「正義を振り翳す人は鬱陶しいけど、正義であろうと頑張る人は愛おしいのです‼」
by 宮本武蔵(Fate/Grand Order)
「面を上げると良い。トールズ士官学院、特科クラスⅦ組の若者たちよ」
その声は威厳に満ちていた。
しかし、一様に片膝を立てて跪く彼らを戒め、叱責する類のそれではない。重みを確かに感じさせながら、それでも彼らに対する慈愛を滲ませていた。
だが、自然体のままでも醸し出される覇気は、間違いなく”国”という巨大な存在を背負う者にしか許されない
支配者ではなく君臨者。自分たちがその場で害されることがないと分かっていながら、しかしリィン・シュバルツァーはすぐに動くことができなかった。
リィンだけではない。アリサも、エリオットも、ラウラも、マキアスも、エマも、ユーシスも、クロウも、揃ってその”圧”に屈していた。
普段から鷹揚な自然体を崩さないガイウスや、こういった礼儀作法に頓着しないフィーやミリアムですらも、この場で軽はずみな行動をしてはならないと本能的に察していた。
そんな中で、全てを理解した上でいち早く、しかしゆっくりと顔を上げる。
その表情は笑んでいた。しかしいつものような挑発的なそれや、意地の悪そうなそれではない。
品性を感じさせるような柔らかな笑み。普段は少なからず意図的に醸し出している戦意や闘気をこの時ばかりは完璧に抑え込み、ただの年相応の振る舞いをしている。
……否、この表現には語弊がある。
本当にただの年相応の少年であるならば、他の面々と同じように顔を上げるタイミングが遅れていただろう。
王族との謁見の作法というものは、導力革命以降近代化された文明の中でも形骸化はしていない。
更に言えば、エレボニアは未だ貴族の権力が強大な国である。それらが戴く皇帝陛下の前で粗相をしようものならば、この国でどういう扱いを受けるかなど火を見るよりも明らかだ。
無論、玉座に座る壮年の男性―――エレボニア皇帝、ユーゲント・ライゼ・アルノールはそこまで狭量な存在ではない。
その程度の事で若い芽を潰そうなどという事は全く考えておらず、そもその程度の事は非礼とすら認識していない。
だが、他の一部の貴族らは違う。自らが皇室に絶対的な忠誠心を抱いていると
貴族界とはそういう場所だ。それが分かっている者から順に、分かっていない者もそれに倣うように面を上げた。
―――玉座に座す
皇帝の傍にはエレボニア皇帝正統継承者、セドリック・ライゼ・アルノールが立ち、それから少し離れるように、皇女アルフィン、そしてオリヴァルトが佇んでいる。
皇族が揃い座すという、本来であれば夏至祭の間、それも遠目でしか叶わない光景に、息を呑む一堂。そんな彼らを前にして、皇帝ユーゲントⅢ世は言葉を紡いだ。
「そう畏まり過ぎずとも良い。本日諸君らを皇城に招いた理由は堅苦しいものではないのだからな」
「……寛大なお言葉、承りました。我々一堂、未だ浅学の身であります故、申し訳ありません」
緊張を押し殺したリィンの声が謁見の間に染み渡る。
成程、この程度の度胸による感情の上塗りはできるようになったか、などと思いながら、レイもまた皇帝から視線を離さない。
流石に、この状況で不躾に視線を動かすような真似はしない。その程度の常識は弁えている。
まぁ、
元々、Ⅶ組一堂がこの度皇城バルフレイム宮に招待された理由は簡単なもので、先月のルーレにおけるザクセン鉄鉱山奪還の功績を認められた末の謁見である。
貴族も平民も、前歴すら関係なく集まったこの特科クラスⅦ組という組織が皇族から直接謝辞の言葉を賜るのはとても名誉なことであり―――結果としてクラスの発足に関わった
落としどころとしては適当な所であり、これならばルーレで死にかけた甲斐もあるというものである。尚、オルディスに赴いたB班の面々も例外なくこの謁見の場に跪いている。
あちらもあちらで割と死にかけていたのである。これくらいの褒美がなければならない。校外学習の一端とは言え、働きに相応の報酬というものは必要だ。
とはいえ、一介の士官学院生に地位や金銭を褒美として賜らすのは体裁的にも宜しくはない。という事で実際皇帝陛下から賜ったのは―――温泉郷ユミルでの小旅行という褒美であった。
