英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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「幸せが壊れる時は、いつも血の匂いがする」

                  by 竈門炭治郎(鬼滅の刃)








審判ノ日 前篇

 

 

 

 

 

 

 『最悪の一日』―――そう呼べる一日が、どんな人間にもあるだろう。

 

 

 そしてそういう一日は、得てして生涯で複数あるものだ。他者から見れば温いと言えるようなものでも、当人から見れば一大事であったりする。

 

 下らないと見下すつもりは毛頭ない。そんなものかと嗤うつもりなど更にない。元より、他者の人生に口を出す程偉くなったつもりなどないのだから。

 

 

 ただそれでも、これだけは言いたい。他の誰が何と言おうと、自分ははっきりと断言できる。

 

 

 

 

 七耀歴1204年10月30日―――あの日は間違いなく、自分(レイ・クレイドル)にとって『最悪の一日』の一つであったのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 帝都は未曽有の大混乱に陥っていた。

 

 

 ヘイムダルの中心地、ドライケルス広場。嘗てのエレボニアの英雄像を背に国民に向けて演説を行っていた帝国宰相ギリアス・オズボーン。クロスベルの初代大統領を自称するディーター・クロイスが行ったIBCの資産凍結措置、及びクロスベル自治州の独立―――そして先日のガレリア要塞への過剰なまでの報復攻撃。これを全面的に非難し、そして、クロスベルへの本格的な侵攻を行う声明を出そうとした。

 

 しかしその声明は、直後に挙げられたであろう国民の歓声は、一発の銃声によって掻き消された。

 

 

 誰も、その銃声を止められなかった。発生源である地点よりドライケルス広場に近い建物の屋上に佇んでいた漆黒の首領《C》の居場所をいち早く突き止め、その動きを封じていたクレア・リーヴェルトでさえ、その銃声は予想外だった。

 ……否、薄々予想はしていたのだ。《C》―――《帝国解放戦線》首領、クロウ・アームブラストが標的への狙撃を妨害されて、それでもなお皮肉気に笑って大人しく両手を挙げた時点で、()()は別にいるのだと察しはしたのだ。

 

 しかし、時既に遅し。レクター・アランドールが《情報局》から掠め取ってきた情報の中にあった、《帝国解放戦線》が擁する”ジョーカー”。軍事大国エレボニアが誇る諜報機関ですらその姿を捉えきれなかったそれが、唯この時の為に厳重に厳重に囲われていたという事は予想できていたが、よもや帝都の区画を跨ぐ程の長距離狙撃は想定していなかった。

 だが、それは言い訳に過ぎないだろう。ガレリア要塞付近で嘗て自分の窮地を救ってくれた《魔弾姫(デア・フライシュッツェ)》の驚異的な技量を知っているのならば「それができる」存在を予想しておくべきだったのだから。

 

 

 距離、およそ5000アージュ。現存する生産ラインに乗っている狙撃銃ではどうあっても標的を仕留められない距離。加えて建物風に煽られて弾道すらマトモに通せない中で、放たれた弾丸は、過たずオズボーンの心臓を貫いた。

 それでも、背後に吹き飛ばされなかった。左胸周辺に巨大な風穴を開けられながらも、彼は不敵に笑う。

 

「―――クレアを出し抜いたか。見事だ、クロウ・アームブラスト」

 

 自らが擁する策士を出し抜いたクロウを称賛する。だが、己が敗北したような雰囲気は一切醸し出していない。

 

「では見せてみろ、《読守(よみもり)の御子》よ。貴様がどのように足掻くのか、楽しみにさせて貰うぞ」

 

 その言葉を吐いた後、オズボーンは膝をついた。駆け付ける正規軍の軍人と、事態を把握した聴衆の悲鳴。一瞬で、ドライケルス広場は大混乱に陥った。

 だからこそ、誰も気づかなかった。彼らの背後の遥か先。そこで最悪の事態が着々と進んでいることを。

 

 

 

 

 

「アンタが”ジョーカー”か。見事な腕前だ。この大一番で僅かも狙いを外さねぇとはな」

 

 純白の長刀の切っ先を首筋に添えられても、長大な狙撃銃を握った光学迷彩ローブを纏った人物は全く動揺する様な素振りは見せなかった。

 まるで自分の役目はもう終わったと言わんばかり。ここで首を断たれて死のうとも、一向に構わないと覚悟を決めているかのようだった。

 

 そして、それを察していたからこそ、レイはその人物を殺すつもりは無かった。

 

「……アンタからは嫌な”匂い”がするな。ガキの頃、肥溜めみたいな場所で鼻がひん曲がる程嗅いだ匂いだ。アンタまさか―――」

 

「そこまででやがります。先輩」

 

 直後、刀身が捉えたのは柔首の肌ではなく、黄金色の剣身だった。

 それでも攻め手は緩まない。過剰なほどの攻勢は、レイをローブの人物から強引に引き剥がすためのもの。古いアパルトメントの屋上で。幾重の斬撃が響き合う。

 裾の長い茶色のコートの裾が翻る度に、死角から刃が飛んでくる。それを連続で去なしながら、徐々に距離を取っていく。

 

「やっぱりお前もここにいたか、後輩。……お前が阻んできたって事は、まだそいつには死なれちゃ困るって事だな?」

 

「えぇ。先輩に思う所があるのは重々承知でやがりますが、それでも此処は退いて貰いますよ」

 

 素直で真面目な後輩―――リディアのその言葉に嘘偽りは無かった。だが、レイは乾ききった笑みを漏らす。

 

