※この外伝には以下の要素が含まれています。
・過去編
・遊撃士時代の主人公
・労働基準法? 何それ美味しいの?
・倫理観? アイツなら実家に帰ったよ。
それでも大丈夫な方はゆっくりして行ってネ。
AM 4:00
―――――――――
遊撃士の起床時間というのは各々異なりはするものの、少なくともレイ・クレイドルが遊撃士協会クロスベル支部の男性専用仮眠室のベッドで目覚める時間はいつもこの時間であった。
特に導力式目覚まし時計などをセットしているわけではない。《結社》に在籍していた頃に半ば強制的に叩き込まれた時間感覚が今でも正常に作動しているだけであり、どんなに辛くとも脳が自動的に覚醒してしまうのだから。
そうして眼帯に覆われていない右目を開けると、いつものように
「あぶっ⁉」
「おぅエオリアテメェ、何回言ったら俺のベッドに忍び込むの止めるんだ? あァ? そろそろマジでテメェの寝首掻き切ってやってもいいんだぞ?」
「あ、痛い痛い‼ 今日のは割と本当に痛いわ‼ ―――あ、でも何だかレイ君にやられてるかと思うとゾクゾクしてきたかも……」
「死刑」
「おーい、寒いぞ」
「あ、悪ぃ」
「まーたエオリアか。懲りんなぁアイツ」
窓を開けたせいで室内に侵入してきた寒風のせいで目が覚めてしまったヴェンツェルとスコットに一言詫びを入れてから窓を閉め、壁のハンガーに引っ掛けておいた上着を羽織って仮眠所を出る。
既に二階の談話室の傍らに設けられている暖炉には火がくべられており、ともすれば再び睡魔が襲って来そうな温かさに包まれている。とはいえ、この支部のタイムスケジュールに惰眠を貪る余裕などほとんどない。思わず漏れ出てしまいそうになった欠伸を嚙み殺して、階段を下っていく。そこそこ急な階段を下り切った時には、既に目は完全に覚めていた。
「ういーっす」
「あらおはよう、レイ。後ろ、寝癖付いてるわよ」
「ほら後ろ向きな。アタシが整えてやっから」
受付嬢(?)のミシェルと、レイよりも早くカウンターの近くで依頼書の束に目を通していたリンもいつも通り。半ば強引に櫛で髪を梳かされながら、レイはリンが眺めていた依頼書の文字を追う。
「あれ? 今日の午前中は俺とリンがバディだっけ?」
「昨日言ったろ? 聞いてなかったのか?」
「俺は昨日出先で貰ったワインを歩き飲みしてクソ程酔っぱらったまま夜中に帰ってきてそのまま仮眠室に消えて行ったお前しか知らん」
「……そうだったっけ?」
「あれから数時間しか経ってねぇのに完全にアルコールを分解し尽くしてるお前の肝臓に戦慄するわ」
ともあれ、と思いながら髪を梳かしてくれたリンに感謝して、壁にかかった時計を見る。
現在の時刻は午前4時。クロスベル支部は自治州内に居る限り昼を境に中間報告の義務が課せられているので、それまで残されたのは8時間。手元にある依頼書は15枚。凡そ1時間に2つの依頼をこなしていくペースである。
他の支部ならば繁忙期にしか回ってこないであろう仕事量だが、このクロスベル支部ではこれが日常茶飯事である。否、むしろ今日は楽な方だと言ってもいい。
「ま、アタシとレイがバディ組むんだから、そりゃあ戦闘系が多くなるよね」
「北と西で魔獣退治にセピス集め……ま、俺らなら移動時間もそんなにかからないしなぁ」
クロスベル支部では、よほどの繁忙期でもない限りバディを組んでの依頼遂行が普通である。A級遊撃士として国外に赴くことが多いアリオスは例外だが、そのほかの人員は極力協力して仕事に当たることで、より効率の良い仕事の分散方法や緊急時の対処を明確化する事ができるからだ。
因みに、本来であれば”準遊撃士一級”であるがために正遊撃士と同じ任務は受注できないレイだが、ことこの支部に於いてはそんな常識は適用されない。
