英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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「己の信念を貫けなかった男など 死んでも生きてても惨めなものだ」

                by 斎藤一(るろうに剣心)








《八葉一刀流》中伝ノ儀 壱

 

 

 

 

 

 シンと静まり返った室内で、リィンはただ一人座禅を組んで瞑想をしていた。

 

 技を磨き、身体を鍛え上げる事のみが武の真髄に近づく方法ではない。心を研ぎ澄ませ、己と向き合い、”内”と対話することで見抜けるものもある。それが師の教えだった。

 

 しかし、今日の調子はどうにも悪い。

 雑念が混じる。澄んだ水の中に墨汁を一滴垂らしたように、僅かな澱みが広がっていく。

 

 瞼を開いた。このような精神状況では、続けるだけ無駄だろうと判断したのだ。

 時刻は午後六時。夕飯までにはまだ少々時間がある。気晴らしに少し外で剣でも振ろうかと、既に愛刀としてしっかりと手に馴染んだ兄弟子の太刀の鞘を握る。

 

 そして、食堂で夕食の準備をしていたシャロンとエマに少し外に出る旨を伝えてから第三学生寮の玄関を開ける。

 ユミルほどではないが、肌を突き刺すような寒気が襲う。この季節になると、この時間帯でも充分外は暗くなり、それはトリスタの街でも例外ではない。

 

 学院祭が始まるまでもう時間もない。催し物の準備も佳境に差し掛かり、どうにか見れる程度には仕上がっているという自負がある。まぁ、その程度で妥協をしない指揮総監督(エリオット)ではないのだが。

 

 ……充実はしている、筈なのだ。

 なのに、何故か”渇く”ものがある。どこか満たされない”飢え”がある。

 無心に剣を振るっている時だけは何故か解消されるそれをどうにか紛らわせようと街の郊外に歩を進めていると、ふと目が行った。

 

 トリスタの街の外れ。流れる川の近くに設けられたベンチに、一人の女性が腰掛けていた。

 緑がかった青色の髪を腰辺りで一つに括った、この辺りでは珍しい東方の着物を身に纏った女性だ。傍目でも小柄である事は分かったが、ベンチの上でゆっくりと舟を漕ぐその姿があまりにも落ち着いている為か、”少女”と呼ぶには躊躇われた。

 トリスタでは見かけない。ともすれば観光客だろうかと思ったが、であるならば人気が少なく、明かりと言えば街灯しかないこんな場所で一人でいるのは危険であると判断した。

 そして、そう判断したらすぐにお節介をしに行くのがリィン・シュバルツァーという少年である。

 

「あの、すみません」

 

「…………スゥ、スゥ」

 

「すみませーん。あのー……」

 

「………………」

 

 うたた寝しているだけかと思ったのが、案外マジ寝していた事に困惑する。

 寝ているとはいえ、流石に見知らぬ女性に触れるのはマズいなぁなどと思いながら呼び続けていると、10回くらい繰り返した末にようやく反応が返ってきた。

 

「…………ん。あら、いつの間にやら寝てしまっていたのですね」

 

「あ、その、自分は……」

 

「……あぁ、お気になさらず。このような私を見かねて声をかけていて下さったのでしょう? 暴漢と間違えて声を挙げるなど、そのような意地悪な真似はしませんのでご安心くださいな」

 

 鈴の音色のような声だった。開かれた双眸も、どこか冷ややかで、此処ではない何処かを見ているような朧げさがあった。

 とはいえ、”儚げさ”はない。硝子細工のような嫋やかさがありながら、どこか折れない”芯”を抱いているような―――そんな雰囲気を感じ取る。

 

「……あら、もうこのような時間ですか。早めに宿に向かわなくてはいけませんね」

 

「ご旅行でいらしたんですか?」

 

「……まぁそのようなものです。この街は良いですね。親切な方が多くいらっしゃいます」

 

「気に入っていただければなによりです」

 

「貴方は……成程、士官学院生の方ですか。太刀を扱っているとはこのご時世珍しい」

 

