英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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今回の言い訳


レイ「結局終わんなかったじゃねぇか!!」
筆者「しょうがねぇじゃん!! 今回15000文字超えたんだぞ! これ以上延ばしたら永遠に終わんなくなるっつーの!!」
レイ「逆ギレか? おい」
筆者「あ、す、すみません。謝るんでアイアンクローはマジでやめて下さい、はい」


……次で終わります。はい、絶対に。


理不尽な現実

《剣聖》、と呼ばれる人間たちがいる。

 このゼムリア大陸でその異名が指すのは、前述のとおり《八葉一刀流》の免許皆伝者。大陸全土にその実力を認められた”(ことわり)”の体現者に他ならない。

 

 それは、決して鍛錬のみで辿り着くことはできない境地。

己と刀を一体とし、混じり気のない意志を持ってそれを振るう事で得られる”空”の概念。

色即是空、明鏡止水―――目には決して映らない無形の存在は、剣を修めようとする者の前に、越えねばならない”壁”として立ち塞がる。

 技ではなく、力でもなく、心の在り様という、とてつもなく大きなそれが。

 

 

 だからこそリィンは、己の在り方も分からないような自分が、この剣術を修めるべきではないと思ってしまった。それをしてしまえば、今まで《八葉》の名を背負っていった先達たちに申し訳ないと感じたからだ。

無論、技量的な問題もある。それは彼が老師から初伝しか伝えられていなかった事からも分かるだろう。

とは言え、リィンはまだ17歳。それを理由に嘆くには、まだまだ早すぎる年頃だ。

 

 ただ、恐ろしかったのだ。

 自分の中に眠る”ナニカ”。それが剣の道を穢してしまいそうで。

 

 だから、彼は目を逸らしていた。

 自分が目指すべきはずの道の先を。登るために一歩を踏み出さなければいけない筈のその道の先を。

見てしまえば、欲が出てしまう。もう一度、その先にあるものに手を伸ばしてみたい、と。

その時に、道を踏み外してしまったら? 自分が振るう鈍色の刃が、万が一でも守るべきものを傷つけてしまったら?

 そうなってしまったら、自分を保てる気がしない。自分を育ててくれた敬愛する両親に何も返す事がなく、そのまま息絶えてしまうかもしれない。

 その可能性は、リィンの心の中に抗いきれない恐怖を植え付けた。

それでも剣を完全に捨てきる事ができなかったのは、それも”弱さ”が生み出した結果だったのだろう。

これを手放してしまえば、本当に自分には何もなくなってしまうという、自身の存在に起因する”弱さ”に屈した―――と、彼は思っていた。

 故に、自分は弱いと思い込み、それを否定する事もなかったために、常に怯懦(きょうだ)な感情が付き纏うようになってしまったのだ。

 少なくとも、昨夜までは。

 

 

 

 

 

「お前の剣は、どこにある?」

 

 

 

 問いとしては単純だ。たった一文の問いかけに過ぎない。

 

 だからこそ、答える事が際限なく難しいものである。

 特に、自分を見失っている人間にとっては。

 

 

 

 

 

「お前の剣は、”剣の道”はどこにある? ―――答えろ!! リィン・シュバルツァー!!」

 

 

 

 幾百の説法、幾千の慰めよりも、なお重い言葉。

 それは紛れもなく、同じ”剣の道”を歩んだ者にしか口に出せない言葉だった。

 

 咄嗟に剣を振るったのは、証明するためだった。

 

 

 ”ここにある”―――と。

 

 無論、全てを打ち払う事などできるはずもない。ただ、卑屈な思いが消えたのも、また事実だった。

 翌日目を覚ました時、リィンは頭の中がやけにスッキリしていたのを覚えている。

そして自分の悩みの一端をとても”らしい”やり方で解決してくれた人物が隣のベッドで「う~ん……いや、師匠……それマジでヤバいですって。俺消し飛んじゃいますから……」と物騒な寝言を呟いていたのも何となく覚えていた。

 

 ともあれ、剣の鞘を握った時に、妙に軽く感じたのだ。昨日までは、それこそ見えない重しが鞘尻にぶら下がっているかのような不快な違和感がどこかにあったのだが、不思議な事にそれが感じられなかったのだ。

 我ながら単純だと思いながら、その澄んだ心持ちのままにラウラに謝罪すると、彼女は鷹揚に頷いた後に、昨夜とは違う、穏やかな口調で再びリィンに問いかけて来たのだ。

 

 

「そなた、”剣の道”は好きか?」

 

 

 以前のリィンならはぐらかしていたか、全く期待外れの答えを返していたかもしれない。

 だが彼は、それほど深く考えずに答えを出していた。

自分の気持ちを偽らず、恐れる事無く、ただ正直に。

 

 

「……好きとか嫌いとか、もうそう言った感じじゃないな。あるのが当たり前で……自分の一部みたいなものだから」

 

 

 そうだ。自分は、何のために剣の道を歩もうとしたのだろうか。他ならぬ、”大切なものを守ろうとしたため”だ。

挫折を味わい、修行を打ち切られてもなお剣を手放さなかったのは、決して己の”弱さ”に屈したわけではない。

 そこにあるのが、”当たり前”だったから。いつの間にか、自分にとっての”当然”になっていたそれを、一体どうして手放せようか。

 

 それを理解したからこそ、改めて自分に発破をかけた友人の存在が大きく見えた。

 

 

 レイ・クレイドル。現役の遊撃士にして、恐らく自分の遥か先を行く剣士。

 昨夜身を以て知った限りでは、彼の剣には一切の迷いがない。どこまでも真っ直ぐで、その剣閃が斬り裂く先こそが己の行く道であると、そう主張しているようだった。

 

