「何だよ、後ろ向きな奴だな」
「視野が広いと、言っていただきたいですね」
by ピオニー・ウパラ・マルクト九世/ジェイド・カーティス(テイルズ オブ ジ アビス)
猟兵団《マーナガルム》の所属団員は、たとえ非戦闘員であっても自衛程度の戦闘能力は心得ている。
後方支援担当の《
そんな中でも、団長直轄の諜報部隊《月影》の面々は少々特殊だった。
彼らは、全員が全員「敵を打ち倒すための」強さを得ているという訳ではない。それは、彼らの役割に起因するものだった。
《月影》の役割は主に潜入工作。即ち誰にも正体を明かされる事なく情報を抜き取り、或いは工作を施して任務を成す。そんな彼らが真っ当な実力を行使する時というのは即ち、正体が露見し、追われる身になった時という事だ。
真に優秀な諜報員であれば、個人武力などは必要ない。失敗する可能性がないのであれば、習得するスキルを諜報方面に特化さえればいいだけの話だ。
だが、世の中はそう甘いものではない。それは、彼らを統率しているツバキも嫌という程理解している。
どれほど上手く周囲の環境に馴染んでいても、どれほど素人と同じように振る舞っていても、見破れる人間は必ず存在する。たとえどれ程極小の可能性であったとしても、それは必ずあるのだ。
そう、たとえば―――完璧に潜り込めた筈の自分の正体を
故にこそ、《月影》の面々はそれぞれが得手としている戦い方を有している。その中でのツバキの戦い方は、「時間稼ぎ」と「嫌がらせ」に特化していた。
「さて、まずは土台作りと参りましょうか」
スッと軽く鉄扇を掲げると、和服の裾から無数の呪符が飛び出し、空中に漂い始める。幻想的なその光景に思わず目を奪われるⅦ組一行を視界に収める暇すらなく、倒すべき対象は土煙の中から現れた。
エマの放った『サウザンドノヴァ』の火力には流石に耐えきれなかったのか、彼女が纏っていた侍従服はところどころ焼け落ちてしまっている。しかしそれは、女性のあられもない姿と称するには些か物騒に過ぎた。
その双眸は憎悪に染まっている。仕掛けてきたのはどちらなのか、元より攻撃を全て受け続けてきたのは誰なのかと、それを鑑みるような理性があれば、そもそもこのような事態にはなっていなかっただろう。
まさしく獣だ。人語を介するだけの理性があるだけの。
理屈で動かない。本能を最も優先して動いている。彼女が今憎悪の感情で染まり切っているのに、理由を求めてはならないのだ。
「調子に……乗るな。雑魚共がッ‼」
「品のない吼え方。お里と程度が知れるというものです」
スフィータの咆哮にも全く動じないツバキが鉄扇を振り下ろすと、舞っていた呪符が鎖へと変化し、一斉にスフィータへと殺到する。
ユーシス達を圧倒した敏捷性を以てして鎖の雪崩から一度は逃れたスフィータだったが、地面にめり込んだそれが再び動き出した事に、流石の彼女も眉を顰める。
部屋の中を縦横無尽に動き回り、追尾し続ける鎖から逃げ回っていたが、それが数分ほど続いた後、遂に左足が絡め取られる。
「【怨呪・
レイ直々に教授をしてもらった、《天道流》呪術の一つ。術式を直接呪符に刻み込み、ツバキの精密な呪力のコントロール力が合わさって可能となった詠唱省略の技。左足を起点としてスフィータの全身に鎖が絡みつき、その動きを封じる。
しかし、ただ引き摺り下ろされる彼女ではない。完全に四肢の動きを封じられた上でなお、前進から滲み出る気迫は衰えていない。鎖そのものも、今すぐに弾け飛んでしまいそうなほどに軋む音を上げていた。
「流石にこの程度で音を上げるほど柔ではない、か……エマ様、少しよろしいですか?」
「えっ⁉ あっ、はい‼」
急に名を呼ばれたことで一瞬狼狽したエマだったが、すぐに冷静さを取り戻す。
