英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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閑話その2です。

ただそれだけのお話。


芽吹いた羨望

5月22日 PM8:00。 第三学生寮207号室。

 

 夕食を終え、入浴も済ませたレイは、寝間着として使っている黒いシャツを着てベッドに横たわっていた。

日課である刀研ぎも終え、授業の復習も終えてしまい暇を持て余していた彼は、ベッドの上で仰向けになりながら一冊の雑誌をパラパラとめくっていた。

 

 雑誌の名は、『クロスベルタイムズ』。

クロスベル市湾岸区に拠点を構える『クロスベル通信社』が月刊で発行しているそれは、民間の間での他愛のない噂話から政治・経済面の報道まで幅広い分野の記事を扱う大衆雑誌である。

 本来なら自治州内だけで発行されているそれだが、国外から取り寄せる利用者も少なくない。

配送料はかかるものの、レイはまさにその配送サービスを利用して雑誌を取り寄せていた。

 月ごとに情勢が目まぐるしく変わっていくクロスベルの情報をむざむざ見逃すほど平和ボケはしていないと実感しているし、そして何より読んでいて飽きない。

 

「クロスベルの創立70周年記念祭か。そういや今年だったっけ」

 

 パラパラとページをめくっていき、今月中にクロスベルで起きた出来事を頭の中に入れていく。

その途中で、ピタリとページをめくる手が止まった。

 

「(お、今月も載ってるな。ははっ、グレイスが目をかけてるだけあるぜ)」

 

 そのページに載っていたのは、今年の1月号から話題に上がり始めた、とある警察組織の情報。

 一部では”遊撃士の真似事”などと揶揄されてはいるが、ある程度実績を積んだらしい今では、少なからずの市民からの関心を集めている異色の集まり。

 その名は……。

 

 

 

『《特務支援課》ですか。なにやらあの警察は面白い部署を立ち上げたようですな』

 

 

 やや中性的気味な女性の声でそう言ったのは、いつの間にかレイの頭上に現れ、ぐるぐると空中を旋回していた、全長15リジュくらいの小さなキツネのぬいぐるみ。

 

 否、勿論ただのぬいぐるみではない。可愛らしくデフォルメされているが、その体は淡い金色の光に包まれており、本来なら自動稼働はしないはずの首をちょこんと傾けている。

 見る人間が見れば、それこそ幽霊が出たと騒ぎ立てるかもしれない光景が目の前に広がっていたが、それをレイは雑誌をずらしてジト目で睨み付ける。

 

 

「……ようやく起きてきたと思ったら俺の神聖な読書タイムに割り込んで来てんじゃねぇっての。てか埃だらけの体で俺の頭上を飛ぶな。埃が舞うわ」

 

『おや、これは失礼しました。何分(なにぶん)数か月ぶりの浮世ですから、つい奔放に振る舞ってみたくなってしまったのです』

 

「お前はいつでも奔放だろうが。少しは自重しろや、シオン」

 

『ふふふっ、善処は致しましょう。(あるじ)

 

 パタン、と勢いよく雑誌を閉じて、上半身だけを起き上がらせる。ぬいぐるみは、そんなレイの膝の上にふわりと着地した。

ボディを軽くはたくと、それだけで予想通りに大量の埃が舞った。

 

「しっかしお前、4月中には目ぇ覚ますとか言っときながらもう5月の末だぞ? 寝惚けるのも大概にしとけ」

 

『おや、もしや主は私が傍らにいなくて寂しかったのですか? それならそうと早く申していただければ夢現のままではありますが跳ね起きましたのに』

 

「使い物にならない式神とか誰得だっての。……ちゃんと力は蓄えたんだろうな?」

 

 小首が一つ頷く。

 そして膝の上から軽く跳躍した直後、ポン、という軽い音と共にぬいぐるみが白い煙に包まれる。

文字通り煙たがるようにレイが手で煙を払うと、その中から一人の女性が姿を現した。

 

 セミロングに伸ばされた金糸のように美しい金髪に、翡翠色の瞳。身長はレイのそれよりも高く、外見からは20代前半の少々大人びた雰囲気を漂わせているが、何も知らない初対面の人間はまずその美しさに目を奪われるだろう。それこそ、世の女性の大半が羨むほどの美貌を、彼女は有していた。

 纏っている衣装は、カルバード共和国の東方人街などでよく見られる、ゆったりとした裾の長い着物。少なくともエレボニアでは珍しいその衣服と相俟ってか、どこかミステリアスさも醸し出している。

 しかしレイは、そんな美女の姿を見飽きているとでも言わんばかりにジト目のまま眺め続けていた。

 

 

「これこの通り、体調は万全でございまする。少々睡魔に攫われた時間は長くなりましたが、お陰様でこのシオン、以降も主をお支えできます」

 

「……今のところはまだお前の力を借りるまでもねぇんだがな。どうにもキナ臭い匂いが漂って来てやがる。今のうちに体を慣らしておけよ」

 

