英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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「本当に好きなら、何があっても目をそらすな。 相手の何を知っても、何を見ても、目をそむけるな。 抱きしめた腕を絶対に放しちゃだめだ。 それが愛すると決めた者の責任だ」

                by 矢霧誠二(デュラララ‼)










幾星霜に紡ぐ愛

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――という訳で、リィンの後の処置はお前ら専門家(魔女)に任せた。割と今の時点で超弩級の厄ネタ抱えてるけど上手くやってくれると助かる」

 

「アンタ本当はバカなんじゃないの⁉」

 

「お、落ち着いてセリーヌ」

 

 

 

 ルーレから帰還して数日が経った夜。レイは第三学生寮の自室にエマとセリーヌを呼び、防音用の結界を張った上でその話を切り出していた。

 

 ……しかし案の定、ザクセンで起こった事実を余すところなく、語れる範囲で語った所、エマより先にセリーヌが激昂したのだが。

 

 

「ホント、何してくれてんのよアンタ‼ アタシとエマだって凄く気を張りながら様子を見てたって言うのに‼」

 

「しょうがねぇだろ、陛下がどんな行動するのかを完全把握すんのはほぼ不可能なんだよ。何ならキャリーオーバー中の宝クジ一等前後賞全部当てろって言われた方がまだ楽だわ」

 

「例えが何だかアレですけど……かなりレイさんが苦労してたんだなって事は良く分かりました」

 

 色々と自分のキャパオーバーの情報を抱えたエマは、しかし半ば無理矢理それを吞み込んで、冷静さを保つ。

 この半年間で随分と「信じ難い事実」を突き付けられるのに慣れてきた事に溜息を吐きそうになるも、それをグッと堪えた。

 

 

「……ルーレでレイさんの封印術を破ってリィンさんに憑いたのが……その、レイさんの知り合いなんですよね?」

 

「知り合いというより元上司のような感じというか何と言うか……あ、そうか。陛下はもう《結社》関係ないから、深く踏み込まない限りは《魔女の誓約(ヘクセ・ゲッシュ)》の対象外か」

 

「元《結社》……アンタの元上司みたいなものって事は、最高幹部の《使徒》だったの?」

 

「いんや、陛下は《執行者》のNo.Ⅲだった。一時期、何だか無理矢理あの人の無茶に付き合わされてた時期もあったからな」

 

「……その方のお名前は?」

 

「エルギュラ・デ・デルフェゴルド・ルル・ブラグザバス―――俺は単に”陛下”と呼ばされてたが、真名は確かそうだったはずだ」

 

「「‼」」

 

 その名を聞いた瞬間、エマとセリーヌの表情が一変した。

 恐怖というよりは畏怖。興味というよりは忌避感。その様子を見たレイは、しかし逆に納得した様子で言葉を続けた。

 

「―――やっぱり聞いたことくらいはあるか。この名を」

 

「……えぇ。おばあちゃん―――《魔女の一族(ヘクセンブリード)》の長から少し」

 

「で、でも、そいつは私たちが生まれるより遥か以前に長たちが斃したって聞いたわよ‼」

 

「あの人をこの世から消滅させるのは不可能だ。今までも、これからも」

 

 或いはこの世界を創世した女神か、その分け御霊である《七の至宝(セプト=テリオン)》であればそれも可能だろうが、少なくともヒトである以上、もしくは()()()()()()()()()では彼女を消滅させ切ることは出来ないだろう。

 

 一つの種族の原点として生み出された《祖たる一(オールドワン)》とはそういうものだ。聖獣と同じく女神の手により直接創造された存在であるからこそ、この世の始まりに立ち合い、そしてこの世の終わりを見届ける存在。

 

「……それで、今はそのバケモノが何の因果かリィン・シュバルツァーに取り憑いてるってワケね」

 

「俺が駆け付けた時はリィンの魂のかなり深いところまで浸食されてたからな。引き剝がすより、そのまま鎮静化させた方が被害が少ないと判断した」

 

 既にレイが以前に施していた【南門朱雀・軫】はエルギュラの介入によって砕け散り、そのエルギュラの魂にしたところで【東門青龍・心】によって鎮静化させているに過ぎない。

