英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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温泉郷帰郷録 肆

 

 

 

 

 

 

 

 端的に言って、暇を持て余していた。

 

 

 カグヤとの死闘を生き残って『鳳翼館』のベッドで目を覚ました後、待っていたのはお叱りの時間だった。

 流石に死にかけた人間相手に叱り続ける程彼らも鬼ではなかったが、サラは例外だった。

 

 医者に診てもらった結果、骨折や内臓へのダメージなど、普通の人間であれば数ヶ月の入院を余儀なくされる程の重体であったが、本人はいたってケロリとしており、健康体であるかのように振舞うその様子はⅦ組のメンバーを呆れさせた。

 事実、”達人級”の氣による自己回復能力があれば、この程度の怪我ならば()()()()()()()()()()()()。アスラやヴァルターなどの、肉体そのものを武器に変える”達人級”であれば、1日あれば完全回復するのだが。

 

 とはいえ、その身体に確実にダメージはある。どうにでもなると当人は言ったが、それをサラは許さなかった。

 レイをベッドに縛り付け、少なくとも学院に帰るまでは絶対安静を言い渡し、レイもそれを承諾した。

 心配をかけたという自覚はあったし、何より普段滅多に怒らないリィンですら「いいから寝てろ。な?」と殺気交じりの言葉をぶつけてきたのである。白旗を挙げる以外の選択肢など元よりなかった。

 

 だが、疲弊していたのも事実。皆の前では何でもないように振舞ってはいたが、再び目を閉じると文字通り泥のように深く眠った。

 深く、深く。それこそ悪夢すら見ない程にぐっすりと。

 

 

 

 

『ふぅ、あの御仁もやっぱり滅茶苦茶だ。最後の一撃、割と真面目にボクの事を()()()()()としてたからねぇ……』

 

『まぁ、君が君である限りボクは折れないし毀れない。そういう風に鐵鍛王(あの御仁)は鍛えてくれたわけではあるんだが』

 

『それを差し引いても、カグヤ卿はおかしいね。《外の理》であろうと何であろうと問答無用で”叩き斬る”。そういう風に特化してしまっている』

 

『気を付けたまえよ、我が主。彼女と比肩する剣士になるのは一向に構わないけれど、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『君がボクを使って如何なるモノを”斬る”のか。それを見極めた時、君の”秘奥刃”は完成し、《理》への道もまた開く』

 

『楽しみにさせてもらうよ、我が主(ボク)。精々()を上手く使いこなす事だね』

 

 

 相棒の言葉すら、遥か彼方の幻想のよう。

 しかし、それを忘れるような事はない。無意識の底にしっかりと刻みつけながら、レイの意識はゆっくりと浮上していく。

 

 

 

「―――あ、起きましたか?」

 

 最初に感じたのは、昨夜は感じられなかった強烈な寒気。カーテンの隙間から除く窓の外には、季節外れともいうべき豪雪が降り注いでいた。

 むくりと上半身を起き上がらせると、部屋内を見渡す。ベッドの横には、起き抜けの自分に声をかけてきた人物が花に水をやりながら佇んでいた。

 

「おはよう、エリゼ嬢。……リィン達は外に?」

 

「あ、兄様達は……えっと……」

 

「―――ん、オッケ。いつものように何か面倒くさい事に巻き込まれたってところまで把握した」

 

 とはいえ、と思う。

 兄に対しては過剰に心配性になる彼女がそこまで気落ちせずに、こうして自分の世話に回っているところを見るに、そこまで深刻な事態ではないのだろう。

 

 概要はこうである。

 

 今朝方、シュバルツァー男爵邸に一通の郵便物が届いた。それは『鳳翼館』に宿泊するⅦ組宛に送られたものであり、その外装はメンバーが良く見知った、”特別実習”の依頼書のそれであったのだ。

 教官であるサラが与り知らないそれを訝しんだ彼らは、それでもそれを開封した。その内容は以下の通り。

 

『帝国の若獅子、トールズ士官学院Ⅶ組諸君に特別実習の課題を手配する。

 ユミル渓谷道へと赴き、季節外れの積雪を阻止せよ』

 

 

「……俺の記憶でも、そうだな。流石のアイゼンガルド連峰でも10月中にここまで降ることはない。地元民としての君の見解は?」

 

「全くない、という事はありませんが、確かにここまで降る事はありませんね」

 

