英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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※この話には以下の要素が含まれています。

■本編とは僅かに異なるifの世界軸
■《影の国》に於ける独自設定
■というかぶっちゃけ筆者の悪ノリ
■思ったよりも長引いて前後編


※推奨BGM『唯我変生魔羅之理』(『神咒神威神楽』)





if番外編 NIGHTMARE of Phantasma 後篇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼は、優しかった。そして、強かった。

 

 

 どれほど世の理不尽さを見てきても、どれほど運命の悪辣さをその身で知る事になったのだとしても。

 彼は最後には、前を向いた。その身は茨で締め付けられ続けても、一人で背負うには重すぎる責を引きずる事になったとしても。

 

 彼は、歩いた。振り向く事はあっても、戻ろうとはしなかった。

 自ら退路を断ち続けながら、不相応なまでに凄絶な過去から目を背ける事もなく―――救えるはずのモノを、救おうとしてきた。

 

 

 彼が居なかったらどうなっていただろう、と考える事はあった。

 

 己の心は自閉したまま、自分を庇って死んだ姉の姿を瞼の裏に焼き付けたままに壊れた心を持った人形は、きっと目も当てられない程に瓦解していったのだろう。

 人工的に超人を作る、などといった馬鹿げた実験の被検体として酷使され続け、いずれは存在意義も失って、何もかも、失ったに違いない。

 

 

 彼は掛け替えのない恩人だ。ヒトとして大切な何かを失いかけていたこんな自分でも、親友(とも)と呼んでくれた。人らしさを、取り戻させてくれた。

 

 

 だから、だろうか。

 

 自分が、あまりにも恩知らずだと分かってしまっているから。

 

 

 だから、弱いのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 初手でどのようにして先手を取るのか。格上との戦いに於いて、それは真っ先に優先すべき事柄だという事を、5人全員が理解している。

 

 レイが名乗った瞬間、それが戦いの口火が切られた瞬間でもあり、動いたのはエステルとヨシュア。前衛としての役目を果たすべく、地を蹴り駆ける。

 特にヨシュアは、彼の強さを知っているからこそ最速で動いた。可能であれば一撃で終わらせる―――それが最も最善手だと理解していたからであった。

 

 もしこの時、カシウスやレーヴェが相手であれば、もしくは先手を敢えて譲ったかもしれない。後進にあたる彼らの本気を見極めるために、先達としての義務を果たしたかもしれない。

 

 だが彼は―――レイ・クレイドルは違う。

 正しい意味での戦闘者。一度覚悟を持って戦場に立ったのならば、老若男女の別はなく、先達後進の別もない。

 ”らしく”戦う。それだけである。

 

 

「―――呵阿(カア)ッッッ‼」

 

 響き渡ったのは闘気の籠った発破の一声。

 ただの声ではない。耳朶より入り、脳は元より体の細胞一つ一つにまで響き渡るようなそれは、原初の時代、ヒトがまだ原子動物であった頃からの動物的本能を刺激する。

 自然の世界では、強者の一喝が並み居る弱者を怯ませる。レイが発した技は、まさしくそういったモノだった。

 

 ―――八洲天刃流【静の型・死叫哭(しきょうこく)】。

 

 その技で、エステルの足が止まった。常に前を向き、歩むことを止めない彼女であっても、生物の本能に畳みかける攻撃には流石に慣れておらず、反射的に動きを止めてしまう。

 だが、それだけでも既に悪手だ。たとえ一秒、たとえ一瞬であっても、彼を前にして止まってはならない。

 

 

「足を止めるな―――死ぬぞ」

 

 声はすぐ背後から聞こえた。

 旋風(せんぷう)を伴って目にも映らぬ速さでエステルの背後に回り込んだレイは、背中合わせの状態のままエステルの首筋に刀身を突き付ける。

 陽光などないこの世界でも、その白刃の煌きは鬱屈なほどに良く映える。だがそれに見惚れている暇もなく、刃は首を掻き斬る兇刃へと変貌しようとして―――。

 

「っ―――ぁあッ‼」

 

 寸でのところで、ヨシュアの双剣の刃がそれを阻む。刃と刃が軋み合う音で正気に戻ったエステルはすぐさま離脱しようと試みたが、その横腹をレイの蹴撃が襲う。

 瞬間的に走った激痛に顔を歪め、吹き飛ばされたエステルだったが、滞空中に体勢を立て直して再度棒を構えなおす。

 

「はぁッ‼」

 

 裂帛の気合と共にヨシュアの攻撃に合わせて棒術を繰り出していく。ヨシュアの攻撃も一切の様子見すらない苛烈なものであり、手数の多さと一撃の重さが組み合わさったこの二人の比翼連理の如き攻撃であればと、レイの実際の強さを知らないリースは思ってしまった。

 

「ボサッとすんな、リース‼ あの二人だけじゃ抑えきれへん‼」

 

 だが、ケビンの叱責が飛んで来た時には既に遅かった。

 棒の機動性を足で押さえつけられることで封じられたエステルは長刀の鞘から繰り出された重い打撃に沈みかけ、双剣の攻撃を刃と柄で止められたヨシュアは腹部に蹴撃を受けて吹き飛ぶ。

 カシウスやレーヴェとはまた違う、まさしく全身が凶器であるかのような隙のない戦い方であった。剣士でありながら、攻撃方法は剣に限定されない。そのトリッキーさに加えてあの尋常ならざる速さである。

 

 優秀な前衛二人が為す術もなくあしらわれたその光景を目の当たりにして、リースは動く。

 携えた法剣の連結部が外れ、予測が困難な軌道を描きながらレイに迫る。真正面から貫くように見せかけて、手首を動かす事で軌道修正。刃は(しな)り、死角から奇襲が成功する―――筈だった。

 

「なっ……⁉」

 

「法剣使いか。生憎だが、従騎士程度の奇襲を読めない程弱くねぇぞ」

 

 連結部分のワイヤーを素手で捕まれ、そのまま小柄な体躯からは想像もできないほどの膂力で引っ張られ、そのまま地面に叩きつけられた。

 

「『クロスギアレイジ』‼」

 

 すると、それ以上の追撃は許さないと言わんばかりに放たれた矢が一直線にレイの蟀谷(こめかみ)を襲いにかかる。

 無論の事技は神速で振るわれた長刀の一閃で真っ二つに斬り裂かれたが、それでもリースが間合いから離脱できるだけの時間は稼いだ。

 

 だが、レイにとっては中途半端な間合いなど意味を為さない。

 八洲天刃流の基礎歩法である【瞬刻】は、開いた間合いを瞬時に詰めて斬り捨てる為のモノ。他の型を使うまでもなく、連携もなく動く従騎士を戦闘不能にするのは彼にとって赤子の手を捻るよりも簡単な事であった。

 

