英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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「人はいつか死ぬし、死はそれだけで悲しい。けれど、残るものは痛みだけの筈がない。死は悲しく、同時に、輝かしいまでの思い出を残していく」

      by 衛宮士郎(Fate/staynight)








残照 Ⅲ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『要は”あれ”は、天才よりも尚転じた”何か”―――《剣帝》がそうであったのと同じように、この世に生まれ落ちたその瞬間から”武”の境地に至る事を宿命付けられた、呪いに似たそれを押し付けられた存在であろうよ』

 

 アリアンロードや儂と同じようにな、と。そう師が言っていたのを、レイは鮮明に覚えていた。

 

 

 

『最近はとんと見なくなったがの。それこそ儂やアリアンロード……リアンヌがドライケルスと共に戦場を闊歩していた時世などは、そういった手合いがそこいらに珍しくもなく居おった』

 

『ノルドの戦士共がそうであったように、世は幾許かの時を境にそうした者らを生み出すのが常じゃ。―――”英雄”などと後世の者共に語り継がれる存在を欲している時に、な』

 

 与太話、などと嗤う事は決してない。

 師は他愛のない、または笑えない冗談や戯れを口にすることは良くあったが、こと”武”の世界の事に関しては偽りを口に出さない人であったからだ。

 

 250年にも及んで世を見渡してきた者の言葉だ。それだけの年月を武に費やし、遂には”絶人”の領域に至った者の言葉だ。

 そんな人物が―――ソフィーヤ・クレイドルという武人をそう評していた。

 

『アイネス、エンネア、デュバリィ、ルナフィリア……アリアンロード(あやつ)が拾った中で早々に”達人”に至れそうなのはその程度か』

 

『だがそんな騎士らの中でもあ奴は別格よ。リアンヌに似て生真面目が過ぎるのが玉に瑕じゃが、あれはともすれば何時か……儂らと同じ領域に足を踏み入れるかもしれんのぅ』

 

 ”絶人級”―――真っ当な”ヒト”である限りは決して到達し得ないと謳われる武の深奥。

 広い世界を見渡しても、その神域に至ったものは片手の指で数えられる程度だと師は言っていた。そんな魔境と称するのも尚生易しいモノに成る可能性が義姉にはあると聞き―――レイは複雑な感情が胸中で織り交ざっていたのを思い出す。

 

 自分が尊敬する義姉がそこまでの武の才を持っていたのだという誇らしさと憧憬。

 人に非ず―――そんなモノに成っては欲しくないという、義弟としての人間らしい願い。

 

 

 だがそんな願いは、とてもささやかに儚く―――壊れたのだ。

 

 

 

 

 

『なんで……レイ、なんであなたが……』

 

 ()()()()()()()()()()()―――後に続くその言葉を発する前にはっとした表情になり、取り繕おうと弁解の言葉を口にする前に、レイと同じくソフィーヤを姉のように慕っていた幼き時分のルナフィリアは泣き崩れた。

 

 他の《鉄機隊》の面々がレイを責める事は、表でも裏でも無かった。

 ソフィーヤを喪った喪失感は全員が抱いてはいたが、それでも彼女らはその全てが一流の武人である。騎士が戦いの果てに散ったのであればそれは致し方ない事であり、それも何かを守って逝くのは本望だ。

 

 レイという少年は、加害者ではなく寧ろ被害者だ。彼女ら全員がソフィーヤを殺した元凶であるイルベルト・D・グレゴール、そして直接手を下したザナレイアに対して殺意を孕んだ敵意を向ける事になりはしたが、レイを糾弾するという事はなかった。

 

 だが、当の本人にとってそれが幸せであったかどうかは定かではない。

 自分は憎まれ、蔑まれ、殺されても仕方のない事をしでかしたのだという自覚がなまじ強かったからこそ、その罪悪感が彼の心の奥底に根深く、醜悪なまでに刻み込まれてしまった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()―――間違いなく、レイという少年の強さを求めた起源はそれだ。

 

 

 そうして”達人級”にまで至り、時に何かに真正面から立ち向かい、時に逃げ、時に焦がれ、時に絆されながら。その先で今、レイが握った長刀の刃がソフィーヤに届いていた。

 

「…………」

 

