「薔薇は咲く場所を得てこそ薔薇色になるというもの」
by 折木奉太郎(氷菓)
第三学生寮にいつも通りの日常が戻って来たのは、それから二日後の事であった。
「隊長が怒るから長居は出来ない」と言っていたライアスは、しかしラウラとは腰を落ち着けて話し合ったようで、去る時には随分と晴れやかな顔になっていた。その反面、どこか物悲しい表情を浮かべていたラウラの事は暫く、Ⅶ組女子が定期的に開催しているパジャマパーティーの良いネタになったそうだが。
ツバキはと言えば、レイの命を受けたその夜の内にルーレに向かって”跳んだ”。
幾重もの電子ロックというセキュリティで固められたRF社だが、近衛兵が全力で警備をしているバルフレイム宮にすら鼻歌交じりで潜入できる技量を持った諜報員である。医者より絶対安静を言い渡されて養生しているシャロンとコンタクトを取るのは赤子の手を捻るより簡単だろう。
そうしてⅦ組に所属する人間すべてに何らかの影響を強く植え付けた一連の事件は、余波も含めて漸く鎮静した。
未だにエルギュラの精神体はリィンの中に入ったまま出てくる気配を見せないのは重要事項だが、昔から本当に暇なときは本当に何のアクションも起こさない人であったことを今更ながらに思い出し、一先ず暫くは様子を見る事となった。
それでも、日常は廻っていく。
学院に赴いて座学を受け、食事を摂り、時には友人たちと他愛のない話をしながら、黄昏時の道を歩いて学生寮まで戻る。
それは本来あるべき学生の姿だ。そうでなくてはならない学生の姿だ。しかし恐らくは、この生活ももう長くは続かない事だろう。
安寧を厭う程人間を止めているわけではない。無聊を邪と断じる程壊れているわけでもない。
ただどうしようもなく、終わると分かっている日常を過ごすのが虚しいと思ってしまうだけだ。ベッドに入って寝て、起きた時には壊れてしまうかもしれない日常に身を投じている事に罪悪感を覚えてしまうのだ。
レイ・クレイドルの自虐心というものは、一朝一夕で剥がれ落ちるものではない。
せめて何でもない日常に在る内はただの学生で在るようにと努めてはいるものの、もはや事態は引き返す事が不可能なまでに進行してしまっている。
ツバキからの情報によると、既にカルバード共和国の第一、第二空挺師団がクロスベルへの侵攻準備を初めており、リベール王国は自国の防衛の為にレイストン要塞及びヴォルフ砦での王国軍の再編成を行っている。
だとすればこのような状況で帝国正規軍が黙っている筈もない。現に、ガレリア要塞での事件以降再編成を終えた第五機甲師団が着々と侵攻の準備を終わらせているという。
このまま行けば最悪、クロスベルの地を舞台にした帝国軍と共和国軍の正面衝突が起こりかねない。そうなればクロスベルの独立などあっという間に水泡に帰す。属州地として、永遠に鎖に繋がれ続けるだろう。
だが、そう易々と事が運ぶはずがない事も当然分かっている。
何せ今、クロスベルはクロイス家の影響が伸びに伸び、更に《使徒》第六柱にして《十三工房》の統括者であるF・ノバルティスが介入しているところを見るに、致命的なカウンターを見舞う準備は既に終わっていると見て差支えはない。
「
「ミリアムお前、まーた夕飯前に間食入れやがって……ま、お前は見た目に反して結構な大食いだから別にいいけどさ」
「んっ。そーゆーことー♪ ねぇねぇ、今日の夜ご飯なにー?」
「照り焼きチキン。お前確か好きだったろ」
「えっへへー、やったー♪」
クッキーを咥えながらレイを出迎えたミリアムを見て、しかし一つ疑問が思い浮かび、購入した夕飯の材料を改めながら訊く。
「そういやお前、今日料理部の部活がある日じゃなかったか?」
