英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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覚悟を謳う者達 後篇

 

 

 

 

 

 

 高速移動する巨体、というモノとの戦闘経験は、それなりに積んでいたつもりだった。

 見上げる程の体躯の魔物と戦い、勝ち、個の質を数の連携で上回ってきた。

 

 実際、それは正しい戦い方だった。思考力で上回れるのなら、連携力で上回れるのならば、それを以て勝ちを拾うのは恥ではなく名誉だ。

 だが、もしそれが()()()になったらどうなるだろうか?

 

 相手がもし同じ人間だったら?

 力量がこちらの個々人の全てを凌駕していたら?

 連携すら意味を為さない程に強力な能力を有していたら?

 

 そういった相手を前に確実な”勝ち”を拾える力。

 

 

 それこそが、今のⅦ組(彼ら)に求められている力だった。

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 その機体の名は”ケストレル”と言った。

 全高は6.8アージュ。重量は汎用機体(ドラッケン)よりも一回り軽い4.6トリム。防御性能で言えばドラッケンにも劣る機体だが、その強みは機動力にあった。

 

 元より帝国が有する主力重量級戦車よりも機動力で勝る事をコンセプトの一つとして開発されたのが機甲兵という存在だが、ケストレルはその長所を更に顕著にした()()()である。

 単体の攻撃性能そのものは長所を尖らせるために犠牲にはなったが、それでも”対人戦”においてそれが欠点となる事はまずない。

 なにせ武器の重量だけでも最低でも数トリムは下らないのだ。”準達人級”、それも最上位クラスの、魔力と氣力で身体能力を劇的に飛躍させることができる武人が相手でもなければ、彼らが劣る事はまずないのだ。

 

 

 防御アーツ『ラ・クレスト』の土壁が、連続で繰り出された斬撃に切り刻まれる。

 空中で分裂した刃が、アーツを発動した後の硬直で足が止まっていたマキアスの頭部に迫り―――しかしその軌道を横から放たれた『クリスタルエッジ』が逸らす。

 

『足を止めるなマキアス‼ ガイウス、そこの馬鹿をいったん下がらせろ‼ ミリアムはそこを動くな、エマを守り通せ‼』

 

 次々と高純度の戦術リンクを介して命令を飛ばすユーシスの顔に余裕は一切見えない。

 オルディスの地下で戦った時も余裕などは微塵も無かったが、その時とはまた違った危機に直面している。

 あのバケモノとは異なる。動きそのものはそれなりに予測が出来るというのに、質量が桁違いなだけでこうも変わる。それはユーシスも理解していた。

 

『諦めなさい。アナタ達じゃあどう足掻いてもこのケストレルには勝てないわ』

 

 そうして再三突き付けられるのは降服勧告。己の勝利を疑わず、さりとて此処で足止めを続けられても煩わしい―――そういった思惑が透けて見える。

 それでもこちらを一思いに潰さないのは人道に則ったものなのか。それとも、彼らのリーダーの知り合いに向けられた同情なのか。

 

 どちらにしても、()()()()

 

「諦めろだと? 玩具に乗って気分が舞い上がった()()()()がよく吼える。情けを掛ける相手は良く選ぶべきだ」

 

『ッ……‼』

 

 苦虫を大量に噛み潰したような表情をしているのが透けて見えるようだった。我ながら悪い性格をしているというのは自覚していたが、それで勝ちの目を拾えるのなら安いもの。

 

 リィン(重心)はいない。レイ(最強)もいない。であれば、ユーシス・アルバレア(この程度しかできない自分)が使命を全うするしかない。

 勝利条件は決して間違えない。敗北条件も間違えない。欲を出さず、慢心せず、自分たちが為すべきことをただ為して最悪から脱する。

 

 兄上であればこの状況下であっても打開できる策を見いだせるのかもしれない―――そう思いそうになり、ユーシスはその思考をすぐさま霧散させた。

 意味のない仮定だ。確かにそうであるかもしれないが、そうであったとして、この場を切り抜ける何の役にも立ちはしない。

 

 

 轟音を伴って、巨大な蛇腹剣が此方の全てを薙ぎ払いにかかる。

 だが、巨体であるが故に完全に地面と水平に薙ぎ払うのは不可能。そしてどれだけ軽量級であったとしても、数トリム単位の機械が生身の人間と同じ速さで動くのも同じく不可能。であれば、回避する余地はある。

 とはいえ、これだけの質量の金属の塊が当たれば、即死は勿論免れない。その恐怖を乗り越えて全員が回避に成功できたのは、偏にこれまでの経験がものを言ったと言えるだろう。

 

『チィッ‼ ちょこまかと……‼』

 

 搭乗者(スカーレット)の声も、今は聞こえない。

 

 得物を振り抜いた状態から、再び攻撃可能状態になるまでの時間。それは今まで何とか凌いできた死闘の間に何とか探り当てた。

 5()()。先程ユーシスはスカーレットの事をああいう風に誹ったが、その程度のインターバルで再攻撃を放てるようになるまで一体どれだけの試乗を重ねたのか。

 だからこそ、このまま同じことを続けても回避し続けられるという保証はどこにもなかった。いつかはその刃が誰かを捕らえ、凄惨な死に方をした仲間を見て動揺した誰かがまた狩られる。そうしてこちらの敗北条件が整ってしまう。

 

 故に、仕掛けるならこの5秒間。

 相手が頭に血が上って攻撃以外を考えないであろうこの攻撃の隙間を縫う。

 その作戦を、ユーシスは既に皆に通達してある。中々にハイリスクな作戦に、通達当初はリンク越しに動揺が伝わってきたが、それも数秒で落ち着いた。

 

 『了解だ。僕たちの命、癪だが君に預けよう』

 

 そう真っ先に言ったのは、意外にもマキアスだった。それに次いでミリアムがいつものように能天気に返事を返す。そうして他の皆も―――というのがつい10分前。

 

 実のところ、このケストレスと戦闘状態に入ったのはそれほど前の事ではない。

 ユーシスの体感にして30分前程だろうか。精神的には数時間ほどの時間を費やしているように思えるのは仕方のない事だろう。

 

