とあるゲームのキャラをモデルにしているのですが……分かった人すごいな、コレ。
帝国内で最も空港設備が整っている都市はどこか? という疑問が挙げられれば、有識者の人間ならば違わず「黒銀の鋼都ルーレ」と答えるだろう。
鉄鋼産業、軍需産業が群を抜いて活発なかの都市は帝国のみならずゼムリア大陸の中でも有数の巨大空港の所有地である。
だが、他の四大州都も決して劣ってはいない。絶景の海を臨む海都オルディス、かつては一時期帝都の名を背負っていた白亜の旧都セントアーク。それらにも観光に訪れる人々が主に利用する広大な空港が設けられており、それは翡翠の都バリアハートとて例外ではなかった。
バリアハート中央広場より南東。駅前通りを南に進んだところに、バリアハート国際空港はある。
普段は閉じているバリケードの奥。警備員の許可を取り、レイは飛空艇の発着場に立っていた。
通常時であれば観光客や飛空艇を見に来た見物人などで昼夜問わず賑わっているはずのその場所には、しかし今は人っ子一人という表現すら似合ってしまうほどに誰もいない。
客どころか整備員すらもいない空港というものに、大抵の人間ならば不気味さを覚えるだろう。
だが生憎とレイは、その程度の事で臆する神経は持っていない。
そもそも手紙で呼び出された場所がここであり、その手紙の真偽が明らかにされている以上、自分がここにいる事に何ら引け目を感じる事はない。
その考えを持ち、懐に手紙を、左肩に刀袋入りの愛刀を引っ下げて、発着場を歩く。
すると直ぐに、ただ一隻だけ定着していたその翡翠色の艦が目に飛び込んでくる。
ラインフォルト社製特注飛空艇≪アールヴァク≫。全長36アージュという大きさを誇るそれを、レイは以前見た事があった。といってもそれは製造途中の時であったので、まさかそれが大貴族に買い上げられているとは思いもしなかったが。
「あー、懐かしいな」
一時期遊撃士でありながら個人的な依頼を受けてラインフォルト社会長、イリーナ・ラインフォルトの要人警護をしていた時の事を思い出し、回顧に浸るレイだったが、その感慨は数秒ほどで振り切った。
その艦橋部分に刻まれていたのは、二頭の天馬に支えられた剣を象った楯。金と翡翠色に彩色されたそれが、その船の所有者を表している。
今現在、それを知ってなお軽薄な笑みを浮かべる余裕は、流石のレイにもなかった。
そのまま艦の右翼に回って歩き、搭乗口の目の前に来た所で、出迎えを受ける。
「お待ちしておりました、レイ・クレイドル様。アルバレア公爵家執事、ウィスパー・スチュアートと申します」
深々と頭を下げたのは、隙のない燕尾服を着込んだ二十代と思われる執事。右目に
その両手は後ろ手に回され、一分の隙も無く歓待の意を示して見せたその姿にレイは心の中で称賛を送り、しかしその出迎えに気圧される事もなく、あくまで自然体に”客人”を装う。
「出迎え感謝します。お呼びに与って参ったのですが……この艦内で?」
「はい。我が主は既に艦内の貴賓室にてお待ちです。どうぞ、こちらへ」
そう言って左手を差出し、搭乗口から艦内に入るよう勧める。
その指示に何ら疑うことなく従い、レイは社交辞令の薄い笑みを浮かべたまま頭を下げるウィスパーの横を通過し―――
直後、二つの銀閃が交わり、甲高い音と共に火花を散らした。
「……―――」
「悪くない。公爵家の執事ってのは武術の方も一級品か」
重なっているのは二本の刃。
コンマ数秒の早業で引き抜いたレイの長刀と、背中に隠していたそれを右腕の瞬発力のみで放ったウィスパーの護拳付きのサーベル。
瞬間的なその出来事にまるで何もなかったかのように対応できたのは、偏にレイの直感が鋭かったからだ。振りぬいた今ですら殺気を感じさせない恐ろしい程に無謬なその剣に所見で対応できる者など、そうはいない。
攻撃を弾いて多少の距離を取ったレイは、相手の出方を窺いながら声を掛ける。
「手荒い歓迎だな。これが公爵家流の不穏分子の排除の仕方か?」
「…………」
氷の如く冷え切った双眸を向けるウィスパーは口元を真一文字に閉じたまま言葉を発しない。
