一か月以上更新しなくてすみませんでしたッ‼
事件が起こったのは、バリアハート実習1日目の、午後の事だった。
場所はバリアハートの東側、オーロックス峡谷道の一角。入り組んだ地形から入る事ができる小高い丘の上。
バリアハートの防衛線に近いという事もあって普段であれば一般人は近寄らない場所ではあるが、見晴らしは良く、無事に討伐依頼を遂行する事ができたら景色を眺めながら休憩に洒落込むつもりであった。
しかし今、そんな考えも、雰囲気も、全てが霧散してしまっている。
「………………」
その渦中にいるのが、僅かに顔を伏せているために表情が見えずに黙り込み、右腕一本のみで大型魔獣フェイトスピナーの振り上げた、巨大な鋏のような形状をした腕を抑え込んでいるレイだった。
魔獣よりも明らかに矮躯な彼が完全に動きを抑え込んでいる事に関してはもはや驚く事でもないのだが、現在この場が冷え込んでいるのは、黙り込んでしまっているからだ。
そして彼が抑えつけている間に、フィーが跳躍してフェイトスピナーの背中に乗り、脊髄に銃弾を撃ち込んで絶命させる。元々戦闘不能寸前まで追い込んでいたため、とどめを刺すこと自体は難しくはなかったのだが、レイは息絶えたそれを片手で引きずって少し歩いた先にある谷場まで移動すると、無造作にそれを奈落の底に放り投げた。
その感情が籠っていないような動作に、フィー以外の面々が身体を恐怖に震わせる。
「……あれ、ちょっとマズいかな」
ポツリと呟いたフィーに、尻餅をついたままのリィンが問う。
「ま、マズいって、何がだ?」
「ん。レイが黙ったまま戦いの
マジギレ寸前―――それが何を意味するのか、リィンたちにはまだ分からない。出会ってから早2ヶ月程が経つが、彼が本気で怒ったところを、今まで見た事がないからだ。
そんな彼が激怒しかかっている理由。それは偏に、先程の戦闘の内容にあった。
必須の討伐依頼を執り行ったのは、別行動を取っていたレイとフィーが昼食時に中央広場でリィンたちと合流して、昼食を摂った後だった。
ユーシスが幼少の頃から贔屓にしているというレストラン『ソルシエラ』で美味な食事に舌鼓を打ちながら、先程の依頼について愚痴るような口調のマキアスの報告に耳を傾ける。
やれ偉そうな貴族が横取りをしただの、やれ正体不明の男が意味不明な事を言って去って行っただのという報告に、食べる事に夢中で話など最初から聞く気が無いフィーを放ってレイが黙って聞いていた。
どうやら面倒臭い事に巻き込まれてしまったようだが、”特科クラスⅦ組のためになる”依頼はどちらかと言われたら、恐らくリィンたちが担当した方に軍配が挙がる事だろう。
良くも悪くも、今回でリィンたちは貴族社会の業の深さを知ったと言ってもいい。長い歴史の中でこの帝国の地に根付いた貴族制度は、時に傲慢の温床にもなる。それを間近で見れただけでも、今回の実習に意味があったのだと思える事ができた。
そうして昼食を終えた後、全員で手配魔獣の居座っているオーロックス峡谷へと向かった。6人というそこそこの大所帯で峡谷道を進んでいるためか、魔獣除けの街灯から少し離れたところに生息していた魔獣の駆逐も難なく済んだのだが、流石に大型魔獣まではその流れで行くわけにはいかない。
前回とは異なり、リーダー役は元より、指揮などの一切をリィンの采配に任せたレイは、戦術リンクのリベンジをしたいというユーシスとマキアスの行動を許可したリィンに従い、後ろに下がって周辺に寄って来た小型魔獣の牽制と掃討にあたった。
しかし、役目の合間に横目で見る限りでも、戦闘は順調には進んでいなかった。二人の間の戦術リンクは実技テストの時と同じように開戦直後に断ち切れ、乱れた陣形をリィンが指示を出してフォロー。フィーが攪乱を行い、エマのアーツ攻撃の貢献も大きく、手配魔獣を沈めることには成功した。
だが、それで終わり良ければ総て良しという流れになるはずもなく、リンクが切れた責任の所在を巡って口論を始めてしまった二人。
「一度は協力すると言っておきながら腹の底では平民を見下す……結局貴族とはそういうものなのだろう⁉」
「阿呆が。その視野の狭さが原因であると何故気付かん‼」
とうとう胸倉を掴み合って雌雄を決しにかかった二人。殴り合う事で互いに認め合うという、まさしく青春らしいイベントが繰り広げられるのならばレイも介入するつもりはさらさらなかったのだが、この二人がやったところで禍根を残しまくる泥仕合になる事は目に見えていた。