本当ならB級遊撃士以上の実力と経験を積んだ彼が未だに準遊撃士という地位に佇んでいるのは、協会が定めた年齢既定の例外にいるからである。だが、年功序列など考慮に入れる暇すらない完全実力主義支部のクロスベルに於いては、レイも他の正遊撃士と同等の地位と仕事量を割り振られているのが現状だ。
「それじゃあ、二人ともよろしくね♪」
「あーい」
「あ、そうだ。さっき窓からエオリア投げ捨てたから後で回収しといて。ご近所さんたちに迷惑掛ける前に」
「あの子なら大丈夫でしょ」
なんだかんだで信頼されてんだよなぁ、などと思いながら支部の入り口を開けて外へ出ると、途端に肌を突くような北風が通り抜ける。
クロスベル自治州より南方にあるリベールのツァイス支部に勤めている時ですらそうだったのだから、年の瀬が迫ったこの時期に寒くないわけがないのだ。
レイは、別に寒い日が嫌いなわけではない。そもそも彼にとって「暑い」か「寒い」かは、自身の動きに影響を及ぼす要因の一つでしかないというのが《結社》にいた頃の考えだった。
だが今は、少し違う。こういった寒い日の早朝は、いつにも増してこの街は静かで、どこか不気味さを漂わせる。
摩天楼が軒を連ねるクロスベル自治州というのは、全体的にどこか余所余所しい雰囲気はある。一部の、例えば遊撃士協会がある東街区や雑貨屋などか立ち並ぶ西街区などは商人たちなどの横の繋がりが密であるためにコミュニケーションを取る相手も多い。
だが、クロスベルに―――所謂近代における「ビジネス」を行うべくやってきた者達は、無償の恩を程度の差こそあれ恐れる。つまるところ、「タダより怖いものはない」というヤツだ。
中には特異な者もいる。これほどまでにお人好しで生き残っていけるのかと逆にこちらが危惧してしまうような者達が。
だが大半は、顔に他所用の営業スマイルを張り付けて、讃美の言葉の中に謙遜と皮肉を織り交ぜ、利用するだけ利用した後は蹴飛ばそうと考えている輩だ。そういった者達に嫌悪感を覚える事こそないが、それがこのクロスベルという都市を一層冷え込ませているように感じる。
これは、この街に数年暮らし、また後ろ暗い一面を覗き込んだ者にしか分からない感覚だ。こういった空気が合う人間は悉く嚙み合うし、合わない人間はとことん合わない。
資本主義という言葉の具現化、弱肉強食の相関図。成程、「魔都」とはよく言ったものである。
「おーい。どうしたのさ、レイ」
支部の入り口に立ったままぐるりと周囲を見渡していたレイの眼前に、視線を合わせたリンが覗き込んでくる。
《
若くはあるが、それでも《泰斗流》の奥義伝承者。押しも押されぬ”準達人級”の武人である。恐らくは血の滲むような修練の果てに今日の実力を身に着けたのだろうが、それと比例するように傍目には”女らしさ”をどこかに忘れてきたように見えるらしい。
しかし、昔から羨望や崇拝は目を曇らせるという言葉があり、実際その通りだとレイも思っていた。
外見上”男勝り”を装ってはいても、甘いものが好きだったり、市内を歩いている最中にショーウインドウの中に陳列されていた可愛らしいぬいぐるみに一瞬目を奪われていたり、エオリアに年頃の女性らしい服を押し付けられては赤面していたりと、女性らしい面は幾つもある。
俗な話だが、外見上だって例外ではない。
吊り目がちだが透き通った琥珀色の双眸に、美人と言って差支えのない顔。穏やかというよりも美麗であると表現した方がいいだろうか。確かに、男装をしても見目麗しい麗人として周囲の視線を引くだろう。それでいて竹を割ったようなサッパリとした性格であるのだから、同性にモテるというのも無理はない。だが、魅力に欠けるという表現は当てはまらない。
性格的にも経歴的にも、そこいらの軟派な色事師が口説き落とせる女性ではないことは確かだが。