ユミル―――帝国北部ノスティア州の中でもアイゼンガルド連峰に面した山岳地帯の一角に存在する街。
お世辞にも交通の便が良いとは言えない、言ってしまえば田舎町だが、小規模ではあるものの、その土地は皇帝家と縁が深い。今回その場所での湯治を薦められたのが証拠でもある。
温泉、と聞いてレイが思い出すのは、新米遊撃士としてリベールにいた時に赴任していたツァイス地方郊外にあるエルモ村の『紅葉亭』という温泉宿だ。
地方の温泉宿特有のゆったりとした雰囲気が好きで、暇を見てはよく通っていた事もある。……稀にツァイス名物「ラッセル家の傍迷惑」に巻き込まれて被害を被ってはいたが。
懐かしい記憶を思い出してクスリと笑ってしまいそうになったのを抑える。此処は御前、僅かな所作の乱れも許されない。
―――実際、エレボニア市民ではないⅦ組メンバーには、本人たちが不快にならないレベルに抑えた上で警戒の視線が向けられている。
恐らくその警戒にはフィーも気付いているだろう。だがそれを不快だとは思わなかったし、寧ろ当然であるとすら思えた。
理由はないのだとしても、元S級猟兵団の
例え限りなくゼロに近い可能性であったとしても、それを確実に潰しに来る仕事ぶりに感心すら覚えるほどだ。
《皇室近衛隊》―――あらゆる貴族軍の中でも最精鋭が集うというその看板に偽りはないという事を実感させられる。
視線を巡らせずとも、その精強ぶりは掴み取れる。ざっと探っただけでも”準達人級”の使い手が珍しくもなく、隊長格に至っては”達人級”もいるだろう。その中でも、特に強い覇気をレイにだけ向けて来ていた男がいた。
「(《皇室近衛隊》総隊長、《煉騎士》ガラディエール・ヴラウ・ウィトゲンシュタイン―――《光の剣匠》、《雷神》と並ぶ帝国の守護神か)」
恐らくは”達人級”の中でも最上格。レイが本気で挑んで、「勝てる」確率は4割がいいところだろうか。
この謁見の間に入った時、その姿は確認している。ヴァンダイク学院長に匹敵する巨躯と、その二つ名に見劣りしない燃えるような赤髪と赤髭。歳は50を過ぎているだろうが、感じられる覇気はそれだけで常人ならば失神しかねないレベルで”重い”。
彼の警戒は、最初からレイ・クレイドル一人にのみ向けられていた。彼もまた”達人級”としてレイの強さを過小評価せず察した結果、「1人であっても抑え込める」彼がレイを警戒することになったのだ。
敵意があるわけではない。殺意を向けているわけでもない。だとしても、互いの力量の探り合いなどその程度で充分だった。
レイはまた一人、この帝国で自分を上回る存在を見つけ、ガラディエールはこの少年がアルノールに仇為す存在にならないことを望んだ。―――ただそれだけの事である。
そんなレイの”戦い”などお構いなしに、謁見は終了した。
未だ振るえそうになっている足をどうにか動かして謁見の間から退室し、近衛隊の人間に案内された一室に入った瞬間に溜まっていた息を吐き出す面々。謁見する前から過度の緊張で腹痛が止まらなかったエリオットなどは、ソファーに腰かけて真っ白な灰となっていた。
「陛下へのお目通りが叶ったのは随分前の事だが……慣れんな」
「ユーシスでさえそうなら、僕たちが緊張するなって方が無理だよー……」
「まさしく、賢王の雰囲気でしたね……王妃様もお美しくて、思わず見惚れてしまいそうでした」
「そうだねー。ああいうの、ちょっと良いなーって思っちゃうなー」
「……意外。ミリアムも、そう思うんだね」
「むー、何さ、フィー。ボクだって女の子なんだよ? そうでしょー、ユーシス」
「ハッ(嘲笑)」
「……ガーちゃ―――」
「それ以上はいけない」
段々と本来の調子を取り戻してきた面々を見ながら、レイもソファーに腰かけた。
ふぅ、と一つ息を吐くと、隣で出された紅茶に口をつけていたリィンが少しばかり驚いた表情をする。
「意外だな。レイでもこういった場はやっぱり緊張するのか」
「馬鹿言え。確かに皇帝陛下の
毎回相対するだけで死の可能性が付きまとうプライドの高い存在と比べてしまえば―――賢王であるだけの皇族のプレッシャー程度ならばどうにもできる。