「内容からして自然的現象ではない、か。魔獣の仕業か、それとも”幻獣”レベルか。サラ……教官は付いていったのか?」

 

「いえ。この急な積雪の所為で郷の麓で大木が数本倒れてしまいまして、サラ教官はそちらを手伝って下さると……」

 

「そうか。まぁ、”特別実習”の括りなら教官が手を出すわけにはいかんよな。まず間違いなく、正式に学院から送られてきたものじゃあないだろうが」

 

「……兄様達は、大丈夫でしょうか?」

 

 やはり心の何処かでは思っていたのであろうその不安をエリゼが吐露する。それに対して、レイは気丈に答えた。

 

「落ち着け、エリゼ嬢。あいつらなら大丈夫だ。勿論油断は大敵だが、俺やサラは如何なる時でも油断や慢心をしないように叩き込んだ。()()()()()。油断がなければ、今のアイツらがフルメンバーならば魔獣程度に後れなんか取らない」

 

 そう断言できる程には強く鍛えたつもりだという確信があり、そして信じていた。

 自分がいなくとも、彼らは異変の解決が出来る。死なずに生き残る強さはあるのだと。

 

「レイさんは、本当に兄様達を信じているんですね」

 

「……少し前までは割と独り善がりではあったよ。俺がいなくても死なない程度に鍛える。俺にはその義務があるんだと、割と真面目にそう思ってた」

 

 でも、と一区切りをつけて続ける。

 

「一度派手に喧嘩してな。リィンにも一発マジで殴られて分かったよ。―――結局のところ、俺はアイツらを信じてなかったんだってな」

 

「…………」

 

「”信じる”ってのは言葉では簡単だが、実際は難しい。特に命が賭かっている場合は」

 

 Ⅶ組の者達は違った。

 各地を放浪している時に出会った《西風の旅団》の連中とも、歴戦の遊撃士達でもない。昔からの知り合いであるフィーを除けば、”死線”というものを碌に経験したことがない者達ばかり。

 特別実習という概要を聞いた時に、既にレイは理解していた。オリヴァルトが「第三の存在」として作り上げたクラスに必要なのは”実績”で、それを作り上げるのに多少の”死地”に潜り込む必要がある事も。そしてその為に自分が呼ばれたという事も。

 

 だからレイは、学生としての”形”を全うしながらも義務を背負った。

 サラと共に、オリヴァルトが望む「第三の道」の、それを貫くために必要な最低限の力を授けるという義務を。生き残る為の術を叩き込むという義務を。

 

 

「そういうエリゼ嬢も、リィンを信頼してるんだろう?」

 

 とはいえ、彼女はそう言った柵に囚われずに彼を信じることができる数少ない人物でもある。

 家族だから、兄妹だから。ただそれだけの理由で信じるに足りる。だが、彼女は晴れた表情をしなかった。

 

「……私は、そんなに良い妹ではありません」

 

「…………」

 

「勿論、リィン兄様の事は信じています。尊敬しています。でも、私は、それだけでは満たされなかった」

 

 果たしてその先を自分が聞いてもいいのかという疑問を喉奥に押し込めて、レイはベッドの背に寄り掛かる。

 そして同時に、心の中で級友に対して呪詛を吐く。恐らくは意図せずに、この役を押し付けられたことを。

 

「……こんな事をレイさんに訊くのは筋違いで、失礼な事だと重々承知しています。ですが、どうか教えてください」

 

 だが、聞かなかったことにはできない。出来るわけもない。

 

 

「リィン兄様は、アリサさんとお付き合いをされているのですか?」

 

 

 その”愛”は、恐らくは叶わないモノなのだから。

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 どうするべきか、と悩んでいたのは事実だ。

 

 恐らく母ルシアは気付いているだろうとは思っていた。特に隠しているという訳ではないのだから、言葉にせずとも雰囲気で察することくらいはするだろう。父テオにしてもまた然り。

 

 《結社》の執行者、《怪盗紳士》ブルブランが仕組んだユミルでの異変を収めて渓谷を下っている最中、リィンはそんなことを考えていた。

 昨日実家に顔を出した際は現状の報告と師父からの伝言で頭がいっぱいになってアリサとの事を報告できなかった。

 

 だが、それは不義理であると断定した。実の子供でもないというのに自分をここまで育ててくれた”家族”に対して、その態度はあってはならないと。

 