「(……遠いな。全く)」

 

 現時点では、彼の背を見る事すら烏滸(おこ)がましい身の上だ。

 だが、このままでいいとも思えない。いつかきっと、一人の剣士として彼の横に並んで見せる。

そんな”目標”が、自然とリィンの心の中に浮かび上がっていた。それが長年立ち止まっていた一歩を踏み出した瞬間であった事は気付いていなかったようだが。

 

 

 その目標が明確な成果として現れるのは、まだまだ先の話である。

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

「どー考えても犯人(ホシ)は領邦軍以外に有り得ねぇわな、コレ」

 

 事件の概要を的確に表したその言葉に、リィンたちは揃って頷いた。

皆一様に真剣な表情をしている中、何故かレイだけが僅かに笑みを浮かべている。勿論、気付かれないようにだが。

 

 

 結論から言って、リィンたちは領邦軍の詰所で予想以上の情報を引き出していた。

領邦軍が(一応)公爵家の意向に沿って行動しているという事。そして、何故だか領邦軍が事件の概要について詳しかったという事だ。

 元より大市の事に関して不干渉を貫く構えを見せていた領邦軍が、今朝起きたばかりの事件について詳しいと言うのは色々と矛盾している。レイたちでさえ、今朝方大市に向かうまで詳しい事情は知らなかったのだから。

隊長の男は「我々も独自の情報網を持っている」と言い繕ったそうだが、それを鵜呑みにするほど甘くなどない。

そしてそれと、レイたちが出会った酔っぱらいの男の証言と照らし合わせると、ある一つの結果が見えて来た。

 

 

 狂言犯行。または自作自演。

 考えてみれば単純な事だ。彼らは末端と言えど、大市の商売許可証を発行しているアルバレア公爵家直属の部隊。ならば、大市に出店する商人の情報を手に入れる事など容易いだろう。

 そしてその情報を手に入れた理由も、自然と分かる。恐らくこの事件は、仕組まれたものであったのだと。

 それは、昨今のケルディックの現状を鑑みれば一目瞭然だ。彼らは、公爵家の増税に反対し、今でも抵抗を続けている。

領邦軍の不干渉も何のその。彼らは「関係ない」と言わんばかりに商売を続けている。今回、わざわざ出張ってきた理由が”自分たちの存在をアピールするため”、即ち、ケルディック市民にとって領邦軍と言う存在がどれだけ重要なものであるのかという事を理解させるというものであったのなら、全ての辻褄が合うのだ。

 しかし、順調に見えた計画的犯行の中で、彼らにとっては思いもかけないイレギュラーが舞い込んで来た。トールズ士官学院Ⅶ組A班である。

 

 商人二人の言い争いは彼らによって二回とも沈められ、計画の要となった屋台破壊事件においても、レイの機転の利いた言い回しのお陰で、彼らは市民や商人に対して”傲慢で強引な連中”以外の感情を抱かせることができなかった。この時点で計画は有体に言ってやや失敗の方に傾いていたのだ。

 

 全て判明してみれば、粗と矛盾点が生じる二流の計画(きゃくほん)、そして本当に市民に対して好印象を抱かせる気があるのかとツッコミたい三流以下の領邦軍(やくしゃ)共による寸劇以下のストーリー。

そんなつまらない事件(ぶたい)の幕を閉じる頃合いもそろそろかと、レイたちは再度気合を入れなおした。

 

 タイムリミットはあと僅か。全員で頷き合い、事件の解決に向けて最後の一手を打ちに行った。

 

 

 

 そして、現在……―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よーし、じゃあ今回のレイ・クレイドル プレゼンツ ”初心者でも分かる対人戦の常識 ~VS銃を持ってる相手の場合(素人編)~”のおさらいすんぞー」

 

 

 死なない程度に適度にぶちのめした上で雁字搦めに縛り上げ、纏めて一ヶ所に放置した今回の事件の実行犯(偽管理局員)を横目に、木箱の上に座ってそう宣言するレイ。

その言葉に、他のA班全員がどうするでもなく苦笑した。

 

 場所は、『ルナリア自然公園』の最奥地。西日が鬱蒼と茂った木々に遮られて木漏れ日となって降り注ぐ中、レイたちは事件の実行犯を早々に無力化していた。

 偽管理局員たちは全員銃で武装しており、一見すると、個々の能力は高いとはいえ戦闘自体は経験が少ないリィンたちが不利かと思われた。

 しかし、犯人たちにとっては運の悪い事に、A班の中にはレイがいたのである。

遊撃士は民間からの依頼で魔獣討伐をこなすのは勿論の事、時には民間人に危険を齎す犯罪組織とも一戦を交える事もある。

 つまるところ、対人戦のプロでもあるのだ。

 

 

「よし、じゃあまずは戦闘に入るときだ。一番効率の良い方法は何だっけか? はい、エリオット」

 

「え、えっと……確か、”相手が気付いていない内に奇襲をかけて何もさせない”だったっけ?」

 

「正解。一番良い方法は一方的なリンチだ。もう少し柔らかい言い方をすれば先手を取って確実に相手の虚を突く事にある。個人的には真正面からガチで戦り合うのも勿論嫌いじゃねぇが、相手が銃を持ってる奴の場合は攻撃範囲(レンジ)という観点で相手の方に分がある。手っ取り早く無力化するに越した事はなぇからな」

 