やれやれとため息交じりに近づいたところで、未だ魔獣に息がある事を察する。それはリィンも感づいたようで、一気に跳び上がり、喧嘩に夢中で気付かない二人を庇おうとして前に出たリィン―――の前にレイが立つ。
「―――シッ‼」
技を繰り出すまでもなく、刀の一振りでフェイトスピナーの左腕を斬り飛ばし、そして右腕を素手で受け止め、甲殻を握り潰さんばかりの握力で封じ込めたレイは、ようやく自分たちが襲われそうになったという事に気付いた二人に今までにない程の睨みを向け、そうして黙り込んだのだ。
フェイトスピナーを処理して戻って来たレイは、地に突き刺したままだった長刀を引き抜いて鞘に納めると、無言でリィンに手を差し伸べて、立ち上がらせた。
「あ、ありがとな。助けるつもりが、逆に助けられたよ」
「……自己犠牲も程々にしろよ? お前が怪我をしたら、全体が立ち行かなくなるんだからな」
窘めるような言葉だったが、その声の大きさはいつもよりも小さい。
明らかにいつもとは雰囲気が違うその声にリィンは躊躇いながらも首肯で返すと、レイは僅かに微笑んで一行に背を向けた。
「お、おい? どうしたんだ、レイ」
「俺がいたら話せるものも話せなくなるだろう。勝手な行動を取って悪いが、先に街に帰らせてもらうぞ」
集団行動を基本とするこの状況でレイが取ろうとしている行動は本来間違っているものであり、リィンはリーダーである以上それを制するべきだったのだが、その意図を汲み取ったリィンは、それを止めはしなかった。
「……あぁ。後はまぁ、任せてくれ」
「おいおい、そこは怒る所だぜ? ―――フィー、委員長、リィンをフォローしてやってくれや」
「めんどい……」
「あ、あはは……できるだけ頑張ってみますね」
そう答える二人に感謝の印として軽く手を掲げると、レイはそのまま、一人で丘を下って姿を消した。
―――*―――*―――
「レイは、本当に滅多な事じゃ怒らない。私も本気で怒られた事は一度もないし、見られるのは、ぶっちゃけレア」
普段は物静かなフィーが、オーロックス砦へと向かう道中で、唐突にそんな事を語りだす。
四人は思わず足を止めたが、フィーはそのまま歩いて行ってしまったので、仕方なく歩調を整えながら聞いていく。
「私が学園に来る前にいた所は、血の気の多い人が多かったから、喧嘩なんて日常茶飯事。前にレイが成り行きでウチにいた時に何度か仲裁役に選ばれたことがあったけど、その時は別に怒らなかった」
自分達より2歳年下の少女が過去を回顧して話すという状況が妙にシュールではあったが、つらつらと立て板に水の要領で話すフィーに口を挟む事などできない。
「でも一回だけ、レイは本気で怒って、当事者の二人を殴り飛ばした」
「え……?」
思わずリィンが声をあげてしまう。
自分も一度、似たような事をやられはしたが、あの時のレイは闘気を放ってはいたものの、怒気は一切出していなかった。そんな彼が、怒りに身を任せて敵ではない人間を殴り飛ばすという事に、若干の違和感を覚えたのだ。
「レイは一度自分が仲間だと思った人には優しい。リィンは知ってるよね?」
「あ、あぁ。うん」
それはリィンだけでなく、Ⅶ組の全員が知っている事だ。
前回ケルディック実習に同行したメンバーは勿論の事、日常生活を共にしているだけのメンバーですら、彼の優しさは理解している。
「だからレイは、仲間同士のいざこざに巻き込まれて仲間が怪我するのを許さない」
故に、フィーのその言葉に再び全員が黙り込んだ。
それはまさしく、先程のユーシスとマキアスのやり取りと同じだったから。
「その時も同じだった。喧嘩してた二人が戦闘中に言い争って、それを止めようとした仲間が攻撃を受けて怪我。傷は浅かったけど、それを聞いてレイは、本気で怒った」
「…………」
「私が言いたかったのは、ただそれだけ」
終始一貫して無表情ではあったが、初めて聞いたその長い言葉は全て、レイを擁護するためのものだ。
彼が怒った理由、それを慣れないながらに長々しく語ったのは、偏に彼を誤解してほしくないというフィーの揺るがない信頼の表れであり、それを真っ先に察したエマは、喋り疲れて小さく息を吐いた彼女を軽く抱きしめた。
フィーは知っている。対人・対魔獣の如何に関わらず、チーム内に不和、禍根、軋轢を抱え込んだまま戦闘に移れば、些細な事であっけなく瓦解してしまうという事を。
激情に駆られて自滅するチームというのは悲惨だ。たとえ被害を出さなかったとしても、その不浄な感情は病原菌のように他の人間にも感染し、やがて全体を覆うようになってしまう。
