英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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「剣に生き、剣に死ぬ。それ以外に俺たちに道はない」

                   by 斎藤一(るろうに剣心)








《八葉一刀流》中伝ノ儀 弐

 

 

 

 

 

 

 

 

 剣を”持たない”のではなく。

 

 剣を”厭う”ではなく。

 

 

 ただ、剣を”持つことができない”。

 

 

 それが、彼女が生来有していた”異常性”であった。

 剣だけに限らない。それが武器であるならば、槍であろうと銃であろうと弓であろうと、下手をすればただの木の棒であったとしても、彼女は上手く扱えない。

 

 人を殺すのは勿論の事、小動物や虫に至るまで、悉くを傷つける事が叶わない。

 それは呪いと称するに相応しい程のものであり、「才能がない」という言葉で片付けるのすら生易しい。

 

 そしてそれは彼女自身理解していた。武人という存在からは最も縁遠いと分かっていたし、そういった世界とは生涯関わる事はないだろうとも。

 

 

 

 ―――そんな彼女が、剣の流派として名高い《八葉一刀流》の()()()()()()となったのは、当人にしてみればあまりにも皮肉じみた出来事だったと言えるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――驚きましたな」

 

 思わず、といった口調で、カシウス・ブライトはそう呟いた。

 

 彼の眼前にいるのは二人。

 

 一人は舗装されていない地面の上に息を荒くして倒れ込んでいる少年。数ヶ月前、カシウス自身がスカウトして遊撃士協会所属となった、元《結社》の執行者という前歴を持つ剣士。

 身の丈に合わない長刀を携えたその少年の名は、レイ・クレイドル。後にレマン遊撃士本部にすらその問題児ぶりが伝わる準遊撃士。

 しかし、その実力は本物も本物。元”武闘派”《執行者》の前歴に恥じない強さは”達人級”に名を連ねる程。―――そんな彼が、無防備に命を取られる体勢を取り続けているのは珍しいと言える。

 

 そしてそんな彼を見下ろしながら、自らの頬をか細い指で拭う少女。

 否、それは外見だけの話だ。その落ち着き払った立ち振る舞いは、今が死闘の直後であることなど微塵も感じさせない。それも、”達人級”を相手にした死闘の後だ。

 

「……今の言葉はこの少年に対して失礼よ、()()()()

 

 外見だけならば娘程にも見える女性のその言葉に、しかしカシウスは素直に頷いた。

 

「確かに、少しばかり言葉が足りませんでしたな。しかし驚かせてください()()()よ。貴女が()()()()姿など、自分は見た事がないのですからな」

 

「……あぁ、やはりこれは、私の血なのね」

 

 陶磁器のように滑らかな頬に、ほんの僅かついた赤い線。そこから雀の涙ほど押し出された自らの血を指で拭い、そしてそのままその指を口に運んだ。

 

「ん……えぇ、カシウス。貴方の言った通り、自分の血を味わうのも久しぶりだわ。嗚呼、そういえばそうだったわね。私の味は、()()()()()()()()()

 

「どうでしたかな。彼の強さは」

 

 指を唇から離し、彼女―――ユキノ・クシナダは、気を失ったレイの近くまで寄ってしゃがみ込み、毛先だけ白く染まったその黒髪を撫でた。

 

「貴方が気を掛けるだけの事はあったわ。まだ13だというのにここまで苛烈に、鋭く尖った剣を振るう事が出来るなんて、一体何処まで深い地獄を垣間見ればこう成ってしまうんでしょうね?」

 

「…………」

 

「それに彼が使った剣―――《八洲天刃流》だったかしら? まさかあの鬼女が弟子を取っていたなんて、それこそ青天の霹靂なんていう言葉では到底表現しきれない程に驚いているのだけれど……まさか奥義まで修めているとは思わなかったわ。流石は元”武闘派”の《執行者》と言うべきね」

 

「はは、流石です姉弟子。貴女にはそこまで情報を開示していなかったつもりですが」

 

「あら、隠しているつもりだったのかしら。貴方が以前匿ってあげた子も、同じような境遇だったと聞いているのだけれど?」

 

 その時点で敵わないと判断したのか、肩を竦めるカシウス。S級遊撃士などと呼ばれるようになった今でもなお、この姉弟子には色々な意味で敵う気などしなかった。

 

「ですが、ただ”強い”だけでは貴女を傷つける事など叶わない。姉弟子、貴女は彼に、()()()()()()()()

 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ユキノは、僅かも逡巡することなくそう答えた。

 