 脳が焼き切れそうな感覚に陥る。この5秒に全てを賭けなければならない。

 失敗すれば敗北は必至。自分は何も約束を守れず死んでいくだろう。それが、堪らなく嫌なのだ。

 

 

 

 ―――5

 

 

 

「『グラヴィオン・ハンマー』‼」

 

「『イクシオン・ヴォルト』‼」

 

「『ブルーアセンション』‼」

 

 アリサ、エマ、エリオットの順でアーツを飛ばす。

 全てが同時に着弾するわけではない。詠唱が終了し、魔力が形を得て対象に影響を及ぼすまでにかかる時間はその種類ごとに差異がある。

 それら全てを計算に入れた上で、戦術リンクを介してコンマ数秒単位に至るまで誤差なく同時に発動させた。

 

 ただし、狙うのは機甲兵本体ではない。

 今に至るまで数度攻撃アーツをケストレルに当てているが、本当に効いているかどうかすら怪しいレベルの効果しかなかった。

 最初に放った攻撃がほぼ通じていなかった―――その時点で、ユーシスは既に「対象の撃破」という勝利条件を捨てていたのだ。

 

 故に、狙うのはその()()

 

 

 

 

 ―――4

 

 

 

『何、を。その程度でケストレルの体勢が崩れると思っているのかしら⁉』

 

 如何に軽量化されているとはいえ戦車以上の機動力を謳った戦術兵器。アーツ攻撃の余波程度で体勢を崩される程脆くは無い。

 このまま左脚を一歩後ろに引いて、やや前傾姿勢になった状態で二撃目を繰り出す。それですべてが終わる―――筈だった。

 

『―――⁉』

 

 地属性最上位魔法(グラヴィオン・ハンマー)が地面を大きく隆起させ、風属性最上位魔法(イクシオン・ヴォルト)がそれを抉り、水属性上位魔法(ブルーアセンション)がそこに注ぎ込まれる。

 

 そうして出来た()()()()()。その淵にケストレルは脚を取られ、そのまま巨体が()()()()大きく後ろに傾いた。

 

 

 

 ―――3

 

 

 

「『カラミティホーク』ッッ‼」

 

「『奥義・洸刃乱舞』ッッ‼」

 

 それまで防御と回避に専念せざるを得なかったガイウスとラウラが、機を得たとばかりに前へと出る。

 しかしその二人の必殺戦技(Sクラフト)は、ケストレルの機体(ボディ)にすら届かない。上位機体にのみ取り付けられた対戦車砲用結界発生器(リアクティブアーマー)から発生した物理障壁が、不可視の壁となって渾身の一撃を軽々と防いだ。

 

「「押し通すッ‼」」

 

 だが、そんなものは想定通り。そもそもそういった不可思議な科学技術が搭載されているという事も初撃で確認済みである。今更自分たち程度のレベルの攻撃が通じるとは思っていない。

 それでも、高威力の技を一点に集中させれば、崩れた体勢を更に崩すことくらいは可能であろうと思い至った。

 

 

 

 ―――2

 

 

 

 その目論見は上手く行った。

 ケストレルの巨体は着撃の衝撃で大きく崩れ、もはや重力に逆らって体勢を立て直すのは不可能になった。

 そうして為すがまま、背中から水が張られた大きな窪みの中に倒れる。

 

『くっ、この程度……‼』

 

 だが、その程度であればすぐに復旧できた。悪路に足を取られて行動不能になるような不良品では、戦場では役に立たない。

 以前、再攻撃に掛かる時間は変わらない。その見解自体は何ら間違っていなかった。

 

 

 

 

 ―――1

 

 

 

「『プレシャスアラウンド』ッ‼」

 

 その最後の一手。その為にユーシスは策を巡らせた。

 どれ程強固な物理シールドを持っていようとも、どれ程滑らかな駆動部を持っていようとも、()()()()()()()()()()動く事は出来ない。

 機体表面の凍結対策は備わっているのだろうが、周囲の水分共々凍らされる対策は施していないだろうという思惑の下実行された作戦だった。

 

 実際、スカーレットはケストレルを動かせずにいた。

 ヴァルカンの方に与えられた巨大重装機甲兵『ゴライアス』であれば強引に氷を砕いて脱出する事もできただろうが、此処に来てケストレルの出力の低さが仇となった。

 それでも出力を最大にして脱出する事は可能と言えば可能だが、時間が掛かる上に過剰駆動(オーバーヒート)をする危険性がある。いずれにせよ、()()()()()()というのがスカーレットの感想だった。

 

 

 

 

 ―――0 

 

 

 

 

「総員、撤退だ‼」

 

 戦功を欲張らない。組み上げた作戦が全て上手く行った今であったとしても、撃退が出来るなどとは思っていない。

 だからこそ、その命令を下す事をユーシスは躊躇わなかった。

 

「可能な限り少人数で逃げおおせろ‼ 何があっても絶対に生き残れ‼ リィンとレイ(あの馬鹿ども)に文句を言うまで誰一人として欠けるな‼」

 

 その命令を聞き、Ⅶ組全員が駆け出した。

 それぞれ忸怩たる思いを抱えている事は間違いない。特にアリサなどは、今も戦いが続いているであろう街道の先に視線をやってしまう。

 

 愛しい(ひと)を残したまま、自分だけが背を見せて逃げる―――それが途轍もなく悔しい。

 彼は今も、一人で戦っているのだろう。負けられないという意思を胸に抱いたまま、泣き出しそうな心で剣を振るっているのだろう。

 その場に自分が居て支えることができないのは、自分が弱いからだ。足手まといにしかならないからだ。

 

 自分の強さに限界があるのは理解している。才能が無い人間が強くなるのを待ってくれるほど世界が甘くない事も。

 そんな事はとっくの昔に分かっているというのに、それでも未練が湧いてしまう。

 

 ―――そのような事を考えている暇など無いというのに。

 

 

「……え?」

 

