英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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安寧に刻む罅

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実感がない、というのが正直な気持ちではあった。

 

 

 目が醒めた時傍にいてくれたアリサによると、1時間程度気を失っていたらしい。しかしそれを理解しつくす前に、レイに後ろ首を掴まれて第三学生寮まで引きずられた。

 その時にはもうユキノ(姉弟子)の姿はなく、帰路につく最中、自分よりも舞い上がった仲間たちに称賛の声を貰いながらいつもの玄関の扉を開けると、嗅いだだけで食欲を刺激する芳香を吸い込んでつい腹を鳴らしてしまった。

 

 果たして、死に物狂いで全てを出し尽くした試練を突破し、気絶から醒めた直後でも腹を鳴らす事が出来る胆力を良しと捉えても良いものかと疑問には思ったが、今更この程度の事を深く考えても仕方がないと―――そう思える程度には図太くはなっていたのである。

 

 いつもの時間より随分と遅くなってはしまったが、それでもいつも以上に騒がしい夕食は楽しかった。

 とはいえ、羽目を外し過ぎるのは良くない。とても良くない。具体的に言うとラウラに酒を一滴でも与えたら駄目だと脳に刻み込まざるを得なかった。あれが悪酔いというものなのかという具体例としてはあれ以上のものはないだろう。ともあれ、レイが何かの呪文を刻んだ符をラウラの額に叩きつけて眠らせてくれたお陰で建物に被害が出なかったのは僥倖だった。

 

 その内、ミリアムやフィーといった年少組がウトウトとし始めたのを皮切りに、宴会は解散となった。

 その頃には、帰ってきた時にはまだ覚束なさが残っていた足の調子も元通りになり、何の苦労もなしに自室に戻ってこれた。そしてベッドに腰かけて僅かばかり呆けていると、今日が『アーベントタイム』の放送日であったことを思い出し、半ば諦めつつもラジオのつまみを捻る。

 

 

『―――はい、というわけで本日の『アーベントタイム』は以上となりまぁす。リスナーの皆さんは秋の夜長をどうお過ごしですか? 私は……そうですねぇ。綺麗な星空を眺めながらアルスター産の赤ワインを味わえたらもう言う事はありません♪……おっとっと、ディレクターに怖い顔をされてしまいました。

 まぁ、それは流石に贅沢でも、少しだけ厚着をして夜の街を散歩してみるのもいいかもしれませんね。もしかしたら、満天の星空よりも価値のある出会いが待っているかもしれませんよー?

 それでは皆さん、次の放送でもお会いしましょう。パーソナリティーは、ミスティでお送りしましたー♪』

 

 

 タイミング悪く、そこで『アーベントタイム』は終わってしまった。このところはこの番組を聞くのが割と習慣化していたせいで少しばかり残念ではある。

 とはいえ、酷く落胆する程でもない。ムンク辺りであればこの世の終わりのような顔くらいはしただろうが、そこまで深くこのミスティという女性の声に入れ込んでいるわけではない。

 

 だが、する事がなくなってしまったのも事実。本来であれば復習予習を欠かさない優等生であるリィンだが、今日ばかりはペンを取る気力はなかった。

 ネクタイを解き、襟元を緩めてベッドに横たわると、緩やかに眠気がやってくる。

 このまま睡魔に身を任せてしまおうかと思っていると、不意に自室の扉がノックされ、反射的に目を見開いた。

 

『リィン? 今、いいかしら?』

 

「アリサか。あぁ、大丈夫だよ」

 

 そう答えると、やや遠慮気味に扉が開かれる。

 正式に恋人同士になったものの、色々とあり過ぎてそれらしい事をほとんどできていない二人。精々が登下校時に(他の面々が気を利かせて)一緒に帰るか、こうしてどちらかの部屋を訪れるかくらいしかできていない。

 そんな数少ない恋人との時間を無下にするつもりはない。しかしアリサは、ベッドに腰かけるリィンを見て、少し申し訳なさそうな表情を見せた。

 

「あ……ごめんなさい。もう寝るところだった?」

 

「いや、もうちょっと起きてるつもりだったよ」

 

 そう言って、リィンは自分の隣のスペースをポンポンと叩く。

 ナチュラルにこのような誘い方が出来る程度にはアリサの事を特別視しているのだが、誘われた当の本人は顔を赤くしてしまう。

 好色男(プレイボーイ)としての素質は充分にある。多少レイからそういった知識の薫陶を受けてはいるが、大抵は彼の自前の才能だ。

 