「昨日より今日、今日より明日。一時間前より、一分前より、一秒前より―――過去の己より強くならねばならないという強固な意志。本人にしてみればその自意識は薄いのかもしれないけれど、彼は、そうね。典型的な修羅道の人間。あの師あってこの弟子ありと言ったところかしら」

 

「姉弟子。珍しく殺気が漏れておりますな」

 

「武人が高みを目指すのは当然の事だけれども、この歳にして既に”達人級”。幾ら才覚があったのだとしても、果たしてどれ程の地獄の修練を積んだのかしらね? 貴方が目を掛けたという事は、ただの戦闘狂という訳でもないでしょう? ねぇ、カシウス」

 

「…………」

 

「答えなさい弟弟子。私が面白くない顔をしている理由くらいは分かるでしょう?」

 

 中々に無軌道な生活をしているこの女性も、人並みに許せないと思う事はある。

 そうでなければ、カシウス・ブライトという男が姉弟子と慕う訳もない。そして無論、彼女が面白くない表情をしている理由も分かる。

 

 だがそれでも、敢えてカシウスは口を噤んだ。

 レイ・クレイドルは、息子として家族に招き入れた少年を命がけで守った恩人でもある。その彼の尊厳を傷つけるような過去を、好んで伝えようとは思わなかった。

 すると、その意思を理解したのか、ユキノもやや不満げながらその無言を受け入れた。

 

「……少し、興味が湧いたわ」

 

 そう呟くように言って、彼女は再び「カシウス」と弟弟子の名を呼ぶ。

 

「《八葉》の剣を継ぐ者でなくとも、私に久し振りに血の味を教えてくれた子よ。このまま自らが抱える業に縛り付けられたまま、達人の末席に留まり続けるのはあまりにも惜しい」

 

「えぇ、それは自分も思います。潜在的な力であれば、《風の剣聖》も上回るでしょうからな」

 

「そう思っているのなら、貴方が背中を押してあげなさい。私が知る限り、弟子の中で貴方が一番そういう事が得意ですからね」

 

「そう言っていただけるのは嬉しい限りですな。しかし私の見解では、姉弟子も苦手という訳ではないでしょう?」

 

「……苦手だとか、出来ないだとか、そういう問題ではないですよカシウス。()()()の私が、誰かに何かを与えるわけにはいかないでしょう?」

 

「…………」

 

「貴方は私とは違う。貴方は人を育て、導く才がある。でも彼に”導く”事は必要ない」

 

 当てずっぽうなどではなく、人間観察の極致に至った瞳がそれを見抜いていた。

 そしてこれ以上は語るつもりはないと言わんばかりに、ユキノは立ち上がって「あぁ、そういえば」と話題を変えた。

 

 

「2年前、えぇ、そう。最後に貴方と別れた後すぐに、師父から手紙が届いたのです。―――《無》の継承者が見つかったと」

 

「……成程。七の型―――《八葉》の最後の継承者ですな」

 

「その継承者が、彼と同じくらいの歳の頃らしいのですよ。えぇ、えぇ、もしかすれば」

 

 期待と、ほんの少しの慈愛。意外と情があるこの人であっても、ここまで肩入れするとは珍しいと、カシウスが思う程。

 そんな感情を込めながら、ユキノは呟くように言った。

 

 

「もしかすれば、この子と()の子は、互いに不思議な運命を紡ぐ事になるやも知れませんね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

『力を求めるか? 隷子(れいし)よ』

 

 

 世界が赤く染まって止まり、そんな声が、直接頭の中に響いてきた。

 高慢で、己が何者より優れていることを疑っていないような声。それに聞き覚えがあるからこそ、リィンは顔を顰めた。

 

「貴女は……ッ。何をしに出てきたんですか‼」

 

『そういきり立つな。余も今すぐにこの縛を解こうとは思わん。我が愛し仔の顔を立てて、暫くは貴様の中に居てやるとも』

 

「……その言葉を信じろと? 俺の身体と意思を散々弄った貴女を?」

 

『余は王である。その名に懸けて偽りを口にすることはない』

 

 その言葉には、有無を言わせぬ強さがあった。さしものリィンもそれ以上追及することは出来ず、じくじくと内側から漏れ出ようとする熱を抑え込みながら問う。

 

 

「……もう一度問います。一体何をしに出てきたんですか?」

 

『言ったとおりだ。貴様が求めるのならば力をやろう』

 

 だが、とそこで彼女―――エルギュラは言葉を区切った。

 