 実際、今のリィンは不安定な状態だ。それならばもう一度レイがリィンの”鬼の力”を封じれば良いとセリーヌが言ったが、その提案にレイは首を横に振った。

 

「元々【天道封呪】は神性存在を封じるために生み出されたものだからな。本来はお前らんトコの《魔女の誓約(ヘクセ・ゲッシュ)》と同じように、人間相手に使っていいモノじゃないんだ。……実際、陛下の件が無くてもいつかは解いて、お前らに任せるつもりだったし」

 

「…………」

 

「出来ない事はねぇだろう? ()()。正直俺の体内呪力の9割はシオンの隷属と陛下の再封印で持ってかれてるんだ。お前に頼るのが、現時点では最適解だと思ってる」

 

「レイさんに評価されるのは嬉しいです。……でも、最盛期の”長”が一人ではとても敵わなかったという程の存在ごと封印するというのは、私には荷が重すぎます」

 

「誰もそこまでしろとは言ってねぇよ。そんなのはヴィータの奴でも不可能だろうさ」

 

「……体良くエマに問題を押し付けようとしてるわけじゃないわよね?」

 

「元々この件に関しての管轄は魔女(お前ら)だろうが。……ま、陛下の件に関しては俺にも責任はあるから、出来る限りのサポートはさせてもらう。心配しなくても、魔女の使命の領域まで足を踏み込むつもりはねぇよ」

 

「寧ろ、アンタがアタシ達の”使命”のどこまで知ってるのか本当に気になるんだけどね」

 

「さぁてね。ま、今はそこはどうでもいいのさ」

 

 はぐらかすようにそう言って、レイは数枚の符を制服の内ポケットから取り出してエマに渡した。

 

「これは?」

 

「リィンの力を封じ込める為に一番効率がいい術式。呪力は籠めてないから、お前の魔力を注ぎ込めばそのまま封印術として機能するはずだ」

 

 元より、こういった術式構築もレイの得意分野の一つでもある。腕前こそ、彼の母親であるサクヤには遠く及ばないだろうが、それでも慣れ親しんだ術式の再構築くらいはこうしてこなしてみせる。

 それを受け取ったエマは、しかし少しばかり複雑な表情になったまま俯いてしまった。

 

 

「……レイさんは本当に凄いですね」

 

「ん?」

 

「武人としての腕前だけじゃなくて、術者としての実力も私とは比べ物にならない程で……私なんて、何もできないのに」

 

 それは醜い嫉妬なのだとエマ自身も理解していた。

 彼は聞いた限りでも想像を絶する半生を過ごしてきた。常に生と死の狭間を歩きながら、その中で研磨された実力であるのならば、それは到底今の自分が追いつけるようなそれではない。

 

 エマ・ミルスティンの半生は、姉であるヴィータ・クロチルダへの羨望で成り立っていたと言っても過言ではない。

 ”長”をして数百年に一度の逸材と言わしめた姉に対する劣等感、と言い換えてもいいかもしれない。彼女と比べてどうしても魔女としての才能が劣っているというコンプレックスを抱えながら、それでも追いつこうと努力してきた。

 

 しかし、魔女として何かを成し得たかと問われれば口を噤まずにはいられない。

 すべき事を、自身の正体を晒す事を躊躇ったが故に目の前の少年に任せきりであったこと。せめてⅦ組の一員として皆を護ろうとしたが……それも中途半端だ。

 

 世界は、思っていた以上に広かった。ただ単に魔法を使う手段に長けているだけでは生き残れはしないと理解した。

 だからこそ、戦う世界を今まで生き抜いてきた人物に対する尊敬の念は本物だ。その世界に生きるには、自分がまだ未熟であるとも。

 

 しかしレイは、そのエマの弱音を否定した。

 

 

「何もできない? 馬鹿な事言ってんじゃねぇよ。お前はもうⅦ組の要だ。断言してもいいが、お前が一人抜けるだけでⅦ組の戦列は軽く崩壊するぞ」

 

 そも今の特科クラスⅦ組―――勿論レイを抜いたメンバー―――の戦列は、全員が揃っている事を前提にして組まれていることが多い。

 特別実習で人数が分かれてしまう際にも、戦力が可能な限り二分されるように組んでいるという旨はサラから聞いているし、足りない戦力で如何にして戦うかを考え編み出すのも戦略の内ではある。