 アリサがやや躊躇いがちにリィンの隣に腰かける。アリサが心臓の鼓動を早めているのと同様、リィンも女子の風呂上がり特有の柔らかな香りを感じて頬に熱を感じた。

 いつもであればこういった初々しい雰囲気が数分ほど続くのだが、今回はアリサが早々に口を開いた。

 

「え……っと、リィン。さっきも言ったけれど、中伝昇格おめでとう。私は武術にはあまり詳しくはないから、ラウラみたいにどういう風に凄かったかっていうのは分からないんだけど……でも、リィンが凄く強くなったっていうのは分かるわ」

 

「……いや、まだまださ。姉弟子の足元にも及んじゃいない。他の兄弟子とかと比べても、ね」

 

 あくまでも謙虚に振舞うリィンに対して、アリサはゆっくりと首を横に振った。

 

「貴方がそう思っていても、私にとっては違うわ。―――好きな人の格好いい姿が見れたんだもの。最高の日だったわよ」

 

 そしてアリサも、素でこういう言葉が出てくる程度には本気でリィンを愛しているのだ。

 とはいえ、剥き出しの好意を向けられて平静を保っていられる程、リィンも達観していない。沸騰しそうなほどに赤面した顔を見られたくなくて、思わず片手で顔を覆い、そむけてしまう。

 

「でも、そうね。少し寂しかったりするの」

 

「え?」

 

「貴方が武人として強くなっていくのを見る度に、どんどん私と住む世界や、見ている世界が違ってきている気がして……私にはその才能は無いから、貴方の隣で貴方を守る事はできないもの」

 

 自分に武人としての才能は無い―――それをアリサは充分理解していた。

 リィンは”達人級”であり、今まで自分たちを守り続けて来てくれているレイの背中を追い続けていて、そして自分はそんな恋人の背を見る事しかできないのだと。

 それがもどかしくて、悔しくて、しかしどうすることもできないからその思いを秘めておくしかなかった。

 

 その想いを当のリィンに打ち明けた理由に、確たるものがあるわけではない。

 ただ、この人には隠し事が出来ないと思っただけの事。人の心を探る術を磨いてきた彼女が、家族以外で心の全てを曝け出しても良いと思えるだけの存在に、彼がなっていた。

 

 

「……それは違う」

 

 だが、好きな女性にそこまで言わせておいて、首を縦に振るほど、リィン・シュバルツァーという男は物分かりが良いわけではない。

 

「俺が強くなれているのは、今まで俺を支えてくれた家族や、教官や、友達―――そして何より、アリサ。君という守りたい人ができたからだ」

 

「っ―――」

 

「俺はまだ弱い。自分の”力”の制御もまだままならないような未熟者だ。だからアリサ、俺の近くに居て欲しい。俺が道を見失わないように、俺と同じ世界に居て欲しいんだ」

 

 それは遠回しのプロポーズのようでもあったが、アリサとしてはそれどころではなかった。

 彼女も、同年代の少女よりかは現実的に生きている自覚はあったが、それでも思春期の女性だ。両想いの異性に真剣な顔で真正面からこうまで言われれば、脳内の理性が焼き切れそうになるのは道理と言えるだろう。

 

 頭から煙が出ているのではないかと錯覚するほどに茹だった思考を戻そうとして、しかし一度現れかけた本能がリィンの顔を抱き寄せた。

 アリサが理性を取り戻したのは、既にリィンの唇を奪った後だった。ハッと意識が現実に戻り、早々に唇を離すと、そのまま逃げるようにして部屋を後にする。

 

 残されたリィンは、直前まで彼女の息が触れていた自分の唇に触れる。

 本来は逆の立ち位置であったはずなのに、自分から奪った唇も、奪われた唇も、同様の熱を帯びていたことに気付く。

 

 異性に対しての”愛”という感情。未熟者である自分が、それを理解するのはもう少し先の事だと思っていた。

 だが、おぼろげながらそれが理解できたような気がした。言葉では形容し難いものではあるが、それが自分にとって無くてはならないものであることも。

 

 

 気が付けば、先程まで自分の意識を連れて行こうとしていた睡魔は完全に消え去っていた。

 

