英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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温泉郷帰郷録 参

 

 

 

 

 

 

 

 剣速が音を超える―――それ自体は()()()()()()()()

 

 鋼が風を切る音を聞いてから反応したのでは遅い。剣先が動いてから反応したのでもまだ遅い。視線が合ってから反応したのであっても、それでもまだ遅い。

 一合目を弾く前から、数十手先を読み切る。相手の足運び、視線、体捌き、それら全てを元に刹那よりも速く相手の可能性を叩き潰す。―――それが()()()()

 

 その程度ができなくては、この存在に抗う事は出来ない。

 

 左手は未だに腰に置き、右手一本で手遊びの如く剣を振るう。

 だが、その一閃一閃が文字通り必殺。例え”達人級”の武人であっても、油断をすれば即座に命を手放す程の。

 

 

 動きは、見えていた。

 見切れる程度に手加減をしたのだろう。だが、躱すことは叶わないと悟った。無理矢理にでも躱し切ろうとすれば、肩口から心臓まで斬り抉られる未来が視えていたからだ。

 故に、剣身で受け止めた。”不毀”の属性を有する《天津凬》であれば少なくとも折れることはない。

 

「阿呆めが」

 

 耳に届いたのは、冷徹な一言。

 直後、全身が感じたのは尋常でない圧力と風。ただの一振りであったが、その一撃でレイの身体は吹き飛んだ。

 

 大木を薙ぎ倒し、巨岩を粉砕し、谷を飛び越えて崖から投げ出され―――しかしそれでもまだ()()()()()

 

 凡そ人が受けてはならない重力の暴力を一身に浴びながら、それでもレイは意識を保っていられた。

 思考を巡らせて考えているのは迎撃の算段。距離にして山二つ分ほど越えた辺りで漸く身にかかる力が弱まってきたのを感じ、刀を地面に突き立てて停止させる。

 

 そして、完全に足が地に着いたのは、数キロ程地面に刀傷が刻まれた後。急激に戻ってきた血の巡りに僅かばかり眩暈を催したが、そんなものは些事だと言わんばかりに長刀を引き抜き、眼前を睨む。

 

 

 ―――それはまるで、夜の森を駆ける獣のようであった。

 

 灼炎のような双眸が、真っ直ぐにレイを見据えて靡いている。同色の刃が、その首を刈り取らんと一直線に迫ってくる。

 

 

 

 

 

 ―――八洲天刃流【剛の型・瞬閃/鬼哭(きこく)

 

 ―――八洲天刃流【静の型・桜威】ッ‼

 

 

 

 

 剣先と剣圧を、極限まで研ぎ澄ました集中力と技量を以てして逸らす。

 眼前で散った火花が寒々しい風に煽られて消え去るまで1秒もなかった。しかし、その僅かな間に、背後の地形は一変していた。

 

 レイはカグヤの攻撃を辛うじて去なしただけだ。受け止めたわけではない。

 故に、背後に突き抜けた剣圧が、()()()()()()。一点を突き抜けた剣閃の罅は瞬く間に広がり、轟音を掻き立てて岩雪崩を引き起こす。

 

 【瞬閃】は、八洲天刃流に於ける攻撃剣術【剛の型】の中でも最も基礎となる型である。

 移動術【瞬刻】と重ねる事で目にも止まらぬ速さで一閃する―――基礎であるが故に、その威力は剣士の腕前を如実に反映する。

 

 鬼哭―――文字通り鬼が()くかの如き風切り音を鳴らしながら眼前の一切を破壊していく様は、まさにその使い手がヒトの領域を踏み越えていることを表していた。

 

 

「儂を侮ったか? 読み違えたか? いずれにせよ、悪癖は変わらんな馬鹿弟子」

 

 師の剣を、一度でも受け止めようと驕った。一太刀ならばと仰ぎ見た。

 いずれ超えるのならば、()()()()()()()()()()()()()()()。そう焦った。

 

 翼を動かしながら餌をねだる雛が天空を舞う大鷹に敵う事などないように。

 達人に至って未だ日も浅い若造が、睨み吠えて威嚇するだけならばまだしも、噛みつこうなどとは決して考えてはならない存在。

 

 抗うのならば初手から何もかもをかなぐり捨てて全力で行くべきであった。師の剣を、一太刀たりとも真正面から受けてはならなかった。

 

