「憎むなとは言わん。ただ己を捨てた復讐などするな。貴公が失った友に対してそうであったように、貴公を失えば儂の心には穴があくのだ」
by 狛村左陣(BLEACH)
―――世界が、灰色に見えていた。
生きているという事、そのものが億劫だった。
生きているという事がこんなにも辛いのなら、いっそ死んでしまいたいと何度も思った。
日曜学校でシスターは言っていた。「善き行いを積み過ごせば、いずれは女神さまがいらっしゃる天界に行くことが出来るでしょう」と。
ならば、
―――わたしから
―――母様がいなくなった後、我が身可愛さにわたしを売り飛ばした強欲なアイツらはどうなる。
―――わたしを殴って、蹴って、いたぶって嗤っていたアイツらはどうなる。
……わたしは、思った。
もし、アレを、アレらを。
罪科の海の底の底に、泣きも笑いも出来ぬ昏き深淵の彼方に追いやれるのならば―――わたしは煉獄に堕とされても構わない、と。
自分が味わった苦しみを全てあの人でなし共に弾き返す事が出来るのならば―――悪魔に魂を売っても構わない、と。
……だが、その望みを叶えたのは、女神さまでも悪魔でもなかった。
「……お前は、生きる事を諦めなかった、か」
金色の剣を携えた男だった。
多くの人間を斬ったというのに、その肌にも、服にも、一切の返り血は無かった。無論、男自身が流した血も。
「何を望む」
力を、と答えた。
だが男は、ただ黙した。そして何かを思い探るように遠くを見つめ、そしてしゃがみ込んで手を差し伸べる。
「これも奇縁か」
「元より、お前を救う事は命ぜられていた。
その声には憐憫と強さが入り混じる。
だが手は取った。この男の言葉が、嘘であるとは思えなかったから。
「……小さい手だ」
呟くように、そう言った。
それが余りにも消え入りそうなそれだった為か、ここで漸く、男の顔を見ることが出来た。
「よく、生きていた」
その髪は―――
―――灰色に染まった世界の中でも一層、輝く程に美しかった。
―――*―――*―――
ラクウェル、という街がある。
西部ラマール州の州都、海都オルディスより東、ラングドック峡谷の狭間に隠れるように存在するこの街。
ラマール本線の中継地点としてこの場所を知っている者も多く、またオルディスを訪れた観光客がもののついでにと此処を訪れる事も少なくない。
壮麗と豪奢で彩られたオルディスがラマールの光を表すのならば、耽美と欲業で照らし出されたラクウェルはラマールの陰を表す存在。
だが、陰が光に劣っていなければならない道理はない。
現カイエン公―――クロワール・ド・カイエンは清貧ではなく華美を好む貴族であった。
己が”持ち得る者”であるからこそ、吝嗇家であるのは恥であると公言できる貴族であった。
だからこそ、この街は発展した。人間の欲望を詰め込んだ夜の箱庭。老いも若きも身分も関係なく、この街には多種多様な人間が集まってくる。
一夜の快楽を求める者、巨万の富を得ようと息巻く者、何もかもを喪って流れ着いた浮浪者。
海都の煌びやかさに辟易し、刺激を求めて来る者達が、満足するも破滅するも運命次第。
面白い街だ、と人は言う。
怖い街だ、と人は言う。
怠惰な街だ、と人は言う。
この街を楽しむには度胸と対価が必要で。
この街に入れ込むには器量と矜持が必要で。
この街で暮らすには、本能と理性を均衡に保つ意思が必要で。
この街で生き残るには―――自分が持ち得る”ナニカ”を犠牲にし続けなければならない。
峡谷都市、という名はそう呼ばれなくなって久しい。
この街を訪れる者達は、皆一様に別の名前でこの場所を評する。
夜に輝く幻蝶の如く淡く輝く場所。
―――歓楽都市ラクウェル、と。
―――*―――*―――
リディア・レグサーにとって不幸だったのは、この任務を半ば強制的に引き受けざるを得なかったことだろう。
ルーレまでは一緒に行動していたルナフィリアも、東部でやる事があるからと別行動を取っており、つまるところ貧乏くじを引かされたのが彼女であったというだけの事。
とはいえ、誰かが引き受けなければならない仕事であるのも事実。