”仲間”を慕い、好意的に接するレイにとってそれは到底許容できるものではない。
当人同士で喧嘩をしているだけならまだしも、それが他の仲間をを直接的に害するようになれば、それはもはや仲間内の行動ではない。運が悪ければ癇癪を起した当人同士によって、取り返しのつかない事態に陥る事すらある。
現に先程だって、レイが前に立って処理する事が無ければ、二人を庇って間に入ったリィンが大怪我をしていた可能性だってあった。最悪、命を落とすような事があった時、後でそれを死ぬほど悔いたところで遅い。自分たちが何をしでかしたのか、どれだけ周囲を垣間見ていなかったのか。それを理解させようとしたが故のレイの行動だったのだ。
尤も、リィンは既に察していたようだったが。
「……迂闊だったよ。どうにかする事はできたはずなのに、それができなかったのは、リーダーである俺のミスだ」
分かっていたはずなのだ。毎度繰り広げられる学院でのいざこざ。そして前回の実習でのB班に付けられた評価E。それが、対処しなければこのような事になり兼ねなかったという事を。
しかしそんなリィンの慚愧の呟きに、マキアスが反応し、ユーシスも続いた。
「……いや、君のせいじゃない。思えば、浅慮な行動をしたものだと反省しているよ」
「……フン、この男と反りが合わないのは事実だが、まぁ、感情的になり過ぎたな」
根は善良である彼らが、フィーの言葉を聞いて何も思わなかったはずがない。
語らず、聞かず、ただ態度だけで無言の怒りを示した仲間を僅かでも恐れた自分達を叱咤すると共に、先程の行動を反省する。
ケルディックで同じようにレイに発破を掛けられたリィンはその言動の裏をすぐに読み解いたようだが、もしここにリィンと彼を良く知るフィーがいなければ、直前までのいたたまれない雰囲気はもうしばらく継続していただろう。
「まぁ、レイには後で謝ろう。その前に俺たちは、できる事をするだけだ」
その空気を切り替えるように言ったリィンの一言に全員が頷き、再びその足は見学を行うために向かっていた砦の方へと向いた。
―――*―――*―――
やってしまったと、心の中で何度も自虐の溜息を吐きながら、レイはバリアハート市内に通じる門を潜った。
リィンに忠告をし、二人の喧嘩の仲裁を彼に任せた身でありながらどうにも出しゃばった真似をしたものだと思う。
本来であれば手を出さずに成り行きを最後まで見守るつもりではあったのだが、目の前で仲間が傷つけられそうになっているのを見て静観できるほど、彼は性根から腐ってはない。
仕方なく流れでああいった態度を取ってしまったが、これは立派にチーム内の和を乱す行動だ。無言の警告を突きつけた張本人がそんなことをしてしまっては、笑おうにも笑えない。
「後で謝んねぇとなー」
自然と足が向いてしまった南側の職人街を適当にぶらつきながらそう呟くと、突然近くから拍手が送られた。
「これは重畳。若く猛る蕾を見るのも良いが、誇ったが故に憂う花もまた、風情があって良い。そうは思わないかね?」
「……男を花に例える時点でお前の悪趣味さが相変わらずだって理解できたよ。何だそのエセ貴族臭漂う格好は。無条件でイラッと来るぞ」
「そういう君も相変わらずではないか。雛の群れに鷹が紛れ込んでいる事には驚いたが、随分と学生として様になっている」
「俺としてはお前が素顔晒して往来を堂々と歩いてることが驚きだよ。遊撃士……はこの国にあんまりいねぇけど、憲兵が知ったらぶっ飛んでくるぞ」
「おや、君自身が私を捕らえようとする意志はないと?」
「お前をガチで捕まえようとするならそれなりの準備が必要だしな。今日はダルいし、パスだパス」
クセのある紫髪に白を基調とした紳士的な服装。そして甘美に酔う声を聞いて、洒落者の貴族だと見る人物は、案外少なくないのかもしれない。
その正体が、世間を騒がす大怪盗だという事も知らずに。
レイは一つ舌打ちを漏らすと、男を無造作に睨み付ける。
「何をしに来たんだ、ブルブラン。事と次第によっちゃ南クロイツェン街道辺りに引きずり出してボコすぞ」
「おぉ怖い。捕らえるのではなく倒すならば躊躇いはない、という事か」
「どうせ捕まって牢屋にブチ込まれても2秒で脱獄するだろうが。つーか聞いたぞ。クロスベルの記念祭でまたやらかしたらしいなお前。今度はどこで何を盗んだ」
「何、戯れで役場の彫像を拝借しただけさ。あぁ、安心してくれたまえ。像は丁重に議長閣下の自宅に返還させてもらったよ」