だが流石に、それを言葉にするのは不敬が過ぎる。それくらいは理解していた。
「それにしてもユミルでの静養か。……ユミルと言えば、リィンの故郷だったか」
「そうですね。温泉郷ユミル、とても風光明媚な場所だと聞いています」
「はは、辺鄙な田舎ではあるけどな。でも、うん、良い場所だよ。育った俺が保証する」
「アイゼンガルド連峰……猟兵団の訓練で行ったことがある。冬は本当に寒い」
「そなたの口から出る思い出話は基本物騒なものしかないな……」
「多分レイよりはマシ」
程度はどうあれ、学院の授業が免除されて行く慰安旅行だ。全員が全員、期待感のようなものを抱いている。
とはいえ、ただゆっくりするだけで終わるわけではないだろう。学院際の出し物の準備も、そろそろ詰める頃合いだ。
「リィンの、故郷……」
「? どうしたのだ、アリサ」
「バッカ、察しろよラウラ。待ちに待った恋人の御両親との初対面だ。そりゃ緊張しなきゃ嘘だろうがよ」
「そ、そうか。大丈夫だアリサ。器量良しなそなたならきっとリィンの御母堂も気に入ってくださる‼」
「唯一の先輩が情緒とか完全に無視してる件について」
「レーグニッツ、後でこの調子者の尻に模擬弾を叩き込んでやれ」
「最近君は本当に僕に責任を被せるのが日常的になって来たな……‼」
「アリサが百面相してるー。アッハハー、おもしろーい♪」
「ミリアムちゃん、ちょーっと静かにしておいてあげましょう? ね?」
眺めていてやはり面白い光景を見ながら笑いあっていると、ふとレイの
着信先は、見なくても分かった。相手もそれは分かっているだろうと思い、通話終了のボタンを早々に押して立ち上がる。
「悪ぃ、ちっと野暮用だ。先に帰っててくれても構わねぇよ」
「……そうか。いや、いいよ。そう長い話にはならないだろう? だったらもう少しだけ、此処でゆっくりさせてもらうよ」
そう言ってリィンは、軽く手を振ってレイを送り出す。それに倣うようにして他の仲間たちも、特に深入りする様子もなく彼を見送った。
……何も思っていないわけではないのだろう。ただそれでも、信じて送り出して貰えているのならば、それに見合う事はしなくてはならない。
そう改めて決意して部屋の外に出ると、以前皇城に来た際に見た事のあるメイドに案内され、数分ほど豪奢な内装の中を歩き続けた。
そして退屈さに負けて二度目の欠伸を噛み殺した頃、目的の部屋へと案内された。今回ばかりは流石に《天津凬》も相異空間に押し込むでもなく普通に預けているので、ボディーチェックなどもされずに普通に通される。
……それはどうなんだ? と思わないのかと言われれば嘘になる。元はと言えばあちらが招いたとはいえ、この部屋の中にいるのは一応相当な貴賓なのだから。
「…………」
ピアノの音がした。優麗な音が奏でられていた。
その曲は壮麗で、時に壮大で、しかしどこか哀しいそれは、
「ベルベット=グラフナー作『正義の道程』か。お前に皮肉を伝えられるとはな」
「いや、違うとも。少なくとも僕は、君にこそこの曲が相応しいと思う」
鍵盤を弾く手を止めて、オリヴァルト・ライゼ・アルノールは彼を出迎えた。
その態度こそいつものように飄々としていたが、しかしそれでもその言葉に冗談じみた色はなかった。
となればいつものようにキツいツッコミをかます訳にもいかず、小さく溜息を零してから先程の部屋のよりも数段豪奢なソファーに腰かけた。
「お疲れさまだ。陛下も感心しておられたよ。未だ若い身で肝が据わっている頼もしい若獅子達だと」
「そりゃどーも。……普段サラや俺がアイツらにぶつけている覇気と、陛下の”それ”はまた別物だ。良い経験になったろうさ」
そう言ってレイは、対面に座ったオリヴァルトを眺める。
皇族の一員らしく、深紅の貴族服に身を包んだ礼装姿。黙っていれば、この男も皇族の雰囲気を纏うに相応しい存在なのだ。普段の言動がアレでさえなければ。
「はは。ルーレで命を賭けてくれた君達に対して、という点であればこの程度では褒美として軽すぎると思っているんだけどね。名目上士官学院の学生であるから、そこまで大仰には出来なかったのさ」