「退く、退くねぇ。易々とそうさせねぇ為に俺を此処に誘い込んだんだろうがよ‼」

 

 

 瞬間、周囲の圧が尋常でない程増した。何も知らずに下の道路を歩いていた市民たちが、訳も分からず気を失う。木々に留まっていた鳥たちが、暗所に身を潜めていた動物たちが、一斉に逃げ出した。

 まだ雪も降っていない帝都の一角に、氷の檻が出現する。その奥では異端の焔が陽炎のように揺れ、羽飾りを付けた騎士や気障ったらしい怪盗、それらを纏め上げる蒼の魔女らがその双眸でレイの姿を捉えていた。

 

 そして、中空には”それ”がいた。

 旧い神話にその名を刻む天使のような翼を有する女。風に靡く桃瑠璃色の髪は形容し難い程美しく、しかしレイにはこの上なく忌々しく見えた。

 

 

「おやぁ? おやおやおやぁ? どこかで見た事のある童顔極まりないお顔があると思いましたら、お狐さんを侍らせている人間(ヒューマー) さんじゃないですかぁ♪」

 

「これはキレるべきか? それともテメェに()()()()()()事を喜ぶべきかどっちなんだろうなぁ‼ フリージア‼」

 

 《結社》の破壊神。その瞳に”意味”を映さないモノ。彼女の眼前に在るのは、その全てが斟酌するまでもなく”破壊すべきモノ”でしかない。

 異常という言葉ですら、彼女を形容するには足らなさすぎる。否、彼女を表すのに細々とした言葉など必要ない。

 

 『破壊狂(デモリッションモンガー)』。それだけで事足りる。それが彼女が《盟主》より与えられた唯一の存在意義。

 故に、彼女は有象無象を認識しない。()()()()()()()()()、峻厳な山々も、屹立する摩天楼も、強靭な肉体を持つ魔獣も、可能性の塊である人間も、彼女にとってはいずれ己が「壊すもの」でしかない。

 

 だからこそ、レイは彼女の異常性を問わない。

 ()()()()()()()()()()()()()に、倫理観を問う方が阿呆である。だから、彼は多くの言葉をフリージアには投げない。

 言葉は通じるが、会話は成立しない。彼女は、そういった類のものだからだ。

 

 

「―――そちらも相変わらずですなぁ。偽天使殿」

 

 黄金色の神焔。それを()()と撒き散らしながら、四尾まで現出させた神狐がレイを庇うように佇む。

 その嫋やかな唇は皮肉気に歪み、しかしその双眸は僅かも笑っていなかった。

 

「あらぁ♪ 少し煽っただけで本当に出てこられるとは思いませんでした。やっぱり(ケダモノ)(ケダモノ)らしく、ご主人様を守ってキャンキャン吼えるんですねぇ」

 

「ふふふ、壊す事しか取り柄がない()()()のクセによく口が回りなさる。あぁ、もしかしてその錆かけの口に安物の油でも塗っておいでで? 言葉が臭くて敵いませんなぁ」

 

 間延びした口調とは裏腹に、シオンの両手には神焔が、フリージアの両手には極彩色の光が収束していく。

 ヒトが扱う魔力とは次元を異にする、高次のエネルギー。収束されている段階だというのに、”天才”と称するに相応しい魔女が張った結界が啼き震える。

 

「おやおや、色狂いの()()()()()()が随分と懐いてるんですねぇ。人の子に誑かされるなんて、聖獣の品格も堕ちたものです」

 

「御心配なく。()()()()に口を出される程落ちぶれてはいません。あぁ、でも貴女はそのままでよろしいと思いますよ? 喜色悪い笑顔を張り付けた神の玩具に、ヒトの想いなど理解できないでしょうから」

 

 

 ―――上空に、華が咲いた。

 

 それを可憐と称するには、様々な事柄を見なかった事にしなければならない。少なくとも、大気そのものを抉るかのような衝撃と爆音は、《帝国解放戦線》が悲願を成し遂げた祝砲にしては、些かばかり物騒に過ぎると言えよう。

 技量に頼るという次元を完全に無視した、高エネルギーの正面衝突。時空が歪みかねない攻防を、両者は続ける。

 

 その様子を仰ぎ見ながら、レイは半ばヤケクソ気味に吼える。

 

「ンだよクソドS魔女‼ 俺一人を足止めするために随分と豪勢じゃねぇか‼ ―――そんなに俺が邪魔か?」

 

「えぇ、そうよ。少なくとも、今は絶対貴方を此処で止めなくてはならない。邪魔されるわけには行かないわ」

 

 ヴィータのその口調は、いつものような余裕に満ちたものではなかった。

 レイ・クレイドルという武人一人を足止めするために、現在帝国に居る《結社》のほぼ全ての戦力を局所的に投入する―――そんな過剰なまでの方法を取らねばならないと考える程、彼女はこの分水嶺を重く見ていた。

 

 不満げに口を閉じているリディアがいる。無表情で此方を見下ろすルナフィリアがいる。狂気に満ちた笑みを向けるザナレイアがいる。不承不承と言った表情のマクバーンがいる。興味深げに此方の様子を窺うブルブランがいる。それらを統括するヴィータがいる。そして、帝都を一瞬で滅ぼせる悪魔(フリージア)がいる。

 

 そんな絶望という言葉すら生ぬるい状況で、それでもレイは眼前を見据えて、膝をつかなかった。己が生きて此処を突破する事に、何の疑問も抱かなかった。

 

「残念ながら、こっちにも残してきた約束があるんでな」

 