 事実、全身に強引に練り上げた氣を纏っているというのに、盛大に吹き飛ばされた後から動きが悪い。

 筋肉の繊維が千切れかかっているのか、それとも骨がへし折れかかっているのか……いずれにせよ、軋むような鈍痛を無視しながら、レイは一瞬で納刀する。

 

 限界まで練り上げた闘氣を刀身に纏わせる。より鋭く、より殺気を具現する形に。

 

 

 ―――《八洲天刃流》奥義。

 

 

 鯉口を切り、抜刀するまでは文字通り一瞬。鞘から刃を抜くその剣圧だけで空気がスルリと裂けていく。

 

 

 ―――【剛天・天羽々斬(あめのはばきり)

 

 

 幾百幾千にも折り重なる剣閃。殺意による圧殺。

 周囲の木々や岩壁、地面をも巻き込んで、剣戟による檻が完成する。

 

 その檻の中では、ただ無抵抗であるだけの生物は生存しえない。ただ抵抗する事しかできない生物も、また然り。

 あのザナレイアでさえ、この奥義の前には神格の異常励起を余儀なくされた。マトモに捕えられれば、例え同格の”達人級”であったとしても無傷で切り抜けるのは至難の業。

 それほどの奥義なのだ。異常なまでの集中力と瞬間的な膂力と反射神経を要する為に、レイであっても日に二度は撃てない。

 

 アイゼンガルド連峰の山々に響き渡る、斬撃が全てを切り伏せ沈める音。それがやがて小さくなっていき、やがて残響となっていく。

 シンと静まるまでに、どれだけの時間を費やしたのか。斬り刻まれ過ぎて塵となった数多が風に乗って舞い散る中―――()()()()()

 

 

 それはそうだろうなと、レイ自身それを予感していた。否、()()()()()

 自分を鍛え上げた師匠が、自分に力を与えてくれた師匠が、誇張ではなく最強の一角を担う師匠が、この程度で斃れて良いはずがない。

 

 

「温い」

 

 切り捨てるように、そう言う。

 

「儂は貴様に児戯の相手をしろと言った覚えはないぞ。遅く、軽く、鈍い。そのような木偶の剣で、一体何を断つつもりだ?」

 

 一歩一歩、まるで死神が闊歩するかのように、殺気が地を踏みしめる。

 

「貴様は今まで何を研鑽した。己を弱者と戒めながら、()()である事に酔いでもしたか? 何かを守り、何かを率いる事に満足し、狂気を失ったか?」

 

 衝突。凡そ剣と剣とがぶつかり合ったとは思えない音が響く。

 カグヤは振り下ろした太刀越しに、レイの右目を覗き込む。全てを見透かすと言われても信じてしまいそうな慧眼が、彼の心を探っていく。

 

「武人とは魔性よ。嗜む程度の者であればまだしも、達人の一角を担う貴様が、狂気を忘れて何とする。安寧を望むのは罪ではないが、それに浸り堕ちる耽溺に呑まれるのは罪だ。今の貴様は、何を思って剣を振るう?」

 

 そうだ、と。レイは今更ながらに思い出した。

 一見傲岸不遜、本能に従う生き方しか見せていないようなこの人でも、常に狂気を孕みながら生きていた。

 己の中に抑え込めぬほどの殺意と闘気を充溢させ、しかしそれを飼い慣らして日々を愉しんでいた。

 

 非情ではあるが外道に非ず。奔放ではあるが無軌道に非ず。誰よりも娯楽を愛しながら、しかしそれに呑まれることを良しとせず、最後は決まって戦場で笑っていた。

 純粋な”戦う者”。引き返せぬほどに狂って、狂って、狂い尽くして―――遂には己を超える者が生まれる事を何より渇望するまでに至ってしまった存在。

 

 その期待に応えられないという事。それは彼女の唯一の弟子であるレイにとって、この上ない侮辱であった。

 

 

「宿命を」

 

 故に、その問いに対する答えは決まっていた。

 

「この身に絡みついたクソッタレな宿命に諍うために。それを為せるだけの力を求めて」

 

「破壊を望むか?」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それとも、何かを壊して悦に浸る程度の矮小な人間を、師匠は今まで育ててきたので?」

 

 死合いが始まって初めて、レイが笑った。生意気な、と、それに釣られて師も口角を吊り上げる。

 

「ならば覚悟を示せ。儂を落胆させたままで、その望みが叶うとは思わぬ事だ」

 

「無論。元より貴女に一太刀を入れるために、この誘いに乗ったんですよ」

 

