており、エマとマキアスは完全に”呑まれて”いた。ラウラは帝国でもアルフィン皇女と並び美しいと称される彼女を前に完全に緊張しており、ミリアムは呆けるような表情を見せていた。

 つまりは、全員見事に一瞬で虜になっていた。声色と雰囲気に吞まれ、最早彼女を疑うような心など微塵も持ち合わせていないだろう。

 

 

 それがルクレシア・カイエン―――カイエン公の嫡女が持つ、絶対的な魅力であった。

 

 

「そのように硬くならずとも結構ですよ。私は公爵家令嬢ではありますが、お飾りのようなものです。勇猛な士官学院生の皆様の方が、(わたくし)には輝いて見えますもの」

 

「そのような事は……お会いできて光栄です、ルクレシア様」

 

「ラウラさんとは、2年前の領邦議会後のパーティーでお会い致しましたね。ヴィクター卿は女学院への進学を希望されていましたが……うふふ、やはり士官学院へとご入学されましたか」

 

「はい。私は無骨者ゆえ、女学院に入学しても困る者がいるでしょう」

 

「寧ろ、ラウラさんのような凛々しい方がいれば女学院の生徒は色めき立つと思いますよ?」

 

 クスクスと悪戯っぽい笑みを浮かべるその姿は、元より魅力的な彼女を更に魅力的に見せるには充分すぎるものであった。

 その後もメンバー一人一人に声を掛ける彼女の言動には、一切の不自然さがなかった。ミリアムの正体が宰相の駒である事を理解していながら茶菓子を勧める在り方は、まさしく淑女の在るべき姿と言っても過言ではないだろう。

 

 そして彼女が最後にユーシスの顔を見た時、先程まで以上に嬉しそうな笑みを一瞬見せたのを、一体何人が気付いただろうか。

 

「お久しぶりですね、ユーシスさん。お会いできたのは一度ルーファス卿とご一緒に社交界においで下さって以来ですか」

 

「……ご無沙汰しております。ルクレシア様」

 

(わたくし)としては同じ公爵家の子同士、それも歳が近しい者同士で交流を深めたいと思っておりましたのに……ユーシスさんはあの日以来全く社交界にいらっしゃらなかったものですから、少々寂しかったのですよ?」

 

「申し訳ありません。自分は……それ程頻繁に社交界に顔を出せる身ではありませんから」

 

 ただでさえ、血統主義の貴族の世界では妾腹の、それも庶子ともなれば風当たりは辛くなる。

 幼少期、ユーシスの母が死に、父に引き取られた後にルーファスと共に行った社交界の場では、その場にいたかなりの数の貴族たちが陰口を叩いていたのをユーシスは知っていた。

 望んで大貴族の父を選んだわけではないというのに、自分から貴族の世界で生きると決めたわけではないというのに。

 

 そういう事もあって、それ以降ユーシスは社交界の場に出る事はなくなった。元より正式に社交界デビューができるのは16歳になってからだと決まっているが、その歳を迎えてもユーシスはアルバレア家の人間として公の場に出る事はなかったのだ。

 だが―――ただ単に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、また事実だった。

 

 

「えっと……る、ルクレシア様はユーシスさんと仲が良いのですね」

 

「あら、様付けで呼ばれると少し悲しいです。私はラウラさんやユーシスさんや皆さんとも、もう少し親しくお話をしたいのですよ?」

 

「あ、じゃあルーちゃんって呼んでもいいー?」

 

「お、おいミリアム。流石にそれは―――」

 

「ふふふ、ルーちゃん、ルーちゃんですか……可愛らしいお名前です。是非そのように呼んでくださいませ」

 

「やったー♪」

 

 事ここに至ってまで徹頭徹尾マイペースを押し通すミリアム(コイツ)の事はもう考えないようにしようと思いながら眉間を押さえていると、紅茶を一啜りした後に再びルクレシアが口を開いた。

 

「それで、ええと……あぁ、(わたくし)とユーシスさんの事でしたね。幼少の頃、一度だけお父様に連れられて窺った社交界で初めてお会いしたのです。それほどたくさん言葉を交わしたわけではありませんが、それでも(わたくし)にとってはとても楽しい時間だったのを覚えていますわ」