「金銭面で困ってるわけでもねぇし、大層な称号なんざ、貴族組ならまだしも俺らは貰っても困るだけだ。休みを貰えたのはむしろありがたい」
「そう言って貰えると助かる。―――とはいえ、窮屈な思いをさせてしまったのは謝るよ。特に君には、ね」
「……何だ、やっぱ気付いてたのか」
謁見の際に僅かに摩耗した精神力は、今では既に回復している。寧ろ、帝国最強クラスの武人の覇気を
「サー・ガラディエール……アレも大概バケモノの領域に足突っ込んでる武人だな。ヴァンダール流総師範《雷神》マテウス・ヴァンダールと並んで皇室の双璧か。ゾッとしないねぇ」
「僕が言うのもなんだけど、あまり悪く思わないでほしい。あの人の皇室への忠誠心は絶対だが、帝国貴族として模範的な人物なんだ。決して悪感情で君を
「分かってる。分かってるさ。少しでも皇族に害為す可能性がある不確定要素を牽制していただけ。そういう忠誠心、嫌いじゃないし」
皇帝ユーゲントやオリヴァルトと言った、皇族個人に仕え、そして護る事を使命としているのがヴァンダール一族。
対して《皇族近衛隊》は、<アルノール>という皇帝一族を守護する為に編成された組織。練度という点で見るならば最精鋭。
どちらも、エレボニアを統べる者を護る盾にして剣。武人であり、そして騎士でもある忠義の
決して自分にはできない生き方だからこそ、それに憧れるところもある。武人として武を振るうだけならばまだしも、ただの一人を主として定め、それを生かす為に戦い、死んでいく生き方など。
「ああいう手合いとは死合いたくねぇモンだなぁ。―――まぁ今の俺には元より、敵を増やす余裕なんてないわけだが」
「…………」
「さ、本題に入ろうぜ放蕩皇子殿。いつも通りの悪巧みの時間だ」
―――*―――*―――
いつも通りひょうきんな先輩として後輩に弄られ、明るく談笑をしながら―――しかし心奥の思考は切り離していた。
その思考はトールズ士官学院特科クラスⅦ組のクロウ・アームブラストとしてのものではなく、《帝国解放戦線》リーダー、《C》としてのもの。即ち、外道を是とした男のそれだ。
ルーレでの一件を評価されて皇城へと招聘された―――それはまだいい。今現在、自分の正体を知っている貴族は限られている。少なくとも、皇族には顔は割れていない。
彼が僅かに―――それこそ観察眼には定評があるアリサとユーシスにすら悟られない程度に眉を顰めたのは、このタイミングでレイ・クレイドルが単独行動を取ったことである。
とはいえ、あちらも此方が警戒を抱いているというのは承知だろう。互いにどういう人間かを理解した上で、今のところは泳がせている関係だ。
それに正直クロウ自身も、彼が今更何かを企んだところでどうにもならないという事を察していた。
ルーレでは《結社》の第四使徒イルベルト・D・グレゴールの乱入により予想外の展開が生まれてしまったが―――それでも現状《貴族連合》による計画に狂いはなく、
よしんば運命を覆す程の奇策が用いられたとしても、協力者である《結社》の面々は小細工を地力で粉砕する絶対的な力を持つ集団。テロリストとして後悔も恥も捨て去ったはずのクロウであっても冷や汗が止まらない程の戦力がエレボニアに集おうとしているのだ。
例え彼と、そして今会っているであろうオリヴァルト・ライゼ・アルノールが共謀したところでどうにもならない―――単純にそう言い切れれば、どんなに楽だっただろうか。
彼自身、
だが、向上心によって自身の破滅の運命さえ覆した彼が、不向きであるという理由だけでそれを蔑ろにするだろうか? 否。
曰く、既に『理』の扉に手を掛けている彼ならば、既に盤上を見据える采配師の心得を見つけていてもおかしくない。不世出の辣腕、カシウス・ブライトが遊撃士協会に対して協会規定を無視してまで推薦したほどの才覚の持ち主。年齢制限にさえ縛られていなければ既にA級に達しようかという実力は嘘ではない。
厄介な相手だ、という事は初めから分かっていた。
妙な手を打たれる前に退場してくれればありがたかった。……それこそ命までは奪わずとも、数か月は戦線に復帰できない程の傷を負えば、と。
