英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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前々夜の問答

 

 

 

 

 

 

 

 ―――七耀歴1204年 10月28日

 

 

 ―――PM9:00 トールズ士官学院視聴覚室

 

 

 

 

 窓の外に視線を向ければ美しい星空が見える中、レイ・クレイドルは特に緊張する事も無く教室の最前列の席に腰かけていた。

 とはいえ、夜間の補習授業などではない。この教室にいるのは、レイを囲むように立つ5名の軍人。帝国軍最強とも謳われる第四機甲師団の者達2名と、《鉄道憲兵隊》の隊員3名。

 そしてもう一人。教壇に立つ長身の男性。トールズ士官学院の軍事教官として同機甲師団から出向してきている、《剛撃》の異名を持つ若きエース。

 

「……まずは呼び出しに応じてくれたことに感謝する。クレイドル」

 

「別に大丈夫ですよ、ナイトハルト教官。この時間からする事と言ったらそれこそ今日の復習くらいですからね」

 

「そうか。不足があれば言うがいい。補習くらいは付き合ってやる」

 

「大丈夫ですよ。復習は復習でも、妹分の首根っこ引っ捕まえてのものですからね。アイツ放っておくとメシ食った後そのまま寝ますから」

 

 Ⅶ組の学力の一律化を担う一人としては、そういう意味で苦労が絶えない。重苦しい空気を僅かに緩和させた事で、多少なりとも話す準備を作り上げた。

 

 

 

「俺に話せる事なら何でも。ただし、()()()()()()()()()()()()

 

「……バレスタイン教官から聞いている。それは、お前に刻まれた術式の所為か?」

 

「いいえ。見た目と違って優秀だった術者のお陰でそちらはほぼ解呪されました。……まぁ、この期に及んではわざわざコレで口封じする必要も無いと思いますが」

 

「では、何故だ」

 

「腕利きの人狩り集団に証拠も残らず始末されたいのでしたら話しますよ?」

 

 その返しでナイトハルトも押し黙り、周囲を囲んでいた軍人たちも身を震わせた。

 彼らもレイ・クレイドルの強さは知っている。”達人級”の武人の強さ、その恐ろしさを。

 彼らの上官たる《紅毛》オーラフ・クレイグ中将。武術師範として度々招聘されるアルゼイド流の総師範《光の剣匠》ヴィクター・S・アルゼイド。皇室の剣、ヴァンダール流総師範《雷神》マテウス・ヴァンダール。その後妻《風御前》オリエ・ヴァンダール。《皇室近衛隊》総隊長、《煉騎士》ガラディエール・ヴラウ・ウィトゲンシュタイン。―――一騎当千という言葉を具現化したような領域に至った者達と同じ彼が「始末される」と断言する存在。身震いもするだろう。

 

 だが、ナイトハルト以外にもう一人、身を震わせていない者がいた。

 

「話には聞いている。《結社》の懲罰執行部隊か」

 

 《鉄道憲兵隊》西部方面分隊分隊長特務少佐、ミハイル・アーヴィング。

 教室の最後尾の席の後ろで腕を組んで佇んでいた彼は、そのタイミングで会話に割り込んできた。

 

「流石に《情報局》なら存在くらいは掴んでますか。まぁ原因不明の不審死とか行方不明とかあったらまずそっちに情報行くでしょうからねぇ」

 

「詳細は知らされていないがな」

 

「知らない方がいいと思いますよ。下手な事したら知らない間に首と胴体が泣き別れしているか、眉間に風穴空いてますからね」

 

 嘗て、修行の一環でその部隊に属して人殺しの何たるかを徹底的に教え込まれた過去があるレイにしてみれば、真っ先にあの部隊の情報網に引っ掛かるような愚は犯したくないと考える。

 彼らは決して標的を逃がさない。何処に逃げようとも、どれだけ防備を固めようとも、《結社》の最高機密を保持した者、漏洩させた者を必ず抹殺する。

 

「俺でも、まぁ、あの人らに目ぇ付けられたくないですし、そういう意味でも話せる所まで、です」

 

「……了解した」

 

 ナイトハルトは、レイのその一段階下がった言葉に了承した。

 

 元より彼は、レイを尋問するためにこの場を設けたわけではない。先日の一連の事件について、彼の近くで最も情報を持っていそうな人物がこの少年であったというだけであり、そして”教官”ではなく”軍人”として詰問するにあたっては、それに相応しい場というものを用意しなくてはならない。