 悶々とした感情に悩まされながら、彼は一人、少し古ぼけた部屋の天井を仰ぐ事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「及第点よ」

 

 ユキノは多くを語らず、ただその一言が全てだと言わんばかりに落とし込んだ。

 

 月の光より先に導力灯の光が視界に飛び込んでくるベンチの上で、レイは背中合わせで座る彼女のその言葉に苦笑した。

 

「……合格ではあるけれど、まだまだ粗削りって事ですかね?」

 

「本来こうした言い方は仮にも先達として失格だという事を分かった上で敢えて言うわ。―――それは自分で気付くべき事よ」

 

 まぁそうだろうな、と。そう分かっていたからこそ、レイもそれ以上は追及しなかった。

 己は常に未熟者であるという思考を何処かに持っていなければ、武人は成長できない。

 そういった意味で、リィンがその心構えを怠る事はないだろう。傲慢とは対極にあるような男だ。

 

 

「……あの子が修めるのは《七の型》。名は《無》。カシウスが修めた《螺旋》が全ての武術に通じるモノであるならば、《無》は万物総ての根源とも言えるモノ。―――八葉の中でも最も()()()で、そして最も才ある者が受け継ぐ型よ」

 

「…………」

 

「何であれユン老師はあの子にそれを託した。私はそれを見極めた。ねぇレイ? あの子が《理》に至るまで長くかかると思うかしら?」

 

 投げかけられたその言葉に、レイは数秒目を閉じてから、首を横に振った。

 

 才能云々の話ではない。それに至らねばならない程の運命に巻き込まれるのであれば、そうなるのは必定だ。

 同情はしよう。だが憐れみはしない。それを凌げるだけの下地は整えたつもりだった。八葉の剣士でもないのに烏滸がましい限りだという自覚はあったが、忌避感はなかった。

 

「……えぇ、そうね。ねぇ、レイ。貴方【瞬刻】をあの子に教えたのかしら? 貴方が八洲の技を誰かに教える事は無いと思ったのだけれど?」

 

「教えてませんよ。アイツに仕込んだのは()()歩法です。《見稽古》持ちでもねぇのに、モノにしやがりました」

 

「危なかったわね。老師より先にあの鬼女に見つかっていたら、貴方諸共弟子にしかねなかったわ」

 

「俺は割とあの時精神ぶっ壊れてた自覚ありましたから何とか煉獄行きの片道切符みたいな修行耐えられましたけど、アイツならたぶん途中で廃人になってましたね」

 

「やっぱりあの女、いっぺんこの世界から追放するべきね」

 

 心底呆れたような溜息を漏らしてから、ユキノは音も立てずにベンチから立ち上がった。

 

 

「まぁいいわ。私の役目は果たしたのだし、この街に居続ける意味もないわね」

 

第三学生寮(ウチ)に来りゃ良かったじゃないですか。美味いメシを用意しましたのに」

 

「悪いけれど、若い子たちに気を遣われる趣味はないわ。リィン(あの子)にはこれからも精進するように伝えておいて」

 

 まぁそうだろうなと、少しではあるがユキノの性格を知るレイは笑った。

 あまり俗世に関わる事を良しとしないのがこの人の生き方だ。その異名の一つのように、雲のように様々な場所を棚引くように移動するだけ。

 ()()()()()()()()()()事も勘付いてはいたが、それを問うたところでこの人は答えないだろう、とも。

 

「帝国からは離れるんですか?」

 

「いえ、一度クロスベルに行くわ。……()()()()()()()()()()をしようとしている馬鹿弟子の一人の様子を見に行かなければならないもの」

 

 口元こそ変わらず少し笑っていたものの、レイは背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 

「……お手柔らかに」

 

「何を言っているのかしら? 私は別に叱ろうとも折檻しようとも思っていないわ。……アリオス(アレ)は自分の意思に基づいて動いている。義に背いているのも、道を外れているのも、承知の上でしょう」

 

 貴方はどうなのかしら? と、ユキノは逆に訊き返す。

 

「何か訊きたいことがあるのなら、行きがけの旅費代わりに聞いておいてあげるけれど?」

 

 その申し出に、静かに首を振った。

 

「特に、何も。俺があの人に言いたいことは、別れる時に言ったつもりですから」

 

