英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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「愛というものは、強引にでも掴み取るものですわ」

        by カルラ(うたわれるもの)








愛しき者へと送るのは・・・ 前篇

 10月に入り、トリスタの街も肌寒い寒気が吹きすさぶようになっていた。

 

 街に立ち並ぶ店の商品もそれに伴い様変わりし、寒さに弱い生徒は既に制服の下に少しだけ厚着をする、そんな季節。

 今年の冬は寒くなるだろう。そう『帝国時報』の記事には書かれていた。帝国領内でも、既に雪が降り積もっている地域があるらしい。

 

 だがそんな中でも、彼女の仕事は変わりない。

 

 

 列車の中に於いても、彼女の容姿と恰好は殊更に目を引いた。同性には羨望の目を向けられ、異性の目には彼女の姿はさぞ魅力的に映る事だろう。

 しかし、そんな彼女に声を掛ける色事師はいない。その美しさは確かに嫋やかなそれではあるが、同時に佇まいに一切の隙が無いからである。

 

 下車をしたのはトリスタ駅。ホームと改札を抜け、駅舎から一歩外へ出ればシキラハの花の香りが鼻腔をくすぐる。

 随分と長くこの街を留守にしていた、と思う。実際には一週間と少し程度ではあったが、それでも郷愁を感じる程度にはこの街に愛着も湧いてきた。

 

 そして何より、彼女にとって嬉しかったのは―――

 

 

「よっ、おかえり。……見た感じ大丈夫そうだな、安心したよ」

 

「はい。シャロン・クルーガー、ただ今戻らせていただきましたわ♪」

 

 

 愛する恋人が、自分の帰りを待ってくれていたという事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イリーナ会長から許可は貰ったんだな?」

 

「えぇ。会長にもお許しを頂きました。暫くは此方の方でお嬢様方のお手伝いを、と」

 

 第三学生寮のキッチンにて、レイが買ってきた食材の下拵えを効率よくやりながら二人は他愛のない会話を続けていた。

 見る人間が見れば、レイがかなりアッサリとした対応をしているようにも見えるだろう。彼が3人の恋人に向ける情愛の念は語るまでもなく、一度は死にかけた恋人が元気な姿で戻って来てくれたとあれば、もう少し喜びを露わにしても不思議ではない。

 

 だがレイはそうしなかった。

 気恥ずかしさからそうできなかったのではなく、”そうしなかった”のだ。

 

 彼女の容体が安定していたのはツバキを通して知っていたし、彼女自身、あまり派手に迎え入れられるのをあまり好まないという事を知っていたからだ。

 ただそれでも、わざわざ学院の授業が終わった後に、学友らの頼みを今日だけは断って駅舎の前まで行き、内心ソワソワしながら愛する女性の帰りを待つ程度には―――彼ももどかしかったと言える。

 

「悪ィな。ホントはアリサやリィン達も迎えに行きたがってたんだが……部活の方で学院祭の準備があったみたいでな」

 

「まぁ。リィン様は生徒会のお手伝いを?」

 

「あぁ。まぁお人好しのアイツの事だ。見て見ぬ振りもできなかったんだろうさ」

 

 スープの入った鍋をかき混ぜながら、レイは苦笑いをしてそう言う。

 ”お人好し”という括りならレイも人の事は言えないのだが、リィンの場合はそれを優に上回る。少しでも困っているような人間を見かけたら自然に声を掛けに行ってしまうレベルで。

 

 ……つくづく遊撃士向きの性格をしていると、レイはいつも思っていた。このままだと数年後、成人した時も同じような事をしているのではないか、とも。

 

 

「それより、ホレ。お前が喉から手が出るほど欲しいであろうブツだ。お前が俺に預けたんだから、失くすなよ?」

 

「あぁ……あぁ……ありがとうございます、レイ様‼ このシャロン、お嬢様とリィン様が結ばれる瞬間を目の当たりに出来なかった事だけが唯一の心残りでございました……」

 

「お前が料理してる時にこの世の終わりみたいな表情すんの滅茶苦茶レアだな。写真撮りたいわ。……ま、でもアレだ。あんま必要以上にからかってやんなよ。俺も出来る限り自重してるからさ」