「承知しました。―――では少々、力も解放致しましょう」

 

 シオンと呼ばれ、自らもそう名乗った女性が静かに目を瞑ると、僅かな光量の金色の光が彼女の全身を包み込む。

 そしてその光が収まる頃、その頭頂部と下腰のあたりから、それぞれ獣の耳と尻尾(・・・・・・)のようなものが生えていた。それは、ぬいぐるみに擬態していた時と同じ動物のそれであり、感情と連動するように忙しなく動いている。

 

「どうですか? どうですか主。久方ぶりの私の姿は。昔のように耳を撫でたり尻尾モフモフとかされても私は一向に構いませんよ? いえ、寧ろどんと来い、でございます」

 

「自重しろっつてんだろうが。まだ寝惚けてるんなら覚ましてやるぞ? とりあえず中世あたりに流行ったっていう水責めのごうも……躾でも試してみるか?」

 

「わたくしめが悪うございました。平にご容赦の程を宜しくお願い奉ります」

 

 深々と鮮やかな手並みで土下座を敢行したシオンの頭を小突く。

そうして頭を上げたシオンも、小突いたレイも、互いに口元には笑みを覗かせていた。

 

 

「遅ればせながら主、トールズへの御入学、おめでとう御座います。不肖このシオン、貴方様が抱える唯一の式神として、以降再び手足となる事をここにお誓い申し上げます」

 

「遅いぞ馬鹿者、と言いたい所だが、まぁ不問としよう。いずれ機会があれば俺のクラスメイトやサラにも挨拶してもらうが、今はまだいい」

 

「? 何故(なにゆえ)でございますか? 私も主の御学友やサラ殿に一言挨拶を申し上げたいのですが」

 

 大人びた話し方とは裏腹に可愛らしく小首を傾げるシオン。それは尤もな事だと分かってはいたが、今は些かタイミングが悪い。

 

「今はなぁ、身内に2つも(・・・)問題を抱えちまってるんだ。これ以上あいつらを混乱させるわけにはいかん。ただでさえ呪術は一般人にとっては聞いた事すらないような代物である上に更に”式神”ともなれば無用な混乱は免れない」

 

「……成程、どうやら主は学生という身分に落ち着いても尚厄介事を引き寄せてしまうようですな。御学友の悩みを抱え込むのも宜しいですが、あまり脳乱されるのも些か問題かと」

 

 的確に主を窘めるような言葉を掛けた後に、シオンは優しげに笑む。

 

「私の事はどうかお気になさらず。お気の済むまで心を砕いて下さいませ。―――私も寝起きすぐの重労働は御勘弁したいと思っておりますので」

 

「はいアウトー。漸く本音が出たなこの駄狐め。そんなに労働が嫌なら正座でもさせてやろうか? とりあえず3日間くらいぶっ通しで」

 

「斥候でも諜報でもなんなりとお申し付けくださいませ」

 

 式神と言えど、人間体である以上その体の構成は一般の人間と変わりない。3日間ぶっ続けの正座という苦行の域を通り越した提案に、シオンは再び鮮やかな土下座を見せた。

 

「ったく、今は休んでて良いよ。外に出るんだったらせめてぬいぐるみの姿でな。勿論ちゃんと透明化(ステルス)の術は掛けておけよ?」

 

 真昼間とは言えど、空中をフワフワと漂うぬいぐるみなど異様以外の何物でもない。見られればそれだけでジ・エンドになる事は間違いなかった。

シオンもそれは充分に理解しているらしく、「勿論です」と言って頷いた。

 

 そんな話をしていると、シオンの耳が何かを聞き取ったように直立する。そして視線を、入口の方へと向けた。

 

「おや……どうやらこちらに向かってくる殿方が一人いらっしゃる様子ですな」

 

「っと、そういや明日は自由行動日か。リィンの奴だな」

 

「おや、噂をすれば御学友ですか。主の正妻として御挨拶できないのは悲しゅうございます。シクシク」

 

「狐の毛皮って高く売れるんだよなぁ」

 

「それでは主!! 御要望がございましたらいつでもお呼び出し下さいませッ!!」

 

 

 再び煙に包まれてぬいぐるみの姿に戻ったシオンを見て舌打ちを一つかます。

 式神としては優秀ではあるのだが、如何せん今のように遊び心が暴走するときもある。そしてそれに対して頭を悩ませるのも、またいつものことであった。

久しぶりに目の前で演じられた奇行に軽く蟀谷(こめかみ)を抑えていると、いつもの通りの控え目なノックが響く。

 

 目下の問題は、この殺風景な部屋に似つかわしくない、床に無造作に転がったぬいぐるみについてどう説明しようかというものだった。

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 生来の気性か、それとも義務感からか。

 