 だからこそリィンは、今度こそアリサを連れて再びシュバルツァー邸を訪れた。

 若干緊張して固くなっているアリサを傍らに、リィンは改めて報告をした。自分とアリサが、しっかりとした交際をしているのだと。

 

 反応は―――思っていたよりもあっさりしたものだった。

 テオは「そうか。お前もそういう歳になったか」と感慨深い声色で祝福し、ルシアは夫とは若干異なり喜びを隠そうともしなかったが。

 

 

「おめでとうございます、兄様、アリサさん。……お二人のご関係が長く続かれますことを、僭越ながらお祈り申し上げております」

 

 そして、エリゼもそう言って二人の関係を寿いだ。

 その言葉に嘘はなかっただろう。本心でもあったのだろう。

 だが、本心が必ずその人間の全てを曝け出しているとは限らない。その胸の内を知っている両親はそれを痛み、そしてアリサ自身も真意には気付いていた。

 

 しかしながら、そこに悲嘆などは感じられない。まるでもう既に、何処かに吐き出してきたと言わんばかりに。

 ただ、全てを割り切れる程達観はしていない。百戦錬磨の恋多き女性であれば誰にも悟られずに恋した男の幸せを寿げるだろうが、齢15の少女にその胆力を求めるのは無理な話であった。

 

 それでも、痴情の縺れの片鱗を一切見せず、アリサに対する嫉妬の念を抱かない辺り、エリゼ・シュバルツァーという少女は”良い女”であったと言える。

 自らの恋情を爆発させるのではなく、その感情を抱き続けた男の幸せを想う事ができる。それは、誰にできる事でもない。

 

 

 だからこそ、彼女は泣いた。

 二人が席を外した後、エリゼはルシアの胸の中で泣いた。普段は男爵家令嬢らしく凛々しく在ろうとしている彼女が、その時だけは年相応の娘らしく泣いた。

 みっともないと自身を諫めてはいたのだろう。たかだか自分の片想い。その心情を口に出して伝えてもいなかったのだから、この結果は必定だ。

 アリサ・ラインフォルトという女性がリィンに相応しい人であることも痛いほど分かっている。あの二人が並び立つその様子が、余りにも眩しく見えた事も。

 

 「恋と愛の違いなんざ、俺が御大層に語るべきでもないと思うんだがね」と、彼女の胸の内を聞いた少年は言った。

 

 

『恋ってのは要は()()()だ。両想いであったとしても、それは互いが相手を好きであるという片想いが交差しただけに過ぎない。どこまでも”好き”という感情を募らせられる代わりに、どこで破綻してもおかしくない。そういうモンじゃないか?』

 

『”失恋”とは言いえて妙だと思うぜ。それが”愛”に成れるか、それともそれに成る前に失うか。……こんな事を言うもんじゃないが、俺だって初恋は実らなかった身の上だからな』

 

『気にするな、なんて言わねぇよ。エリゼ嬢、お前さんにとってリィンへの想いは本物だったんだろうからな。想いが本物であればあるほど、それが失われた時に溜まらなく哀しくなるのは恋でも何でも変わりゃしねぇさ』

 

『生憎とお前さんの涙を俺が見るわけにゃいかねぇからさ。お前さんの事を本当に理解してくれている人達の前で、少しは我が儘になってみてもいいんじゃねぇか?』

 

 

 その言葉を思い出した瞬間、滂沱と溢れる涙を止められなかった。

 ルシアは久しく見なかった娘が泣き崩れる様を優しく受け止め、父もまたそれを叱責しなかった。

 誰かを責める気など毛頭なかったし、娘の失恋を痛ましくは思っても、片想いの失恋をだれが責められようか。

 

 だが、その慟哭を聞いて自らを責めかけていた者もいた。

 義妹の真意を知り、それでもなお恋人となった少女への想いを偽る事などできない、不器用で真面目に過ぎる男の姿が。

 

 

「ヒデェツラだな。迷いと悩みが滲み出てるぜ、ダチ公」

 

 『鳳翼館』の庭で一人如何にすべきかと悩み続けていたリィンに話しかけたのは、従業員のメイドに貸してもらったストールを肩に掛けてしっかりとした足取りで歩いてきたレイであった。

 

「レイ……もう身体の加減は良いのか?」

 