デュバリィ、アイネス、エンネアの三人はアリアンロードからの要請でクロスベルへと赴いており、ブルブランは基本的に行方不明。マクバーンは「怠い」とだけ言い残して人知れず何処かに行ってしまった。無論、ザナレイアが手を貸してくれるわけもなく……此処に至って《執行者》の面々に常識人など稀有である事が再度浮き彫りになってしまった形である。
だが、組織である以上必ず最後は何処かに仕事は押し付けられる。
その時に指名されるのは決まって、真面目で常識的な価値観を持っている人物だ。一応今回の直属の上司に当たるヴィータ・クロチルダより申し訳なさそうな苦笑交じりで今回の仕事を押し付けられたときは思わずその場で真横の壁を本気殴りしてしまったが、そんな彼女を一体誰が咎められようか。
そう、その瞬間だけ割と真面目に「
まだサイズの合っていない、今は亡き師より貰った枯葉色のコートを今日も羽織って歩く。
陽が傾き、導力灯と目に悪い程に強烈に輝くネオンが点灯してからが歓楽都市ラクウェルの真骨頂である。
昼は一見真っ当に見える観光都市。しかし夜になれば一気に退廃的な雰囲気へと様変わる。
―――煽情的な服装と仕草で男を誘惑する水商売の女たちが出歩き、煙草と香水の匂いが入り混じる。
―――高級な導力車が我先にと高級クラブの入り口前に並び、今日も今日とて一時の遊戯を愉しもうとするギャンブラー達が下世話な話を飛ばしながら歩いていく。
そんな「眠れぬ街」の中を闊歩しながら、リディアは何度目かも分からぬ溜息を吐き、気配を探っていく。
だが、無意味だった。一流の武人ともなれば己の気配を断つのも一流。ましてやそれが”絶人級”ともなれば、”達人級”としては未だ未熟な自分がその気配の糸を辿ろうなどとは烏滸がましいだろう。
……一瞬だけ普通に尊敬しかかったが、そもそもあの人が姿を晦ませて博打に興じてさえいなければ自分がこんなにも面倒臭い事をしなくても済んでいるのだと思えば、やはり辟易の溜息が零れてくる。
「まったく……何処に居やがるんですかカグヤ様は……」
《結社》第七使徒、アリアンロード直轄部隊《鉄機隊》の副長にして、主と同じく”絶人級”という武人の伝説的最高位に至った女傑。
末席とはいえ若年で”達人級”階梯に至ったリディアを以てしても、相対せば1分持てば上々と思わせる規格外の人物だが―――清廉にして誇り高いアリアンロードとは対照的に、我欲に忠実な一面が特徴的である。
特に無類の賭け事好きであり、今でこそ禁止されているが、昔は《執行者》などを相手によく金銭を巻き上げていたらしい、とはリディアも聞いていた。
そして今、このラクウェルの何処かで飽きもせずにカジノ遊びに興じているであろう彼女を連れ帰れというのが、リディアに押し付けられた仕事だった。
とはいえ、とは思う。
リディア自身、ルナフィリアに「社会科見学」などという建前で一度だけ帝都ヘイムダルの歓楽街にあるカジノに連れて行かされたが、特に「スリルを楽しむ」などという事は無かった。
スリルを楽しむまでもなく負け続けたとか、そもそもやる気がなかったという問題ではない。彼女にとってカジノのゲームの展開は
スロットをやれば、ほぼ確実に
ルーレットをやれば、ディーラーがボールを弾いた初期位置と
ブラックジャックをやれば、人並み外れた直感力と胆力で
ポーカーをやれば、わざわざ
彼女自身、”才能”の影響で異様なまでに覚えが早いというのもある。
しかしそれ以前に、”達人級”の武人の動体視力、直感力がカジノ泣かせの原因だ。
レイ・クレイドルはクロスベルで遊撃士をしていた際、こうした技量を尽くして裏稼業の調査などをしていた。
しかしそういったものの中には、”決して負けることが出来ない”勝負などが珍しくもなく着いて来る。彼はそんな勝負での勝率を
だが、ヒトとしての感覚を超越した”絶人級”ともなれば、イカサマなどという小狡い手を使わずとも常勝不敗の賭け事を演じることが出来るだろう。
東方の裾が長い着物と燃えるような炎髪を棚引かせ、口に銜えた煙管から悠々と紫煙を流しながら、口角を吊り上げて全てを見透かすように笑むのだろう。
