英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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 不幸を知ることは 怖ろしくはない

 怖ろしいのは 過ぎ去った幸福が戻らぬと知ること

     by BLEACH 46巻 冒頭








残照 Ⅰ ※

 

 

 

 

 

「最初に、誤解がないように言っておきますね」

 

 

 

 ―――その女性(ひと)は。

 

 

 

「貴方に知識を授けるのは、決して憐憫からではありません。()()()()()を抱けるほど私は貴方の事を知りませんし、そもそも貴方もそんな思いを抱いて欲しくはないでしょう?」

 

 

 

 ―――最初に出会ったその瞬間から全てを理解していた。

 

 

 

「貴方は()()()()()()()()()です。ですから、私は貴方ができる限り強い子でいられる為に必要なモノを授けるだけ。腕っぷしだけが強くなったところで、この世界は生き残ってはいけませんからね」

 

 

 

 ”強さ”とは何であるのか。”弱さ”とは何を指すものか。

 余りにも若輩に過ぎた自分は、戦う力よりも重要なものがあると聞いた瞬間に少しばかり不機嫌になったことを覚えている。

 

 理不尽に全てを奪われた後だ。目に見える”力”こそを求めるのは仕方のない事であると今でも思う事はあるが、しかしそれだけを求めていたならば、決して強くはなれなかっただろう。

 

 その言う通り、世界はそれだけで生き残れるほど甘くはないのだから。

 

 

 

「あぁ、因みに筆頭(カグヤ様)には向いていないと分かっていたので、不肖ではありますが私が立候補したのです。……あの方に情操教育まで任せていたら、貴方が手の付けられない不良になる事は分かり切っていましたからね、えぇ」

 

「仮にも当人が()る前でそれを言うか。ぬしも随分と肝が据わったものよの」

 

「貴女様という理不尽が形を得て闊歩してる方の補佐を仰せつかって、もう何年目だとお思いですか?」

 

「幾星霜かも忘れたのぅ。貴様が若い頃の”あやつ”に似ているせいか、もう数百年来の付き合いのようにも思える」

 

 

 何故だか当時の自分にも、剣の師とその女性(ひと)が軽口を交わし合う様子が、とても自然なもののように見えていたのを覚えている。

 そのやり取りに思わず口元が緩みそうになったが、しかし次の瞬間にはその感情も冷めてしまう。

 

 当時の自分は、そういう子供だった。

 考えうる限り最悪の淵から生き残った(生き残ってしまった)命。―――最愛の母が繋ぎ、ただ一人残った自分と同じ境遇だった女の子も救えず、生き延びてしまった”責任”を取ろうともがいていた頃の自分。

 

 そこに、喜びや楽しさを感じることは許されないと、そう思っていた。

 

 

 

「……そういえばちゃんとした自己紹介がまだでしたね」

 

 

 

 ―――だからこそ。

 

 

 

「《蛇の使徒(アンギス)》第七柱麾下、《鉄機隊》副長。ソフィーヤ・クレイドルと言います。

 ―――貴方の名前も、今一度教えていただけますか?」

 

「―――レイ。苗字は……もう棄てた」

 

 

 

 或いはこの女性(ひと)との出会いこそが、《天剣》としての己の原点であったのかもしれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初に彼の姿を見たとき、感じたのはその右目に宿る虚無感―――そして弱者(きょうしゃ)のみが湛える事のできる淡い光だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――レイという少年が正式に「《鉄機隊》預かり」となったのは、ちょうど一年前の事。

 

 平凡な農村の育ち故に、日曜学校の初等教育程度しか受けていなかった彼に知識を授けてやれと、そう直接の上司に言われたのも同じ頃。

 

 幸いにも、他に同じような教育を施そうとしていた子らが何人かいた為に、断りはしなかった。

 上司(カグヤ)の気ままな性格など、何も今に始まった事ではない。だが、生き死にが賭かった子を真剣な面持ちで連れ帰ってきた時に、結局はそうなるのだろうなという気は何となくしていたのだ。

 

 

 その少年は、レイと名乗った。そして同時に、「苗字は棄てた」とも。

 

 尤もソフィーヤとて、長く《鉄機隊》の”戦乙女(ヴァルキュリア)”の一角として様々なものを見てきた年長者である。実際の年齢こそ30を少し超えた程度であるものの、それでも積んできた経験は他の隊員よりも多い。