 それだけを聞くと、ユキノは「そう」とだけ返し、踵を返す。

 ふわりと、夜風に乗って長い髪の一房がレイの頬を撫でる。

 すると、徐にレイの正面に回り込んで、その顔を覗き込んできた。

 

 

「……だけれどまぁ、安心したわ」

 

「?」

 

「大方あの鬼女が何かしたのでしょうけれど、貴方、随分とマシな目をするようになったわ」

 

「……前に貴女と会った時、俺ぁそんな死んだ目をしてましたかね?」

 

「死んだ目、というより、死に体の目だったわ。私は別に己の罪を永劫抱えながら強さを求める事自体は否定はしないけれど、それがいつか死を招く事も分かっていた。……あぁ。そういう意味ならただ成り行きに任せた私よりも、多少乱暴な方法であったとしても、引き戻したあの女の方がマトモなのかもしれないわね」

 

 その言葉を聞き、レイは皮肉気な表情を見せる。

 恐らくは、Ⅶ組の仲間たちが一度も見た事がない表情だっただろう。そのくらいに、今の彼の身上は複雑だった。

 

「何を言ってるんですかユキノさん。えぇ、確かに俺は師匠を尊敬しています。あの人の強さに魅せられて、救われた。あの人がいたから今の俺は戦える。何かを守ることができる。―――でも俺は、今まで一度だって()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「…………」

 

「あの人の異常性なんてとうに理解しています。だから、あんまり気にしない方が良いですよユキノさん。貴女は、()()()()()()()()()

 

 すると、それまで全く表情を変えようとしなかった彼女が僅かに口角を吊り上げた。

 否、実際笑いそうにはなっていたのだ。”達人級”の武人は元来「マトモ」などという言葉とは無縁な存在だ。ましてや彼女のような、技の概念そのものに対応する様な絶技を持つ者に関しては。

 だが、それでもレイ()にとってみれば突出した「異常」の範疇には入らないのだ。

 価値観が麻痺しているのだろう。何せ修業時代に異常性の代名詞共(カグヤとアリアンロード)というどう考えても常人とはかけ離れた者達に鍛えられた過去があるのだ。アレらと比べれば、確かにユキノはまだマシだとも言える。

 

「……ふぅ、私を見てそう言うのは貴方くらいのものよ。まぁ、それくらいでいる方が丁度良いでしょうけれど」

 

「ユキノさんにそう言って貰えると気が楽になりますね」

 

「別に褒めているわけではないわ。何よりも絶人の狂気を知っている貴方が倫理を弁えているというのは貴重だという事だけ。ソフィーヤには感謝しなさい。貴方の精神が壊れなかったのは、間違いなく彼女のお陰だもの」

 

「……分かっていますよ。姉さんには本当、死ぬまで感謝してもし切れませんから」

 

 その言葉に多少満足したのか、一つ息を吐く。

 だがこれでいい、と安堵した部分もある。何処かしら精神的に不安定な部分を持つのが若い達人の特徴ではあるが、彼の場合は既に克服しかけている。

 その契機となったのが、仲間や恋人、友と過ごした時間であったのならば、これ以上自分が深入りする必要もないだろう、と。

 

「また帝国には戻ってくるわ。それまで生き残っているように」

 

「はいはい。代わりのお役目、全うさせていただきますよ。―――ユキノさんもお気をつけて」

 

「死にたがりでも死期は選ぶわ。弟弟子たちの前では死なないわよ」

 

 どこか矜持を感じさせるその言葉。それを最後に、ユキノは気配さえ消し去ってその場から離れた。

 一息吐いて、東を見る。その遥か彼方にあるのはクロスベルだ。帝国よりも一足早く試練を迎えようとしている場所だ。

 とはいえ、同情はしない。同情とは、それができるだけの余裕が有る者がする事だ。今の自分に、それができるだけの余裕など無い。

 

 もう一度ベンチに深く座り直し、空を見上げる。

 秋の夜長に相応しい、晴れ渡った夜空だ。とはいえ、流石に少し冷えるのも確か。修業時代に真冬のアイゼンガルド連峰に身一つで放り込まれた事のある身としてはまだまだ何ともない程度ではあるが、喉奥から口腔を経て白い息が出てくるレベルには極限状態から離れてしまっていた。

 

 それが良い事なのか悪い事なのか。少なくとも師匠に稽古をつけて貰っていた頃は、油断していれば殺される可能性があったので今のように熟睡することもできなかったし、こうして夜空を眺めてボーッとするような精神的余裕があったわけでもない。