『以前のように貴様の潜在能力を捩じ上げるのも面白くはあるが、それでは()()()()。何より()()は、それだけで勝ちを拾えるほど容易くはなかろうよ』

 

「…………」

 

『クク、そう訝しむ顔をするな。だが貴様の考えている通りだ。余は善意では動かぬ。これはただの戯れよ』

 

「俺に力を貸して、貴女に何のメリットがある?」

 

『余が愉しむ為だ。得も損もない。愛し仔程ではないが、貴様も中々に面白い。故に、余が言葉を貸すのも一興だと思ったまでよ』

 

 そして、眼前に現れる傾国の美貌。

 しかしそれに見惚れる事はない。その内側にあるのが人外のそれである以上、僅かでも気を許してはならない。

 エルギュラもリィンのその心情を見抜いていたのだろう。益々口角を吊り上げて笑みを深める。

 

『乞え。未熟者が手を伸ばして何が悪い。貴様が背を追う我が愛し仔も、嘗ては余に言葉を求めたものよ』

 

「……貴女が元《結社》の《執行者》だった事はレイから聞いた。その時の話か」

 

『そうだ。さあ、貴様はどうする。このままでは貴様があの女の試練を突破するのは難しかろう。余の言葉に耳を貸せ

 

 覗き込むその双眸が、獣のそれのように鋭く尖る。真紅の瞳に黄金の光が混じり、射すくめるような視線がリィンの全てを征服せんと向けられる。

 そして、その声にも聞き覚えがある。ザクセン鉄鉱山の最奥で聞いた、総てを屈服させる王の声。

 顎に手を添えられ、囁くように言われた。脳髄を溶かすような甘く、しかし猛毒の誘い。

 目の前が昏く染まっていく。身を委ねてしまえば楽になると、そうヒトとしての本能が告げている。―――だが。

 

 

「断る」

 

 

 彼は、それを断固として跳ね除けた。

 どれだけ揺らぎそうになったとしても、その精神力が、今まで死線を潜り続けた事で鍛え上げられたその精神力が、魔神の誘惑すら弾いてみせた。

 

 エルギュラは一瞬だけ、それこそ瞬きの間程度の時間だけ目を見開き、しかし直後にはいつものように笑っていた。

 だがそれは、捕食者の笑みだ。微塵も喰らう事を諦めていない笑みであった。

 

 

『クク、ククク、クハハハハハハハハハッ‼ やはり貴様は面白い‼ 二度も余の言霊を跳ね除けるか‼ 迷った末の、葛藤の先での拒絶であったら否が応でも()()()()と思っていたが―――貴様、やはり()()な』

 

 その高笑いに、怒りの感情など微塵もなかった。

 ただ彼女は正しく評価したのだ。リィン・シュバルツァーの覚悟と、強さを。

 

 

「これは俺が乗り越えるべき壁だ。俺が、俺自身と向き合って進まなければいけない道だ。誰かに頼る事が必要だという事も分かっている。だけど、今は違う。……そうでなかったとしても、貴女の言葉に堕とされる訳には行かない」

 

『ほぅ』

 

「助力を申し出てくれたことには感謝する。だが、前にも言った筈だ。貴女の”力”は、俺には要らない」

 

 リィンにしては珍しい、完全な拒絶。

 分かっていた。それを受け入れてしまえば、自分は確かに強くはなるだろうが、同時にヒトとして大事なものを失うだろう。

 人として胸を張れない強さなど要らないと、あの戦いではっきりと告げた。それを迷うことはないし、撤回するつもりもない。

 

 何より―――そんな事をしてしまえば、人として強くなった(レイ)に顔向けができない。己を愛してくれた彼女(アリサ)に顔向けできない。

 

 

『―――やはり人間は面白い』

 

 憤怒という感情を知らないわけではないだろう。

 だが彼女は、人間という存在を遥か高みから俯瞰することを止めない。リィンはその正体を詳しくは知らなかったが。その在り方には、ある種の呪いのようなものを感じた。

 

『目先の欲望に頭を垂れて堕落の極みを尽くす存在(モノ)もいる一方で、たまに貴様のような存在(モノ)もいる。如何に魅力的な餌を吊るされようとも、毅然と振り払う”意思”の具現のような人間がな』

 

『余は人間の在り方そのものを愛しているが、()()()()()者共は特に好いている。余がどれだけ言葉を用いようとも棚引かぬ。余を斃さねばならぬモノとして殺意を向ける。―――50年前から余は、そういった者共が別格に愛おしくて堪らんのだ』