 直後、アリサは自分の身体が浮いた感覚を認識した。

 制服の首元を掴まれ、背後へと投げられる。揺れる視界の中で、自分を投げ飛ばした相手だけはなんとか視認できた。

 

「ユーシス‼」

 

「ラウラ‼ 呆けているそこの馬鹿を引きずってでも撤退しろ‼ 振り返るな‼」

 

 見ると、ケストレルの右腕部分だけが氷の牢獄から解放されていた。その近くには、放り出されていた巨大な蛇腹剣。数秒後にどうなるかなど、どんな馬鹿でも理解できる。

 

「(『アダマスシールド』の無詠唱駆動……一発くらいなら発動できる魔力はある、か)」

 

 アーツの無詠唱駆動というのは、「可能ではあるがやるべきではない」というのが一般的な見解だ。

 要はマスタークオーツによる演算を強制的に超加速させるだけの過剰魔力を使用者が注ぎ込めばいい。場合にもよるが、本来の発動に必要な魔力のおよそ三倍。

 無論、格上相手にやるべき賭けではないし、格下相手にやる意味も無い。運良く霊脈と自身の魔力が()()()()()瞬間だけノーリスクで無詠唱駆動が出来るが、そんなチャンスを待てるわけもない。

 

 平均よりはそれなりに高い自身の内包魔力量に感謝しながら、ユーシスはARCUS(アークス)を構える。

 防ぎきる事は出来ないだろう。抗えるのは十数秒から数十秒と言ったところだろうか。

 

 とはいえ、ユーシスはアリサを責める気にはなれなかった。

 少し前に盛大に茶化してパーティーをしたのが既に懐かしい。互いに想いを伝えあったばかりだというのに、何故彼らがこんなにも理不尽な目に遭わねばならないのか。

 普段は崇める対象である空の女神(エイドス)を、今の瞬間だけは恨んだ。

 

 先程自身が出した命令を、自身が一番先に破る羽目になる―――あまりにもお粗末な結末ではあるが、これが最善手だと覚悟を決める。後は蛇腹剣の攻撃のタイミングに合わせて発動させるだけ。

 

 恐怖はある。だが、後悔のない選択をしたという自負がある。それだけで充分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やはり貴方が一番の傑物でしたな、ユーシス殿」

 

 黄金の焔が弧の軌跡を描いて襲来する。

 およそ人一人分の質量しかなさそうな攻撃だったが、それはいとも容易く巨大蛇腹剣を弾き飛ばした。

 

「ですが、()()がよろしくない。朋友を逃がす時間を作るのは最適解ですが、生きる事を諦めてしまうのはナンセンスです」

 

「……申し訳ないが、今の俺の手持ちカードは良くなかったんでな。ノーペアよりかは結果を出せる手段を選んだまでだ」

 

「対価として己の命を捧げるのは最後の手段であるべきですが……まぁ、この言葉の掛け合いに意味はありますまい」

 

 その直後、ユーシスは瞠目した。

 シオンという存在の異常さは理解していた。レイの手足として動く超常的な式神。飄々と佇んで、いつも余裕そうな笑みを浮かべながら此方を弄り倒してくる。

 だが今、彼女の表情に余裕は無かった。口元だけは辛うじて笑みと呼べるものを浮かべているが、その肉体の所々が()()()()()

 

 ボロボロと、崩れていく身体の部位が焔と変わって落ちていく。

 先程の一撃を繰り出した右足も、罅が広がって今にも欠損しそうな有様だった。

 

「帝都の方で少々暴れましてな。主の方も軽くない負傷をした為に私もこの有様です」

 

「……貴女が此処にいるという事は、あの阿呆はこの先で戦っているという事か」

 

「左様で。あぁ、御心配なくユーシス殿。主が越えてこられた修羅場の中では()()()()()()です。先程仰られた通り、私が今此処にいるのがその証左であります故」

 

 そこまで聞き、ユーシスは一つ深呼吸をするとシオンに背を向けた。

 

「己の無力さを嘆くのは後にしよう。俺達は俺達の為すべきことを為せという事だな?」

 

「えぇ。あの玩具を大人しくさせる程度の余力はあります。―――ご武運を」

 

「主に伝えておけ。手製のフルコースで勘弁してやるとな」

 

 

 十代の若き貴族。胸の内はやるせない憤りが渦を巻いているであろうに、それを抑え込んで「生き残る」事を最優先にして逃げおおせる。

 人間というのはこれだから面白い。プライドに突き動かされて命を粗末にする短絡的な者もいれば、地を這い泥を啜る恥辱を味わってでも目的のために生き残ろうとする者もいる。

 窮鼠猫を嚙む。そういう人間こそ最も恐ろしいのだ。追い詰められた存在は、時として神にも諍う存在に成る。―――そういった者に、自分は敗北したのだから。

 

「さて、まだやりましょうか?」

 

 言葉に殺意を乗せて問う。それに対して得物を失ったスカーレットは戦闘態勢を解いた。

 

『やめておくわ。ここまでされたら流石に私の負けよ。大人しくしておくわ』

 

 本来であれば、ここで彼女を生かしておく理由など無い。テロリストの思想云々などはシオンには理解できないが、主の敵は自分の敵だ。

 しかし、己の身体がその忠義を邪魔する。先程の一撃でさえギリギリだったのだ。今のレイに呪力の余裕がない以上、人間体を保つ事さえ難しくなっている。

 ここでこの質量の兵器を燃やし尽くす力を使えば、復活するまでに相当の時間を要する事になる。

 シオンの中の優先事項を考えれば、この後の行動は決まっていた。

 

 

『ガッ……⁉』

 

 

 

 

 

()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

神焔を手先に集中させ、ボディを貫く。そして操縦室(コックピット)から操縦者を引きずり出した。

 

 今は式神として甘んじているとはいえ、シオンは神性存在だ。細々とした手段で殺すなど沽券に関わる。

 だが、今は仕方がない。この手段ならば力を使い果たすという最悪の状況に陥ることなく殺れる。最悪を回避できるのならば主の敵を見逃す理由など無い。

 

「っ……な、ん……」

 