 

「えぇ、心得ておりますわ。(わたくし)としてもお嬢様をあまり困らせるのは本意ではありませんもの」

 

「因みに記念パーティーで調子に乗ったクロウにはサラ用に買ってあったバーボン一気飲みさせて沈めておいた」

 

 その余波で酒に興味を持ったミリアムがこぼれたバーボンを舐めてエラい事になったりもしたのだが、それはまた別の話。

 

「……やっぱり、特別なモンか? 小さい頃から面倒見てたお嬢様が好きな人に告白した、ってのは」

 

「えぇ、それはもう。……お嬢様はあの通り少々複雑なご家庭で育たれましたから、ご学友以外でご自分の本音を明かせるような方が出来たというのは、(わたくし)にとっても望外の喜びでございます」

 

「そうかい」

 

 社交辞令などではなく、心の底から安堵し、嬉しがっている様子のシャロンを横目に、レイは微笑んだ。

 

「俺としてもアイツらがこれから何事もなく清い交際を続けて行けるのなら、それ以外何も望まないんだがね。……世界はその程度の事も悠長に許してはくれないみたいだ」

 

 含むような言い方になったが、勘の良いシャロンは何が言いたいのかを内々に理解する。

 

 長らくイリーナの秘書的立場も務めていたという事もあり、シャロン自身、RFグループの業績の推移などは逐一チェックしている。

 結社《身喰らう蛇》の動きを他所にしても、カルバード共和国、クロスベル自治州方面への業績は荒れに荒れている。ヒルデガルドが主任を務める『第三製作所』やイリーナ直轄の『第四研究所』などはその中でもギリギリ安定したバランスを保ってはいるが、それに目を通しただけでも各国の情勢が良くない方向へと進んでいる事が分かる。

 

 それは無論、このエレボニア帝国も例外ではない。

 

「若いうちの苦労は買ってでもしろとは言うがな。選べもしねぇ手前勝手な試練(ソレ)なんざ願い下げだ。……女神サマも酷な事をする。男女の逢瀬すら、マトモに味あわせてやれないとはね」

 

 普段、リィン達の前では口にしないような言葉も、シャロンしかいないこの状況だと自然と外に出てくる。

 そしてシャロンもまた知っている。彼は本当に、何の気遣いも打算もなく、心の底から友人の恋を祝福しているのだと。彼らの辿る道が、自分のような茨のそれではあってはならないのだど。

 

 やっぱりこの少年(ひと)は優しい―――面と向かって言えば必ず否定するだろうが、他者の悲しみを理解し、他者の喜びを祝福できるのは、心根が優しい者だけの特権なのだから。

 

「レイ様は、リィン様の事を大変気に掛けているのですね」

 

「んー、まぁな。最初から色々と歪なモン抱えてたのが分かってたし……あぁそれと、アレだ」

 

「?」

 

「アイツからは、嫌なニオイがした。優しすぎて、張り詰め過ぎて、抱え込み過ぎて―――ただの優しい武人のままでは終われない運命を持つ男だよ、アレは」

 

 それを察することが出来たのが、レイ自身もまた同族であったから―――とは彼は認めないだろう。

 

「良い奴だ。人間の善を信じ、悪を嗜める事が出来る稀有な奴だ。だから俺も、他の奴らも分かってる」

 

 彼の優しさを今まで間近で見続けてきた者達だからこそ。

 

 

「アイツの優しさに(かこつ)けて、アイツを使おうとする奴が現れたら―――()()は絶対にそれを許さねぇ」

 

 

 その声は本心だった。

 

 トールズ士官学院特科クラスⅦ組―――歪な関係が入り組んだ状態で始まったその集団は、漸く一つの”カタチ”を創り上げていた。

 

 性別も、身分も、何もかもの枠を超えて助け合い、支え合い、切磋琢磨しながら成長していく場所。

 そんな場所に籍を置けたことにレイは感謝していたし、また人一倍癖のある過去を持つ彼に対しても本気で正面から向かい合う仲間たちに巡り合えたことも幸運だった。

 