 そこで、リィンは僅かに目を細めた。

 確かに刀袋を背負ってはいたが、彼女からは逆光になる上にマトモに全貌も見えない。その上で彼女はリィンの得物を「刀」ではなく「太刀」と断言した。

 

 更に、ただ座っているだけだというのに、隙らしい隙が全く見当たらない。サラか、或いはレイよりも。

 武術を心得ている者の所作だ。それも並大抵の階梯ではない。―――そう確信した瞬間、リィンの警戒が跳ね上がる。

 だがそれを表に出すようなことはしない。彼女から敵意や悪意は感じられない。どういう意図があるのかも。

 

「共和国の方から?」

 

「……えぇ、まぁ。出身は向こうですね。厳密にはそういうわけでもありませんが」

 

「?」

 

「ゼムリアの、色々な場所を回っているのです。えぇ、それこそ東奔西走とも言うべきでしょうか。いえ、それは少し違うかもしれませんね。何分、急ぐ旅ではありませんから」

 

「は、はぁ」

 

 掴みどころのない女性だと、そう思わざるを得ない。

 ゆらりゆらりと揺らめく陽炎のような言葉。必要のない飾りのようなそれで本音を覆い隠しているかのような、そんな違和感を感じる。

 

「……では私はこれで。一期一会という言葉もありますが、私のような生きているか死んでいるかも分からない日陰者に声を掛けない方が良いですよ。見ての通り、感じの通り、面倒くさい女ですから」

 

 そう言い残すと、女性はするすると足音も立てずにトリスタの中心部の方へと消えて行った。

 狐につままれたような、とはこういった意味を指すのだろうかと先程までのやり取りを反芻する。夜間だというのに白昼夢を見たかのような、確実にあった事だというのに、幻であるかのように感じられてしまった。

 

「……帰るか」

 

 しかし気付けば先刻まで感じられていた心の中の靄のようなものが消えていた。……副作用か、精神的に疲れはしたが。

 そのせいか、その夜はいつもより深く眠れた事を追記しておく。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 クラスメイトが全員寝静まった頃、第三学生寮の管理人室にはいつもの三人が集まっていた。

 レイ、シャロン、そしてサラ。この三人が管理人室に集まる事は別に珍しい事ではなく、シャロンとサラは良くこの場所で酒を酌み交わし、時折レイがストッパー役として居合わせる。因みにシャロンは面白がってサラの暴飲を止めない。

 

 今日もまた、ハイスペースでジョッキを呷るサラと、いつも通りの涼しい顔で飲み進めるシャロンを眺めながらソフトドリンクを喉に流し込むレイ。たまにサラの絡み酒に付き合わされてアルコールを入れる事もあるが、そうでもない限りは今の立ち位置が基本だ。酒は飲めないわけではないが、身体が幼いままのせいかそれ程強くない。

 たまに酒の力で淫靡な雰囲気になってそのまま……という事も無くは無いが、今回は幸か不幸かサラの愚痴が止まらなかった。

 

「なぁーによハインリッヒのハゲ野郎‼ 「君はもう少し女性らしい淑やかさを身に着けたらどうだね?」って完全にセクハラよ‼ セクハラ‼」

 

「まぁ実際淑やかさは足りてねぇけどな」

 

「サラ様にはサラ様の魅力がございますから」

 

「一切フォローしないって良い度胸ねアンタら」

 

「別に気に入らないとは言ってないだろ。俺はそういうところも好きだからな」

 

 嘘偽りない本音だが、その言葉を聞いて酔い以上に顔が赤くなるサラを見てつい笑ってしまう。

 

「俺ぁあの先生嫌いじゃねぇけどな。ちっとばかし貴族派のケはあるが、学ぼうとする生徒に対しては真摯だ。貴族も平民も関係なくな。口調で七割くらい損してるが」

 

「リィン様も仰っておりましたね。真面目に教えを請えば、ちゃんととことんまで教えてくださる方だと」

 

「むぅ……」

 