片手でサーベルを構えるその姿は全く無理のない自然体。一切の揺らぎなく鋼の重さに逆らいながらまるでそうしている事が当然とでも言わんばかりに直立する姿は、優雅さと共に形容しがたい強者の気配を醸し出していた。
後ろ手に隠していたサーベルの気配を真横に接近させるまで一切感知させなかった隠形は元より、体捌きや剣速、そして何より相手を攻撃する瞬間にすら殺気の欠片も見せない精神力。
それら全てをレイは瞬間的に把握して選別し、ウィスパーの実力を推し量る。
「(準達人級に足を踏み入れた人間か。余計に手加減してどうにかできる相手じゃないな)」
負けるつもりなどは毛頭ないが、こうも清澄な気配を当てられてはそう判断せざるを得ない。
そう思い至った次の瞬間、ウィスパーが第二撃を打ち込んでくる。
脚部の動きに派手さや無駄はない。まるで機械のように洗練され尽くされた最小限の動きで以て踏み込み、距離を詰めてくる。
振るわれる剣の軌跡は全て人体の急所を的確に狙っており、一撃でもまともに食らえば致命傷になるだろう。顔色一つ変えない鉄面皮のまま容赦なく繰り出される嵐のような連撃を、しかしレイはそれ以上の反応速度で以て躱し、弾く。
その攻撃に荒々しさはなく、一撃一撃も決して重いわけではない。
だがその速さと正確さには瞠目せざるを得ない。膂力にモノを言わせて制圧しにかかるパワータイプの敵よりも、遥かに相手にしにくいタイプの敵だ。
頼みにしているのは恐らく手数の多さ。反撃を許さない程の連撃で以て敵の動きを封殺し、防ぎ続けて疲労が溜まって隙を見せた瞬間に仕留められる。全く以て、厄介な相手であると言わざるを得なかった。
伽藍とした静寂の空港内に相応しくない、鋼と鋼が軋み合う音が鳴り続ける。
レイが反撃に移ったのは、突然の戦闘開始から数分が経った頃だった。
繰り出された刺突の一撃を見切り、左手に握った鞘で下から掬い上げるように武器を打つ。
重力に逆らって攻撃を食らったウィスパーは、それでもなおサーベルから手を離さず、自分に生まれた致命的な隙を埋めるために冷静に地を蹴り、距離を取る。
普通であればそれは英断だ。詰めた間合いに拘らず、不利と見るや迷わず距離取るという行動は、半端な人間に取れるものではない。
ただしレイを相手にする時はその判断は愚策だ。多少の距離など、彼にはあってないような物なのだから。
「そら、懐ががら空きだぜ」
逡巡の迷いもなく【瞬刻】を発動させて刹那の内に空いた距離を詰める。
それは迎撃を行うにも相応しい間合いであったが、既にレイは鞘に戻した長刀の柄に手を掛け、身体を半身にして右足をやや前方に伸ばしている。
ウィスパーの表情に初めて驚愕の色が混じるが、迎撃を行う暇など与えるはずもない。この領域はもはやレイの支配域。回避が間に合わないと悟り、防御に回るウィスパーを見ながら、鞘の鯉口から白刃を覗かせて最高速度で以て抜刀する。
「―――ッ‼」
サーベルの刃に衝撃が走る。
しかしそれは一度ではない。一度の抜刀で放たれた無数の斬撃が過たず刀身を捕らえ、強度には一切の問題がなかったはずの刃が、衝撃の暴風に耐えられずに根元から粉々に砕け散る。
八洲天刃流【剛の型・
襲ったのは数十の斬撃。目で追えない程の極限まで高められた剣速で生み出されたそれは、サーベルの刃のみを修復不可能なほどに砕いた。
その攻撃が自分の身に向けられていたらどうなっていたか、などとは考えるまでもなく、ウィスパーは無残な姿に変わり果てた自らの剣を数秒ほど凝視した後、柄と鍔だけとなったそれを地面に落とし、元の直立不動の姿勢へと戻る。
「……お見事です。そして大変申し訳ありませんでした。命であるとはいえお客人にこのような無礼な振る舞いをしてしまった事、深くお詫び申し上げます」
無理矢理言葉を絞り出した、といった雰囲気を全く感じさせないその深謝にレイも闘気を解き、得物を再び刀袋に収めた。
普通の人間ならばここで彼に文句の一つでも浴びせるのだろうが、生憎とレイはその気がない。というよりも、そもそも彼に対して忌避するような感情は最初から抱いていなかった。