何故自分の名前を知っているかなど、問うべきことは幾つもあったが、それは今するべきことではない。現状における最適解を客観的に導き出すのが後衛組の役割であり、それをエマはよく理解していた。
「……援護ですか?」
「お話が早くて助かります。なにぶん僕は相手に嫌がらせを仕掛ける事は得意でも、味方の援護は不得手なものでして」
「分かりました。ミリアムちゃん、護衛をお願いしても良いですか?」
「オッケー‼ まかせて‼」
そう言って動き出したエマを見ながら、ユーシスは止まっていた思考を再回転させる。
和服を纏ったあの少女、姿こそ初見だが、声だけは聞いたことがある。一度レイが休学すると言い出したあの時、どこからか現れた式神から聞こえたそれと同じもの。
であれば、最低でもこの場は敵ではないのだろう。それが分かっただけでも僥倖だった。
そして、一度そう認識したのならば、この戦闘中に敵か味方かを警戒し続けるのは愚策だ。余計な念は振り払い、生き残る事だけに専念しなければならない。
そう思っていると、瀕死の状態から復活したマキアスが再びショットガンに弾を込めて立ち上がっていた。
「―――行けるか? レーグニッツ」
「どうやら高い投資をしてもらったみたいだからな。恩には報いさせてもらう」
マキアスが装填した弾丸は、先程スフィータに撃ち込んだのと同じもの。
『カースバレッド』と名付けられたそれは、レイの全面協力の下開発された弾丸である。破魔の呪力が丹念に込められたそれは、魔獣などの魔の属性を持つ敵に対して大きな効果を持つ。
呪力を分散させることはできないので使用弾は
だが、それではっきりした事もある。
『カースバレッド』が本領を発揮するのは、あくまで性質が”魔”に偏った存在に対してだけである。スフィータがもし真っ当なヒトでったのなら、その頑強さも相俟って怯ませる事すら不可能だっただろう。
しかし、実際効果はあった。足止め程度とは言え、ダメージを与える事には成功したのだ。
そこから導き出される結論は、一つだけ。
「あ―――えっと……確か、ツバキさんでしたっけ?」
「ツバキと、呼び捨てで宜しゅうございますよ。マキアス様」
「いや……流石にそれは……じゃあなくて、あのスフィータという相手―――」
「あぁやはりそうですか。あれは純粋なヒトではなく、
さして考える素振りもなくそう結論付けたツバキに、マキアスは瞠目する。
しかし、ツバキにしてみれば探るのが然程難しい事ではない。高位の存在に位置する人外の類はその気になれば人の姿を取る事ができるのは既にシオンの存在が証明しており、スフィータの動きがヒトが生まれ持って得られるそれではない事は経験則から分かる。
それに関して長考していられる程余裕がある筈もなく、スフィータが【蛇牢縛】を完全に破壊する。
まさに手負いの獣と化した彼女は技を掛けたツバキを睨み付け、一直線に疾駆し始めたが、それを
「っ―――‼ 弱体化してコレかよ……っ」
「去ね。貴様より先に殺すべき下郎がいるのでな」
「そうはいかねぇんだよなぁ……こちとら失いたくねぇモン背負って命懸けで戦うのが日常茶飯事なんでね」
怒りが一度沸点を通り越して逆に冷静になったスフィータから繰り出される連撃を、ライアスは愛槍を振るって捌き続ける。
攻撃の全てが人体の急所を抉り取らんとばかりに放たれる一撃必殺。だがそういった攻撃は、”達人級”同士の戦いの場となればそう珍しくもない。そういった修羅場を日常的に潜り抜けてきたライアスにとっては、凌ぐ程度であれば不可能ではない。
相手の動きを目で見てから対応するのでは遅すぎる。一撃を弾いた瞬間には、次の攻撃が何処を目がけて飛んでくるのかを予知し、そこに斬線を合わせる。一秒間に数撃、数十撃が飛び交う中では、それが基本技能となる。
そういう点で見れば、スフィータという相手はライアスにとっては読みやすかった。