「珍しいこともあるもんだね。アンタがボーっとしてるなんてさ」
「良いじゃんよ、ボーっとしてたって。人間だもの」
「アタシはアンタとアリオスさんは自動的に半人外認定してるからなぁ」
「あ、そういう事言っちゃう? んじゃあもう菓子作ってもお前にはやらんから」
「
「うむ」
そんな軽口を叩き合いながら東街区を出て中央街区を抜ける。
朝日もロクに昇っていない冬場の早朝ともなれば、普段は賑わう中央街区も静かなものである。せいぜいが犬の散歩に出ている老人か、釣りに出かける趣味人くらいなものだ。
朝四時から日常的に勤めに奔走する職場など、数多の会社が集まるこのクロスベルでも遊撃士協会くらいなものだろう。
「あ”~……お腹減ったね」
「いつも思うんだけどよ、こんだけ過剰労働してる人間がいるんだから24時間営業の店とかあってもいいと思うんだよな。思わねぇ?」
「マフィア共の良い溜まり場になりそうだ」
「……違いない。俺らの早朝の味方を実現するには、クロスベル警察の諸兄に頑張ってもらわなきゃな」
とはいえ、腹が減っては戦はできぬ。魔獣程度を相手にするのならば空腹でも問題ないだろうが、朝食は一日のエネルギー源である。
特に、一日中動き回る遊撃士にとっては死活問題。しかし飲食店はまだどこも空いていない。ならば―――。
「道中で魔獣狩って食べながらマインツに行こっか」
「それな」
《結社》に居た修業時代は師に放り込まれた雪山でよくやっていたが、まさかこんな文明の最先端を行く都市に来てまでこんなサバイバルじみた事をするとは思わなかったと思ったのも、既に遠い昔。
この支部では、国外にいるわけでもないのにあまりにも多忙で協会支部に帰れず、道中で野宿するという事が月に幾度かある。その為、そういった常識に囚われない逞しさや記述などは必須とも言えた。
魔獣の肉というのは一般的には忌避されがちだが、獲物を選んで調理法を間違えなければ珍味として一流レストランなどにも卸される食材だ。栄養価が高いものも多く、疲労した肉体の回復、または精をつけたい時などは重宝する。
まぁそれでも、文明人としては出来れば正規の調理手順を踏んだ料理を食べたいと思ってしまうのは贅沢な考えというわけでもないだろう。
普段贔屓にしている飲食店の完成された美味な料理を脳裏に思い浮かべながら狩ったばかりの魔獣の肉を豪快に焼き肉にして食うしかない現状に辟易としながらも、二人は西街区の住宅街を抜けて北の山道へと繰り出して行った。
AM 8:20
―――――――――
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」
「オラとっとと死ぬんだよ。おっ死んでさっさとセピス落として消えろ」
「ホンット、ここって何もないのに亡霊系の魔物だけはわんさか出てくるね」
「爆破してぇ。建物丸ごと爆破してスッキリしたいなぁ‼」
クロスベル自治州北西部に位置するその場所は、俗に『月の僧院』と呼ばれている場所であった。
南部に位置する『星見の塔』、北東部に位置する『太陽の砦』と共に中世の遺跡として残っているそこは、歴史的価値のある遺物を抱え込んでいる事で歴史学者たちの注目を集めながらも、突発的に湧いて出る亡霊系の魔物が建物内を徘徊する事が多い為、内部見学は基本的に禁止になっている場所である。
出没する魔物はそこそこ手強いものも多く、クロスベル警備隊も手を焼かされているのが現状であり、定期的にクロスベル支部に掃討依頼が舞い込んでくるのである。
重ねて言うが、この僧院に出没する魔物は決して弱いわけではない。ないのだが……。
「あっ、チッ‼ こいつ幻のセピス落としやがった。もうそれはいらねぇから時のセピス落とせって言ってんだろぉ⁉」
「レイー。ちょっとコッチに生きの良い感じの不死系の魔物来そうだから、コッチ頼むよ」