 

 だがそれでも、今のⅦ組のメンバーは単身で”準達人級”レベルの存在と相対する実力を持つ者がいない。だからこそ、一人でも欠ければ強者に抗うことが出来ない。

 その中で、後衛組の攻撃をほぼ一任されているエマの火力は無くてはならないものだ。エリオットと同様、前衛・中衛組が多少の痛みを伴っても守り抜く程には。

 

 それに、戦闘を抜きにしても彼女の存在はⅦ組の中では大きい。

 その温厚で真面目な人柄は委員長としてクラスを纏めるに相応しいし、知識の引き出し方を心得ているその勤勉さはあらゆる状況でメンバーを救ってきた。

 

「俺もまぁ、人の事は言えねぇけどさ。あんま自虐的にならねぇ方が良いと思うぜ。お前の優秀さや優しさを、少なくともⅦ組(俺ら)はかけがえのないものだと思ってるんだし……それに、お前には一番の理解者である使い魔(相棒)もいるじゃねぇか」

 

「あ……」

 

「俺も痛いほど経験があるし……というかつい最近同じようなミスやらかしたけど、自分を信じてくれてる奴らの前で過剰に自虐的になり過ぎると、そいつらの価値まで貶めちまう。―――弱音を吐く事も時には大切だけどな」

 

 苦笑を漏らしながらそう言って椅子の上で足を揺らすレイに、釣られてエマも笑みが漏れた。

 

「ふふ、そうですね。ごめんなさい、セリーヌ」

 

「あ、アタシは別にどうでも良いわよ。……それより、この符の術式の効果は本当なんでしょうね?」

 

「俺ぁレンみたいに根っからの”理論派”じゃねぇけどさ、昔親友(ダチ)の催眠解くために足りねぇ脳みそ振り絞って術式開発した事あったから、その時の経験も踏まえてどうにかしてる。―――心配なら一枚”長”殿のトコに送って鑑定してもらえ」

 

「いえ、それには及びません。……レイさんが()()を助ける為に、中途半端な事をするとは思いませんから」

 

 エマのその実直な言葉に、レイは先程とは違い、強気な笑みを溢した。

 

「分かってんじゃねぇかよ。後は宜しく頼むぜ、()()()

 

「えぇ、分かりました。……()()()()()()()()、あまり不安にさせるわけには行きませんからね」

 

「おう、そこも良く分かってんじゃねぇか委員長。出歯亀は余り褒められたモンじゃねぇが、せめていい感じに成功するように祈るとしようや」

 

「そうですね」

 

 リィン・シュバルツァーの現状を知っている二人は、何かを企むようにしてそう言い合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リィン・シュバルツァーは悩んでいた。

 

 基本真面目一直線な彼は平時の時でも何かしら悩んでいることが多いが、今回は特に深く悩んでいた。

 

 

 ルーレから帰って来て一週間。A班もB班も、一先ずお互い死に掛けた際の愚痴りを語り終えて、苦い思い出も呑み込み終えた様は帰還兵を思わせたが、リィンはそんな中でも一つだけやらねばならぬ事をずっと先送りにしていた。

 

 それは、今まで数度死線を潜り抜けてきたリィンでも経験しなかったことで、しかも一世一代の事となれば悩むし緊張もする。だからこそ()()()()()に慣れているであろう友人に相談をしようと思い至って……そして2時間が経った。

 

 

「……………………」

 

 相談をしようと思い至って自室を出るまで30分。部屋を出たはいいが「本当にこんな事を相談して良いものか」と思い悩み1階の談話スペースで悩む事1時間。やっとの事で決心がついて、しかし友人の部屋の近くで立ち止まって30分。

 合計2時間の無駄な時間を過ごしたリィンは、しかしそれを顧みる余裕すらなく、控え気味に友人の部屋の扉をノックした。

 

「レ、レイ。その……今、ちょっといいか?」

 

『おう、リィンか。部屋ん前でずっと何やってんかと思ったぜ。入って来な』

 

「……やっぱりバレてたか」

 