「あー、うん。マルガリータが媚薬入りクッキー作ろうとしたら変な化学反応起きて変な煙出たから今日は途中でお開きになった」
「相変わらず雑なミラクルを起こすな、料理部は。しかしマルガリータの奴、その内人智を超えたモノを作り出しそうで個人的に興味がある」
「じゃあ食べる?」
「謹んで徹底的に遠慮させてもらう。……つーかお前が今食ってるものってもしかして……」
「ううん、コレは今日ボクが作ったやつ。途中でユーシスに食べさせたら問題なかったみたいだから多分食べられるよ」
「真っ先にユーシスに食わせる辺りお前ら結構仲良いよな。……ただ単に人体実験に使われた可能性もあるが」
味が気になり、件のクッキーを一つ貰って口に入れてみる。
少しばかり警戒していたのは事実だが、その後に口の中に広がったのは素朴ながらも普通に美味しいシンプルなバタークッキーの味だった。確かに材料の分量や焼き具合など、まだ多少粗が残るところは感じ取れたが、下手にアレンジが加えられていない分、万人受けする味となっている。
「……驚いた、お前普通にこういうのも作れるようになったんだな」
「むー、それユーシスにも言われた。ボクってそんなメチャクチャな感じあるのかなー?」
「いやだって、お前飽き性だから変にアレンジ加えようとしてその度に委員長に止められてたじゃねぇか。……だけどまぁ、うん。テキトーにやってるように見えてちゃんと基礎は身についてたんだな」
柄にもなくそう感慨深くなっていると、口に入れていたクッキーが、少ししょっぱく感じられた。
塩の分量が多くなっていたわけではない。ただ単に、ここに来たばかりの頃は一般の常識すらもどこかズレていた彼女の成長を感じられたことが嬉しくあり、同時に少し申し訳なくもあったからだ。
彼女は―――過程はどうあれ「戦うため」に創り出された存在だ。Ozシリーズとしては異例の最初から”感情を有して”いながら、しかし
だがそれでも戦うために生まれ、戦うために在る存在であったならば―――いっそ戦うこと以外の何もかもを知らなかった方が都合が良かったのかもしれない。
まぁ恐らくは彼女の高い知的好奇心の関係上それは不可能だったとは思うが、こうして”普通の人間”としての生き方を知ってしまった事が後々彼女を苦しめる事に成り得るかもしれない。―――そんな事を考えるのは無粋なのだと分かっていても、そう思わずにはいられないのだ。
「……なぁ、ミリアム」
「んー?」
「お前、今楽しんでるか?」
随分と曖昧な言葉を投げてしまったと思っていると、しかしミリアムは特に悩むことも無く答えた。
「あったり前じゃん‼ Ⅶ組のみんなや、士官学院の皆、サラやシオンやシャロンとかとワイワイやってる”今”が、ボクはすっごい好き、大好き‼」
「……そっか。なら、まぁいいか」
ミリアム・オライオンは自分の感情を裏切る事は出来ない。言葉を偽ることが出来ない。彼女が紡ぐ言葉は、全て本心からのものでしかない。
本当に、凡そ知る限り全く諜報員向きではない性格をしている。だからこそ、この場所に違和感もなく溶け込むことが出来たのだろうが。
「変な事を訊いたな、忘れてくれ。お詫びに食後に買っておいたアイスをやろう」
「ホント⁉ やったー‼」
相も変わらずの歳相応の嬉しそうな反応を見せながら自室に戻ろうと階段に足を掛けた彼女はしかし、「あ、そうだ」と何かを急に思い出したかのように再びレイの方を向いた。
「レイさー、今度の月曜日って空いてる?」
「月曜? あぁ、まぁ多分何もないだろうけど……普通に授業あるだろ」
「んー、多分そこは関係ないと思うんだ。だってオジサン直々の呼び出しだもん。授業くらいはどうにでもなっちゃうと思うよ」
「……待て、”オジサン”って事はもしかして……」
「うん、そう」