 後はリーシャ・マオの隠れファンだという事も聞いていたが、それは言うのを止めておいた。

 よもやその憧れの少女に惚れている相手がいるなどと、まかり間違ってサラ経由で伝わろうものならば面倒くさい事になる。色々な人の名誉のために、黙っておくことにした。

 

 はぁ~という気の抜けた声と共にテーブルに突っ伏すサラ。そろそろ酔い潰れる頃合いか?などと思っていたが、突っ伏したまま再び喋り始める。

 

「リィン……リィンねぇ。なーんか感慨深いわよねぇ。七ヶ月くらい前はヒヨッコ達の集まりだったのに、いつの間にか”準達人級”に至る子が出てくるなんて」

 

「フィーは例外だけどな。アイツは最初から()()()()()()()()()()だ。強者との一対一(タイマン)は苦手だが、多数を相手にしての攪乱及び諜報は天才的だ。伊達にS級猟兵団で”二つ名持ち(ネームド)”だったわけじゃあない」

 

(わたくし)も、少々予想外でございました。先にラウラ様か、ガイウス様かと思っておりましたので」

 

 それについては、レイも同感であった。

 実際、戦闘センスという観点から見れば、その二人はリィンを上回る。だがそれでも、リィンが一番先に至ろうとしているのには、何か意味があるはずだった。

 

「ま、アイツは《剣仙》ユン・カーファイ老師最後の”直弟子”だ。八葉を完成させる最後の《剣聖》候補者。間違いなく”天才”の部類だろうさ」

 

「……アタシはあんまり《八葉一刀流》に関しては詳しくないんだけれど、八葉に於ける”中伝”ってのはどういうモンなの?」

 

 サラのその言葉に、レイは飲み物を啜りながら、言葉を選ぶように口を開いた。

 

「《八葉一刀流》は心技体の内、最も”心”を重要視する武術だ。元より東方系の武術はそういう傾向があるが……技が達者なだけでは八葉の名を背負う事は許されない」

 

「……リィンが初伝止まりだったのそういう訳ね。見た限り、技の冴えが初伝止まりとは思えなかったわ」

 

「八葉の剣士は大陸各地にいるが、そんな中でも老師が直接手解きをした”直弟子”達はまた別の存在だ。それは、リィンを含めて8()()()()()()()()、《八葉一刀流》の正統継承者―――つまり《剣聖》の名を冠するのは7()()()()()

 

「…………?」

 

 サラはその時点で明確な疑問を抱いたが、質問は後だと言わんばかりに、レイは説明を続ける。

 

「八葉の”直弟子”達は初伝までにまず、一から八までの基礎となる型の全てを叩き込まれる。それ以降は、適性のある型に尖らせる形で育って行くんだ。カシウスさんの《一の型》、アリオスさんの《二の型》といった具合にな」

 

 ただし、その育って行く過程に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。手取り足取り育て上げるのではなく、基本は基礎を叩き込んだ時点で老師の直々の修行は終わる。

 そこから先は()()()()()()()だ。鍛錬を欠かさず、向上に努める。他の剣術の流派と大きく異なるのは、やはりその部分であろう。

 だからこそ、《八葉一刀流》には直弟子たちが新たに練り上げた技が多く存在する。それを老師が咎めた事は一度たりともなく、寧ろそれこそが本領とでも言いたげに。

 

「八葉に於ける”中伝”とはつまり、一つの区切りだ。直弟子でなければ”奥伝”に至れない以上、それ以外の八葉剣士が到達できる最終目標。……それがどういう事か、お前なら分かるだろう?サラ」

 

 そこに至る事を許されたという事は、つまり”準達人級”の武人として恥じない実力を身に着けていると認められたという事。

 だが同時に、”《八葉一刀流》中伝”を名乗る為に適した試練もまた、厳しいものであるという事も理解できた。

 

「特に”直弟子”の中伝試練はキツいらしい。あのカシウスさんとアリオスさんも当時を思い出して相当苦い顔してたぜ」

 

 曰く、中伝試練はただ剣の腕が立つだけでは()()()()()()()()()