 

「へー。ユーシスモテモテじゃーん」

 

 ミリアムの茶化すような言葉も、今のユーシスの耳には届かなかった。

 

 傍から見れば、今のルクレシアが言ったそれは明らかに好意のそれだった。例え社交辞令の類であったとしても、それを否定する事はできないだろう。

 彼女に見惚れ、貢ぎさえする男どもがこのような言葉を掛けられた暁には天にも昇る心地になるであろうことは想像に難くない。だがユーシスは、それに対しても僅かな笑みの一つさえ見せなかった。

 その様子を横目で見ていたマキアスは、その不自然さに同じように眉を顰めた。

 

「光栄です。自分にとってもあの時間は、とても得難いものでした」

 

 決して、「楽しかった」とは言わない。それが現時点でユーシスにできるせめてもの抵抗だ。

 

 本来であれば、貴族の女性の賛辞に気の利いた言葉を返せないというのは、帝国紳士としてはあるまじき行為。貴族としての価値観は薄いユーシスでも、その辺りは弁えている。

 更に相手は同じ公爵家の子女。自分の立場を鑑みるならば、ここで少しでも近づいておくのがアルバレア家の為になるという事も重々承知している。

 

 だが、それはできなかった。鼻腔を(くすぐ)る甘い芳香が、決して油断するなと警告を発して止まらない。

 それは、この場では異常な事なのだろう。自分以外のメンバーは全員、程度の差こそあれどルクレシアに心を許している。

 この場に限った事ではない。ルクレシア・カイエンという女性が居る場所は、総じて”そう”なるのだ。まるで一つのコロニーを形成して虜を従える女王蜂の如く。

 

 異端は排除されるものだ。例えそれを異質に思っていても、同調するのが処世術というもの。

 しかしユーシスは”これ”だけには決して屈しようとはしなかった。それは幼い頃に身に染みて理解してしまった事に対しての背伸びなのかもしれないが、それでも彼はルクレシアという女性に心を許す事はなかった。

 

 それをしてしまえば、きっと彼女の恐ろしさを理解できる者がいなくなってしまうだろうから。

 

「一度、ユーシスさんとはゆっくりお話ししてみたいです」

 

 慈しみではなく、どこか好奇心が混ざったような声色が、やけに耳にこびりついていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 自分が天才の類ではないという事は、大分昔に既に知っていた。

 自分よりも遥かに優れた、まさしく貴族の在るべき姿の体現者。如何なる要素を抜き出して見ても、そんな兄に叶う所などどこにもない。

 

 かと言って、努力で勝れるかと言えばそれも否だ。もはやどうしようもない差というものを自覚した時には劣等感なども人並みに抱いたりしたものであったが、それもものの道理を弁えるような年齢になれば自然と馬鹿らしいと思えてくる。

 或いは自分がルクレシアに抱いている忌避感は、そんな劣等感の残滓から来るものではないのかと思った事も何度かあった。自分では決して届かない高嶺にいる存在だからこそ、捻くれた視線でしか見れなかったのではないかと。

 

 事実、貴族社会の中で妾腹の庶子というレッテルを張られたユーシスは、自分が捻くれた性格をしているという事を自覚していた。

 穢れた子だ何だのと罵倒を向けたいのなら直接言ってしまえばいいだろうに、アルバレア公爵家という後ろ盾がある限りそれを成せる者は少ない。せめて生き方だけでも正しい貴族であろうと努力はして来たものの、世間から見れば高慢ちきに映るらしい。少なくとも、トールズに来るまではそう感じていた。

 

 

「……馬鹿馬鹿しい事を思い出す程度には余裕ができたという事か」

 

 宿泊場所として用意されたオルディスのホテルの一角。談話室のソファーに深く腰掛けて窓の外に浮かぶ宵月を見上げながら、ユーシスは独りごちる。

 

 あの後、ルクレシアから渡された実習内容に目を通し、さっそく数件をこなした一同はいつもの通り明日に備えて早めに寝る事になった。

 だが、ユーシスはどうにも寝付けなかった。同室の男連中を起こさないようにそっと部屋から出てきたものの、眠気は一向にやってこない。

 