 

 狂っている。再びそう思わずにはいられなかった。

 己を害するものを愛する。器が大きいか小さいかの問題ですらない。何故そう思うに至ったのか、それを知る事すら危険であると思えるほどに。

 

『以前貴様には言ったな? 余が好むのは”拒む者”であると。そしてこうも言った筈だ。―――貴様も、我が愛し仔と同じ”異常者”であると』

 

「っ……」

 

『貴様の中のその”力”。それに諍う貴様は実に愛い。異常なる力を厭うのであれば、それに打ち克つ強靭な意思が無ければならん。―――我が愛し仔はそれを得た。許容できぬ犠牲と引き換えにな』

 

 彼が”達人”に至るまでに支払った犠牲。それは安くなく、とても重い事は重々承知していた。

 だが、己が自らそれを差し出せるかと問われれば、首を横に振るだろう。

 

『ならば、貴様は何を運命に差し出す?父か?母か?妹か?友か?仲間か?それとも、恋人か?』

 

「貴女は……ッ‼」

 

『犠牲無き進化など有りはせぬよ。異常者の進化であれば尚の事。定命と脆弱という名の鎖に繋がれた身で、蝋の翼を以て高みに至らんとするならば、何れを差し出すのは道理というもの。愛し仔もそう思っているだろうよ』

 

「強くなるために不幸になれと……貴女はそれが正しいと言うのか⁉」

 

『然り。絶望を識り、それを乗り越えんとする時にこそ、ヒトは最も美しく、強くなれるモノよ。―――貴様の深奥で揺蕩うのも飽きたのでな、その記憶も覗いたが……心当たりがあるのだろう?』

 

 否定は―――できなかった。

 思い出すのは9歳の頃。ユミルの山奥で魔獣と相対してしまった時。あの時にリィンは、自分の背中に隠れて震えてしまっていた妹を救うために、己の中の”力”を暴走させた。

 家族を失ってなるものかという、唯その思いが力を生み出したのだ。ただの子供が、魔獣一頭を惨殺できる程の力を。

 そう言う意味では、この女性の言葉も間違っていないのだと理解できる。だが、それでも―――。

 

 

()()‼ 少なくともレイ(アイツ)は、自分が差し出した犠牲のお陰で強くなったとは思っていない‼ それが、正しかったとも思っていない‼」

 

 理解は出来ても、認めるわけには行かなかった。

 一人だけであっても十二分に強く、本来であればクラスメイトであったとしてもわざわざ稽古をつける義理など無いというのに、嫌われかねないレベルで戦い方を一から叩き込んできたのは何故か。

 

 ()()()()()()だろう。オリヴァルト皇子が掲げた「第三の道」という信念を、仲間内で誰よりも理解していたのは彼だった。だからこそ最初から分かっていたのだろう。その道の先駆けとなる自分たちの前には、きっと多くの壁が立ちはだかる事になるだろうと。

 その険しい道を進む過程で、力無き者は淘汰されてしまう。幾ら理想を掲げたところで、それを貫く強さが無ければ無意味も同然。

 サラ・バレスタインという教官は彼らにとって良き教師であったが、彼女の役割は彼らに戦いの何たるかを仕込み、戦い以外の何たるかを教え、それが身に付いたか否かを見極めるというもの。だがレイは、常にリィン達の前を歩きながら戦う者の覚悟を示し続けてきた。

 

 

「貴女も分かっているはずだ。アイツを見てきた貴女なら。どれだけ自分が不幸な目に遭ったとしても、他人にそれを望むほど腐った奴じゃない‼」

 

『…………』

 

「貴女の言葉には、決定的に”ヒトへの理解”が足りていない。―――あまり俺の友人を嘗めるな

 

 人間として、そして何よりレイ・クレイドルの友人として断固たる口調でエルギュラという存在を否定する。

 怖くないというわけはなかった。彼女が本気で怒り、自分を殺そうと動いたのならば、確実に殺されるのだろうから。

 だが、本人にとっては不本意であったのだが、この女性はそういった事では怒りを示さないであろう事もまた分かってしまっていた。

 

 限りなく高飛車で、不遜で、己が最強かつ最高である事を信じて疑わない。ヒトでは無いが故にヒトの心を理解できず、理解しようともせず―――しかしだからこそ、()()()()()()()()()()”面白い”のだと考える。

 故に、己がどうしようもなく理解できない”それ”を示す者に対しては寛大なのだろう。ペットが噛みつく程度で怒るほどの狭量ではない、というだけかもしれないが。

 