 いずれにしても、今日もリィン・シュバルツァーは朝食を摂った後、すぐに生徒会からの依頼をこなすために寮の外へと駈け出して行った。

 同時に、ラクロス部の朝練があるという料理補佐兼片づけ当番のアリサも特例で解放し、レイは全員分の食器を片づけた後、寮の中に誰も残っていないことを確認して外に出ると、入口の鍵を閉めた。

 

「(……なんか最近、料理当番だけじゃなくて管理人的な仕事も兼任しているような)」

 

 手の中に握られた真鍮製の鍵がその証拠だった。この鍵自体は1ヶ月ほど前にサラから「アンタが持ってなさい。アタシが持ってるとホラ、酔った拍子にどっかに落としちゃいそうだから」と言われて預かったものである。

一体A級遊撃士とは何なのだろうか、と真剣に考え込んでしまったのも覚えている。少なくともクロスベル支部唯一のA級遊撃士である人物はそんなヘマは天地がひっくり返っても犯さないだろう。

サラとて、酔っ払っていなければその風格を幾らでも漂わす事はできるのだが……どうにもその色合いを出すことが稀なため、生徒の中でも”大丈夫か? この人”と思う人間は少なくなかったりする。

まぁ、実際本当にダメ人間である面も結構多いのだが。

 

「(正式な管理人が欲しいよなぁ。あの生活スキルゼロのダメ人間よりもっとマシな人が)」

 

 今度本気で学園長に申し出てみようかなどと思いながら、レイは適当に街をぶらつき始めた。

 自由行動日の日は文字通り授業の一切が休みとなるのだが、部活動に至ってはその限りではない。そのため、学生の多くは学院に集まっていることが多い。

故に休みの日と言えど、昼食を作る必要はない。

 幸いにして天候は晴天そのもの。街中に並ぶ店舗に一通り顔を出しながら、どこにいこうかと思案する。

 

 よく顔を出している技術棟―――駄目だ。先日あの場所にてクロウ相手にブレード勝負を行い、先輩のプライドも何もかもズタボロにしかねない勢いで完封したばかりである。今顔を出したらリベンジだとか言って長時間拘束されるのは目に見えている。他の二人の先輩も、きっと面白がって止めてくれないだろう。正直言って面倒くさいので、行かない。

 

 部長と親交がある料理部―――駄目だ。今日は恐らくあの肉ダル―――ゲフンゲフン、マルガリータが来ているに違いない。何かの拍子に新作の味見でも迫られようものならその日一日の味覚がおかしなことになる事は既に体験済み。少々惜しいが、仕方ない。

 

 園芸部―――自分が顔を出して何ができるのだという話である。

 

 以上、平日の間によく巡回しているルートは全て候補から外された。

 因みに昨日の夜のうちにリィンから旧校舎の調査を手伝ってくれないか、という要請を受けはしたのだが、結局やんわりと断った。

 

 前回の自由行動日の際はそもそも呼ばれもしなかった事に対して少しやるせなさを感じていたが、今回は少し考え方が違っていた。

リィンが旧校舎探索のメンバーに選んだのは、ラウラ、アリサ、エリオットの三人。以前の実習の時と同じ顔触れである事を昨日の内に聞いていた。

 それならば良い機会だ、と思ったのだ。連日の早朝訓練を経て、リィンとラウラの反応速度や技のキレは格段に上がってきている。その成果を試すには持って来いの場所だろう。

 その旨をリィンに伝えると、ハッとした顔になって了承してくれた。もし本当にどうにもならない状況に陥った場合は連絡するようにと伝えてはおいたが、その件に関してポケットの中の『ARCUS(アークス)』が着信音を奏でる事はないだろう。

 

 つまるところ、完全にヒマになった。

 

 左腕にはめたラインフォルト社製の腕時計をちらりと一瞥する。

時刻は午前11時。昼食をどこかで摂るにしても少しばかり早い時間帯である。

 どうしたもんかと悩み、とりあえず行けば何かがありそうな学院の方向へと足を伸ばそうとした時だった。

 

 

―――うえええぇぇぇぇん―――……

 

 

 風に乗って聞こえて来た、子供の泣き声。

 急いでいるときであったならば流石に気にかけていられなかったかもしれないが、今の自分は幸か不幸か余裕がある。自然と、足は鳴き声の聞こえた方へと向かっていった。

 

「(学院方向……教会の方からか?)」

 

 常人よりも優れている聴力を僅かに研ぎ澄ませて方角を確認する。それが教会の方から聞こえてくるものだと分かった瞬間、一度足を止めた。

 教会は、休日の日に”日曜学校”という年少の子供たちを対象にした学校のようなものを行っている。本日も例に漏れずにその日であり、確か昼過ぎから開校となるはずであった。

 となれば、早めに来てしまった子供の内の誰かが何らかの理由で泣き出してしまったのだろう。であるならば、自分が行く理由もないだろうと思ってしまった。

トリスタの教会に務めている聖職者である二人、教区長パウルとシスター・オルネラは色々と擦れたレイから見ても真っ当な人格者であり、少なくとも教会近くで泣いている子供を放っておくことはない。だからこそ自分が行くのは不要だと考えもしたが、所詮は暇な身の上である。せめて何が起きてるのかを見届けようと、教会の玄関を覗き込んだ。