 そして剣戟の音が再燃する。

 先程までの筋肉と骨が軋む痛みも、形容し難い劣等感も消え失せる。風を切る音と共に、深紅と純白が踊り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 瞬きをする時間すらも惜しい。

 

 忌憚なくそう言えるほどに、武人としての道を歩み始めた学生たちは食い入るようにその圧倒的なまでの剣舞の応酬を見守っていた。

 

 

 とは言え、その全てを視線で追えているわけではない。辛うじて、残像程度が鼓膜に焼き付いているだけ。エマやエリオットらに至っては、そこで”何かが起きている”程度にしか認識できていなかった。

 

 嘗て帝都の一角で見た剣戟よりもなお激しい。息をつく間もなく、瞬きをする余裕もなく、ただひたすらに暴力的な闘気と殺意が竜巻のようにうねり狂う。

 もはや、剣と剣との凌ぎ合いなどという陳腐な言い回しでは表現しきれない。その一太刀一太刀が地形を変えるような威力でありながら、しかしそれは決して力に振り回されるようなものではない。

 斬撃の一つ一つが意思を持っている。「貴様を斬る」という、ただ一点のみに特化した極限の意思が形となり、相対した者を喰らい尽くさんと牙を剥く。

 

 一見、今は互角のようにも見える。

 一体どれほどの剣閃が交わされたのか、既に数える気も失せており、そもそもそれが可能であることもない。

 

 

「……これが、本物の”達人”同士の鬩ぎ合いというものか」

 

 思わず、といった表現が一番正しいだろうか。

 少なくともラウラは自分がそう呟いたことすら気付いていまい。《光の剣匠》という帝国最高峰の剣士を父に持つ身であっても、眼前に広がるその光景を、そう称する事しかできなかった。

 

 帝都で見た時のように、怒りの下に振るう剣ではない。凡そ平静ではないだろうが、その心に雑念は混じってはいまい。

 刹那にも匹敵する程の時間の間に、一体どれだけ剣戟の先読みをすればあのような究極の鬩ぎ合いを行えるのか。どれだけの修行を行えば、あれ程の剣技を繰り出せるのか。

 

 結局のところ、この期に及んでもまだ自分たちは”レイ・クレイドル”という人間の真髄を理解していなかったのだと思わずにはいられない。

 一瞬だけ見えた、彼の横顔。その口元は確かに笑っていた。面白くて仕方がないと言わんばかりに。もっともっと、高みに至るための経験を寄越せと貪欲に食い下がっている。

 

 彼は基本、命を賭けた戦いで笑う事はない。他者の命がかかっている戦いでは尚の事。その為に命を奪わなければならないのならば猶更。

 だが、それでも彼は武人なのだ。強者と戦う事に悦びを感じざるを得ない生き物なのだ。己の全力を以てしても尚及ばぬ高みに在る者へと畏敬の念を抱きながら、しかしただ仰ぎ見るだけでは満足はしない。

 いずれ必ず、そこに至ってみせる。生きている限り、その研鑽を止めることはない。

 

 だから寄越せと笑うのだ。

 一太刀を躱す度に、受ける度に、その絶対的な強さの一端を吸収していく。

 その力を、その迅さを、その巧さを、その思考を、その才の真髄を―――その全てを。

 

 そうでなければ強くなれない。己の命を賭けてでも掴み取る程の覚悟がなければ、達人(その)領域には至れないし、そこから強くなることもないのだ。

 訓練、などという安全を保障された鍛え方ではもはや足りないのだ。常に死線を潜り続け、その中で生き残れた猛者だけが、”達人級”という最高峰の称号を背負う事が許される。

 

 

「これでもまだ、主は”達人級”としては若い方です」

 

 達人の強さとは、つまるところ経験にある。この領域に至れた者達は生まれた瞬間から武人としての才を有しているが故に、才の大小は誤差でしかない。

 

「修羅道を突き進んだ歴戦の達人は、培った経験を”巧さ”に変えるのです。それは武術だけの話ではなく、文武全ての道に於いて時に人智を凌駕する存在と成るのですよ」

 

 ”若い”達人は、感情に踊らされることもままある。シオンはレイが未だ未熟であることを事も無げに言い放ち、しかしそれだからこそ「面白い」と言う。

 

「今が未熟であるからこそ、主は()()()()()()()のです。私を下した時などは、それはもう今以上に未熟なヒトでありましたが……ふふ、懐かしゅうございますな」

 