 だからこそソフィーヤは、目の前の少年が何を渇望しているのか理解できたし―――()()()()()()()()()()()がどれ程苦難に満ちたものであるかも理解できた。

 

 ならば、学無き身のままで放り出すわけにもいかない。

 本来であれば、上司が連れてきたとはいえ、見知らぬ少年にそこまで肩入れする義理はソフィーヤにはない。自分が思いのほか世話好きだという自覚は確かにあったが、それは身内に関して向けられるものだ。不特定多数の”他人”に向けられるほど、彼女は器用ではなかったのだから。

 

 しかし、文字の書き取りから算学、科学や物理学、魔法式、経済学、歴史学、果ては社交の作法まで、彼女が教え得るほぼ全てを彼に叩き込んだのは、偏に彼が”天才”と称しても遜色ないほどに呑み込みが早かったからだろう。

 教え甲斐のある生徒を持つというのは、真似事であるとはいえ教師冥利に尽きるというもの。加えて少年は、日を追うごとに最初はくすんでしまっていた人間性をハッキリと見せるようになっていた。

 

 

 武の才は、あの《爍刃》カグヤが酒の席で人目も憚らず褒めるほどのもので、文の才も人並み以上にある。

 流石は自分たちの主であり、部の頂点に立つ《鋼の聖女》の兜を壊すほどの実力を持った武芸者の男と、世に出ることは終ぞなかったものの、封魔の呪術師一族きっての術式構築の才媛と謳われた女との間に産まれた子であると感心したものであるが、所詮”才”は”種”でしかない。

 咲かせるも枯らせるも自身次第であり、その程度の事でソフィーヤはレイの全てを判断しなかった。

 

 ……成程、確かにレイという少年はソフィーヤが今まで見てきた中で最も悪い運命の波に攫われた子であろう。

 親の愛を一身に受けるべき時分に目の前で母が死に、そのまま邪教の拠点で”実験台”にされ続けた……それだけではない。もはや呪いとも言うべき聖遺物(アーティファクト)に見染められたが故に、この先の人生も波乱に満ちたものになると決まっているだけで、同情に値するには充分だ。

 

 だが、レイは強い子であった。己の全てを奪われたというのに、泣きじゃくり続けるでもなく、塞ぎ込み続けるでもなく、前を見据えて歩くことに何の疑いも躊躇いもなかった。

 その強さには真っ直ぐでありすぎるが故の”危うさ”も多分に含んではいたが、少なくともソフィーヤはその在り方を好ましく思った。自分がもしあの子と同じ時分にそのような目に遭っていたら、果たして同じような歩み方をすることが出来たのだろうかと―――そんな考えを抱きながら。

 

 

 しかし、レイは”天才”ではあっても”異常者”ではなかった。

 

 彼女が鮮明に覚えているのは、カグヤによる武稽古とソフィーヤによる座学が終わった後。―――彼は一人、誰にも見せず、声も漏らさずに泣いていた事だ。

 

 ”自分はそうせねばならない”―――”何をしたいか”ではなく、そういった思考で動く人間の末路など総じて決まっている。

 ましてや十にも満たない齢の子であれば、尚の事。よしんば彼が、そんな事すらも考えられない程に壊れていたならばこんなことに苦しまずにも済んだのだろうが、そんな者を果たして”ヒト”と言えるのか。

 そも、そう成り果てていたのだとしたら、わざわざカグヤが拾ってきたりはすまい。人形のような生き方を強いられる事を察していれば、きっとどれ程縋られても一刀の下に命を切り捨てていただろう。

 

 生きている事―――それが即ち”救い”とはならないのだから。

 

 

 ”悪”に染まるのは不可能だと理解した。

 恐らくは彼が、このまま《結社》に居続けることは不可能だろうと。

 

 しかしソフィーヤは、それでも良しであると思っていた。

 この不幸の檻に囚われた少年が、いつか己の意志で戦えるのであれば、それを見るのもまた一興と。

 

 

 

 ―――さて、私がそれを見届けることが出来るのかと。

 

 ふと思い至ったその可能性を、その時ソフィーヤは重く見なかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 何かの想いが、()()()()

 

 

 

 

 はた、と。レイが己の存在を知覚した時、同時に何者かの想いが流れ込んできた。

 