彼女の攻撃には、凡そフェイントというものが存在していなかった。全ての攻撃が真っすぐに致命傷を貫いてくる殺意の塊。並の武人ならばまずその気迫に気圧されて刃を交える前に殺されるだろうが、裏を返せばそれは、その全てに対処をすればいいという事だ。
攻撃の速さは確かに一級品。僅かも気を抜く事はできない。集中力の糸を張り詰めた状態のまま数分間互角の状態で打ち合い続け、そしてスフィータの攻撃の手が緩んだ一瞬の隙をついて、
「フッ‼」
「ッ―――‼」
瞬発的に氣力を底上げし、刃に乗せる。そうして振るわれた攻撃はスフィータの肌を浅く斬り裂いた。
微かに散った鮮血を舌で舐め取ったスフィータは、その瞬間、獰猛な笑みを浮かべた。
「ハッ―――」
その黄金色の双眸は一層輝きを増し、伸びた犬歯が一層凶暴さを増す。
逆立った銀髪は、彼女の戦意の高さをそのまま表れているようで、先程よりも余程危険性が増したのが理解できる。
「少しはマシなようだな、小童。嬲り甲斐があるというものだ」
直後、スフィータの鋭く伸びた爪がライアスの喉元を目がけて襲ってきた。それを直前で弾き飛ばすものの、その手応えは先程までのそれよりも遥かに重く、鋭くなっていた。
『剄鎧』を身に纏っているとはいえ、この速さと鋭さの攻撃を食らえば防御策としては機能しないだろう。重撃を振り抜けばその刹那の隙を突かれるのは必至。必要最低限の動きで広範囲の攻撃の対処に回らざるを得なくなった。
辛うじてという状態で抑え込んでいたライアスだったが、接近した状態で放たれたスフィータの咆哮に一瞬だけ三半規管を狂わされ、防御が手薄になる。
その隙を縫われて容赦のない攻撃が飛来する。致命傷を避ける事には成功したが、肩口を裂かれて血が噴き出した。
しかし僅かに体勢を崩したそこを逃されるわけはなく、心臓を狙って放たれる拳撃。何とか致命傷を避けねばならないと氣力を充溢させて対処しようとしていたが、攻撃が触れるその直前に横から振るわれた剛撃を食らってスフィータの上体が揺らぎ、拳撃は宙を切った。
「‼―――」
ライアスは目を見張る。恐れるような素振りは一切見せず、ただ全力の一撃をスフィータに見舞ったのは、自分がまさに一番守ろうとしていた人だったのだから。
ふわりと舞う青髪。真紅の制服に身を包み、しかし清楚というよりは勇ましさが滲み出るその容姿。凛々しさに満ちたその表情は、未だに戦意に満ち溢れていた。
「【怨呪・蛇牢縛】」
「『プレシャスアラウンド』ッ‼」
生まれた刹那の隙に、スフィータの動きを封じ込めるための技が再び叩き込まれる。呪力の鎖と魔力の氷杭によって二度強引な突破を余儀なくされた彼女に対して、エマのアーツ援護で身体能力が上がった二人は容赦なく攻撃を叩き込んだ。
大剣と
そこに再びマキアスが放った『カースバレッド』が眉間に撃ち込まれ、スフィータの痛々しい叫びが更に激しさを増していった。
「何があったかとか、何をしていたとか。そういった事は今は問わない」
その最中にラウラの口から出てきた声に、ライアスは歯噛みした。
「今はそんな事を言い合っている場合ではないからな」
「ラウラ……」
「積み上げた月日は同じだというのに、武人としての技量は随分差が開いてしまったようだ。今の私では力不足かもしれんが……共に戦わせてくれ、ライアス」
「はは、勿論だ。―――まさか子供の頃に誓った夢が、こんな形で果たされるとはな」
二人の口元に笑みが漏れ、連撃の叩き込みが再開される。
家の都合で分かたれてから経った年月は、彼らにしてみれば長いものだった。だというのに、そのコンビネーションには年月を感じさせない程の精緻さがあった。
ラウラの動きは、フィーと組んだ時のそれとは違う。互いの不得手を補うというよりは、互いの得手を高め合う為の存在といったところか。
比翼連理という言葉が何より似合うその様子を見て、ユーシスは戦法の変更を伝える。