言葉にすることを躊躇うでもなく、変に引き延ばすことも無く、ミリアムは当たり前のことを当たり前に告げるかのような変わらない口調で続けた。
「
―――*―――*―――
レイの予想通り、帝都庁を含めた首都ヘイムダルの国家機関は現在、繁忙の極みに立たされ続けていた。
エレボニア帝国の国家予算は帝都銀行で管理をしているものの、その他民間企業の財源は『
クロスベルでは既に、国家独立を問う住民投票が行われ、驚異の90%以上の投票率の内、凡そ七割の賛成票を以てこれが可決された。
更にディータ・クロイスの大統領就任演説では、オブラートに包む事すらなく帝国と共和国を弾劾。クロスベル自治州創設以降、州内で起こり続けていた原因不明の事故は全てこの二国間の過剰な諜報戦の結果であったと言い放つ始末であり、より単純に軍事力を組み上げるためか、これまでクロスベルの準軍事組織として在った『クロスベル警備隊』は正式な軍事組織である『クロスベル国防軍』に再編成された。
そしてその国防軍の長官には―――《風の剣聖》アリオス・マクレインが就任。
先日ミシェルから飛んできた電話によれば、どうやらアリオスは自身が遊撃士として抱えていた仕事を全て片付け、その後の対応策すらもキッチリと残した後、遊撃士協会に突然辞表を提出して去ったらしい。
―――その事を話していた際に、妙にミシェルの声が焦っていなかったところを見るに、彼もまたアリオスの不可解さは理解していたのだろう。
アリオス・マクレインは《理》に至った武人だ。カシウス・ブライトと同様、軍の指揮に関しても非凡な才能を発揮する事だろう。それはクロスベルにとっては歓迎すべきことになる。……少なくとも今の内は。
「んで? クロスベル支部が誇る精鋭殿達の反応は?」
『皆一様に「納得できない」って言ってるわ。絶対に、何があっても、どんな手段を使っても、首根っこ引っ捕まえて戻して見せるって。こんなのはアリオスらしくないって』
「本音は?」
『仕事が3割増しになって過労死するから絶対に戻ってきてもらうって』
「だと思ったよコンチクショウ」
ミシェルの話によれば、最近のクロスベル支部では以前よりも一人に圧し掛かる負担は減ってきているらしい。
シャルテが遊撃士本部からの推薦を得て正遊撃士に昇格し、指揮能力、指導能力、マネジメント能力に長じるようになってから仕事の処理速度が格段に上昇。新人のナハト・ヴァイス、クロエ・バーネット両名も”使える”ようになってくれたからこそ、アリオスという絶対の存在が抜けてしまってもクロスベル支部は存在していられる、と。
それ自体は不幸中の幸いと言えるだろう。絶対の一の存在に頼り切った組織など上手く行かない。どこだってそういうものだ。
だが状況自体は凡そ最悪の部類だ。最近はレイの左眼―――《
恐らくキーアというホムンクルスを媒体にした復活で蘇るのは
―――まぁ、そんな虎の威を借る狐のような
……クロスベルの件は、最終的に《結社》の思惑通りに事が運ぶだろう。
オリジナルの《
それは決して、絶対に、人類にとって良いものではあるまい。
「―――イ、レイー? もう着くよー」
目を伏せながらそんな考えを巡らせていると、隣に腰かけていたミリアムがそう声を掛けてくる。
防弾のミラーガラスに包まれた黒塗りの高級車。ラインフォルト社の最新モデルであるというそれに、レイ達はヘイムダル駅を出た直後に乗り込んだ。
そしてその流れを組んだ張本人は今、レイの向かいの席で足を組みながらニヤニヤとした笑みを浮かべている。
「いやぁ、お前ら仲良いねぇ。こうしてみるとマジで兄妹みてぇだよ」
「お前のニヤケ面は相変わらず無条件でイラつくな、レクター。何だお前天才か」
「学生時代はこれでも人気あったんだけどなァ、主に女生徒中心に」