むしろここまでの逸材を育て上げたアルバレア家に対して素直に称賛を送りたくなったほどである。
「いや、別にいい。変に搦め手で仕掛けられるよりよっぽど分かりやすかったしな」
事ここに至って外面で接するのも無駄であると思い、普段の態度で応対する。
「それで? ”テスト”は合格って事でいいのか?」
「左様でございます。我が主からは”第一撃を凌げれば”との仰せでございましたので」
「ほー。じゃあその後の戦闘は?」
「真に勝手であるとは重々承知しておりましたが、一介の剣士として、貴方様に挑みたいと思った末の行動でございました」
思いがけないウィスパーの人間味のある行動に一瞬呆けた後に笑みを溢す。ここまで実直な性格の人間も昨今では珍しいためか、どこか自分が穢れているかのように思えてしまう。
そんな僅かで下らない劣等感を感じながら、なおも謝罪をしようとする彼を制し、先導を任せて艦内へと入った。
艦内で作業をする従業員が客人である自分に対して一糸乱れぬ礼を見せる姿に苦笑しながらも、豪奢でありながら実用性が高い事を窺わせる内部を歩いていく。
そうして辿り着いたのは艦橋の最上階近くに設けられていた貴賓室。ウィスパーが重厚な雰囲気を漂わせる扉を開け、それに促されるように室内に入ると、空気が一変する。
緊張感はあるが、張り詰められてはいない。静謐を保った空間ではあるが、冷徹さを感じさせず、どこか余裕があるように感じられるのは、この艦の主である人物の人柄を反映しているようだった。
「急に呼び出してしまって申し訳ない。それに、君に黙って力量を推し量ろうとしたことについてもまずは謝らせてもらうよ」
「いや、別に迷惑を掛けられたとは思ってませんよ。それでも謝罪されるなら、そうですねぇ……朝食を用意してもらえると助かります。適度に運動して空腹なので」
「なるほど、それは失礼をした。すぐにモーニングセットを持って来させよう。それまで席にかけて紅茶でもいかがかな?」
「いただきます。”本題”の方は朝食後でも?」
「構わないよ。元々無理を言ったのはこちらの方だしね」
内心で冷や汗をかく。専門家に比べれば些か以上に口が上手いわけでもない自分が、果たしてどこまでボロを出さずに食いついていけるのかと。
目の前の男性には全く隙がない。それでいて他愛のない会話にも付き合う余裕がある分、剣で語り合うよりも厄介だ。
自分の目の前に差し出された紅茶を軽く啜りながら、レイは腹を括る。そうでもしなければ渡り合えないだろう。
アルバレア公爵家長子にして次期当主。そしてユーシスの義兄でもある当代きっての敏腕家―――ルーファス・アルバレア。
今この時だけに限って言えば、レイは”トールズ士官学院特科クラスⅦ組の一人”ではいられない。
その立場が致命的な油断を引き出してしまう事は、とうに理解していた事なのだから。
―――*―――*―――
―――以下、帝国軍情報局本部に記録された音声記録。
1204.5.29 PM5:00―――
『もしもーし、こちら≪
『あー、マイクテスマイクテス。あ、これもう繋がってんの? よーしオッケーオッケー。―――よう≪
『あれー? どうしたのレ―――じゃなかった≪
『ひと段落ついたし戻って来たのよ。ま、すぐにとんぼ返りだけどな』
『へー。それで? 今はボクの報告を受けてくれるの?』
『おう、任せとけ。それじゃヨロシク』
『はーい。えーとね、”砦”の防衛戦力に目立った変更はナシ。ボクが見に行った時に
『そうだなぁ。他には?』
『んー、アルバレア公は相変わらず焦り始めてるみたいだねー。さっきも言ったけど目立った戦力の増強はない。でも、”連絡”のやり取りは頻繁になってるみたい』
『あのヒゲ親父神経質そうなツラしてるもんな』
『あー、えっと、それでね?』
『どうした? どうせ最後の最後で失敗したんだろ? 目撃者も出したと見た』
『あはは。やっぱ≪
『ま、大丈夫だろ。帝国時報社あたりに”謎の飛行物体、オーロックス砦上空を飛行‼”なーんてスッパ抜かれなきゃどうにだってできる』
『ゴメンなさい。……あー、でも、面白い人達は見かけたかなー』