 しかしそんな状況で追撃をしなかったのは、手心を加えたからではない。

 直後、レイとリースの空間を分断するように、地属性アーツ『ジアータイタニス』が走る。地属性中位アーツに分類されるこの技であれば、本来レイならば強引に突破する事も可能ではある。

 だが、今回放たれたこのアーツの力は上位アーツと較べてみても遜色ない威力であり、それは術者の能力の高さを物語っていた。

 

 誰が術者なのか。そんな事はわざわざ確認しなくとも分かる。そしてレイが地面に足を付けた瞬間、広範囲に渡って禍々しい時計の紋様が現出し、レイの身体の自由を縛り付ける。

 

「っ―――流石だな、レン。これはちっとキツいわ」

 

 時属性最上位アーツ『カラミティクロウ』。相手の行動を阻害し、妨害するアーツとしてはその名の通り最上位に位置し、それをレンという優秀な術者が発動させることで、弱体化に高い耐性を持つレイですら一瞬行動を阻害された。

 絡みつく時の鎖は、たとえ”準達人級”の武人であろうとも長時間拘束が可能だろうとレイは推測した。流石に《蒼の深淵》程の常識を度外視した威力ではない、あくまでも予測ができる範囲内の威力ではあったが―――それでも自分がこの拘束を破るまでに”一瞬”を有したという事について、レイは妹分の成長を肌で感じずにはいられなかった。

 

「だが―――」

 

 体内から放出した膨大な呪力で以て術の効果を破壊し、右手に握った長刀を逆手に構えて背後に振りぬく。そこには、自分よりも尚小さい体躯でありながら身の丈以上の鎌を軽々と振り回す妹分が居た。

 

「自分から前に出るのは感心しねぇな」

 

「うふふ♪ だってお兄様と戦える機会なんだもの。私だって楽しみたいわ」

 

「自由気ままな仔猫(キティ)なのは相変わらずか」

 

 交叉する白刃と黄金の鎌。高らかに戦場を鼓舞する喇叭(ラッパ)の音の如く、甲高い金属音が連続して響き渡る。

 互いに矮躯で長物を振り回しているとは思えない高速剣戟の応酬。レイは決して手を抜いて攻撃をしているわけではなかったが、そのレイの神速の剣術に、レンは巧みに”適応”して応えている。

 荒廃した空気を裂き、雨粒を圧し潰し、久方ぶりに思わぬ形で再開した兄妹とも言える二人は互いに口角を吊り上げていた。

 

 本来戦闘の場では笑わないレイであったが、この時ばかりは喜色の表情を漏らさずにはいられなかった。

 ”体捌き”と”攻撃の去なし方”。《結社》に在籍していた頃にレンに教えたのは武術の基礎の基礎とも言えるこの二点だけのはずだった。

 だが、基礎と言えどもそれは得物を振るって戦闘を行う場合にはそれが生死を分ける事も多分にある要素。当初こそレンは「それしか」教えてくれない事に渋ってはいたが、彼女は僅かな期間でそれをものにしてみせたのだ。

 

 それだけでも目を見張る事だったというのに、自分がいなくなった数年の間に更に磨きがかかっていた。

 前述の通り、レイは決して手加減をしているわけではない。師より叩き込まれた()()()()()()()()()、遊撃士となってからは不殺を掲げてきたものの、その在り方は変わらず、剣技も剣速も衰えてはいない。

 その剣速は凡そ常人に見切れるものではなく、更に戦乱の中で興った剣術を修めているため、千変する剣技を完全に見切れる者はそれこそ限られる。

 実際、レンも彼の剣を完全に見切れているわけではない。拮抗しているように見えるのは上辺だけで、凌ぐだけで手一杯という状況ではあるが、それでも”達人級”の剣を凌いではいるのだ。それだけでも、彼女の潜在能力と適応力の高さは見て取れる。

 

 ならば、と。レイは多少間合いを詰めた状態での一閃でレンに距離を取らせ、白刃を納刀する。

 再び左の親指で鯉口を斬るまでにかかった時間は刹那。踏み込んだ右足は上体を安定させ、脱力させた右腕に瞬発的に力を込めて―――抜刀。

 

「っ―――‼」

 

 直後にレンを襲ったのは幾多の剣閃と共に襲来した衝撃。鎌を盾に可能な限りの剣閃を凌いでは見せたが、衝撃までは抑え込めず、飛び退いて後退る事を余儀なくされた。

 

 ―――八洲天刃流【剛の型・散華(さんげ)】。

 

 長刀を扱った神速の抜刀術。八洲天刃流の主たるその剣技は刹那の間に優に50を超える斬撃を生み出す。

 再び鯉口と鍔が触れ合う音が聞こえた時には、周囲の地面には無数の斬痕が刻まれていた。その光景が速さと威力を物語り―――だが納刀から抜刀に至るまでに生じる一瞬のタイムラグを狙った。

 

 右方からエステル、左方からヨシュア、そして後方からリース。その隙間を縫うようにして飛来する(やじり)

 視線を左右に。状況分析はそれだけで充分。まず最初に、高速で飛来してきたボウガンの矢を、レイは難なく()()()()、へし折る。

 

「‼ ……いや、やっぱこの程度じゃ牽制にもならんか‼」

 

 そう。()()()()では余りにも生温い。射出速度は亜音速にも達する銃弾ですらも、”達人級”の武人にとっては十二分に対処しきれる程度でしかないのだ。

 ましてやボウガンという武器はその性質上、通常の弓とは異なり弦を引き絞る事での威力の増減が叶わず、また速射性に於いてどうしても劣らざるを得ない。

 

 「緩急のない一定した速さの攻撃」程、読みやすいものはない。だが、仮にも《守護騎士(ドミニオン)》の地位に在る者が己の武器の欠点と優位性を鑑みていないはずがない。

 ならば―――と考えながら、レイは後方の上段からの法剣の攻撃を体の軸をずらす事で避け、横薙ぎに振るわれた棒を掴み、双剣の攻撃を長刀で受け止める。

 まるで予め攻撃を周知していたかのように、流れるような動きで全ての攻撃を防いだ行為は、多対一の戦闘、そして「殺さない戦い方」が習慣付いてしまったレイにとって特別なものではなかった。

 

 個々の実力は決して低くはない。それはレイも理解していた。

 それに加えてコンビネーションも悪くない。あのレンが他者と協力して戦術を組み立てているという点からも、彼らは出自も経歴も超えて一致団結している事が分かる。だが―――。

 

 

「……遅い。軽い。この程度か、こんなものかお前らはッ‼」

 

 憤怒の感情が籠った声と共に、近接攻撃で抑え込まれた全員が吹き飛ばされた。

 

 ―――八洲天刃流【剛の型・薙円(なぎまどか)】。

 