「そんでお前がサボる度に副会長サンに制裁喰らってたんだろ? 俺知ってんだぞ」
「うげっ、それどこ情報だよ」
珍しく一本取られたといった表情を見せながら、それでもレクター・アランドールは余裕の表情を崩そうとはしない。
「つーかお前、今クロスベルに出張中じゃなかったのかよ」
「まぁ報告もあるしたまーにコッチ戻ってくるぜ。……つかアレだ、この頃妙にクロスベルで監視の視線的なのを感じるんだけど、アレお前さんのトコの諜報員?」
「そこで共和国の可能性より
とはいえ、と思う。
《月影》が抱える諜報員の中でも《
そこでふと思い出す。ディータ・クロイスの大統領就任が決定する少し前、『IBC』本社ビル爆破事件とほぼ時を同じくして、猟兵団《赤い星座》が劇団『アルカンシェル』を襲撃していたという情報を。
その襲撃事件の影響で《炎の舞姫》イリア・プラティエがアーティスト生命にも関わる重傷を負い、現在もウルスラ総合病院で入院中であるという。そして、リーシャ・マオも失踪中であると。
「…………」
しかし、リーシャの方はと言えば特に心配していなかった。クロスベルには義兄であるアスラが居る。リーシャを愛してやまない漢の中の漢が居る。彼ならば、彼女の中の《
問題はマイヤの方だ。彼女はアレで、中々に『アルカンシェル』という場所に固執していたように見える。
その場所が失われかけた事で諜報員としての仕事にも影響が出ようものならば……流石にツバキも対処を考えざるを得ないだろう。何かに囚われた諜報員ほど、危ういものはないのだから。
……とはいえ、彼女もプロだ。自分が失敗を侵している事は理解しているだろうし、それに対するケリの付け方も理解しているだろう。
これもまた、自分が心配する事ではないと、そうレイは結論付けた。
「にしてもお前、ホント分かりやすいよなァ。幾ら知り合いとはいえ、普通迎えに来てやった人間の顔見て露骨に嫌そうな顔するかね。何だ、そんなにクレアの方が良かったか?」
「当たり前だろうが」
「即答する辺りお前らホント熱いな‼ ……と、もう着いたか」
そんな話をしている内に、車はバルフレイム宮内に辿り着く。
レクターに先導され、帝国宰相執務室に向かって歩く道中ももう慣れたもの。思い返せば何度も来ているという事もあって、煌びやかな内装の廊下を歩くことにもはや違和感はなくなっていた。
そうして案内された部屋の前で、帝国政府文官がノックをする。
「―――閣下、失礼致します。レクター・アランドール特務大尉とミリアム・オライオン特務少尉、そして”お客様”がお見えになっております」
『―――入りたまえ』
重々しい扉が開くと、そこにはやはり何も変わらぬ傲岸不遜な表情を浮かべた偉丈夫、ギリアス・オズボーンが居た。
激務に晒されている真っ最中であろうに、そこに疲労感などは一切ない。まるでそう在る事が当たり前であるかのように、圧倒的な存在感を撒き散らしながら佇んでいた。
そしてその脇―――部屋の執務机に無遠慮に腰かけるようにもう一人の姿。
身長こそレイと同じくらいの小柄な女性だが、年齢まで同じであるようには見えない。時代錯誤であるかのように思える色合いの服装は開幕前の劇団員のようなそれであったが、それを違和感なく着こなすだけの不思議な雰囲気が彼女にはあった。
やや桃色がかった赤髪はクセが強いのかところどころが跳ねており、まるで気品のある猫を思わせる。―――まぁそれは、ただの外見的な雰囲気でしかないのだが。
「まずは、礼を述べさせてもらおうか。ルーレでの一件ではご苦労だったな《天剣》。ザクセン鉄鉱山をテロリスト共から奪還した功績を、陛下は高く評価しておられる。近々特科クラスⅦ組諸君を皇城に招くことになりそうだな」