「何故? と? これはおかしな事を申される。状況的に殺してしまっても問題ない場合は殺すでしょう? 生憎と私は主を除いたⅦ組の方々程甘くはありませんので」

 

 焔を消した手でスカーレットの首を締め上げていく。呼吸は辛うじてできるが、声は出しにくくなる絶妙な力加減。

 それを振りほどこうと藻掻くが、いかに消えかけとはいえ、ただの人間の膂力が神獣に敵う筈もない。

 

「嗚呼醜い醜い。よもやこの期に及んで死が恐ろしくなったわけではありますまい。死ぬために戦ってこられたのでしょう? 死に場所を求めて旅して来られたのでしょう? ならばせめて最期くらいは笑っては如何ですか? ほら、このように」

 

 ニィッと笑うその姿は、人の形を象ってはいたが、スカーレットにはそうは見えなかった。

 ()()()だ。ヒトの皮を被ったヒトならざる超常のモノ。

 

「バケ……モノ……」

 

「それは私にとって侮蔑にも恥辱にもなりはしません。それはただの純然たる事実。煉獄でギデオンとやらに誇るとよろしい。世にも珍しいバケモノに灼かれて死んだと」

 

 そう言われて、スカーレットは辛うじて口角を吊り上げることができた。

 

 シオンが言っていた事は、スカーレットにとって図星ではあった。

 彼女は死に場所を探していた。死ぬ前に《鉄血宰相》に一泡吹かせるために生きてきた。

 オズボーンが主導した併合政策のあおりを受けて家の農地を没収され、父はそれを苦に自殺した。国の主導者が国力を挙げるために他を取り込む政策を取る時に、犠牲になるのは無力な弱者である。

 とはいえ、スカーレットも無知ではない。それは多数の国民の利になる政策であり、大国の主導者ともなれば、大を成す為に小を犠牲にする事ぐらいは慣れているのだろう。そうでなければならない。

 

 だが彼女にとって、そんな事は関係なかった。

 復讐の炎が胸の内に灯ってしまった。他にもその炎を灯した者がいた。知識としては理解しても感情が伴わなかった。

 だからこそ、彼女は死ぬために戦い続けた。《鉄血宰相》の首を取る為に、時には関係のない人間さえも殺した。―――大義というお題目を掲げて。

 

 であるならば、確かに、この期に及んで死に怯えるというのは情けない事だろう。

 自分たちによって殺された者達の怨嗟、それを背負って煉獄へ逝くのだ。分かり切っていた事だし、それを拒否する権利もありはしない。

 

「ごめんなさい、クロウ。最後にしくじったわ」

 

 だからせめて、残す言葉はリーダーへのそれにしたかった。

 《A》は上手くやった。特注対物ライフルの超々遠距離狙撃を胴体に受けて生きている者などいないだろう。その目的が達せられたのであれば、自分が生きている価値もほぼ無い。

 ならば、最期の最後くらいは笑わなくてはならないだろう。地獄を生み出した一人として、大罪人として死ぬのなら、それに相応しい死に様でなくてはならないだろう。

 

「良い夢を見せて頂戴ね? バケモノさん」

 

「煉獄の悪魔どもによろしくお伝えください。では」

 

 おやすみなさい―――そう伝え終わると、スカーレットの全身は黄金色の焔に包まれた。

 痛みを感じる時間もない。紙切れが燃え尽きる時間よりも早く、彼女の身体は灰すら残らず()()()()

 

 ……痛みを与えず殺したのは、決して慈悲によるものではない。

 ()()()()()()()()()()()()()。ただそれだけに過ぎない。

 

「……思えば、最後に人を殺したのはいつでしたか」

 

 ここ何年かは斥候か、伝令役のような真似ばかりをやっていた。

 それはそれで面白かったのもまた事実だが、人間を一方的に嬲り殺すという行為は、シオンにとっては懐かしい感覚だ。

 

 レイと出会うよりずっと以前、それこそ大崩壊よりも前、人々が今よりも更に発達した文明を築いていた頃。

 霊長の頂点として君臨していた人間を、災害のような脅威として狩っていた時は()()()()。次第に人々の阿鼻叫喚を聞いて悦に入るのも()()、欲望の赴くままに世界を放浪した末に、まだ何もかもが未熟であったはずの少年に従属してから幾年。主が《結社》を抜けてからは無沙汰になってしまった感覚だ。

 

「あぁ、しかし」

 

 既に体の半分以上が崩れている状況で、しかしシオンはどこか呆けた感じでユーシスらが去った方向を見やった。

 

「この女も彼らの()()()()として残しておくべきでしたか。勿体ない事をしてしまいました。これでは主にお叱りを受けてしまいますな」

 

 その言葉は、あまりにも軽かった。

 彼女にとっては人の命など、そこいらを通る蟻のそれと何ら変わりない。彼女が人を区別する基準は、そこに価値を見出せたかどうか。

 シオンにとってのその最上級が今の主(レイ・クレイドル)であり、それとはまた別の価値を見出しつつあるのがⅦ組の面々であり、そうした者たちだけを彼女は()()()()ことができる。

 

 故に、価値を見出せなかった者に対しての感情など彼女は持ちあわせない。

 壊してしまった玩具の遊び方を壊してしまった後に思いついてしまったような、多少の後悔。

 

 そんなすぐにでも捨て去ってしまうような感覚を心に留めたまま、彼女もまたその戦場跡地から消え去った。

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 騎神には”同調率”というものがある。

 

 要は、起動者(ライザー)と騎神とのシンクロ率である。特殊な生まれ方をした騎神は、その他の”模造品”とも言える機甲兵とは比べ物にならない程の出力を誇り、その出力の高さは起動者(ライザー)との同調率に比例する。

 それは必ずしも搭乗時間の長さに左右されるものではないが、リィンと灰の騎神(ヴァリマール)の同調率はお世辞にも高いとは言えない。

 

 つまるところ―――彼が現時点でクロウ・アームブラストに勝つのは不可能だった。

 

 

 

『ぐ…………ぅ』

 