 そして何より、そんな彼を《結社》時代から見てきたシャロンにとって、今のレイの姿は何よりも美しく見えた。

 異性として愛する男性である筈なのに、こういう所を見た時だけは弟の成長を密かに喜ぶ姉のようにも思えてしまう。

 それはそれで嬉しくはあるが、同時に少し寂しくもある―――そう思った時、レイがはた、と思い出したかのように口元を抑えた。

 

「……いや、すまん。忘れてくれ」

 

「? どうなされたのですか」

 

「……本当ならここでお前の快気への祝い言葉とか、そういうのを言うつもりだったんだが……悪い癖だ、お前と二人きりの時はつい愚痴が口から滑りやすくなる」

 

 気恥ずかしそうにそう言うレイの姿は、シャロンの目にはいつもより数倍愛おしく見え、気付けば料理の手を止めてレイの身体を抱き寄せていた。

 

「っ……と」

 

「良いではありませんか。(わたくし)で良ければいつでもお聞きいたします。それでレイ様の抱える棘の痛みが少しでも和らぐのでありましたら……それに勝る幸福はありませんわ」

 

「好きな女の前じゃ出来るだけ格好付けたい年頃なんだ。分かってくれ」

 

「ご心配なさらずとも―――貴方の格好良さは存じ上げているつもりですわ」

 

 語る言葉は多くなくとも、考えている事は充分に通じ合っている。

 シャロンは、レイが一番不安定な時に共に居た存在だ。彼の弱さを良く分かっているし、彼の不安定さも良く分かっている。

 

 だからこそ彼に格好良さも、十二分に。

 苦難に跪き、止まり、挫けそうになっても、それでも前を向くことを止めない強い男。そんな人の弱さを受け止める事を許された女。

 異性として、これ程名誉な事があるだろうか。それが想い人であるならば猶更。

 

「―――レイ()()、私は弱くなったと言われました。えぇ、その通りなのでしょう。ただ使命を果たす事のみを至上としていたあの頃と比べれば、私の暗殺者としての心は脆くなりました」

 

 ですが、と続ける。

 

「私の心に、後悔は無いのです。慈悲を知ったこと、人の温かみを知ったこと、家族の在り方を知ったこと……そして何より”愛”を知ったこと。血に染まった”人でなし”でも、未だ”人”で在れるのだと―――教えて下さった方々に背など向けられるものですか」

 

  レイとも最初は殺し合った。得物を横取りされたという、今から考えれば酷く幼稚な理由で。

 だがその後、彼女は”情”を知った。”仲間”を知った。義弟から向けられる信用も、心を寄せた人から向けられる信頼も、心地良くなってきた。

 

 シャロン・クルーガーは義務感だけでラインフォルト家に仕えているわけではない。

 根本は罪悪感であった。任務の一環であったとはいえ、一つの家族のカタチを壊してしまったという罪悪感。

 

 思えばその時から、暗殺者としては致命的なまでに落ちこぼれていたのだと思う。 

 至上とするのは任務だ。何を殺し、何を滅ぼそうとも、それが当たり前なのだ。誰が不幸になり、誰の人生が狂わされようとも、それに惑わされてはならない。

 

 

『貴女に罪悪感というものがあるのなら……そうね、私の下に来なさい。任せたい娘が居るわ』

 

 その言葉に頷いた時には、既に彼女は”暗殺者”ではなくなっていた。

 レイの近くから去る―――という選択を苦渋に思わなかったかと言えばそれは嘘だ。だが、彼自身がそれを推奨してくれたというのもあり、シャロンはメイドとしての技量の全てを《侍従長》リンデンバウムから叩き込まれてからラインフォルト家のメイドとして働くこととなった。

 

 ―――敗北した理由を挙げるのならば、シャロンはそれでもなお、”暗殺者”としてクリウスと相対してしまった事だろう。

 半端者と謗られても文句を言えない程に無様な姿であった事も充分に理解し、反省した。傷を癒している間、シャロンは己自身をどう定義するかをずっと考えていた。

 

 

「私は、それでも戦います」

 

 意志の籠った口調で、シャロンは言う。

 

「暗殺者としてはとうに落第した身としても、レイさんや皆さんと共に戦うだけの力はまだこの身に。……決して二度は見苦しい姿を見せませんわ」

 