『?』
『赤い制服を着た5人。あれってこの前言ってたシカンガクインの人達でしょ?』
『あー、そういやそうだったな。ウン。一つ聞いていいか?』
『ナニナニ?』
『その中に銀混じりの黒髪で長い刀持ってる奴いなかったか?』
『うーん、どうだろ。見かけたの一瞬だしなー。でもいなかった気がする』
『おー、そりゃ運が良かったな。アイツがいたらお前、事によっちゃ”墜とされてた”かもしれんぜ』
『え? で、でもボクちゃんと空飛んでたよ?』
『アイツがちょいと本気になったら対空戦も器用にこなすからなぁ。ま、見かけたところで手は出さなかっただろうけどな。”オーロックス砦に侵入した未確認飛行物体”って情報だけで大まかなあたりはつけるだろうし』
『誰、誰?』
『話したことあったろ? ≪十人目≫だよ』
『あー、うん。思い出した思い出した。確かクレアが好きな―――』
『ヘイちょっと待て≪
『あ、そうだったそうだった。んー、でもそうだったら会いたかったなぁ。≪
『ま、ちっと長い事顔合わせてねぇしなぁ。まー、近い内に会えそうな気がしないでもないけどな』
『≪
『おー。お前もしっかりやれよー≪
1204.5.29 PM5:20―――
―――*―――*―――
国家に関わらず、政界で活躍する一流の政治家という存在は大小を問わず”汚れ仕事”を行った事がある、という経歴を持つ者が大抵だ。
それは決して、自ら手を下したものでなくとも良い。直接市民に損害を与えた事のない政治家であっても、政敵を蹴落とすくらいの事は陰で日常的に行われているものだ。
国家という巨大な存在を正確に運営させていくために、ただお人好しなだけの政治家など害悪にしかならない。
表面上ではにこやかに握手を交わしていても、テーブルの下では互いを足蹴にしている。鷹揚に挨拶を交わした後にその相手の悪口が最低十通りは即座に出てこなくてはならない。―――これらはただの極論だが、政治の世界とはそういうものなのだ。
異色の経歴を辿って来たレイは、そのような”裏側”の事情にある程度精通していた。
とはいえ、全てのお偉い様方が信用ならないなどという厭世家でもない。実際善政を敷く事に努めている人物など数多くいるし、彼自身後ろ暗い経歴を非難するつもりもない。
だが、知ってしまっているからこそ、そのような人物達と初対面で会った時、どれほど好意的な態度で接して来たのだとしても無条件で信頼はしない。
政界という名の伏魔殿で権謀術数の限りを尽くして生き残って来た策士。そういう人物ほど、一般人に対する外面は良いものだ。
例えるなら今レイの前に優雅に座っている人物も、その一人だろう。
ルーファス・アルバレアと初めて顔を合わせたのは昨日バリアハートに到着し、列車を降りた直後だった。
弟の士官学院生活を心配し、労い、そして身分に関わらず弟が世話になっている事について礼を述べるその紳士ぶりは、初手から好印象を与えた。
恐らくそれは狙ってやった事なのではなくて彼の素の対応なのだろう。それは貴族嫌いなマキアスですら渋面を和らげる程のもので、ホテルに向かうまでのリムジンの車内で他愛のない談笑に嫌な顔一つせずに応じたルーファスへの印象は、概ね良い感情で埋め尽くされていただろう。
自らの地位と家柄をひけらかす事なく、以前世話になったというリィンの父親やマキアスの父親を称賛する姿は、なるほど確かに素晴らしい人格者に見えた事だろう。
レイとて、それに要らぬケチを付けるつもりなど毛頭なかったし、彼はその人格自体に猫を被っているわけではないと判断したため、その時はただいち学院生として尊敬の心を持って接する事ができた。
しかし、リィンたちと違って完全に信頼していたわけではない。
情報の上では聞いたことがあった。
帝国貴族の社交界にて、≪放蕩王子≫オリヴァルト・ライゼ・アルノールと人気・話題性を二分する稀代の切れ者が存在すると。それだけでもレイが警戒するには充分な情報だった。