 自身が所属する《第四機甲師団》から、そして彼とも交流がある《TMP(鉄道憲兵隊)》からも人員を寄越して貰った。

 唯一思惑と違ったのは、東部方面を主に担当するクレア・リーヴェルト大尉ではなく、西部方面分隊長を務めるミハイル特務少佐がやって来たことだ。東部は元より、貴族派の動きが活発な帝国西部も決して余裕はないだろうに、それでもこの場に来ることを希望してきたのである。

 

 そんな彼は、先程からレイに対して見極めるような、見定めるような視線を向け続けていた。ナイトハルトとしてはあまりにも越権した言葉を投げるようならば口を出すつもりだったが、今のところそんな様子もない。

 故に、一つ咳払いをしてから本題に入る事にした。

 

 

「4日前の10月24日の夕刻、ガレリア要塞を中心とした周囲100セルジュが文字通り()()した。我ら《第四機甲師団》が事件後に偵察に行ったが、隕石が直撃したかのような有様だった。―――駐屯していた《第五機甲師団》の安否は未だに確認できていない」

 

「…………」

 

「単刀直入に訊こう。()()は何だ?」

 

 超常の力。帝国最大の軍事要塞を、まるで砂の城のように容易く崩壊せしめた存在に、さしものナイトハルトも恐れを感じないわけには行かなかった。

 

「答えれば良いのはどちらで? 《第五機甲師団》を崩壊させた機械人形の方か、それともガレリア要塞周囲を消滅させた飛行物体の方か」

 

「やはり、情報は掴んでいたか」

 

「まぁ、独自の情報網は持っていますから。一応、両方ともお答えはできますよ?」

 

「……両方で頼む」

 

 レイはそれを了承した。

 《結社》としても、それらを人の目に触れさせたという事は、此処で自分から情報が漏洩する事も想定済みという事だろう。つまりそれは、情報が洩れても問題ない段階まで事が進んでいるという事でもある。

 とはいえ、全てに於いて確たる情報を持っているわけではない。そう伝えると、それでも構わないと返された。

 

「機械人形の方は……《結社》の《使徒》の作品でしょうねぇ。普段なら間違ってもあんな出力は出せないはずですけど、今はクロスベルを覆う結界の根源の力でブーストされてますから、常識的な出力は期待しない方がいいと思いますよ」

 

「常識的な出力、か。《結社》という組織はあのようなものまで作り出す力があるという事か」

 

 流石に、ブーストの源となる力が女神の至宝の再現であるという事までは伝えられない。とはいえ、《結社》が非常識なものを作り出す力があるという危機感を抱いてくれただけでもこの話をした資格はある。

 

 《結社》の第六使徒、F・ノバルティス。師匠であるヨルグ・ローゼンベルグが研究したゴルディアス級戦略人形兵器《パテル=マテル》を接収し、強引に組み上げた張本人。

 レイは、彼の研究成果の為ならば如何なる犠牲を厭わないスタンスを否定はしなかったが嫌悪していた。元が現存の科学技術を数世代凌駕する研究である。それを実践レベルにまで組み上げるとなれば、どうしても多少の人的被害は必要経費となる。

 それはレイも理解していた。《結社》時代、彼自身も度々恩恵を受けた組織の技術も大半がノバルティスが統括する《十三工房》が作り上げたものだ。それを享受していた身の上で綺麗事をぬかすのはお門違いというものだ。

 しかし、それとこれとは話は別だ。レンを強制的に《パテル=マテル》と同調させた件といい、アマギの崩壊の一端を担った呪具兵装の事といい、とかくそしりが会わなかった。

 そう言った意味では因縁とも言えるのかもしれない。《月影》ですら全貌を掴めていない、《第五機甲師団》を壊滅させた二機の戦略人形兵器―――否、追加報告によるともう一機、オルキスタワーのヘリポートに鎮座している機体があるらしい―――が彼の新たな作品である事はほぼ確定事項であるだろうし、それをどうにかしない限りクロスベルの異変を収束させるのは不可能だろう。

 

 そちらに関しては、もはやレイ自身がどうにか出来るようなものではない。あの場にいるであろう義兄(アスラ)やマイヤ、ユキノ達が加わった面々で何とか出来る事を祈るしかないのだ。

 風の剣聖(アリオス・マクレイン)赤の戦鬼(シグムント・オルランド)原初の錬金術師(マリアベル・クロイス)という錚々たる達人達に加え、鋼の聖女(アリアンロード)という規格外まで存在しているのだ。こちらも人の事を言えたものではないが、あちらもあちらで中々に修羅場だ。