 思ったよりもルクレシアと再会したことが心の負担になったのかとも思ったが、それにしては思い浮かぶのは過去の醜い思い出と、士官学院に入学してからの劣等感など覚える暇すらなかった理不尽な日々。後ついでにクソガキ(ミリアム)の自由奔放過ぎる行動に対してのストレスともなれば、深く考えすぎなのかもしれないと思い至るのは普通の事だった。

 

 既に何度目かも知れない深い溜息を吐いていると、談話室に一つの足音が近づいてくるのを感じた。

 

 

「……今日はいつもより数割増しで殊勝にしていると思ったらこれ程か。君らしくもないな」

 

「そう言って貴様も起きてくるあたり、お互い暇人である事は変わらんだろうが、レーグニッツ」

 

 普段は顔を合わせた瞬間棘のある言葉を言い合う二人も、今回ばかりはその雰囲気ではないと悟っているのか、ただそう言葉を交わす。

 それから数分は言葉が続く事もなかったが、今更意地を張っていても仕方がないと諦めたユーシスがとある質問を投げた。

 

「レーグニッツ、貴様ルクレシア様を見て、接して、どう思った」

 

「……そうだな、美しく、それでいて貴族の子女らしくない人だとは思った。名前だけは聞いていたが、成程あれならば社交界の華になるのも頷ける」

 

「貴族嫌いの貴様が言うんだ。なら他の者の意見を訊くまでもないな」

 

 昨今では然程貴族嫌いの一面を見せなくなったマキアスではあるが、それでも節々にはやはり傲慢な貴族に対する不信感や忌避感が垣間見える。そんな彼でも褒め称えるという事は、恐らくはそういう事なのだ。

 

「なら、僕からも一つ訊かせて貰おう」

 

「何だ」

 

「君は何故、あの人を避けているんだ?」

 

 眉間の皺が、更に深まる。

 しかしそれはそういった事を訊いてきたマキアスに対して苛立ちが募ったわけではなく、第三者の視点から見ても自分が避けていたことが分かるほどに分かりやすい言動で対応していたのかという事に対しての苛立ちだ。

 

 だが、それを言葉にするのは難しい。主観的な視点が多分に入る上、余りにも抽象的過ぎる感想でしかないからだ。

 そんな理由で答える事を放棄していると、今度はマキアスが大きく溜息を吐いた。

 

「……そこまで頑なになるという事は、君なりに譲れない事情があるんだろう。なら、深く訊くつもりはない」

 

「随分と、物分かりが良いな」

 

「凝り固まった価値観で下手を打つのはもうこりごりなんでね」

 

 バリアハートでの実習の際にレイに言われたことを脳内で反芻しながら、マキアスはなるべく感情的にならないよう、淡々とした声色で続けた。

 

「僕も君も天才なんて人種じゃない。偉ぶって物事を語れるほど人生を生きてきたわけでもない。だからどう足掻いたって不器用な生き方になる。それは仕方のない事だと思う。

 でもそれでも僕は、Ⅶ組の仲間を裏切るような真似はしないと誓った。なにせ、こんな僕でも信じて、力を貸してくれたんだ」

 

「…………」

 

「君は確かにいけ好かない男だ。これからも数えきれないくらい僕たちはいがみ合うだろう。―――だがそれでも、同じⅦ組に席を置く者同士だという事は変わりない。

 僕が気に食わないのなら、僕以外の誰でもいい。君の今抱えているものを吐き出す事くらい、誰だって許容できる。君の価値観が僕らとズレていても、君を軽蔑するメンバーはⅦ組にはいない。そうだろう?」

 

「フン、貴様に見透かされるとはな。考えるまでもなく、俺も充分Ⅶ組の空気に毒されていたか」

 

 だがそれは、悪い気分ではなかった。

 考えてみれば、最初から『アルバレア家の次男』ではなく、ただの『ユーシス・アルバレア』として自分を見てくれた場所などどこにもなかった。生まれが貴族だからと一切特別扱いをせず、共に一丸となって無理難題に身を投じ、その度に成功もすれば失敗もする。だがそれは個々人が責任を取るのではなく、Ⅶ組全体が考えるべき課題だった。