 戦闘に入る前、レイはこのように対人戦における鉄則をメンバー全員に教えていた。

 戦闘に慣れていないメンツがメンバーの中にいる時点で、彼は武人の矜持の一切を排除して、効率性に特化した作戦を提案。騎士道一直線のラウラは流石に渋い顔を見せたが、レイの思惑の中に自分たち全員への配慮があったという事を理解した後は素直に聞き入れていた。元より彼女とて、飛び道具を扱う複数の相手に僅かな外傷もなく戦闘を終えられるかと問われれば即座に頷く事はできないのだから。

 

 しかし残念ながら、自然公園の最奥は周囲を遮るものがない広場のようになっており、気付かれずに奇襲をかけるのは難しかった。それが分かった瞬間、レイは次の鉄則を教えた。

 

 

「じゃあ次。相手が銃器に慣れていない連中であった場合、初手の前衛の攻撃はどうするべきか? はい、ラウラ」

 

「ふむ、”相手が照準を合わせて引き金を引く前に肉薄し、剣士の間合いで攻撃し続ける”だったな」

 

「正解。極論になるし、扱う人間の技量にもよるんだが、銃は近距離に詰められたら本来の真価は発揮できない。戦い慣れてる奴はそのまま鈍器として近接武器に昇華させるが、こいつらみたいなド素人にとって、火力を発揮できなくなった銃はただの頑丈な棒と何も変わらない。一気に攻め込むのが得策だ」

 

 その言葉に従って、リィンとラウラは戦闘開始と同時に四人の相手の内の二人に肉薄し、速攻で撃破。そしてその勢いのまま、残りの二人に対しても剣士の間合いを保ったまま戦闘に持ち込む事ができたのだ。

レイは万が一しくじった場合に備えて二人に対して防御術を展開していたが、万事首尾よくいったため、安堵していた。

 

 

「それじゃあその際の遠距離要員の行動として正しいのは? はい、アリサ」

 

「”前衛の援護。主に相手の武器の破壊や行動力の阻害に重点を置く”だったわね。……改めて考えるとえげつないわ」

 

「正解。てか、えげつないって言うな。相手の武器を使用不可能にするのは複数の敵を相手にする対人戦の時には常識だし、行動阻害だって何も間違っちゃいねぇ。集団戦の鉄則は”いかに味方の被害を少なくして敵を無力化するか”にある。味方に一騎当千級の人間が何人もいれば話は別だが、今回は違う。と言うか、そんな状況なんざ滅多にない」

 

「……逆にそんな状況ってあるのかしら?」

 

「大陸は広い。戦闘能力メーターが軽く常人値振り切ってる戦闘狂共が集う集団もあんのさ」

 

 どこか遠い目をしながらそう言うレイを見て、アリサは口を噤んだ。何故だか、彼の抱えるトラウマの一端を踏み抜いてしまったような気がしたからだ。

 

 

「それじゃあ最後だ。銃を持っている敵を相手にした時、最も重要な心構えとは? はい、リィン」

 

「―――”相手が武器を損失し、完全に無力化するまで絶対に油断するな”だろ?」

 

「正解だ。銃ってのは恐ろしい。引き金を引く事に躊躇いがなくなれば一般人でも容易く人を殺してしまう。油断した瞬間に倒したと思った相手から鼬の最後っ屁の銃撃を食らう事も充分考えられる。だからこそ、最後まで気を抜くな。死にたくなきゃ、な」

 

 やや翳のある笑みと共にそう締めくくると、レイは木箱から飛び降りて、気絶させた上で縛り上げた偽局員の元へと近づいていく。

 この男たちに対して、彼自身は別段何も思う所はない。彼らは、言わば雇われただけのチンピラ。気に掛けるだけの価値もない存在だ。

だからこそ、これ以上言葉をかけるつもりもなかったし、これ以上痛めつける気など更になかった。

後はケルディックの人たちに任せて自分たちの役目は終わりだ。―――そう、思っていた時だった。

 

 

―――――――♬―――――――――♪――――――――……………………

 

 

 微かに耳に届いたのは、涼やかな、しかしどこか濁りを含んだ音色だった。

 木々の騒めきに遮られたためか、その音を聞き留めたのはレイと、音楽に造詣のあるエリオットだけだった。

 

「………?」

 

「? どうしたんだ、エリオット」

 

「うん、今何だか笛の音色が聞こえたような気が……」

 

 瞬間、レイは自身の直感の琴線に何かが触れたのを感じた。

 ”何かが来る”という、原始的であり、だからこそ戦う中で最も大切な読み。それを感じ取った瞬間から、レイは長刀の柄に手をかけた。

 

「れ、レイ?」

 

「お前ら全員構えろ。―――来るぞ」

 

 

 警告の直後に周囲に響き渡ったのは、魔獣の咆哮。空気を震わすほどのそれは、道中で出会った魔獣とは格が違う存在であることを否が応でも知らしめた。

 咆哮の後、鳴り響くは地響き。何も知らない人間ならば地震と間違いかねないほどの勢いで以て、”何か”が近づいてくるのを感じた。

 

 

 

 ―――ヴォオオオオオオオォォォォッ!!

