英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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「俺はこの世でただ一人の――君のための英雄になろう」

    by アシュレイ・ホライゾン(シルヴァリオ・トリニティ)








死狂和音 前篇 ―in クロスベル

 

 

 

 

 

 

 

 

 クロスベルには、通称”裏通り”と呼ばれる場所がある。

 

 歓楽街にも出店できないような違法性の高い商品を取り扱う店や隠れ家のようなバー、果てはマフィアの拠点などの文字通り”裏”の世界に繋がる存在が根城にしている此処は、しかし財政界との闇のパイプが構築されている所為で治安維持組織が強制捜査に踏み込むことが出来ない、所謂治外法権が適用される場所である。

 

 道端には大っぴらに死体こそ転がっていないものの、みすぼらしい風貌の浮浪者やゴロツキが珍しくもなくうろつくこの薄暗い一角では、少しばかり様子がおかしい者が居たところで誰も目を止めはしない。

 何せ、一昔前はマフィア同士の抗争が起こる事すら日常茶飯事だったのだ。汚い金と弾丸と麻薬が横行する程に狂った場所であれば、人は異常になれるというもの。

 

 ―――しかしそんな裏通りの住人ですら、今現在鈍い足取りで移動するその男の事を、奇異と恐れが入り混じった目で見ていた。 

 

 

 

 

「っ……クソ、痛ぇ……重い……動かねぇ……」

 

 左半身を引きずり、全身が血塗れ。外貌は完全に瀕死の死に体であるというのに、その眼光はまるで獅子のそれであった。

 その鋭い眼光が、粗暴な連中を一切近寄らせない。僅かでもこれ以上彼の体を害するような事をすれば瞬殺される―――それを本能で理解していたからだ。

 

 濃い紫色の髪が、いつもよりもくすんでいるように見える。並大抵の武人では傷一つすらつけられない鋼の肉体に刻まれた裂傷と突傷の数々は、彼を知る人物が見れば驚愕に目を見張る事だろう。

 それでも、そんな躰であっても―――アスラ・クルーガーは決して膝を付こうとはしなかった。

 

「ッ……アルトスクの旦那も大人気ねぇなぁ……彼女持ちの後輩にこの仕打ちかよ」

 

 口から出てきたその言葉は、どちらかというと憎まれ口に近かった。

 

 

 結社《身喰らう蛇》、《執行者》No.Ⅴ―――《神弓》アルトスク。

 ”達人級”の武人や異能者が珍しくもなく名を連ねる魔境のような《執行者》の中に於いて、それでも”最強”の称号を冠するに相応しい武人。

 

 その絶技はもはや”絶人”の域に達しかねない程。そんな彼が《結社》の粛清部隊を率いているからこそ、例え脱退した者であっても組織の情報を積極的に漏出させようとは考えない。

 何せ彼は”人狩り”のプロフェッショナルだ。《結社》の黎明期から《盟主》に忠義を尽くし続け、《執行者》となるまでは決して表には出て来ようともせずにただひたすらに汚れ役に徹し続けていた。

 

 その鋼の忠義を、アスラ自身は好ましく思っていた。

 例え卑怯卑劣と蔑まれようとも、それでも自ら汚れ役に徹し続けるその意思は並大抵のものではない。だからこそ彼は《神弓》の異名で呼ばれ、そして畏怖されているのだ。

 

 故に、一部の過激な戦闘狂(バトルジャンキー)を除けば、新旧問わず《執行者》の面々がアルトスクを評価する際に必ず最後に付け加える言葉がある。

 

 『彼とは絶対に殺し合いたくはない』―――その言葉が、武人の格の全てを物語っていると言えるだろう。

 

 

 

 アスラが不幸だったことと言えば、そんな人外に近しい武人に()()()()()命を狙われ続けた事だろう。

 

 実家の本家への定期的な顔出し、及び《ロックスミス機関》に在籍する旧友との情報交換をこなす為に一時帰国を余儀なくされていたアスラは、しかしその帰路の途中で襲撃された。