だが、波乱や想定外をも好むあの傲岸不遜な女傑が、
……恐らくは否である。
それでも帝都やクロスベルの一流カジノを荒らしまくっていたのだから、怖ろしいものである。
そして今、このラクウェルでも存分に愉しんでいる事だろう。……
「(とっとと見つけ出して帰らねーと……より面倒臭い事になりそーですねぇ)」
一先ずは目ぼしいカジノを片っ端から探ってみようと、そう思って夜に差し掛かった道を再び歩き出す。
するとその道中、ネオンの光すらも碌に届かないような路地裏から揉めるような声が聞こえてきた。
とはいえ、この街で揉め事を見かけるのは日常茶飯事であり、一々気にかけていては身が持たない。だからこそリディアは”聞かなかった事”にして立ち去ろうとしたが……。
「なァ、オイ。分かってンだろ? お前のオヤジさんが俺らの金持ち逃げして消えたんだからよォ、お前さんに責任取って貰わなきゃいけねぇんだよ」
「いやな? 俺らも不憫だとは思ってるんだぜ? ガキのお前さんには何の落ち度もねぇからなァ。だが、俺らにもメンツってものがある」
「このままハイさようなら、ってワケにはいかねぇのよ。ボスの方もお冠でよォ、代わりに何か献上しねぇと俺らの首が物理的に飛んじまう」
「なァに、お前さんアレだ、アイツの娘にしちゃあ勿体ねぇくらいの上玉だしな。きっとボスも喜ぶだろうぜ」
―――ピタリと、足が止まった。
「……ふざけないでよ。アタシはあの男とは一切関係ない。親子の縁なんて、とうの昔にアタシの方から切ってる」
「関係ねぇんだよなぁ。お前さんをエサにしてアイツを誘き出すも良し、もしアイツが娘のお前さんを見捨てて逃げても、お前さんならボスを悦ばせられる」
「クソッタレ。姐さん達を侮辱するワケじゃないけど、アタシは捨て値の娼婦みたいな真似はゴメンだね」
焦げたような赤色の髪を持った少女だった。
歳の頃はリディアとそう変わりはしないだろう。吊り目と擦れたような振る舞いをしている所為で遊び好きのような見た目をしているが……強面の男数人に囲まれても意思を曲げようとしないところには歳不相応の強さを感じさせる。
……とはいえ、流石に声に多少の震えは滲ませていたが。
「……いいねぇ、気の強い女は嫌いじゃねぇよ」
「どうしますか、兄貴。ふん縛ってでも連れて行きますか?」
「まァそうだな、レオン、前に車付けてこい。……とはいえ、こうも強情じゃあ、このままボスの前に引きずり出すワケにはいかねぇなぁ」
「手持ちで質の悪いのしかないですが、ヤクでも打っときましょうか?」
「やめとけ。だが、そうだな……ボスは幸い
他の強面たちとは違う、白いスーツを着込んだ男が放ったその言葉に、それまで気丈に振る舞っていた少女も体を強張らせたように見えた。
見慣れた、という訳ではないが、男が女を意のままにするというのは珍しい事ではない。
統治がしっかりと為された場所であれば、少なくとも人目が付く場所では起こらない事。だが世界というものは、そういった綺麗事の方が案外少ないものだ。
―――弱者は強者に蹂躙されるか、阿るか。
どちらにせよ碌な事にはならない。それは今まで何度か目の当たりにして来たし……人間の悪意が表面化する暴力というものであるならば、それは
本来なら、深く関わってはならない。こういった事は、面倒事しか呼び寄せない。実際、リディアの近くを歩いている人々も、意図的に気付かないフリをしながら通り過ぎていく。
「はい、ちょーっと失礼しやがりますよー」
だが、それでも。
リディアは男たちが誰も気づかない速さで少女の腰と足を持って抱える。
少女の方が背丈が高いというのに、ひょいと、まるで仔猫を抱えるかのような感覚で持ち上げて、周囲に居た男たちを睨み付けて牽制する。
……本来であれば、見た目だけならただの子供でしかないリディアに睨まれた程度で臆するような男達ではない。
だが、その眼力には圧があった。”達人級”が発するそれの前に、文字通り蛇に睨まれた蛙状態になった男たちを尻目に逃走する。
「―――っ、テメェ‼ 待ちやがれ‼」
数十アージュ離れてから漸く我に返ったらしいリーダー格の男がそう叫んだが、既に遅し。