 

 

 そして”それ”は、進行方向の木々を力づくで薙ぎ倒して姿を現した。

 外見は大型の狒々(ひひ)。体全体を覆う極彩色の剛毛と、両肩口から背中にかけてはしる(たてがみ)。その中でも特徴的なのは、側頭部から生えている四本の角と、大樹の幹ほどの太さを持つ両腕だ。

 レイ以外のメンバーも、直感で理解した。この魔獣は、この公園の筆頭的存在なのだと。

 

 俗にグルノージャと呼ばれるその魔獣は、自らの縄張りを荒らしたレイたちと偽局員たちに視線を向けると、敵意の籠った唸りを上げる。

 そして、自らの傍らに転がってきた砕いた大木の一部を右腕で掴み取ると、尋常ではない膂力(りょりょく)で以て、それをこちらに目がけて投げつけて来た。

 

「う、うわあああああっ!!」

 

「キャアアッ!!」

 

 エリオットとアリサが悲鳴を上げる。一部とはいえ、元は大木。直撃をすれば、最悪大怪我では済まない。

 だが、その軌道上に、レイが滑り込むように割って入った。

 

 

「―――【剛の型・瞬閃】」

 

 

抜刀術。刹那の時間しか姿を現さない純白の刀身は、大木の一部を事もなげに縦に(・・)切り裂いた。

裂かれた二つのそれは本来レイたちを直撃するはずだった軌道を大きく反れ、あらぬところへと着弾する。

 

 

―――グルルルル………

 

 視線が敵意から殺意へと変わる。それを感じ取ったレイは、背後に向かって檄を飛ばした。

 

 

「ボサっとしてんな!! 武器を構えて立ち向かえ!! こんなエテ公一匹に負ける程、お前らは弱くねぇだろうがよ!!」

 

「……っ!! あぁ、そうだ!!」

 

 最初に応えたのはリィンだった。敗北と言う言葉に忌避感を持つようになった彼は、レイの言葉に呼応する。

 それに他のメンバーも続く。ラウラは剣を抜き、アリサは矢を番え、エリオットは魔導杖を構える。リィンやラウラほどではないが、アリサとエリオットもつい数週間前までは戦いの素人だったとは思えないほどの一丁前の闘気を出していた。

 

「ふふっ、確かに負けるつもりなど毛頭ないな」

 

「何か最近レイのテンションに上手く乗せられてる気がしないでもないけれど……ま、同感ね」

 

「そ、それにこんな所で死にたくないしね」

 

 各々が臨戦態勢に入ったところを見計らって、レイがリィンの横に移動する。ラウラも含めて、前衛三人が横一直線に並んだ形だ。

 そこで、グルノージャはのそりと立ち上がると、咆哮を挙げながらその両腕で自身の胸を叩き、爆発的な音を生み出した。所謂、ドラミングである。

まるで戦車砲の連射が起こったかのような音が響いた後、森がざわざわと震えはじめる。レイはそれを感じた後、リィンに小声で声を掛けた。

 

「おい、リィン」

 

「何だ?」

 

「あのデカブツはお前らに任せる。基本的な戦術はスケイリーダイナと戦った時と同じだが……ま、指揮一切はお前に任せるよ」

 

「あぁ、分かった。レイは? どうするんだ?」

 

「露払いにでも洒落込むさ」

 

 その言葉にリィンは僅かに首を傾げたが、その意味はすぐに理解した。同じくそれを感じ取ったラウラが、危機感を露わに告げた。

 

「この気配……五、いや、六はいるようだな」

 

「……あぁ、どうやらすっかり囲まれたみたいだ」

 

 周囲の木々の間から姿を見せたのは、同じ狒々型の魔獣、ゴーディオッサーの群れだった。

このルナリア自然公園では、彼らは総じてグルノージャの配下。ボスの召集に応じて、馳せ参じたのだろう。

 流石にこの数を同時に相手にしながらグルノージャを相手取れるほどの練度はリィンたちにはない。

 だからこその、”露払い”である。

 

「そんじゃ、いっちょやるとすっかぁ」

 

「……レイ、そなた、あの数を一人で相手にするつもりか?」

 

「ちょ……っ、流石に厳しいんじゃないの!?」

 

 アリサの言葉もどこ吹く風と言わんばかりに準備運動を始めるレイ。その間にも、ゴーディオッサーの群れはリィンたちを囲むように徐々にその円の直径を縮めて来ていた。

 リィンはその状況で一瞬だけ目を伏せると、レイに声をかける。

 

 

 

「任せてもいいか?」

 

「オーライ。この程度、逆境の内にも入らねぇさ」

 

 

 軽く拳をぶつけ合う。それ以上の言葉は必要ない。

 スッ、とレイが右腕を軽く掲げる。そして、作戦開始の呪文を紡いだ。

 

 

 

「【巡れ巡れ 夢幻の回廊 闇は我に 光は我に 有象無象よ 虚ろに惑え】―――」

 

 

 幻想的な(しろがね)の光が一瞬だけ世界を覆い尽くす。

 リィンたちが反射的に閉じた双眸を再び開いたとき、周囲に展開していたゴーディオッサーたちは、数歩前へ出たレイのみ(・・・・)にその敵意を注いでいた。

まるで、リィンたちが視界から外れた(・・・・・・・・・・・・・)かのように。

 

「【幻呪(げんじゅ)虚狂(うつろぐるい)】まぁ、幻術の一種だ。今アイツらの視界には、俺しか映っていない(・・・・・・・・・)

 

 陽動にはうってつけだろ? と振り返ってレイが言うと、リィンは苦笑した。

 

「レイ」

 

「ん?」

 

「実習が終わったら教えてくれ。その”術”が、一体どんなものなのか」

 

 その言葉に、ラウラ、アリサ、エリオットも頷く。

元より秘匿にするつもりなど毛頭なかったのだが、成程、確かにここいらで詳しく話すべきだったかもしれない。

とは言え、そんなに期待されるほど大仰なものではないのだが。

 

「ま、構わねぇぜ。それじゃ、しっかりやれよ」

 

「あぁ。任せてくれ」

 

 状況に見合わない激励の言葉を掛け合うと、それぞれが向かうべき場所へと視線を向ける。

リィンは眼前の敵の前に、そしてレイは雑魚を引きつけるために戦闘区域から離れた場所へと。

 