 だが、並の襲撃であったのなら”達人級”の武人であるアスラが梃子摺る理由は無い。適当にあしらうか、襲撃者を全滅させて済んでいただろう。

 それが出来なかったのは、ただ偏に「相手が悪かった」からだった。

 

 

 アルトスクの任務は、「アスラ・クルーガーを可能な限り足止めし続ける事」であった。

 彼は今回、クロスベルとエレボニアを舞台に繰り広げられる『幻焔計画』の参戦者として名を連ねてはいない。ただ、カンパネルラの案により、《使徒》第六位F・ノバルティス経由の要請を受け、計画の初動の弊害になりかねないアスラをカルバード共和国領内に足止めしていたに過ぎなかった。

 

 ―――本来であれば一ヶ月近くの足止めを予定していたにも関わらず、アスラが異常なまでの突破力を見せて、僅か一週間程度でクロスベル領内に強引に入られたのは、アルトスクにとっても予想外の事ではあっただろうが。

 

 

 無論、アスラとて無傷での突破とはいかなかった。

 氣で強化された鋼の肉体の防御力を、アルトスクの矢はいとも簡単に貫いていた。剄破の氣が練り込まれた非物質の鏃が躰を抉る度に肉と内臓と骨が軋みを上げ、石化と猛毒の魔力が内部から侵していく。

 

 更に《盟主》から賜った聖弓《ケルクアトール》から放たれた矢は、その全てが過つ事なく人体の急所を狙っていた。

 いつ、どこから、音も気配もなく必殺の攻撃が迫ってくるか分からない恐怖。一秒一瞬たりとも気を抜けず、緊張の糸が僅かでも緩めば、その瞬間に脳天を矢が貫くという状況で、しかしアスラは生き残り、そしてクロスベルへと舞い戻ってみせた。

 

 内臓の幾つかは潰れ、骨は砕け、左半身は石化し、体中を巡る猛毒のせいで思考は上手く回らない。

 無論、血は足りず、氣力による肉体回復は既に限界を超えている。……外目だけに限らず、実情を覗いても死に体であるのは明らかであった。

 それでも、クロスベルが置かれている現実を知っている今、倒れ伏すわけには行かなかった。

 

 

 

 

 『アルカンシェル』、及び『IBC』への襲撃事件、その後のディーター・クロイスによる大統領就任演説。更に『クロスベル国防軍』の設立と、アリオス・マクレインの国防軍長官就任。

 

 ”魔都”クロスベルは、確実に崩壊への道を辿っている。一人の男の理想に酔った想いを引き金に、妄執に取り憑かれた一族の悲願を種火に、《結社》の掌で踊らされる形で、確実に。

 

 だが彼にとって、クロスベルという国家そのものがどういう道を辿るかという事に、()()()()()()()()()()

 混沌としていて、真実と虚偽の境目が曖昧で、誰もが挫け、しかし誰もが夢を見る事が出来る街。人間というものがあるがまま生きられるこのクロスベルという場所を気に入っていたのは確かだ。

 それでも、アスラは聖人ではない。名も顔も知らない人間の為に命を賭して戦えるかと問われたら迷うことなく否と答えるだろう。

 

 しかし、彼には守らなければならない唯一があった。

 ()()が心の底から居心地が良いと思っていた場所が失われ、恩人とも呼べる人物が生死を彷徨う重傷を負ったとあれば―――きっと鷹揚にはしていられまい。

 

 自身で立ち直ってくれるのならば、それに越した事は無い。

 誰かの手を借りて立ち直ってくれるのならば、それでも一向に構わない。

 

 だが、今も一人で、どこかで泣く事もできずにいるのならば―――それを見過ごすことは出来ない。

 

 

 彼女は―――リーシャ・マオは優しい女性だ。”暗殺者”という肩書きを背負うには、あまりにも優しすぎる女性だ。

 そんな彼女だからこそアスラは惚れ込んだのだし、たとえ彼女がどうであろうとも想う事には変わらない。

 誰にも何にも告げられずにただ一人で苦しんでいるのならば……その心の扉をこじ開けるのは自分でなくてはならないという自負はあった。

 