 高速回転する独楽のように長刀を携えたレイが足を軸に回転し、白閃が全てを外へと弾き飛ばす。

 巻き起こった風圧は、まるで彼の心情を表すかのように荒々しく吹き荒れ、漸く目を開けられるまでに落ち着いた頃、レイはただ長刀を地面に突き立てて戦闘前と同じように佇んでいた。

 追撃をしなかった、のではない。()()()()()()()()()()()というのが本音だ。ギリッと歯軋りをし、その右眼に鋭い光を宿す。

 

 

「生温い戦いしてるんじゃねぇ。覚悟決めたみたいな事口走っておいて、剣に迷いがありすぎる。一体全体どういうつもりだ? ヨシュア」

 

「…………」

 

「ここまで来たからには当事者じゃねぇお前でも理解してるだろうが。たとえ此処がお前の後悔の具現化で、その相手が俺であったのだとしても、やる事は変わらねぇ。その大原則を分かった上で、何を躊躇ってやがる」

 

 その言葉に、ヨシュアは思わず眉を顰めた。

 そうだ。理解している。……()()()()()()()()()()()()。レーヴェを下して、本当の別れを乗り越えて、そうして此処に立っている以上、もはや親友との戦いであっても自分は躊躇わないだろうと、そう思っていた。だが―――。

 

「僕はあの時、君を見捨てた。心を失ってただの絡繰人形(からくりにんぎょう)に成り果てそうだった僕を友と言ってくれた君を、どんな時でも味方でいてくれた君を。そんな君を見捨てて、僕は一人だけ幸せになった。なってしまった」

 

「…………」

 

「そして何よりも僕が後悔していたのは、()()()()()()()()()()()だ。ワイスマンに仕組まれた事とは言え、僕は―――親友の事を、命を救ってくれた恩人の事を、忘れてしまっていた」

 

 

 

 

 薄れゆく記憶の中ではあったが、今でも鮮明に覚えている。

 嘗てこの場所で死力を尽くした喧嘩を行い、先に倒れたのはヨシュアだった。暗殺者の彼にとっては絶好の場所と時間であったというのに、それでも彼は叶わなかった。

 

 だが、こうも思っていた。ここでレイ(親友)に殺されるのなら別に良い。と。絶望の淵に落とされても、それでもなお友と呼んでくれた彼に殺されて終わるのならば、自分の禄でもなかったこの数年間も、決して無駄ではなかったのだと。

 

 しかしレイは、とどめを刺そうとはしなかった。流れ出てしまった血のせいで朦朧とした意識の中で、ヨシュアが最後に見たのは、あろうことか親友が新たに現れた”誰か”に向かって膝をつき、頭を地面につけて土下座をしている姿だった。

 

『お願い、します』

 

 屈辱に耐えているような言葉ではなかった。まるで心の底から懇願しているような、自分では叶えられない願いを、他の誰かに託そうとしているような、そんな声だった。

 

『こいつに、もう一度幸せな夢を見せてやってください。こいつはまだ戻れる、まだ帰れる。まだ―――幸せになれる権利がある』

 

 何を言っているのか、良く分からなかった。彼は一体、何を追い縋って求めているのか。

 

『俺には、それができなかった。同じ穴の狢の俺じゃあ、どうあってもコイツを本当の意味で陽の光の下には戻せないんです。だからどうか、お願いします。貴方になら、任せられるから……』

 

 悔しさが滲み出ているのが理解できた。涙声になって、実際に涙を流しているであろうことも分かった。

 いつも泰然自若としていて、不敵に笑っている彼が、泣いていた。その原因となっていたのが自分だと分かった時、どうしようもない罪悪感が胸の内に湧き上がってきた。

 何故彼ではなく自分なのか。彼だって充分、地獄を覗いてきただろうに―――。

 

『……分かった。君の願いは、確かに俺が果たそう。だが君は―――』

 

『……俺は、まだ()()()には行けません。成り行きではありましたけど……あそこには残してきたモノが多すぎる』

 

『そう、か』

 

『近い内に、コイツは”俺”の事を忘れるでしょう。そういう風に”仕組まれ”ましたからね。……でも、それで―――』

 

 やめてくれ、と口を動かすも声が出ない。

 すると、彼は一瞬だけこちらを向いた。その表情は、初めて会った時にのように穏やかで、しかしどこか哀しさを孕んだソレだった。

 

『それで―――”俺”を忘れる事でコイツが一つの呪縛から解かれるのなら、それで良いんです』

 

 

 

 

 

「君は、いつだってそうだった。どれだけ傲慢らしく振舞おうとも、どれだけ無慈悲に振る舞おうとも、結局は他人の幸せを優先してしまう。そんな君の優しさに甘えて僕は、他ならぬ君の事を忘れて日常を過ごしていた。―――それが、どうしても我慢ならなかった」

 

 それはある意味、八つ当たりのようなものであった。

 だが、こと此処に至ってその心情を思い留めておく必要もない。未だ鋭い眼光を向ける親友に向かって、ヨシュアは自身の言葉を放ち続ける。

 

「この世界はそんな僕の後悔が原点となって、それをレーヴェが拾い上げてくれて生まれた世界。―――なら此処で、僕は君に言わなければいけない事がある」

 

「それは―――ハッ、それはお前にとっては”言わなければいけない事”でも、俺にとっては”聞かなければいけない事”じゃあないだろうが。

 俺はあの時、俺が後悔しない選択をした。勿論、今でも後悔はしていない。なら、俺に”それ”を聞く義務はないんだぜ、親友」

 

 だから、と。レイは再び、いつもの通りの、見慣れた不敵な表情に戻る。

 

「お前が自分の後悔を振り払いたいのなら、俺を倒してケリをつけろ。お前一人でなく、お前たち全員で。……もうお前には、大切に想う奴がいるんだろうが」

 

 その言葉にハッとなったヨシュアが振り向くと、そこではエステルがいつもの活発的な笑みを浮かべて親指を突き立てていた。

 ふと、降り続いていた雨がいつの間にか止んでいたのを知る。レイは一瞬空を見上げると、再び長刀を地面から引き抜いた。

 

「迷いは晴れたか? 死闘に挑む準備はできたか? ただの一瞬、ただの一片も躊躇うな。過去の俺という(しがらみ)を振り払って漸く―――お前のドス黒い牙は消えて無くなる」

 

 だから、と。向けられた白刃の切先は持ち主の覚悟を、或いは持ち主よりも雄弁に語っていた。

 その為に、俺は”此処”に来たのだと。

 

 

 あぁそうか、と。ヨシュアはそこで漸く理解できた。

 やはり彼は、何も変わってはいなかった。巻き込まれたから仕方なくこの世界に居座っていたのではない。恐らく彼はレーヴェによって招聘され、この《影の国》で戦い続ける自分たちを見届けながら、ずっとずっと待ち続けていたのだろう。

 