 互いに地面を蹴って移動を始めた瞬間、戦闘の第二幕の火蓋が切って落とされた。

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 「逆境の内にも入らない」―――レイが言い放ったその言葉は、決して嘘でも虚栄でもない。

 標的(ターゲット)真っ当な(・・・・)生命体が六匹。それも、リィンたちにまで影響を及ぼさないように意図的に制御を掛けた”術”にまんまと嵌まる程度の魔法抵抗力(レジスト)しか有していない、それ程脅威度も高くない魔獣。

 旧校舎地下で先日出会ったイグルートガルムを悠々と凌ぐ程の”《暗黒時代》製の自立型生命体”を幾度も相手取ったレイにとっては、控えめに言っても脅威とは成り得ない。元が真っ当な生命体でないために異常事態等を引き起こす”術”は総じて効きが悪く、結局は物理攻撃でゴリ押しするしかなかったパターンを数多く経験してきたせいか、このように好き勝手ができる(・・・・・・・・)相手と他人の目を気にすることなく戦えると言うのは、本当に久しぶりのように感じていた。

 とは言え、完全に個人の感情のみを優先して露払いを引き受けたわけではない。

 この戦いが、このケルディック実習におけるA班の最終課題となる事は間違いない。

 リィンは昨日に比べれば格段に技のキレが増している事が道中でも見て取れたし、ケルディック街道やこの自然公園に出没する魔獣との交戦で、戦い慣れていないアリサやエリオットも随分と戦闘のコツを掴んできている。根が真面目で優秀であるためか、あの二人は実技においても呑み込みは早い。ラウラは言わずもがな、実習全体を通して頭一つ飛び抜けた技量を如何なく発揮している。

 レイがした事と言えば、戦術面での知識的な補佐や戦闘中におけるやや細かい指示だけ。メンバー全体を纏め上げていたのはリィンであったし、事実、実質的なリーダーとして彼は初戦にしては充分なほどの力量を見せていた。

 ならば、あの程度の大型魔獣ならば苦戦する事はないだろう。自分一人が抜けたところで、あのメンバーは上手く立ち回る事ができるとレイは踏んでいたし、実際精神的に立ち直りを見せたリィンを中心に的確に戦いを進めていけば万が一は起きないだろうと思っていた。

不安要素……というよりかは二つの悪性腫瘍を抱えたB班ならばいざ知らず、あの面子であるならば戦術リンクの発動と維持も問題はない。

 だからこそレイは、何の憂いも残すことなく露払いに回る事ができたのだ。

 

 

「……よし、こんなトコでいいか」

 

 レイが足を止めたのは、自然公園の最奥から距離にして500アージュ程離れた場所。最奥程ではないが周囲に木々がなく、そこそこ開けたスペースが出来上がっている。恐らくは、一般客用の休憩スペースか何かなのだろう。戦闘に巻き込んで木々を大量伐採などしようものなら後で何を言われるか分かったものではない。だからこそ、開けた場所を選んだのだ。

 標的の足音が、段々と近づいてくる。歩法術である”瞬刻”を使って戦域離脱を図っても良かったのだが、それではゴーディオッサーが自分を早々に見失ってしまい、散開してしまう恐れが多分にあった。だから速度をわざと落として逃げていたのだが、それでも随分と差が開いていたようだ。

 

 

「ま、見失わなかっただけ上等、ってか」

 

 やがて追いついた六匹を前に、レイは不敵な笑みを見せる。十二の獣眼から浴びせられる敵意の視線も何のその。更に挑発をする言葉を、彼は容赦なく放っていく。

 

「よぉ、ザコのエテ公共。はっきり言ってお前らじゃ役者不足なんだわ」

 

 無論、彼らは人間の言葉など解さない。だが、その言葉に侮蔑が入り混じっている事を本能的に察したのか、一体がそのまま殴りかかって来る。

 

「学院に入ってから2週間と少し経つが、どうにも本気で戦えねぇ。ま、平和なのもそれで良いんだけどよ」

 

 殴りかかった右腕が、気付いた時には肘の辺りから滑らかな断面を残して綺麗に切断されていた。そして鍔鳴りの音が鳴ると同時に、その一体の視線が縦に裂ける。

 

「それでもフラストレーションは溜まる一方だ。俺だってたまには息抜きがしたい。他人の目を気にすることなく、思うがままに剣を振るってみたくなる」

 

 ズズゥン……という重い音を立てて、絶命した一体が地に倒れ伏す。それを見た残りの五体は仇を討つために一斉に攻撃を仕掛けようとして―――止まった。

 

 

「あー、クソ。これじゃあの戦闘狂共にとやかく言えねぇじゃねぇか。―――まぁ、それはともかくとして、だ」

 

 

自分たちよりも圧倒的に体格で劣る一人の人間。しかしその人間の全身から、視覚化するほどの”ナニカ”が湧き出ていた。

反射的に、一歩下がる。彼らは漸く感じ取った。”コレ”は、自分たちが手を出すべき獲物ではなかったという事を。

 

 

「久しぶりに存分に暴れられる舞台が整ったんだ。お前ら頼むから―――数秒程度で殺さ(こわ)れてくれるなよ?」

 

 