 

 

「……ではもう一つ。ガレリア要塞周辺を陥没させ、《第五機甲師団》駐屯部隊を一人残らず屠り去った―――形容し難い飛行物体は何だ?」

 

 ―――正直に言えば、レイはここで何も答えずに口を噤み続ける事も出来た。

 いや、本当であればその選択が一番”安全”ではあるのだ。アレはもう存在自体が《結社》の最高機密。答えて良い情報か否かの線引きがあまりにも曖昧過ぎる。

 

 

「三対の白翼に桃瑠璃色の髪。凡そ人間に見えない容姿を持っているアレは、マジで人間じゃありません」

 

「《結社》が()()する最終防衛人型兵器。秘中の秘中の秘である筈の存在が、何故か出張ってきて()()()()()んですよ」

 

 

 それでも、レイは話す事にした。

 《情報局》の人間に任せて監禁状態で尋問させる事もできたはずなのに、こうした場を設けてあくまで自主的に話させてくれている、色々と不器用な軍事教官への感謝の意を込めての事でもある。

 

 ……まぁ、危ない橋を渡ることなど今更だ。その程度の肝の強さは持ち合わせている。

 

 

「……色々と分からない点がある。含意が広い、と言い換えてもいいかもしれんが」

 

「つまりはお前でも知らない点が多々ある、という事だな? クレイドル」

 

 ナイトハルトの問いに、レイは首を縦に振った。

 

「《結社》には大小さまざまな部隊が存在してます。その中には機密性が高く、元《執行者》だった俺でも碌に知らないようなのがありますが……その中でもアレが属する部隊は色々な意味でヤバすぎるんですよねぇ」

 

「アレの個体名は《天翼(フリージア)》。……部隊の中でも特に戦略的破壊に特化した存在です。―――マトモに相手しようとしちゃいけませんよ。たとえ列車砲の砲撃が直撃しても、アレは傷一つ負わずに反撃してきますからね」

 

 

 ―――実際のところ、レイも《侍従隊(ヴェヒタランデ)》という部隊について知っていることは少ない。

 《盟主》直下の護衛部隊。《侍従長(セフィラウス)》リンデンバウムを長とする11名の神造兵器。それぞれが一点に秀でた能力を持つ《結社》が持つ最終戦力。

 それ故に、属する者全ての情報は例え《使徒》クラスであったとしても開示されていない。全てを知るのは《盟主》と《使徒》第一柱、そして《盟主》の代弁者たるカンパネルラくらいであると聞いている。

 

 とはいえ、《侍従長(セフィラウス)》リンデンバウムは度々表に顔を出す事があるので知る者は多い。そんな中でレイが《天翼》フリージアを知っているのには理由があった。

 名と姿を知っているだけではない。その恐ろしさを、網膜の奥に焼き付けてもいる。

 だから確信するのだ。現在の科学では、アレに対抗することは不可能だと。

 アレは自然災害のようなものだ。被害を抑えるために出来る事はあれど、災害そのものをどうにかする事はできない。ガレリア要塞に設置された二門の列車砲はそれだけでクロスベルを壊滅させる力があるそうだが、彼女が本気で殲撃機能《天撃(アルス・ノヴァ)》を放てば、一撃で帝都を灰に帰すだけの力はあるだろう。

 

 だから、恐らくガレリア要塞周辺を消し去った一撃は()()()()()()だろう。アレの性格ならば、不完全燃焼とか言って要らぬところでとんでもない事をやらかしかねない。それが、一番の懸念だった。

 

 しかし、これらの情報を此処で開示するわけには行かなかった。

 これらは考えるまでもなく確実にクロだ。漏洩がバレた場合、《処刑殲隊(カンプグルッペ)》がどこまで手を伸ばしてくるか分からない。

 何せ大国の軍部に情報を漏らすのだ。どこまでが”処刑”の範囲内なのか―――それが不明である以上、迂闊に口を滑らせられない。

 彼らの”処刑”に忖度などは存在しない。国の重要人物であろうと何であろうと構わず殺す。老若男女など勿論問わない。

 それが嫌で、レイはあの部隊を去ったのだから。

 

 

「……本来ならアレは表舞台に出てくるはずのない存在です。今回ガレリア要塞一帯を消し飛ばしたのは、”牽制”の意味合いがあるんでしょう。これ以上クロスベル方面に手出しをすれば、これ以上の出力を以てエレボニアを消し飛ばす、という」

 

「……出鱈目だ」

 