 自分の何もかもを上回っていた。自分の技の何もかもが見切られていた。

 当たり前と言えば当たり前だ。数ヶ月もの間同じ釜の飯を食い、戦い方の手の内を見ていたのだ。

 だというのに、クロウの動きはまるで読めなかった。珍しい武器(ダブルセイバー)を使っているというのもあるが、動きがまるで違う。

 

 得物が違えば動きも違う。その程度は理解していた。だが、今はそれ以前の問題だ。

 動きの機敏さが段違いである。こちらが剣を一閃する間に、蒼の騎神はその攻撃を弾いて数撃叩き込んでくる。

 その度に操縦室を襲う衝撃。直接脳を揺さぶられるようなそれにも慣れていない。衝撃を受ける度に唇を噛んで正気を保ち続けてはいるが、万全の状態で戦っているとはとても言えない。

 

「ちょっと、しっかりしなさい‼」

 

「分かって……いる‼」

 

 起動時に乗り込んできた黒猫(セリーヌ)が言葉を飛ばすも、それに対して優しく返す余裕すらない。

 仲間たちはどうなったのか、レイは無事なのか。そんな大事な事すらも、今のリィンは鑑みれなかった。

 

 今まで自分が磨いてきた《八葉一刀流》の剣術。その悉くが造作もないように見切られて弾かれていく。

 それが焦りに直結してしまうのは仕方のない事だろう。”達人級”同士の領域になれば完全な初見で相手の太刀筋を()()()()()のは珍しくもない事だが、そこに至っていないリィンが焦燥感を内に抱えてしまう事は責められない。

 しかし、いつの時代も心の澱みというのは、いとも簡単に武人を敗北へと誘うものなのだ。

 

 

『終わりだ。リィン』

 

 巻き上げられた土埃の中、膝をついたヴァリマールに、蒼の騎神(オルディーネ)が刃を突きつける。

 彼我の戦力差は歴然だった。だからと言って諦めるという選択肢は許されておらず、リィンは抗えるだけ抗った。

 その継続戦闘能力に、クロウも冷や汗をかいていた。それ程本気を出さずとも勝てるだろうと、何処か高を括っていた事は否めなかったが、その予想以上にリィンは強かった。

 

『……騙していたのか』

 

『…………』

 

『学院に入学したのも、俺達のクラスに編入したのも、あんなに楽しそうに笑っていたのも―――全部嘘だったのか⁉ 答えろ、クロウッ‼』

 

 これまでにない程に声を荒げるリィンに、クロウは内心忸怩たるものを覚えながら、極限まで心を押し殺した状態で応えた。

 

『そうだ』

 

 ギリッ、という歯軋りの音が聞こえる。勿論幻聴なのだが、その感情を向けられる事自体は覚悟していた。

 

『俺にとって学院は踏み台で、隠れ蓑だ。お前らのクラスに潜り込んだのは、それが一番適当だったからだ。……疑っていた奴は疑っていたし、気付いてた奴は気付いていたがな』

 

『最初から、こうするつもりだったんだな?』

 

『当たり前だ。俺は鉄血宰相を討つために今まで生きてきた。その為に利用できるものは何でも利用してきたし、命も奪って来た。とうの昔に、引き返せない道を歩いてんだよ』

 

 オズボーンへの憎悪を燃料に突き進んできた自分たちがそうであるように、自分たちに憎悪を抱いている人間も、それこそ数えられない程いるだろう。

 クロウはそれを否定しないし、当たり前である事も理解している。ただ一つを為す事を正義と定めて、その為に手段を問わなかったとあれば、その過程で必ず犠牲が生まれる。

 

 ただそれでも、クロウは後悔をしていなかった。

 この道を歩むと決めた瞬間から、()()()()()()()()()()()()()。彼らを率いて走り始めた張本人として、その感情だけは抱いてはならなかった。

 

『諦めろ。俺はもうお前たちの仲間じゃない。敵だ。お前たちと一緒に歩む事も、隣に立つ事も出来ない敵だ。その意味は分かるよな? リィン・シュバルツァーよぉ』

 

 説得も、同情ももはや意味を為さない。

 優しいこの青年は、心の何処かではまだ諦めていないのだろう。たとえ大悪に手を染めた者であったとしても、一度(ひとたび)共に在った者ならばきっと言葉を尽くせば此方の世界に戻ってきてくれるだろうと、そう思ってしまうだろう。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

『―――クロウ‼』

 

『お前との戦いは、まぁ、少しは楽しめたぜ』

 

 搭乗したばかりの起動者(ライザー)を相手に勝ち誇る程下衆ではなかったが、それでも騎神同士が相対せば決着を着けるのが道理。

 そう思い、ゼムリアストーン製のダブルセイバーを振り抜こうとした時、それまで会話に口を挟まなかった蒼の騎神(オルディーネ)が言葉を挟んできた。

 

 

『クロウ、此方に迫りくる反応がある』

 

『……速度は?』

 

『異常な速度だ。接敵まで―――』

 

 

 オルディーネがそれを口にするより先に、ボディに極大の衝撃が走った。

 両脚部をしっかりと地につけた総重量7.8トリムに至る青色の巨体が思わず後ずさる。

 

『……オルディーネ、対物理広域結界(アンチマテリアルシールド)は稼働してるか?』

 

『問題なく稼働している。だが、これは……』

 

『いや、構わねぇ。来るだろうとは思ってたさ』

 

 そうしてクロウは、砂煙を裂いて現れた人物に向かって好戦的な笑みを見せる。

 こうなる事は分かっていたと言わんばかりに、その闖入者を歓迎する。

 

 

「チッ、思ってたより硬ぇな。テロリストの分際で良い機体(モン)乗ってんじゃねぇかクソッタレ」

 

『そいつはありがとよ―――レイ』

 

『レイ⁉ 戻って―――』

 

 この場に於いて最も頼りになる友の帰還。リィンにとってそれは福音であり、その姿を視界に収めようと振り返る。

 

 

 そして、絶句した。

 

 

『レ、レイ。その腕……』

 

「おいおい、動揺してんじゃねぇよダチ公。あんなクソみてぇな戦力差で戦って左腕一本で済んだんだ。大金星だぜ」

 