 八洲天刃流奥義【閃天・十束剣(とつかのつるぎ)】。その奥義が《鉄機隊》の騎士が纏う鎧ごとソフィーヤの心臓を抉っていた。

 とはいえ、貫かれたソフィーヤに苦しむ様子は一切ない。目を伏せ、しかし安らかな表情で、膝を付いたままレイをその両腕で包み込んでいた。

 

「……ふふ、男子三日会わざれば刮目して見よとは言いますが……暫く見ない間に随分と強くなったものですね」

 

「…………」

 

「言葉遣いは、些か乱暴になってしまったようですが……ですが良き道を歩んでいるという事は、貴方のその剣を見れば、否が応にも分かりましたよ」

 

「……姉さん、ぼ……俺は……」

 

 つぅ、と、思いがけずに眼尻から滴ったそれを、ソフィーヤは人差し指で優しく拭う。

 

「こんなところで泣くのはやめなさい。……貴方は男の子なのだから」

 

「っ……何で……此処は俺の深層心理が歪められた場所で……姉さんは……”本物”じゃない筈なのに……」

 

「えぇ……ですが今、この近くにはエルギュラ様がいらっしゃいますから……()()()()()()()()()()()()たるあの方がいらっしゃることで、私の存在もこうして浮かび上がったのでしょうね」

 

 有難い事です、と。あらん限りの感謝の念を込めた言葉を漏らし、ソフィーヤは自らを貫いた白い刀身の峰をそっと撫でる。

 

「……十三工房《紅鑪(あかたたら)の館》主人、《鐵鍛王(トバルカイン)》卿が鍛えた唯一無二の白刀……良い輝きを放つようになりましたが、それでもまだ、貴方はこの刀の真価の全てを発揮できてはいませんね」

 

「はは……相変わらず厳しいな、姉さんは」

 

「当然です。私は貴方の姉なのですから……弟の力になる事であれば、言葉にするのは当然の事」

 

 その瞼がゆっくりと開かれ、レイはその美しい群青色の双眸を真正面から覗き込む。

 生きていた頃と、全く変わらない温かさがそこにはあった。

 

「どうやら貴方はまだ……他人を信じる事は出来るようになっても、()()()()()()()()は出来ていないようですね」

 

「……ごもっとも」

 

「しかしまぁ、嘗ての貴方を知っている身からすれば、それだけでも充分色良い事のように思えてしまうのは仕方ありませんね」

 

 まるでこの時だけ、嘗ての《鉄機隊》予備役であった頃であるかのように色々な事を語り掛けてくる。

 しかし、彼女はいつも以上に饒舌に語り掛けてくる。―――その理由が分からないわけがない。

 

「心のどこかでずっと孤独感を味わっていた貴方と同じ目線で、共に歩んでくれている方々……貴方の姉として一度ご挨拶に伺いたいところですけれど―――どうやら叶いそうにはありません」

 

 死者が生者に関わるのはこの世の摂理に反している。

 死者は決して蘇る事はない。生者が歩む道の前に立ち塞がってはならない。その存在が遺したモノが生者の生き方に影響を与える事はあれど、直接手を下すのは何よりの禁忌だ。

 

 そしてこの清廉を絵に描いたような女性が、その禁忌を犯し続ける事など有り得ない。

 

「……あぁ、そうでした。貴方にもう一度会えたら、言わなければならないとずっと思っていたことがありましたね」

 

「っ……」

 

 何を言われるのだろうかと、覚悟はしていた筈なのに僅かに体が震える。

 そうして”弱さ”を見せたレイに対して、ソフィーヤはしかし彼の耳元に顔を寄せて……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「生きていてくれて、ありがとう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 頬に降りたのは、ただの親愛を示す軽いキス。

 だがレイにとってそれは、自分の中の贖罪の茨の一つを掻き消すのに充分な一言だった。

 

 とめどなく溢れ出そうになる涙を何とか堰き止める。

 弱い自分を晒すのを恐れたわけではない。ただ、この人の最期の瞳に映る自分は毅然としていなければならないという、そんなちっぽけな男としての矜持だ。

 

「今の私が、貴方に遺せるのは()()()()()()()

 

「……え?」

 

「いつか貴方が己の全てを投げ捨ててでも果たさなければならない死闘を行うときに、貴方を守ってくれるでしょう。……アリアンロード様(マスター)盟主様(グランドマスター)の思惑からは外れる事になるやもしれませんが……あの方々も、死者の戯れくらいは許して下さるでしょう」

 

「姉さん、姉さんは一体何を……」

 