自分よりも小柄な女の子に”お姫様抱っこ”されながら猛スピードで連れ出されているという現実が未だに呑み込めずに呆けていると、いつの間にやら街の郊外―――居住区などが密集する場所までやって来ていた。
「……ま、ここいらで大丈夫でしょーかね」
呟くようにそう言うと、リディアは地面に少女を下ろす。埃っぽい場所を走った所為で多少汚れたコートの裾を軽く払っていると、赤毛の少女が口を開いた。
「あ、えっと……助けてくれてありがと」
「お礼を言われるような事はしてねーですよ。あんなチンピラ紛いの連中から逃げおおせるなんて朝飯前ですから」
「……あれでも一応アイツら、マジモンのマフィアなんだけどねぇ」
だが、一口にマフィアといってもピンからキリまである。
その基準に照らし合わせれば、あれはキリに近い方の連中だろう。治安維持組織にマークすらされていない小物。”達人級”の一角とはいえ、然程気配を消してもいなかったリディアの姿を、赤毛の少女を抱えるまで視認できなかったのがその証拠だ。
「アタシはレイラ。この近くの、『デッケン』って食堂で働かせて貰ってるんだ」
「……そういえばそういった食事処もありましたねぇ」
ラクウェルという街を下調べしていた際に見た覚えのある名前。「食事処」という名前を口に出したことで、リディアの腹が「くぅ」という小さな音を鳴らす。
口を真一文字に結んだまま、赤面する。そう言えばできるだけ早く任務を済まそうと思い、ラクウェルに到着してから何も食べていなかったことを思い出す。
そんな様子を見てレイラはキョトンとした顔を見せた後、思わずといった様子で吹き出した。
「お腹減ってるんだったら早くそう言ってよ。助けてもらったお礼に、奢るよ?」
「…………………………ご馳走になります」
達人の一角でもある少女は、しかしそれでもプライドより三大欲求の一つに忠実になることを優先した。
―――*―――*―――
「美味しい……美味しいです‼」
「あっはっは。そう言って貰えると嬉しいねぇ。それだけ気持ちよく食べてもらえるなら、コッチとしても作り甲斐があるってモンだよ」
パブも兼ねた食堂だからと腕前を疑ったつもりはさらさら無かったが、予想していた以上の美味しさに思わず言葉が出る。
一流の料亭のような美味しさというよりかは、家庭料理の延長線上といったところだろうが、そういった味にはあまり馴染みがないリディアにとっては新鮮な味でもあった。
割と本当に空腹だったリディアは用意された1ホールのミートパイと大皿に乗ったスパゲッティを十数分足らずで完食し、ふぅ、と満足げな息を漏らした。
「……お腹空いてたみたいだから結構な量を用意したんだけど、本当に食べきれるとは思わなかったわ」
そう言いながら、レイラはすっかりと綺麗になった大皿を重ねて厨房の方へと戻っていく。
「あはは……すみません。私、そこそこ食べるほうでやがりますので」
「気にしなくていいよ。寧ろこのくらいの食べっぷりなら作った方も気持ち良いもんさね。……それに、ウチの大切な従業員を助けてくれたんだ。お礼としちゃ足りないくらいさ」
『デッケン』の女将、モーリーはそう言って微笑む。その言葉に含みがあったのは勘付いたが、しかし敢えてリディアはそれには触れなかった。
リディアとしてはこれ以上この件に踏み込むつもりはなかったし、レイラとしてもただの通りすがりであっただけの自分にこれ以上詮索されるのは煩わしいだけだろうと、そう思っての判断だった。
「しっかし珍しいねぇ。アンタみたいな可愛い女の子が一人でラクウェルに来たのかい?」
「かわ……え、えぇ。ちょっと、人を探していて」
そこではたと気付く。食堂兼パブという、人の出入りが多いこの場所の主である女将であれば、もしかしたらカグヤの居場所を知っているかもしれないと。
「モーリーさん、ちっと訊きたいことがあるんでやがりますが」
「? なんだい。アタシが知ってることなら答えてあげるよ」
「えっと、最近この辺りのカジノや賭博場を荒し回ってる赤髪で東方風の女剣士……知りません?」
「…………エラく特徴的な人だねぇ。その女の人がアンタの探し人かい?」