 彼は、”らしく”立ち塞がっているだけだ。ヨシュア・ブライトが最後に抱いた(しがらみ)を振り払うための存在として。そして、自分たちを阻むためではなく、自身を関門として次の星層を突破し、そしてこの《影の国》より脱出できるだけの土壇場での強さを研ぎ澄ませるため。

 ”乗り越えるべき壁”ではなく”倒すべき敵”とこちらに定義付けさせようとしているのは、自分をよく知らない面々に対しての配慮だろう。”敵”として立ちはだかれば、少なくとも自分を倒す事に罪悪感を抱かないだろうと、そう思っての言動に違いない。

 

 ―――やっぱり彼は、どこまでいっても善人だと内心苦笑せざるを得なかった。

 どれだけ敵側としての言動に気を配っているようでも、その実面倒見の良さを捨てきれていない。自分と同じような後悔ばかりの道を歩ませたくないと、そんな心の声がヨシュアには分かってしまった。

 

 そんな彼だからこそ、《結社》時代ですら多くの人が彼を慕っていた。

 カリスマ、と呼ぶに相応しいのかもしれない。もし彼が過去を捨てて未来に生きる事だけを選んだのであれば、きっと自分などよりもよっぽど真っ当な生き方ができただろう。陽の光の下で、ずっと多くの人に認められ、慕われていただろう。

 

 それを、その人生を選択しなかったのは、彼が何処までも真っ直ぐで、一生懸命で、善人で、不器用だったからだ。

 過去の一切の後悔から目を背けられず、自分が救えなかった命の責務を背負い、その為に生きる事を選んだ。だからこそ―――今此処に、(レイ)は立っている。

 

 

 であれば―――あぁ、そうだ。告げられなかった言葉だけでは到底足りない。

 この不器用で、意地っ張りで、自分の事を棚上げにしてしまう少年に、親友として言わなければならない事が他にあった。

 

 

 

「僕はもう、迷わない」

 

 たとえ、単純であると馬鹿にされようと、関係ない。

 

 

「レイ、君を倒す。倒して、勝者の特権を手に入れる‼ そうでもしなければ、僕の言葉は君には届かない‼」

 

 

 高らかに吼えた時、ヨシュア達5人を淡い光が包み込んだ。すると、先程までダメージを負っていた面々が、軽々と体を起こしていく。

 

「な、何や? 急に体が軽くなったで⁉」

 

「いける……これならまだ、戦える」

 

「元気、出てきたわ‼ リベンジ行くわよッ‼」

 

「うふふ、そういう事ね。これはヨシュアのお陰かしら」

 

 その誰もが、先程までの無力感を薙ぎ払うかのように、生気に満ちた表情を浮かべていた。

 突然力が漲ってきた不思議な感覚に戸惑っていると、レイは全員を一瞥してから口を開く。

 

「なに鳩が豆鉄砲食らったような顔してやがる。そもそも此処は《影の王》とやらじゃなく、レーヴェがお前の記憶を媒介にして作り上げた、お前の心象風景みたいな世界(モノ)だろうが。

 なら、お前の戦闘意欲が低ければ、必然的にそれはお前ら全員に伝播する。腑抜けたままじゃあ永遠に俺には勝てなかったが……ま、それも杞憂になったか」

 

「レイ……」

 

「これで漸く舞台は整った。―――さぁ、死にたくなけりゃ、今度こそ本気でかかってこい‼」

 

 直後、レイは長刀を真横一文字に振りぬく。すると、その剣圧が闘気と混ざり合い、紫色の斬閃と化してヨシュア達を薙ぎ払いにかかった。

 

 ―――八洲天刃流【剛の型・常夜祓(とこよばらい)】。

 

 空間を軋ませながら迫る極大の斬光を、しかし今度は受け止めて見せる。

 

「っ……こ、こりゃあキッツイわぁ……ッ‼」

 

「あらお兄さん、ちゃんと踏ん張らないと突破されちゃうわよ?」

 

「レンちゃんにそう言われちゃあ、年上として踏ん張るしかないわなぁ‼」

 

 ケビンとレンによる、『短縮詠唱(クイックスペル)』による地属性アーツ『アースウォール』二重掛け。

 本来物理攻撃を無効化するに足りる出力を持つはずのこのアーツでさえ、気を抜けば一瞬で突破されてしまいそうになるほどの圧力。戦闘が始まる前にレイは自身に中途半端に神性が乗ってしまっていると言っていたのを漸く思い出したケビンだったが―――。

 

「あぁそうだな。不本意だが確かに神性が働いてる。―――だが此処は想念が具現化する”箱庭”の中。可能な限り抑え込んではあるし、そもそも俺が契約してる式神は()()()()()()()()()()()()()()以上、こんなものは誤差の範囲内だ。……それとも何だ? 異端狩り、聖遺物集めのエキスパートが、まさか卑怯だと罵る訳じゃあねぇだろう?」

 

「言って、くれるやんけ‼」

 

 そうだ。そんなものは言い訳に過ぎない。仮にも《守護騎士(ドミニオン)》の一角を担う以上、この程度はどうにかできなければならないと奮起する。

 結果は、相殺。『アースウォール』が破壊される直前に、紫色の斬閃は霧散した。

 

 その余波を潜り抜けて、肉薄したのはリース。先程は軽くあしらわれた結果を受け入れ、焦燥感に駆られない事を第一に剣を振るった。

 幾条も走る銀閃。血反吐を吐くような鍛錬の末に身に着けた法剣術を、僅かの狂いもなく振るっていく。連結部を解放しては再連結を繰り返し、通常の剣では再現できない攻め手の可能性を次々と再現していく。

 

 だがその全てを、レイは紙一重で避けて行った。まるで次に振るわれる剣の軌跡が見えているかのような不自然さなど皆無の動きで、造作もなく躱し続ける。

 

「どうしたリース・アルジェント。《紅耀石(カーネリア)》に仕込まれた剣はこんなものか?」

 

「ッ‼」

 

「法剣使いは俺にとって忌々しい思い出しかないんでな。生憎、届かねぇよ」

 

 白刃が伸び、法剣の剣身を絡め取るように勢いを無力化する。しかしリースは、その結果に一抹の悔しさを宿らせても、決して理不尽には思わなかった。

 ”達人級”の剣士が相手では、未だ未熟者の自分では足止めが精々。それは分かっていて―――だからこそ、それに徹する事ができた。

 

「なら―――二人だったら届くかしら⁉」

 

 リースに迫る長刀の刃を、棒の薙ぎが遮る。その一瞬の隙を狙ってリースは体勢を立て直し、しかし攻め手は緩まない。

 裂帛の気合と共に放たれるエステルの棒術とリースの法剣術。粗く直情的ながらも突破力に長ける棒術と、絡め手こそが本領の法剣術は、本来凶悪な組み合わせだ。それが、巧みな連携で迫っているならば尚の事。

 