 それはメイドとしてではなく、シャロン・クルーガーとしての言葉であった。

 レイとしては、それは諸手を挙げて歓迎出来る事―――とは言えはしなかったが、クレアの時と同様、戦うと決めた者に余計な言葉を挟み込む事など出来ない。

 

「……ありがとう、シャロン。正直、心強い事この上ない」

 

「ふふ、はい。レイさんがそう言ってくれるのでしたら、私はまだ戦い続けられます。……ツバキさんから仕込まれた新しい戦い方もある事ですし」

 

「……アイツ、お前に何を仕込んだんだ?」

 

「ふふふ」

 

 思わず背筋に寒気が走る。

 あの時は呪力の扱い方を教えてやってくれと言っただけの筈なのだが、ツバキの方はと言えばやけに張り切っていた。

 悪い、予感しかしない。

 

「レイさんから頂いたこの力が如何ほどのものか―――証明する機会を頂ければすぐにでもお見せできますよ?」

 

 その囁きに、レイは一抹の不安を覚えずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 シャロンの復帰を、Ⅶ組の全員が心の底から祝った。

 

 その夜は宴にも近しい騒ぎになり、あまりに騒ぎ過ぎた所為か翌日に近隣住民に注意されたほどであった。

 まぁその住民たちも既に有名人となっていたシャロンが体調不良から復帰した祝いだと知ると「それなら仕方ないか」とあっさり許してくれた。

 

 それだけでも、シャロンがトリスタという街でも如何に好かれているかが分かった。

 

 

 そして思った通りというより何と言うか、普段なら気丈に振る舞っているアリサが、珍しく宴の最中シャロンの傍から離れていなかった。

 彼女も彼女で不安ではあったのだろう。幼い頃から姉のように慕っていた女性が前と変わらない姿と雰囲気で戻って来てくれたことに思うところはあったのだろう。

 

 まぁその後、散々リィンとの関係の進展を弄られまくられた為に、最後は涙目になって自室へとダッシュしてしまったが。

 因みにリィンの方はダッシュして逃げたアリサを追って食堂を去り、その数分後、収穫ナシでトボトボと帰って来ていた。

 

 

 しかし実際、シャロンの働きぶりは致命傷に近しい傷を負う前と遜色がなく、寧ろ一層洗練されているようにも見えた。

 彼女の快気祝いの宴だというのにシャロン自身が働いていては意味がないとレイが気を利かせてはいたのだが、やはりじっとしていられる性分ではなかったらしく、最終的にはいつもの第三学生寮の光景に戻っていた。

 

 その最中、シャロンがここぞとばかりにビールを呷りまくっていたサラに何かを耳打ちし、それを聞いたサラはそれまでの上機嫌そうな表情を歪め、如何にも「面倒臭い」と言わんばかりのしかめっ面を作っていた。

 その苦虫を噛み潰したような表情も、シャロンがラインフォルト家のワインセラーから許可を得て拝借してきた、売るところに売れば数十万ミラは下らない一本を対価に差し出した瞬間に輝き出していた。

 それでいいのかお前、とレイが密かに心配しながら料理を平らげていたのは別の話であるが。

 

 この二人のやり取りに気付いていたのはレイだけであったが、その意味をⅦ組の面々は翌日に知る事になる。

 

 

 

 

 

 放課後。

 

 学院祭の準備、及びⅦ組の催し物の準備に一定の目途が立ったという事もあり、その日一日は休息日にしようと全員一致で決まり、久方振りに全員そろって第三学生寮への帰路に着こうと思っていた矢先、校門前で佇んでいたシャロンに一同が声を掛けられた。

 

 

「宜しければ皆さま、このシャロンの戯れに少々お時間を頂戴できませんでしょうか?」

 

 

 その言葉に、一瞬レイを除いた全員が呆気に取られたが、特に予定もない放課後を今まで世話になった人の使えないほど薄情ではない。

 ありがとうございます、と深々と礼をしたシャロンに連れられて、一同は旧校舎―――その地下にある石造りの大広間まで案内される。

 

 旧校舎の調査は自由行動日の任務。それはシャロンも分かっていた。彼女とて、その大扉の奥を調べる為に彼らを呼んだわけではない。

 それに、その大広間には既に先客がいた。

 