「おう、大分回復した。シオンの神術も効いたが、一日中休んだからな。氣を回復に回せりゃこの程度なら楽勝よ」

 

「相変わらず良く分からない理論だよな」

 

「これでも遅い方だぜ。兄貴なら半日あれば全回復まで行くからな。そういう意味じゃ”達人級”の中じゃ俺なんざまだまだだ」

 

「やっぱ人間やめてるんだよなぁ……」

 

 そうして少しだけいつもの調子が戻ってきたところで、庭に設けられていたウッドチェアーに二人で腰掛ける。

 リィン達が昼間に異変の原因となっていた幻獣を倒したことによって、ユミルに降り注いでいた雪は晴れ、溶け出して水になりかけているそれを踏みしめながら、頭上に広がる星の海を見上げる。

 

「いや助かったぜ。目ぇ覚めてからエリゼ嬢に色々世話になってよ。何かユミルの郷土料理の乳粥ってのも作ってもらったぜ。あれ美味かったな」

 

「そうか」

 

料理(メシ)は美味いし、気はきくし、将来絶対美人になるしで、アレだな、良い嫁さんになるぜ」

 

「そうか」

 

「……マジかお前」

 

 心底信じられないと言った様子で驚愕するレイを見て、漸くリィンも「どうした?」と別の反応をする。

 

「いや、死ぬほどシスコンのお前なら俺が「看病してもらった」って言った瞬間に「女神に祈れ。今から俺はお前を殺す」くらいは言ってくるモンだと思ってたから」

 

「お前の眼には俺はどんな過激派に見えるんだ」

 

「じゃあどこの馬の骨とも知らねぇ奴がエリゼ嬢をナンパしようとしてたら?」

 

「なます切りにして煉獄に叩き落とす」

 

「秒で答えられるって事はお前偽物とかじゃねぇな」

 

 とはいえ、とレイは続ける。

 

「そこまで腑抜けてるって事は、お前漸くエリゼ嬢の気持ちに気付いたんだな」

 

「……あぁ。今更ながら、自分の愚鈍さが嫌になるよ。エリゼが俺の事を異性として好きだったとは、思ってもみなかった」

 

「まぁ、血の繋がりがないとは言え、長い間兄妹として過ごして来たんだ。お前がそれに気づかないのは仕方ねぇさ」

 

「……なぁ、レイ」

 

「?」

 

「俺は、俺はどうしたらいいと思う?」

 

 それは、縋るような声色だった。

 真面目なリィンの性格からして、この事実を知ってしまったら己を責めるであろうことは想像していた。アリサよりも長くその想いを秘めていた義妹の心を蔑ろにして、自分だけが幸せになろうとしても良いのかと。

 そしてそれを踏まえて、レイは特に間を置く事もなく口を開いた。

 

「何もしなくていいんじゃねぇの?」

 

「なっ……」

 

「エリゼ嬢はきっちりと自分の気持ちに始末をつけたんだ。これからはお前と以前のように”兄妹”として接するってな。なら、お前が蒸し返す事でもねぇ」

 

「でもそれは……」

 

「無責任だってか? お前は別に意図的にエリゼ嬢の好意から目を背けてた訳じゃねぇだろう? だったら誰も悪くねぇ。誰も悪くねぇのなら、誰も謝らなくていいんだ」

 

 ふぅ、と息を吐くたびに、それは白い靄へと変わって夜空に消えていく。このようにスッと消えてくれる問題ならば、レイがここまで言う必要もなかっただろう。

 とはいえ、恋愛ごとというのはスッキリ割り切れるものではない。見た目上は上手く断ち切ったように見えて、実際は色々な蟠りが蜘蛛の糸のように引っ付いてくるものだ。

 無論、それは一般的な話であり、シュバルツァー兄妹にそれが当てはまるかどうかは定かではない。だが、必要以上に責任感を感じてしまうのがこのリィンという少年だ。

 

「いや、でもやっぱり駄目だ」

 

 キッパリと、吹っ切れたような声色で彼は言う。

 

「エリゼは、俺の大切な妹だ。何か後ろめたい事がある状況でこれからも付き合っていくことは、できない」

 

「それが、独り善がりの責任感だったとしてもか?」

 

「だからと言って見逃して良い事にはならないさ。誰も悪くないとお前は言ってくれたけど、やっぱりエリゼの近くにいて、それでも彼女の気持ちに気付かなかった俺には、少なからずの罪があるんだと思う」