「えぇ……はい。絶対にラクウェルに居る筈なのに見つからねーんでやがりますよ。あンの人ぁなーんでこう、姿を隠すのが上手いんだか」
「赤髪、東方風の衣装、剣士……うーん、そういった外見の人の話は聞かないねぇ。ラクウェルは土地柄色々な国の観光客が出入りするけど、流石にそんな特徴的な人間が出入りしてりゃ噂の一つくらいはアタシの耳に入ってきそうなモンなんだけど」
実のところ、そういった反応が返されるのは予想の内ではあった。
リディアはそもそも、カグヤの事を外見の特徴だけで探り当てようとは思っていなかった。モーリーの言う通り、カルバード共和国の東方人街であればいざ知らず、帝国の歓楽街で羽織を棚引かせている姿など本来であれば目立って然るべきなのだ。
恐らくは、己から滲み出る気配を可能な限り希薄にしているのだろう。それこそ、武を齧っていない者から見れば一般人とさして変わらない程度に見える程度には。
そこまでして賭博に興じていたいのかと叫びたい気持ちを胸の内にしまう。
もう嫌だ。面倒くさい。いっそ「見つかりませんでした」という報告だけして帰ってしまおうかとも思ったが、彼女の生真面目な性格がそれを許さない。
もう少しだけ粘ってみるかと半目になりながら思っていると、厨房に行っていたレイラが戻ってきた。
「どう? 満足してくれた? ……あ、えーと」
「……そういや私の名前をまだ言ってねーですね。リディアです。私の方が年下でしょうし、呼び捨てで構わねーですよ」
「んじゃあ、よろしく。リディア。それでさ、ちょっとお願いがあるんだけど……いんや、取り引き、って言った方がいいかな?」
「?」
「さっきの話、ちょっと聞いたよ。アンタの探してる人の情報、アタシもダチの伝手を使って集めるから―――その間だけ、アタシを守ってくれないかな?」
「それは……あのマフィアどもから、って事でやがりますよね」
そう再確認すると、レイラは一つ頷いた。
「会ったばかりのアンタにこんな頼みをするのも虫のいい話だってのも分かってる。だからアンタの都合が悪ければ聞かなかったことにしてくれてもいいし、アタシとしてもそんなに長期間護衛を頼むつもりはないからさ」
「……私はカグ―――その人の居場所さえ分かりゃ後は別にどーでも良いですが、レイラさん、貴女はいつまで奴らから逃げ回れば良いんで?」
問題は、そこだった。
身を潜めるにしたって、この然程広いわけでもない街の中に居ればいつかはバレる。関係を断ちたいのであれば、それこそ別の街にでも逃げるのが一番手っ取り早い。
だが聞く限り、レイラはその手段を取るつもりはないようであった。
「アタシ一人が逃げたところで、アタシが関わった人達に迷惑かかるだけだからね。どっかに雲隠れだけして自分一人だけ助かろうなんて、そんな不義理な真似はできないさ」
「…………」
「だから、クソ親父が何処に行ったかを突き止める。アイツらもそれさえ分かれば、アタシみたいな小娘への興味なんて消えるだろうしね」
「それまでの時間稼ぎでやがりますか。でも、私が役に立つかなんて、そんなの分かんねーですよ」
「分かるよ。アタシも一応この街の住人だからね。お忍びで来てる猟兵とか見てると、なんとなく分かるんだ。―――アンタ、相当の手練れなんだろう?」
その評価に対して、リディアは頷きもせず、さりとて否定もせず、ただ食後の一杯として出されたコーヒーを黙って啜った。
ラクウェルという街の独特な雰囲気は、そういった要因も関係してくる。
混沌とした場所だからこそ、猟兵団のような普段は表に出ないような連中の駐屯場所としても使われる。リディアが探っただけでも幾らか、そういった雰囲気を漂わせる者達は確かにいた。
とはいえ、一流クラスの猟兵団であれば、任務でもない限り
しかし、リディアとしても時間を潤沢に使えるわけではない。”作戦”の時間は刻一刻と迫っているし、その時に間に合わなければ合流を優先しろとの命令も受諾している。
だが、一度関わってしまったからには区切りがいいところまで付き合うのもまた義理というものだろう。少なくとも彼女は、師からはそういう風に教わっていた。