 だが、あの頃の自分には今の自分とは違う強さがあった。冷徹に人を殺せる強さがあった。今はそれがない、と断言はできないが、少なくとも自分の技が誰かの命を奪う際に()()が入ってしまうのも確かだろう。

 

 どちらが武人として幸せか、などと考えだせばキリがない。しかし、個人的に今の立場は気に入っている。なら、そういう事を考えるだけ野暮というものだろう。

 

 尤も―――その平時をいつまでも享受はできないのだが。

 

 

 

 

「―――お隣、良いかしら? 色男さん」

 

 気配は感じなかった。古式魔法で意図的に消していたのは明白であったし、声を掛けられたところで狼狽する程未熟でもない。

 

「生憎とアルスター産の上物ワインは持ってねぇぞ」

 

「あら嬉しい。聴いてくれているのね」

 

「まぁな。暇つぶしには丁度いい。相変わらず声だけは良いからな、お前」

 

「あら酷い。これでもリスナーさんからは大好評なのよ?」

 

 被っていたハンチング帽を器用に指で回しながら、その女性は全く傷ついた様子など無くそう言う。

 

「でも残念だわ。もう少し驚いてくれると思っていたのだけれど」

 

「夜に出歩くたびにお前の魔力の残り香が鬱陶しかったからな。委員長とセリーヌの方にはご丁寧に隠蔽術式組んでたくせに、俺にはスルーだったろ」

 

「ふふ、だって貴方の魔力感知を誤魔化すレベルの術式を常に張っておくわけにはいかないもの。疲れちゃうわ」

 

「出来ねぇとは言わねぇのがお前らしいな―――ヴィータ」

 

 ラジオ番組『アーベントタイム』パーソナリティー、ミスティは仮の名前。帝都歌劇場を連夜満席にするオペラ歌手《蒼の歌姫(ディーヴァ)》も仮の姿。

 結社《身喰らう蛇》最高幹部《使徒》第二柱、《蒼の深淵》ヴィータ・クロチルダは、俗世に混じる仮の姿で妖艶な笑みを見せた。

 

 ふと、彼女の白魚のような手先がレイの首筋に触れる。それを邪険に払わなかったのは、そうするまでもないと判断したからだ。

 

「あら、私が埋め込んだ術式が大分()()()()()()わね。流石に良い仕事するわあの子(アンナロッテ)

 

「マジか。最初見た時完全にネタ枠が来たかと思ってたが……術式解体の専門家がやるとここまで早くできるモンなんだな」

 

「まぁ、でも? 私のこの術式が消えたところで貴方は《結社》に関しての深い事は関係者以外には話せないでしょう? 脱退組が何より恐れる《処刑殲隊(カンプグルッペ)》の元一員としては、ね」

 

 頷きはしなかったが、同意するしかなかった。

 

 《執行者》No.Ⅴ、《神弓》アルトスクが率いる、本当の意味での執行部隊。脱退組でなくとも、不必要に《結社》の根幹に至る情報を漏洩した者を―――それが意図的であれ偶然であれ―――確実に誅伐する”白の処刑人”達の部隊。

 ”人狩り”に特化したこの部隊に狙われれば、例え”達人級”であろうとも無事では済まない。それは、嘗て修行の一環として部隊の末席を担っていたレイが一番良く分かっている。

 

「言われなくても分かってる。俺だってアルトスクさんを敵に回そうとは思わねぇさ」

 

「その方が私も助かるわ。……正直、えぇ正直、これ以上心労は抱えたくないのよねぇ」

 

「マジザマァwww」

 

「呪詛返しするわよ? エッグイやつ」

 

「ンな事やったらグリアノス焼き鳥にすっからな」

 

とはいえ、と思う。現在帝国に来ている《結社》のメンバーを見れば、恨み言の一つくらいは言いたくもなるだろう。

 

 

「……クロスベルの方もそろそろ派手になりそうだな」

 

「あちらは聖女様と博士が主導しているもの。貴方としたら気が気ではないかしら?」

 

「気にならないと言ったら嘘になるけどな。まぁ大丈夫だろ。あそこにいる奴らが、簡単に折れるとは思えないからな」

 