()()()()()。私が知っていたのは、私自身の死期がそれほど遠くなかったという事だけですよ」

 

「…………」

 

「あぁ―――ですが……」

 

 その双眸に再び凛々しくも力強い光を宿し、馬上槍(ランス)を握る手にも力を込める。

 

「最初から最後まで……それこそ死後の今ですら《蒐集家(コレクター)》殿の掌で踊らされたままというのは流石に癪に障りますし、何より……」

 

 刀身が胸から引き抜かれ、自由になったソフィーヤは最期の最期に己の身に残った全ての氣力を得物へと注ぎ込む。

 最後の足掻き、と称するにはその姿は余りにも凄絶に過ぎた。ともすればその一瞬に限れば、彼女が敬った《鋼の聖女》にすら届きかねない程に。

 

 

 

「何よりも、私の弟を未だに嬲り続けるその所業―――万死に値しますね」

 

 

 

 その、一撃。

 

 その一撃、ただの馬上槍(ランス)の一突き―――それは、空間を抉り裂いた

 

 

 醜悪な煉獄の世界が壊れ、再び真白の世界に戻っていく。

 深層心理の中とは言え、世界を壊す一撃。それを放ったソフィーヤは、崩壊していく煉獄の世界の中で自身も消滅しかかっていた。

 

「……姉さん」

 

「はい」

 

「―――ありがとう」

 

 もう、二度と会えない。それは誰よりも理解していて、しかしだからこそ別れを惜しむことはなかった。

 ただ一言の、感謝の言葉を向けるだけ。それだけで充分だった。

 

 

「さようなら、レイ。貴方の生きるこれからの道に、幸が多くありますように」

 

 

 その言葉を遺して、ソフィーヤ・クレイドルは崩れ散った煉獄の世界の中に消えていった。

 いつか、自分が”人”としてその生を終えた時には……その時には胸を張って悔いのない生き方をしたのだと、そう伝えることが出来る生き方をしようと決意して。

 

『相も変わらず、強い姉御だったね。彼女は』

 

 右手に携えていた長刀が再び姿を変え、天津凬は開口一番にそう評した。

 

『彼女の言う通りだ。いずれ―――必ず《冥氷》を”殺す”のだったら、”僕”の性能を完全に引き出さなければならない。……”浄化”と”不毀”程度で斃せるほど生易しくはないよ、あの御仁は』

 

「分かってるさ」

 

『ならいいや』

 

 コツ、と靴底が世界を踏むたびに、意識が表層に浮上していくのが分かる。

 随分と長く”潜らされていた”ように感じる。またもやあの外道にいいように踊らされていたと考えると腸が煮えたぎるような感覚が再燃してくるが、せめてこの世界から抜け出すまでは、義姉の最期の言葉に浸っていたいと思う。

 

「幸せな人生、か」

 

 その言葉が自然と口から洩れ、思わず口角が上がる。

 以前の自分であったならば、その言葉を素直に受け止める事は出来なかっただろう。自分が救えなかった命、奪った命、自分が押し付けた不幸の分、幸せに生きてはならないのだと、半ば本気でそう思っていたのだから。

 

 だが今は、少し違う。

 自分のしたかった事の清算が全て終わった暁には、それこそ”幸”というのを目指すのも良いな、と。

 

「でも、まだもう少し……頑張らなくちゃいけないんだ」

 

 この身にはまだ、”為すべき事”が残っている。それを果たせない内は、それこそ本当の意味で()()()()()()()()()()

 自分自身が完全に”ヒト”に立ち戻るまでは―――まだ。

 

「なぁ天津凬(あいぼう)。シオンと共に、まだ宜しく頼むよ」

 

『承知している。元より僕も彼女(シオン)も君の生涯に付き添うものだ。……人の道のその最期に、君が”答え”を見つけられるまで』

 

 その言葉を最後に視界が白く染まっていく。

 

 

 

 

 

 ―――再び目を開けた時、最初に感じたのは何故だか久しぶりのように思えた坑道の空気だった。

 

 地面に突き立てた長刀に身を委ねて片膝を立てるだけに留めて倒れなかったのは、せめてものイルベルトに対しての意地ではあったが、立ち上がった瞬間に足に僅かな違和感を感じた時、いっそ倒れておいた方が良かったかと苦笑した。

 