社交界と言えば煌びやかなパーティーを思い浮かべる者が多いが、その実情は有力貴族たちの腹の探り合いの場だ。目立ちすぎる者は釘を打たれ、弱小貴族はどうにかして爵位が上の貴族たちに取り入ろうと暗躍をする。そんな場所で話題を自分一か所に集めるというのは、相当根回しが上手い辣腕な人物であるという事と同義だ。
その人柄は受け入れよう。その実力にも掛け値なしの称賛を送ろう。
だがそれでも、真意が分からない内はレイの中にある心の壁は隔たったままだ。
「ごちそうさまでした」
「ああ、それは確か東方風の食前の礼儀だったかな? とても礼儀正しくて良い事だ」
「寮ではいつも全員に徹底させてますよ。料理人としてせめて食材には感謝して欲しいですし」
「ふむ、そういえばユーシスからの手紙にも書いてあったな。まさか食事事情まで任せてしまうとは、つくづく感謝の言葉もない」
「いえいえ、気にしないで下さい。新料理の実験台にもなってもらってますし。それにしてもこのオニオンスープ美味いですね。後でレシピ貰えません?」
「それでは後でシェフに用意させよう。紅茶ももう一杯いかがかな」
「そんじゃお言葉に甘えて」
傍から見ればさぞや和やかな光景に映る事だろう。実際レイは充分に寛いでいたし、ルーファスも客人として彼を扱っている。そこに偽りは一片たりともなかった。
ただし、偽りがないという事と腹の内で何も抱えていないというのは類義語にはならない。もしここで完全に心を許し、油断しきっていたら急な話題の転換についていけなくなる。
「そういえば君は、オリヴァルト殿下と個人的な交流があると聞いているよ。学院への推薦入学書類を、直々に手渡していただいたとか」
「えぇ、まぁ。あの時が一応”初対面”ではありましたけどね。流石、トールズの理事の一人ともなれば、その程度の事はご存知でしたか」
「フフ、流石は遊撃士。その程度の情報は既に習得済みか」
互いに手札のカードを一枚ずつ切る。ただの小手調べではあるが、希少性という観点から言えばルーファスの開示した情報の方が幾分か高い。
あのやり取りはカレル離宮で内密に行ったものだ。理事長本人が一介の生徒候補を皇帝家の避暑地へと招いて直接入学願書を手渡す。これが他国であればそうそう大きな事にはならないだろうが、ここはエレボニア。身分制度が明確になっている国だ。もしその情報が皇帝家、もしくはオリヴァルト本人を疎ましく思う者の耳に入りでもしたら付け入る隙を与える事になる。
そんな情報をいとも容易く耳にしているというのは、やはり『四大名門』の一角を担う家の長子であるというのが深く関わってきているのだろう。
二十代半ばの若さにして領地経営、及び他家との友好関係の構築など、非凡な才を発揮しているだけはある。最初にそれを言われてしまった事で、レイは学院に入った経緯を偽れなくなってしまった。
「しかしいかにトールズが長い歴史を誇っているとはいえ、君ほどの異色の青年を入学させたことはあるまい。やはり、時代も移り変わっているという事かな」
「あはは、自分程度が”異色”扱いされたら先輩方に失礼でしょうよ。ルーファス卿もトールズの卒業生の一人でしょう? だったら自分はその時点で敵いませんよ」
「いやいや、謙遜は無用さ。名高き≪天剣≫がクラスメイトであれば、ユーシスもさぞ良い形で影響を受けるだろう。兄から見ればやや固い所が抜けないのが玉に瑕だが、君たちがいてくれた事で孤立するなどという事は防げたようだ。改めて、お礼を言わせてもらうよ」
さてどうしたものかと、改めて思案する。
どう足掻いても自分が主導権を握れる状況ではない。こちらが知っているのは、当たり障りのない表面上の情報だけ。なまじユーシスとマキアスの軋轢をどうやって修復していくかという事だけを考えていたために、目の前の人物に対してまで対策が回らなかったのが痛い。その気になればもう少し良いカードを揃える事もできたのだが、それは自分の怠慢が招いた自業自得だと納得するしかなかった。
このまま話を続けたところでこちらはボロを出すばかり。そもそもこの時点で真綿が首に纏わりついている状態だ。舌戦でこのレベルの人物に競り勝つには、まだまだ経験が足らなさすぎる。