 

「…………」

 

「この出来事が彼女の心に僅かでも疵を残したら、俺は自分を許せなくなる。それを防げるのなら、俺はどんな謗りでも受けてやるさ」

 

 その覚悟に対して、レイは笑った。

 それは皮肉ったものではない。称賛するものだ。

 

「やっぱお前、生粋のシスコンだよ」

 

「誉め言葉として受け取っておくさ」

 

 やっと口元に笑みを浮かべたリィンは、早速エリゼの下へと向かう為に走り出そうとして、しかしその直前で振り向く。

 

「行ってくる。お前も建物の中に早く入れよ? 夜風は身体に毒だ」

 

「は、今更夜風程度でどうにかなるかよ。―――行ってこい。後悔を残すんじゃねぇぞ」

 

 駆け出す友人を見送ってから、レイは再び背もたれに体を預けた。

 睡眠は充分に取り、休息も過分なほどに堪能した。だと言うのに、身体はまだ疲れている。

 

 これほどまでに衰弱したのはいつ以来だろうかと考える。

 ノルドの地でザナレイアに毒を盛られた時ですら、ここまで衰弱はしなかった。”外の理”の毒の原液よりも強力であるという事に思わず笑いが漏れそうになる。

 

「あのね、まだ治りきってないんだったらこんな所で座り込んでるんじゃないわよ」

 

 そう、背後から聞こえてきた声に、しかし易々とは従わなかった。

 

「こんな所とは失礼だな。上見てみろよ。導力灯が犇めく都会じゃ、こう立派な星空は見えねぇよ」

 

「……ま、確かに見事なものよね。でも、それとこれとは話は別よ。アタシはアンタのお陰ですっかり良くなったんだから、今度はアタシがアンタの世話を焼く番だわ」

 

「お前は俺の母親か」

 

「恋人のつもりだけど?」

 

「そうだった」

 

 そう言い、サラはレイを抱え上げた。

 しかし、片を貸して支えるのではなく、レイの腰と足を持ち上げる、所謂「お姫様抱っこ」スタイルで。

 

「……お前もしかして怒ってんの?」

 

()っつに? 勝手に死にかけて帰ってきた男の事なんて、どうとも思っていないけれど?」

 

「クッソ根に持ってんじゃねぇかよ……悪かったっての。現状、サシで師匠と戦り合えるの俺しかいねぇし、俺とあの人が会うってのは、()()()()()()()()()。馬鹿みたいに思えるかもしれねぇけどな、俺らの師弟の在り方ってのはそういうものなのさ」

 

「出会ったら殺し合うのが?」

 

「殺し合うのが、だ。まぁ、殺し合いの体を為すようになったのも最近だけどな。それでも、こうして一方的にやられちまうんだが」

 

 サラが見下ろすと、鎖骨の辺りから除く包帯が目に留まる。シオンの協力もあって止血は早々に済ませたが、それでも痛々しいのには変わりない。

 

「何か、掴めたの?」

 

「当たり前だ。そうでなければ相対した意味がない。八洲の刃の”秘奥刃”。成程、師匠が振るうに相応しい、神域に足突っ込んだ絶技だったよ」

 

「…………」

 

()()()()()()()。神域に踏み込もうなんて考えちゃいないが、神格すら断てる剣には興味がある。()()()を斬るには、そこまで至らなくちゃならんからな」

 

 その笑みは、狂気を孕んでいた。

 力に溺れた者のそれではない。己が未熟者である事を重々承知した上で、それでもなお高みを目指す男の顔だ。

 

 サラの心臓の鼓動が跳ね上がる。普段は生意気な表情をして仲間たちと共に楽しく過ごしているというのに、こういう時の彼はひどく女の欲情を掻き立てる。

 

「漸く”見えた”。漸く”掴めた”。俺が目指す剣の到達点が。ずっと俺が敗者に甘んじていると思わないで下さいよ師匠。俺はいつか、必ず、貴女を超えてみせる」

 

 それは、決して虚勢ではないのだろう。傍から見れば不可能な事だと嗤う者もいるだろうが、この少年であればいつかそれを叶えるだろうと思わせるだけの何かがある。

 

 ―――と。不意に、レイの瞼が揺らめき始めた。

 

「今は、休んでおきなさい。兎にも角にも、そんな状態じゃ拙いでしょう?」

 