 そう言って、長刀を再び構え直す。

 その闘志に諦めの濁りは欠片もない。それを読み取ったのか、剣を握る手が鈍っていたリディアも覚悟を決める。

 これだけの覚悟に鈍った剣で応えるのは無粋で無礼というもの。《剣帝》に鍛えられた彼女は、その理念を濁らせることはなかった。

 

 

 

「掛かって来いや馬鹿野郎共‼ 《天剣》の首、取れるものなら取ってみろ‼」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――同時刻、トールズ士官学院Ⅶ組教室。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……そういう事か」

 

 苦々し気に顔を顰めながら、ラジオの前でユーシスが呟くように吐き捨てた。

 

「ど、どういう事? ユーシス」

 

「あの馬鹿は確かに強いが、それでも驕る事はない。昨夜リィンの部屋の前に置かれていた手紙の内容が事実ならば、あいつは罠だと分かっていて敢えて飛び込んで行ったんだろう」

 

 ラジオからは、暫く帝国宰相が狙撃されたという報道が流れ続け、そして途端にその音声が途絶えた。恐らく、放送統制が敷かれたのだろう。

 ラジオを囲むⅦ組の面々の数は、いつもよりも少ない。具体的に言えば、クロウ、ミリアム、そしてレイがいない。

 

 とはいえ、レイの居場所は分かっている。昨夜ご丁寧にもリィンの部屋の前に置いてあった封入りの手紙には、そうした旨の内容が認められていた。

 曰く、明日は帝都に向かうという事。ミリアムとクロウもいなくなっているだろうが、決して行方不明ではないという事。

 

 そして―――必ず生きて戻るという事。

 

 この日、帝国宰相ギリアス・オズボーンによる帝都での演説が行われることは分かっていた。このタイミングでのミリアムとクロウの失踪。そしてレイの離脱。

 それがどんな意味を為しているのか、分からない訳ではない。その程度を察することができる程度には、色々と鍛えられていたつもりだった。

 

 改めて、現実を突きつけられている感覚があった。

 ミリアムは天真爛漫で歳相応の一面を強く覗かせているが、それでも諜報員だ。学院での生活より、任務が優先されるのは当然の事。

 そしてレイは、今までも独自に動いていた。それは自分達を護る為であったり、倒さねばならない敵を倒す為であったり様々だったが、それでも絶対、他の面々に迷惑を掛ける事は無かった。

 恐らく、今回はそれの最たるものなのだろう。自分たちに直接言わなかったのは、止められると危惧しての事か。隠れてでも着いて来ようとするのを絶対に防ぐためか。いずれにせよ、それ程の過酷な戦場が今の帝都(あそこ)にはあるという事だ。

 

 そして、クロウは―――。

 

「くそっ―――」

 

 思わず悔しさを滲ませた言葉がリィンの口から洩れる。

 胸の内が騒ぐ。ざわざわと、焦燥感と恐怖感が入り混じった斑模様の感情が心の隙間を掻き毟っていく。

 それこそが戦争の気配であるのだと、そう理解するのはもう少し後の事だ。そういう意味では、彼は幸運であったのかもしれない。その感覚を理解して、それでも尚生き残れる人間というのは、総じて運が良いのだから。

 

 そして、焦っていたのはリィン達だけではなかった。

 宰相狙撃の報を受けて教員室へと向かっていたサラの足音もまた、いつもより忙しない。

 その理由は、昨夜シャロンと共にした席で想い人に打ち明けられた言葉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「明日、帝都に行ってくる」

 

 その言葉自体に、不穏な所は何もなかった。

 ただ、その日も学院は普通に授業日。教官に向かって簡潔にサボりたいと伝えるその姿勢自体はどうかと思うが、それを叱責する雰囲気ではなかった。

 

「……そうですか。やはり明日、なのですね」

 

 重々しく言葉を紡ぐシャロンには、いつものような余裕を湛えた表情が無かった。

 

 とは言え、サラもその雰囲気は感じ取っていた。彼女とて元猟兵。様々な戦場を渡り歩いた経験は、いち早く戦争の匂いを嗅ぎつけていた。

 数ヶ月前から濃くなってきたその匂い。それは先日のガレリア要塞周辺の消滅を機に爆発的に沸き立った。―――対外戦争ではない。()()の匂いだ。

 

 過激的な貴族派の面々が着々と軍備増強を進めていたのは耳にしているし、貴族派に組しているRF社の《第一製作所》が不透明な物資の流れを隠していたのも知っている。

 そうであるならば、クロスベルの独立と先の要塞襲撃にも少なからず関わっていると考えるのが妥当だろう。

 そして、明日行われるドライケルス広場でのギリアス・オズボーン帝国宰相の演説。―――それで、全ての準備が整う。

 

「《貴族派》が直接手を下すわけではない―――《帝国解放戦線》最後の仕事という訳ね」

 

「本来ならルーレの事件の時にひっ捕らえる事はできた。……イルベルトの奴が盛大に引っ掻き回してくれたけどな」

 

「ですが、例えルーレでそれを為したところで、この機を逃すとは思えませんわ。どの道、明日が分水嶺になるのは確実かと」

 

 では、とサラが言葉を続ける。

 

「そんな渦中にアンタは飛び込もうとしている……そうしなければならない理由があるという事よね?」

 

 その指摘に、レイは黙って頷く。

 

「あの魔女が使い魔(グリアノス)を寄越してきてな。1人で帝都に来るように言われたよ。……あぁ、勿論罠だって分かってる。俺が逆の立場だったら間違いなくこのタイミングで潰しておくだろうな」