 我慢できずに溢れ出てしまった覇気。それはレイにしてみればごく僅かなものでしかなかったのだが、この程度の魔獣にとってはそれも恐怖の対象になったらしい。

更に口角を吊り上げ、棚引く覇気を纏いながら、レイは再び駆けた。

 世界が、コンマ数秒単位で変化していく。直前までは何もなかった虚空に赤い飛沫が飛び散り、白銀の(ひらめき)が通った後に剪断された体毛が無慈悲に舞う。

しかし魔獣たちは、己の体液が噴出している様を見てもなお、自分が斬られた(・・・・・・・)事は理解していなかった。それを感じ取ったのは、世界が暗転して、最初の一体同様、無残な姿を地面に投げ出した後だった。

 

「……やっべ、また不完全燃焼だわ」

 

 はぁ、とやりきれない感情を噴出させる。今回も、半端に暴れてしまったせいで闘争心に火が付いたまま燻ってしまった。

せめてこの倍は数がいれば……と嘆くものの、いないものはしょうがない。手当たり次第に当たり散らすほど馬鹿ではないと自覚しているため、さっさとリィンたちを合流しようと足に力を入れた時、ふと先程の違和感を思い出した。

 

 

「(さっきの笛の音はエリオットも聞いていた……って事は俺の幻聴じゃねぇな。そんで音色が鳴り終わったと同時にグルノージャ(アイツ)が現れた)」

 

 木々の葉が触れ合う事で稀に音楽のような音色を奏でる事はあるのだが、レイが聞いたのは明らかに人工的に生み出された音色であった。立ち入り禁止であるこの区域でその音色が聞こえる事自体がまずおかしいし、その音色とグルノージャの出現が無関係であると割り切る事はできない。

 

「(辺りに人の気配はなし、か。ただの偶然か、それとも”逃げ”を知ってるヤツか……どちらにせよ、ちっと探ってみるか)」

 

 再びあの音色が鳴るようならば、かなり厄介な事態に陥る事も有り得る。

 

 それを憂慮したレイは、実りのなさそうな偵察に向かうために、その場を後にした。

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 その頃リィンたちは、グルノージャを相手に戦闘を続け、優勢を保っていた。

 リィンとラウラの対角線上での両面攻撃、アリサの弓での牽制とアーツでの援護。エリオットが随時補助アーツで支援し続け、戦況は限りなく勝利に近づいている。

そうでなくとも前衛の二人は多少なりとも剣の腕には自信がある身の上であり、魔獣との戦闘経験もある。巨大な腕を振り下ろして行われる攻撃も確実に見切って回避しており、今のところダメージらしいダメージは負っていない。

 だが、相手は仮にもこの広大な自然公園のヌシである。

無論、このままで終わるはずがなかった。

 

 

―――ヴォオオオオオオオォォォォッ!!

 

 

 耳を劈く咆哮を放つ。それを境にグルノージャは、より一層破壊力のある攻撃を繰り出すようになった。

 手負いの獣。山岳地帯の近くで育ったリィンは、その恐ろしさを良く知っている。中途半端傷つけられ、怒りを露わにした魔獣は、できるだけ早く倒すに越したことはない。

 

「くっ……!!」

 

 先程までとは段違いの威力で振り下ろされる剛腕の一撃を躱したラウラだったが、その顔には僅かな焦りが見える。周囲を見渡すと、アリサとエリオットも同じような表情を浮かべていた。

 

 大前提として、大型魔獣と人間とでは生命力・膂力その他諸々で大きな差がある。それを覆せると思う程、リィンは愚かではなかった。

ならば、どうするか。

 

 生命力で敵わなければ、それを上回る攻撃力で。

 膂力で敵わなければ、それを翻弄できるだけの俊敏さと技で。

 

 こちらが有利とする手札は変わらない。だが、咆哮一つで先程までは疑いようのなかった優勢に綻びが出始めている。

 

 ならば、この戦いはこれ以上長引かせてはならない。

恐らくレイがいても、そう提案するだろうと思ったリィンは、自分の愛刀を一瞥した。

 

 

「(……”アレ”なら、一撃で仕留める事ができるか?)」

 

 

 それは、嘗てユン老師に稽古を付けて貰っていた時に自分で生み出した剣技。

 しかし、修行を打ち切られてからは使う事はなかったため、ブランクは長い。一撃必殺の威力が出せるか否かという以前に、発動が可能かどうかも分からなかった。

 

「(……いや、今の俺ならできる!! 迷いを払った今なら!!)」

 

 以前のリィンならば、迷った末に断念していたかもしれない。だが、自分の剣に恥じる事がなくなった今ならば、振るう事ができると確信していた。

今はいないクラスメイトに改めて心の中で礼を述べ、リィンは顔を上げる。

 

 

「皆!! 10秒だけ時間を稼いでくれ!!」

 

 

 アリサたちはその言葉に一瞬だけ目を丸くしたが、それ以上の言葉は不要だった。

 戦術リンクで各々を繋いでいる今であれば、リィンがこれから”起死回生の一撃を放つ”という事も理解できたからだ。

 

「「「了解!!」」」

 

 言うが早いか、三人は一斉攻撃を始める。リィンが指定した10秒。それだけの時間を稼ぐために。

 

 

「アルゼイド流―――『鉄砕刃(てっさいじん)』‼」

 

「燃え尽きなさい―――『フランベルジュ』‼」

 

「行くよっ―――『アクアブリード』‼」

 

 

 ラウラの放った衝撃波が、アリサの放った炎を纏った矢が、エリオットの放った水撃のアーツが、それぞれ同時に被弾する。

 グルノージャがその連撃に耐えるように再び咆哮を挙げようとしたところで、体勢を立て直したラウラの大剣の一撃が間髪を入れずに入る。

これには流石に体勢を保つことができず、グラリと大きく崩れた。

 

 

「今よっ!!」

 

 アリサが叫ぶ。その言葉にリィンは、ただ首肯を返す。

指定の10秒が経過したところで、彼は閉じていた眼を力強く開いた。

 