 

 

「うぅ……ひっく……パパぁ、ママぁ……」

 

「だ、大丈夫ですよ。泣かないでください。お父さんとお母さんはちゃんと迎えに来てくれますから、ね?」

 

 玄関の前にいたのは二人。

一人は泣きじゃくってる幼い少年。泣き声の間に僅かに聞こえる言葉を聞き取るに、どうやら迷子になったらしい。それも、両親から離れてしまう形で、だ。

 そしてそれを必死で慰めようとしているのは、黒のシスター服を着込んだ少女。頭巾(ウィンプル)の隙間からは、ショートカットにされた金髪が覗いている。

その少女に、レイは見覚えがあった。

 

「ロジーヌじゃねぇか。何してんだ?」

 

「あ……レイさん。おはようございます」

 

「もう昼近くだけどな」

 

 自分のことで手いっぱいだろうに、律儀に挨拶を返してくれる少女を見やる。

 同じ士官学院の1年生同士。そして暇つぶしにトリスタの街を散歩することが多いレイは、割と高い頻度で彼女を見かけることが多い。

ロジーヌは特定の部活に属しているわけではないものの、教会の見習いシスターとして日々奉仕活動に精を出している。彼女を見ていると寮に帰って家事全般をこなしているだけの自分が怠け者に見えてしまうから不思議だった。

 

「迷子、だよな。ここいらじゃ見かけない子だが」

 

「えぇ。どうやらご家族で観光にいらっしゃったみたいなんです」

 

 トリスタはそれほど大きい街ではない。必然的に、街在住の子供の数もそれほど多くはなく、レイもこの2ヶ月でその全員と顔を合わせていた。

泣きじゃくっている少女は、その全員と照らし合わせてみても一致しない。つまり、この街の子供ではないことは分かっていた。

補足してくれたお蔭で、その詳細も知ることができたが。

 

「成程。それで両親とはぐれちまった、と」

 

「えぇ。公園のところで泣いているこの子を見つけて、とりあえずここまで連れてきたんですけど……」

 

 泣き止んでくれない。それはある意味当たり前のことであった。

何も知らない、通りすがる人も誰一人見覚えがない土地で両親とはぐれて一人ぼっちになってしまったのだ。その心細さたるや、尋常なものではなかっただろう。

それも、まだ日曜学校にも通えないような小さい子であるのなら、尚更である。

 レイはそれを察し、一つ息を吐くとともに少年と目を合わせるようにしゃがみこんだ。

 

「よう、少年。大丈夫、怖くねーぞー。このお姉ちゃんは優しいからなー。ホラ、泣き止め泣き止め」

 

「うぅ……グスン……」

 

「ホラ、男の子だろ? 大丈夫だ大丈夫だ。とりあえず名前だけでもお兄さんとお姉さんに教えてくれるか?」

 

 頭を撫で、自分が出せる最大限に優しい声色でひとまず安心させることを第一に声をかけ続ける。

子供は、大人以上に他人の感情に敏感だ。ましてやこんな小さい子供なら、直感的に相手の精神状態を見抜いてくる。もちろん、理解などはしていないが。

そのため、声をかける側が動揺などをしていては駄目だ。”自分は何でもできる。だから安心しろ”という事を、言動で知らしめなけれなならない。

 大切なのは、余裕をもって接すること。

すると、そんなレイの心を理解したのか、少年の啜り泣く声が段々と小さくなっていく。

 

「ひっく……ぼく、クレス……」

 

「クレスか。よーし、良く言えたな。偉いぞ」

 

 少年、クレスを軽く抱き寄せ、背中をポンポンと軽く叩く。その行動で、嗚咽の声は完全に聞こえなくなった。

 

「れ、レイさん、凄いです。こんなにすぐに……」

 

「こういう子供を相手にするのは日常茶飯事だったからな」

 

 トリスタよりも更に観光地として有名なクロスベル市は、昨今の急激な都市開発の煽りを受けて街全体のつくりが少々複雑になっている。

それこそ中央広場や行政区、港湾区などは整備が行き届いており、それほど危険度は高くないのだが、歓楽街や東通り地区などは入り組んだ裏路地が多く存在する。開発から取り残された旧市街地区などは最早論外だ。

そんな中で観光客の子供が迷子になったという話は後を絶たない。

しかしクロスベル警察は基本的に市民からの要望にはあまり積極的に対応しないことが多い。それは、観光客に対しても同義であり、その中でも”迷子の捜索”などと言った優先順位が限りなく低い案件には必ずと言っていいほど手を出すことはない。

 そこで頼られるのが遊撃士協会だ。

市内の隅から隅まで知り尽くしたプロフェッショナル集団にかかれば、迷子の捜索など基本的に1時間も経たないうちに終わらせることができる。そのときに重要になってくるのがこの対応方法だと言うわけだ。