 

 罠と分かっていて、敢えて飛び込む。それも、帝国に集まっているであろう《結社》戦力を相手にせねばならない未来が容易に見える中で、だ。

 達人が珍しくない戦場。それ以上に厄介な連中まで勢揃いの状況など、普通に考えればまず間違いなく死ぬだろう。

 ただそれでも、彼が一人で行かねばならない理由があった。

 

「……クロチルダ様は、《天翼(フリージア)》様を切り札に使われましたか」

 

「あぁ。あの破壊神を出されちゃお手上げだ。下手すりゃ帝都が丸々灰になる」

 

 とはいえ、と思う。

 ヴィータ・クロチルダは倫理観という点に於いて他の《使徒》と比べればまだマシな方だ。気に入った相手に対する嗜虐的な性格は勘弁してほしいが、それでも好んで大量虐殺に手を染めるような人間ではない。

 《天撃(アルス・ノヴァ)》を使わせるようなことはない―――とは思うが、アレの攻撃は一つ一つが帝国の主力戦車を吹き飛ばす程度の威力がある。待つことに退屈してそれを振るわれるようならば少なからず犠牲が出るだろう。

 

 帝都市民が人質に取られている。ヴィータにとっても諸刃の剣であろうその手段を取る程に自分が脅威に思われているというのは、複雑であると同時に武人としては誉れでもある。

 どちらにせよ、ここでレイが言葉を無視することはできなかった。

 

「クレアに報告を入れて警戒を厳にしてもらうわけには行かないの?」

 

「それが一番賢い方法だろうな。《帝国解放戦線》が持つ最長狙撃距離だけでも伝えられれば、あいつなら必ずそれを阻害する。《氷の乙女(アイスメイデン)》は自分の領域内にいる敵の情報を誤る程甘くはねぇ」

 

 けれども、とレイは言葉を濁した。

 

「被害が大きくなるのはどちらだと思う、サラ。オズボーンへの狙撃を無力化したとしても、恐らく《貴族派》は止められない。勢いに乗ったディーター・クロイスが人形兵器を一体でも帝国に侵攻させれば東部の主要都市は火の海になる」

 

 そうは言ったが、レイ個人の見解では後者の心配は無いように思えた。

 ゴルディアス級人形兵器の改良型であろうアレらが常軌を逸した能力を使えるのは、偏に《至宝》として覚醒した《零》の力あってのもの。クロスベルからエレボニアに繋がる霊脈(レイライン)は半分程度しかない以上、人力で対処できない程ではないだろう。何より、”試作機”であろうアレらを手放す程あの博士も殊勝ではあるまい。

 

「……オズボーンが狙撃された方が、帝国に降りかかる被害は少ない。アンタはそう言いたいのね?」

 

 レイは頷いた。それに対してサラは反射的に言葉を挟もうとして、それを呑み込む。

 その選択は、帝国とは何の縁もない少年に委ねて良いものではない。どちらに転んでも犠牲が生まれる。ならば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「《結社》の連中が帝国に集まっている以上、この国で何かをしでかそうとしているのは明白だ。《貴族派》はそれを晦ます為の駒でしかない。だが、オズボーンが再起不能になれば《貴族派》の連中は必ず帝国の主権を主張する。……少なくとも、共和国に対する牽制にはなるだろうさ」

 

 とはいえ、それは半ば詭弁に過ぎない。そもそもレイ自身、これから始まるであろう内戦が《貴族派》の勝利で終わるビジョンがどうしても見えなかった。

 

 ()()オズボーンが殺される? 初めて見た瞬間に冷や汗と悪寒が止まらなくなったあのギリアス・オズボーンが、狙撃程度で? 

 師とはまた違った尋常ならざる覇気を纏っていたあの男がそう簡単にくたばるとは思えなかったが、それはあくまでレイの感覚に過ぎない。

 

「……それに、《結社》としてもオズボーンが撃たれることを計画の引き金にするつもりだろう。俺がクレアに情報を伝えたところで、結局直接的に潰される。犠牲が増えるだけだ」

 

「……どうあっても帝国宰相の命を贄にするつもりなのね、連中は」

 

「それだけの価値はある。エレボニアという国を本当の軍事大国に押し上げた立役者だ。それの命ともあれば、確実に大陸の命運を揺るがせる」

 

 事ここに至って考えを曲げる事はできない。クレアに情報を伝える事はできず、それはつまり、彼女を裏切るという事に他ならない。

 無論、言い訳をするつもりなど無かった。色々と手遅れになった後に会ったら、それこそ殴られたり嫌われたりするのもやむなしだと。

 

 そうなってしまっても尚、レイには貫かなければならない意地があった。そうしなければならない理由があった。

 その覚悟を知ったからこそ、サラもシャロンも余計な口を挟まなかったのだろう。

 

「……死ぬんじゃないわよ、レイ」

 

 忠告はその一つだけ。その一つだけ守ってくれれば充分だった。

 

「アンタが成人した時に、アタシ達4人で秘蔵のワインを飲むのがアタシの楽しみなんだからね」

 

「そいつは良いな。それじゃあシャロン、これを」

 

 するとレイは、羽織っていた真紅の制服を脱いで、シャロンに手渡す。

 

「クリーニングして俺の部屋に掛けておいてくれ。次にその制服を着る時は、皺一つない状態で着たいからな」

 

「―――畏まりました。ラインフォルトのメイドの名に懸けて、必ずや汚れ一つ、皺一つない状態でお掛け致します」

 