 向かうべき場所は、聖ウルスラ医科大学。イリア・プラティエが搬送された場所がそこであるならば、彼女がそこに居る可能性もある。

 だが、このような凄絶な状態で人通りが多い場所を歩くわけにもいかない。裏通りを西通り側に抜けたアスラは、そのまま外壁沿いに南クロスベル街道に出ようと音を立てないように階段を下りていく。

 しかしその道中、アスラはとある建物から出てきた一行と鉢合わせた。

 

「ん? あ、おい、あれって……」

 

「あ、アスラ⁉ ど、どうしたんだ、そのケガは⁉」

 

「―――あ”?」

 

 ぼやける視界を何とか明瞭に保ちながら再び前を見据えると、そこには必死の形相でこちらに駆け寄ってくる人達の姿。

 その特務支援課の面々を目の当たりにして、アスラは少し気が楽になったような錯覚に陥った。

 

「よう、お前ら……お前らは無事だったみてぇだな」

 

「いや明らかにお前が無事じゃねぇんだが⁉」

 

「え、エリィさん回復です‼ 回復アーツです‼」

 

「ちょ、ちょっと動かないでくださいねアスラさん」

 

 ビルの外壁に寄り掛かった状態になったアスラに対して、エリィがENIGMA(エニグマ)を起動させて高位回復アーツを掛ける。

 しかし、それで塞がったのは表面に付いた傷だけだ。石化と猛毒は『レキュリア』を以てしても癒す事は出来ず、内臓と骨にはダメージが残ってしまっている。

 

 その事態を異常だと理解した一行は、偶然にも支援課ビルを訪れていた本業―――ロイドの義姉であるセシルに軽い診察を要請した。

 

「……何があったのかは分からないけれど、看護師として言うのなら今すぐウルスラ医科大学(ウチ)に入院する事をオススメします。アスラさん、今の貴方は、医師ではない私の目から見ても絶対安静である事が分かりますから」

 

「……まァ、そうだろうなぁ。ンな事は俺が一番良く分かってる。正直こんな状況じゃなきゃ少なくとも一週間は回復に努めるところだ」

 

 何せ弓使いとしては《鉄機隊》のエンネアを凌駕する男である。その戦技(クラフト)の影響が、並の回復アーツでどうにかできる訳も無し。

 回復する方法としては、セシルの言う通り安静にして体の自己回復能力を高め、そこに活剄を流し込むことで打ち消すしか方法は無い。医科大学の意志の腕を疑うわけではないが、現代医学でどうこう出来るレベルではないのだ。

 

「……そうだ、セシルさん。医科大学の方に、リーシャはいねぇか? アイツが居るんだったら、一言声を掛けておかなきゃならないんでな」

 

 やや強引に話を切り替えると、セシルを含め、支援課のメンバーは全員気まずそうに顔を逸らした。

 正直な話、その時点で事情は察したアスラだったが、代表して口を開いたロイドの言葉を聞ける程度の余裕はあった。

 

「リーシャは……『アルカンシェル』での事件以降、行方知れずらしい。シュリもすごい心配していたよ」

 

「そうか……イリア・プラティエの状態は?」

 

「一命は取り留めたけれど……予断を許さない状況だと聞いたよ。セイランド先生は……例え意識を取り戻しても、もうアーティストとして活躍するのは難しいだろうって」

 

「……そうか」

 

 イリアとアスラの関係は、端的に言えば悪縁となるのだろう。

 リーシャを愛しているアスラと、リーシャを可愛がっているイリア。アスラの外見や言動が無頼漢じみているのも相俟って、二人は顔を合わせれば取り敢えず憎まれ口を叩き合うというのが日常的な光景となってしまっていた。

 

 だがアスラは、イリアのアーティストとしてのプロ根性や実力は高く評価していたし、リーシャを表の世界で輝かせるキッカケを与えてくれた人物として感謝はしていた。

 イリアの方もアスラが掃いて捨てるほどいるようなただの不良ではなく、筋の通った男である事を認めていた。

 