「そりゃどうも。皇帝陛下直々にお言葉を貰えるとあっちゃあ、そりゃ名誉な事に変わりないが……しかしアンタも意外と義理堅いな、オズボーン。てっきり約束なんか反故にして無かったことにすると思ってたぜ」
「一度交わした約束を
「そうかい。確かにこんな情勢下、今程度で収まってる時に履行しておかねぇと、
言葉に覇気を乗せながら皮肉じみたやり取りをするが、眼前の怪物は全く動じる事すらない。
当たり前だ。この程度で怖じるようならば、今の時点でこの場には立っているまい。
「……で、クロスベルでの通商会議の報酬は確か、俺の”呪い”を解呪してくれる事、だったな? ―――もう一度訊くぞ。それは可能なのか?」
レイは、自身のこの問いが意味のないものだと分かっていて尚、それでも言葉にせざるを得なかった。
そも、履行できる見込みがなかったらこの場に呼ぶことも無かっただろう。レイ自身あまり期待はしていなかったからこそ、今まで此方側から報酬について言及する事は無かったのだから。
しかしその問いに答えたのはオズボーンではなく、執務机に腰かけていた女性の方だった。
「できるわよー♡ 可能も可能。アタシの力を以てすれば、あんないけ好かない高慢ちきな魔女が仕掛けた拘束術式の解除なんてお茶の子さいさいよ♪」
「チェンジで」
一気に胡散臭い目に変わったレイのその一言に、女性は執務机の上からコケ落ち、そしてレクターとミリアムは背後で吹き出した。
「ちょ、ちょちょちょ、何言ってんのよこのお子様‼ 歓楽街の風俗みたいなノリでそんなん要求するんじゃないわよ‼」
「いやぁ、悪い。何だか致命的なところでヘタを打つ雰囲気満々だったモンで。ここで断っといた方が無難かなと思って」
「アンタ、アタシの名前すら知らない癖によくそんな事断言できるわね⁉」
「勘だよ勘。俺の直感が告げてんだよ。正直生粋の魔女ってどっかしらサドってるところあるから基本信用しない事にしてんだよ。あ、ウチの委員長は信頼してるぞ。最近変な影響受けて「乙女の嗜み」とかのたまって腐り始めてるからそこは一切信用してないけどな‼」
「いや別にそんな事訊いてないわよ‼」
胸ぐらを掴んでレイをシェイクし始める女性と、背後で笑い転げている二人というカオスな状況が一瞬で展開される。
流石にこれ以上騒ぐと外で待機している武官が突入しかねないなと危惧したレイは、少し力を入れて女性を引き離した。
「……雰囲気と魔力の質から察するに”在野”の方じゃねぇな。アンタ、”里”の方の魔女だろ」
「アラ、本当に鋭いのね。レクターから聞いてはいたけれど、流石は”達人級”ってところかしら」
幾分か冷静さを取り戻したのか、その魔女は控えめな胸を張って仕切り直すかのように自己紹介を始めた。
「アタシはアンナロッテ・シュベーゲリン。本来はアンタの言う通り《
「……成程、本当に《
”在野”の方であればともかく、生粋の”里”の魔女を引き抜くその手腕は素直に感服するが、そもそも表に出る事が稀な純粋な魔女を引き込んでおいて、その上でこの男が《
だが、客観的に感じただけでもこの魔女がただの凡人でないということくらいは理解できる。
エマは姉と比べて自分は凡才だと言っていたが、それはそもそも比べる相手を間違っている。ヴィータ・クロチルダという存在は、数世紀に一度現れるか否かと思う程の絶対的な才覚を有して生まれた魔女だ。普通であればエマも、普通に”天才”と呼べるほどの力を有した存在である。
それを基準にするならば、目の前の魔女―――アンナロッテも非凡な魔女ではあるのだろう。
一見して魔力の総量は多い方だろうし、恐らくはそれを活用しきるだけの技術も持っている。”里”で練磨していれば、普通に一流の魔女として名を馳せるであろう程には。―――しかし。