 その微笑には、僅かに翳が差していた。

 そんな筈はない、とどれだけ思っていても、断言はできないのだ。目の前の想い人と、再び生きて会える事を。

 

「サラ、後は頼んだ。ま、易々と生きる事を諦めるような温い教え方はしてなかったつもりだがな」

 

「……任せておきなさい。せめて学院の生徒の安全が保障されるまでは全力で足掻いてやるわよ」

 

 できるだけ気丈にそう答えたものの、サラも内心は焦燥感で溢れていた。

 これまでの特別実習でも命の危機はあったが、今回のそれは比ではない。生きて帰ってこれる保証などどこにもない。

 

 それでも、サラはレイのその生意気な笑みに安堵を覚えた。

 この少年は死なない。こんなところで死んでよい人間ではない筈なのだから。

 

 だからサラは祈った。彼はそれを良くは思わないだろうが、それでもそうせざるを得なかったのだ。

 女神様、どうか彼とまた生きて会えますように―――と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 街路樹が一瞬にして氷の彫刻へと早変わりし、砕け散る。

 丁寧に舗装された石畳の道には深々と剣傷が付き、赤煉瓦の壁には魔獣が抉ったかのような跡が残されている。

 

 帝都東街区の外れ。繊維工場区画とスラム区画の境目のこの場所に、今一般人は誰もいなかった。

 ヴィータが人除けの結界を周囲30セルジュに張っている。―――この戦いに干渉する余計な存在はいない。

 

 さて、それがレイにとって吉となっているか凶となっているか。

 一般人への被害を考慮に入れずに戦えるのは僥倖だ。彷徨った先の受け皿であっただけとはいえ、支える籠手を掲げた者だ。それに、恩人との約束もある。今はまだ、それを破るわけには行かない。

 

 だが、悪い側面の方が遥かに大きい。

 レイの目的は言わずもがな、帝都からの脱出だ。現在帝都上空を飛行する超巨大飛行艦船と、そこから放出される人型の機械兵。それらと今関わるのは御免だったし、関わっている暇もなかった。

 それは理解している。しかし逃がすまいと迫ってくる連中があまりにもタチが悪い。

 

 どれほど逃げ足に自信があろうとも、達人3人から五体満足で逃げ切るなど不可能に近い。

 とはいえ、その程度は予想していた。勝算を問われれば苦笑を返すしかないだろうが、それでもまたあの場所に戻るという決意だけはあった。

 

 

 首の肉を断つ寸前のところで黄金の剣の剣身を避ける。

 それでも、気を抜くことは許されない。重力を完全に無視したような槍捌きを去なし続け、僅かに浅く入った槍の穂先を刀身で絡め取る。

 

「何だ、お前はクロスベルの方には行ってなかったのか。ルナ」

 

「えぇ、まぁ。あっちには我らが筆頭殿が行っているので大丈夫でしょう? 私は私がすべき事をするだけですから」

 

 例え顔見知りであったとしても、戦乙女の槍捌きは緩まない。絡め取られていた穂先を弾き、殺気を伴うリーチを生かした連撃を繰り出してくる。

 達人(彼ら)の戦いとはそういうものだ。互いに譲れぬ絶対強固な芯があるからこそ、それを貫くために嘗ての友とも刃を交える。

 そこに僅かの躊躇いでも持ち込めば、死ぬのは己だ。それに対して恨み言を吐くような輩は、そもそも武人の峰の頂に至る資格すらないのだから。

 

 

 ―――八洲天刃流【剛の型・薙円(なぎまどか)

 

 自身を中心として円形状に斬閃が疾る。

 瞬きをするよりも短い間の予備動作を見切ったルナフィリアはすぐさま追撃をせずに飛び退いたが、反応が遅れたリディアは剣の腹で受け止めた。

 衝撃には備えたつもりだったが、足裏に回した氣だけでは去なし切れず、数アージュ程後ろへと吹き飛ぶ。それでも退くことなく追撃を行おうと再び足裏に力を入れたところで―――怖気にも似た殺気を感じ取って()()へと飛び退いた。

 

「『死氷ノ薔薇十字(ニヴル・ローゼンクロイツ)』‼」

 

 リディアを完全に串刺しにする軌道を描きながら、大型導力車にも匹敵する程の巨大な氷の大剣が高速で飛来していく。周囲の大気すら凍らせながら進むそれを、真正面から受け止めるのは至難の業。

 無論レイは、それを受け潰すつもりなど無かった。

 

 ―――八洲天刃流【静の型・桜威(さくらおどし)

 

 長刀の刃を氷の大剣に這わせるように振るい、角度を僅かに逸らす。その僅かだけで充分だった。

 空気を抉りながら遥か彼方に飛んでいく大剣。それが近くの尖塔に直撃して破壊音をまき散らす頃には、次の技が放たれていた。

 

「ならばこれも去なして見せろ‼ 『死氷ノ奏剣(ニヴル・シュヴェリウト)』‼」

 

 ザナレイアの周囲に氷造の剣が現出する。以前帝都で相対した時に出現したのは十振りだったが、レイの視界に映ったのは百は下らない数の氷剣であった。

 その全てを【桜威】で弾いていくとなると、可能ではあるが大きな隙を晒す事になる。

 

 故に、レイは一呼吸で脱力を済ませ、そのまま()()()()()()

 

「⁉」

 

 その様子を見たリディアが瞠目する。

 確かに”達人級”の武人にとって視覚によって得られる情報は一側面でしかない。それでも、一撃を弾くだけでも重い攻撃が重なること百余、それらを前に目を伏せる事は無謀に思えたからだ。