 そういえば、とリィンは思う。

 レイはシオンを戦いで下し、屈服させ、シオン自身もそれを受け入れて式神として共に在るようになったと言っていた。

 果たしてそれは可能なのか? と、そう思う事は幾度もあった。ヒトの力を優に超えた獣。神獣。―――如何に彼と言えど、単身で勝てるような相手ではないだろう。

 

「そこんトコの話、アタシも詳しく聞いたことないのよね。レイに訊いても、「黒歴史だから訊くな」としか言ってくれないし」

 

「はぁ、主はそんなことを。何を恥じる事などあるのでしょうか。私も永らく生きておりますが、あの時ほど強く()()()()()()()を実感した時はないというのに」

 

 まぁ、今はそれは良いでしょうと、シオンは視線を再び鏡の方へと向ける。

 

「……皆様もよくご存じでしょうが、主が強さを求めるその根源にあるのは”後悔”と”贖罪”です。救わなければならなかったものを救えず、己が強ければそれが成しえたと信じてやまなかった―――そんな、ヒトにだけ許された傲慢さが、あの方を若くして”達人級”という階梯にまで押し上げた」

 

「……怒りと憎しみが、そうさせたと?」

 

「ご明察ですリィン殿。”憤怒”と”憎悪”はヒトを滾らせる感情の発露。若き時分に武の極致に至った方は、皆様何かしらの瑕疵を心に刻んでおられるものです」

 

 

 《剣帝》は愛する者を看取り、世界を見極めるために修羅となる道を選んだ。

 

 《痩せ狼》は生死を賭けてこその武であることを証明するために。

 

 《剣王》は己と母を捨てた父を、家畜以下の扱いを是とした者達を憎み、憎み、そしてその果てに虚無を知った。

 

 《死拳》は最強でなければならないという狂気じみた夢を叶えるために。

 

 《神速》は弱き嘗ての己を恥じて憎み。

 

 《剛毅》は正義を捨ててでも力を求める道を選び。

 

 《魔弓》は技のその果てに捨てた半生を埋めるモノがあると信じ。

 

 そして《天剣》は―――言うまでもなく。

 

 皆何かしら傷があり、壊れている。

 「そうでありたい」という狂気じみた求道の果てに至った者もいれば、「そうでなくてはならない」という拷問じみた自傷の果てに至ってしまった者もいる。

 

 

「”達人”とは即ち、抱き続けることができる者。想い続けることができる者。強く在り続けることができる者。強さの果ての”不条理”を捩じ伏せ、屈服させ、克服した者」

 

「ヒトならば誰もが持つ”限界”。才有る者にも、才無き者にも、全てのヒトの前にも立ちはだかる最大の”壁”を意思の力だけで乗り越えた”超人”の総称」

 

「”英雄”と成りえる素質を持ちながら、破滅の道を歩む者も多いのも事実。修羅道を歩むことを是とした”覚悟”の具現者と言えましょう」

 

 そして、とシオンは一瞬だけ口を噤み、しかし飲み込むことなく続けた。

 

 

「我が主は、恐らく()()()()()()()()()()しかできないでしょう。”英雄”か、”破滅”か―――いずれにせよ、只のヒトでは終われますまい」

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 ―――八洲天刃流【剛の型・武雷鎚/天墜(てんつい)

 

 

 何かを、斬った。

 果たして何を斬ったのか。師が放つその威力ならば、山の一つくらいは割りかねないと半ば本気で思っていた。

 

 ピシリ、と。空間に罅が入る。

 事前にシオンに命じて張らせておいた空間断層の結界が壊れかけた音だ。今頃麓のユミルでは、血相を変えて結界を張り直しているに違いない。

 

 範囲はアイゼンガルド連峰西部の一部。仮にも帝国国内で、このようなテロじみた被害を出せば、問題はユミルだけのものではなくなる。現に今の時点で、本来なら優に山の一つくらいならば潰す程度の被害は出しているのだから。

 

 だが、”三尾”までの解放を許している今ならば、その程度の範囲を空間断層結界で覆って切り離すくらいなら可能だ。彼女にはそのくらいの力がある。

 それがどれ程のものかは分からないが、彼女自身、「先代の《焔》の護り手と同じくらいには霊力の扱いには長じています」と自慢していた。

 