 曰く、下手をすると剣士としての尊厳を破壊しつくされる。

 曰く、絶対にもう体験したくない。

 

 そしてレイもそれを理解しているからこそ、流石に友のこれからを案じずにはいられなかった。

 

「名高き《剣聖》でいらっしゃるお方も、ですか」

 

「どんな武人であろうとも、未熟である時代はある。それを差っ引いても信じられなかったが……実際にやってみて分かったよ。アレを試練でやられたら確かに心折れるかもしれん」

 

「……リィンが老師から貰った手紙には、「八葉の直弟子の一人を向かわせる」ってあったみたいだけど。つまりはその人も《剣聖》って事よね?」

 

 サラの、一見その通りに見える疑問に、しかしレイは茶化すことなく首を横に振った。

 

「その考えは尤もだが、違う。()()()は《剣聖》じゃない。……いや、そう名乗る事を自ら拒んでいると言った方が良いか」

 

「そのように仰るという事は、レイ様はもうそのお方をご存じなのですね?」

 

 あぁ、と頷く。尤も、シャロンの方はもう心当たりを付けているのだろうが。

 そこでサラが、漸く合点がいったと言わんばかりに指を鳴らす。

 

「《剣聖》を名乗る事を許されていない最後の一人、ね」

 

「ご明察だ。とはいえ、老師はそこまで器の小さい人じゃあないだろう。俺が会った《剣聖》二人も、そう名乗る資格は充分過ぎるほどにあると言っていた」

 

 そこまで話を進めると、シャロンがエールの入っていたジョッキを静かに置き、微塵も酔っている様子を見せない落ち着いた口調で再び口を開く。

 

「《無剣》、《流水》、《断ち殺し》、《雲耀(うんよう)》―――数々の異名を持っていらっしゃる方ですわね」

 

「流石に<クルーガー>のリストには載ってるか。あの家が、()()()()()()()()()()()を放っておくとも思えねぇしな」

 

 その人物の事を思い出し、思わず口角が僅かに吊り上がってしまう。

 恐ろしい人だった。師とはまた違った意味で。武の極致とは様々なものを指すのだと、あの人が示していた。

 それをリィンが学ぶのは良い事だとは思う。肥大する力とは対極の存在。それに立ち向かう勇気を。

 

「笑ってるわよ、アンタ」

 

「悪ぃ。思い出してた。自分とは全く違う戦い方をする武人と戦うのがどうにも愉しかったからな」

 

「……その人と出会ったのは遊撃士繋がり?」

 

「カシウスさん繋がりだ。その人と戦えばより”強く”なれるって聞いてな。……実際愉しかったし、ためになったよ」

 

「《理》開眼者ですらトラウマになりかける相手に対して? アンタ、割と戦闘狂(ウォーモンガー)のケがあるわよね」

 

「馬鹿を言え。自分(テメェ)と同格か、格上の武人との死合いを愉しいと思うのは一定以上にまで至った武人の自然な(さが)だ。背負う者がない状態での死合いを愉しめない奴は、”達人級”にはなれねぇよ」

 

 レイ・クレイドルは殺戮を嫌う。虐殺を嫌う。戦争を嫌う。それが人の世では避けられないモノだと分かっていても。

 だからこそ、それに関わる時は笑う事など無かった。己の力で蹂躙する時も。弱者を嗤うのは愚者の行いだと義姉に教わっていたからこそ、レイはそこから先には堕ちなかった。

 

 だがそれでも、武人の本能までは抑え込めなかった。

 己と凌ぎ合える者との戦いは己の力を把握できる。己より格上の者との戦いは、進化ができる絶好の機会。

 力の在り方に悩み続けながらも、レイは力に対して貪欲ではあった。使い方に差異はあれど、極論として力がなければ何もできず、何も守れないから。

 

「ともあれ、だ。試練は明日だろう。シャロン、明日の夕飯はとびっきり美味いモンを頼む」

 

「はい、お任せくださいませ」

 

「ちょっと待って。何で明日って分かるのよ」

 