 

 だが、それは違う。

 その技を繰り出すには、視覚情報は寧ろ邪魔になる。武人としての感覚を極限まで研ぎ澄ませ、迫る気配のみを感知して地を蹴った。

 

 

 ―――八洲天刃流【静の型・輪廻(りんね)/沙羅霞(さらかすみ)

 

 一寸先で回避を行う事で攻めの手を緩ませない【輪廻】の派生型。視覚を完全に閉じる事で一見回避不可能に見える攻撃を感覚で察知して直前回避し続けるという荒業。

 この技を習得するために、一体何度師の剣閃に殺されかけたかなど今更語るまでもない。

 それに比べれば、たかだか氷の刃を躱す事など容易いにもほどがある。

 

 空に浮かんだそれらが容赦なくレイの身体を穿とうと殺到する。

 それに対してレイは、長刀を鞘に収めたまま躱していく。決して大きく回り込むでもなく、決して派手に動き回っているわけでもない。

 必要最小限の動き。だが、曲芸師でも真似できないような回避を軽々と行っていく。こういう時ばかりは今の自分が矮躯で良かったと、そう自虐的じみた笑みを浮かべたくなるのだ。

 

 そして再びレイが右目を開けた時、眼前には猟奇的な笑みを浮かべた宿敵の顔があった。

 長刀の刃は女の首に、蛇腹剣の切っ先は男の心臓に。それぞれ肌を裂く一寸手前の所で止められている。

 

 その一連の攻防を、リディアとルナフィリアは一定の距離を置いて見ていた。元より彼女らに課せられた任務は「レイ・クレイドルの足止め」であり、殺害ではない。ザナレイアがその役目を全うしている以上、彼女らが下手に手を出すわけには行かない。

 だがルナフィリアは、その光景を複雑そうな表情で見守っていた。

 

 

「どけよザナレイア。今はテメェの悦楽に付き合ってる暇はねェんだ」

 

「貴様の事情など知ったことか。魔女の戯言など一考すら値しないが、貴様と再び(あい)し合えるのならば是非も無い。血飛沫が舞うまで踊り狂おうじゃないか」

 

「テメェとのダンスなんざ未来永劫お断りだタコ」

 

 短い拒絶を終えると、半回転しながら蛇腹剣の軌道から外れ、そこから流れるような動きでザナレイアの細い首を刈り取りにかかる。

 音を置き去りにする程の迅さの剣を、しかしザナレイアは見切って躱す。

 通常の攻撃ならば身に宿す《虚神の死界(ニヴルヘイム)》の権能(ちから)で無効化できるが、既に神格が混じったザナレイアの肉体を”不浄”であると定めている《天津凬》の刃はそれを看過しない。

 斬れば血を流し、肉を裂く。だが、そんな状況でも彼女は狂笑の表情を崩さない。

 

 蛇腹剣《ゼルフィーナ》の刃が分解され、横薙ぎに一閃される。レイの上半身を絡め斬る筈であった刃は、しかし虚空を薙いで、剣閃の余波は十数アージュ先の貯水タンクを上下に両断した。

 背後で破裂したタンクから、鉄砲水が溢れ出す。次第に足元に溜まり始める水を一瞥し、一瞬だけ眉を顰めたレイはその直後に()()()

 

 

 ―――『死氷ノ霊園(ニヴル・ナアスト)

 

 

 悪寒と呼ぶにはあまりにも殺気が高すぎる寒気が流れた直後、先程まで足を付けていた屋上が凍り付いた。

 あのまま足を付けていたら、足元から凍っていただろう。ザナレイアの氷に体の一部でも捕まれば、為す術なく氷の彫像と化す。それはレイとて例外ではない。

 すると、身動きが取れない筈の空中での串刺しを狙って《ゼルフィーナ》の切っ先が高速で飛んで来るが、横腹に突き刺さる寸前で身を捻り、これも躱す。

 裂かれたシャツの白い生地が宙を舞う中、レイは着地と同時に《ゼルフィーナ》の刃を踏みつける。それで稼げる時間は恐らく1秒にも満たないだろうが、”達人級”相手に稼ぐ1秒は重い。

 刃が頸を落とすのに、その時間は長すぎる。

 

 

 ―――八洲天刃流【剛の型・身縊大蛇(みくびりおろち)

 

 

 殺気を刃に乗せ、氣を腕に乗せ、目の前の女の形をした化け物を確実に殺す為に白刃を振るう。

 その時の殺意の塊のようなレイの右目を、ザナレイアは歓喜の表情で見続けていた。

 

 彼女にとって、愛しの君から向けられる殺意(アイ)以上に嬉々に満ちたものは無い。

 嗚呼、ここであの白刃に貫かれれば、それはそれで幸福なのかもしれない。この男は自分を刺し貫いた状態で、一体どんな表情を見せてくれるのだろうか。

 憤怒? 憐憫? それとも罪悪感? ―――どんな歪み(まが)った感情をぶつけられるのか。それを考えただけで高揚感を抑えることができない。

 

 ―――だが、それは否だ。

 この男は自分が殺す。その胸を刺し貫いて、四肢を削ぎ落として、それでも気丈に睨みつけるその強さを受け止め、そして踏み躙る。

 それが為し得た時にこそ、初めて《虚神の死界()》は《虚神の黎界(アレ)》を超えることができる。初めて、この世界に生まれ落ちた意味を知ることができる。

 