「私も同じ考えだ、アーヴィング特務少佐。悔しいが、認めるしかあるまい。個人の武は元より、エレボニア軍の総力を以て当たったとしても、アレの進撃を防ぐのは難しいだろう」

 

 何せ戦略型兵器を超える甚大な被害を一瞬で叩き出せる存在だ。人形兵器と合わせて、クロスベルは余りにも強大すぎる力を手に入れてしまったと言っても過言ではない。

 ―――とはいえ、それをあの大統領が御せるかどうかは別問題だ。今の彼は言わば、虎の威を借りている狐。その力を何らかの理由で失った瞬間どうなるかという所まで考えが及んでいるかどうか。

 

 そしてそれだけの力があれば、エレボニア領内まで攻め込む事が可能であるだろうにそれをしないのは、偏に今のクロスベルが望んでいるのがあくまで”独立”だからだ。

 更に、他国への侵略というのは単一の巨大な存在があるだけでは成し得ない。侵略した土地を確保し続ける駐屯軍なども必要であり、元が寡兵であった独立軍にそれを為すだけの力はない。特にそのトップに立っているのが《風の剣聖》である以上、そのような愚考を許すとは思えない。

 

「個人的な考えですけど、クロスベル側はこれ以上帝国側を攻撃して来ないでしょう。こちらが何もしない限りは」

 

「そうかもしれん。だが、そうも行かないな。―――お前なら分かるだろう、クレイドル」

 

 その問いに、レイは渋々ながらも頷いた。

 

 エレボニアは大国だ。そして、ゼムリア大陸最強の軍事大国というレッテルを貼っている。

 全20からなる最精鋭の機甲師団。二個海軍に多数の飛行艦隊を有し、正規軍だけでも80万という絶大な軍事力を誇る。それこそ軍事力で対抗できるのはエレボニア以上に広大な面積を誇るカルバード共和国くらいだろう。

 

 だからこそ、その軍事力の上に乗る面子というものも絶大だ。

 これ程の力を有するエレボニア帝国が、碌な軍事力も持たないクロスベルを相手に怖気づいたなどという風聞が広まれば、周辺国に要らない弱味を見せる事になる。

 矜持、と言ってしまえば下らないと思えるかもしれないが、大国同士の付き合いなど、要は見栄の張り合いだ。誇れるものが機能しなくなった国など、いずれ惨めに食われるだろう。

 

 故に、帝国はこの「売られた喧嘩」を買わなければならない。

 小賢しく、愚かしくエレボニアという大国に逆らった自治州を見せしめに攻撃しなくてはならない。これ以上の増長を許すという事は、即ちクロスベルの国家としての独立を許すという事でもあるのだから。

 

「先に拳を振り上げたのはクロスベル。帝国はその振り下ろされた拳を受け止め、返す一撃で大打撃を与える。―――描くシナリオはこんなトコですか」

 

「滑稽かもしれんが、我々はそうせねばならん。それだけの名を背負っているのだ」

 

「その命令が下りてきた時に、真っ先に戦地に飛び込むのが貴方方《第四機甲師団》であったとしてもですか、ナイトハルト少佐」

 

「それが命令であれば、無論受け入れるとも。それが軍人というものだ」

 

 力を持つ者には責務が伴う。軍というものはその典型例だ。

 理不尽な命令にも従う。国の為にその命を捧げる事こそ使命。絶対的な上下関係の構築。

 ―――レイはその生き方を好ましくは思わなかった。その仕組みそのものを否定しているわけではなく、自分がその道を選ぶか否かと訊かれたら即座に否と答えるという意味だ。

 

「……一つだけ、仮定を」

 

「何だ」

 

「《天翼(フリージア)》の方の対策はありませんが、人形兵器の方は必ずエネルギー源があります。幾ら《結社》と言えども、空間操作などという超常能力を常時展開させることはできませんから」

 

 まぁ、それを個人の技でやってのける化け物じみた武人がいるなどという事は黙っておく。

 

「とはいえ、そのエネルギー源とやらを直接潰せば良い……という簡単な話でもないのだろう?」

 

「えぇ。あれだけのエネルギーを複数に分散しているとなれば、地中の霊脈から吸い上げるだけではとても足りないでしょう。俺の見立てでは、オルキスタワーが鍵でしょうね」

 

「あれは、ただの超高層ビルディングではないというのか」

 

「霊力や魔力といったエネルギーを集めるのに効率的な形というものがあるんですよ、少佐」

 