 邪悪な気配は、既にない。

 元よりレイへの嫌がらせと、足止めが混在していたのだろう。見事にその両方の思惑で弄ばれた身としては”肉体”が無事であったことは素直に喜べない。

 

「”沈んで”たのは……一時間くらいか」

 

 腕時計で現在時刻を確認すると、今度こそリィン達への援護に回ろうと、靴の爪先を地面に当てて履き直す。

 しかし、とそこで思い至る。

 果たして―――シャロンは無事なのか、と。

 

「(……いや、アイツは強い。そう簡単に遅れは取らないし、引き際は弁えている筈だ)」

 

 それは、心の底から彼女を信じているからこそ出てくる思いであった。

 しかし、レイは此処で再び思い知らされることになる。―――己が信じる人の姿と、当事者の想いは少なからず乖離しているという事を。

 

 

 

 ―――シン、と。

 

 空気が一瞬で静まり返った。まるで世界そのものが、この一瞬だけは静寂であるべきだと告げているように。

 視線が、自然と動く。そこに居たのは、明らかに顔から生気が抜け落ちているシャロンを抱えた―――宿敵。

 

「ザナ、レイ―――」

 

 その名を口に出そうとした直前、レイは確かに違和感を感じ取った。

 或いはその違和感は、死した義姉と再会を果たし、真意の言葉を掛けて貰っていなければ気付かなかったかもしれない。

 最愛の姉を直接殺したのは、間違いなく彼女なのだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()などという、支離滅裂にもほどがある暴論を振りかざして。

 

 殺さなければならない女。―――レイ・クレイドルが殺さなければならない存在。

 しかし今、自身の右手が握った長刀の柄には、過剰な力は入っていなかった。

 

「違う。お前―――”フラウフェーン”か」

 

「……えぇ。お久し振りです」

 

 いつもは凶悪に吊り上がっているその双眸が、穏やかに、しかし哀しげに下がっている。

 その身体に宿っている、”達人級”の武人としての覇気はそのままに、胸に埋まった《虚神の死界(ニヴルヘイム)》による邪悪な気配だけが抜け落ちている。

 

 それもその筈。今の彼女は、《虚神の死界(ニヴルヘイム)》に魅入られ人生を狂わされる前の彼女。

 

 

 ()()耀()()()()()()()()()() ()()()()()()()()()()―――《氷爛聖妃》ザナレイア・フラウフェーン。

 今の《紅耀石(カーネリア)》ではなく、前総長の時分に最強の末席に座していた一人。……何よりも正者と空の女神(エイドス)を慕い、崇めた聖人こそが彼女の(まこと)であるのだと、そうアリアンロードが言っていたのを今でも覚えている。

 

 そして、やはりこうも言っていた。

 彼女もまた、神の捧げた運命に翻弄され、狂わされた存在の一つなのだ、と。

 

 

「っ―――‼」

 

 だがそれよりも、今のレイにとっては彼女の小脇の中で瀕死になっているシャロンの方が大事だ。

 そしてそれをザナレイア(フラウフェーン)も分かっていたのか、闘気すら欠片も出していない状態でゆっくりと近づくと、シャロンの体をそっとレイの近くに横たえた。

 

「シャロン‼ おい、生きているか⁉」

 

「――――――――――――ぁ、レ、イ……さ……」

 

「あまり、体を動かさない方が宜しいでしょう。毒が回ってしまう」

 

「毒、だと? 何の毒だ⁉」

 

 母が薬の調合師であった事、そして呪術師の血を受け継いだ体質上、レイは薬物や毒物の類には特に詳しい。

 何の毒が入り込んだのかが分かれば早急に対処のしようもある。そう考えた末の問いではあったが、ザナレイア(フラウフェーン)は僅かに躊躇った後に小さく首を横に振った。

 

 

「人世の薬で、どうにかなる代物ではありません。この方の躰を蝕んでいるのは、以前”(ザナレイア)”が貴方を殺しかけてしまったそれと、同じものなのですから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 まず初めに感じたのは、痺れだった。

 

 それが数秒で全身に回り、手足の自由が利かなくなってナイフを落とし、鋼糸は弛む。

 そして次に、内臓と血管を滅茶苦茶に掻き回されるような激痛と不快感が現れ、小さく嫋やかなその口から、多量の紅鮮が零れ落ちる。

 

 

「カ――――――」

 