故にレイは、前口上を自分から早々に切り上げて急かすような口調で言った。
「……単刀直入に聞きます、ルーファス卿。この場に”自分だけ”を呼び出した理由を教えてください」
本当ならばあちらからこの話題を出してくれるまで粘るつもりでいたのだが、これ以上会話を引き延ばしたところで、こちらが得るものは現時点では何もないのだから。
なので、一直線に本題へと切り込んだ。
「はは。勿論それについては話すつもりだったよ。ただ、その歳でここまで”探ってくる”人物も珍しくてね。つい、話が脱線してしまった」
「あらら、バレてましたか」
「これでも一応、『四大名門』の責務を背負っている立場でね。互いの腹の内を探る場には慣れているつもりだ。しかしまぁ、これ以上痛くもない腹を探られるやり取りも無用だろう?」
「……ま、そうしときましょうか」
恐らく互いに白々しい事を言っているのは百も承知。
しかしレイとしても醜い粗探しをこの場で本気でするつもりなど毛頭なかったので、ひとまず同意をして話を進める。
「まぁこちらも端的に言わせてもらえば、君に聞きたいことがあったからだよ。レイ・クレイドル君」
「何でしょう」
そこで初めてルーファスは、笑みを一切消した真剣な眼差しを向けて来た。
「君は、何故トールズに入学しようと思ったのかな?」
まるで面接官のような言葉ではあったが、そこで答えるような表面上だけの薄っぺらい返答を期待しているのではないという事は即座に理解できた。
だがそれでもレイは、その眼差しを真正面から見据えて、堂々と答える。
「見聞を広める……というのが一応の理由なんですが、それに加えてもう一つあります」
「ほう?」
「
その友人たちとも平和的な出会いはして来なかったんですがね、と自嘲気味に言ってから、更に続ける。
「寂しい、なんて思った事はなかったんですが、昔剣の師匠から”若い内は何でも挑戦してみろ”と言われたのを思い出しまして。それに元職場の先輩たちも背を押してくれましてね。殿下の好意に甘える事にしたんですよ」
「…………」
言っていて嘘くさい理由であるとは理解していた。なまじ彼の経歴を知っているのならば尚更だろう。
しかしルーファスは、数秒ほど熟考した後、元通りの笑みを浮かべた。
「そうか。いや、素晴らしい事だ。今まで踏み出さなかった未知の領域に足を踏み入れる決断をするというのは中々できる事ではない。良い師に巡り合えた事もさることながら、どうやら君は、私が思っていたよりも豪胆な性格のようだね」
「……いやいや、買い被りすぎでしょうよ。所詮
こうして会話をしていると思い出すのはカレル離宮でのオリヴァルトとの会話だ。
ごく自然に自分の冷静さという名の
カップに残った紅茶を一息に飲み干して感覚を切り替えると、ソファーに背を預ける。
「分かっているでしょう、ルーファス卿。自分はそんな高邁な人間じゃあない。過去をほとんど明かしていないとは言え、今でもⅦ組のメンバーに嫌悪感を持たれていないのが不思議なくらいです。本来なら自分みたいな異端を社会は排除しようとする。それが同年代の築くコミュニティーであれば、尚更に」
「であるならば、それは君自身の人柄が成せる事だろう。あまり自分を卑下するのは良くない。それは、君を信じてくれている子たちへの侮辱ともなる事もある」
「…………」
「なるほど、私を信用しきれないのは正しい事だ。それだけで君が世界の”闇”に慣れている事が分かる。だが私とて、教育者の末席を担う者としての矜持は持ち合わせているつもりだ。母校に通い、切磋琢磨する若者たちを駒のように俯瞰する冷徹さを持っていると誤解されるのは、些か心外でもあるのだよ」
嘘を吐け、と一蹴する事はできない熱が、そこにはあった。
言動全てを信じるか信じられないかはまた別ものであったとしても、今の言葉に含まれた気概は本物だ。それを正面から否定できるほど、レイは他人に対して疑心暗鬼でいるわけではない。
だが同時に、厄介さの度合いで言えば更にランクは跳ね上がる。言動全てが偽善の塊のような人間ならばまだ幾らでもやりようはあるのだが、その中に偽りのない”善人”の部分を持っている人間のその部分だけを探り当てるのは容易ではない。特にルーファスのように、対話能力に長けている人物が相手なら、尚更だ。