 劇団『アルカンシェル』の公演は何度か観た事があるが、あれは劇団に所属する誰が欠けても再現できないものだ。ましてや顔役であるイリアが抜けるとなると、どのような影響が出るかなど、関係者であれば考えたくもないだろう。

 するとそこで、ランディが徐に頭を下げてきた。

 

「すまねぇ。『アルカンシェル』を襲撃したのは……俺の身内だ。その所為でイリアの姐さんは意識不明になって……お前さんの恋人にも心に傷を負わせちまった」

 

「やったのは《血塗れ(ブラッディ)》の方かよ……あぁ、頭下げんなランディ。お前は何も悪くねぇだろうに」

 

 とはいえ、とアスラは思う。

 『IBC』を襲撃したのが《赤い星座》の主目的であったとするならば、シャーリィ・オルランドが『アルカンシェル』を襲撃した理由は何だろうか。

 

 ……恐らく大局に関わるような理由ではないだろう。彼女の目的は『アルカンシェル』そのものでもイリア・プラティエを亡き者にする事でもない。

 ただ―――()()()()()()()()()()()()()()()

 

「リーシャが医科大学にいねぇってんなら……まぁそれはそれでアテはある。それに、()()イリア・プラティエがこの程度の事でテメェの矜持を投げ出す筈もねぇ。目が覚めたらすぐにでも、血が滲むようなハードなリハビリを進んでやるだろうよ」

 

「……あぁ、俺達もそう思ってる」

 

「だろうな。―――あぁ、時間を取らせちまって悪かったな。お前ら、どっかに行くつもりだったんだろ? ……何だ、キーア嬢ちゃんが迷子にでもなったのか?」

 

 その問いかけに一瞬だけ口を噤んだロイドだったが、しかしそれでも今まで支援課(自分たち)に力を貸してくれた人物に不義理は出来ないと割り切ったのか、事情を説明し始めた。

 

 曰く、『クロスベル国防軍』の長官に就任したアリオスがキーアの事を「迎えに来た」らしく、そしてそのままミシュラムへと向かって行ったのだとか。

 しかし、流石に事情も聞かずに納得などできる訳もなく、アリオスに真意を問いただすために今からミシュラムへと赴く直前であったとも。

 

 アスラは迷った。このまま彼らを見送っても良いのだろうかと。

 恐らくキーアは、既に《零の至宝》としての意識を覚醒させてしまっているのだろう。その上でアリオスに着いて行ったという事は―――彼女の覚悟は既に固まってしまっているという事だ。

 

 だが、それでも、彼女が今までロイドたちと過ごしてきた日々がただの”嘘”であった筈など無い。彼女は人間の少女として過ごし、その日々を幸せだと思っていた筈だ。

 ならば、ここで彼女に声を掛ける事にこそ意味があるのだろう。―――どちらにせよ、もう既に状況はアスラ一人が足掻こうともどうにもならない程に進行してしまっているのだから、口を挟むだけ無粋というものだ。

 

「そうだよな、お前らは”家族”だもんな。―――だが気を付けろよロイド。何があっても、その正義の心をテメェで圧し折るようなことはするなよ」

 

 だから、ただそう言って彼らを送り出した。

 この後にクロスベルを襲う混迷の中で、それでも彼らが少しでも抗うのならば……その時は全面的に力を貸す事で贖罪としようと考えたのも事実だが、彼自身、やはり今でもあんないたいけな少女一人に負担を背負わせようとする大人共の思惑が気に入らないというところが大きかった。

 

 しかし兎にも角にも、それを為す前に、まずはリーシャを探し出さねばならない。

 最後まで体調を気遣ってくれたセシルに礼を言ってから、アスラは多少軽くなった体を懸命に動かして東通りの方へと向かう。

 

 先程は「アテがある」と告げたアスラだったが、その「アテ」は一箇所ではない。普段ならともかく、この体の状態で虱潰しに探すのは少々辛くはあったが、しかしそれを面倒だとは欠片も思わなかった。

 だからこそ、まずは東クロスベル街道沿いにある「アテ」を探すために東通りに立ち寄った瞬間―――徐に軽く肩を叩かれた。

 