「……ま、そうだな。普段、眠ってる時でも周囲の警戒に割いている氣も全部回復の方に回す。サラ、後は任せた」

 

「はいはい、安心して眠りなさい。アタシがアンタを守ってあげるから」

 

 サラの言葉に小さく頷くと、レイは瞼を閉じて意識を落とす。

 言葉通り、普段よりも無防備な姿だ。いつもであれば寝ている時でもどこか警戒網のようなものを張り巡らせているが、今はそれが感じられない。

 その寝顔は、年相応のものだった。漏れ出る吐息も、力の全てが抜かれた手足の華奢さも、一見してこの少年が”達人級”の武人であるなどとは理解しがたい程に繊細だった。

 

 サラは、そんなレイの額にキスをする。死にそうな目に遭いながらも男らしい姿を見せてくれた恋人への愛おしさを込めながら。

 

「この一夜だけ、アタシはアンタを守れる。……それがどれだけ嬉しいかも分からないで気持ちよさそうに眠ってくれちゃって」

 

 こうして全てを任せてくれるという事は、つまり信頼されているという事。サラはその事実に笑みを零しながら、『鳳翼館』の中へと戻っていく。

 その腕の中の熱は、寒気に埋もれるユミルの中でも凍えない程に暖かかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 長刀(エモノ)を、上段に構える。

 

 珍しい事だった。彼女が、型に沿った剣術の形を見せるのは。

 双眸は閉じられ、いつもの荒々しさも鳴りを潜めている。頬を撫でる突き刺すような冷気すら些事と言わんばかりに微動だにしない。

 

 そして、振り下ろす。

 

 氣を纏っているわけではない。己の魔力を放出しているわけでもない。

 だが、その一振りは()()()()()

 

 雲が裂け、空気がその一瞬だけ断ち切られる。それはさながら地図に定規で歪みのない線を引くように、僅かの狂いもない一直線。

 それほどまでの光景を、彼女は()()()()で作り出した。

 

 ただの一振り。しかしそれで満足したのか、カグヤは刃を鞘に収める。

 

「(フム、剣に狂いなし。儂が耄碌したわけではない、か)」

 

 カグヤが思い出していたのは、己が産み出した”秘奥刃”を以て唯一の弟子を斬った時の事である。

 あの時の一撃は()()入った。レイが、二日の休息を取れば全快できる程度の一撃である。

 だがカグヤは、本来もう少々レイを()()()()()つもりだった。

 

 それは決して加虐心から来るものではない。弟子が仮にも己と同じ階梯にまで足を踏み込もうとするならば、痛みを以てしなければ辿り着けないと思ったからだ。

 故に、一週間はマトモに動けない程度には痛めつけるつもりだった。だが、カグヤの思惑に反して、彼は比較的軽傷で済んだ。

 カグヤが無意識に過剰な手加減をしたわけではない。そのような事は、彼女の矜持が決して許さない。つまり……。

 

「(彼奴(あやつ)め、儂の”秘奥刃”に初見で諍いおったか。リアンヌですら死にかけたというのにのぅ)」

 

 口元が、三日月形に歪んだ。

 面白い。面白い。楽しくて愉しくて仕方がない。

 だからこそレイ(アレ)を鍛えるのはやめられないのだ。戦士としての才能だけならばアレよりも上はいくらでもいるだろう。

 だが、その才能の差を意志で潰す。強さへの渇望が時折超常的な飛躍を見せる。

 

 それは何故か? 彼の半生がそうさせるのか? 彼の魂の()()()()がそうさせるのか?

 否。断じて否。

 あれは才能であり、宿業だ。そう在れかしと叫ばれたのではない。在らねばならないと自戒したのは昔の事。そう在りたいと羨望するだけではない。

 

 自然体なのだ。どれだけ理性で繕おうとも、彼は強くならんとする。

 強さへの渇望。あれでいて武人としての狂気はちゃんと内包している。

 カグヤは勿論気付いていた。己の技の全てを簒奪せんと彼が戦っていたことを。戦いの中で、彼が笑っていたことも。

 弱き者を虐げる眼ではない。己の強さをひけらかす眼でもない。あれは、高みを仰ぐ者の眼だ。

 

 やっとか、と。カグヤは半ば呆れたような嘆息を吐く。

 そも、贖罪で振るう刃で高みには至れない。過去に囚われたままの存在が、本当の意味で前を見据える事はないのだから。

 