「……少し驚いたわ。貴方、そうやって裏表なく人を信じる事ができるようになったのね」

 

 珍しく、心底驚いたかのようなヴィータの声に、レイは挑戦的な笑みを浮かべた。

 

「そりゃあ《結社》を離れてからお前と会う事も無かったからな。こちとら一応成長はしてんだよ」

 

「ふふ、そうね。貴方、あそこに居た頃は私の事を毛嫌って話しかけようとしてこなっかったもの。今もそうなのかしら?」

 

「勿論、()()()()()()()()()()()()()ヴィータ」

 

 この魔女、性格がねじ狂っているところは確かにあるが、それでも《使徒》の中では充分倫理的にマトモな部類ではある。

 《白面》や《蒐集家》と較べれば付き合いやすい。ただそれでも、レイ・クレイドルはヴィータ・クロチルダという存在を好きにはなれなかった。

 まぁそもそも《結社》に居た頃の、精神的に未熟であった彼はその辺りの線引きがあまりにもはっきりしていたというのもある。

 好きな者と、嫌いな者。その境目を曖昧にできないその時の自分を嘲け笑う事はしないが、それが正しい事ではないことも分かっている。

 

 今は、こうして皮肉を言い合える程度にはマシにはなってきた。

 自分に対して過剰すぎる程の呪いを植え付けた理由も分かっている。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 嫌いであると口では言うが、《蒐集家(コレクター)》やザナレイアなど、どう足掻いたところで”嫌悪”しか抱かない存在とは違う。口角を吊り上げて「嫌いだ」と言える。その程度のものでしかない。

 

「んで? どうしてこのタイミングで俺の目の前に姿を現した。流石にこの間合いだと、お前の術が完成する前にその喉を貫く方が早いぞ」

 

「あら、冗談も得意になったのね。貴方が変な方向に染まっていなければ、私をここで殺す事にデメリットしか感じないでしょうし」

 

「とか言いつつ薄く防御結界張ってんじゃねぇよお前。俺の事1リジュも信用してねぇじゃねぇか」

 

「保険は大事よ? 何事にもね。あと、信頼していないわけじゃないわ。貴方は理性的な武人だもの。「面倒くさくなったら取り敢えず殴っておけばいい」なんて蛮族思考じゃないものねぇ?」

 

「おう、ナチュラルに人の義兄(あにき)をディスるなや」

 

 こんな風に軽口を叩いてはいるが、恐らく今、自分が全力で仕掛けたところでヴィータの命を取る事は出来ないだろうと確信していた。

 倫理観はまだマトモに近くとも、彼女も《結社》の《使徒》の一角である。その程度のリスクの管理が出来ていないはずがない。

 そうでなくとも、百年に一人と言われるほどの才覚を持つ稀代の魔女である。長であるローゼリアの『十三重詠唱(トライド・カゴン・スペル)』には及ばずとも、若干20歳で『九重詠唱(ナノゴン・スペル)』という、ただの天才では辿り着けない領域に足を踏み入れた存在。

 

 純粋な魔法技量という点で見れば《紅》のローゼリアや《侍従長(セフィラウス)》リンデンバウムには及ばないが、こと魔法の改造技術に於いては彼女の右に出る者はいないだろう。

 今体に這わせるように張っている防御結界も、どのような迎撃術式が捻じ込まれているか分かったものではない。

 

「……別に大したことでもないのよ。えぇ、本当に。ただちょっとだけ、貴方の顔が見たかっただけだもの」

 

「胡散臭ぇ事この上ねぇんだけど」

 

「まぁそう言わないで頂戴。これでも貴方の実力は買っているのだし、貴方が入れ込んでいるクラスの子たちも買っているわ。それこそ、《灰》に呼ばれている子もね」

 

「…………」

 

「クロスベルから始まり、エレボニアに繋がり、そして大陸全土に混沌が伝播する。―――果たして貴方は生き残れるかしら?」

 

 挑発するような魔女の口調。レイはちらりと一瞬だけ別の方向を見てから、ふらふらと手を振った。

 

「悪いが俺は、死に顔を晒すときは孫に囲まれてベッドの上でだって決めてるんだ」

 

「あらそう。貴方も愛に生きる事を知ったのね。とても素敵な事だと思うわ」

 

「お前は……いや、何でもねぇ」

 

 流石に()()()()()()()()()()がある。だからこそレイはその先を濁した。

 