 武器と武器が弾き合う音も徐々に増えていく。苛烈に、鮮烈に攻め立て、飽和状態になった攻撃の連舞は、回避する空間をも潰していく。

 だがそれでも―――防御という手段をレイに使わせるに至った現状ですらも、彼女らの攻撃はレイの髪の毛一房すら掠り取れない。

 

「あまり嘗めてくれるなよ?」

 

 その言葉に怒気はなく、エステルたちを試すような、そんな口振りだった。

 

「回避の空間を潰した程度で達人級(俺たち)がどうにかできると思うな。そんなものは、カシウスさんやレーヴェと闘ってきたお前らなら知ってるだろうが」

 

 そう。()()強くなったところで、どうにかなるような相手ではない。

 達人級(彼ら)は不条理の体現者だ。人が凡そ”修行”という行為の中で辿り着く事のできる領域の最奥近くにまで足を踏み入れた者達。

 彼らが敗北を喫する時、そこに「まぐれ」などは存在しない。避け得ぬ攻撃であるならば、全てを防いでしまえばいい。それを行動に移せるのは、偏に彼らの自負心から来る自信と言える。

 

 傲りもなければ慢心もない。ただ事実としてこの程度ではまだ生温いと、そう言い放とうとした瞬間に黒い風が割り込んでくる。

 

 放たれた最高速度での二連撃。エステルとリースの攻撃を受け続けながらその攻撃が迫れば、普通であれば防ぎようがないだろう。

 だが、レイ・クレイドルは”普通”ではない。エステルの攻撃を素手で捌き、リースの攻撃を長刀で捌きながら割り込んできた攻撃に対して瞬間的に反応し―――そして、刹那の内に身を翻した。

 

「えっ―――⁉」

 

 それまで出鱈目さを見てきたエステルでさえ、そんな呆気にとられた声を漏らした。

 だが、レイにとっては異常ではない。八洲の伝承者にとって、紙一重のところで生死を分かつのは”普通”の事だ。

 

 ―――八洲天刃流【静の型・輪廻】。

 

 刃が肌を裂くその直前。それこそ、刃が反射する光の影が肌に差し込む程に迫った状態からの回避。

 それは、武人の技量の奥地に達した者にしか成し得ぬ絶技の一つだ。技は元より、己の生死の境を極限の一瞬まで”客観視”できる精神力など、数多の人間が有して良いモノではない。

 

 エステルが、リースが一歩退いた。それを機に、翻ったレイは走る。駆けて、黒の風に追いつき、そして即死の剣を振るう。

 

 ―――八洲天刃流【剛の型・身縊大蛇(みくびりおろち)】。

 

 刃は首筋に添えられ、超速回転する遠心力で以て首を剪断する。

 刃で引き斬る力ですら、ない。物理的ではなく、一瞬で迫った刃と首の間に濃縮された空気が、逃れ得ぬ兇刃となって死を齎す。

 

 だが彼は―――ヨシュアはそれを避けた。それこそ数瞬前のレイと同じ紙一重。空刃が首を落とす直前に屈み込み、兇刃はその黒髪の一房を斬り捨てるだけに終わる。

 それは、分かっていなければできない行動であった。(レイ)であればこう攻めてくるであろうという、曖昧さを多分に含んだ賭けに、しかしヨシュアは己の命を賭けて勝った。

 

 双剣が、レイの纏うコートの裾を擦過した。

 身には届かないながらも、その戦果に、漸くレイは一瞬だけ驚愕の表情を見せた。

 

「なら―――」

 

 レイは【瞬刻】を使ってヨシュアの前から失せ、そして少しばかり離れた位置で足を止める。ヨシュア達全員を視界に収める事ができる位置。そこに陣取って、再び口を開いた。

 

 

「ギアを上げるぞ。―――着いてこい」

 

 

 枷を、一つ外す。

 そう告げてレイは、自己暗示の文言と共に現状最強の戦士と成る。

 黄金色の闘気が噴出し、理性を残しながらも修羅の如き爆発力をその身に宿した。視界は鮮明に澄み渡り、加速した思考が世界の全てをスローモーションに作り変える。

 

 ―――八洲天刃流【静の型・鬨輝(ときかがり)】。

 

 その技を知っているヨシュアも、本能的に速攻を察したエステルとリースも動く。―――が、間に合わない。

 刃は再び黒塗りの鞘に納刀され、そして放たれる時を待つ。それはコンマ数秒にも満たない待機時間で、死なぬ加減は無用と断じた戦士は、ただ一言、こう告げた。

 

 

「凌いでみせろ―――英雄共」

 

 

 ―――()()が煌めいた。

 

 否、()()ではない。ソレは正しく斬撃だった。抜刀と共に放たれ、しかし【常夜祓】程長い射程を生み出さないモノ。

 だが、その数はもはや目では数え切れなかった。一体どれほどの速度で剣を振れば、このような絶技を生み出す事が可能になるのかすら理解できない。

 

 流星のようだったと、エステルは後にそう表現をした。

 まさしくそれは、斬撃の流星。圧殺の剣舞。有象無象は触れただけでも断ち切られ、後に残るは蹂躙の(わだち)

 避ける?―――否、到底間に合わない。防ぎきる?―――否、これは武器を振るった程度でどうにかできるほど脆弱ではない。

 

 

 ―――八洲天刃流・奥義【剛天・天羽々斬(あめのはばきり)】。

 

 

 抜刀と同時に制圧を告げる奥義。その蹂躙劇が開幕する直前に反応が間に合ったのは、気を窺っていた一人のみ。

 

「っ―――『ガイアシールド』ォッ‼」

 

 エステルたちが攻防を繰り広げている隙にスロットに填め込んだ『地言鈴』のクオーツ。それを稼働させてケビンは、地属性最上級防御アーツを無詠唱で放つ。

 効果範囲は、戦場全域。刃の流星に晒される前に辛うじて、ヨシュア達を琥珀色の防御壁が包み込む。

 

 だがそれは、焼け石に水のような抵抗だった。

 最上級アーツの防護壁とはいえ、たった一枚だけでは抗えきれる筈もない。直後に走った衝撃に、ケビンは思わず意識を失いかけた。

 抵抗できたのは、時間に換算してたったの1秒。それは先延ばしにするにはあまりにも短すぎる時間で―――だが、しかし。対抗策を講じるには充分すぎる時間であった。

 

「来て―――‼」

 

 少女の高い声が何かを呼んだのとほぼ同時、斬撃は落ちた。

 絨毯爆撃もかくやという程の破壊力。どれ程強固な城壁であろうとも紙細工と化すであろう物量と圧力の無慈悲な制圧は一瞬で成された―――誰が見ても、そう思ってしまっただろう。

 

「あぁ―――そうか」

 

 だが、レイは思わず零れ出たかのようにそう言い、拍手をしそうになった己の両手を押し留める。

 