 

「っ―――⁉」

 

「ひゃあぁっ⁉ ご、ゴメンナサイすみませんッ‼ て、てっきりアスラさんなら気付くと思って―――っ」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()―――その事実がアスラに与えた驚愕は大きく、つい臨戦態勢に瞬間的に移行してしまったが、振り向いたその先にいたのはひたすら頭を下げ続けている少女だった。

 

「っと……何だ、シャルテ嬢ちゃんかよ」

 

「は、はい。お久し振りですアスラさん。えっと……た、体調が悪そうですけど大丈夫ですか?」

 

「……一応外側の傷は塞いでもらったんだがな。まだそんなにヤバそうに見えるか?」

 

「え、だってその、左半身とかかなり石化してるように見えますし、以前お会いした時に比べて重心が大きくズレてますし、首周りの皮膚が赤くなってますから……毒か何かの影響でかなり発熱してません⁉」

 

「……驚いた。前々から観察眼は中々なモンだと思っちゃいたが、正遊撃士になってから磨きがかかったんじゃないのか?」

 

 遊撃士協会クロスベル支部所属―――シャルテ・リーヴェルトは、アリオスが遊撃士を一方的に辞職した今、クロスベル支部を支える代わりの利かない存在となりつつあった。

 クロスベルという地が一足早く激動の時代に乗り入れ、更にA級遊撃士が抜けた今、受付のミシェルが過労で倒れていないのは、彼女の成長に依るところも大きい。

 

 個人戦闘能力はそれほど高くはないのだが、観察眼・洞察力・マネジメント能力を伸ばし続けた結果、「他者をサポートする」という事に掛けては既に一流の域に達していると言っても過言ではなく、現在では『民間警察連携推進構想(クロス・プロジェクト)』のギルド側代表としてクロスベル警察や民間組織との折衝も請け負っている立場であった。

 

「んで? どうしたんだよ。このご時世だ、お前さん、かなり忙しくしてるんじゃないのか?」

 

「え? あ、はい。確かに以前より大分忙しくさせてもらっていますけれど……この後もジリアンさんの所へ行って話し合いをしなくてはいけませんし……」

 

「そうか……驚かせちまって悪かったな。お互い時間が惜しい身だ。お前さんトコの近況報告も兼ねて、今度時間があったら改めて話すとしようや」

 

 恐らくは忙しさという観点から見れば彼女の方が数段上だろう。大企業の秘書もかくやという量の仕事を、特に泣き言を言っている風もなくこなしている辺り、本当にクロスベル支部との相性は良いらしい。

 そんな彼女の邪魔をするのも忍びなく、アスラはそのまま東通りを抜けようと歩を進め―――。

 

 

「―――リーシャさんを探しているんですね?」

 

 呼び止めるようにして掛けられたその言葉に、立ち止まった。

 

「……知ってるのか?」

 

「アスラさんがそんな必死な顔をしていましたし……それに、『アルカンシェル』襲撃事件からリーシャさんの行方が分からなくなっている事も聞いています」

 

「…………」

 

「……探しに行かれるのでしたら、古戦場辺りをオススメします。先程アルモニカ村に行った際に、「黒衣の人間を見た」と村の人が噂していたのを耳にしましたから」

 

 そう告げると、アスラは「すまない」という一言だけを残して、そのまま東クロスベル街道の方へと歩いて行った。

 

 

 心配していない、と言ったらやはり嘘になる。エオリアとは違い、医療の事にはあまり詳しくないシャルテだったが、それでも今のアスラの状態が危険であるということくらいは分かる。

 だが、例え今自分が引き留めたのだとしても、彼は行くだろう。前に進むだろう。

 彼は”達人級”の武人。理不尽の体現者だ。どのような逆境に立たされても這い上がる事の出来る強者。……自分もそうでありたいと憧れてやまない存在だ。

 

「私も……頑張らなくちゃ」

 