『作戦を変更する。レーグニッツは防御アーツによる補助に移り、ガイウスはその護衛に入れ。委員長とミリアムはそのまま援護を継続しろ』
『攻め手はあの二人に任せるのか?』
『あれは下手に介入すれば逆に勝機を逃す。……あれだけ奴の背中が任せろと語っているんだ、俺達は補佐に徹する』
そう言い放ったユーシスだったが、高速で動き続ける二人を補佐するというのは難しい事だった。
『カースバレッド』による二度の強制弱体化。加えてツバキの妨害によって体力も消耗させているというのに、スフィータの動きはあまり衰えているようには見えない。
だが、ラウラもライアスも、再び動き始めたスフィータに対して有利に立ち回っていた。
攻撃と防御の役割を、お互いに入れ替えながら切り結んでいるその光景は、まるで長年コンビを組んでいる相棒同士にも見える。
一歩も引かない戦いを繰り広げる様子を見て、このまま押し込めるのではないかと思ったユーシスは、しかし直後に
この場での最終目標は、あくまでも眼前の敵からの逃走にある。ガイウスとミリアムを回収した今、どちらかが倒れるまでという消耗戦を行うメリットはない。
一時の優勢だけで惑わされるのは賢い生き方ではない。勝利が必ずしも敵の打倒ではないという大前提を改めて深く念押しし、撤退のタイミングを伺う事に専念する。
そこで何となくツバキの方へと視線を向けると、彼女もユーシスの表情から何かを察したのか、薄い笑みを浮かべて浅く一度頷いた。
二人の戦い方を見るに、非情に合理化された戦い方だ。プロと呼んで差し支えない。であれば、自分以上にこの場での勝利条件については心得ているだろうと当たりを付け、ラウラに指示を飛ばす。
『ラウラ』
『分かっている。戦闘にかまけて目的を見失いはしない』
とはいえ、とラウラは思う。
二人がかりですら倒しきる光景が思い浮かばないというのは、彼女にとっても異常だった。
そこそこ長く戦っているが、それでもスフィータの実力の底は見えない。それはまだ全力ではないと声高に叫んでいるようで、ラウラとしても早々に切り上げたいという思いには同調せざるを得なかった。
「ライアス」
「おう」
「一度だけでいい。盛大に吹き飛ばすとしようではないか」
「同感。こんなバケモン、真っ当に相手したくねーわ」
そう短く言葉を交し合い、エマとマキアスによるアーツ補助を受けた二人が猛攻を再開する様子を見ながら、ツバキは内心感服していた。
ライアスがスフィータとそこそこ互角に渡り合えるのは始めから分かっていた。軽口を叩いたりして軽薄に見られがちなところはあるが、あれでも元《結社》組。それも”
だが、ラウラ・S・アルゼイドと互いに背を預けて戦うその姿は、まさに水を得た魚であるかのようだった。普段よりも行動の全てが鋭く、また判断も素早い。幼少期からの一途さはかくも強いという事だろうか。
更に言えば、他のⅦ組の面々の動きも、ツバキからすれば予想以上だった。
これまで、幾多の修羅場と死地を潜り抜けてきた彼らを他の士官学院生と同列に並べるのは愚行だという事くらいは分かっていた。だが、実際にその目で見てみると、あまりにも異質だという事が良く分かる。
仮定の指揮官の指示に即座に呼応し、迷いなく動ける行動力。それでありながら個々が状況に応じて対応を変化させる事の出来る判断力。各々の得手も不得手も全てを理解し尽くした上で適切と思われる行動を瞬時に理解し、動き得る姿は、まるで精鋭小隊のような在り方だった。
その中でもツバキが一番評価していたのは、その仮定指揮官たるユーシスの行動だ。
やや慎重すぎる衒いはあるが、それでも彼の指示は適切の一言に尽きる。堅実と言い換えても良いだろう。
敵の戦力を即座に見極め、過小評価も過大評価もせず、自身の目に映る情報を的確に分析し、戦略を逐一組み立て直せるだけの実力がある。若い指揮官にありがちな前のめりになるような指示も今のところ見受けられず、戦局がやや有利に傾いても元々の目的を忘れず、適切な策を取り続けている。