 子供の不安を煽ることなく、可能な限り安心させてから素性を聞き出す。遊撃士として活動していく内に自然と身についたスキルの一つでもあった。

 

「そんじゃクレス、パパとママと一緒に来てたんだよな?」

 

「……(コクン)」

 

「そっか。まぁ、安心しろ。クレスのパパとママはちゃんと見つけてやるから。だからもう泣くなよ? な」

 

「……うん。ぼく、もうなかない」

 

「よしよし。いい男になるぜ、お前は」

 

 ひとまず笑顔を取り戻したところで、レイは立ち上がってロジーヌへと視線を向ける。

 

「それで、どーするよ。このまま教会のほうで捜索するってんなら、俺は別にかまわねぇけど?」

 

「えっと、その、探して差し上げたいのはやまやまなのですけれど……」

 

「あー、日曜学校の準備があるのか。そりゃしゃーねーわな」

 

 リアルな迷える子羊を助けることも勿論重要だが、それで本来の役割を疎かにすることはできない。

ロジーヌの躊躇いは至極真っ当なものだし、責めることなど誰もできない。

しかしそうなると、クレスの両親の捜索は授業が終わってから、という事になる。それまでに両親が教会に駆け込んでくることもありえるが、今のクレスの精神状態を考えると一刻の猶予もない。

両親からはぐれてしまった悲しみを、安心感で上書きしているだけだ。時間をかければ、必ず決壊してしまう。

 

 となれば、レイが取る行動は一つだけだった。

 

 

「そんじゃ、この子の親は俺が探すとするわ。神父さんにもそう伝えておいてくれ」

 

「えっ? い、いいんですか? 何かご予定とかあったんじゃ……」

 

「生憎今日は一日中暇人間だ。ボーッと歩き回ってるよりも遥かに有意義だからな」

 

 それに、とレイは視線を下にずらす。

そこには、小さな手でレイのズボンの裾を握りしめているクレスの姿があった。

 

「なんか、俺がやらないといけない雰囲気だし」

 

「……ふふっ、そうみたいですね。それでは、宜しくお願いします」

 

 深々とお辞儀をするロジーヌの激励を受け、レイはクレスの手を引いたまま、今の時点では何の情報もない捜索活動を始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 有り体に言えば見くびっていた。

 

 前述の通り、トリスタという町はそれほど大きな街ではない。

事前情報なしでも、街中をうろつき回っていればすぐに鉢合わせするだろうと高を括っていたのだが、その狙いは完全に裏切られてしまう。

 手掛かりのないまま1時間ほどが過ぎ、昼時になってクレスの腹が小さな音を立てたのを聞いたレイは、一旦捜索を切り上げて昼食タイムへと突入した。

 

 

「これおいしー♪」

 

「そっか。あんま急いで食うなよ? 食べ物は逃げねーんだから」

 

「うん!!」

 

 

 喫茶・宿泊所『キルシェ』。

 

 部活動が終わる午後になると地元の人たちに交じってトールズの学生も多く来店するこの店のカウンターで二人は並んで座り、クレスは笑顔でオムライスを頬張っている。

因みにレイは昼食はあまり多くは摂らないようにしているため、BLTサンドとコーヒーのセットで既に済ませていた。

 とりあえず両親からはぐれた悲しみは今のところは薄れているようで、年相応の笑みを浮かべている。クレスの頭を軽く撫でていると、カウンターの向こうに立っていた男性から声がかかる。

 

 

「迷子、なぁ。リィンの方も大概だとは思うが、お前さんも歩けば歩くだけ厄介ごとを背負い込む性質(タチ)か?」

 

「いや、そんなつもりはないんだが……」

 

 からかうような声色で話しかけて来たのは、この店のマスターである青年、フレッド。

まだ若いのだが、料理の腕やコーヒーや紅茶の審美眼は確かなものであり、老若男女が集うこの店を上手く切り盛りしている好青年だ。

かく言うレイも既にこの店の常連であり、カウンター席に座った時はこうして他愛のない会話をする事も多い。

 

「しっかし、ミョーに懐いてるじゃんか。こうして見てると、活発な弟を世話してる兄貴みたいだぜ」

 

「最近俺を兄貴扱いする風潮が広まってるんだが、一体どういう事なんだろうな?」

 

「いろいろと面倒見が良いからじゃね? まぁ確かにお前さんの身長じゃ外見だけじゃそう思われな―――ちょっと待て、ストップ。その投擲体勢に入ってるスプーンをどうするつもりだ?」

 

「俺の力量を以てすれば、スプーンで喉を貫通させることなど造作も無き事……」

 

「物騒過ぎんだろ!! てかマジ!? わ、悪かったっての」

 

 一応コンプレックスには思っている身長の事でからかわれ、瞬間的に頭に血が昇ったレイは、その謝罪を聞いてスプーンを再びコーヒーの中へと戻した。

 