 通商会議の際にオルキスタワーに赴いたレイは、その構造図を見た時に違和感を感じた事があった。

 上手く弄ってはあるが、あの建物の構造の基礎は”螺旋”だ。上部に向かって渦巻く構造というものは、古来から超常のエネルギーを集めるに相応しい形とされてきている。

 

 元よりあれの建立を主導したのは錬金術一族のクロイス家だ。その使命の成就を大前提として建てたと見るならば、オルキスタワーという新市庁舎は単なる”殻”でしかないのだろう。

 

「とはいえ、外部からそれを破壊する手段は今のところないでしょう。今現在クロスベル市内を覆っている結界の強度はかなりのものでしょうし」

 

「…………」

 

「さて、そんな強度の結界を触媒も無しに維持できるかと言われれば、それも(ノー)です。堂々巡りのようになってきましたが、それも考慮に入れておいてください」

 

 そこまで聞き、ナイトハルトは頬に汗を一滴垂らしたまま僅かに口角を挙げた。

 

「クレイドル、卒業後は《情報局》に入る気はないか?」

 

「御冗談を、少佐。俺が帝国遊撃士ギルド連続襲撃事件の際に色々とやらかして、リベールの《剣聖》共々滅茶苦茶《情報局》に嫌われているのは御存じでしょう?」

 

 本来、エレボニア皇子の推薦という後ろ盾がなければ、帝国の士官学院に入学する事などできなかっただろう。

 カシウス・ブライト共々帝国中を引っ掻き回して、とある女性を人質に取った猟兵団を全滅するまでど突き回し、最後は《情報局》に補足されるのを嫌がって徒歩で国境を越えてクロスベルに帰ったなどという出鱈目極まりない一連の動きで翻弄し続けたのだ。これで嫌われない方がおかしい。

 

「嫌われ者は嫌われ者なりの動き方がありますから。……参謀本部のお偉方からは可能な限り情報を絞り出せとか言われてるんでしょう? この程度で大丈夫なんですか?」

 

「充分だろう。荒唐無稽な事実を多く含むからな。噛み砕いて報告する方が面倒だ」

 

「俺がアレらを手引いたとは考えないんで?」

 

 わざと挑発的な笑みを浮かべてそう問うと、ナイトハルトは一度鼻を鳴らして一蹴した。

 

「周到なお前の事だ。やるのであればもっと上手くやるだろう? この状況でこのような事態が起これば、真っ先に疑われるのは間違いなく己だと分かった上でこの場に出席する意味もない」

 

「はぁ、その為の”任意聴取”でしたか」

 

「一度は上手く《情報局》の手からも逃れたお前だ。その気になればこの状況からでも姿を晦ませられるだろう?」

 

「はは、それは買い被りすぎですよ少佐。《剛撃》に《不撓》、それにヴァンダイク学院長にベアトリクス教官もまだ学院に残ってますでしょう? この状況での逃亡が上手く行くとは思ってませんよ」

 

 実際、これらの面々から逃げおおせるとなれば本気も本気、全力でやらなければならない。軍を動員され、《鉄道憲兵隊》の機動力も相手にしなければならないというのは勘弁だ。

 

 とはいえ、と思う。

 20ある帝国の虎の子である機甲師団の内、東部駐屯軍でもあった《第五機甲師団》が比喩でも何でもなく”消滅”するという事態が起きたというのに、世間は不気味なほどに静かだ。

 無論、緘口令は敷かれているのだろう。ナイトハルトが言った通り、概要を知らない人間にとってみればあまりにも荒唐無稽な話だ。一般市民にまで話が及べば、大混乱は必至だろう。

 

 それと反比例するように軍上層部は気の毒なほどに東奔西走しているであろう事もまた分かる。何せ帝国最大の防衛設備であるガレリア要塞が一瞬にして消し飛ばされたのだ。現在、クロスベルと隣接する国境は完全に無防備になっているのである。

 考えにくい事だが、今クロスベル方面からカルバード共和国が侵攻してきたら止める術はない。まぁ、侵攻理由が薄い以上、それは杞憂にはなるだろうが。

 

 だとしても、再度あの人形兵器と”正体不明の飛行物体”が襲来すれば、という懸念は残る。

 だからこそそれらの詳細な情報を、元《結社》の構成員出会った自分に―――という事情であれば、これ程甘い状況での聴取にはならなかっただろう。

 恐らくは、保険程度の価値しか考えられていないのだ。つい最近まで所属していた者であればまだしも、レイが《結社》を脱退したのはもう5年以上も前だ。そんな人間に新鮮な情報を求めるなど、《情報局》の沽券に関わるだろう。