「簡単な話だ。今日一日、この街からその人の気配が漂いっぱなしだった。……結局見つけられなかったがな」

 

「見つけられなかった? アンタが?」

 

「異名の通りだ。雲のように掴みどころがない。隠れるとかそういうんじゃなくて、自然体で紛れて消えるんだ」

 

「中々厄介な御仁みたいね」

 

「明日のバンド練習は中止だな。ダチの試練だ。見届けなきゃいけねぇよな」

 

 そう言い、レイは天井を見た。

 

 

「さて、ダチ公。上手く乗り越えてくれよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 異様な空気が漂っているのは分かっていた。

 

 否、このトールズ旧校舎が異様な雰囲気を漂わせていなかった事など無いのだが、今日はまた違う空気が漏れ出ていた。

 そこに至るまでの林道を、リィンは一人で歩いていた。

 

 

 ―――今朝方、第三学生寮のポストに入っていた一通の書簡。

 

 

『リィン・シュバルツァー殿

 

 本日午後5時、トールズ士官学院旧校舎にて《八葉一刀流》中伝の儀を執り行う

 

 己の太刀と意思を携えて挑むべし

 

 尚、立ち合いは無用の事』

 

 

 差出人の名前すら書いていない、簡素な文。

 しかし、それを疑問には思わなかった。それが悪戯だとは思わなかったし、名を書かなかったという事はつまり、()()()()()()()()()という事だろう。

 

 一歩踏み出す度に強くなっていく、涼やかながらも凄烈な氣。―――あからさますぎて誘っているのもすぐに分かる。

 そう言えば名前を訊くのを忘れていたなと思い、リィンは旧校舎の扉を開けた。

 

 薄暗い中でも、眩しくなるほどに鮮やかな白と、緑。

 昨夜会った時とは違い、着物の上から白の外套を羽織り、その人は立っていた。

 

「……一期一会という言葉も存外アテにならないものですね」

 

 昨夜、彼女自身が言った言葉を否定しながら、ゆっくりと振り返る。

 

「改めまして、ね。リィン・シュバルツァー師弟。まぁ、本来私にこんな事を言う資格はないのだから、貴方の方は無視してしまっても良いわよ?」

 

「……それはできません。自分より先に師に薫陶賜り、奥伝に至った先達を貶す事など」

 

「はぁ……本当に真面目な後輩しかいないのですね。カシウスもアリオスも、あぁ、いや、例外はいましたか」

 

「《剣聖》に、《風の剣聖》……」

 

「貴方はどうですか、リィン・シュバルツァー。老師が見定めた最後の継承者。如何なる過去を持ち、如何なる未来を描くのか」

 

 声量自体は何処か抜けているように感じられるというのに、心の奥底にまで浸透する様な何かがある。

 その双眸は全てを見透かすように。《理》に至った者しか醸し出せない底知れない感覚を感じ、息を呑む。

 

 

「太刀を構えなさい」

 

 言葉を返すより先に抜刀していた。正眼に姉弟子を捉え、闘気を体中に充溢させる。

 

 

「私は、この場から半歩たりとも動きません」

 

「私は、貴方の繰り出す技の全てを躱しません」

 

「私は、己から技を出すことを致しません」

 

「私は、武器を扱いません」

 

「試練の内容は至極簡単です。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 その内容に、リィンは僅かに眉を顰めた。

 それは、ほぼ無防備の状態だ。攻撃を”徹す”のではなく”当てる”だけで済むのであれば、此方の攻撃を躱せない以上、最初の一撃で勝負がついてしまう。

 達成できないわけがない―――字面だけを見るならば、そう思うだろう。

 

 だが違った。何故だと理由を説明できるわけではなかったが、今まで数多の”強者”を見て死線を潜り抜けてきた彼の本能が告げていた。

 この試練は生半可なものではない―――と。

 

 

「―――《八葉一刀流》初伝、リィン・シュバルツァー。全身全霊を以て中伝の儀に挑ませていただきます」

 

「……宜しい。では、儀を執り行うとしましょう」

 