 ……それが分からない程愚鈍ではない。ただ一言、しかし言葉には出さずに「ありがとう」と言う(想う)

 

 

 

 

 

 

 立ち上がった時、足元が触れたのは無機質だった。

 白一色の、精錬でありながら物悲しさも感じさせる世界。そこはレイにとっては、ある意味では慣れ親しんだ場所でもあった。

 そしてその視線の先には、白を突き破って幾百幾千と生え連なる漆黒の茨。―――レイが抱える”贖罪”そのものが形を成したそれは、いつ見ても気分が良いものではない。

 

 だが、それもまた現実なのだ。

 時折自分の意志とは無関係に堕ちるこの深層意識の世界ではあるが、今回は強制的に堕とされた。

 

 本来、己の深層心理などに堕とされれば、並の精神力の人間であれば発狂するだろう。

 そこは、どれだけ体裁を取り繕おうとも否が応にも己の”本性”を見せつけられる此処は、どれだけ胸の内に、心の奥底に仕舞い込んだ醜さであろうとも向き合う事を余儀なくされる。

 

 しかし同時に、武人にとっては高みに至るためには必ず一度は訪れねばならない場所でもある。

 どんな人間であろうとも必ず一つは持ち合わせている”弱さ”、そして”醜さ”。知性を有するが故に真っ先に目を背けたくなるそれと向き合い、そして発狂せずに受け止める事。―――それこそが”達人級”の武人へと至るために乗り越えねばならない試練の一つなのだから。

 

 

「(なるべく早く”上がら”ねぇとな。だが……)」

 

 眉間に皺を寄せたレイが靴のつま先で軽く白の地面を小突くと、傍らに突如世界と同じ色をした者が現れた。

 

 少女か少年か。それらの性別の境を気にさせない程の不可思議な雰囲気と、その身に何かに囚われているような鎖を纏わせた”それ”は、地に着く程の長い白髪を棚引かせて、しかしいつもより数段気怠げな表情をしていた。

 

「また厄介な御仁に嵌められたものだね、ご主人」

 

 いつもは”傍観者”として薄い笑みを絶やさない彼女―――天津凬(あまつかぜ)は、しかし今は僅かに薄めになって主人であるレイを責めるような口調で言う。

 

「ボクとしては”外の理”に繋がれたあの御仁とはなるべく関わりたくないんだけれどね。ボクを鍛えてくれたあの人と同じように、あの御仁の放つ瘴気は些か毒に過ぎる」

 

「安心しろ、関わりたくないのは俺も同じだ。だがまぁ―――俺のミスが招いた事態とは言え、いつかは解決しなきゃならん事だったからな」

 

「随分と、学友と恋人の事が心配と見えるね」

 

「心配……ね。まぁやっぱり、それもあるんだろうなぁ」

 

 イルベルトの前では気丈に振る舞ってみせたが、それでもやはり思うところがないわけではない。

 シャロンの相手は彼女と同等かそれ以上の腕を持つ暗殺者。そしてリィン達の方には―――恐らく陛下(エルギュラ)が何らかのちょっかいを出すのだろう。

 

 レイを除けば、彼女が今興味を示しそうなのは間違いなくリィンである。彼が内に飼う”ソレ”が、彼女の好奇心を大いに擽るだろう。

 それは恐らく、リィンにとって碌でもない事になるのは確かだろうが、それでも一度気に入った者に対する執着心はまさしく強欲な支配者のそれだ。

 見捨てる事はない……と思いたい。

 

 だが、それよりも今はまずは自分の事だ。

 自分が招き寄せた事態をどうにかできない奴が、他者の心配などしたところでお門違いである。

 

 

「天津凬」

 

「うん」

 

「斬り開くぞ。いつも通りだ」

 

「あぁ、うん。いつも通りだ」

 

 そんな簡潔な言葉を交わし、天津凬は一瞬で、己の姿をいつもの純白の長刀のそれへと変化させる。

 否、どちらが本質の姿かと問われれば、恐らくは長刀(こちら)の方が本質なのだが。

 

 柄を握り、鯉口を切り、すらりと引き抜くのは白の刃。

 何の言葉を交わさなくとも、これから斬らねばならない存在は共有している。

 だが無論、気は進まない。すると天津凬は、レイの脳内に直接語り掛けた。

 