 

『―――は、吼えたな。気に入ったぞリィン・シュバルツァー。それ程嘯くのであれば示して見せよ。犠牲無くしてもヒトは強く在れるのだと』

 

「……貴女に言われずとも」

 

『ならばこの程度の試練で立ち止まるな。此方(こなた)彼方(かなた)もヒトであるのならば、貴様が超えられぬ道理などあるまい』

 

 それが、彼女なりの激励のようなものだと理解するまでに数十秒を要し、その間に眼前の世界は”動き出していた”。

 旧校舎の据えたような匂い。不気味さすら感じさせる石床と石壁の色合い。そしてそこに佇む、雪を纏ったかのようないで立ちの姉弟子。

 

 

「……()()()は終わりましたか?」

 

「……気付いていたんですか?」

 

「えぇ、まぁ。自分の反応知覚範囲内(テリトリー)()()()()()()()流石に気付きます。……あまり踏み込んでしまうと後々面倒臭い事になりそうなので深くは訊きませんが」

 

 少々物臭そうな反応が返ってきたところで、リィンは再び太刀を構えた。

 身体は半身に、刀身は目線と並行に構え、一切の雑念を捨てる。室内を滞留する空気の音すらも聞こえない程に。

 

 《八葉一刀流》二の型―――『疾風』。

 地を蹴って最速で。技も思考も最上級に研ぎ澄ます。それでも、姉弟子に触れる事は叶わないだろう。そんな事は分かっている。

 その攻撃は、見極める事が目的なのだから。

 

 剣鋩が触れようとしたその瞬間、本当に僅かな間だけ、ユキノの腕の裾部分が()()()

 それは、瞬きすら惜しい、本当の意味での刹那の時間。だが、レイの剣速に慣れたリィンの眼は、そのブレを辛うじて捉えた。

 捉えただけ。対策ができたわけではない。思い通りに攻撃は素通りし、リィンは足を踏み込んで何度目かも分からない繰り返しを終える。

 

 だが、ただの繰り返しではない。

 どうにか()()()。己の行動すらも客観的に分析の対象にして流れを読むことで、自分が今何をされたのかを。

 

 段階は次へと移行する。次に為すべきは何か。それを考えるために視線を再び彼女の方へと移すと、ユキノは眼を見開いて驚いたような表情を見せていた。

 

()()()()

 

 次に口が開いて紡ぎ出された言葉に、始まる前までのどこか距離を置いたような雰囲気は無かった。

 

「己の全てを絞り出してこの試練を突破してみせなさい。貴方に、それが出来ないはずはない」

 

 口元が緩む。慢心をするつもりはないが、そこまで期待をされているのならば、男として応えないわけには行くまい。

 

「勿論です、姉弟子。《八葉》の末席を担う者として、この試練を乗り越えて見せましょう」

 

 

 

 ―――その時。

 

 

 キン、と。心の中で何かの音が響いた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

「……アイツ、やっぱ才能あるな」

 

 ポツリと、呟くようなレイの言葉に、ラウラが反応する。

 

「そなたがそこまで素直に武の才を褒めるのは珍しいな」

 

「そうかぁ?」

 

「少なくとも私は、そなたがそこまで言う程の事があったと見ているが」

 

 ラウラのその指摘は正しかった。

 戦闘……そのやり取りが戦闘と言って良いかどうかが疑問になるのはさておき、それが始まってから約2時間。傍から見れば、進展は何もないように見える。

 

 だが直近の攻撃は、レイにその言葉を漏れ出させるに相応しいものがあった。

 

「レイ、アンタがリベールにいた時にあの人の試練を特別に受けて、合格を貰うまでにどれくらいかかったんだっけ?」

 

()()。因みに俺が知ってる《八葉一刀流》の皆伝者では、カシウスさんが()()。アリオスさんが()()()かかってる。ま、勿論中伝前の話だけどな」

 

「……リベールの《剣聖》、クロスベルの《風の剣聖》でもそんなに」

 

「あの人の試練は、ハマる人間は確実にハマる。今まで自分が培ってきたものに絶対の自信を持っている内は、どんだけ時間をかけても突破は無理だ」

 

 その言葉に、他の面々は首を傾げたり、眉を顰めたりした。

 武人にとって、否、武人ではなくとも、それまで培ってきた努力の結晶というものは、運が悪くなければ実を結ぶもの。それだというのに、積み上げてきたものに意味がないなどと言われては疑問を感じるのも仕方がないというもの。