 それよりも恐ろしかったのは、弱体化しているとはいえ、元が神格であるシオンが割と本気で張った結界を、”神格殺し”の付与も何もない剣撃で断ち壊したという事実。

 《八洲天刃流》の中でも威力で見るならば最上級の剣技であるのが【剛の型・武雷鎚(たけみかづち)】という技―――なのだが、流石にレイの技量では数十キロ先の空間断層結界を破壊することはできない。

 

 つくづく規格外。だが、当たってはいない。

 故に、怯む理由にはならない。巻き上げられた豪風を掻い潜って、再び剣戟の嵐を顕現させる。

 

 

 ―――八洲天刃流【剛の型・散華】

 

 白の華が舞う。百を超える剣閃が、先程の奥義にも迫る迅さでカグヤの躰に迫る。

 だが彼女は、その全てを紙一重で避けて行った。例えるならそれは、雨粒を全て避けて走り抜くようなもの。とてもではないが常人が成しえるものではない。

 髪を揺らす。着物も揺らす。だが、それに触れさせる事はない。

 

 その動き一つ一つが完成されている。無法に振舞っているように見えて、隙というものは一切ない。

 逆に隙が見え隠れしている時。それは”誘っている”時だ。不用意に飛び込めば、良くて輪切りは避けられない。

 

 だからこそ、レイは先程からカグヤの”誘い”には一切乗っていない。

 そこが突破口だと分かってはいる。勝ちを得たいのならば、そこに光明を見出すしかないことも。

 

 しかし同時に痛いほど理解もしていた。

 自分ではその極小の突破口を抉じ開ける程の力がない事を。賭けに出るには地力が足りず、むざむざ死ぬ事が確定しているような結末に飛び込むほど酔狂ではない。

 

 では何故諍っているのか。

 決まっている。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 面倒くさい性分であることは理解している。だが、レイ・クレイドルという人間はそうして強くなってきた。

 自分よりも圧倒的な高みに立つ師との命がけの稽古の中で、全てを取り込んできた。

 死と隣り合わせの中でしか、自らを高めることができなかった。―――否、そうでなければならなかった。

 

 そう言う意味では、カグヤという武人は良い師であったと言えるだろう。

 どう指南すれば、この少年がより迅く、より鋭く尖れるかを一目で見極めたのだから。

 だが、それが最適解であったかどうかは定かではない。現に彼は強さは得たが、弱さを克服することはできなかったのだから。

 

 

 

 しかし、とカグヤは思う。やはり間違ってはいなかったのだと。

 彼の弱さを克服させる役目を担うのは自分ではなかったのだと。己が成すべきは罅割れた原石を鍛え、研磨し、尖らせて輝かせる事のみ。

 元より、生まれ落ちたその時から強くしか在れなかった己には、他者の弱さを理解することも出来なければ、慰める事も出来ない。人間の弱さを理解できるのは人間でなければならないし、それを導くのも、また人間なのだから。

 

 故に、突き放すような口調でああは言ったが、カグヤはレイの事を一定以上認めていた。

 《結社》に籍を置いていた時には見え隠れしていた弱さが、今は心の奥底に封じ込まれた状態になっている。……が、それでもまだ、剣の鋭さには曇りがあった。

 

 剣とは心の移ろいを表す鏡のようなもの。

 向き合わねば真に”強さ”を得る事は出来ない。―――《結社》を離れて様々な場所で”表”と”裏”の両方で仲間や友と出会い、そして己を愛してくれる女たちと出会い……漸く彼は、それと向き合う余裕ができた。

 

 しかし、流れのままに時間をかけて克服させる事が叶う程、この世界は()()()()()

 

 であるからこそ、そこから先を歩ませる第一歩を蹴り出すのが師の役割であった。

 幸いにも、永い永い時の中で、彼以外に弟子を取ったことなど無い。己が戯れに”型”に押し込んだ剣術を継承する唯一人が後一歩を踏み出せないとなれば、それを助けるくらいはする。

 

 世辞にも良い師ではない事は自覚していたし、それを改めるつもりもない。

 しかしながら、唯一人取った弟子が強くなっていく様を見るのは楽しくあったし、自分の手から離れた際は一抹の寂しさを覚えたのも事実。

 アリアンロードからは「急かずともいずれ強くなりましょう」と言われてはいたが、堪え性がない彼女はそれに応じる事が出来なかった。

 

 それが間違っていたとは思っていない。何せ彼は、彼も普通の人間とは違う。()()()()()()()()()()()人間をなすがままに任せるほど達観はしていなかった。

 

 故にカグヤは、此処にレイを誘った時にある決心をしていた。

 

 

 