そういった基礎の応用のような思考を、数秒単位で戦局が変わりかねない場で持ち続けられる者が果たしてどれだけいるだろうか。ツバキ自身は最前線での指揮は執らない立場だが、たとえば《マーナガルム》の指揮官勢に見せれば、歳と戦闘経験の割には破格の実力だと褒め称えるに違いない。
恐ろしいものだと、内心で苦笑しながら呪符を手に構える。
鳶が鷹を生むというのはまさにこの事だろう。ヘルムート・アルバレアは自身の才覚には乏しくとも、息子たちの才覚には恵まれたらしい。兄のルーファス・アルバレアが大局的に戦場を見渡す参謀将校の任が合っているのならば、弟であるユーシス・アルバレアは現地指揮官といったところか。……そんな人材が『貴族派』の一員として二人とも敵に回るというのは、できれば避けたいところではある。
「(ただまぁ、兄上の事ですからそこのところもきっちりと教え込んでるんだと思いますけれど)」
どちらに着くのが利であるのかではなく、どちらに着くのが義であるのか―――古臭い考えだと嗤われる事もあるが、現代においてもこれは存外馬鹿にならない考え方なのだ。
ミラさえ貰えば陣営の思想など関係なく殺し合いに専念する猟兵が言えた義理ではなく、実際にツバキもそういった考えに固執する性格ではないが、彼らにしてみれば笑い飛ばせる話ではない。
第三勢力として、『貴族派』と『革新派』の両勢力のどちらにも所属する事を強要されない立場。内冷戦の色が濃くなってきたこの状況では、各々の判断力が生死を左右することになる。
だが、その判断をする前に彼らを死なせてしまっては、レイ・クレイドルという人間に助けられ、師事した者の名折れというもの。
「では、締めの一手目と参りましょうか」
そう言ってツバキは鉄扇を開き、真横一直線をなぞるように移動させると、なぞった線から霧が噴出し、辺り一面を覆い尽くす。
濃霧によって視界をシャットダウンされ、ラウラとライアスを見失ったスフィータは、視覚と聴覚を頼りに探ろうとするも、弱体化しているとはいえ人間よりも遥かに優れたそれを以てしても引っかからなかった。
「(ただの霧ではないな……妖術の類か? 小賢しい)」
やはり先に仕留めておくべきだったかと思いながらも、スフィータは茫としていく感覚の中でヒトの気配を感じ取り、口角を吊り上げた。
それが誰であろうと構わない。殺せるのならば何でも良いと、人の姿に貶められ、尚且つ弱体化された彼女の思考は、ここに来て悪い意味で単純明快なそれへと変貌していた。
だからこそ彼女はその気配に向かって突き進み、その右腕を突き入れた。たとえ致命の場所でなくとも、当たれば体の一部は確実に消し飛ぶような威力。現にそれは何かを貫いたような感触があり、霧の奥から痛みに悶える声が挙がるものと確信していた。
「ふふ、ふふふ」
しかし、聞こえてきたのは忌まわしい笑い声。その声と共に霧の一部が晴れると、眼前にいたのは余裕の笑みを浮かべたツバキだった。
スフィータの右腕は、確かにツバキの左半身を消し飛ばしていた。しかしそこからは肉も骨も血の一滴すらも噴き出しておらず、ただただ呪符が紙吹雪のように散っているだけ。
そしてその呪符がスフィータの右腕に張り付いて、動きを完全に封じていた。
「殊更に短絡的な今の貴女ならば、気配を少し漏らしただけで引っかかるとは思いました。釣り出しは成功ですね」
「貴様……
「答える義務はございませんね」
ただ、と。ツバキはその双眸に翳を落として言い放つ。
「僕は貴女とは違って”人”ですよ。僕が人の魂を持っている限りは、ね」
意味深長な言葉を残し、ツバキの全身が呪符となって解体されていく。その紙吹雪の向こう側から、各々の全力の氣力を込めた技が飛んできた。