 

「……真面目な話、ただ歩いてるだけじゃ捕まらなかったんだよなぁ。はてさて、どこにいるのやら、っと」

 

「ミヒュトのオッサンはどうだ? 何か知ってるかも知れねぇぜ?」

 

「臨時休業でそもそも店開いてなかった。聞いたら少し前に店閉めて帝都に行ったんだとさ」

 

 商売気の欠片もない行動だが、あの万年仏頂面の店主ならば、悲しいかな理解できてしまう行動ではあった。

 そんな感じで今度はどこを攻めようかと悩んでいると、隣でスプーンを置く音が聞こえる。

 

「ごちそーさまでしたっ!!」

 

「おー、偉いぞクレス。ちゃんと食後の挨拶も言えるんだな」

 

「お粗末様、ってか。そんで? どうするんだよ」

 

 少しばかり逡巡する。

 このまま闇雲に探し回れば、見つかる事は見つかるかもしれないが時間がかかるような気がしてならない。だから、クレスにはある事を聞かなければならなかった。

 迷子だと気づくまで、どこを歩き回っていたか、である。

 

「……なぁ、クレス」

 

「んー?」

 

「パパやママとはぐれるまでどこを歩いていたか、教えてくれないか?」

 

 これは、一種の賭けであった。

再びクレスがはぐれたと分かってしまった状況を思い出し、泣きじゃくってしまったら振りだしに戻ってしまう。

だから、慎重に見極める必要があったのだ。

この子が話してくれるようなタイミングを、見極める必要が。

 

「う、うん」

 

「ん。ありがとな」

 

 クレスは一瞬躊躇ったような表情は見せたものの、小さく頷いた。

 

「……ぼく、お花やさんとか本やさんとか見てたの。お外にも行こっかな、って思ったんだけど、パパとママからお外は危ないからいっちゃダメ、っていわれてたから……」

 

「”お外”―――街道方面か」

 

「いろんなところを走ってたら、いつのまにかパパもママもいなくなってて……それで……それで……」

 

 段々と声が小さくなって来た事を感じ取り、レイはもう一度クレスを軽く抱きしめた。

不安になるな、という方が無理だろう。むしろここまでよく我慢してると褒めてあげたいくらいであった。

 だが、自分がそれを言うわけにはいかない。

 それを言うのは、彼の両親でなければいけないのだから。

 

「ん、ありがとな。それだけ分かれば充分だ」

 

 子供とは、好奇心が旺盛なものである。

 もし両親がクレスの姿を見かけた街の誰かから”街道の方に走っていった”という証言を聞いたのだとしたら、きっと好奇心に負けて街道に出てしまったのではないかと思うだろう。

 だとすれば、少々急がなくてはならないかもしれない。

ここいらの街道は比較的整備が行き届いているとはいえ、魔獣が出没しないとも限らない。特にこの時期、晩春などは魔獣の動きも活発になるころだ。

一般人に魔獣の相手はできない。最悪の事態は、何としても回避しなければならなかった。

 

「よし、それじゃあ―――」

 

 自分は街道に出るから、ここで大人しく待っていてくれと、そうクレスに伝えようとしていた瞬間だった。

 

 

 バン!! と、キルシェの扉がやや乱暴に開け放たれる。そこから狼狽した様子で店内に入って来たのは、旅行用の上品そうな服を纏った、一人の女性だった。

 

 

「あ、あのっ、ウチの子供を見ませんでしたか!? そ、それと、助けて下さいっ!!」

 

 焦燥感が頂点に達しているのか、焦った表情で早口のままそう言う女性。

その声色からは、危機的な状況が見て取れた。

すると、隣に座っていたクレスがぱあっと表情を輝かせる。

 

「あっ、ママっ!!」

 

「く、クレス!? あぁっ、良かった。無事だったのね!!」

 

 母親を見つけて、駆け寄るクレス。女性は、そんな彼を全力で抱きしめた。

 母親が見つかり、子供は無事に親元へと戻る事が叶った。本来ならば、これで一件落着なはずである。

 しかし、レイは聞き逃していなかった。女性が紛れもなく”助けて下さい”と言っていたことを。

 

 

「……クレス君のお母さんですか? 自分はトールズ士官学院1年のレイ・クレイドルと言います。無事に親御さんが見つかって安心しました」

 

「あ、あなたが息子を助けて下さったんですね? 本当に、ありがとうございました。もう、心配で心配で……」

 

「いえ、自分は教会のシスターから要請を受けただけですから。―――それよりも、のっぴきならない事態になっているのでは?」

 

 改めて現実に突き飛ばすような事を確認するように問うと、女性は蒼白した表情のまま、息子との感動的な対面もできずに目尻に涙を溜める。

 

「は、はい。あの、この子が街道方面に向かったという事を聞いて、主人と一緒に街道に探しに行ったんです。そこで探し回っていたら……突然魔獣が現れて」

 