 

「―――焔よ、わが剣に集え」

 

 

 詠唱ではなく、自己暗示の言霊。

その声を切っ掛けに、リィンの体内に眠る、彼自身の魔力が”焔”へと変換され、刀身へと宿る。

血払いするように一振り。火の粉を巻き上げて燃え盛るそれをただ維持しながら、リィンはグルノージャの懐へと飛び込んだ。

 

「はああああああ―――――ッ!!」

 

 (ざん)ッ!! という言葉が具現化するほどに力強く振り下ろされた太刀は、過たずグルノージャの巨躯を捕らえ、体毛を燃やすと共に決して小さくはない斬傷を刻み付けた。

 そのダメージは大きく、グオオオオォォォッ……という鳴き声と同時に両足から崩れ落ちる。しかし、ヌシの矜持がそうさせるのか、未だ地に伏してはいない。小さくはない傷を負いながらも尚抗おうとするその姿は、威風すら醸し出していた。

 

 

「……ちょ、ちょっとタフ過ぎない!?」

 

「あれだけの攻撃を受けて尚倒れぬか。魔獣相手ではあるが、見事だな」

 

 

 しかしリィンは、既に刀身を敵に向けてはいない。グルノージャはそんなリィンの姿を一瞥すると、徐に踵を返した。

 

「えっ?」

 

 エリオットの疑問の声も尤もだった。立ち向かうでもなく、遁走するでもなく、ただ悠々と森の中へと帰っていくその姿。まるでリィンたちが追撃しない事を分かっているかのような行動に、一同は緊張の糸を漸く緩め始めた。

 どうせ追う気力もないだろうと侮られたのか、それともリィンたちを自然公園のヌシとして実力を認めたのかは分からないが、とにかく、勝利をもぎ取ったのには違いない。

 

 

「~~~はあぁぁぁ~っ」

 

「つ、疲れたぁぁっ」

 

 勝利を確信した瞬間、アリサとエリオットがその場に崩れ落ちる。

リィンとラウラも剣を鞘に収めた後に膝立ちになり、そこで初めて弱みを見せた。

 

「ふぅ……危なかったな」

 

「全くだ。私もまだまだ井の中の蛙であったと思い知らされたぞ」

 

 あそこで戦いが続いていたのなら、どちらが勝っていたのかは分からない。そういう意味では、限りなく敗北に近い勝利であったとも言えるだろう。

その事実を、四人はしっかりと身に染みて受け止めていた。

 

「レイは、大丈夫かな……?」

 

 エリオットがポツリと漏らしたその言葉に、しかし三人は笑みを見せる。

 

「心配ないだろう。きっと、俺たちより上手くやってるさ」

 

「うむ。何故だか負けている情景が頭に浮かばぬな」

 

「普通に『お疲れさん』とか余裕の表情で帰ってきそうね。いや、多分そうでしょうけど」

 

 それぞれが笑い、一変して和やかなムードが漂う。そうして数分が経ち、全員がゆっくりではあるが立ち上がった。

後は、レイが無事に帰って来るのを待つだけ。その前に盗難品の確認などをしておこうと歩き始めた瞬間、彼らの耳に再び笛の音が聞こえた。

 しかし、先程のそれとは音色が違う。何より、吹いた張本人が既に彼らの視界に入っていた。

 

 

「居たぞ!!」

 

「逃がすな、取り押さえろ!!」

 

 

 最奥に駆けつけたのは、領邦軍一個小隊七名。小銃で武装した彼らは、迷う動きすら見せずにリィンたちを取り囲んだ(・・・・・・・・・・・)

 

「……何故、我らを取り囲むのだ?」

 

「黙れ!!」

 

「学生だからと言って、容赦はせんぞ!!」

 

 ラウラの当然とも言える疑問にも答える気はさらさらないらしく、けんもほろろに怒鳴り散らす兵たち。

すると、朝方に大市に乱入してきた隊長格の男が、リィンたちの前に堂々と立ち塞がった。

 

 

 領邦軍と管理局員に扮した盗賊が密約関係(グル)である事。それは、既に分かっていた事だった。

 だが、いや、だからこそ、領邦軍はこれ以上派手な動きはしてこないものだと、リィンたちは高を括っていた。これ以上動こうものならば、彼らの暗躍も表沙汰になってしまう可能性がある。

そんな愚は侵さないだろうと、そう思っていたのだ。

 

 しかし、思っていた以上に(・・・・・・・・)愚かであった事に、流石に開いた口も塞がらず、呆れ果ててしまったほどである。

 

 犯人はそこで気絶している連中だと伝えてはみるものの、男はまともに取り合おうとはしない。

そしてその後に続けた言葉に、リィンたちの憤慨は頂点に達しかけた。

 

 

「彼らがやったという証拠はなかろう。可能性で言うならば―――君たちも有り得るのではないかね?(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 クロイツェン州の領内にて、領邦軍の権限は確かに高いものである。彼らが白いものを黒と言い張れば、高い確率でそれが罷り通ってしまうくらいには。

 とは言え、そのような暴挙が許されるはずもない。どうにかしてこの場を切り抜けようと思考を巡らせていると、男がある事に気が付いた。

 

「む? ……大市で私に突っかかってきたあの眼帯の少年はどこにいった?」

 

「……生憎と、今はいませんよ」

 

「別行動をしていてな。―――もしかしたら、そなたらの暴挙を見て町に通報しに行ったのかもしれぬぞ?」

 

「なっ……!?」

 