 証明しなければならない。かの虚神から生まれた絶望を。遍く人類から受けた肥大化した欲望を目の当たりにした恐怖と、己の身が栄誉と富を得ようと他者を蹴落とす醜さを目の当たりにした憤怒を。

 その絶望から生まれたのが《虚神の死界()》であるのならば、虚神が遺した一握りの善意、慈悲が生み落としたのが《虚神の黎界(アレ)》である。

 

 故に、殺し合わなければならない。決して相容れない存在だからこそ、どちらかがどちらかの憑代を殺して奪い取らねばならない。

 だが、ザナレイアに憎悪は無かった。《虚神の黎界(ヴァナヘイム)》に魅入られたレイ・クレイドルという少年を一目見た時から、その感情を抱いたことは一度も無かった。

 どれ程癇癪に触れている時でも、彼の姿を見ると笑みを見せた。高鳴る胸の鼓動のままに、彼の命を奪おうと一心不乱に剣を振るった。

 

 それは愛というものだ、と。そう誰かが言った。

 誰が言ったのかなどもはや覚えていない。彼女にとってそれは雑音の一つでしかなかった。

 だが、その言葉自体はずっと耳に残り続けていた。己が抱くその感情こそが”愛”であるのだと。彼との死闘は、殺し(愛し)合う高尚なものであるのだと。

 

 であるならば、このような場所でそれを終わらせるには惜しい。

 もっともっと斬撃を交わそう。もっともっと血を流し合おう。もっともっと命を削り合おう。

 

 瞳に妖しい光が灯る。今まさに己の頸を斬り落とそうと迫る白刃に諍おうと、再び《ゼルフィーナ》の柄を握り直す。―――だが。

 

 

「――――――」

 

「――――――」

 

 

 

 

 恐らくは。

 

 

 彼女も手を出す気は無かったのだろう。これまで幾度か行動を共にせざるを得なくて、ザナレイアという女が抱える狂気の度合いは理解していただろうから。

 

 だが、幸か不幸か彼女は目が良すぎた。あの一瞬で彼女は、ザナレイアが一瞬だけ生を諦めた事を見抜いてしまっていた。

 そして、彼女の生真面目に過ぎる気質はそれを見逃せなかった。

 

 今ここでザナレイアという戦力を失ってはならないと直感的に判断したのだろう。そして、その判断は間違っていなかった。彼女が介入していなければ、恐らく結界の維持に回していた全力を少しばかり緩ませてでもヴィータが手を出していただろう。

 誰かがやらねばならなかった事。だがそれをするという事は同時に―――。

 

 

「馬鹿野郎‼ とっとと離れろリディア‼」

 

「な、っ―――⁉」

 

 

 ―――ザナレイアという女の逆鱗に触れる事と同義なのだ。

 

 

 暴力的な冷気が、レイの眼前を駆け抜ける。地から競り上がる氷柱の群体が、ザナレイアを護らんと白刃を防いだリディアの細身を吹き飛ばした。

 避ける事はできなかった。逆に言えば、”達人級”の武人ですら反応しきれない程に、その逆鱗が齎した攻撃は早かった。

 

「か―――はッ」

 

()れるな、雑魚が。死ね」

 

 その言葉は、どこまでも冷酷で、どこまでも凍っていた。

 殺意と呼ぶにはあまりにも簡素に過ぎる。殺す相手に対しての感情は限りなく希薄で、しかし見逃す気など何処にもない。

 己の愉悦の邪魔をした。血沸き肉躍る殺し合いの邪魔をした。思惑があったか無かったなど、知らぬ存ぜぬどうでもよい。

 

 謂わばそれは、視界に入った蚊を張り殺す事に等しい。

 羽音が喧しく、己の血を吸おうと不躾に肌に止まろうとする。ザナレイアにとっては、その程度の認識でしかなかった。

 

 故に、殺す。肩に刺した《ゼルフィーナ》の切っ先を撥ね上げる事に何の躊躇もない。

 

 

 

 

 

 ―――その感触は、リディアも実感していた。

 

 自分は見誤っていたのだと、遅まきながら自覚した。ザナレイアという女が抱える妄執は、人間である自分程度が計れるものではなかったのだと。

 コレは最早、呪いとかそういう類のモノですらない。最初からそう定められている、運命のようなものだ。

 

 だからこそ彼女は、片割れ(レイ・クレイドル)との殺し合いという至高の瞬間を邪魔されることを何よりも厭う。邪魔を廃するために、大局など投げ捨てて私怨を果たす。

 否、そもそも彼女の双眸には宿敵しか見えていないのだ。その他は総じて些事。他の《執行者》の命も、《使徒》の命令も、《盟主》の言葉ですらも―――取るに足らない戯言に過ぎない。

 

 宿敵を誑かすものは余さず塵でしかない。己の道を塞ぐ者は総じて滅殺する対象でしかない。

 

 リディアはただ、彼女の逆鱗に触れただけに過ぎない。だが、その一手が致命的なまでに悪かった。

 ルナフィリアはリディアを助けない―――いや、助けられないだろう。何が気に入らないのか、マクバーンは最初から傍観に徹して手を出しておらず、結界の維持に掛かり切りなヴィータは言わずもがな。そんな状態で、本来の任務である「レイ・クレイドルの逃亡阻止」を完遂しようとするならば、彼女だけはレイから視線を離してはならないのだから。

 

 とはいえ、よもやここまで力量差があるとは予想外だった。

 傲慢になっていたわけでも、慢心していたわけでもないという自覚はある。だがそれでも、彼我の実力差は確かにあった。

 