 

 ピタリと、カグヤの猛撃が止まり、そしてレイの動きも止まる。

 斬りかかる絶好のタイミング―――ではない。そういった空気でないことくらいは理解できた。

 

 既に躰には無数の傷がある。出血量も割と洒落にならない段階まで来ていたが、意識は不思議なほどクリアーだった。限界まで研ぎ澄ませた神経が、これから先の試練を―――何となく察してみせる。

 

 紅い刃が鞘に納刀される。凪いだ海の流れのようにゆっくりとした所作ながら、しかしそれを隙であるとは思えなかった。

 

 

「レイ・クレイドル、我が唯一の弟子よ。―――貴様に《八洲》の深奥を見せてやる」

 

 闘気の質が、変わる。

 荒々しい獅子の如きそれから、渓谷に吹き抜ける一陣の風の如き静けさと鋭さを孕んだそれに。

 

「故に貴様も()()。貴様なりの深奥を見つけ、そして昇華させてみせよ。それを以て、《八洲天刃流》の免許皆伝とする」

 

「…………」

 

「まぁ、此処で死ねばそれも叶わぬ。死ぬ気で避けろよ―――できるものならばな」

 

 

 

 ―――瞬間、全身が串刺しにされたかのような殺気がレイを貫く。

 だが、背を向けることはない。その右目はただ一回の瞬きも許さないと言わんばかりに見開かれ、ただ一度だけ放たれる師の最強の一撃を余さず網膜に焼き付けんとする。

 

 シン、と風の音がした。

 否、それは音ではない。極限まで研ぎ澄まされた殺気が、耳朶を掠っているだけ。

 

 だが、とレイは思った。

 殺気を纏った一刀であれば、もしかすれば”視れる”かもしれないと。”絶人”の極致の一端を垣間見えるかもしれないと。

 

 ―――その思考こそが、致命的な”甘さ”だとも知らずに。

 

 

 

 

 まず、感じ取ったのは違和感。

 

 カグヤは僅かも動いていない。納刀したまま、双眸を伏せてただの一歩たりとも。

 ()()()()()()

 

 これは何だ、と疑問が脳内を駆け巡る。

 何もされていない。自分は何の攻撃も受けていないはず。なのに、なのに―――。

 

 なのに、何故自分はこんなにも()()()()()()()()()()

 

 

 

「―――八洲天刃流」

 

 

 不意に、レイの両腕は己の身を守るために動き―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「秘奥刃―――【零天・時喰(ときはみ)】」

 

 

 

 

 

 

 

 鮮血が、噴いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目が醒めた時、レイは『鳳翼館』のベッドの上だった。

 

 特に何かを感じたわけではない。ただ、師の技を視て、感じ、そして理解し、その出鱈目さに失笑すら漏れた。

 成程、あれでは躱す事など不可能。防御することも不可能。アレを攻略しろなどと、それこそ比喩でも何でもなく”神”の領域に至らねばならないだろう。

 

 そうして笑っていると、鮮血が噴き出した()()に激痛が走る。流石に一瞬だけ表情を顰めたが、その痛みで冷静になれた。

 

 殺すつもりなど最初からなかった―――否、殺す価値が最初からなかったと言う方が正しかった。

 あの一刀を目に焼き付け、それに迫る刀撃を編み出した時。その時が本当の()()()なのだと。

 

 

 遠い。実に遠い存在だ。

 

 あの領域に辿り着くまでに、一体どれほどの修練が必要なのか。どれ程の天賦の才が必要なのか。

 だが、追いつかねばならない。弟子として、師に縋りついたままではならない。

 

 己が抱いた後悔と贖罪。それを捨てきる事はできないだろう。それは罷りならない。

 だが、それに囚われすぎていてはいつまでも前に進むことはできない。”絶人”の剣に届くことも。

 

 天井に向かって、斬られた肩口とは逆の腕を伸ばす。

 

 そうだ。まだ進める。あれだけ化け物じみた強さを持つ人が自分の前を歩いている限りは、まだ。

 いつだって”強者”で在り続ける師の剣の鮮烈さに憧れたのだ。後は、その憧憬を想いのままに消してしまわないようにするだけ。

 牙を研ぎ、剣を鍛え、その力に楔を打ち込む為に。

 

 生き残り、強くならなければならないのだ。

 

 

 

「……御指南、ありがとうございました。師匠」

 

 不意に口から出たその言葉は、不思議と心地良いと思えるモノだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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