 だがレイは、直ぐに言い直した。

 

「あぁ、いや、言い方が悪かったか。そこに至るまでの努力の一切が無駄という訳じゃない。むしろそれすらしていない奴はスタートラインにすら立てない。この試練はな、突破するのに二つの要素が要るんだ」

 

「……単純なものじゃなさそうだね」

 

 何かを察したフィーの言葉に、レイは頷く。

 

「《八葉一刀流》の教えの中に、《観の眼》というものがある。単純な瞳力じゃなくて、文字通り観察眼の究極系だ」

 

 己のみならず、万象全ての現象を大局的に、客観的に()()()力。この力を身に着ける事で、《理》に至る道を開くことができるという。

 そういった力は《八葉》のみならず、様々な流派の中に組み込まれてはいるが、《八葉》のそれは特に”深い”ところまで探る。

 現状、直弟子の中でこの《観の眼》の技量に最も長けているのはカシウス・ブライトであるのだが、リィンは先程の一撃を放つ際に、その力の片鱗を垣間見せた。

 

「あの一撃を放った時、恐らくアイツはユキノさんの動きが”視えた”だろう。あの人の動きは、”準達人級”の武人であったとしても早々見抜けるモンじゃねぇ。たった一瞬であったのだとしても、その素養を見せる事がまず()()()だ」

 

「……結局、あの人はどうやってリィンの攻撃を去なしているの?」

 

 アリサが投げかけた疑問に、全員が聞き耳を立てる。サラでさえも、どのような技術を以て凌いでいるのか、それを見透かす事が出来なかったのだから。

 

「別に幻術を使っているとか、”異能”を使っているとか、そういったカラクリがあるわけじゃねぇよ」

 

 ならば自分たちが知覚できない”何か”であるのかという考えを、レイの一言が容易く打ち砕いていく。

 単純な、本当に単純な事なのだ。下手に頭を使って考えようとすると余計に深みに嵌っていく。

 だから、本当に根源的な所を覗かなければならないのだ。あらゆるものを俯瞰する”客観視”で以て。

 

「基礎は鍛えぬけば絶技になる。あの人はただ、「死なない」為に自衛の技を磨きぬいて、そして()()()()()()()()()特化型の”達人級”だ」

 

「死ななく、なった?」

 

 その疑問には答えず、レイは椅子の背もたれに体重をかけた。

 

 この試練を覗き見しているのは、何も心配だからではない。他の面々に、「こういった戦いも存在する」という事を理解させるため。

 なら、言葉でこれ以上説明するのは無粋だろう。補足が必要ならば、全てが終わった後にすれば良い。

 

 さて、と改めて思う。

 リィンの才能と成長性を加味して、自分よりも早く突破できると踏んでいたが、果たしてその目論見が正しいかどうかは最後まで分からない。

 だがそれでも、彼は昨晩のように友を信頼した上で意地悪そうな笑みを浮かべる。

 

 そこに、彼が試練を乗り越えられないかもしれないという懸念は欠片も宿ってはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 ―――思っていた以上に()()

 

 

 

 それが、ユキノ・クシナダが弟弟子、リィン・シュバルツァーに抱いた嘘偽りない感想だった。

 

 評価できる点は幾つもある。格上相手に様子見をせず、初手から全力の技を放ってきた点や、その攻撃が通じないと見るや、呆けている時間もそこそこに即座に()()に来た点。

 明らかに修羅場慣れをしている。油断したその一瞬が文字通り命取りになる事を身を以て理解できていなければ、こういった立ち回りは出来ない。

 

 望むと望まざるとに拘わらず、《八葉一刀流》正統継承者に定められた者は修羅場を潜る事になるのだが、彼の場合は一際異色であると思わざるを得ない。

 太刀筋から、()()()()()()()。今まで6人の正統継承者を見てきた彼女だが、ここまで苦々しい重みを抱えた命を見たのは久方ぶりだった。

 

 更にその行為も、研ぎ澄ました技を以て行ったものだろう。動揺も葛藤もあっただろうが、道を踏み外している様子はない。その点に於いては、まずは及第点と言えた。

 

 ()()()()()()。一因としてはそれだろう。道を踏み外してはならないと、そう強く思わせるだけの絆が。

 その中の一人が、あの時慙愧の念でしか剣を振るっていなかった少年であるというのは、少しばかり感じ入るものはある。―――だが、手心を加えるつもりはない。

 