「あれ? サラ教官?」

 

「HRが終わった後姿が見えないと思ったが……此処にいたのか」

 

 壁にもたれかかってシャロンを待っていたサラは、昨日から何度目か分からない深い溜息を吐いた。

 

「気は乗らないわね、まったく」

 

「申し訳ございません、サラ様。……ですが今の(わたくし)の力を推し量るのであれば―――サラ様にお相手いただくのが最適化かと思いまして」

 

「アンタと戦うってなるとヤな事思い出すのよねぇ……。あの時はアンタとこんな感じになるなんて思ってもみなかったわ」

 

 そう言いながら、サラは後ろ腰に引っ提げた一対の導力銃と剣―――《ディアボロ&ペイン》を引き抜いた。

 

「ま、そんな事は気にしてたって仕方ないわね。夕飯の時間になる前にちゃっちゃと終わらせましょうか」

 

「えぇ。ではサラ様、このシャロンの我儘に、一手お付き合い願いますわ」

 

 ふわりとロングスカートが僅かに浮かび、その場で一回りすると、シャロンの周囲には銀線が舞い、その左手には右腿のホルスターに引っかけていた大型のナイフが握られた。

 戦闘スタイルに特に変更はないらしい、というのはレイを始めとしてⅦ組の全員が感じた。

 

 

 だが、しかし。その直後シャロンが右手に握った小瓶―――霊薬にも似たようなモノが入ったそれを見た途端、レイが目を顰める。

 

「あ、アイツ(ツバキ)まさか……」

 

 妙なものを仕込みやがったな、とレイが口にする前に、シャロンは小瓶の口を開ける。

 

「サラ様がお相手なら……この辺りでしょうか」

 

 一滴、そして二滴。小瓶の口から滴り落ちた発光する薄青色の液体。

 それは地面に吸われる前に空中で―――黄色とセピア色の二羽の蝶の形を象った。

 

「【黄蝶(クェイナ)】、【銀蝶(アスィミ)】。お願いしますね」

 

 シャロンがそう言うと、二羽の蝶はそれぞれ生きているかのように宙を舞い始める。

 

「式神? ……いえ、違うわね」

 

 呪術は門外漢であるサラであっても、それがレイやツバキが使役する式神(それ)とはまた異なるものである事を理解する。

 そして事実、シャロンがツバキから仕込まれたそれは、式神を使役する術式とはまた別のものであった。

 

 しかしそれであっても真っ先に潰しておかねば厄介な事になる―――そう武人の直感が囁き、導力銃の引き金に掛かった指がピクリと動いた。

 

 両者ともに戦闘態勢が整った、そんな状態で、徐にレイが財布の中から10ミラ硬貨を取り出し、親指の上に乗せたそれを弾いた。

 チィンという小さくも甲高い音。僅かに困惑したままのアリサが口を挟む暇もなく、重力に従って落下した硬貨は石床の上で乾いた金属音を反響させた。

 

 

 ―――直後、響いた二発の銃声とそれを弾く銀閃が描く火花の乱舞。

 

 生み出された蝶は未だ存命中。その翅を撃ち抜くはずであった導力弾は鋼糸が巧みに防いで見せた。

 とはいえ、サラがこの事を意外に思う事もない。シャロン程の実力者にもなれば、狙われると分かっている標的を防衛する程度は容易くこなせるだろうとは思っていた。

 

 しかしこれで、あの”蝶”が思惑通り厄介な存在である事は理解できた。

 恐らくそれが、シャロンが身に着けた”呪術”の一法であるのだろう。ただでさえ多彩な攻め方を実現できるこの女が更に搦め手の手法を増やしたとあれば厄介この上なく―――そして頼もしくあるのも事実。

 

 そう思いながら、サラは”蝶”の存在を最大限警戒しながら踏み込んだ。

 得物に”風”―――雷の『起源属性』を纏わせて、空間に展開される鋼の網を掻い潜り、或いは抉じ開けながら侵攻する。

 

 シャロンもシャロンで、その暴風の如き苛烈な攻勢を巧みに捌き切りながら応戦する。生半可な応戦ではサラの周囲に纏わりつく紫電に弾かれて傷一つさえつけられない。それが分かっているからこそ、いつものメイドとしての優雅さを保った表情は既に消え去っていた。