だが彼は切り抜け続けた。宿命の相手、ザナレイアとの2度に渡る死闘も、異能持ちの使徒との立ち合いも。
死線を潜り抜け、武人としての在り方、己が真に在るべき姿を確立させていくその姿は、正直羨ましくもあった。
しかし彼とて、エレボニアという国のために戦っているわけではあるまい。顔も声も知らない者のために戦えるほど器用な人間ではないことは知っているし、何よりそういった人全てを救おうなどという青臭い理想論を抱き続けているとも思えない。
だが、それでも何だかんだ言いながら……目の前で助けを求める存在を無視できないのがレイという少年の持つ善性だ。救えるならば救うだろうし、見捨てる事になったのだとしても、その後悔を抱き続ける強さがある。
―――そこを突くのならば、今の彼を排除することは比較的容易い。
後悔を抱かせ、背負わせ、その重荷が彼の精神を磨り潰してしまうまで傷つけ続ければ、そして彼が復讐鬼に堕ちる前に殺す事ができれば―――当面の脅威は排除できる。
しかし幸か不幸か、或いはクロウという青年が根本までは悪に染まり切れない性格の所為か、その非道を選択することはできなかった。
それに、そのような方法を取れば、彼以上に厄介な存在を一斉に敵に回しかねない。それでは意味がなく、ともすれば状況を更に悪化させる。
たまに、ふと思う事がある。
それを思うのはいつだって平穏な時間のひと時だ。Ⅶ組の教室の片隅で椅子に腰かけながら、窓から差し込む木漏れ日に身を委ねていると、たまに気が緩む。
コイツらと一緒にただの学生であったのならばどれほど楽しかったのだろう―――と。
「……クロウが難しい顔して黙り込んでる」
「珍しい事もある。明日はシルバーソーンでも降ってくるんじゃないか?」
「いや、来週の帝花賞の事でも考えてるんだろう。数日前から新聞の前でしかめっ面してたからな」
「本気で単位足りてない学生が考える事じゃないわね……」
「勉学を疎かにしていると相当に厳しいエマの特別授業が待っているからな」
「クロウもボク達と同じ目に遭えばいいよぉ~」
……些か奔放に振舞い過ぎたせいで平時は先輩を先輩と思わない口振りが増えてきた
生まれも、育ちも、身分も、考え方一つ取ってみてもバラバラな連中がここまで纏まって今まで戦い抜いて来れた理由。否、主柱となったのはリィン・シュバルツァーという青年の在り方だろう。
レイ程の武人としての強さは持ち合わせていないが、例え挫折しても前を向き続ける精神と人を信じ続ける心意気、「この男なら信じられる」と思わせられる雰囲気を醸し出せるのは、一種の天性のカリスマだろう。
その点に於いては、レイも「叶わない」と憚ることもなく告げていた。リィンが持ち合わせる、人を惹きつける”光”は、間違いなく彼自身が持つものだと。
複雑な心境ではあった。
リィンはクロウにとっても面白い後輩だ。当初は真面目過ぎる言動が目立っていたが、良い意味でも悪い意味でも自分と同じくらい自由奔放な友人に感化された所為か、最近は随分と砕けてきた彼と―――戦わなければならない。
彼の傍に”魔女”が着いているのはそういう事だ。運命が正しく回っている限りは、この二人は戦い合う運命にある。
そう遠くないであろう”その時”を考えて僅かに陰鬱になる事を否定はしない。だが、クロウはその感情に任せて足を止めようとは思わなかった。
既に多くの同胞たちを見送った。”《鉄血宰相》を斃す”というただ一つの目的のために集った、命を惜しまぬ同胞たちを。
それらの責を、彼は背負っているのだ。それを果たさずに自分だけが安穏とした日々を享受するのは許されないことである。
それに、”彼女”との約束もある。
それは、それだけは決して破ってはならないものだった。テロリストとして生きることを決め、非道に手を染めた外道に堕ちた身であったとしても、それだけは。
幼い時に交わした約束だ。彼が生まれ故郷を離れる時に一つだけ残した楔だ。
”彼女”が戦い続ける限り、自分もまた戦い続ける。”彼女”が斃れたその時は、自分もまた斃れる時だ。
その鉄の誓いを脳内で反芻していると、いきなり背後から声がかかった。
「おいっす、お待たせ。話し終わったから帰ろうぜー」