「『真・洸刃乱舞』‼」
「『轟雷地烈斬』‼」
地面が割れるほどの余波を生み出したその双撃は、咄嗟にガードしたスフィータの左腕ごと彼女を吹き飛ばし、最奥に立っていた彫像に叩きつけられる。
その状況に至ったのを確認して、ユーシスは最後の指示を飛ばした。
「撤退だ‼ ミリアムとレーグニッツが先行しろ‼ 委員長はその後に続け‼
「―――それは僕とあの男が務めましょう」
先達の義務のようなものですと、いつの間にか近くに現れていたツバキの提案に小さく頷く。
この期に及んで意地を張るつもりなど毛頭ない。後々に借りを返すことになろうとも、目下最重要なのは全員が生きて戻る事だ。その為に、自分達よりも強い人間の力を借りるのは当然の事。
そんな事を考えていると、ユーシスの目の前に以前も見た鶴の形をした折り紙が現れる。
「それに着いて行って下さい。
「申し訳ない」
「ふふ、なんの。それよりも、お見事な指揮でした、ユーシス様」
世辞ではない賞賛を投げ、ツバキは前方を見据える。そこには、体力的に限界が近かったラウラを抱えて走るライアスの姿があった。
「ら、ライアス‼ 流石にこれは恥ずかしい‼ 私にも一応恥じらいというものはあるのだぞ‼」
「つっても今のお前全力で走れないだろ‼ つーかお前ホントに背ぇ伸びたな‼」
「なっ……それは私が重いと言いたいのか⁉」
「そりゃあん時と比べりゃ……痛い痛い‼ この状況で抓られると俺対処のしようがない‼」
「ヘタレからランクアップできて調子乗るんじゃないですよライアス。あと二秒以内にこの部屋から脱出できなければ今の貴方の醜態を写真に収めて
「それ絶対後で
緊迫しながらもそんな事を言うだけの余裕はあると再確認したところで、ツバキとライアスも含めた全員が退避する。
スフィータが追ってくるような気配すら見せなかったという事に、一抹の疑問を覚えながら。
―――*―――*―――
「……フン。忌々しいが、今回は私の敗北か」
倒れてきた像を蹴り飛ばし、瓦礫の山の中からさしたるダメージも負っていないような風体で出てきたスフィータは、冷静になった頭で自らが”してやられた”事を理解し、そしてそれを受け止めた。
遊び過ぎた事を戒めるだけの器量はある。少なくとも、増援が二人増えた時点で手を抜くべきではなかった。
「……いや、違うか」
そうだ。この身に堕ちたのはそもそもが己の怠慢から始まった事なのだ。だというのに、同じ失態を二度も繰り返した己に対して怒りが立ち込める。……無論、またアルゼイドの家の人間にしてやられたという憎悪も含まれているが。
「嗤いたくば嗤え。そら、貴様が愉悦を感じるような失態を、私は犯してやったぞ」
「残念だがねスフィータ。私は自虐している輩に追い打ちをしたりはしない主義なのだよ。己の自負心に踊らされ、有頂天で舞い上がっている阿呆を嬲るほうが好みなのでね」
部屋の影。奥に続く道の向こうから姿を現したのは、スフィータにとってみればすぐさま顔面に唾を吐きたくなるような苛立ちを覚える表情を浮かべた貴族。
だが彼は、カーティスはそうは思っていなかった。珍しく気落ちしているかのような従者を前にして、ため息を一つ吐いてみせる。
「《西風の旅団》の連隊長、そして貴様を仕向けたというのによもや全員生還するとは……いやはや、最近の若者は素晴らしい」
「気色が悪い。まるで悪魔どもに魂を売り渡した愚物共のそれだ」
「何を今更。貴様を従者として縛り付けている時点で悪魔どもに媚びる必要もないだろうに。しかしまぁ、少しばかり嬉しかったのは認めよう。何せここまで私の予想を覆す出来事は、ここ最近はとんと無かったものでな」
くつくつと笑うその姿は、一切恐れる様子も、また苛立つ様子もない。むしろ予想外の事態となった事を喜ぶようなその姿に、スフィータは眉を顰めながら呆れるような息を漏らすばかり。