 

 互いに僅かの油断さえ挟み込まないような真剣な表情を変える事すらなく攻撃を受け、捌き、或いは押し通し、しかし防ぐ。

 サラのそれであればともかく、シャロンの氷のような眼差しを初めて目の当たりにしたⅦ組の面々は、アリサを含めてその光景に見入っていた。

 唯一俯瞰するような客観的な視線で戦闘を目で追っていたレイが、右腕をすっと差し出してもう少し下がるようにと指示を出す。

 

 

「なぁ、レイ」

 

「んー?」

 

「サラ教官とシャロンさんって、その……何か因縁があったりするのか?」

 

 リィンや他のⅦ組の面々が見る限り、この二人の仲は決して悪いわけではないように見えた。

 時折サラの方が冗談交じりでシャロンに突っかかったりするところは見る事があるが、シャロンの方はまったく傷ついた様子もなく微笑んでいるし、食堂で二人きりで卓を挟んで酒を嗜んでいる様子もよく見る。

 

 腐れ縁―――という関係のように見えるというのが、リィン達の見解ではあった。

 しかしレイはと言えば、さてどこまで言ったらいいものかと言わんばかりの曖昧な表情を見せた。

 

「……二年前の帝国遊撃士ギルド連続爆破事件」

 

「それって、前にレイが言ってたやつだよね?」

 

「そういや結局何も話せてねぇっての今になって思い出したけど、一応情報局の人間(ミリアム)の前であんまりバラしたくない事あるから、今関係ある事だけ少し話すわ」

 

 主に叩きのめしたり殴り倒したり、クレアに手を出そうとした輩どもを顔面の形が変わるまで殴り潰したり、《情報局》の目を掻い潜ってしれっと帝国軍の情報を抜き取ってカシウスに渡したり、事が全て済んだ後、堂々とガレリア要塞に正面から入ってそのままクロスベルまで徒歩で国境越えしたこと等々。

 後々レクターに大爆笑されたアレやコレやが今でも《情報局》のバンクの中には眠っているのだから。

 

「まぁその時の俺はただ単純に帝都ギルドに届けモンしててそれで巻き込まれただけなんだがな。最終的にカシウスさんまで介入してきたから恩返しの意味もあって最後までお供したんだが……事件当初、帝国ギルドの中でも有数のA級遊撃士だったサラの姿は帝国国内にはなかった」

 

「で、でもあの時は相当な非常事態だったと聞いたぞ。父さんも……帝都知事を始めとした官僚達も昼も夜もなしに動いていて……」

 

「まぁ実際、帝国の遊撃士にも少なからずの犠牲があったし、一般人の犠牲も出た。事件の収束の為に国内に居た遊撃士はほぼ全て駆り出されたしな」

 

 その直前、サラはとある理由で有休を使ってノーザンブリア自治州へと赴いていた。

 だが、帝国での一件を耳にした彼女はすぐさま帝国への帰路に着いていた。そのまま土地勘に優れた彼女が事件の渦中に間に合ったのならば、恐らく彼の一件はもっと早く収縮した事だろう。

 

 しかしその帰路を阻んだのが―――シャロンだった。

 

「な、なんで? だってその時のシャロンさんってもう……」

 

「……そういえば、あの事件が起こる直前から、母様に頼まれてって言って一週間くらいルーレから離れていたわ。もしかしたら巻き込まれたんじゃないかって冷や冷やしてたんだけど……」

 

 シャロンがサラの行動を妨害する意味が分からない。そう疑問に思う面々が多い中、徐にユーシスが口を開いた。

 

「聞く限りでは、RF社がその事件に関わっていたという事ではないだろう。アリサ、事件直前にお前の元を離れたその理由は、恐らくは建前だ」

 

「……そうね。遊撃士ギルドを襲ったのは猟兵団だったって聞いてるし、遊撃士協会を敵に回すなんて、それこそメリットがないもの」

 

「……ってことは、やっぱりシャロンの前歴が問題、かな?」

 

 珍しく鋭い指摘を落としたフィーの言葉に、レイはただ一つ頷いた。

 