 声さえも碌に出せない。数秒で既に肺にまで回ったのか、満足に空気を取り込むことも、吐き出すこともままならない。

 視界が震え、酷く靄がかかる。心臓の動きが極端に遅くなっているのを自分自身でも理解でき、膝はいつの間にか堅い地面の上にあった。

 

 原因は分かっている。既に何度目かも分からない閃撃の応酬の果てに、シャロンの肩口を僅かに擦過した棒苦無(ぼうくない)に何らかの毒が付与されていたのだろう。

 暗殺者、暗器使いともなれば得物に毒を染み込ませて掠り傷を致命傷とするのは珍しい事ではない。だがこれは、シャロンが知識として知っているどんな毒よりも規格外のモノだった。

 

 

「……やはり、弱くなってしまいましたね。貴女は」

 

 今にも意識を手放してしまいそうなシャロンの近くに来ながら、クリウスは吐き捨てるようにそう言った。

 

「《執行者》随一の暗殺者であった頃より―――いいえ、《月光木馬團》の《死線》であった時の貴女であれば、棒苦無の一本であっても決して通しはしなかったでしょう。……クルーガーの翁に絆され、《天剣》殿に入れ込むようになってから、その技は確実に()()()

 

「…………」

 

「時の流れとは斯くも残酷なものですか……もはや”暗殺者”として生きなくなった貴女に()()()()()()()、僕の方が愚かだったという事でしょう」

 

 何の躊躇も感慨もなく、クリウスは短刀の切っ先をシャロンの首にあてがうと、そのまま骨ごと貫くために振り下ろした。

 

 ―――その切っ先が貫いたのが陶磁器のように白い肌ではなく、血に塗れた地面であったことに、ほんの僅か驚きながら。

 

 

「……貴女は」

 

 無論、ザナレイアがレイに使ったそれよりも何十倍も薄めたモノであったとはいえ、《外の理》によって精製された毒に侵された者がクリウスの刃から逃れられるわけがない。

 クリウスは短刀を地面から引き抜きながら、彼の知覚外から恐るべき速さでシャロンを救い、抱えて圏外まで退避したその人物に目を向ける。

 

「何故、と問うのも時間の無駄ですか。《天剣》殿に執着する全ての異性に殺気を振り撒く貴女が彼女を助ける理由など―――一つしかない」

 

「…………」

 

「貴女がその身に《虚神の死界(ニヴルヘイム)》を宿してから既に長い永い月日が経つのでしょうに、未だに”そちら”の人格が生きているのは……少々意外でした」

 

「……まだ、全てを忘れるわけには行きませんから。私が手に掛けた全ての悪行、それを余すところなく抱えて煉獄の底に堕ちるためには、まだ」

 

「……怖い(ヒト)だ。これだから聖人は厄介で―――鬱陶しい」

 

 表情には出さずとも、心底恨めしそうな声色でそう言いながら、しかしクリウスはザナレイア(フラウフェーン)と刃を交わす事はなく、坑道の闇に紛れるようにして姿を消した。

 それを見届けてから、ザナレイア(フラウフェーン)は自身の頬に垂れる苦痛の冷や汗を無視してシャロンの安否を確認する。

 

「……良かった。まだ、生きていますね」

 

「ぁ…………ザナレイ、ア……様……?」

 

「口を開かない方が良いです。貴女の命は今、比喩でも誇張でもなく風前の灯火。……私は貴女を、生きたまま彼の下に連れて行かねばならないのですから」

 

「…………ぁぁ……フラ、ウ、フェー……ン様、でした、か……」

 

 申し訳ありません、と。絞り出すようにそう言ってから、シャロンの意識は途絶えた。

 その様子を見て、ザナレイア(フラウフェーン)は一層哀しそうな顔をした。

 

「感謝など……そんなものは……そんな言葉を掛けていただく程、私は良い者ではないというのに」

 

 己の躰の支配権が徐々にまた《虚神の死界(ニヴルヘイム)》に戻りつつあるのを自覚したまま、ザナレイア(フラウフェーン)はシャロンを小脇に抱えたまま跳んだ。

 

 今自分ができる贖罪はこの程度だと、隠し切れない罪悪感が、彼女の心臓を容赦なく締め上げ続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

「……今の状態の彼女を助ける方法が、一つだけ」

 

 ザナレイア(フラウフェーン)が漏らすように言ったその言葉に、レイは目を細めた。

 彼女の言う、たった一つの方法をレイは知っている。……それは今となっては、恐らくレイくらいにしか施せない荒療治だ。

 