 目の奥が光った。形容し難い研磨され尽くされた闘気がリィンの全身を刺し貫く。

 

 

「《八葉一刀流》八の型《無手》、ユキノ・クシナダ。その信念を探らせていただくと致しましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本来、《八葉一刀流》という剣術の《八の型》に於いて”奥伝”というものは()()()()()

 

 トールズ士官学院本校舎Ⅶ組教室。学院際の練習を今日だけは中止して、一同は教壇を囲むように思い思いに佇んでいる。

 その教壇の上にはユミルでレイとカグヤの戦闘を覗き見るためにシオンが用意していた遠見の鏡が設置されており、そこに映されている旧校舎の様子を眺めながら、徐に正面の席に座ったレイがそう口を開く。

 

「奥伝が存在しない? どういう事だ?」

 

「そのままの意味だ。―――ラウラ」

 

「何だ?」

 

「《アルゼイド流》に()()使()()()()()は存在するか?」

 

 その問いに、武術を嗜まないメンバーは首を傾げたが、ラウラは少し顎に手を当て、そして頷いた。

 

「あるには、ある。だがそれは……」

 

()()()()()()()()()()使()()()、だろ? 《八葉一刀流》八の型《無手》は掻い摘んで言うとそういうものだ。得物を失った際に、それでも活路を見出すために会得するもの。必然的に他の技より優先度は下がる―――()()()()()()()()

 

 そう。建前なのだ。もっと言うのならば、武の最高峰を覗き込んだ者にしか理解できない真理とも言えるだろう。

 

「武術ってのは、極めるところまで極めると自然と原点に立ち返る。八葉の《八の型》もそういうものだ。そして原点であるが故に、”奥義”というものは存在しない。何故だと思う?」

 

「……技の全て、その全てが奥義であるが故に、か」

 

 そう答えられる程度には、ラウラも理解してはいるのだ。武の真髄とは、”一”のその果てに見据えるものであるという事を。

 

「まぁとはいえ? それに至れる武人なんて一握りも一握り。やたらめったら会えるモンじゃねぇ。でも幸か不幸か、あの人は、ユキナ・クシナダという武人は、その深淵を少し覗き込み過ぎた」

 

「《理》に至った武人というやつか」

 

「《八葉一刀流》には現在六名の《剣聖》が存在するが、それと比べても()()だ。そしてその本質は、相対した人間しか分からない」

 

 ゴクリ、と誰かが唾を飲んだ。

 レイが茶化すような口調ではなく、心底真剣な口調で誰かを評価している。それを笑って聞き流すには、少々死線を潜り過ぎたとも言える。

 

「まぁ、まずは見ておけ。世の中にはこういう戦い方をする人もいるんだと、知見を広げておく意味でもな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 迷いはなかった。雑念も捨てた。

 如何に目の前にいるのが、一見すると十代の少女にしか見えない人であったのだとしても、《八葉》の技を極めた者に他ならない。

 

 故に、初手で全力をぶつけるという選択を取った。

 長引かせて良い試練ではないという察しはついていたし、元より出し惜しみが罷り通るとも思っていない。

 此方の力量程度は、相対したその瞬間に見極められただろう。であれば、いかに瞬間的にでもそれを上回れるか否かこそがこの試練を切り抜ける鍵となる―――リィンはそう考えていた。

 

 

「《蒼焔ノ太刀》ッ‼」

 

 

 足が地から離れた瞬間に、太刀に纏われた蒼焔が大気を焼き始める。

 相手の回避を考慮に入れる必要はない。散逸する焔を一点に集中させ、破壊力を”点”に集中させる。

 

 全力の上段からの唐竹割り。言葉の通りユキノはその場から一歩も動こうとはせず、身を捻るような仕草も見せず。ただ目が焼けるような蒼焔が描く軌跡を真正面から眺めていた。

 

 このままでは直撃する―――そう思ったリィンであったが、もはや軌道をずらす事はできない。

 だが、その懸念の一切は杞憂に終わった。

 

 

「―――え?」

 