 アリオスがいないクロスベル支部。一時は軽くパニック状態にはなったが、それでも市民の要望が途絶える事は無い。

 正遊撃士に昇格した事で出来る事も増えた。やるべき事も増えた。頼りがいのある存在に成長してくれた後輩もできた。―――この世で一番尊敬する姉がそうであるように、自分もまた、自分にしかできない事がある以上は足を止めるわけには行かない。

 

 自分は自分で、やるべき事をやる―――改めてそう決意した矢先、ふと彼女の心の中に欠片のような違和感が残った。

 

「……あれ? アスラさんがいて、リーシャさんを探していて……イリアさんが入院していて、シュリちゃんがそれに付き添っていて……あ、あれ? 私、()()()()()()……」

 

 本来ならば()()()()()()()()()()()その違和感に頭を抱えて立ち止まる。

 どんなに思考を巡らせても、どんなに記憶を漁っても引き出せないそれに、シャルテ・リーヴェルトは何故か罪悪感を抱えたまま、その場に立ち竦んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 以前この場所を訪れた時に感じていたのは、まさしく高揚感だった。

 義弟との久方振りの手合わせ。《結社》に居た頃よりも鋭く、真っ直ぐになった剣技を目の当たりにして、釣られるように武人としての悦びを感じていたのを今でもはっきりと思い出せる。

 

 だが、今のアスラ・クルーガーの胸中に宿っているのは、焦燥感と罪悪感だった。それに応えるように、先程までは誇るかのように頭上に座していた太陽も、今は分厚い灰色の雲に覆われてしまっている。

 

 吹き抜ける風が朽ちた建物の間を通る度に鳴る音が、亡霊の怨嗟の声の様に聞こえてならない。

 彼女が何を思って失踪したのか、何を恐れてしまっているのか……それを察することは出来ても、直接彼女の口から訊かねば意味がない。

 

 

 しかし、それが簡単に罷り通らない事も―――今のアスラには分かっていた。

 

 アルモニカ古戦場の一角。朽ち果てた古代の遺跡に囲まれて窪地となった場所。そこに彼女は居た。

 ただし、意識がある状態ではなかった。生気を抜き取られたかのように仰向けに倒れ、《(イン)》として受け継いだ大剣も少し離れた場所に墓標のように突き刺さっていた。

 胸が上下しているのを見る限り、死んではいない。一目見た限りでは外傷もなく、致命傷を負っているようには見えなかった。

 

 だがそれでも、アスラは鋭く細めた双眸を和らげはしない。―――その傍らに立つ存在を見つめ続ける。

 

 

 ―――異様な風貌ではあるが、今更それについて驚愕の言葉を漏らす事は無い。

 全身がボロ布のような黒布に覆われ、その中に点のように存在する白い仮面。その仮面の表情は、常人が見れば狂気すら連想させるだろう。

 

 しかしアスラは知っている。その面は狂気や嫉妬を現すものであれど、本来は神霊を奉る側面としてのそれであるという事を。

 

 『泥眼(でいがん)』―――気絶したリーシャの傍らに死神のように佇む存在に、アスラは戸惑うことも無く声を掛けた。

 

 

「疲れ果てて気絶した親友を介抱してる……って絵面じゃねぇよなぁ、マイヤ・クラディウス―――いや、《鬼面衆》よ」

 

 つい数か月前までは、《結社》の中に在ってもその名が知られていなかった存在。《月影》が秘していたその正体を、レイは義兄であるアスラにも明かしてはいなかった。

 にも拘らずアスラが看破できたのは、単に今の《鬼面衆》から「マイヤ・クラディウス」の気配が漏れ出ていたからに過ぎない。それを察した彼女は、抵抗することも無く黒布を自ら取り払った。

 

 黒衣の上から節々に軽装鎧を身に着けた、まるで武人のような姿。本来であればその顔は別の”鬼面”に覆われている筈であるのだが、今現在はアスラに対する評価を示すかのように、何も被せてはいない。

 

 しかしその表情は、いつもの彼女のそれよりも無機質で―――紛う事なき”暗殺者”の貌であった。

 

 

「……お前がやったのか?」

 