【挿絵表示】

 

 

 何も問題は無いと言わんばかりの口調ではあるが、その顔には幾筋も嫌な汗が滲み出ている。

 全身の至る所から血が噴き出していた。見るからに応急処置の域を出ていないレベルの処置が施されているが、滴り落ちる鮮血の量は、口が裂けても軽傷とは言えまい。

 そして左腕は、肩口の部分から下が消失していた。だというのに、残った右腕で愛刀を構えるその姿に、一切の乱れが見えない。

 

 傍から見ても立っているのがやっとの重傷を負っているであろうに、その闘気は些かも鈍っていない。

 この状態であったとしても、生身で相対せば確実に負けるだろうと、そう確信させるだけの力強さがそこにはあった。

 

『マジかよお前。何でその状態で動けるんだよ。やっぱバケモンじゃねぇか』

 

「だから誉め言葉だっつってんだろうが。ノルドで喰らった毒の方がまだヤバかったぜ」

 

 挑発するように口角を吊り上げ、長刀を構える。

 鞘は紛失し、抜刀術は使えない。とはいえその迅さが失われていない以上、この状態であってもその一撃一撃はいつも通り必殺級である事に違いない。

 

 故に、クロウは先に動いた。ダブルセイバーの刃がその命を刈り取らんと、風を巻き上げながら迫りくる。

 それは、最近になって機甲兵を動かし始めたばかりの兵士のそれとはわけが違う。帝国を舞台にしたこの大一番の為に今まで磨きぬいてきた技。それを惜しげもなく放ちきった閃技。

 

 

「八洲天刃流【剛の型・塞月(とさえづき)/荒咬(あらがらみ)】」

 

 しかし、その技は過つ事無くオルディーネの周囲に張られた物理結界に突き刺さった。

 ()()()()()。通常の【塞月】と比べれば攻撃の速さは劣るが、捩り穿つ事で破壊力を増大させた派生技。

 先程と合わせて、それが二発。それが、()()()()()()()に、クロウよりもオルディーネの方が驚愕していた。

 

『……成程、この時代にもいるのか。ああいう武人が』

 

『あぁ、いるのさ。ああいう規格外が』

 

 騎神クラスの質量の攻撃を、人の身で叩き出すという異常。

 だが、その驚きも一瞬だった。()()()()()()()()()()()()()()()と、半ば諦観の様相すら見せている。

 

 手負いの獣は殊更に危険だとは言うが、それが手負いの達人ともなれば更に危険だ。

 普段は鉄の理性で抑え込んでいる暴力性が、ともすれば噴出する。人間の限界値を超えてしまった者が死をも厭わず暴れ尽くす姿など、想像すらしたくない。

 

 だが、とクロウは脳内でその可能性を否定した。

 レイ・クレイドルの人となりは、全てではないが多少は理解しているつもりだった。

 

 情緒が完全に安定している―――と言えるわけではないが、少なくともこういった場で理性を完全に飛ばす程脆弱ではない。

 その証拠に、今の彼の殺気と闘気は身体の状態と反比例して非常に()()だ。

 存在そのものが一振りの刃。こういった状況に際しても常に腕を鈍らせないようにと師から徹底的に叩き込まれているのだろう。クロスベルから帰ってきた際のあの乱れっぷりは、かなり稀有なものだったと分かる。

 

 そうしてクロウが思考を巡らせていると、倒れ込んでいたヴァリマールが上体を起こした。

 

 

『……レイ、俺もやる。俺も戦う。そんな状態のお前を、一人では戦わせられない‼』

 

 その言葉は、一体どの感情から紡がれたものか。

 友を助けたいという想い。それは確かにその通りだ。その想いに嘘偽りなど無い。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

 リィンのその、自身ですら気付いていない隠された感情を見透かしたかのように、振り向いたレイは一瞬だけ微笑み、しかしすぐに怜悧な表情に移り変わった。

 そして再びオルディーネの方に向き直るまでに数秒もかからなかったが、リィンはその僅かな時間で理解した。―――理解してしまった。

 

 

「退け、リィン。お前は自分が生き残る事だけを考えろ」

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「セリーヌ、そこにいるな? エマがいない以上、お前が起動者(リィン)を導け。どんな手を使ってでも、そいつを見殺しにするな」

 

『……アンタはどうするのよ』

 

「此処で命を投げ出す程馬鹿じゃねぇさ。勝算はある」

 

 今にも死んでしまいそうな傷を負った友を背にして逃げ出す。それがリィンにとってどれ程辛い事かというのも、レイは理解していた。

 だが、今だけはその苦汁を飲んでもらわなければならなかった。その為に彼は、左腕を失っても尚此処に戻ってきたのだから。

 

『俺は、俺はッ‼ ようやくレイ、お前と―――』

 

「リィン、此処はもう戦場だ。夢を抱えて生き残れるほど、今のお前は強くねぇんだよ」

 

 リィン・シュバルツァーという男が、入学当初に比べて格段に強くなっているのは知っている。

 成長度合いとしては目を見張るものだ。あの師の下で修業した自分でも、果たしてここまで急激に強くなっていたのだろうかと思えるほどに。

 

 だが、彼は優しかった。致命的なまでに優しかった。

 戦場という言葉があまりにも似合わない男だった。誰かの善性を心の底から信じて、誰かの命を奪う事を最期の最後まで躊躇ってしまう人間だ。

 無論、それはとても大事な事だ。活人剣を継ぐ者として、無くしてはいけないものだ。彼を八葉の継承者に選んだユン老師の目利きは正しかったと言えるだろう。

 

 しかし、それが戦場に於いても正しいかと言われれば、話は別だ。

 「話せば分かる」という思考をまず真っ先に捨てなければならない。それを考えるのは戦争を動かす者であり、戦争に挑む者ではないのだから。

 

 今のリィン()に、クロウを倒すだけの力は無い。実力的にも―――精神的にも、だ。

 

 

「とっとと行け。流石に今の俺じゃあ、アレ相手にお前を護れるほどの余裕はねぇからな」

 