「あいよー。んじゃリン、そっちは二階の方片づけといてくれ」
「んー」
純白の長刀から繰り出される神速の斬撃と手甲に包まれた拳撃の乱舞が、亡霊たちをまるで小魚の群れを蹴散らすかのように薙ぎ払っていく。
互いの呼吸の一息に至るまで読み切って魔物狩りに奔走する彼らを傍目から見れば充分特異に映る事だろう。不満と暴言を撒き散らかしながら、然程苦労もしていない様子で、しかし討伐数だけは確実に積み重ねている。
リンが軽業師もかくやという動きで建物の二階へと駆け上がっていったのを見届けると、レイはリンの予想通り一回の側面から湧いて出た不死性の魔物の処理に当たる。
処理、と言っても大した事ではない。通常の討伐と同じように神速の剣技で以て叩き切る。ただそれだけの事だ。
《結社》の《執行者》として活動していた時に、《盟主》より賜った”外の理”で以て鍛えられた産物。今でもレイの愛刀として常に傍らに在り続ける《
本来、レイがその身に宿してしまっているとある呪いを緩和するために備えられた能力だが、実体のないエーテル体だけで存在している亡霊系の魔物とは殊更に相性が良い。元々レイがアーツの代わりに使用している呪術の形態が封印・封魔に長じているという事からも、こうした討伐依頼には手間を省く意味合いでも呼ばれることが多い。
そうして数分も経たずに、湧き出てきた全ての魔物を蹴散らし終えたレイは、ふと僧院の一角に目をやった。
階段の影。ただでさえ一般人が立ち入らないこの場所では、注視しない限り決して分からない位置を覗き込むと、そこには以前討伐依頼を受けて来た際に張っておいた破邪の護符―――言うなれば亡霊系の魔物の発生頻度を下げる効果を持つレイ特製のそれが無くなっていた。
「…………」
隙間風の影響などで自然に剝がれたわけではない。そもそもそんなヘマを犯すほど呪術師としても落ちこぼれていないつもりだった。
その証拠に、護符が張ってあった場所には強引に引き剝がしたような痕跡があった。一体誰が、何の為に? という疑問は、すぐに氷解していく。
「(
東方移民の生粋の呪術師の一族、その末裔であるレイが手ずから作製した破邪の護符は絶対的とは行かずともそれなりの効力は発揮する。それこそ、定期的に張り替える事さえ忘れなければ観光の場所として復活できる程度には。
それを妨害してきたという事は即ち、
「(チッ……あの腹黒女、何をしようとしていやがる)」
碌な事ではない、というのは確かだ。そういった人間を見る目だけは、《結社》の中で鍛えられた。
ともすればマリアベル・クロイスという女の本性は、第二使徒の魔女よりもタチが悪いかもしれない。
「(ったく、
思わず心の中で独りごちてしまったその言葉が極端な例だと証明されたのは少し後の話である。
「レイー、終わったかー?」
すると、頭上からリンが呼ぶ声が聞こえてきた。その声色から察するに、二階の敵の掃討も恙無く終了したらしい。
「こっちもクリアーだ。ったく、亡霊風情が手間かけさせてくれるぜ」
「でもこれも一応正式依頼だしねぇ」
「警備隊や警察に恩を売っといて損はないってか。こういう仕事こなしてけば自動的に警察の自称エリート連中に絡まれる事もなくなる……なんて都合の良い展開があればいいんだが」
「人間ってのはそんなに上手いこと行かないもんだよ」
「世知辛ぇなぁ」
クロスベルが抱える問題を、しかし苦笑しながら受け流して、二人は依頼書の何枚かに達成印をつけて僧院を後にした。
AM 11:30
―――――――――
「おっ、よう」
「ん? おぉ、ランディ。それにミレイユも」
西クロスベル街道の魔獣をあらかた始末し終え、討ち漏らしがいないかどうかの確認作業中、偶然出会った二人に少しばかり驚いたような声を漏らす。