 

 居心地が良いのは認める。そして今こうして班長として率いるのを認めてくれているメンバーに、不義理を貫くのはユーシスの矜持が許さなかった。

 僅かに納得がいかない事があるとすれば、それは反りが合わないマキアス(この男)にそれを指摘されたという事くらいだろうか。

 

「……あぁそうだな。俺は確かにルクレシア・カイエンという女を忌避している。何故かと問われれば、それこそ抽象的な言葉になってしまうがな」

 

「レイに言わせれば、人を見る目に関しては君とアリサがⅦ組の中では群を抜いているらしいからな。……僕たちが見た限りでは嫌われる要素が見つからない女性だと思ったが」

 

「恐らくアリサでもそう言うだろう。これは多分、俺にしか分からないコトだ。……尤も、レイがいたならば、もしかしたら話は別かも知れんがな」

 

 教えてやる、と。ユーシスは再び宵月を見上げて続けた。

 

「あの女が、一部の貴族たちの間でどう呼ばれているか知っているか?」

 

「?」

 

「《触れならざる花(アフロディアナ)》―――あの女との婚約の席を巡って、一時期は貴族の家同士で容赦のない潰し合いが目立ったらしい。高嶺の花と称するには、些か血生臭さが過ぎる話だ」

 

 美しさが罪になるとは良く言ったものだが、彼女の場合はそれが顕著だ。実際に血が流れるまでに発展したことがある以上、彼女自身には罪がなくとも、どこか畏怖を感じずにはいられまい。

 だが、ユーシスが感じている違和感は、そんな伝聞で伝わるようなものではない。

 

「俺が忌避感を感じたのは、あの女がそう呼ばれる前の事だ。俺が恐れた”それ”が、結果的に貴族同士の醜い婚姻戦争に発展したとなれば、俺の感覚は間違っていなかったことになる」

 

「どんな人間にも裏がある―――という簡単な事ではない、か」

 

「そうだ。そんな単純な事ではない。俺は、もっと悍ましい”何か”があの女にはあると思っている」

 

 そのような確信に欠けた主観的な考えで人を避ける事は良くないという事はユーシスも分かっている。

 だがそれでも、幼少の(みぎり)に本能的に感じた恐怖感は間違っていないと信じている。―――それが他者にも伝わるかどうかは全くの別問題だが。

 

「……確かにそれは抽象的だな。学院の授業で述べれば減点は免れないだろう」

 

「だから言っただろうが。貴様らは別に無理に理解しなくとも―――」

 

「だが、()()()()()()()()()()()()()()()。僕も含めて、次はせいぜい呑まれないように気を付けるとしよう」

 

 だというのに、アッサリとそう言って談話室を去ろうとしたマキアスに対して、流石のユーシスも焦りを見せた。

 だが、その前にマキアスが談話室の扉を開けると、扉の前で聞き耳を立てていたらしい残りのメンバーが全員、雪崩のように倒れてきた。

 

「……すまん」

 

「す、すまない。本当は私達も入ろうと思ったのだが、タイミングを逃してしまったのでな……」

 

「え、えっと……ごめんなさい」

 

 ガイウス、ラウラ、エマが申し訳なさそうな顔をしながら謝る姿にどうリアクションしたものかと悩んでいると、立ち上がったユーシスの腹部に勢いよく突進してきた小さな影。

 

「グフッ‼ み、ミリアム、貴様……」

 

「ふっふーん。一人でウジウジ悩んでるユーシスに”アイノムチ”ってやつだよー。あれ? いいんちょー、これで合ってるんだっけ? 」

 

「普段の愛の鞭が際限なく厳しすぎるので何とも言えませんね……」

 

 咄嗟のこと過ぎて防御が間に合わなかった腹部からの鈍痛に耐えながらミリアムの首根っこを掴むも、相も変わらず本人に反省の色は無し。

 だが、笑顔そのものにいつもの元気はなかった。見れば、笑みを見せながらも若干舟を漕いでいるようにも見える。

 

「ミリアムは、ユーシスを心配していたんだ」

 

 ラウラがユーシスからミリアムを引き取ると、そのまま彼女を背に担いだ。

 