「っと、意外と早かったんだな」
「他愛もない世間話で終わったからなぁ。……ま、途中で他の話し相手もできたんだが」
「?」
「何でもねぇさ。ホラ、ずっと此処に居たら仕えの人達にも迷惑だ。……つーかフィーにミリアム、どんだけ用意された菓子食い漁った?」
「おいしかった」
「いっぱいおかわりしたよ‼」
「
「えっと、その……美味しかったもので」
「同罪かよ」
どこか呆れたような息を吐くレイを見ながら、リィンを先頭にして次々と応接間から退室していく。
それに続くようにクロウも退室しようとすると、不意にレイに制服の袖を引っ張られ、強引に振り向かされる。
「安心しろ。俺は、お前が考えるほど強くはない」
そうして、囁くように言う。
「あぁ、それと。勘付かれないように
伝えたかったのはそれだけだと言わんばかりに、レイはすぐに退室した。一人残されたクロウは悔しさを感じるでもなく、薄く笑うしかできなかった。
「何が”交渉事は苦手だ”だよ。食えねぇ後輩だぜ」
せめてもの仕返しだと、自分の指で形作った銃の先をその背中に向けてから、彼もまた後を追った。
―――*―――*―――
「あぁ、今日もとても楽しいひと時だったわ♪」
常に宝石の輝きにも勝る笑みを浮かべる少女が、いつもよりも遥かに嬉しそうな声色を奏でながら豪奢な廊下を軽いステップを刻みながら歩いていく。
「アルフィン、あんまりはしゃぐと転んでしまうよ」
「あらセドリック、そういう貴方だって嬉しかったクセに。ふふ、何と言っても初めてできたお友達ですものね」
「……からかわないでよ」
少しむくれたような表情でそう言いながらも、エレボニア帝国皇位継承権第一位―――セドリック・ライゼ・アルノールは姉に自分の心境を見破られたことが嬉しかった。
事の発端は、彼らの兄であるオリヴァルトがレイと話をするという事を伝えてからである。
万が一にも”悪巧み”中の話を聞かれてはならないという彼なりの配慮であり、彼を訪ねるのならば話が終わってからにしてくれと頼んだのだ。
アルフィンはどちらかと言えばリィンがいる応接間の方へと足を運びたかったのだが、彼が皇帝との謁見で気疲れしているだろうという事と、謁見直後という事で監視の目が厳しい今、それを掻い潜ってひっそりと会いに行くのが流石に難しかったからでもある。
その点レイに会うのならば「お兄様に会いに行く」という名目だけで事足りる。幸い傍仕えのメイドはレイがクレアと帝都デートをした際にもいた面子なので、そこさえクリアーしてしまえば自由に行動するのは容易い。
愛しの殿方に会えないのは些か残念ではあるが、今回会えたのも大切な、彼女にとっては数えるほどしかいない「アルフィンとして接する事ができる友人」の一人である。
そして、引っ込み思案で自分以上に「皇族」の額縁を飾られている弟の初めての友になってくれた人でもある。感謝しこそすれ、会うのを躊躇うはずがない。
「それにしても、良かったわねセドリック。レイさんが貴方の申し出を受け入れてくれて」
「……うん、良かった。今まで父上や母上、兄上かアルフィンにしか呼ばれたことがなかったから、なんて言うか、とっても嬉しかったよ」
そも、セドリックがレイと友人になったキッカケは「中性的な顔と体格なのを良いことに女装されて遊ばれている」という男として泣きたい扱いを受けていた者同士という事であった。
あの日、友達になって欲しいという願いを受け入れてくれたことは素直に嬉しかったのだが、それでもセドリックに対するレイの口調は硬いままだった。
それもそのはず。オリヴァルトの場合は本人のフランクさや放蕩さも相まって基本的に見逃されるが、彼らはエレボニアという大国を統べる皇族の一員なのである。よしんば必要以上に親しくしている姿を他者に見られようものならば、不敬罪として罪に問われることは想像に難くない。
レイとしてはそれだけを考慮したわけではなく、仮にも皇位正統継承者という身分の貴人が、経歴だけ見ればどこの馬の骨とも知れない人間と友人になったなどと知れれば、セドリックの沽券に傷がつく。