「……俺は確かにあのクソドS魔女が嫌いだが、それでも実力は認めてる。アイツの魔術の腕は一流を通り越して超一流の部類だ。そんな奴が本気も本気で捻じ込んだ”呪い”は……そうそう解呪できるモンじゃねぇだろ」
封印・封呪には一家言あるレイですら、聖獣の力を借りてなお二割程度しか解呪できていないのだ。
それはレイの解呪の分野が”心”や”魂”に根付いたそれの方に特化しており、”肉体”そのものに捻じ込まれた呪いは少しばかり苦手分野だという事情を含めても異様なものである。
非常に悔しくはあるものの、
「だから、出来るって言ってるのよ」
だがアンナロッテは、当然と言わんばかりにそう断言してみせる。
「アタシの『起源属性』は”水”と”時”。割と解呪には適した属性だから、そっち方面には尖らせてるわ。―――それに、あの高慢ちき女が掛けた呪い程度解呪できないと、何だか癪じゃない?」
成程、とレイは思った。
そして
出来れば仕掛けた本人に解呪させたいと思っていたのだが、こういう事情であれば仕方がない。割とこの呪いの誓約に縛り続けられるのが本気で煩わしくなっていたところだったのだから。
「……了解した。色々警戒して悪かったな、アンナロッテ嬢。解呪の方、宜しく頼むわ」
「別にいーわよ。そりゃこんなガッチガチの危険な神性封印術掛けられれば警戒もするでしょうしね。あと、アタシの事はアンナって呼んで頂戴。アンナちゃんでも良いわよ♡」
「あ、ヤベ。一瞬信用しかけたけどマジでこのノリが辛い。クロスベルのド変態遊撃士を思い出して無条件で殴りたくなる」
「お前俺らを笑い死にさせたいのならそう言え。腹筋が辛い」
「あー、笑った笑った。オジサンが同じ部屋に居るのにこんなに笑ったのって初めてだよボク」
漸く笑い転げて過呼吸になりかけていたレクターとミリアムが復帰したところで、話は纏めに入る。
「それで? 俺はこの魔女の力を一時だけ借り受けるって事で良いのか?」
「そうだ。私としても小国を破滅せしめるような規模の呪いを所持している者を国に置いておきたくは無いからな。これを以て報酬とさせてもらう」
「……ま、一応感謝はしておくよ。アンナ、その解呪にはどれくらい掛かるモンなんだ?」
少なくとも数週間、掛かって数ヶ月は覚悟していたレイは、しかしアンナロッテの次の言葉に唖然とする。
「数分で大丈夫よ。”種”を植え付けるだけだしね」
「……は?」
「一度解呪の魔力を術式ごと埋め込んで、それを起点として解呪していくの。薬と同じようなものね。本来なら一瞬でできるんだけど、規模が規模だし、もし失敗した時の影響力が大きすぎるから念には念を入れてこの方法を提案するわ。不満?」
「……いや、それでいい。というかその方がいい。完全に解呪するまでに掛かる期間はどれくらいだ?」
「一応前々からアンタの呪い―――《
「アンタ、魔女の中でもどちらかと言えば研究者気質―――”理論派”の方か」
どちらかといえばアレで魔女としては”感覚派”のエマとは気質が異なるなと考えながら、それでも、と思う。
魔女の里でも秘奥とされている術の解析を個人で行い、その解呪術式の構築まで行えるというのはただの努力の賜物ではないだろう。彼女の言葉通り、そちら方面には特化しているというのは良く分かる。
「だから、植え付けてから数ヶ月ってトコかしら。アンタ、呪術師の一族の末裔なんでしょ? 本来呪力と魔力は互いを打ち消す相反する力だけど、
「……ネタ臭いと思ってたが、中々ヤベェなアンタ。普通それは理論として分かってはいても実際に使えるレベルにするまでに数十年は掛かるぞ」
ただ純粋にそう賛辞すると、アンナロッテは少し得意気そうな笑みを浮かべて自身の魔導杖を取り出した。
「……ま、
「あいよ、了解」