彼らが身に纏う黒を基調とした軍服は、国家としては認められていないクロスベル自治州が有している
憲章に基づいて「軍隊」の所有を認められていないクロスベルが自衛の為に編成している部隊だが、隣接しているカルバード共和国、エレボニア帝国の正規軍と比べれば、規模も資金も雀の涙のようなものである。
しかしそんな中にあっても、彼らのクロスベルを護るという思いは本物だった。―――そう、一兵卒の彼らのそれは、だが。
「そっちは二人きりでどうしたんだ? デートか?」
「えっ⁉ いや、ちょ、違―――」
「いやー、分かるか? 流石だわお前。今度の休暇ン時に飯奢ってやるよ」
「ゴチになりやーす」
「話聞かないとはっ倒すわよ⁉」
二人揃って「ちぇー」と口を尖らせながら、レイはちらりと肩を組んできた大柄な青年の方に視線を向ける。
ランディ・オルランドという青年は、レイと同じくこのクロスベルでは「余所者」であった。レイがクロスベル支部に異動してきたのとほぼ同じ時期に、彼もまたこの土地に流れ着くようにしてやってきた過去を持つ。
それだけ見れば、別段珍しい事ではない。実際この街には、何かしら過去を抱えた者が二度目の人生を送るために辿り着くというのはよくある事だ。そこで大成できるかどうかはまた別の話だが。
しかし、そんな中でもこの男は、少しばかり洒落にならない過去を抱え込んだ人間でもある。
歓楽街にあるカジノハウス『バルカ』、そして旧市街に店を構える
その二ヶ所が、ランディという青年がその本名と共に過去の経歴を埋めてきた場所だ。
それをレイは知っているし、ランディもレイがそれを知っている事を知っている。
だが、それをお互いに蒸し返すことはしないと約束した。レイとて、人生に瑕疵を負った人間である。それを興味本位や悪意で掘り返される事がどれだけ迷惑な事は知っている。
その後は、特に軋轢が生まれるようなことはなく、逆によくつるむようになった。
幸いにも二人とも、微妙な空気を引きずるほど甘い人生を歩んではいなかった。ランディが伝手を使ってクロスベル警備隊に入隊した後も、互いに休暇を使ってはカジノに足を運んだり、裏通りで騒いだりするようになるような仲になったのだ。
「んで? 真面目な話魔獣哨戒任務だったら大丈夫だぞ? 俺とリンがこの街道に沸いてた奴らはは全部ミンチにしたから」
「おうマジかラッキー。
「そ、そういう訳には行かないわよ。いや、別に貴方たちの仕事を疑ってるわけじゃなくて、これも任務なんだから」
「はぁ~、真面目だねぇ。哨戒任務中ぐらい、もうちっと肩の力抜いて良いんじゃねぇの? ただでさえ
「う……」
ランディのその言葉に、ミレイユは思わず言葉を詰まらせた。
クロスベル自治州に設けられている準軍事施設は二つあり、それぞれカルバード共和国と接している方は『タングラム門』、エレボニア帝国と接している方は『ベルガード門』という名称がある。
準軍事施設とは言っても、前述の通りクロスベルは周辺諸国と比べればまともな軍備を許されていない。実際は国境監視員と同じようなものだ。
とはいえ、職務は楽というものではない。特にエレボニア帝国と隣接している『ベルガード門』は、平時でもそれなりの緊張感が求められた。
それは、1199年に『ベルガード門』の目と鼻の先、エレボニア帝国側の軍事施設『ガレリア要塞』に超弩級の戦略型兵器『列車砲』二門が配備された時から顕著になった。
クロスベル市内を僅か数時間で焦土に変える事も可能という、近代戦の概念を一変しかねない威力を持つそれに常時脅かされる現状、『ベルガード門』に配属された警備隊員には、それなりの護国の兵としての意識が必要となっていた。
しかし、聞くところによると『ベルガード門』の司令は日々帝国派の州議会議員が開くパーティーに度々赴き、阿諛追従に耽って自己の保身にのみ奔走して警備隊の運営を疎かにしているという。