 実際、レイも憶測でしか答えられない状況があった。そういった意味では軍上層部の思惑は当たっているとも言えた。

 

 ……とはいえ、先程自分で言ったように「アレらを手引いた容疑者」として仮拘束されないのは、軍部の中で何かパワーゲームがあったと見て良いだろう。

 ―――あの調子者のかかし男に借りを作ったのは、いずれ高くつくことになりそうだが。

 

 

 一瞬だけ、妙な間が空いた後、ナイトハルトはポケットから懐中時計を取り出した。そして時間を一瞥しただけで確認すると、再び視線をレイと合わせる。

 

「聴取はここまでだ。時間を取らせたな、クレイドル」

 

「いえいえ、俺は別に。少佐こそ、これから双龍橋まで蜻蛉返りでしょう? お疲れ様です」

 

「軍務だ。苦には思わんよ。―――暫くは学院に戻れそうもないが、しっかりとやるがいい」

 

「……えぇ、分かっています。()()()()()()()()

 

 そう言って一礼を残してから、レイはナイトハルトより先に教室を出た。

 静寂が耳鳴りとなって残る校舎の階段を降り、目に入ったベンチに徐に腰掛けた。少し前までならば窓越しにも虫の音色が聞こえたが、今は風が木々の葉を揺らす音しか聞こえてこない。

 寒い季節がやってくる―――そう考えながら数分ほど何もせずにボーッとしていると、階段を下りてくる足音が一人分だけ聞こえてきた。

 

「……残っているとは思っていた」

 

「そりゃあ、ねぇ。久し振りにお会いできたんですから言葉くらいは交わしておきたいじゃないですか。アーヴィング特務少佐」

 

 曰く、質実剛健が帝国軍人のあるべき姿であるという。

 そう言った意味ではナイトハルトとミハイル・アーヴィング。この二人はその言葉を体現しているとも言えた。

 軍務に忠実であり、護国に身を捧げ、如何なる誘惑にも惑わされない精神を持つ。特にこの男の異名は《不撓》。察するに余るというものだ。

 

「君の活躍はその後も聞いていた。そのまま属していればA級遊撃士の座を約束されていたようなものだった君が、まさか帝国で士官学院生になるとは思わなかったがな」

 

「まぁ別に俺はA級遊撃士の座とかそんなものに興味ないですからねぇ。妹分の入学に付き合ったってのもありましたけど、面白そうでしたし」

 

「君が入学すると聞いて、参謀本部と《情報局》は随分と慌ただしかったようだ。少なくとも、私の所まで噂が届く程度にはな」

 

「そりゃまた。当の本人は反省も後悔もしてないってのに」

 

 流石に厳格な軍人の前でここまで虚仮にしたような言い方をすれば怒られるかと思いはしたが、しかしミハイルは声を荒げる事など無く、神妙な面持ちで再び口を開いた。

 

「……あの時はクレアの件で世話になった。改めて、礼を言う」

 

 突然向けられた礼言に一瞬だけ面食らったレイだったが、すぐに「あぁ」と切り返した。

 

「礼なんて要りませんよ。元々あの無茶だって、俺一人でやろうとしたらカシウスさんも参戦してきて、流れで他の遊撃士もなだれ込んできたって感じなんですから」

 

「それでも、だ。あの当時も帝国軍と遊撃士協会は決して良好な仲とは言えなかったが、そんな中で君は真っ先にクレアを救出しに向かってくれた。私が君に感謝するのに、それ以外の理由はあるまい」

 

 ミハイル・アーヴィングにとってクレア・リーヴェルトは従妹であるが、実の妹のようなものでもあった。その仏頂面で隠されてはいるが、彼の家族愛はかなりのものだ。……家中に降り注いだ悲劇を覗いてみれば、それも当然と言えるのだが。

 

「とはいえ、だ。君とクレアが、その、恋仲同士だというのは些か認めがたいものがある。シャルテは祝福しているようだがな」

 

「……分かってますよ。褒められない付き合い方をしてるのは百も承知ですからね。だから俺は、俺なりの誠意を見せるだけです」

 

 ミハイルの意見は当然だと思っていた。陰ながら大切に思っている従妹が年の離れた、それも他にも女を囲んでいる男に恋をしているなど、受け入れがたい。

 だからこそ罵倒くらいは常に覚悟しているのだ。だが、彼もクレアの人を見る目を信じている。もう一人の従妹であるシャルテも二人の関係を祝福している以上、目の前の少年を徒に非難はできない。