「想念が具現化した世界であるなら、そういった無茶も罷り通るのか」

 

 土煙が立ち込めるその中に向かって、称賛にも似た言葉を贈る。

 

「お前がいたよな―――《パテル=マテル》」

 

 

 《結社》の《十三工房》の一角で造り出された巨大人形兵器。ゴルディアス級戦略兵器として銘打たれて開発された全長15.5アージュにもなるそれは、レンにとってはただの兵装以上に大切な存在である。

 本来であれば、星層の枠を超えて現出する性能は有していないが、此処は想念を叶える世界。であれば操手であるレンが唱えれば現れるのは必然。そして―――。

 

「お前に対物理用結界発生器(リアクティブアーマー)は付いてなかった筈だがな。そんなモノまで実現できるのか」

 

 ヨシュア達を【天羽々斬】の斬閃から護ったのは、《パテル=マテル》を発生源として半円状に展開された無色の結界。

 主副2系統の高出力導力機関により可能となった半永久的な導力の供給。レンの想念によって搭載された対物理用結界発生器(リアクティブアーマー)はその供給の恩恵を受けて展開され、必殺の攻撃を防いだ。

 ……だが、それでも「無傷」ではなかった。

 

『―――――――――』

 

 結界の維持にエネルギーをオーバーロードさせた結果か、《パテル=マテル》は各種機関から煙を上げ、一部からはショートした火花が散っている。

 元々搭載されていた治癒・蘇生エネルギー生成機構『リバイバルシステム』も現時点では使用不可という有様だった。

 

 とはいえ、レンと《パテル=マテル》の機転により、最大の窮地は凌ぐことに成功した。

 元よりレンは、この戦いに攻撃要因として《パテル=マテル》を投入する事は最初から考慮に入れていなかった。如何に破壊力に優れた攻撃手段を持とうとも、文字通り当たらなければ意味がない。触れる事すら叶わなかっただろう。

 無論レンとしても、相棒(カゾク)である《パテル=マテル》をこのように「盾」として使う事には思うところがあったが、こうでもしなければ全滅していたことは想像に難くない。だが―――。

 

 

「……成程。()()()()()()()()()()()()、レン」

 

 

 風に乗って聞こえてきたレイのその言葉に、レンは一瞬ハッとなった。

 意識など、していなかった。していなかったのにも関わらず、レンは《パテル=マテル》に「全員を護る」よう指示をしていた。

 誰かを切り捨てれば必然的に結界の規模も縮小でき、まだ支援要員として戦える可能性だってあったというのに―――だというのにレンは、全員を護る事を選択し、それに疑問を挟むこともなかった。

 

 しかしそんな葛藤よりも先に、反撃の狼煙を上げるために動き出す。この機を逃せばもう勝利の可能性は残されていないと、そう全員が理解していた。

 

 

「『千の棘を以てその身に絶望を刻み、塵となって無明の闇に消えるがいい』―――」

 

 《守護騎士(ドミニオン)》の証である『聖痕』が昏く輝き、虚空に顕現する無数の闇槍。その一つ一つから、殺意の波動が滲み出ている。

 そしてケビンがクロスボウをレイに向けると同時に、全ての槍も穂先を変え、標的を捉える。―――まさしくそれは、獲物(生者)を視界に捉えた死神と言っても過言ではなかった。

 

「『砕け‼ 時の魔槍‼』」

 

 槍は一斉に解き放たれ、返礼とばかりにレイに降り注ぐ。だが当人は足を竦ませることも、判断を誤る事もしない。

 ただ、剣を振るうのみ。

 

()ッ―――‼」

 

 放ったのは【剛の型・常夜祓】。紫色の斬閃と魔槍の軍勢は空中で衝突し、悲鳴のような大気の軋みを挙げながら拮抗する。

 やがて、槍が次々と砕けていく。だが、『聖痕』の力を以て顕現した槍の穂先も、徐々に斬閃を喰らって行き―――。

 

 最後は、魔槍の一本だけが残った。空に散った眩い閃光に流石にレイの目も眩んだが、しかしそれでも致命の傷を受けるほど愚かではない。

 大気を裂いて飛来する魔槍を避ける。―――が、その穂先はレイの頬の皮膚の薄皮一枚を擦過し、初めて傷を負わせることに成功する。

 

 だが無論、致命とは程遠い。しかしこの技のみで決着が着くなどとは、誰しも思ってはいなかった。

 

 

「せいっ―――やぁッ‼」

 

 舞い上がった白煙を切り裂いて、宙に跳んだ少女が声を挙げる。

 その躰は螺旋を描き、己自身を竜巻のように変貌させながら、烈火の如き闘気を纏ってただ一直線に突撃をする。

 

 『絶招・太極輪』―――父の棒術の技を見真似たところから始まったこの技は、彼女の―――エステル・ブライトの輝かんばかりの闘気を纏い、突破する事に特化した技と昇華を遂げた。

 

 避ければ、避けられれば問題はない。そうすれば、カウンターを取る事など容易い。

 だがレイは、冷静に編み出したその戦術を自ら放棄する。否、否。彼女が《剣聖》である父との死闘を乗り越えて此処に至ったのであれば、その勝負に対して逃げる事は許されない。

 

 長刀を構えた。

 純白の刀身を左手がなぞり、その剣鋩はまっすぐ突っ込んでくる少女に対して向けられる。

 刮目しろ、と彼は目で言った。両者の目が一瞬だけ交差したのを合図に、最速最強の刺突が紅蓮を襲う。

 

 ―――八洲天刃流【剛の型・塞月(とさえづき)】。

 

 同じく、一点突破特化の剣術。足の爪先から手の爪先に至るまでに巡った闘気を瞬発的に爆発させ、放つ刺突。

 剣鋩と棒先が触れた瞬間、互いの闘気が爆ぜた。空間そのものが衝撃に耐えきれず砕けてしまうのではないかと思えるほどの圧力が襲い掛かり、しかし両者共、それから逃げるつもりなど毛頭なかった。

 

「見事―――だが」

 

 己の剣と瞬間的にではあるが拮抗したその強さを称え、しかしレイは尚進む。

 

()だ、達人級()に届かせるには足りないな」

 

 白閃が紅蓮の闘気を貫く。圧し負けたエステルは悔しそうに顔を歪めながらも、しかし諦めた表情は微塵も浮かべていなかった。

 

「まだ、まだぁッ‼」

 

 なおも威力が途絶えない棒を振るい、レイの長刀を抑え込みにかかる。

 だがそれは、傍から見れば悪足掻きだ。すぐに刀を切り返そうとしたその刃を―――反対方向から黄金の鎌が抑え込む。

 

「油断大敵よ、お兄様」

 

「レン‼ ありがとう‼」

 

「エステル、全力で抑えてて‼ そうしないとすぐに振り払われちゃうわ‼」

 