露になっているのはクロスベルが抱える闇と、その闇が育んでいる腐敗だ。州議会でも、警察でも、警備隊でも、一部の例外を除いて大多数の利権を貪る事しか知らない醜い豚共がのさばっているという現実。
そして”上”がそうであるなら、割を食うのは下の者達というのはいつの時代も同じことだ。
恐らく
それを考えれば、日々過剰労働を押し付けられはすれど、上司の顔色を伺う必要もなくやりたい放題できる遊撃士という職業は、このクロスベルに於いてはある意味楽な方なのかもしれない。
「大変だねぇ、そちらさんも。……よければ
「……申し出はありがたいのだけど、それは受け入れられないわ。色々と儘ならない事もあるけれど、それでも私はクロスベル警備隊の一員であることに誇りを持っているもの」
リンの、半ば冗談じみた言葉に返ってきたのは、色褪せない矜持を感じさせる強い言葉だった。
それに対してリンがニッと笑ったのは、恐らく同類の気配を感じ取ったからだろう。彼女も彼女で、遊撃士という職業に絶対の誇りを持っているのだから。
「ランディはそんなに拘ってねぇだろうけど……ま、あんな
「まぁ、今はな。いつかどっかで縁がありゃあ、別の所で働いてるかもしれねぇぜ」
「どうだかな」
それじゃあな、と踵を返そうとすると、不意にランディに肩を掴まれた。
「―――ウチのクソ司令が最近裏通りの連中と頻繁に連絡を取ってるらしい」
そして耳の近くで囁くように言われたその言葉に、レイは思わず眉を顰めた。
「どうにも
「嫌な特技が身に付いたもんだな、俺も」
このクロスベルで遊撃士として一年も経験を積めば、自然と後ろ暗い事に鼻が利くようになる。更に言えばレイの場合は、その前歴も相俟って、そういった動きには敏感だった。
「ま、了解だ。できればお前んトコの司令がお偉い議員サマのパシリにさせられてるだけだと祈りたいがな」
「そうなんだよなぁ」
杞憂であれば良いと思いながらも、恐らくはその程度では終わらないのだとレイの直感が告げていた。
内心で溜息を吐くと、一転してランディはいつもの軽口で話しかけてくる。
「まぁお前にもお前の仕事があるだろうしよ、世間話の延長程度に聞いといてくれや。それよりアレだ、今日の夜は少し時間取れそうだからよ、久し振りにメシでも食いに行こうぜ」
「クソ忙しい緊急の追加依頼積まれなかったらな」
そんな言葉を交わして二人と別れ、午前中最後の依頼書にチェックをつけながら、しかしレイの胸中には僅かな靄が纏わりついていた。
少しばかり
PM 12:15
―――――――――
「おかえり~レイ君♪ 早速だけど抱きしめても良い?」
「エオリア、お前が持ってる麻痺毒入りの注射器貸せ。連続注射して心臓麻痺で逝かせてやる」
「やだ、レイ君。イかせてやるだなんてダ・イ・タ・ン♪」
「割とマジで死ねばいいのに」
帰路途中で購入した昼食のパンを貪りながら、レイは支部に入った途端に許可を求めるよりも早く抱き着いてきたエオリアに対して絶対零度の視線こそ向けるものの、朝方のように振り解かないのは理由があった。
そもそもエオリアという同僚は、その既に手の施しようのない変態性癖を抜きにすればリンとはまた別のベクトルで万人が認めるような美女である。
その艶やかな銀髪や細身ながらも肉感的な体型、嫋やかな普段の佇みようと遊撃士としての凛とした雰囲気のギャップに見惚れ、ファンになるクロスベル市民も少なくない。……それは全て、彼女の一側面でしかないのだが。
無論彼女とて、《銀薔薇》の二つ名を戴くB級遊撃士。仕事に関してはプロフェッショナルであり、後方支援という観点から見ればこの支部で彼女の右に出る者はいない。人当たりの良さも相俟って、交渉依頼などもそつなくこなす優秀な人材だ。