 ”達人級”の武人の中にも、実力差というものは存在する。心の在り方と経験を研ぎ澄ませた熟達の武人と比べられれば、技量が劣るという事は理解していた。

 だがそれでも、まさか反応できない程の速さで穿たれるとは思わなかった。憤怒という感情に振り切れた熟達の武人が、よもやここまでのものであったとは。

 

 ()()()()()()気づかなかった自分が死ぬのは、ある意味で当然であると言えるだろう。師に拾って貰った命だというのに、このような無様な形で捨て去ってしまう。それが何より悔しくて仕方がない。

 

 肩口に刃が捻じ込まれる度に、意識が一歩ずつ遠のいていく。《パラス=ケルンバイダー》を握る手の力も、それに伴って消えていく。

 鬱陶しい蠅を見るような目で睨みつけられる。本当の意味での殺意すら向けられないまま頸を落とされて死ぬという屈辱、それは享受せねばならない事なのだろうか。

 

 

 

 

 ……………。

 

 …………………………。

 

 

 ―――否。それは違う筈だ。

 

 

 自分は確かに過ちを犯した。相手を過小評価するという、武人として犯してはならない愚を犯した。

 だがそれは、()()()()()()()()()()()()にはなっても、()()()()()()()()にはならない。

 未熟な自分が未熟なまま煉獄に堕ちれば、それこそ師に顔向けができない。それこそが真に恥ずべきことの筈だ。

 

 では、どうする?

 猶予は多く見積もっても1秒未満。心構えを正すのに時間を割き過ぎた。

 此処から命を拾うならば、最低でも腕の一本は犠牲にしなくてはならない。そこまでやって果たして生き延びられるかは賭けではあるが、どれだけ醜く這いずってでも生きなければならない。

 

 そう思い至り、再びザナレイアの顔を正面から見据えようとした直後―――その身体が真後ろへと吹き飛んだ。

 

「ッ―――⁉」

 

 ザナレイアが吹き飛んだことで、同時に肩口に突き刺さったままだった《ゼルフィーナ》の剣身も抜ける。

 瞬間、身体の中から大量の血が流れ出て、しかし氣力を操って最低限の止血を行う。

 流血でぼやけた視界のその先で、ザナレイアの身体は、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「―――失礼。いきなり吹き飛んで来られたものですから、()()手を出してしまいました」

 

 その言葉が、形だけの謝罪ですらない事は明らかだった。そして、槍の柄を握った手を翻すと、血払いをするかのように槍を横に薙ぎ、ザナレイアの身体を投げ捨てる。

 

「ルナ、フィリア先輩? どう、して……」

 

「どうしてもこうしてもあるかよアホ後輩め」

 

 傷口を手で抑えて座り込んでしまったリディアの傍らで、蹴りを突き出した体勢のまま―――レイ・クレイドルは後輩を叱咤する。

 

「レイ、せん、ぱい」

 

「言っておくが、どうして助けたかなんて訊くんじゃねぇぞ。俺の不始末で後輩が死ぬなんざ、それこそレーヴェに合わせる顔がねぇからな」

 

「…………」

 

「それに、ルナの奴から頼まれた。……アイツとは長い付き合いだし、借りもあるからな」

 

 とはいえ、ルナフィリアから言葉で助けを請われたわけではない。リディアが吹き飛ばされたその瞬間、一瞬目が会った時にレイは意図を汲み取った。

 それでも彼は、本来の目的を第一とするならばリディアを助ける手間と時間すら惜しむ筈だった。

 

 だが、彼は迷わなかった。逡巡すらしなかった。

 効率も理屈も度外視して、後輩を救うために動いた。それが真に正しい行動か否かと問われれば賛否あるだろうが、少なくとも当の本人はこの選択をしたことを僅かも後悔していない。

 

「死にたくねぇんならもうちっと賢く生きる事を覚えろ。手を出すべき相手とそうでない相手、その程度の見極めはつけるべきだ」

 

 生真面目さは美徳だ。正しく在ろうとする姿も間違っていない。

 だが、それが結果的に正しいとは限らない。彼我の実力差を読み切れない程度の観察眼でそれを為そうとすれば、最悪自分以外の命さえ危機に晒す事になる。

 

 自分がそれを理解するまでに、喪ったものがあった。だが、愚かに過ぎた当時の自分とは違い、眼前の後輩は賢い人間だ。忠告は言葉だけで充分だろう。

 

「ありが、とう、ございました」

 

「……一応言っておくと敵同士だからな、俺達は」

 

 彼女の呼吸は、浅く続いてはいるが安定していた。末席とはいえ”達人級”の名を担っているのならば、この程度の傷で命を落とす事も無いだろう。

 

 それよりも、レイは今別の事に意識を割かざるを得なかった。

 少し離れたところに今も佇むルナフィリアの突破方法―――ではない。寧ろ彼女も、今はレイと同じ懸念を抱いて()()を仰いでいた。

 

 

 

 

 

 ―――”最悪”が、いよいよ鎌首を(もた)げようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







 本日の教訓はただ一つ。

 『ザナレイアという女にチームプレイを期待するな時と場合によっては助けた此方が殺されるぞ』


 と、いう訳で随分と間を開けてしまいました。十三です。
 明日からはイースⅨやったりCODE VEINやったりすると思うので、今日投稿しました。15000文字って今までで最長じゃないの? 何でこんなに長くなったかというと、区切る場所を見誤ったからです。

 次回、ちょっとマジで誰か死ぬかもしれない。
 それでは皆様、またの場で。

 

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