 それに、彼には帝都を含めて帝国中で騒ぎになったあの時に真っ先にクレアを救ってくれた恩がある。彼は今、礼は要らないと言ったが、ミハイルにとってそれは確たる恩だ。それを無下にはできない。

 そしてもう一つ、レイ・クレイドルには恩があった。

 

「―――2ヶ月前、ガレリア要塞襲撃の際にクレアを救ってくれたのも君だと聞いた。誠意は理解している。君がクレアの事を真剣に想ってくれているという事もな」

 

「…………」

 

「だが私は、他者の評価で全ては決めない。例え妹たちの言葉であったとしてもだ。私がこの目で見て、君が信頼に足ると理解できるまで、この返事は保留にさせてもらう」

 

「えぇ。了解です。それではお休みなさい、()()()()()♪」

 

「誰がお義兄(にい)さんだ‼ 誰が‼」

 

 思いのほか上手くノッてくれたと悪戯っぽく笑いながら、レイは足早に正面玄関から学院を後にした。

 

 分かっていた呼び出しではあったが、得るものはあった。国を護る為に戦うなど真っ平御免だが、人を護る為になら戦える。放っておいてはいけない程度には、この国に親しい人が出来過ぎた。

 ただ守られるだけの弱い人間ばかりではない。自分は自分の思うがままに、相棒(シオン)愛刀(天津凬)と共に飛び込んでいくだけだ。

 つまるところ、()()()()()()()()()()()()()()

 

 そう考えながら第三学生寮に至る坂道を下っていく。冬は近いが、身を竦ませるほど寒くはない。僅かに内に籠った熱を冷ますように一歩一歩ゆっくりと歩いていく。寮に帰ったらシャロンが温かいココアを淹れてくれているだろうと予想しながら月下の道を歩いていき、坂道を下りきったところで―――()()()()()()()

 

 

「ッ―――⁉」

 

 怖気、そう呼ぶのが正しいのだろうか。

 否、正式な形容など意味がない。大切なのは、レイがその気配を知っていたという事。知っていたからこそ、逡巡すらする事なくその場から離れることができた。

 

 いや、分かっている。この気配の主相手に人間が出せる速度で離れても無駄だ。《執行者》の中では敏捷力では一、二を争う程であったと自負はしているが、それでもこの気配の主の攻撃から逃げおおせた事などただの一度も無かったのだから。

 

 寝静まろうとしている街を騒がせないように気を配りながら、レイは東クロイツェン街道へと出る。

 導力車などが通りがからない事を確認し、街道の脇道へと逸れる。トールズに拠点を移してから、度々このような事をしているなと自虐的な笑みを見せ、呼吸を整えた。

 深呼吸を一つ。それだけで充分。この人と会うのに、気取った格好や言葉など必要ない。

 

「……お久し振りです、アルトスク隊長」

 

「えぇ、久し振りですね。レイ君。少し、身長が伸びましたか」

 

 心の中にストンと落ちる声。落ち着きがあり、柔和な声質ではあるが、レイはその恐ろしさを身を以て知っている。

 意味のない殺戮を良しとする者ではない。意味なく弱きを蔑むを良しとする者ではない。

 だが、()()()()()()()何者であっても殺す。慈悲も呵責も一切なく、嗜虐的な感情など欠片も見せず、唯々淡々と殺していく。

 

 その在り方を蔑んだことはなかった。自分などよりも遥かに重い覚悟を以て執行していることが、傍目から見ても理解できていたからだ。

 ただ、どうしようもなく畏れていた。人殺しの修行と称してその部隊に身を寄せていた時に、レイは感じ取ったのだ。―――このような事を続けていれば、いずれ遠くない内に()()()()()()()()()()()と。

 

 

 結社《身喰らう蛇》《執行者》No.Ⅴ。懲罰執行部隊《処刑殲隊(カンプグルッペ)》隊長。《神弓》アルトスク。

 《執行者》の中ではカンパネルラ、マクバーン、エルギュラに並ぶ古参であり、作戦参加が個人の自由とされている中に於いて、《盟主》の命を至上として動く文字通りの執行者である。

 

 

「……貴方が此処に来たという事は、”執行”ですか? 俺なりに、気を遣って話していたつもりなんですがね」

 

「あぁ、いえ。要件は其方ではありません。君に少々、個人的に伝えたい事がありましてね」

 

 なので、そのように肩に力を入れずとも大丈夫ですよ、と。彼なりに気を遣った言い回しをする。

 