 だから突き放した。諭すだけの余裕すらなかったというのも事実だが、こればかりは己の目で見、聞き、感じたものを頼るしかないのだ。

 生き残る術は叩き込んだ。戦場に飛び込める程度の”実力”は身に着けた。ならば後は、自分で答えを見つけ出すしかない。

 

『……レイ』

 

「おう」

 

『死ぬなよ。絶対に、絶対に生きてまた会うぞ‼』

 

 その声色に、怒気は無かった。

 ただ、隠しきれない悔恨とやるせなさが滲み出ている。己の弱さを改めて突き付けられて、情けなさを噛みしめているのだろう。

 

 理解できる。レイ自身もそういう時があった。そうして彼は義姉を失い、より深く強さに傾倒していくようになった。

 さて、リィン()の場合はどうなるか。より鋭く己の強さを研ぎ澄ませていくことになるか、それとも―――等と考えを巡らせる内に、視界が白んできたのをレイは感じた。

 

 出血自体はなるべく止めたが、それでも流れ落ち過ぎた。外気温以上の寒気が絶え間なく全身を駆け巡り、視界も思考も呆として定まらない。

 それでも、この友の前では毅然としていたかった。一度は情けない姿を見せたが、だからこそ強く佇んでいたかった。

 

『ヴァリマール‼ どこか遠くに飛んで頂戴‼ 帝国国内の、人目につかない所に‼』

 

『了解シタ』

 

 応答の返事を短く返すと、ヴァリマールはブースターを起動させて離陸する。

 その様子を、レイは見送らなかった。不敵な笑みを浮かべたまま、オルディーネから視線を外さなかった。

 

 

 

「お望み通り、リィンを見逃す口実を作ってやったぞ」

 

 飛行音が完全に聞こえなくなった頃、口内に僅かに血が溜まった状態でレイがそう言った。

 その時までオルディーネを動かさずに静観していたクロウは、その言葉に自虐交じりの声色で応える。

 

『気付いてたのかよ。やっぱ食えねぇ奴だぜお前』

 

「気付いてないわけねぇだろ。手間をかけさせやがって。こっちだってできれば早めに本格的な治療を受けたいんだぞ」

 

 だが、そう言っている相手にクロウは踏み込めない。

 先程もそうだったが、その回避能力がオルディーネの攻撃速度を上回っている。今のままではいくら攻撃したところで躱され続けるだろう。

 どうしたものかと攻めあぐねていると、彼方から一つの光がやってきた。

 

「主、御無事でしたか」

 

「無事では……ねぇよなぁ。お前の方もその状態になるの久し振りじゃねぇかシオン」

 

 宙に浮かぶ、手のひらに収まる程度の大きさの焔。自分の傍らに寄り添うように近づいてきたそれに、レイは言葉を投げる。

 

「そこまで消耗したって事は、やったのか?」

 

「えぇ、申し訳ございません。主の御命令も待たずに、勝手を致しました」

 

「構わねぇよ。余力があったらそうしろと言ったのは俺だ」

 

 その会話の内容を、クロウはある程度理解していた。そして、眉を顰めながら奥歯を噛みしめる。

 

『スカーレットを、殺ったのか』

 

「そうだ、俺の指示だ。ギデオンを殺った時から、()()()()は俺の領分さ」

 

 スゥ、とその左目が細くなる。右目から滴る紅とは対照的に、その瞳は冷え切っていた。

 

「ヴァルカンは一度助けてやったが、次に会った時は殺す。そこら辺は留意しておけ」

 

『……元遊撃士の言葉とは思えねぇな』

 

「前にも言っただろう? 俺達は、どうせ最後は煉獄行きのクソ野郎共だってな」

 

 RFビルの屋上で言葉を交わしたあの時とは、雰囲気から何まで全てが異なる。

 あの時は軽口を叩きながら互いの戦意を確認し合う程度の余裕はあったが、今は違う。もはや戦端は開かれ、此処は戦場だ。であれば、純粋な殺意をぶつけ合うのに何の違和感もない。

 

「困ってる人間を助ける正義の味方の真似事をしたところで、結局のところ人殺しの域からは出られねぇのさ。俺もお前もな」

 

『…………』

 

「悩んでんじゃねぇよクロウ・アームブラスト。リィンに説教くれてやってたみたいだが、そういうテメェも随分と()()()()じゃねぇか」

 

 やはり、この男は誤魔化せない。分かり切っていた事だが、武器を持った人間の精神の揺らぎを察する技量にかけては、この男に勝てる見込みが一切浮かばない。

 例え直接目を合わせていなくても、拡声器を通した声であったのだとしても、そこから滲み出る違和感の全てを一つ残らず攫って行く。

 

『だとしても、だ』

 

 だから、クロウはそこを否定しなかった。

 

『俺はもうお前たちの敵で、お前は俺達に容赦するつもりは毛頭ない。そこは俺だって弁えてるさ。―――それ以外に何か交わす言葉があるのか?』

 

「ねぇな。戦場で言葉の問答なんざ意味がねぇ。そういうのは相手をぶっ倒してから押し付けるようにやるモンだぜ」

 

 それは、師からの教えの一つだ。

 戦が始まる前に互いに言葉と思いを交わすのは悪い事ではない。だが、一度火蓋が切られたからには、そこに残るのは己の正義の押し付け合いだ。

 力が無ければ、相手に己の正義を叩きつけられない。一度構えた矛を引っ込めるのは、無条件の降伏と同義だ。

 

 そんな生き方を、レイ・クレイドルは出来ない。それが出来る程器用な生き方をしていない。

 戦って、戦って、勝って、勝って、そうして自分の生き方(エゴ)を押し付ける。それが自分の意義であるのだから、例えどんな代償を支払おうとも、その考えは変わらない。

 

 

『俺からしてみれば、そんなズタボロな状態で勝とうって思えるのがそもそも異常なんだがな』

 

「そりゃどうも。―――まぁ、今此処でお前に勝とうなんざ最初(ハナ)っから思ってねぇんだがな」

 

『……何?』

 

「万全の状態ならまだしも、こんな死にかけの状態で騎神に勝てるわけねぇわな」

 