だが毎日毎日被害に遭っている身としては、辟易とせざるを得ない。一体いつからこんなに致命的に道を踏み外してしまったのか。なまじ美女だからまだマシなのだが、とはいえ悪態の一つくらいは付きたくなる。
「なんだ、今日は昼に全員揃ったのか。珍しいな」
「そうだな。もっとも、アリオスさんはまだ帰ってきていないが」
「あれ? アリオスさん何処に出張に行ったんだっけ?」
「レミフェリア。明日になったら帰ってくるって言ってたわ」
多人数が揃えば姦しいというのは遊撃士であっても変わらない。とはいえ、普段仮眠室以外で支部のほぼ全員が一堂に会するというのは珍しい事ではあった。
許された休息は十数分程しかなかったが、情報交換をするには充分な時間だ。その間、レイは内心忸怩たる思いを抱きながらもずっとエオリアに抱えられていた。たった十数分我慢するだけで彼女の仕事へのモチベーションが高まるというのなら安いものである。
「さ、皆。午後もお仕事、張り切っていきましょ♪」
「何そのオカマバーのママみたいな掛け声」
「あ、それ分かる」
「今更過ぎるだろう。リン、午後は俺とバディだ」
「あいよ、ヴェンツェル。そんじゃ行こうか」
「それじゃあレイ君、午後は私とバディ組もっか?」
「ハイハイ、エオリアは極力レイに近づき過ぎないようになー。んじゃあレイ、午後は俺と―――」
「……いや」
自分が手にした午後の分の依頼書を片手に、レイは支部の仕事を割り振っているミシェルの方を向き直った。
「ミシェル。午後の仕事、俺は一人で回りたい」
肩書的には”準遊撃士”であるレイは、本来ならば支部の方針でなくともバディで行動する事が義務付けられている。
しかし彼の場合は異例中の異例。仕事はそこいらの正遊撃士よりも手早く、そして確実にこなすし、何か問題が起きた場合の判断力、事後処理能力も申し分ない。
バディで仕事をこなすのは支部の方針であって、強制的なものではない。一人で事に当たった方がスムーズにこなせると判断された場合は認められる事も多い為、申し出自体は特異なものではなかった。
勿論、バディで動く事に不満があるわけではない。そもそもこの支部に在籍している遊撃士は全て一流であり、学ぶべきところは随所にあれど、足手纏いになった事など一度もない。
ただ少しばかり、一人で調べてみたい事ができただけなのだ。
「……いいわよ。それじゃあスコットはエオリアとバディを組んで頂戴」
とはいえ、何か考えがあったという事は既にミシェルにはお見通しのようであった。
口調はアレだが、伊達にクロスベル支部の全権を担っている人物ではない。それくらいはレイの声色で見透かしたようだった。
軽く手を掲げて無言で「スマン」と合図すると、ミシェルは返答としてウインクを一つ返してくる。
自由にさせてもらった見返りの成果は持ち帰らなければならないなと、レイはらしくもなく奮起したのだった。
そろそろ新社会人としての日々が始まるため不安しかない十三です。しかしそんな事より『Dies irae』や『Fate/Apocrypha』のアニメPVがクッソカッコ良すぎて涙出そう。
特にハイドリヒ卿が輝き過ぎてて直視できねぇ。なんだあのラスボス。
そんでもって、今回本編じゃなくて番外編を書いた理由としては、今から本編に入っても社会人としての生活が忙しくなって執筆期間が空いてしまい、僕自身どこまで話を進めたのか忘れそうだったのと、読者の皆さま方にも迷惑が掛かりそうだったからです。
そういった意味での我儘をお許しください。
今回の外伝は以前のif時空ではなく、本編開始の少し前を描いたものです。詳しく述べれば七耀歴1204年の11月頃ですね。レイがクロスベルを去る1ヶ月くらい前です。
3月中に後編も投稿する予定ですので、それでは。