 砂漠に住まう民族のような風通しの良い服に、鳥の頭部を模した仮面。その素顔を見た者は限られており、レイもその肌が褐色色であるという事しか分かっていない。

 平時は穏やかな気性の人だ。そして、人を謀るようなことはしない。彼が口にする言葉は全てが真実。それが矜持の一つである以上、彼が戦いに来たのではないと言えば、それも真実だ。

 

 そうだと分かっているのに、手足に入った力が緩まない。例え師を前にしてもここまでではないと断言できる程に、レイの身体は強張っている。

 それだけの武人なのだ。伊達に、ヒトの身で”絶人”の領域に片足を踏み込んでいると称されているわけではない。

 

「近々、帝国内で”仕事”を行う予定があります。対象は身分で守られている為、早々に死ぬような事はないと思いますが……誤って貴方が仕留める事が無いように、と思いまして」

 

「身分、ですか。見境なく殺すは愚者の所業と、そう教えてくれたのは貴方ですよ、アルトスク隊長」

 

「結構。それを覚えてくれているのであれば警告は要りませんね。普段であればこのような言葉を掛ける事も無いのですが……久方振りに教え子の様子も見ておこうと思いましたので、そのついでです」

 

 ついで、という言葉も嘘ではないのだろう。だが、警告もまた偽りではない。

 獲物を横取りするようなことがあれば、例え嘗ての教え子であろうとも迷わず討つだろう。そんな隠された殺意を敏感に感じ取った。

 

「あぁ、御心配なく。《使徒》第六柱殿の要請でクロスベルに向かいはしましたが、私は今回、クロスベルにもエレボニアにも危害は加えません。そういった命の下で動いておりますので」

 

「―――流石アルトスク隊長。俺の心の揺れなんかお見通しですか」

 

「ふふ、君は昔からソフィーヤ殿に似て感情を良く表に見せていましたからね。とはいえ少々残念ではあります。君が《結社》を抜けてから、如何程力を付けたのか試したくはありましたので」

 

 反射的に、指先がピクリと動く。しかし、手元に《天津凬》を顕現させるのはギリギリで思い留まった。

 

「……冗談は止めてくださいよ。隊長がそんなこと言うと、否が応にも反応せざるを得ないんですから」

 

「失敬。ですが、貴方はまだ伸び盛りのようですね。手合わせを望むのは、もう少し後にしましょうか」

 

 そう言ってアルトスクは、指を鳴らして渇いた空に音を響かせた。

 足元に出現するのは緑色の転移陣。《結社》の異名持ち(ネームド)が主に使うものだ。

 

「教え子の顔を見たかったというのも本当ですよ。……えぇ、あの頃より遥かに、良い顔をするようになりました」

 

「……そう言われる事は、多いですね」

 

「”守るもの”という言葉の真意を理解したのですね。宜しい、ならば《冥氷》殿との決着をつけた頃にまた、顔を合わせるとしましょうか。恐らくはその時が、貴方がもう一段成長した瞬間になるでしょうからね」

 

 その言葉を最後に、アルトスクは姿を消した。それと同時に、レイも片膝を地面につける。

 

 苦手、という訳ではない。寧ろ尊敬している。

 ただ、何故だろうか。理由を明確にしろと言われると困るのだが、敢えて言葉にするのであれば―――師とはまた違う形での、”ヒトならざるモノ”の匂いがするからだろうか。

 

「……未だに分かんねぇんだよなぁ。あの人の事は」

 

 それでも彼の事を”人”と呼ぶのは、「そうであって欲しい」という願いからなのか。それともただ人として尊敬できるからだけなのか。

 

 だが一先ず、彼がこの先の騒動に参戦する事は無い。その事実だけでも、レイが安堵の息を漏らすには充分だった。

 冷ややかな風を受けながら頬を垂れる汗。果たしてそれも冷や汗と呼ぶのか否かと思いながら、レイは膝を叩いて立ち上がるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 決戦前々夜の出来事だよ! 割とマジで静かな夜を過ごせるのはこれが最後だよ!
 などという脅しという名の真実を突き付けていくスタイル。どうも十三です。

 アルトスクさんを実際に出したのはこれが最初かな? 因みにイメージCVは宮本充さんです。強い(確信)。
 この人が参戦したらパワーバランスが一気に傾くのでⅡまでの直接戦闘には参加しません。しないといいな‼(願望)

 そんなこんなの話でした。あとはもう血生臭い話しかありません。もう止めらんねぇよ。

 それでは皆様。また次回。

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