そう言って素直に目を閉じたレイの首筋に、アンナロッテは魔導杖の先を当て、そうして自身の魔力を励起させる。
「【
「【
「【
詠唱が滔々と続き、その一言一言が首筋を通して《
そしてきっちり十分後、淡い光が収まって魔導杖が首筋から離れた。
「……はい、これで術式の植え付けは終わったわ。後はアンタが下手に弄ったりしなかったら効果は出てくると思うから、少し気楽に待ちなさい」
「何だか予防接種みたいな言い方されると緊張感薄れるな……でもまぁ、ありがとう。いつかこの恩は返す」
「はぁ……ま、アンタみたいな”達人級”の武人とコネ作っとくのも悪くないか」
どうにもあっけらかんとした反応を返したアンナロッテは、そのまま特に何も言う事は無くそのまま執務室から去っていった。
その様子を見ていたミリアムは、少しばかり意外そうな表情をしたまま首を傾げた。
「あれ? どーしたんだろアンナ。いつもなら最後にからかいの一つくらい入れてくのに」
「――――――」
「さて、これを以てして《天剣》、君への借りは返したという事になる。……これからも学生として励むが良い。
「……どの目線で言ってんだか。やっぱアンタのバケモン具合は苦手だよ、俺」
吐き捨てるようにそう言って、レイは執務室から退室する。その後ろに、ミリアムも続いていた。
そのまま再び車に乗り込むまで二人の間に会話は無かったが、ヘイムダル駅に向かって走り始めた直後、徐にミリアムが口を開いた。
「アンナってちょっと変わってるんだよね」
「?」
「レイもちょっとは感じたんじゃない? フツーにしてる時はフツーに良い人なんだけど……たまーにすっごい余所余所しくなったり、不機嫌になったりする時があるんだよ」
人間であれば誰しもそういう一面はある。だが、ミリアムが今言っているのは
その不安定さは、先程レイも感じた。《
「……魔女ってのはそれぞれ何かしらの業を抱えてるモンだ。触れちゃならねぇ”地雷”ってのは誰しも存在するモンだけど、特に”才覚”に拘る傾向がある魔女はその分厄介なんだよ」
「ふーん……」
「アレも……あのドS魔女とはまた別種の厄介さを感じたな。割と根が深そうだから、流石にあの場で指摘はしなかったが」
アンナロッテ・シュベーゲリン。―――いずれ、もしかしたら厄介な存在になるかもしれない魔女。
だがそれでも、例えオズボーンの命を受けての事であったとしても、何も話せなくなった魔女の呪いを解呪してくれた存在だ。あの場で「恩を返す」と言ったあの言葉は、決して嘘ではない。
受けた恩は必ず返す。あの破天荒な師ですらも徹底していたその考えを、レイも貫くことに何の異議も無かった。
「……また面倒事を抱えた気がするな。全く……」
ミリアムにすら聞こえない程の小声でそう漏らしながら、レイはミリアムと共に一路、再びトリスタへと戻って行ったのだった。
どうも、十三です。明日から仕事初めなんですがテンションは全く上がりません。むしろ上がる人なんているんですかね?
正月三が日中に二本くらいは投稿したいと思っていたのですが、ギリギリで間に合って良かったです。できるもんですね。
皆様、正月三が日はいかがお過ごしでしたでしょうか。僕は食って寝て特番見て駅伝見てゲームやって小説書いてFGOガチャぶん回したくらいしかしてませんでしたー。
あ、因みに今回使った詠唱のドイツ語訳はグーグル翻訳先生に手伝っていただいたので多分メチャクチャですがご了承ください。当方英訳すらロクにできない人間なので。
今回の提供オリキャラ:
■アンナロッテ・シュベーゲリン(提供者:白執事Ⅱ様)
【挿絵表示】
―――ありがとうございました‼
PS:
FGO二部が始まる前に現勢力を出来る限り上限まで育て上げないと……ロストベルトは相手の勢力的にも色々とヤバい気がしてならない。