 

 《執行者》が《結社》を抜ける際に、特に制約のようなものは無い。「あらゆる自由」が認められているという言葉の通り、そのNo.を返却するのも個人の自由だ。

 だが場合によっては、《盟主》の意志とは関係なく半ば「嫌がらせ」のような形で最後の役目を押し付けられることもある。

 

 ヨシュアがワイスマンより齎された催眠然り、レイがヴィータより押し付けられた《魔女の誓約(ヘクセ・ゲッシュ)》然り。

 そしてシャロンも、《結社》を抜ける際、ある最後の役目を《執行者》No.0―――カンパネルラより承っていた。

 

 『《結社》の《執行者》としての戦闘要請を、脱退した後に一度だけ引き受ける』という役目を。

 

 

「3日だ。シャロンは《執行者》としての最後の任務―――『最年少A級遊撃士サラ・バレスタインの足止め』という任務を3日間継続してみせた」

 

 それはつまり、戦闘能力という点においては当時の帝国ギルド支部所属の遊撃士の中でも上位であったサラの猛攻を3日間凌いだという事になる。

 

「俺が見る限り、サラとシャロンの武人としての階梯はほぼ同程度だ。”準達人級”の中でも最上位クラス。戦闘方法(スタイル)の違いこそあれど、互角である事に変わりはない」

 

 だが、とレイは続ける。

 

「サラの突破力、制圧力はその中でも突き抜けてる。ガイウスと同じ”風”の『起源属性』―――その中でも”雷”を主軸に戦う奴らは大体()()()に長じている事が多いが、アイツのそれはともすれば”達人級”とも渡り合えるレベルのスペックを兼ね備えてる」

 

「それは……まぁ俺達は身を以て味わったからな」

 

「だがシャロンはそんなサラ相手に3日、足止めし続けた。……サラとしちゃ色々と思うところはあるだろうし、シャロンもそれを赦してもらおうとは思ってねぇ。

 でも、武人としては嬉しいモンなんだよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ってのは」

 

 

 レイの言葉通り、二人の戦いは拮抗していた。

 放たれた強力な魔力付与の導力弾は、しかしシャロンが一瞬で編み込んだ鋼糸の壁に阻まれる。刃による攻撃も、幾重にも折り重なった鋼糸柱が受け止める。

 

 攻撃一辺倒に見えるサラだが、それでも自らの足元から突き上げるように出現した針山に反応し、一瞬で距離を取る。まるで生き物であるかのように複雑怪奇な動きをする糸の攻撃を、磨き抜かれた動体視力と類稀なる身体能力、そして多少の勘を以て回避し、地面を蹴り続ける。

 

 剛と柔の競り合い―――典型的なそれを目の当たりにして、いつしか訝しんでいた面々の眼もその戦いに釘付けになる。

 

 思えば、彼らがシャロンの戦いを見るのはこれが初めてだったなとレイは思う。

 ただでさえ癖がある武器である鋼糸を自由自在に操り、”準達人級”に至るまで練り上げられたその練技は、それこそ見事の一言に尽きる。

 

 だからこそ、だろう。

 サラの口元が少しだけ吊り上がっている。異性よりも同性を虜にしそうな好戦的な微笑みを讃えている。

 あれだけブツクサと言っておきながら、それでもやはり彼女は楽しんでいるのだ。全力で”競り合える”相手との戦いを。

 

 ただ今回に限っては、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「そういえば」と、エマが言葉を挟んできたのはまさにそのタイミングだった。

 

「シャロンさんが戦闘開始の直前に展開したあの……液体の蝶? は一体……」

 

「あ、それ僕も思った。あれもレイが使う呪術と同じものなのかな?」

 

 後衛のアーツ使い二人が興味を示す中、レイはその疑問に頷いたが、補足も入れてくる。

 

「ありゃあ《天道流》の式の一種だ。とは言っても、俺やツバキが使うような式符を使うのとはまた違うタイプだが」

 

「? 式神にもタイプがあるんですか?」

 