 嫌な予感が、的中する。

それでも平静は装ったまま、女性の言葉を聞き続けた。

 

「そこで主人が、私だけを逃がしてくれて……どうかお願いします!! 主人を、助けてあげて下さい!!」

 

 一難去ってまた一難。その言葉を、如実に表している状況と言っても過言ではないだろう。

 いずれにしても、レイにその必死の懇願を断るという選択肢はない。乗り掛かった舟、という事もあるが、ここまで来て間に合わなかったとなれば、元遊撃士の面汚しである。

 

「……ご主人がいるのは、東の街道ですか? 西の街道ですか?」

 

「に、西の街道です!!」

 

 それを聞いたレイは一つだけ頷くと、キルシェを飛び出していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 西トリスタ街道。

 帝都へと続く一本道でもあるこの街道でも、勿論魔獣は出没する。整備は施されているために街道の石畳の上こそ寄り付きにくいが、一歩道から外れて草木の生い茂る場所に入れば、そこはもう魔獣の領域(テリトリー)。油断は禁物となる。

 

 そんな中を、レイは全速力で駆けていた。

父親の姿を探しながらの踏破のため、【瞬刻】こそ使えないが、今出せる最大限の速さで以て芝生の上を駆け抜けていく。

 

 そんな彼の左手に、愛用の刀は、ない。

 

 元々戦闘になるなど全く想定しない一日を過ごすつもりであったため、武装の類は寮の自室に置いてきてしまった。何とかしようと思えば何とかできてしまうのだが、その一瞬さえも今は惜しい。

一切無手のハンデ。剣士として、これほど不利な事はないだろう。

だがレイは、ここいらに生息する魔獣相手ならば、それでも立ち回れる自信はあった。

 

「―――見つけた」

 

 研ぎ澄ました聴覚が、獣の唸りを捕らえる。それと同時に、人間の足音と僅かな呻き。それも聞き取れた。

 木々の間を通り抜け、狭いが僅かに開けた場所に出る。

そこには、唸りをあげる三体の狼型魔獣と、それに追い詰められたように大きな岩に背を寄りかからせた男性の姿があった。

男性の服のところどころには破れたような跡が残っていたが、幸い大きなケガはないようだった。しかし、長らく逃げ続けた疲労からか、目の生気は失われつつあった。

 

「あぁ……女神(エイドス)よ、どうか私を妻と息子の元に戻してください……」

 

 弱弱しいそんな祈りを聞いた瞬間に、レイは利き足である右足に力を入れた。

そこに込めるのは、呪力ではなく、”気”。

とある格闘術にて必要となる、別種の体内エネルギーであった。

 

「(鈍っててくれるなよ……ッ)」

 

 左足で地面を蹴り上げ、加速力を最大にする。

そして、黄金色の”気”を纏った右足を、全力で振り上げた。

 

 

「泰斗流――――『風神脚(ふうじんきゃく)』‼」

 

 

 クロスベル支部の同僚である女性遊撃士、リンが使用していた東方武術《泰斗流》。

その神髄は無手における徒手空拳。己の体全てを一つの武器と化し、振るう武術。

 練りこむのは魔力でも、呪力でもなく、”気力”。己の内から生まれるそれを発剄として具現化させ、破壊力を生み出すのである。

腕っぷし如何よりも使用者の精神力が実力に大きく反映されるという、正に東方武術の中心的な存在と言っても過言ではない流派である。

 

 その技の一つである、『風神脚』。足に纏った黄金色の気力は、振り抜かれると共に気弾となって放たれ、狼型魔獣”スラッシュウルフ”の一頭を直撃。数アージュ先へと吹っ飛ばした。

 

「うっし!!」

 

 技が成功した歓喜もそこそこに、レイはひるんだスラッシュウルフの包囲を力づくで破り、男性をかばうような形で前に立ち塞がった。

 

「大丈夫ですか?」

 

 視線は魔獣に向けたままそう問いかける。男性は肩で息をしながらも、気丈に口を開いた。

 

「あ、あなたは……?」

 

「トールズ士官学院の者です。奥さんからの要請を受けて助けに参りました」

 

「し、士官学院の学生さんですか。た、助かった……」

 

 援護が来た事で気が抜けたのか、男性がずるずると崩れ落ちる。

 その様子を見て、レイは意識を男性から魔獣の方へと移した。

 

 一体は奇襲で以て戦闘不能にしたが、残り三体は未だに健在。

 加えてこちら側には保護対象がおり、規模は小さいが防衛戦である。

刀はなく、呪術は使えるが如何せん場所が少々手狭だ。自分一人だけの戦闘ならばまだしも、後ろにいるのは満身創痍の一般人。巻き込む可能性は、ゼロとは言い難い。

 故にレイは―――少しばかり濃い殺気(・・・・・・・・・)を前方のみに飛ばした。

 

「「「!! グ、グルル……」」」

 