 とは言え、あの男は一生己の罪(ソレ)を捨て去ることはないだろう。

 根がとことんまで真面目なのだ。殺人を一つの方法と割り切る事は出来ても、その手で奪った命の重みを忘れることはない。

 それを「仕方がない」と諦める事はない。罪悪感を転嫁することもない。―――だからこそ、ここまで強くなれたとも言えるのだが。

 

 殺戮の荒野に一人立つ、などという真似は出来まい。

 皮肉なものである。人を殺すために武を振るう事を躊躇いもしない者が鍛えた存在が、己と真逆の理由で武を振るうのだから。

 

 だから、面白くて仕方がないのだ。

 

 

 

「相ッ変わらず性根が歪んでおるの、おぬし」

 

 クツクツと笑うカグヤの背後から、非難する様な高い声が届く。

 

「いや正直な、おぬしが弟子を取るなんぞと風の便りで耳にした時はとうとうトチ狂ったかと思うたが、割とヤバい才能を開花させたの」

 

「ハ、50年ぶりに()うた友に最初にかける言葉がそれか。ローゼリア。童のような躰になっても性根は変わらぬな」

 

「おぬしに言われとうないわ。何年経っても落ち着きのない悪童のようなもんじゃろう。本当に貴様妾より年上か?」

 

8()0()0()()()()()()()()()()()()小童がぬかしおるわ」

 

 貶し合っているように見えて、そこには殺気はない。

 

 少女のような体躯ながら、その佇まいは超常的な存在であることを否応なしに感じさせる。それ程までに内包している魔力が桁違い。

 人ではないナニカにしか到達できない域に達した超越者。嘗てカグヤらと共に影ながらエレボニアを救った英雄。

 

 《緋》のローゼリア。現存する”魔法使い”の中で間違いなく最強の存在であり―――しかし今はその力の大半を”眷属”に分け与えている賢者。

 

 

「貴様が出てくるとはな。少なくとももう少し、里に籠って傍観しているとばかり思っておったが」

 

「ふん、そうも行かぬわい。……セリーヌから《血殲狂皇(サタナエル)》復活の兆しを伝えられた。《結社》の《蒐集家(コレクター)》が手引きしたことも含めてのう」

 

 50年前、煉獄の底より侵攻を始めた”ソレ”を迎撃し、命辛々力を削り落とした者の一人としては、到底看過できない事。

 だというのに、その時に共に戦った剣士は、寧ろそれを愉しむかのように表情を変えない。

 

「よりによって()()()()()先が今代の《灰》の適格者。流石に妾も腰を上げるくらいはするわい」

 

「未だ未熟な魔女には任せておけぬか。今は馬鹿弟子の封印術が押し留めてはいるが、獣を餌で懐柔して蔦で縛っておるようなものよ。いつでも抜け出せるであろうな」

 

「……《天道流》の神格封印術、か。よもや再び目の当たりにするとは思わなんだの」

 

「貴様もやはり見知っていたか」

 

「無論じゃ。じゃがアレはあまりにも血塗られた呪いの産物。参考にしようとは毛程も思わんかったがの」

 

「アレらが掲げた”神”の弑逆。《教団》とは違う角度から《外の理》に至ろうとして”神罰”を受けた者共。―――貴様がアプローチを掛けなかったのは僥倖だった。でなくば、諸共滅ぼしていたであろうからな」

 

 いつもの軽口ではなく、圧が掛かる口調。つまりその言葉は、冗談ではないという事。

 しかしローゼリアは怯むこともなく皮肉気な口調で返す。

 

「……ハン、《結社》ご自慢の懲罰部隊とやらか。否、粛清部隊と呼んだ方が良いのだったか?」

 

「儂とてあの里は焼きたくないのでな。本気の貴様と殺し合うのは愉しそうではあるが」

 

「戦闘狂め。妾は御免被るぞ」

 

 そんな言葉を交わしていると、峰の彼方から朝日が這い出てくる。

 そしてそれを機に、ローゼリアが本題を切り出す。

 

 

「カグヤ。おぬし、弟子に何をさせようとしておる」

 

「何を言うか。儂はアレを縛ったことなど一度もない。何を成そうが、咎めはせぬよ」

 