どうしたものかと悩んでいると、レイラははっとしたような顔になって声をかけてきた。
「ごめんね、急にこんな話してさ。今日はもう遅いし、ウチで泊まって、返事は明日でいいから、ね」
そう言うとレイラは、申し訳なさそうな顔をしたまま再び仕事へと戻っていく。
はて、そもそも宿泊施設ではないこの場所に泊まってもよいのかと、主であるモーリーに訊くと、「空き部屋はあるから好きに使って頂戴」というお許しは頂けた。
しかしまぁ、随分とサバサバとした女性だなと、リディアは改めて思った。
どことなく遊び人のような雰囲気を最初は感じたが、『デッケン』で接客や皿洗いなどをこなすその姿は真面目そのもので、必要以上に悲観的にならず、自分がこれから成すべきことをしっかりと考えている。
そして、リディア・レグサーという人間の力量をあの一時だけで計り、「自分を守ってくれるに足る存在」だという事を見抜いた上で護衛を頼み込んでくる強かさもある。―――正直自分が関わらなくてもどうにか出来てしまうのではないかと思うほどには。
「急に色々あってアンタも疲れただろう? コーヒーの後で申し訳ないけど、コイツも飲むかい?」
そうして、モーリーが持ってきてくれたホットココアの入ったカップにも口をつける。
コーヒーとは違い、ふんわりとした生クリーム入りのチョコの味にゆっくりと舌鼓を打っていると、不意に穏やかな声が下りてきた。
「すまないね、あの子が色々と頼んじまって。……でもまぁ、悪くは思わないでおくれ」
「……モーリーさんは、事情を知ってるんですか?」
「まぁね。あの子の両親が、まだ物心つく前のあの子を連れてこの街に流れてきた時からの知り合いさ」
「流れてきた、という事は以前は別の国に?」
「あぁ。十数年前に帝国に流れてきた、ノーザンブリア移民団の一員だったのさ」
―――その国の名前を聞き、リディアの双眸が一瞬だけ細められた。
ピリッとした緊迫感が刹那の間だけ漏れ出て、しかしそれを自覚した彼女自身によって鎮められる。
「ノーザンブリア、ですか」
「そう。アンタも聞いたことくらいはあるだろう? 26年前、未曽有の”大災害”に遭っちまった国のことくらいは、さ」
七耀歴1178年7月1日午前5時45分―――旧ノーザンブリア公国首都ハリアスク近郊に突如として出現した《塩の杭》を発端として広がった《ノーザンブリア事変》。
「触れれば忽ち塩に変貌する」という謎の存在に蝕まれたノーザンブリアは、事変直後に国の王であるノーザンブリア大公が他国に亡命した事で急速に存亡の危機に陥った。
元より自然の恵みが豊かとは言い難い北国を襲った不幸は、多数の餓死者と凍死者を出す未曽有の大災害を引き起こした。
26年が経った今でも自治州となったその土地の復興は為されているとは言い難く、外貨の取得を猟兵団《北の猟兵》の働きに頼らざるを得ない状況である。
その為、難民として他国に逃れる者も少なくなく―――事実レイラとその両親はそうしてエレボニアへと流れついたのだろう。
「……あんま聞いちゃいけねー事だとは分かってますが、その、レイラさんのお母様は……」
「元々、体が丈夫じゃなかったみたいでね。此処に流れ着いてから少しして、流行り病で逝っちまったのさ」
移民”団”という体裁は取っていたと見えるが、その実は恐らく難民がバラバラに最低限纏まって押し寄せてきただけなのだろう。
基本的に難民の扱いというのは難しいものであるため、大国であっても表立って多くを受け入れようとはしない。東方の移民を多く受け入れたカルバード共和国であっても、その政策が現在に至るまで問題の火種となっているために近年は移民の受け入れを断っている有様だ。
恐らく彼女の両親も、帝国の色々な場所を彷徨い歩いた果てに、このラクウェルに辿り着いたのだろう。幼い娘を育てる場所を渇望して。
「あの子の父親も……良い男だったんだよ。嫁と、娘を何より愛していてね。嫁が逝っちまった後は、娘を男で一人で育てていたのさ」
「でも聞く限りでは、お父様はマフィアの一員であったよーですが」