 薄々勘付いてはいたが、やはり気付かれていた事に少しだけ緊張が緩み、そのままドアノブを捻って友人の部屋に入る。

 部屋の中では、主が自身の愛刀の刀身をなぞりながら鞘に収めている最中だった。床には彼が愛用している砥ぎ石がそのまま置かれており、それを見たリィンは申し訳なさそうに声を掛ける。

 

「悪い。砥ぎの最中だったか」

 

「気にすんな。ちょうど終わった所だ。―――それで? お前は漸くアリサに告る決意が出来たのか? いや、そこが未だに微妙だから俺に相談に来たのか? そこんところを10秒以内に答えろ」

 

「当たり前かのように心を読んでくるのはやめてくれないか?」

 

 しかしレイの声にはからかうような感情は込められておらず、一応相談には乗ってくれるスタンスである事を確認すると、やはり気恥ずかしさはあったが素直に話す事にした。

 

「……まぁお前のお察しの通りだよ。ルーレから帰ってきてから告げられずにいたけど、そろそろアリサに告白しようと思って」

 

「1週間か。長かったな。お前が行かずとも、アリサの方から告るかと思ったんだが」

 

 とはいえ、とレイは思う。

 アリサの方もアリサの方でどうしたらいいかをエマやサラに相談しているという旨を本人たちから聞いている。

 どうにも揃いも揃って肝心なところで不器用なカップルだと思う。「好きです。付き合ってください」の言葉さえ出れば無条件でOKが出るだろうに。

 

 ……ただ、まぁ。その最後の段階を飛び越えるのが一番勇気が居るのだろう。死線に身を置くのとはまた別種の勇気が。

 

「まぁ分からなくもない。告白してもし、万が一でも億が一でも兆が一でもフラれでもしたらどうしようとか考えてるんだろお前。同じクラスにいる以上、そうなっても否が応でも顔を合わせる事になるからな」

 

「う……」

 

「本音を言うと、ルーレから帰って来てから此の方、クロウが学院祭の準備と並行してお前とアリサが恋人同士になった記念パーティーの予定ガッチリ組んでるし、俺も俺で昨日から特製ミートパイの生地寝かせてるから、とっととどっちかが告って欲しいんだわ」

 

「割とガッチリ外堀が埋まってた……」

 

「―――そんなに悩んでんならアリサの告白を待っとけばいいじゃねぇか。昨今、男が告白しなきゃ意気地なしって事もねぇだろうに」

 

 レイは割と本音でそう言ったのだが、リィンはその言葉を聞いた直後に「いや」と返してきた。

 

 

「告白は俺の方からしたい。確かにお前の言う通り待つのもアリかもしれないけど、何て言うか……この機会は一度きりだから、ちゃんと俺の方から、好きだってことを伝えたいんだ」

 

 それは、ルーレで一度はちゃんと決意した事。本来であればトリスタに帰ってすぐにでもアリサに自分の本心を告げるはずだった。―――それが出来なかったのは、偏にリィン自身がザクセン鉄鉱山で武人として”一線”を超えてしまったからだ。

 

 「人を殺す」という感覚を覚えてしまった。命の脈動が途絶える感覚が、手の中に染み付いてしまった。その後、極限状態であったとはいえ、人を殺す事を一瞬躊躇わなかった。

 後悔はしていない。そうしなければ生き残れなかったのだから。―――しかしそれでも、ふとした瞬間に震えているこの手で、果たして彼女を抱きしめることが出来るのだろうか。

 

 面倒臭く、煮え切らない男だという自覚はある。考えすぎだという自覚も。

 だが、それを忘れて愛を告げたところで、果たして自分は後悔しないだろうかと考えると、やはりどうしても踏み止まってしまうのだ。

 そしてその思いを、レイは既に汲み取っていた。

 

 

 一度は「もう問題ない」と判断はしたが、思っていたよりも重傷だった。

 本当に生真面目を具現化したような男だなと再確認する。一度壁を目の当りにしたら、考えて悩んで悩み抜いて、その先に自分の力で正解を導き出そうとする。

 他者を頼っているように見えて、その実自分の心の内に全てを抱え込む。。―――そんな彼の事を放っておけないのは、レイ自身も同じだからだ。

 