「惚けるでないわ。妾が気付かぬとでも思うたか。成程、あの特異な魂の持ち主であれば、()()()()()()も叶うかもしれんな」

 

「…………」

 

 とはいえ、とローゼリアは思う。

 現状魔皇を封じていられる術を持っているのがあの少年である以上、彼女としてもそれを阻む事はしたくない。

 セリーヌ曰く、「何をしでかすか分からない滅茶苦茶な人間。でも一応根は善人みたいだし芯は通っている」。”達人級”の武人は何処かしら狂っている部分があるが、この少年の狂い方は間違いなく師匠譲りと言えるだろう。

 

 しかしながら一般的な倫理観と他者を思いやる優しさを内包できているのは、良い意味で師を反面教師にしたからだろう。そういう意味では人間らしいとも言える。

 

「《灰》と《天剣》。この二人の存在は間違いなくエレボニアを再び揺るがすじゃろう。おぬしはどうするつもりじゃ?」

 

「どうもせんよ。儂は、世界の在り様を見定めるだけじゃ。剣を振りながら、剣戟の火花を浴びながら、命の散りゆくさまを眺めながら―――戦いの果てに、世界が生きるか滅びるのかを、な」

 

 その歪みない声色に、これ以上の問答は無用と判断する。

 それは、ある意味での諦観だ。ヒトに非ざるモノであるからこそ、現世に拘ずらう意識が薄い。

 

 ただそれでも、彼女は一つだけ期待をしている。

 己の唯一の弟子が、一体何処まで強い戦士に成れるのか。人の身で、ヒトに非ざる己を打ち負かすまでの存在に成れるのか、と。

 

「ロゼ、貴様はこの世界を護れ。終焉に諍う若人達を護れ。貴様は最後まで、()()()()()()で在れよ」

 

「……何を言うておるのじゃおぬしは。人理の破壊者になろうという訳でもあるまい」

 

「違うな。儂は、”壁”となる。今代を生きる霊長の者共が、破滅の運命を退けられるに足る存在か、否かをな」

 

「…………」

 

「貴様も知っておるだろう、ロゼ。儂は創ら(生ま)れてこの方、戦う事しか知らぬ。故に、最期の最後まで戦って死ぬとも。それが儂の矜持よ」

 

 その覚悟は僅かも揺らぐことがない。例え誰にどのような言葉を投げかけられようとも、己の死に場所は戦場であると決めている。

 長い付き合いであるローゼリアは、勿論それを理解している。この超越者が、どうしようもない馬鹿者であることも含めて。

 

「分かった。分かったとも馬鹿者め。妾より旧くから生きる者である癖に、何も生き方を変えぬ阿呆めが」

 

「呵々‼ 儂が阿呆だと? 何を今更。利口だと思うた事もないし、そうなろうと思うた事もないわ」

 

「ならば精々満足するまで死ぬでないぞ。リアンヌ共々、妾が看取ってやらねば気が済まぬわ‼」

 

「……そうさな。貴様に見送られるならば、それも良かろう」

 

 そう言い残すと、カグヤは崖から飛び降りて消えた。

 その最後の言葉は、先程までのそれとは違い、何処か願望のようなものを孕んでいたように聞こえ、しかしローゼリアは首を振る。

 

 分かっている。あれはそのような殊勝な者ではない。どうせ、最期がどれ程酷い戦場であったのだとしても、笑いながら死んでいくのだろうから。

 

「おぬしもリアンヌも、馬鹿者じゃ。何故己の死に、そこまで価値がないと思うておる……ッ」

 

 無論、自分もそれに劣らず馬鹿者なのだろう。

 白けながらも未だ形を残す月を眺めながら、そう呟くしかできない己を、酷く恨めしいと思うしかなかった。

 

 

 

 

 







 はい、どうも十三です。最近あとがき書いてなかったのは単に時間なかったからですね。申し訳ありません。
 これにて閑話、「温泉郷帰郷録」編終了です。なんで4話も使ったんだろう……コレガワカラナイ。
 とりあえずリィンの恋人枠はアリサに固定します。そうしないとタグ詐欺だからね。仕方ないね。というか僕、閃ⅠからⅣまで一貫して最初のヒロイン枠にアリサを即決してたからね。

 次回、リィン君八葉一刀流中伝試練。試練の時間だ、腕が鳴るぜ‼
 大丈夫。そんな酷い事にはならないから。多分、きっと、メイビー。

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