 彼女が司るのは《八葉一刀流》の中伝。後に《剣聖》の名を冠するに相応しい者か否かを見極める事。

 これまで《剣聖》を名乗った6名も、全て彼女の試練を乗り越えた者達だ。一人残らず、容易に突破した者はいない。

 

 とはいえ、と思う。

 これ程の早さで《観の眼》を開眼し、自分の技を”視る”事が出来るとは思わなかった。その証拠に、今は大振りの技を避け、最小の動きで技を視切ろうとしてきている。

 

 

 

 ―――実のところ、レイの言葉通り、ユキノ・クシナダの”技”というものは特殊なものではない。

 だがそれは、彼ら達人級(常識外の者達)がそう思っているだけであり、常識の枠内に収まっている武人からしてみれば神業とも呼べる部類である。

 

 この世に存在する数多は、必ず何かしらの”流れ”の中に存在している。

 万物は流転し、無は有にして、有もまた無である。―――これはリィンが修めようとしている《七の型》の極意であるが、ユキノもまた、その流れを強く汲んでいる。

 

 ()()()()()()。ユキノは、自分があまり賢い部類の人間ではないことを自覚している。

 故に、己が辿り着いたその極意の通りに技を昇華させた。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ……結局のところ、それも彼女にとっては”自分の身を守る”技という認識でしかなかった。

 ”死なない”という概念が戦いに於いてどれ程の強さを誇るかを知らないわけではなかったが、自分から敵を倒せない上に、剣の才能が微塵もない人間が《剣聖》などという烏滸がましい名を戴く権利など無いと、今の今まで思い続けている。

 そんな思考だからこそ、ユン・カーファイは彼女を《八の型》を司る者に任命した。”生き残る”という技が如何に困難であるか否かを、彼女を通して他の弟子たちに叩き込む為に。

 

 しかし、彼女も有無を言わせない”達人級”。その技はただ”受け流す”だけではない。

 彼女の技は、相手の技を物理的に受け流すのではない。()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ()()()()()()()()()()概念を受け流すという超人じみた技だ。だからこそ、この試練が成り立つ。

 そしてそのカラクリを見極めるのが、この試練における「第一の壁」。必要なのは常識に囚われず、俯瞰視点を以て在り方を見通すモノ。即ち《観の眼》の開眼である。

 

 だが、それが成し得たからと言って、彼女の絶技を”抜く”事は出来ない。

 要求されるのは単純にして至難。要は瞬間的に彼女が”流せる”許容量を超えればよい。

 

 考え、考え、あらゆる手を尽くしてでも、一瞬は辿り着かねばならないのだ。

 《剣聖》の称号を戴いた時に辿り着く、非常識の階梯、”達人級”の領域に。

 

 そして敢えて、ユキノは何も口にしない。

 如何にすればその域に一瞬でも至れるのか。どのような技を以て試練を乗り越えなければならないのか。

 その答えは己で出さなければならない。それが《八葉》の名の重み。”直弟子”である事の重みである。

 

 

「(それにしても……)」

 

 リィンの太刀が産み出す”流れ”を全て受け流しながら、ユキノは思う。

 

 試練が始まった当初、彼の動きには僅かの濁りがあった。

 劣等感、焦燥感……今の自分では決して届かない領域にいる誰かの背を追い続ける焦りと、それに追いつく一歩を踏み出す事が出来るという焦り。

 それを抱くこと自体は仕方がない。あのカシウスでさえ、中伝試練の際は心の乱れを抱いていたのだから。

 だが、そんなものを抱いたまま突破できるような生易しいものではない。彼女の心の中にある僅かな矜持が、それだけは罷り通らせないと強く吼えているのだ。

 

 しかし、彼が”ナニカ”との時間を終えた後、それらの濁りは綺麗さっぱりと消えていた。まるで研ぎ終えたばかりの刃のような鋭さと、凪いだ水面のような静謐さを纏わせて、一刀一刀に魂を込めて振るってきている。

 

 その攻撃が一撃も当たらなくとも、決して腐る事がない。絶え間なく攻撃を繰り出しながらも、思考が全く衰えていないのが見て取れる。次に次にと、直前の一瞬よりも確実に迅い斬撃を繰り出してくる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()だ。自分の今の限界値を見極めた上で、それをどう上回れば良いのかを理解している。

 実に優秀と言えるだろう。武人として、その強みはいつか必ず自らを救う。

 

 だが、今ではない。右肩上がり程度の緩やかな成長ならば、ユキノがそれに対処する方が早い。

 跳ね上がらなければならないのだ。無理矢理にでも己が今いる階梯を叩き上げねば、試練を突破させる事は出来ない。

 それができるまで何時まででも付き合おう。あと数時間か?数日か? 不出来な姉弟子が成長途中の弟弟子に出来る事と言えばそれくらいだ。

 