「……人を殺したばかりの人間が愛を告白したところで心の底から受け入れられる筈は無い、ってか?」

 

「っ……」

 

 その言葉が図星だったのか、リィンは俯いたまま押し黙った。

 神妙な面持ちのまま「人を愛する資格など無い」などと言ったも同然の友人に対し、レイは堪らず下を向いたままのその頭に平手を叩き込む。

 

「バカめ。お前のその理屈が罷り通るなら、お前より悩まず、お前より躊躇いなく人殺しをして来た俺は一体どうなる?」

 

「い、いや、俺は別にそういうつもりは―――」

 

「それに何より度し難いのは―――お前、アリサ・ラインフォルトという女をナメ過ぎだぞ」

 

 レイは、アリサという仲間の事を底の底まで理解はしていない。それでも、リィンにこんな事で悩ませる程度の女ではなかったはずだ。

 

「お前が愛した女は、お前が惹かれて守ろうとした女は、お前が仲間としても信じている女は、()()()()で愛想を尽かすような奴じゃねぇだろ」

 

「…………」

 

 我ながらクサい台詞を言っているという自覚はあった。

 だが、リィンのアリサに対する想いは本物だ。決して一時の気の迷いとか、遊びでの想いだとか、そういうのでは断じてない。

 レイ自身、恋愛の経験などあの三人に出会うまで無かったのだから、的確なアドバイスを送る事など難しい。しかしそれでも、そういった言葉を掛けずにはいられなかった。

 

「お前はちぃと難しく考えすぎなんだよ。人を殺した罪悪感とか懺悔とかは、この一瞬だけでもいいから頭の片隅に追いやっておけ。好きな奴に好きだと伝える時に、雑念があっちゃならねぇよ」

 

「それは、レイ自身の体験談か?」

 

「言うね、お前。……ま、実際その通りだ。俺はまぁ色々と邪念が多い方だと自覚しちゃいるが……サラとシャロンとクレア(あいつら)()()伝える時だけは、それ以外何も考えちゃいないさ」

 

 そう言うレイの表情はいつものそれよりも幾らか晴れやかで、何も含むところなど無い事を理解させられた。

 そして即答してくれたその答えに何かの折り目が付いたのか、それまで座っていた椅子から立ち上がった。

 

「ありがとう、レイ。一応、気持ちは決まったよ」

 

「俺ぁ何にもしてないけどな。ま、あんまり深く考えずに伝えたい事だけ伝えりゃ良いんじゃねぇか?」

 

「あぁ。……上手く行った暁には美味い夕飯を期待してるよ」

 

「お前それ若干死亡フラグに該当するからやめろ」

 

 そんな軽口を言い合った後、リィンはレイの部屋から退室する。

 

 深く深呼吸を一つ。時刻はまだ午後の8時を回った辺り。ならば、今夜中に想いを告げる方が良いだろう。

 しかし、まずは心を落ち着けなくては話にならない。呼吸を整えながら階段を下りていき、1階の食堂へと足を進める。

 水の一杯でも飲んでから告白の言葉を考えよう―――そんなリィンの思惑は、容易く砕かれることになる。

 

 

「あっ―――」

 

「えっ―――?」

 

 食堂の扉を開けた時、目の前にアリサがいた。

 風呂上がりで少し冷えたのか、ゆったりとした服の上から軽く上着を羽織っている。ふわりと豊かな金髪が揺れ、シャンプーの香りが鼻腔をくすぐると、リィンの頭の中は更に混乱した。

 

 完全に不意を突かれた状態となるのだろうか。心が乱れたリィンは、しかし感情だけが先走って一先ず食堂に入ろうと一歩踏み出したところで、扉の縁に躓いた。

 

「うわっ⁉」

 

「ちょ、ちょっと⁉」

 

 前のめりになってバランスを崩したリィンを、アリサは咄嗟に抱き留める。

 ほのかに体温が高く、良い匂いがするアリサに抱き留められたリィンの心臓の鼓動は際限なく早くなり、逆に抱き留めたアリサも、入学してから一層鍛え抜かれたリィンの肢体に触れて顔が茹で上がったように赤くなっていた。