 

 

『―――クロウ、中型の強襲艇が迫ってきている。脅威度は、大だ』

 

 

 オルディーネの索敵センサーに入るや否や、その機体の背中に数発の機関砲が叩き込まれる。

 反応する前に不意打ちされたことで機体が僅かに前のめり、しかしその隙に足元に大型魔獣用の電磁ネットが撃ちこまれた。

 

 

「《三番隊(ドリッド)Δ(デルタ)特戦隊より《一番隊(エーアスト)》へ‼ 対象の行動を封じた‼ 拘束時間は概算10秒‼」

 

『《一番隊(エーアスト)》より《三番隊(ドリッド)Δ(デルタ)特戦隊へ。降下開始‼ お客様(ゲスト)を無事にお迎えしろ』

 

Δ(デルタ)了解。グライト、アリスは待機。私が行きます」

 

「了解。うっわ、思った以上にデカブツだなありゃ」

 

「お気をつけて、ゲルヒルデ副隊長」

 

 レイの背後の地面にロープが垂らされ、黒と赤を基調とした隊服を纏った長身の美女が降下してくる。

 そうして降り立つまでにかかった時間は僅か4秒。左手にガントンファーを構えた《赫の猟犬》が、レイの身体を抱え上げた。

 

「失礼します、特別顧問」

 

「流石特戦隊、練度が高いな」

 

「恐縮です」

 

 軽く一礼をするゲルヒルデを横目で見てから、再び視線をオルディーネの方へと向ける。

 機関砲によるダメージは元よりゼロに等しく、電磁ネットも容易く踏みつぶす。だが、それより先には相変わらず踏み込んでこなかった。

 

『成程、俺はまんまと時間稼ぎをされたってわけか』

 

「まぁ、リィンの方まで面倒を見切れないってのはマジだったけどな。俺の方は初めから、Ⅶ組の奴らを逃がす事が出来れば勝ちだった」

 

『……ンだよ、結局お前、何も変わってねぇじゃねぇか』

 

 そういう意味では、この場の勝敗はクロウの敗北だ。Ⅶ組の面々は誰も彼もが必死に足掻いて藻掻いて、その抗いの結果、彼らの救援が間に合った。

 貴族連合の上の方、特にアルバレア公にはこの失態について色々と言われるだろうが、一応トールズ士官学院を抑える事には成功している。その点を鑑みて、ルーファス総参謀がひとまずはとりなしてくれるだろう。

 尤も、この期に及んで殊更に助命を乞うつもりなどないのだが。

 

「じゃあな、クロウ。Ⅶ組(俺達)の諦めの悪さと生き汚さ、その操縦席からようく眺めておきな」

 

 まるで捨て台詞だ、という自覚はあったが、それを最後にして小型強襲艇が更に上空へと舞い上がる。

 ゲルヒルデ配下の特戦隊の隊員たちによって引き上げられたレイは、揺れる艇内の中ですぐさま追加の止血処置が施され、体温のこれ以上の低下を防ぐためにありったけの毛布を被せられた。

 

 カラン、という音を立てて、今まで必死に握りしめていた長刀が離れる。張り詰めていた気力が緩んだことで急に重くなりだした瞼を根性で押し上げながら、その名を呼ぶ。

 

「シオン」

 

「はい、主」

 

 唇も上手く動かなくなってくる。言葉を紡ぐという基礎的な事ですら困難になっている中、それでもこれだけは伝えねばとレイは最後の力を振り絞った。

 

「リィンを、頼む。お前の力が戻るまでには、少し時間がかかるだろうが……陛下の、我儘が行き過ぎないよう、に、見守ってて……やってくれ」

 

「……御意。必ずや」

 

 シオンの言葉は少なかったが、それも主を慮っての事。まるで蠟燭の火が消えるかのように、従順な式神はその場から去った。

 

「特別顧問、まもなく《フェンリスヴォルフ》本艦に到着いたします。《医療班》の方には話を付けてありますので、どうぞ気兼ねなくお休みください」

 

 そう言って、ゲルヒルデが撫でるようにしてレイの左目を閉じる。

 そこから意識が深奥に放り込まれる数秒間の間に、心の中に己の誓いを深く、深く刻み付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――ここから先が、俺の本当の戦場だ。

 

 

 

 ―――自分を繋ぎ止めるために。

 

 

 

 ―――守るべき存在を守るために。

 

 

 

 ―――心地良くなってしまった場所を奪い返すために。

 

 

 

 

 ――――次こそは、絶対に。

 

 

 

 

 

 

 

 ―――絶対に、俺が勝つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 まずは、10ヶ月にも及ぶ投稿の停滞を平にお詫び申し上げます。
 PCを買い替えた事とか、軌跡最新作に合わせたプロットの大幅な書き換えなど、色々と御座いましたが、まぁ何と言いますか、普通にゲームとかばっかやってました。誠に申し訳ございません。

 前回のお話など既にお忘れになってしまった方が大半かと思いますが、兎にも角にも、これにて『英雄伝説 天の軌跡』は最終回と相成りました。
 
 番外編4話等も含めて、計162話。6年と少しにも及ぶ期間の中、お付き合いくださいました事に関して、これ以上ない感謝を申し上げさせていただきます。

 とは言いましても、此方のお話しは原作『英雄伝説 閃の軌跡』のナンバリングゲームの内、Ⅰの内容を終わらせたにすぎません。
 此方の作品では可能な限り本編の内容に沿った話を展開させていただきました(当社比)が、此処から先は少しばかり独自の話を、主に主人公レイ・クレイドル視点で描いていこうと思っております。

 来年も新型コロナの影響がまだまだ残る年となりそうです。私の勤め先でも、一月から大きな人事異動があり、新年早々わちゃわちゃしそうでございます。
 ですが、この作品だけは何とか続けていこうと思っている次第です。もしこのようなエゴ丸出しの二次創作にお付き合いくださる方がいらっしゃいましたら、どうぞご覧くださいませ。


 それでは皆様、良いお年をお迎えください。ありがとうございました‼

 

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