だがしかし、突然何かを思いついたようにコロリと表情を変え、口角を歪めた。
「しかし貴様も策に溺れたな、カーティス。貴様が色を寄せる雌は他の雄に奪われたようだぞ」
「っは。そうだな、それは否定せん。―――しかし、あれほど生き生きとした御息女を見れただけでも今回は良しとしよう。漸く、舞台には役者が整ったのだからな」
それは暗に、ラウラの事を諦めるつもりはないという意思表明でもあった。人間の色恋沙汰などにはとんと興味のないスフィータだったが、むしろ自分の言葉がカーティスの動揺を誘う事ができずに不満じみた表情を浮かべる。
だがその感情を知ってか知らずか、カーティスはスフィータの左腕を見やった。最後の双撃を受け止めた彼女の左腕は、半ばから斬り落とされ、一見痛々しい断面を晒していた。
「貴様も随分と手痛い足掻きを受けたようだな」
「ハッ。この程度、半日もあれば元に戻る。この程度は痛手にもならん」
だが、とスフィータは思う。
単純な力押しという戦い方では、彼女に勝る者はそう多くないだろう。よしんば”達人級”の面々であっても、技量で以て彼女を打倒しにかかる者も多くなるであろうほどだ。
だからこそ、搦め手の戦術はどちらかといえば不得手。しかし生半可なものであれば力押しで突破するのがスフィータのやり方だったが、今回ばかりは違った。
「あの札使いの小童。奴は、奴だけはよく分からん」
「……《マーナガルム》の諜報部隊の長、か」
その点に関してだけは、カーティスも頷く事に異議はなかった。
精鋭揃いのかの猟兵団の中でも、突出して秘匿性が高いのがその諜報部隊《月影》だ。大国の諜報機関や七耀教会、果ては《結社》であってもその全貌を図れないとあれば、その凄まじさは理解できる。
しかし、その長である彼女―――《折姫》ツバキに関しては、それほど情報が秘匿されているわけでもない。顔は割れ、戦い方も割れている。凡そ諜報員としては機能しないようなところまで知られながら、しかし未だに彼女の情報の深奥まで至った者は存在していない。
尻尾を見せていながら、それを掴ませる事はない。それは、間違いなく相手にしたくないタイプの敵ではある。
「やれやれ。世界は広い。未だ我が智が及ばないものは幾らでもあるという事か」
そう言ってカーティスは、一同が去っていった方角に向き直り、恭しく一礼をする。
「トールズ士官学院特科クラスⅦ組諸君、そして猟兵団《マーナガルム》の方々。前哨戦は私の負けだ、潔くそれは認めよう。―――だが、次はこうは行くまい」
表情こそいつもの余裕じみた笑みが張り付いていたが、その言葉には形容し難い威圧感があった。
その言葉の真意を彼らが理解することになるのは、もう少し先の話である。
どうもこんにちは。先日久し振りに会った高校時代の友人と懐かしき『ドカポンDX』やったらリアルファイトに発展しかけた十三です。ワルサーエッグの押し付け合いとデビラーマンの蹂躙はマジでヤバい。
しかしまぁ、遂に3月ですね。私は会社の配属先も決まって、リクルートスーツを着ている3年生の方々を生暖かい目で見られる程度には余裕が出てきましたが、4月からはそうも言ってられないんだろうなぁ……やめよう、この話。
さて、ここまで5話ほど続いたオルディス編ですが、ここで一旦区切りとなります。まだ色々と回収しきれていない内容はありますが、それはまた後日。つーかそろそろルーレに戻らないと、筆者自身何をしようとしていたのか忘れる可能性微レ存。
……その前にFateの方書かなくちゃいかんな。あぁ、いやその前にこちらのオリキャラ一覧を作り直さないと……4月までにどこまで終わるだろうか。
では、また戦場で。
PS:
アラフィフおじさんキタ―――――――――‼ わんこアヴェンジャーも貰ったァァ‼ ボブミヤ?そこまで僕の幸運は続かない。