 失敗すれば死が待っており、成功したところで―――施した相手に一生残る楔を打ち込むことになる。

 

 

「俺は……シャロンを死なせたくない。でも……」

 

「…………」

 

「やろうとしてる事は陛下が太古の昔に”眷属”を増やしていたそれと同じだ。《真祖の吸血鬼(エルダーヴァンパイア)》と同じようにシャロンを苦しめ続けるのも、受け入れられない」

 

「……私が言えた義理ではないのは分かっておりますが」

 

 ザナレイア(フラウフェーン)はおずおずといった仕草で口を開け、目を歪めたままに言う。

 

「生きていて欲しいと願っているのでしたら、それに勝る想いなどありましょうか」

 

 自分(フラウフェーン)ではない自分(ザナレイア)の所業であるとはいえ、レイ・クレイドルという少年の大切な存在を奪い続けておいて何を今更と、自分で自分を罵倒する。

 しかしそれでも、嘗ては生ある事の素晴らしさを説い続けた身。七耀教会の一人であるフラウフェーン卿として過ごした感覚が、罪悪感をすり抜けてその言葉を押し出させた。

 

「……そうだな」

 

 レイ自身、他ならないザナレイア(宿敵)に言われて行動するのは腑に落ちないことが分かっていても、今の彼女は嘗ての自分と同じく、望まざる内に神の描いたクソッタレな運命に巻き込まれた被害者だ。

 その言葉に素直に頷けなければ、また大切な人を喪う事になる。

 

「罵倒とかそういうのがあれば、後でいくらでも承ってやる。だから、シャロン―――死ぬな」

 

 必死の形相になりながら、レイは自らの手を長刀の刃で薄く傷つけて血を生み出す。そしてその血を、僅かに開いたままになっていたシャロンの唇の隙間に落としていく。

 ポタ、ポタと、数滴を喉の奥に流し込んだ後、血の気がすっかり引いてしまった頬を血の付いた両手で包み込んで幾つかの呪言を唱える。

 

 

 

 

 

 【善き者よ、美しき者よ  生と血肉の轡を並べて委ね給え】

 

 

 【其は禍い者なれど、夜に非ず  其は清き者なれど、陽に非ず】

 

 

 【其方が惑う者に焦がれるならば  其方にこの血を授け給う】

 

 

 【参れ、参れ、参れ  此の身に帯びた宿業の一切、共に在らんと捧ぐが故に】―――

 

 

 

 

 

 それは呪術師―――天城(あまぎ)の一族が生まれた子に齎す呪い。

 その命が尽き果てるまで宿業に縛り付けられることを運命づけられた呪い。この呪言の完成を以てして、血と呪力を分け与えられた存在は、()()()()

 

 もう二度と、魔法を扱えぬ躰に。もう二度と、毒に苛まれることのない躰に。

 

 この毒に一度苛まれ、抵抗を付けたレイの血が作り変えたシャロンの躰ならば、致命傷は免れる。外的要因がなければ、もう死ぬことはないだろう。

 ただしそれと引き換えに、彼女が失ったものも少なからず、在る。

 

 そうまでして彼女に生きていて欲しいと願ったのは、ただの自己満足、欺瞞だったのだろうか。

 その問いの反芻は、意識を失っていたシャロンの瞼が僅かに動くまで続けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 どうも。閃Ⅲをプレイし始めてから今まで音沙汰がなかった十三です。まことに申し訳ありませんでした。

 先日友人に『英雄伝説 天の軌跡』の難易度を言葉にするならどんなのがいいかと訊いたところ、
「『NIGHTMARE(悪夢)』よりもっと酷いんだから、『INFIERNO(地獄)』で良いんじゃね?」
と言われたので、もうそれで行きます。難易度インフェルノ、さぁ、かっ飛ばしていきますよォ‼

 ……割と辛い。閃ⅢのED見るのマジで辛い。制作の方々もよってたかってリィンを虐め過ぎじゃないっすかねぇ?(現在進行形で試練与えてる奴の言)
 
 次回、リィン達がヤベェ。ご期待ください。


PS:
剣豪七番勝負プレイしてたら色々と戦闘描写的な意味でイメージが浮かんで来てヤバかった件。やっぱ王道ストーリーって良いよねぇ。
え?パクリ? 今更型月ファンがパクリ程度で動じると思っているのか。カニファン見ろカニファン。






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