「カイエン邸から帰る時から元気がないのを気にしていてな。先にマキアスに行って貰ったのだが……ミリアムも眠気を我慢して着いてきたという訳だ」

 

「…………」

 

「俺達が言いたい事はほとんどマキアスが言ってくれた。後は、まぁ、ユーシスがどう思うか、だな」

 

 ガイウスは判断をユーシスに委ねるような言葉を掛けたが、その後に「ただ……」と付け加えた。

 

「この実習中、ユーシスは俺達のリーダーだ。リーダーでなくとも、俺達の大事な仲間である事は変わりない。あまり気を遣われると困るぞ」

 

「うむ。正直ユーシスがマキアスといがみ合っていたり、ミリアムと絡んでいたりしないと私としても本調子が出ない」

 

「もう既にⅦ組名物ですもんね。休み時間の度にユーシスさんがミリアムちゃんを連行して教室まで戻ってくるのが日常みたいなところありますから」

 

「貴様ら俺の胃に穴を開けさせたいのなら率直にそう言ったらどうだ?」

 

 そうは言ったものの、ユーシスは内心で安堵していた。

 この連中ならば、たとえ自分がルクレシアを真正面から怪訝に思ったとしても離れていく事はないだろう。腐れ縁ではあるが、それでも彼にとってはこれ以上に頼もしい事はない。

 

「ねーユーシスー」

 

 すると、ラウラの背中で今にも夢の世界に旅立ちそうなミリアムが、どこか足のついていないような声色で呼んでくる。

 

「ユーシスがげんきじゃないと、ボクもつまんないよ?」

 

 その一言だけを絞り出すと、電池が切れたように小さい寝息を立て始めた。

 言ってくれると心の中で悪態をつきながらも、ユーシスはミリアムの頭をやや乱暴に撫でた。

 

「コイツにここまで言われて沈んだままでは俺の沽券に関わる。レーグニッツ、ガイウス、ラウラ、委員長、明日からはまたキッチリと依頼をこなしていくぞ」

 

 言われずともと言わんばかりにそれぞれ反応した面々を見て、ユーシスは彼らから見えない位置で密かに薄い笑みを浮かべた。

 避けて逃げてどうにもならなくなった先にこんな頼りになる馬鹿達と巡り合えたことを、改めて幸運に思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 
 どうも十三です。まずは1月中の投稿が滞ったってレベルではなかったことをお許しください。

 中旬までは卒論に追われ、それが終わったと思ったら反動のせいか熱を出し、それが回復したと思ったらサークルの最後の作品の〆切に追われ、それが出来上がったと思ったらバイト先のトラブルに巻き込まれて精神的に追い詰められての四重苦。
 ……いやもうね。マジでキツかったです。申し訳ありませんでした。


 そんでもって今回はオルディスに実習中のB班の方にスポットを当ててみました。やってみたい事がいくつかあったので。あ、次回も続きますよ。

 はいそう言ったわけで、今回の新キャラ、元ネタが分かった人いますかー? このキャラが登場した時のBGMは『蒼薔薇の君』というのを推奨します。
 もうね、この人の場合原作でも頭の中フラワーガーデンだったから扱いに困るというか、面倒臭いというか……あ、白執事Ⅱ様、ようやっと出せました、ありがとうございます‼

 興味がお有りの方は『相州戦神館學園 八命陣』というゲームのプレイを推奨いたします。事実上の続編の『相州戦神館學園 万仙陣』よりもこちらのほうがいいですね。

 さて、と……私は今から某light新作ゲーのド鬼畜糞眼鏡野郎をはっ倒す作業をしなくてはならないのでこれにて失礼します。ではまた次回で。


PS:
 FGOバレンタインイベ。ついにアルトリア顔で出ていない鯖が七騎の内ではキャスターだけになったというこの事実。もう訳が分からないよ。
 武蔵ちゃん? キングハサン? ハハハ、引けなかったですよ(涙)

PS:
 今期のアニメの中で自分の中での神アニメは『幼女戦記』だと思う。ぶっちゃけ幼女ではなくてオッサン達の軍議をもっと見せて欲しい。恰好良すぎる。
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