「契約方法の違いってヤツさ。俺やツバキの使う【苻操式】は呪符に呪力を注ぎ込んで式を”創り出す”。シオンのアレはまた別だがな。

 そんでシャロン(アイツ)が今使ってる【霊操式】は霊脈の流れが濃い場所で生まれる霊水を媒介に呪力を軛として流し込んで自然精霊と契約する。―――形無きモノに形を与えて現界させる一種の召喚術だな」

 

 ”調和”を軸とした契約式である為、適性が無い者にはマトモに扱えない術であり、実際レイもツバキも適性が無かったために術の習得を断念し、【苻操式】の方を扱っている。

 とはいえ、【苻操式】には【苻操式】の、【霊操式】には【霊操式】のメリットとデメリットが存在し、一概にどちらの式の方が優れているかというのは存在しない。

 

 だが、才能的には()()()()()()()()シャロンにとって、【霊操式】に適性があったというのは不幸中の幸いであったとも言えた。

 

「アレは厄介だぞ。それに、今回は式の扱いなら俺より上手いツバキが教え込んだからな」

 

 適性が存在しないとはいえ、根本的な式の扱いはどちらも似たようなものであり、それに長けたツバキが中途半端な指導をするわけがない。

 ましてや敬愛する”兄”直々の要請である。その力の入れようは推して知るべしだ。

 

 

 ―――直後、それまで縦横無尽に駆け巡っていたサラの足が、不自然に止まった。

 

「っ⁉ 冷た―――っ⁉」

 

 反射的に足元を見ると、サラの足元がいつの間にか凍り付いており、しかもその浸食が絶え間なく続いている。

 何故、と思った。”凍結”を齎されるような攻撃はしてきたようには見えず、また受けた覚えもない。

 

 しかしそれを考慮する前に、この煩わしい状況をどうにかしなくてはシャロンの攻撃を避ける事も出来ない。そう考えて氣力を放出しようと試みて―――しかしそれも叶わなかった。

 

 氣の励起が叶わず不発するようなこの虚無感には、無論覚えはある。

 ”封技”の状態異常。サラのような氣を重視する武人にとっては警戒しなくてはならない状態異常の一つ。それも併発していた。

 

 それでも、魔力だけはまだ生きている。不意に体中から迸った紫電を見て、シャロンが再び小瓶を取り出した。

 

「失礼致しました。サラ様には此方のおもてなしも必要でございましたね。―――魔力(そちら)もお願いします、【青蝶(キュアノイア)】」

 

 生み出されたのは仄かに青色を帯びた蝶。その様子を見て、サラは眉を顰めた。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんて……やっぱ厄介この上ないわね‼」

 

「ご容赦くださいませ。(わたくし)からの心からのおもてなしでございます」

 

 そう言って口元に指を添えるシャロンもまた、先程のサラと同じような微笑みを讃えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 
 はい、最近「うたわれるもの」シリーズにハマりました。十三です。それとは別にPCの不調により長い間投稿できずに申し訳ありませんでした。

 
 今回はシャロンの復帰、及びシャロンの習得した呪術【霊操式】について話させていただきました。
 因みに能力については以下の通りです。

・呪符を用いて式神を”創る”のではなく、霊水に呪力を混ぜて自然精霊と”契約”する呪法。
・対象の()()()()()()()一定確率で適応した状態異常を与える。
・ただし防御力は非常に脆く、術者が護らなくてはならない。
・適応する状態異常は以下の通り。

・【黄蝶(クェイナ)】封技
・【青蝶(キュアノイア)】封魔
・【白蝶(レウンノ)】睡眠
・【銀蝶(アスィミ)】凍結
・【灰蝶(ペイオン)】石化
・【緑蝶(クローノア)】気絶
・【桃蝶(ロドクルーエ)】混乱
・【黒蝶(メライア)】暗闇
・【赤蝶(エリュイソ)】火傷
・【紫蝶(ポイクラン)】毒
・【金蝶(クレウソス)】即死


……もし原作だったら絶対にあっちゃならないな(断言)

それでは皆様、また後篇でお会いしましょう。


PS:
偽りの仮面の女の子みんな可愛いけれど、ルルティエがムネチカを腐った世界に引きずり込んでる姿が笑えました。
アトゥイちゃんこっちの世界においで。君が喜ぶようなヤベー奴いっぱいいるよ?

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