 前と後ろから、ガッチリと長刀の自由を封じる二人。ならば、と左手を鞘に伸ばそうとしたところで、そちらも絡め取られた。

 

「させま……せんッ‼」

 

 レイの左腕を雁字搦めにしたのはリースが伸ばした法剣の連結部分。エステルとレンの動向に気を取られた瞬間の出来事であり、己が生み出してしまった隙に対して眉を顰める。

 ならば強引にでも振り払うまで、と闘気を練り上げて―――しかしそこで、形容し難い倦怠感に襲われた。

 

「(っ―――これは……)」

 

 何だ、何が起きたと思考を巡らせて―――そして先程、自身の頬を擦過した存在について思い出す。

 

「(っ、アイツ、神性殺しの『聖痕』持ちだったのか……‼)」

 

 《守護騎士(ドミニオン)》が有する『聖痕』より顕現する力は、その全てが「聖」に偏った性質を持っているとは限らない。

 『聖痕』の出現条件が「絶望を味わう」事である以上、《守護騎士(ドミニオン)》の中には宿る力そのものが「闇」に傾いてしまうケースも往々にして存在する。

 

 レシア・イルグン―――《守護騎士(ドミニオン)》第十位、《闇喰らい(デックアールヴ)》の異名を持つ存在を知っているからこそ、レイはすぐにその結末に辿り着く事ができた。

 

 総じて碌でもない能力持ちだという事は伝え聞いているが、その中でもケビンの力、『魔槍ロア』は―――これはレイも知らない事ではあったが、そもそもが”神性殺し”の能力を持つ聖遺物(アーティファクト)であり、その力を『聖痕』の顕現と共に取り込んでしまったが故に、奇しくも今のレイ―――()()()()()()()()()()()()()()()()()レイにとって弱点ともなり得る力となっていたのである。

 擦過ではいけない。アレは触れてはいけないモノであったのだと、そう思ったところで後の祭り。

 

 

 ―――駆け抜ける、音が聞こえた。

 

 人影は一つから二つになり、二つから三つになる。

 速い。少なくとも自分が知っている時よりも。レイはそう思いながら、右手だけでも自由になるために柄から手を放そうとして―――しかし、力を緩める事はなかった。

 

 それは事実として、己が下手を打った結果。もし現実世界で同じような状況下に陥ったら、恐らくそれでも構わず振り解いてみせただろう。

 だが今は、魂と精神だけという稀有な状況。そして今の自分の使命は、「倒されるべき相手」として”らしく”振る舞う事だった。

 

 

「秘技―――」

 

 

 あぁ、と思わず感慨に耽ってしまった。

 嘗ては”死神”、命じられた存在にしか牙を向けられない猟犬であった彼が、今は自分の意志で、自分と、そして自分以外のものを護る為に戦っている。

 

 暗殺者、ではない。今の(ヨシュア)は正しく―――戦士だった。

 

 

「『幻影奇襲(ファントムレイド)』ッ‼」

 

 

 今度こそ、その双刃はレイの身体を捉えた。激戦の結末にしては余りにもあっけなく、しかし誰もが息を吞む。

 もしくは、これすらもレイ・クレイドルの策の内だったのではないかという緊張感が包み込む。レイをよく知るはずのレンですらそう思ってしまったのだから、だれもその雰囲気を咎める事はできない。

 

 だが、レイはゆっくりと体を傾け、そして仰向けに倒れた。

 

「ふぅ……。あぁ、ははっ。こりゃあ俺の負けだなぁ」

 

 肉体が存在しない精神体の状態では、身体に傷をつけた状態であっても血は流れず、致命には至らない。

 ただ「敗れた」という事を認めるだけで消滅という結果に繋がる。負けという結果を受け入れたレイの身体の輪郭が、少しづつではあるが、淡く輝き始めた。

 

「敗北、負け、ねぇ。あー……こんだけスッキリしたのもいつぶりかなぁ……」

 

 晴れやかな表情で顔を掌で覆いながらそう言い、レイは起き上がることなく空を仰ぎながらそう漏らす。

 曇天の隙間から、陽光が差してきた。これ程心地良く倒れられたのは一体いつぶりだろうかと思いを巡らせていると、張り詰めていた緊張感が途切れ、次々と膝をつく音が聞こえた。

 

「はぁっ、はぁっ……魔力切れなんて久々に感じたで。キッツイわぁ」

 

「腕……もう上がらない……」

 

 掠れた声で限界な旨を晒していく面々。そんな中ヨシュアだけは、同じく座り込みたくなってしまいそうになる辛さを気合で何とか堪えながら、倒れたままだというのに疲れた様子は見せていない親友の下へ歩いていく。

 一歩一歩が重いのは確かだった。乾ききった喉を空気が通っていく度に、意識が遠のいてしまいそうになる。

 それでも、歩く。伝えなければならない事が、残っているのだから。

 

「レイ……」

 

「おう……ったく、今度は本当に俺の負けだ。あの時とは違う。俺が倒れて、お前が立ってる。……そんなに強くなれたんだな、お前」

 

「僕が勝てたのは、皆のお陰だよ」

 

「それも含めて”強さ”だろうが。―――あぁ、ホント。最初は死に目に立ち会えなかったレーヴェへのせめてもの恩返しと思って引き受けた事だったが、良いモンが見れて良かったぜ」

 

 それで? と。レイは自分の顔を覗き込んでいるヨシュアに向かって、歯を見せて笑いながら問いかける。

 

「勝者の権限として、俺に何かを言うんじゃなかったのか?」

 

「あぁ、そうだね。うん」

 

 咳払いを一つ。あの時は流れであんなことを言ってしまったが、いざ言うとなると少しばかり気恥ずかしい気持ちも出てくる。

 だが、言わなければならない。あの時どうしても言う事ができなかった一言を、今。

 

 

「ありがとう―――親友(レイ)

 

「どういたしまして、だ。―――親友(ヨシュア)

 

 

 掲げた拳と、降ろした拳が軽く合わさる。そのままヨシュアはレイの手を引っ張って、彼を立たせた。

 レイは地面に突き刺したままの長刀を引き抜き、鞘に納めて背負いなおす。

 身の丈にも迫ろうかという長さの得物を背負う姿は、否が応にも彼の異質さを浮き彫りにしてしまう。好きで成長できない訳ではないというのに、レイ・クレイドルという男はその小さな背に余りにも重すぎるものを、今でも抱え続けているのだ。

 それを改めて理解したからだろうか。次の言葉も、自然と口から飛び出してきた。

 

「君は―――君だって、幸せになる権利を持ってる筈だ」

 

「…………」

 

「こんな僕だって、全てを知って、それでも受け入れてくれる人がいた。受け入れてくれる仲間ができた。なら、君にだっていつか、そんな時が訪れる。絶対に、だ」

 

「全てを知って受け入れてくれる人、仲間、か」

 