「はた迷惑も甚だしいな、オイ。お前ホント一回数年くらい七耀教会の本部でありがたーい説法聞かされて来いよ。運が良ければその捻じ曲がりすぎて一周回ってマトモに見える性格もマシになると思うぜ」
「それは聞けない相談だな。私の美学は教会の教えとは相容れない」
完全に敵対している声で話しているが、この会話に不自然さはない。
殺し合う宿敵と邂逅したというよりかは、なるべくなら会いたくなかった相性の悪い人物とばったり会ってしまった、という表現の方が正しいだろう。
実際、その通りなのだから。
「……今日は何も盗んでないみたいだな。お前の事だからアルバレア公爵邸にでも犯行状送り付けて宝石の一つでも拝借済みかと思ったが」
「私を見境のない
「いや俺はお前の脳に見境なんて単語がインプットされてた事に驚いてるよ」
茶化すような仕草をしながらも、レイは警戒自体は解いていない。
この洒脱な態度に心を許して隙を見せようものならば、即座に罠の一つや二つは仕込んでくる事だろう。
だが警戒しすぎてつれない言葉を返すというのはこの男の思う壺になる。ストレスを溜めずに、なおかつ警戒心を崩さないようにするためには、レイのように適当に話を合わせるのがこの男―――ブルブランとの付き合い方の正解例なのだ。
「……ま、迷惑を掛けないならそれに越した事はないが、目的は盗難ではなく”下見”か?」
「ほぅ?」
昼食時にマキアスが話していた貴族を装った変な男。それは目の前の男である事は既に明らかだ。
そして彼が≪怪盗B≫ではなく、≪ブルブラン男爵≫という名を騙って街中をうろついている時は、決まって”現場の”下見か、”気になった人物の”下見かの二種類しかない。
更に言ってしまえば、怪盗として来たという事でなければ、目的は必然的に後者となりえる。それだけならばレイも細かい事は言及せずに放置を決め込む事ができたのだが、その標的が仲間であるというのなら釘を刺す事なく放置するわけにはいかなかった。
「そうであるのなら……君はどうするのかね?」
「様子見を決め込むつもりならとりあえず放置。あいつらにここで手を出すつもりなら……」
刀袋から柄のみを出してそこに手を掛けながらレイは、殺気の籠った目でブルブランを睨み付ける。
「今ここで殺してやる。首を刎ねられるか、心臓を串刺しにされるか、それとも腰から上下に割って欲しいか、好きな死に方を選ばせてやるよ」
「フフフ。いや、止めておこう。翡翠の都を鮮血で穢すのは美に対する侮辱だ。それに君と本気で相対するのは、私としても避けたいところでね」
その殺気を、ブルブランは悠々と受け流す。その態度と言葉にひとまず嘘はないと感じたレイは、長刀を袋の中に戻した。
「まぁ、咲く前の蕾は摘み取らない主義のお前だ。そこは信じておいてやる。それに、もし今のあいつらが戦ったとしてもお前には勝てないだろうからな」
「相変わらず君の慧眼は容赦がない。随分と辛辣な評価ではないか」
「妥当な判断と言え。俺は、過大評価も過小評価もするつもりは毛頭ない」
ユーシスとマキアスは勿論の事、リィンもこのレベルを相手にするにはまだまだ力不足である事は否めない。卓越したアーツ技術を持つエマも、本職に近いブルブランを相手取るのは厳しいだろう。
唯一の希望はフィーだが、彼女の本領は遮蔽物の多いフィールドで発揮される。更にリィンたちを気にかけながらでは互角の勝負に持ち込むことは難しい。今のままでは各々の長所を発揮する事無く全滅するのがオチだろう。例えブルブランが戦闘を得意とする人物でなかったとしても、現時点での力量差は如何ともし難い。
「用が済んだのならさっさと行け。後、あいつらに絡むのも程々にしておけよ」
「フフ、承知した。ではお言葉に甘えて失礼させてもらおう。また会えることを願っているよ、≪天剣≫殿」
「できればもう二度と会いたくねぇよ、≪怪盗紳士≫」
レイがふいと目を逸らすと、一陣の風が吹くと共にブルブランの姿は跡形もなく消えていた。
その相変わらずの演出に一つ舌打ちを漏らすと、ふと空を仰ぎ見る。いつの間にやら、そこは橙色に染まっていた。
「……帰るか」
ホテルに戻ったらとりあえず全員に一言謝ろうと、後ろ髪を掻きながらそう思い、レイはそのまま職人街を後にした。
あー、女っ気皆無ですねー。年上女性率はもっと皆無ですねー。
因みにこの作品ではフィーちゃんの戦闘能力は原作のそれよりも高いです。
何故かって? あんな敏捷特化のバケモノが近くにいたらそりゃ影響されるでしょ。
あ、それと遅ればせながらタグ更新しました。