 そこで男は、初めて表情を曇らせた。

事実を隠蔽するためにここまで独断で事を進めて来たのは良かったが、これが大市元締めらの耳に入るようならば再び混乱を招く事になる。そうすれば、公爵家が何を言ってくるか、分かったものではなかった。

それを防ぐため、男は部下に対して必死の形相で命令を下した。

 

「えぇい、探せ!! 必ず探し出して一刻も早くここに連れて―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――その必要はねぇぜ? 隊長サン」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どこからか聞こえた声の後、暴風と共に、リィンたちは円状の銀閃を見た。

 その軌跡は取り囲んでいた兵たちの小銃を瞬く間に破壊し、風圧で数メートル先へと体を吹き飛ばした。

 

 

「うわああっ!!」

 

「ぐっ……何だっ、これは!!」

 

 

 一同が、風が収まり目を開ける。

 男の眼前で静かに納刀を終えたその少年は、怒るでもなく、呆れるでもなく、ただ嘲笑を浮かべていた。

 

 

「八洲天刃流【剛の型・薙円(なぎまどか)】―――ご照覧、ありがとうございましたっと」

 

 

 鞘入りの長刀をまるでバトンのように器用に手元で数回転させると、振り返り、リィンたちを見やった。

 

「お疲れさん。上手くあの魔獣は退けたみたいだな。いやー、心配は無用だったか?」

 

「……ハハ、本当にアリサの言う通りの感じで帰って来てくれたな」

 

「まさか当たるとは思わなかったけどね……」

 

 レイが兵士たちを一瞬で無力化した事については最早誰もツッコまない。彼らの神経も程よく麻痺してきていた。

 しかし勿論、力で一時的に兵力を捻じ伏せた程度で事態が好転するはずもなかった。

 

 

「き、貴様!! 何をしたか分かっているのか!?」

 

「んぁ? あーはいはい、モチロンですよ。銃を突きつけられてる状況でオハナシとかフェアじゃないんでね。とりあえず軽く一掃してみた。後悔はしてない」

 

「栄えある我ら領邦軍に手を挙げたのだぞ!! この事が公爵家に伝われば貴様は―――」

 

「あー、うっさいうっさい。この程度でゴチャゴチャぬかすような三下はお呼びじゃねーんだっつーの」

 

 男の恫喝も馬の耳に念仏といった様子で、心の底から面倒くさそうな表情を見せたレイは、右手でしっしっ、と払うような仕草を見せる。

そして、兵たちが漸くのそのそと立ち上がり始めたのを見計らって、どこか気の抜けたような口調で続けた。

 

「生憎とそっちの対策は打ってあんだよ。とりあえずこういう最悪の状態を想定してはいたんだが……いや、ビックリだわ。特に迷う素振りもなくこんなアホな行動を取れるアンタらの神経を疑うね」

 

「な、何っ!? 我々の何が―――」

 

「アタマ捻れっつてんだよ、アホ。俺たちは、”何の罪もない士官学院生”なんだぜ?」

 

 帝国における、『トールズ士官学院』の名は大きい。そこに所属する学生を冤罪で拘束したとあっては、たとえ絶大な権力を持つ公爵家と言えど、多少の非難は免れない。

 ましてやⅦ組は、学院長及び機関運営に関わる人物たちの肝いりの集団である。それらの人物を全て相手取るのは、さしもの大貴族と言えども難しいだろう。

 虎の威を借る狐と言われてしまえばそれまでだが、未熟な身の上で士官学院と言う庇護下にある以上、借り受けるのは当然の権利である。ましてや、善行を働いた結果として不遇な処置を取られそうになっている今であるならば、尚更だ。

 

「アンタらは紛いなりにも軍人。なるほど、確かに公爵家(うえ)からの命令は絶対なんだろうさ。だがそれは、軍全体の品位を貶める理由にはならねぇよなぁ?」

 

 もしここに領邦軍が介入してきた際の正しい処置を考察するのだとすれば、リィンたちに見向きもせず、即座に盗賊たちを連行すべきであったのだ。彼らが不用意に口を割る前に手元に拘束してしまえば、後は如何様にも処置はできる。そうなれば、レイも最後の一手を使わずに済んだのだ。

 しかし現実は予想を遥かに上回って愚かであった。彼らが拘束しようとしたのはリィンたち。計画を潰されたという目先の憤懣に駆られた末の蛮行に他ならない。それがどんな結果を齎すか、よく理解もしていないくせに。

 

「ぐっ……」

 

「だから、今ここで選べ」

 

 眼差しを真剣なそれへと変えたレイは、柄頭を男に突きつけて問う。これが最後の選択肢だ。せいぜい間違えないように気を付けろと、暗にそう言及しているかのような威圧をかける。

 

 

「誇りと品位を重んじて潔く手を引くか、それとも下らない妄執に囚われたままに蛮行を続けるか。あぁ、勿論、後者を選んだ場合は俺がとことんまで相手になるぜ? 泣いて逃げ出す無様を晒したくなかったら、前者を選ぶことをお勧めするね。それならば、俺もアンタらに最底辺の敬意を示す事ができる」

 

 

 男はその愚弄するかのような言葉に歯軋りをする。その憤怒は最早臨界点を突破し、冷静な判断は望めなくなっていた。

 その単純な感情に身を任せ、腕を高く振り上げる。

 

「弁えろ、平民風情が!! 我らをとことんまで愚弄した罪、その身に刻ませてくれるわ!!」

 

 その激昂に、レイは再び嘲笑し、柄に手を掛ける。

しかし、その直後―――

 

 

 

 

「そこまでです」

 

 

 

 緊迫した状況に相応しくない、涼やかな声が一帯に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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