 言葉を反芻して飲み込み、それを受け入れて、レイは諦観ではなく―――どこか何かに縋るような、そんな表情を浮かべた。

 

 

「そう、だな。いつかそんな奴らと出会えたら―――幸せなのかもしれないな」

 

 

 レイを包む淡い光が、徐々に輝きを強くしていく。この世界から去る時が近づいてきた事を悟り、その視線を肩で息をしながらもしっかりと立っていたレンに向けた。

 

「お兄様……」

 

「妹分の成長ってのは見てて嬉しくなる半面、どこか悲しくもなるなぁ。……うん、お前は充分強くなったよ」

 

 輪郭が既にぼやけている足でしっかりと歩き、複雑そうな目でこちらを見るレンの頭に優しく手のひらを乗せて、撫でた。

 

「お前は意地っ張りで、頑張り屋だから、どこまでも一人で行こうとする。―――そんなところまで俺の影響を受けなくても良かったのにと思う事もあったが……良かった。ちゃんとお前と一緒にいてくれそうな奴らと、お前は出会えたんだな」

 

「そん、な。違―――レンは、お兄様が……」

 

「いつか、言っただろ? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。家族の幸せってやつが絶望で上塗りされちまった俺が、お前に本当の幸せを教えてやることはできないんだよ」

 

 エステル・ブライト。恐らくレンの心を解きほぐそうとしているのは彼女だろうと、レイは察する事ができた。

 ヨシュアの全てを受け止め、受け入れ、家族になって家族以上の存在になった彼女であれば、或いは、と。

 

「お前はもう強くなれたから、自分でどうなりたいか選べるんだ。だから―――まぁ、悩んでもいいし拒んでもいいから、新しい一歩は、自分の意志で踏み出してみな」

 

 その言葉に、レンは目尻から涙を流しそうになり、しかし寸前で堪えた。

 

「家族、家族なんて、レンは要らないの‼ パテル=マテル(パパとママ)とお兄様が居てくれれば、それで……それ、で……」

 

 それで良い、と。

 そう断言ができなかった自分にハッとなり、俯いた状態から再び顔を上げた時、レンが見たのはお兄様(レイ)ではなく、エステルの姿だった。

 それが納得できなくて目を逸らすレンを見てから、レイは最後にようやく立ち上がったケビンに視線を向けた。

 

 

「……責任の所在を問うつもりはないし、コイツらはそんなに脆弱なわけじゃねぇ。だが、誰一人として欠ける事無く現実世界に戻してやってくれ」

 

「勿論や。それは星杯の紋章にかけて約束する」

 

「いやそれは個人的には遠慮したいんだが……っと、そろそろマジで消える頃合いか」

 

 精神体が粒子となって消えていく己の姿を見てから、もう一度この世界の景観を一瞥する。

 陽光が差した世界は、無機質な中にもどこか温かさが感じられるようであり、嘗て命懸けの喧嘩を繰り広げた場所とはまるで違うようにも見えた。

 

 それはまさしく、ヨシュアの迷いが、後悔が晴れたことを指す何よりの証拠。

 であれば、自分が此処に来た意味はあったのだと、そう思えるだけでもレイの心は幾分か穏やかになれていた。

 

 

「それじゃあな。いつかまた、どこかで会おうぜ」

 

 

 その言葉を残して、レイの精神体は光に包まれて消えていった。それと同時に碑石の世界が消滅していき―――そして新たな場所への扉が開く。

 

 その先に待つのが如何なる試練であろうとも、彼らに躊躇する気は一切なかった。例え、どのような”真実”が待ち受けているのだとしても。

 

 

 

 

 

 ―――これは、幾重幾多にも拡がったif(もしも)の選択肢。

 

 

 「正史」とは少しだけ違う歯車が嚙み合った、幕間の物語。

 

 

 

 

 

 

 

 




レイ・クレイドル 戦技詳細(原作ゲーム上における性能)

■瞬刻
CP:10
硬直:10
移動:なし
範囲:自己
効果:SPD+50%(4ターン)

■静の型・死叫哭
CP:20
硬直:20
移動:なし
範囲:円L(自己中心)
効果:気絶(50%、3ターン)、SPD-50%(3ターン)

■剛の型・散華
CP:25
硬直:20
移動:あり
範囲:円M(地点指定)
効果:封技(100%、4ターン)、DEF-25%(4ターン)

■剛の型・薙円
CP:25
硬直:20
移動:なし
範囲:円L(自己中心)
効果:MOV-75%(4ターン)、遅延+25

■剛の型・常夜祓
CP:30
硬直:30
移動:なし
範囲:直線L(地点指定)
効果:駆動解除、遅延+30、気絶(100%、4ターン)

■静の型・輪廻
CP:25
硬直:20
移動:なし
範囲:自己
効果:心眼(2ターン)、SPD+25%(3ターン)

■剛の型・身縊大蛇
CP:35
硬直:30
移動:あり
範囲:単体
効果:即死(100%)

■静の型・鬨輝
CP:40
硬直:30
移動:なし
範囲:自己
効果:STR+75%(4ターン)、SPD/DEF/ADF/MOV+50%(4ターン)

■剛の型・塞月
CP:35
硬直:40
移動:あり
範囲:直線M(地点指定)
効果:DEF/ADF-50%(4ターン)、遅延+30、気絶(50%、4ターン)

■Sクラフト■剛天・天羽々斬
CP:100~
硬直:40
移動:なし
範囲:全体
効果:気絶(100%)


以上。今回の話で登場した八洲天刃流ゲーム版性能です。こんなんいたら怖い……怖くない?


 というわけでどうも。後篇だけで総文字数19000文字。お前は一体番外編でなにをやっているんだと謗られても文句は言えない十三です。やっほい。

 この番外編は『レイ・クレイドルが《影の国》に召喚される』という一点のみのif世界ですが、これがあるのとないのとでは本編で色々と変わってくるので番外扱いです。番外編にしては色々とやらかしましたけどね‼

 何がやりたいかって、主人公を思いっきり敵陣営側で暴れさせたかったんですよ。最近レイ君の戦闘シーン書いてなかったなぁって。これでスッキリしたんでまた本編に戻ります。ゴーファイ‼


PS:
 アルテラ可愛いネロ可愛い玉藻怖いAUOマジカッケー碩学マジ殺す。
 そんな感じで『Fate/EXTELLA』楽しんでます。ポケモン?これ終わったらやるんだよ‼
 しかしいかんせん、Vita版だとエネミーの出現率や出現数が心許ないんですよねぇ。ポータル殺すマンになって速攻かけると1000体撃破が不可能になったりする、うーんこの。
 とりあえずもう一度言うけどアルテラめっちゃ可愛い。このアルテラさんが見れただけでもこのゲームを買った価値はあった‼ グラフィック?もう慣れましたよ。

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