「えぇ。殺しはしていませんが、眠っては貰いました。……私が私の使命を果たす為には、邪魔なのです、彼女は」

 

 その声色は冷ややかで、狂気ではない意思がそこにはあった。

 だからこそアスラは、激昂の感情を爆発させずに済んだのだ。皮肉げに口元を吊り上げて、挑発するように口を開く。

 

「流石にプロだな、お前。……イリアが入院して、リーシャが失踪した事をロイドたちやシャルテ嬢ちゃん達は知ってたのに、()()()()()()()()()()()()()()()。……いざという時は関わった人間の記憶から”自分”が抜け落ちるように、常日頃から印象を操作してやがったな」

 

「当然の事です。私は《月影》の諜報員。クロスベルで劇団員として在った私はただの現身、影法師です。―――時が来ればいずれ去る場所に、自分の記憶を残すわけにはいかないでしょう?」

 

「……んで? そんなお前がこれから先《月影》の一人として行動するために、リーシャの存在が邪魔になった、と」

 

 矛盾している、とアスラは見通した。

 彼女が本当に心を分けているのであれば、リーシャを手に掛けるなどという手間を介する事無く任務に戻ればよかっただけの話。彼女ほどの技量であれば、隠密に特化すればリーシャであろうとも動きを気取るのは難しいだろう。その自負を持っていないとは考えづらい。……ならば。

 

「”囚われている”事を自覚してたんだな、お前は。リーシャに、『アルカンシェル』という場所そのものに本気で愛着が湧いてしまったからこそ、最後に後顧の憂いを断ちにかかった」

 

「…………」

 

「プロ根性が凄まじいのは見りゃ分かるがよ、もうちっと人間らしく生きても良いんじゃねぇの? お前、それが出来ない程弱くはねぇだろうに」

 

「……何も知らない外野風情がよく言いますね」

 

 ―――その殺気は、アスラを一瞬で臨戦態勢に移行させるに足るほどに、鋭く、尖ったものであった。

 とはいえ、殺気を向けられる事自体は予想していた事だった。彼女の心の琴線に触れるような言い方をしたのもワザとであったし、そうでなくてはならなかった。

 

「ま、俺としちゃテメェの矜持云々は今どうでもいいんだ。……そこをどけ、《鬼面衆》。今そこをどくのなら、俺の女に手ェ出した事は不問にしてやる」

 

 アスラのその言葉に否を突き付けるように―――マイヤが放った震脚が周囲の大地を震わせた。

 拒絶の意。これ以上は踏み込ませないという決意。それは、互いが拳を構えるに充分な威嚇であった。

 

「貴方こそ私の邪魔をしないでください。……私は今度こそ心を殺して任務に殉じる。―――たとえ彼女(リーシャ)を殺してでも」

 

「吼えたな、暗殺者。俺の目の前でそいつを殺すとぬかした以上……四肢が砕ける程度は覚悟しておけ」

 

 殺意を練り、闘気を絞り上げる。

 アスラは脂汗を滲ませながら、マイヤは冷ややかな眼光のまま別の仮面を顔に被せた。

 

 

 

 

 

「クルーガー家13代目当主、《拳神》コリュウが一番弟子、アスラ・クルーガー。―――推して参る」

 

「《月影》所属、《鬼面衆》―――『怪士(かいし)』。殺業を遂行します」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 何故だろう。アスラ兄貴とリーシャが絡む話は大概書いてて長くなる。……まぁ今回の前篇ではリーシャ一言も喋ってないんだけどね‼

 というわけで前後編になったけど特に後悔なんかしてない十三ですよ。

 今回何が伝えたかったって、アスラ兄貴の生命力のヤバさ加減とかじゃなくて、「クレアとシャルテ、この姉妹が一緒になった時ヤバい力を発揮する」って事。
 大局的戦術眼、並列思考に長けるリーダータイプのクレアと、観察眼と洞察力、マネジメント能力に長けるサポートタイプのシャルテ。……姉妹で上手く長所がかみ合っておられる。

 まぁ、そんなで次回はいつもの殺し合いだね。真に愛するなら壊せって言うもんね(意味が違う)。


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