「友人になって欲しい」と言われはしたが、一時の気の迷いですぐに忘れるだろうと、セドリックに対して最大限気を遣っている上での対応だったのだが、当の本人はそうは思っていないようだった。
アルフィンという少女にとって、無二の友であるエリザ・シュバルツァーがそうであるように、ある意味での孤高を強いられる皇族の人間にとって、「友人」という存在は非常に重い意味を持つ。
「取り巻き」ではなく「友人」。「皇位継承者」という肩書きではなく、「セドリック」という一人の人間を見てくれる存在。
彼は確かに内気な所がある少年ではあったが、その分、自分に向けられる感情には敏感だった。
だからこそ気付いた。レイ・クレイドルという少年は、自分が生まれたその時から抱え続けている「皇位正統継承者」という肩書きに
―――事実、その考えは的を射ていた。
レイは強かではあるが、本質的に価値観に縛られることを好まない。《結社》に居た頃から多様な価値観を植え付けられ、脱退してからは様々な場所、様々な相手と出会い、別れてきた放浪者でもあった彼にとって、人は揃って「唯一人」というところから人柄を見る。
故に、あの日友人になってくれと言ってきたセドリックの言葉が「唯一人」の願いであることを察した彼は、形だけでも受け入れたのだ。
だからこそ今回、セドリックが頼み込んだその言葉に、レイは頷かざるを得なかった。
『…………分かった分かった。降参だ。正直俺ぁ、そっちがそこまでの考えで迫ってくるとは思わなかったよ』
『ま、こっちは一応人の気配には敏感だ。ボロが出ないように上手くやるさ。―――んじゃ、ま。これからも宜しくな、
―――誰もいない時だけでいいです。
―――この話を知っている者たちがいる時だけでいいです。
―――僕と、
―――貴方が繕う必要はありません。本当の友達は自分の意思で決めるものだと、そう兄上は仰っていました。
―――だから僕は、僕の意思で最初の友達を決めます。どうか、よろしくお願いします。
そのセドリックの言葉を、レイは了承したのだ。砕けた口調で話しかけてきた時にセドリックは人目を憚らずに破顔して―――その表情を当然のようにアルフィンにカメラで連射されていたが。
「これは後でお母様にも見せなきゃね♪ お母様との共同制作のセドリック成長アルバム集がまた1ページ埋まるわ」
「え? ちょ、何それ。僕そんなの知らないんだけど⁉」
「それはそうよ。今初めて言ったもの。今まで色々な写真を撮って来たけれど、今回のは今までで一番良いものだわ♪」
まさかそのアルバム集に自分が今まで玩具のように弄り倒されて着させられた女装写真も飾られてるんじゃ……という事を敢えて考えないことにしたセドリックの肩を、オリヴァルトがポンと叩く。
「まぁいいじゃないか。僕としても可愛い弟に友ができたのは非常に喜ばしい。安心したまえ。彼は、君が友達だと思っている限りは自ら身を退くことはないよ」
「兄上……兄上は、レイさんと長いお付き合いなのですか?」
セドリックの眼から見れば、二人のやり取りは長年付き合いのある竹馬の友にしか罷り通らないようなものであった。
しかしオリヴァルトは、セドリックのその問いに首を横に振る。
「いや、それほど長くはない。せいぜいが一年程度さ。彼ともっと昔から親交がある人たちとは比べるまでもない」
「そうなのですか? それにしては、えっと、受け答えが……」
「それはまぁ、僕の性格が関係しているだろうね。それに言葉だけなら結構交わしているからなぁ」
「……一つ、兄上にお伺いしてもよろしいですか?」
普段、自分に対して気恥ずかしさからか何かを頼む事をしない弟の珍しい懇願に、オリヴァルトは「勿論」と頷く。
「レイさんは、”達人級”の武人なのですよね? マテウス師範やガラディエール卿と同じくらい強いという……」
「あぁ、そうだね。武人としての強さならば、この帝国でも十指には必ず入るだろう」
「あの人は、僕とそう変わらない年齢で何故……何故そこまで強くなれたのでしょう?」
セドリックは、強い男になりたいと渇望している。
エレボニアという巨大国家を背負う運命を背負わされているというのに、病弱で、内気な己を疎んでいた。大国を統べるに相応しい存在にならねばならぬと、常日頃から思っていた。