『そんな気概で、ボクを扱わないでくれ』

 

 珍しく りつけるようなその声に、思わずレイは「良く見てるな」と溢す。

 

『当たり前だ。()()()()()()()()()()()()()()()』 

 

 その言葉に深く頷き、そのまま一歩を踏み出すと―――世界が一瞬にして一変した。

 

 

 白と黒のモノクロの世界から、見るも禍々しく毒々しく醜悪な世界へ。

 まるで化け物の胃袋の中かと見違う程に生々しい不快さが視界を穢し、嗅覚に異常を来たしかねない腐臭が鼻を刺激する。

 

 地獄のようだと、その様相を見た者は誰だってそう例えるだろう。しかしそれを、否定する権利は誰一人として持ちえない。

 何故ならそこは紛れもなくただの地獄―――七耀教会の概念に当て嵌めれば”煉獄”であったのだから。

 

「……もう二度と、生きてる内はこんなクソッタレな場所に来ないと思ってたんだがな」

 

 レイがこの光景を覚えているのは単純な話であり、一度この煉獄に堕とされた事があったからだ。

 そして―――そこで喪った存在こそが、曰くレイにとっての慙愧(ざんき)の起源。

 

 だが、彼が歩みを進める事はない。

 それがどうしたとでも言わんばかりに、躊躇も逡巡もなく奥へと進んでいく。

 

退()け」

 

 道中、レイに向かって襲い掛かって来た醜悪な化け物たちは、一瞥もされずに斬り捨てられる。

 どんな形、どんな攻撃をしてきたかも覚えていない。そもそも見てすらいないのだから。

 

 そんな連中の血など、天津凬に吸わせることすら忌々しい。高速で血払いを済ませながら―――嘗てはそれら一体一体を相手にする事すら梃子摺っていたのだなと思い返し、そして失笑した。

 

「あぁ、そうか。そういう事か」

 

 だから、レイは理解した。

 慙愧の起源であるのならば、その全ての始まりは母の死であった筈だ。或いはあの冷え切った牢の中で看取る事しかできなかった名も知らぬ少女の死であった筈だ。

 

 だがその時は、()()()()()()()()()()のだ。

 武術も何も身に着けていない、ただの矮小であるだけの子供がそれらの事態をどうこうしようとして、どうこう出来るほど甘い筈がない。

 

 しかし、この煉獄で巻き起こった惨劇は間違いなく自分の甘さと武人としての無力さが引き起こしたもので、だからこそレイの心の中に深く根付いたのだ。

 あれだけ血が滲むような努力を重ねて、《執行者》に選抜されて―――それでも守れないものがあったのだと、現実の非情さを叩きつけられた。

 どういった言い訳のしようもなく、それはただの非力から生まれた瑕疵であった。

 

 

「だから、まぁ」

 

 そう呟いて、レイはピタリと足を止めた。

 

「俺にできる償いなら出来る限り何でもしよう。―――本来の貴女なら、多分そんな事を求めないで「幸せになりなさい、それだけでいい」なんて言いそうなものだけどね」

 

 まるで闘技場(コロッセウム)であるかのように開けた場所に佇んでいた”それ”に、場違いである事は分かっていて尚、レイは語り掛けるように言った。

 

「だから俺は今、貴女が振るう武の全てを受け止めよう。出来る限りの全力で以て、貴女の全てを封じよう。―――あぁでも、現実(あちら)に残してきたものがあるから、此処で死んであげるわけには行かないけれど」

 

 口元に浮かんだ微笑は、しかし拭いきれない哀しさも孕んでいた。

 知らず知らずの内に言葉そのものも嘗てのそれのように戻りながら、しかし纏う覇気だけはあの時よりも遥かに練達している。

 

 

「さ、()ろうか。―――姉さん」

 

 存命の頃は、結局一度足りとて勝利することが叶わなかった”達人級”の武人。清廉な武人の在るべき姿。

 身に纏う白銀の鎧はそのままに、携える馬上槍(ランス)も異名の元となった大楯も変わらず―――しかしそこに嘗て見た優しさは、ない。

 

 レイは〈クレイドル〉の名を譲ってくれた義姉を前にして愛刀を構えながら。

 少しだけ―――眼尻を拭う仕草を見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






■ソフィーヤ・クレイドル

 
【挿絵表示】




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