 

「ご、ごめんアリサ‼」

 

「だ、大丈夫‼ 大丈夫、だから……」

 

 僅かに視線を逸らしながらも、しかし食堂から出て行こうとはしないアリサ。そんな彼女の様子を見て、リィンは頭の中で組み立てていた言葉を全て投げ捨て、ただ思ったままの事を告げる為に口を開く。

 

「「え、えっと―――」」

 

 そして、言葉が被る。互いに何かを伝えようと口を開いたタイミングまで一寸も違わず一緒で、その想いもまた一緒だ。

 間は、恐らく十数秒ほど空いただろうか。舌先に言葉が乗る度に、しかし寸前で呑み込んでしまうという行為を数回ほど繰り返す。

 

 蛇口から僅かに垂れた水滴がシンクを叩く音しか聞こえない静寂の中、掻き出すようにして声を響かせたのは―――リィンだった。

 

「アリサ」

 

「は、はい」

 

 その真剣な面持ちを前に、アリサは自分の内側から何とも言えない衝動が湧き上がるのを感じた。

 その言葉に縛られることを屈辱とは思わない。その言葉に絡め取られるのを拒絶できない。……したいとも思わない。

 

 熱い吐息が漏れてしまいそうになる。その眼に射竦められるだけで、脳が蕩けてしまいそうになる。

 この時、この瞬間だけは何も考えなくて良いのだと、彼女の心に何かが告げた。ただあるがままに、その全てを受け止めなさいと。

 

 

 

「好きだ」

 

 

 

 だから、その求愛を受け取る事に、何の違和感も無かった。

 為すがまま、あるがままの答えを返すために、徐々に唇が開いていく。

 

 

 

「私も」

 

 

 

 眼尻から涙が溢れている事すら気付かない程に、心が歓びを享受していた。

 一つ心残りがあるとすれば、その求愛を伝える側になりたかったというだけの事。だが、受け止める側になった事に何の不満も有りはしなかった。

 

 嗚呼、なんて幸せなのだろうと、そう思う事に一切の疑問も無かったのだから。

 

 十の贈り物をされるより、百の言葉を掛けられるより、その一言が今までの不安の全てを彼方に追いやってくれた。

 私はこの人を愛して良いのだと、何にも勝る多幸感が全身を支配する。

 

 

 そして今度は、リィンがアリサの体を包み込んだ。

 まるで繊細な陶器に触れるかのように優しく、しかしその指先は微かに震えている。―――それは、彼が抱えていた不安を如実に表すものだった。

 

「……本当は、少し怖かったんだ」

 

「……え?」

 

「人を殺したこの手で、君を抱きしめるのが怖かった。もし拒まれたらどうしようって……みっともなくそればっかり考えていたよ」

 

 そう告げるリィンの体を、今度は咄嗟にではなく、情愛を以て抱き締めた。

 心に残るその不安を取り除くために。私は拒絶などしないのだと、その身で以て知って貰うために。

 

「私は……リィン、貴方の全部を知っているわけじゃないわ。でも、貴方がどういう人かは知ってる。真っ直ぐで、優しくて―――でも、必死に何かを抱え込もうとしてる不器用な人」

 

「…………」

 

「大丈夫。私は絶対に貴方を見捨てないから。貴方の傍に居続けるから。どんな事があっても、貴方を愛し続けられるから」

 

 それは、彼女なりの情愛だった。

 父と幼い頃に死に別れ、多忙な母とはすれ違い、しかしそれでも愛情を注いでくれる人達がいてくれたからこそ、彼女はこうして、今度は自分から誰かを愛することが出来たのだから。

 

 

 ふと、目が合った。

 熱の籠った視線が交わり、その距離が段々と近づいていく。

 

 どちらが何かを口にしたわけではない。ただ無言のまま、二人の顔は近づいていき―――そしてゼロになる。

 

 唇が重なっていた時間はそれほど長くはない。ただの啄むような優しいキスだったが、それでも二人は満足だった。

 不意に、お互いの顔が綻ぶ。安堵からか、幸福感に彩られた小さい笑い声が耳朶に染み込んでいく。

 

 

「俺は、君を絶対に守れるように強くなる。約束だ」

 