そんな彼にとって、たかだか2つか3つしか変わらないのにも関わらず、帝国十指にも入ると評価されたレイの”強さ”は羨ましいものであった。彼が憧憬の眼差しを向けているのは宰相として巨大帝国を取り纏めるギリアス・オズボーンの何者にも脅かされない不動の強さであったが、そちらの方にも勿論興味はある。
しかしオリヴァルトはその問いに、どう答えたものかと立ち止まったままたっぷり数分ほど考え込み、そして答えた。
「セドリック、これは君の無二の友達に関することだ。僕やアルフィン以外の人に他言はしないように」
「はい」
「彼は、レイ・クレイドルという少年は、幼い頃に母君を亡くしているんだ」
それは、オリヴァルトがレイという人間を知るために彼を良く知る親友―――ヨシュアから伝え聞いた話である。
彼は弱さを呪う。己が何も守れぬ弱者であることを呪う。強くならなければ生き残れず、また何も守ることができない。
母を亡くし、鉄檻の中で名前も知らない少女を見送り、そして自分を育て上げてくれた姉を亡くした。
強く在らねばをと自分自身に脅された。そうでなければまた愛する者を喪うと囁かれた。自分を形作った全てを背負い、無数の後悔を抱きながら、彼はひたすらに強さを求め続けた。
「彼は弱さは罪だと言った。だがそれは、己の弱さに対してだけだ。他人にその価値観を押し付けたことはただの一度もなかったという」
「だからこそ彼は、悲しそうな声で言ったんだ。
セドリックは、その言葉に驚愕した。
強さとは、強さだ。それ以外の何物でもないと思っていた。現に自分が憧れているオズボーンは、それを体現している。
だがオリヴァルトは、いつになく良い表情で、言葉を続けた。
「己の中の弱さと向き合うのが、本当の強さだ。その弱さを罪と定めて目を背け続けて、”無かったこと”にしてしまった自分は弱者だ―――それが彼の言い分さ」
「あぁ、僕もそれには同感した。尤も、武人ではない僕がその言葉を真に理解することはできないだろうが、それでも頷かざるを得なかったとも。弱さを理解できない人間は、強くなどなれないのだとね」
立ち止まり、俯く。
その言葉が真理であるのだとすれば、今の自分はまさしく分水嶺に立たされているのだと理解する。
このまま純粋な強さを求め続ければ、きっと、弱い自分は弱かった頃の自分を無かったことにしようとするだろう。
それだけならば、まだ良い。罷り間違って強さこそが正義などと驕る未来があるのだとすれば―――それはこの上なく、醜いだろう。
「なら僕が……僕が求めなくてはならない強さというものは、どういうものなのですか?」
「それは……いや、それは君が見定める事だ、セドリック」
その言葉に驚いたのはアルフィンだ。
何だかんだで自分同様、弟を溺愛している兄が突き放すようなことを言ったのだ。
否、それは突き放したのではないのだろう。それはいずれ帝国を継ぐ者として己自身で導き出さねばならない答え。
オリヴァルトは弟を成長させるため、心を鬼にして”答え”を言わなかったのだと。
そしてその意味を、セドリックも理解していた。
元より敏い少年である。”本物の強さ”、それが如何なるものであるのかを見定める事こそが自分の使命なのだと。
それは一朝一夕で見つかるものではない。とても難しい命題である。
しかしそれを抱えたセドリックの顔は、いつもよりも数段、”男らしい”顔をしていた。
その様子を見ていたアルフィンが、少し悲しいような、だけど嬉しいような、複雑な顔をしていたのはまた別のお話である。
どうも。好きな座は第二神座『堕天無慙楽土』。十三です。
無慙さんのあの座、クッソ格好いいと思ってしまう自分はやはり厨二病。だから何だというのか。
さて、次からお馴染みユミル帰郷編になるわけですが、ただの帰郷になるわけねぇよなぁ⁉ 別に全員に試練与えるわけでもなく、ユミルがヤベー事になるわけでもないけど、とりあえずレイ君、君には半殺しになってもらうから(確定事項)。
ところで今回でセドリック君のルート分岐したと思います? あんなイキリ皇子にならないと思います? いや、まだ油断ならない。