「……色々と危ない橋を渡っちまってたみたいでね。アタシも詳しくは知らなかった。知った時には、もう遅かったのさ」
「…………」
リディアは、それから数分黙った。
普段の彼女であれば、そのお人好し具合が変な方に働き、何だかんだで快諾していただろう。後腐れのない、後悔のない選択をこそ、彼女は好むのだから。
だがそんな彼女が、すぐに答えを出すのを渋った。彼女の胸のうちに眠る複雑な感情が、了承を止めていた。
レイラの力になってやりたい、とは思っている。彼女に協力することでカグヤの居場所を掴む手掛かりになるのなら、尚の事受けるメリットはある。
しかし―――それでも―――……。
「(いや……レイラさんは
リディアはその言葉を脳内で反芻し、深呼吸を一回すると、接客を終えたレイラを呼び寄せた。
「引き受けます。レイラさんは私の探し人の情報を集め、私はレイラさんの護衛をする。それで問題ねーですね?」
翌日、レイラに連れられてやってきたのは、入り組んだ裏路地を進んだ先にあった一軒のバーであった。
バーといっても、一見の客が入れるような場所ではない。それは格式が高いというわけではなく、むしろその逆だ。
「んぉ? おー、レイラじゃねぇか‼ オメェ最近見なくなったからとっくにどっか行っちまったかと思ってたぜ」
「久し振り、サルーダ。アンタまだココの表番やってたの?」
「まぁな。こんなガタイだからよ」
荒れた外見の店の前に立っていた、2アージュ近い大男にフランクに話しかけたレイラは、その流れでリディアの方を振り向いた。
「あ? 何だこのガキ。ココはガキが来て良い場所じゃねぇぞ」
「あ”?」
「おおぅ……割とドスの利いた声も出せるんだねアンタ。サルーダ、彼女はアタシの知り合いさ。ちっこくても、マフィアの奴らから軽く逃げ切れるレベルには手練れだよ」
「マジかよ……ま、オメェがそう言うんなら信じるがよ」
悪かったな、と、全身の至る所にタトゥーを入れた色黒の大男が謝ってくる様は中々驚けるものであり、そのギャップに免じて自分をガキ扱いしたことは許した。
とはいえ、外見の恐ろしさで言えば先達の《執行者》―――《痩せ狼》ヴァルターと比べればまだまだであったが。
そうしてレイラは、重々しい鉄の扉を開け、建物の中へと入る。
目に悪そうな照明がいくつも輝き、耳が割れんばかりの音量の音楽が反響しているその様は、典型的なまでの不良グループの巣窟といった有様で。しかし一瞥した限りでは人道に反した行為に手を染めている者はいない。明らかに未成年の人間が昼間から酒を呷っているのを見逃せば、だが。
レイラが向かったのは体裁を保っているバーカウンターの奥。そこで肩肘を突きながら琥珀色の液体が入ったグラスを弄ぶ青年の下。
レイラがその青年に近寄って一言二言声をかけると、怠そうにしながらも立ち上がり、リディアが待つ場所へと歩み寄ってくる。
恐らくはこの青年がこのグループのリーダーなのだろうなと思いながら近寄ってくる青年の姿を凝視し―――そして目を見開いた。
「んぁ? ンだよ、俺の顔に何か付いてんのか?」
その青年の髪の色は見間違えようもなく―――亡き師の髪色と同じものであったのだ。
お久しぶりです、十三です。
長らく投稿できずにいて申し訳ありません。以前投稿したときに「次はリディアの話をしまーす」なんて調子こいていたことを、一体誰が覚えていらっしゃるのでしょうか?
4月末に祖母が急死し、ドタバタしながら葬式を済ませ、そしたら大学1年から連れ添ったノートPCがぶっ壊れ、先日漸く新しいPCを買う事ができました。
いやぁ、4月の忙しさナメてましたね。入ってきた新人君たちは思っていたよりも覚えが早かったので助かりましたが、自分の仕事が増えたのが辛い。2年目は怖いですね。
この調子だとこの小説がⅡに入る前に閃Ⅳが出るなコリャ……イヤベツニ公式設定ガ欲シイッテダケデワザト遅ラセテイルワケジャナイデスヨ?
と、ともかく次もリディア回です‼ なるべく早く投稿できるよう努めさせていただきます‼ ところでリディアのイメージCVがどう足掻いても悠木碧さんになる僕でした‼
PS:アキレウス出なかった(*´Д`)