 気が付いた時、リィンは背中から旧校舎の石畳の上に倒れていた。両手で握られた太刀には、残火程度の蒼焔がチリついている。

 何が起きたのかを理解する前に、起き上がる。今まで徹底的に、それこそ老師に手解きを受けていた頃から”受け身”に関しては叩き込まれてきたリィンであったが、今は何故か、無様にも背中から倒れ崩れた。

 

 視界を移動させ、ユキノの方を見る。自分が放った技は当たったのか否か、それを確認するために。

 

 

 だが、すぐに目を見開くことになる。

 

 彼女は変わらぬ位置で立っていた。その長い髪は僅かに揺れてはいたが、その着物の裾の端にすら、焦げ跡一つ見当たらない。

 リィンが見ていた限り、彼女が手足のいずれかを動かしていたようには見えなかった。だというのに事実身体は吹き飛ばされ、彼女は未だ無傷でいる。

 

 無傷でいる、それ自体は珍しい光景ではないのだ。レイとの模擬戦でも、未だにそういう形で敗れる事がほとんどなのだから。

 しかしそれでも、どのようにして自分の攻撃が防がれたか、或いは躱されたかは理解できる。理解できるからこそ、試行回数を稼ぐことで改善点を見出すことができていたのだ。

 

 だが今回は違う。

 自分がどのようにしてあしらわれたのかが分からない。刀身に何かが触れたような感覚すらなかったというのに。

 

 何が何やら分からぬままに、リィンは再び斬りかかった。唐竹割りではなく、横薙ぎの一刀を。

 しかしそれも、まるで霞を斬ったかのような無力感を感じた直後、浮遊感と共に身体が軽く宙を舞っていた。

 流石に二度目は受け身を取ることができたが、ますます疑問は強くなった。

 

 ()()()()()()()()()()()()実体ではないのかとすら思ったが、その仮定はすぐに否定した。その程度すら見分けがつかない程未熟ではない。

 確かにユキノ・クシナダはそこにいる。自分の攻撃が通り抜けたわけではない。

 アーツによる幻術などではない。彼女からは一切魔力の励起を確認できていない。攻撃が通り抜けたわけではないのだ。

 

 

「……何をされたか分からないという顔をしていますね」

 

 先程までとは違い、まるで人間性を削ぎ落としたかのような冷たい声が降り注ぐ。

 

「武人同士の相対しにおいて、視覚というものは存外アテにならないものですよ」

 

「っ……」

 

 それは本来、己が気付かなければいけなかった事だ。それを姉弟子の口から言わせてしまったことに対しての無力感を覚える。

 

「己の思考、主観のみでの万物の把握は不可能。俯瞰し、客観性を極める事で()()()()技……八葉に於いてそれは、《観の眼》と称されます」

 

「…………」

 

「”《八葉一刀流》中伝位階”の名は甘くはないという事です。さぁ、立ちなさい。貴方の修める《無》が如何なるモノか、身を以て知ると良いでしょう」

 

 その言葉を機に、リィンは一度脳の中の思考をリセットした。

 無風の湖面の如く、波立たせず、あるがままを感じる事でこの試練が如何なるものを己に求めているのかを感じ取ろうとしたのだ。

 

 しかしその思考を―――乱すモノが()()してきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 喪中につき、新年の挨拶が出来ません事をお詫びいたすと共に、今年も宜しくお願い致します。十三です。

 原作ではユン老師からの言伝のみであった中伝の儀ですが、この作品でのそれがそんな軟なものであるはずがないじゃないですかって事で、いつもの試練の時間だよ‼

 というわけで新キャラ、ユキノ・クシナダさん。
 《八葉一刀流》八の型の伝承者。「黒い翼」様より案を頂いたキャラです。
 元ネタは「刀語」の「鑢七実」ですが、流石にあそこまでぶっ飛んだキャラにはできませんでした。割とマイルドです。ただ元ネタが元ネタなだけに強さの方が尖りに尖っております。
 因みにイラストはこちら↓

【挿絵表示】
  
【挿絵表示】



 さて、次回も続きますのでよろしくお願いします‼

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