 そんな事を考えていた最中、突然太刀の切っ先がユキノの視界の半分を埋め尽くした。

 

「――――――と」

 

 その攻撃は、ユキノが無意識に声を漏らしてしまう程度には鋭かった。

 無論上手く”流せた”が、リィンはすぐさま太刀の切っ先を引き戻すと、途端に動きを止め、身体を半身に刃を構え直す。

 

 僅かに、空気が変わったのを感じ取った。

 恐らく彼は無意識だろう。今まで積み重ね続けられた戦闘経験が、この膠着状態を突破するための打開案を閃かせただけ。

 

 この短時間で? と一瞬思いはしたが、しかしすぐに内心(かぶり)を振った。

 時間を掛けたところで、出来ないものは出来ないのだ。しかし逆に、最短で答えに辿り着く者もいる。それが彼であったというだけの事。

 それもただのセンスというわけではない。これは当然の帰結なのだろう。彼が今まで味わってきた生死の狭間での経験が生きた。

 ならば、姉弟子としてそれを受けなければならない。その一撃が自分に届くか否か。

 

 シン、と一切の音が排除される。感知範囲を極限まで狭く絞り、意識を深くまで潜らせる。

 牽制の為に闘気を放っては見たが、弾かれる。(リィン)は今、無意識下であったのだとしても精神を強固に固定させている。

 

 そして、動いた。

 

 その速さは、ただの歩法ではなかった。足元に瞬間的に魔力と氣を集めて推進力とすることで瞬間移動にも似た速度を生み出すもの。

 そしてそれを、ユキノは知っていた。だが、まさかそれを彼が使うとは思っていなかった。

 

「(【瞬刻】―――でもその程度では)」

 

 しかし、距離を詰めてただ斬りつけて来るのではなかった。刃は、ゆっくりと弧を描きながら彼の腰の辺りまで下ろされて―――。

 

 

「―――八葉一刀流」

 

 放たれたのは、同時の斬撃。

 ユキノを挟み込むように二撃。そして刀身に纏われた風の魔力が単身を巻き込むように圧縮されて、囲むような真空の刃を生み出す。

 

 ”流れ”はある。が、それらがほぼ同時に向かってきたとあれば、それは飽和して受け流す道を塞ぐ。

 

「終ノ型『毘嵐葉(びらんよう)』」

 

 増幅される剣閃。受け流す事は出来る。しかし―――。

 

 

 

「…………合格です」

 

 その玉肌に傷はない。紅い印は刻まれていない。

 だが、その前髪が僅かばかり斜めに刈られている。そして、巻き上げられた旋風に乗って、バラバラになったそれが石畳の隙間へと吸い込まれていった。

 

「見事、私に触れましたね。老師名代、八葉一刀流《八の型》伝承者ユキノ・クシナダの名に於いて、リィン・シュバルツァー門下生に中伝位階を授けましょう」

 

「――――――ぁ」

 

「最短記録です。誇りなさい、最後の《八葉》剣士。貴方が《剣聖》を名乗る日を楽しみにしています」

 

 優し気に微笑んだ姉弟子の表情を視界に収めたのを最後に。

 

 リィンの膝は、石畳の上に崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 





 どうも。ウイルス性胃腸炎にかかってつい先日までグロッキーだった十三です。やっぱ雪の日に外でフォークリフト乗り回してたのが行けなかったんやなって。
 誕生日に投稿しようと思ってたんですが、病気と、あと職場の人間が3人一気に辞めるせいで仕事が急増して執筆の時間が取れませんでした。許してくださいなn

 さて、これにて中伝ノ儀編は一応終了です。後日談みたいなのもありますが、まぁそれは次に持ち越しで。
 この世界の《八葉一刀流》の直弟子はこれくらいできないと認めてもらえないんですよ。地獄でしょ?一瞬だけ達人の領域に踏み込める才能が必要なんですよ。


 そしてFGOファンの皆様におかれましては如何お過ごしでしょうか。僕は次のCCCイベでカズラドロップちゃんなんぞが実装されようモンなら、また諭吉さんを生贄にカードを召喚しなくてはなりません。仕方ないね。
 皆さま、良きCCCイベライフを。またあの極悪菩薩を相手にしなきゃならんと思うと絶望感しかないけど、まぁ通過儀礼だからネ。

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