「なら私は、そんな貴方の背中を守る。貴方が前を向いて歩き続けられるように」

 

 

 その契りは、更に二人の心を振るわせた。

 守り、守られ、互いに支え合ったその先に何か別の光が見えるのならば、その道を進むことに間違いなどあるはずがない。

 

 ならば、その誓いを真のものにしようと、リィンはアリサの顎にそっと触れた。

 もう一度、もう一度唇を重ね合いたい。この女性が自分のものであるのだと、魂の底まで刻み付けたい。

 

 そんなリィンの情欲を、アリサはやはり拒まなかった。

 天にも昇る心地、愛に堕ちていく心地。それらの感情を理解しながら、再び微かに呻くような声が零れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

「……で? どうするのよ」

 

「何が」

 

 1階に繋がる階段の踊り場で、手すりに寄り掛かったレイは対面で佇むサラの言葉にわざととぼけてみせた。

 

「何が、じゃないわよ。ちゃんと収まるべきところに収まったのはアタシとしても嬉しいけど、このままおっぱじめたら流石にマズいんじゃない?」

 

「お前流石にそこはオブラードに包めよ。……ま、大丈夫だろ。アイツらは俺らと違ってちゃんと節度を知ってるわけだし?」

 

 悪戯っぽい表情でそう言うレイに対し、サラは少し顔を赤らめながら同意した。

 

「……否定はできないわね。悔しい事に」

 

「そういう事。まぁこれ以上の野暮は止そうぜ。……あ、明日食堂のムービーカメラ回収しねぇと」

 

「アンタ2秒前に自分が言ってた言葉覚えてる?」

 

 何の悪びれもなく、何の躊躇もなく、レイは前もってシャロンから預かっていた超小型ムービーメーカー(それ)の存在を口にする。

 

「アンタもしかして誘導したの?」

 

「人聞きの悪い事を言うな。俺はたださっきの雰囲気から今日中に絶対告るなって思って、式神にカメラ括りつけてリィンに着いて行かせただけだぞ」

 

「……誰が依頼したかは考えなくても分かるわね」

 

「いずれアイツらの結婚式か、もしくはいつか酒の席で集まる事になった時に流してやろうって意見で一致したからな」

 

「ホント、良い性格してるわねアンタ達は……‼」

 

 クツクツと意地汚く笑うレイであったが、しかしその笑いの合間に見せた表情は―――安堵感に包まれているように見えた。

 

「人への想いってのは伝えられる時に伝えとかねぇとダメだよなぁ。―――いつ死ぬか分かんねぇ時世に放り込まれる可能性があるんなら、特に」

 

「…………」

 

「ダチとして俺がアイツにしてやれるのはこれくらいさ」

 

 そう言い切る恋人の姿を見て、サラは一つ、深い溜息を吐かざるを得なかった。

 

「やっぱりアンタ、損な生き方をしてるわ」

 

「そうだろ? ……ま、それで友人の幸せそうな姿を見られんなら、それも悪くねぇさ」

 

 少なくともこれに関しては後悔も何もない。

 その先にある運命が拙いものであるのだとしても、それを手繰り寄せられるか否かはもう本人たちの問題だ。

 

 そしてその先の道を見てみたいという願いが、傲慢だとは思わなかった。

 それは正しく―――生きる一人の人間として在るべき姿であるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 どうも。1月3日に初めて「君の名は。」を見て割と感動してた十三です。色々と賛否両論あるけど、僕は好きでしたあの映画。

 さて、今回ようやくリィンに告白させたわけですけど……これから彼が辿る修羅道を思うと歓迎して良いものかどうか割と真剣に悩みますねコレ。
 でもまぁ、諦めなければいつかきっと夢は叶うって某アホ大尉も某航海者さんも言ってるから大丈夫だよ多分‼……言ってる人間が不安しかねぇけど。

 それじゃあね、次回は少しクロスベルの現状をお見せしましょうか。なぁに心配しないでください。いつも通り……いや、いつもよりほんのちょっぴり地獄になってるだけですから。あんまり変わってないから(大嘘)‼


PS:そんじゃ皆様、今から僕は邪ンヌを当てる為に運命力とにらめっこしてきます。



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