 すると、今にも飛び掛かってきそうだった三体のスラッシュウルフが、どこか怯えたような唸りを挙げて一歩下がる。

 魔獣も含めた野生動物は、基本的に殺気の類には敏感だ。そしてその殺気が自分たちが放つそれよりも濃いものであると分かった途端に、抵抗の意識を薄める。

群れで行動する魔獣は、特にその傾向が強い。なまじ集団行動ができるだけの知性を有しているため、判断力が高いのだ。

 そして今、レイが三体に向かって放っている殺気は、間違いなく”捕食者”のそれだった。

 

「……とっとと消え失せな、ワン公共。そっから一歩でも踏み込んだら―――消し飛ばすぞ?」

 

 数の理、などは関係ない。その殺気に完全に呑み込まれた時点で、スラッシュウルフたちの行動は決まっていた。

 

 怯えたままに踵を返し、一目散に戦域を離脱する。勝利への執念や、逃走への忌避感を持ち合わせていない獣を相手にするときは、こういう時が楽だ。

無論、追撃などするつもりはない。レイは構えを解いた後、男性に肩を貸す。

 

 

「さ、帰りましょう。奥さんも息子さんも、首を長くして待っているはずです」

 

「本当に……ありがとうございました」

 

 二人の間には体格差が幾分かあったが、レイは自分にかかる男性の体重などものともしないような表情のまま、トリスタへの帰路についたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 結局、レイが解放されたのは空もすでに夕暮れになろうかという時間帯であった。

 

 あの後キルシェで親子の感動の再会を果たした後、一応大怪我がないかどうか、男性を学院の保健室まで運び込んだ。

幸いにして養護教諭のベアトリクス先生は腕の当たりの僅かな擦過傷以外に傷はないと判断し、応急処置を行った後にレイが”癒呪・爽蒼”を施したことで男性の体力も最低限回復し、そのまま校門の近くで別れることになったのである。

 

 

「本当に、何とお礼を申し上げてよいのやら……」

 

「重ね重ね、ありがとうございます。再び妻と息子に会えたのもあなたのお蔭ですから」

 

 たかがいち士官学院生に対して丁寧すぎる謝辞であるとは思ったものの、この人たちにとって、”家族”というものがそうまでさせるほどに大切なものであるのだろうということは今までのやり取りを見ていて分かった。

 その様子に少しばかり羨望の念が混じっている事を理解しながら、それでもレイは謙遜の姿勢を崩さなかった。

 

「いえ、自分は流れで行動していただけですから。それに、末席であるとはいえ士官学院生です。戦闘はもう義務みたいなものですから」

 

「それでも、お礼を言わせてください。―――ほら、クレスもちゃんとお礼を言いなさい」

 

「うん。パパとママをたすけてくれて、ありがとー」

 

「ははっ、もうあまり心配をかけるなよ? 元気なのは良いことだけどな」

 

 それに、と、レイはクレスの耳元に口を寄せて、小さく呟く。

 

 

「―――お前には幸せになる権利があるんだ。パパとママを、あまり悲しませないようにな」

 

「?」

 

「ちょっと難しかったか。ま、今度トリスタに来る時があったら、今度は俺が案内してやるよ」

 

「うん!! ありがとー、おにーちゃん!!」

 

 

 そんなやり取りも終わり、両親は最後までレイに頭を下げながら、クレスを真ん中に仲良く手をつないで学院を去って行った。

しきりに振り向いて笑顔を見せるクレスに見えなくなるまで手を振り続け―――やがてその手を下ろした。

 

 

「……”おにーちゃん”か。最後にそう呼ばれたのは何年前だっけな」

 

 確かめるように、最後に言われたその言葉を反芻する。

西日を見るために僅かに上にあげたその表情には、どこか哀愁の念が漂っていた。

それと同時に、懐古の念もある。幼子の純粋無垢なその一言が、無意識にレイの心を抉った。

 最後にあんな言葉を呟いたのも、半ば無意識のようなものだった。

幸せになってくれという純粋な願いと共に、その権利すらもない人間がいるのだと、悪辣に意味を含ませる。

 そんな自分が、とてつもなく嫌になった。

 

 

 

 

 

 

 

「―――あれ?」

 

 

 

 

 不意に、背後から声がかけられる。そこにいたのは、リィンを先頭とした旧校舎探索メンバーだった。

 

「レイも学院に来てたのか。用が終わっていたら、一緒に帰らないか?」

 

「あぁ、そうさせてもらうぜ」

 

 自然と、その輪の中に入る。帰路の途中で旧校舎の様子などを聞きながら、第三学生寮へと戻っていった。

 

 その途中に感じた西日は、何故かいつもより眩しく感じられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




……なんか予想よりも長くなってしまいました。


一応申し上げておきますと、レイ君の使う”泰斗流”はそこまで練度の高いものではございません。純粋な完成度ならばリンやアンゼリカの方が上です。


さて、閑話はここでお終いです。

次回から実技テストを経て、バリアハート編へと参ります。
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