「で? 俺の顔を見れて満足か? 満足したなら俺はもう帰るぞ。祝勝会で間違えて酔っぱらったアホがそろそろ目ぇ覚まして自暴自棄で死にたくなってる頃合いだから慰めに行かなきゃならん」

 

「貴方も割と苦労人してるわねぇ……」

 

「ホントそれな」

 

 妙な同族感が生まれたところで、レイは防音結界が張られていたベンチから離れる。

 

「お前の事だから認識阻害も完璧なんだろうけどな。バレたら色々面倒だからとっとと帰れ」

 

「あら、心配してくれるの?」

 

「うるせぇ。ルシードけしかけんぞ」

 

「貴方段々私のあしらい方雑になってきてないかしら?」

 

「なんかもう面倒臭くなって来たんだよ。察しろ」

 

 それにもう眠いし、と続けて、ヴィータに背を向けて歩き出す。

 しかし、何かを思い出したかのように立ち止まると、背を向けた状態のまま再び口を開く。

 

「委員長に―――エマに何か伝言があるんなら聞いてやる」

 

 その言葉は予想外であったのか、ヴィータは一瞬だけ目を見開き、そしていつも通りの笑みに戻った。

 

「気持ちはありがたいのだけれど、大丈夫よ。私はまだ、あの子に存在を悟られるわけにはいかないもの」

 

「ふーん」

 

 人の事を言えた義理ではないが、不器用な生き方をしているものだと思う。

 何だかんだ言って妹の事を気に掛けているくせに、努めて冷静に振舞おうとしている辺り、複雑ではある。

 

「それじゃあね。学院際でのボーカル、楽しみにしているわ♪」

 

「……やっぱお前性格悪いわ。クソッタレ」

 

 結局のところ、最後までお互い意地悪く言葉を交わし合って別れた。

 

 思っていたよりも長く外に居すぎたせいか、気付けば両手が冷たくなっていた。

 耐えられない程でもないが少しばかり感覚を戻すために息を吹きかけようと立ち止まると、その冷たくなった両手を別の手が包み込んだ。

 

 

「手が少し荒れてしまっていますわ。寮に帰りましたら、クリームを塗って差し上げますわ」

 

「……やっぱいたのか、シャロン」

 

 ヴィータと話している時、ずっと視線とほんの僅かな殺気を感じていたが、まさか本当に監視されているとは思わなかった。

 ちらりとその表情を窺うと―――いつもの柔和な表情の中に、少しだけだが拗ねているような濁りがあった。

 

「言っておくけど、別に何もされてねぇぞ」

 

「何の事でございましょう。(わたくし)はただ、長く戻られないレイ様を案じてお迎えに上がっただけですわ」

 

「あーはいはい。メイドモード崩さないレベルには不機嫌ってか。そりゃお前は俺とアイツの確執を知ってるしな」

 

 そう言うと、レイは徐に差し伸べられていたシャロンの手を引いて、その翡翠色の瞳を近くから覗き込んだ。

 

「安心しろ。本当に何もねぇ。……絶対にお前らを裏切るようなことはしねぇよ」

 

 囁く程度の声の大きさ。それを耳朶から聞いたシャロンは、珍しく呆けたような表情を一瞬だけ浮かべた後、いつもの二人の時だけの距離まで詰めてきた。

 

「……申し訳ありません。少々、気弱になってしまいました」

 

「気にしてるわけねぇだろ。それよりとっとと戻ろうぜ。暖かいシナモン入りのアップルティーでも淹れてくれ」

 

「ふふ、分かりました」

 

 

 

 ―――平穏な日常を謳歌できる時間は、あまり残されていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 はい。どうも。長らく期間を開けてしまい申し訳ありませんでした。
 
 今年に入ってから職場の人間が4人辞めてしまい、勤続年数的に自分が部門のリーダーっぽい何かになってしまった為、人手不足と引き継ぎとでクソほど忙しかったです。人手を寄越せ。このままじゃ新人教育も碌にできん。

 あ、遅れた理由の大半は多分「ゼルダの伝説Botw」だと思います。あのゲームヤベェわ。

 さて、今回で「幕間ノ章」は終了となります。次回からようやく「終章」と相成ります。

 なるべく早く投稿させていただく所存ですので、どうか見捨てないでいただけると幸いです。

 ではまた次回。

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