「だから、少なくともこの場では私を信用してくれないだろうか。勿論君を害するつもりなど欠片も有りはしないし、実習中のあの子たちに何かをするつもりもない。……まぁ、あくまで
「……あー、そういう事か」
最後の一言で、レイは何故ルーファスがアルバレア公爵邸ではなくこの飛空艇に自分を呼んだのかが理解できてしまった。
それを遠回しに伝えるあたり、意地が悪いのか親切なのか、良く分からないが。
思えば不自然ではあった。
昨日バリアハートに到着した時にレイたち一行は高級リムジンに乗って邸宅へと帰るアルバレア公爵と顔を合わせていた。ただし、車の窓越しであり、その態度は息子であるはずのユーシスにすら冷淡とも取れる淡白な接し方だったのだ。
まるで、ユーシスという存在自体がそもそも視界の中に入っていないかのような態度だったその人物が、今朝になって面と向かって顔を合わせようと彼を邸宅に呼び戻すという行為は辻褄が合わない。
しかし、その本意が、
このバリアハートにおいて”アルバレア家の威光”を使って大抵の貴族を尻込みさせ、兵士すらも狼狽させるユーシスの隔離。その事実の先を示す次の一手は―――
「自分たちの行動の制限……もしくは拘束ってところですかねー」
「恐らくは、ね。やはり君は聡明だ。私とて早まった真似はしないようにと諫言はさせてもらったのだが……どうにも父上は少々短絡的になってしまう衒いがある。何せ今、この街には”彼”がいるのだから」
その”彼”が誰を指し示しているのか、ここまで来てしまえば間違えようはない。
「マキアス・レーグニッツ。『貴族派』の不倶戴天の敵、『革新派』の重要幹部カール・レーグニッツ帝都知事の嫡子」
例えるならば、獅子の檻の中に放り込まれた肉塊だ。人質としての効力を発揮するのに、現時点でこれ以上相応しい者もいない。
だが、先見の目を持つ者ならばここで彼を拘束し、人質として利用するリスクの高さに気付くはずだ。
何せ現時点で帝国情勢はそれほど逼迫していない。水面下では冷戦のような状態が続いているが、帝国市民の多くは火種がある事すら知らずに日々を生きている者が多い。
そんな中で誠実な政治体制で支持を集めている帝都知事の息子を人質に取ったという情報が帝国内に発せられれば、非難の目が『貴族派』に向けられることは必至。恐らく十全に体制が整っていないこの状況下で一方的に悪者に仕立て上げられるのは彼らにとって害にしかならないはずである。
ハイリスク・ハイリターンの具現化。そのリターンですらも高い確率でマイナスに働いてしまう。全く以て分の悪すぎる賭けだ。
自分の首を締め上げる結論しか待っていないというのに目先の利益に囚われて浅はかな行動を起こすのならば……現アルバレア公爵には天秤の秤を見極めるだけの才が備わっていないという事になる。
「チッ……シオン、いるか?」
「ここに」
しかしその最悪の事態が起きる可能性が極めて高い今、レイとしては傍観に徹するわけにもいかない。
自らが従えるただ一柱の式神を呼ぶと、金色の粒子と共に、人型状態のシオンが傍らに現れた。
「マキアスの行方を追跡。直接害されるような事があればなるべく穏便に対処しろ。細かい行動はお前に任せる」
「私の姿は極力見られない方が宜しいので?」
「あいつの事だ、いきなりお前が現れたら盛大に驚いて予想外の事態を引き起こしかねない。あいつの前に出るのなら、そこのところ配慮しろ」
「承知致しました」
以前のような軽口は一切きかず、あるべき姿の主従のまま手早く命令の発信と受諾を終え、シオンはレイとルーファスに一礼をすると、再び消えていった。
「……フム、あれが”式神”という存在か。実際にこの目で見るのは初めてだった。噂程度には聞いていたのだけどね」
「普段の態度はアレな部分が多いですが、優秀なヤツです。まぁ、最悪の上の最悪の事態は防げるでしょう」
「それは頼もしい限りだ。実のところ君たちの担当教官―――≪
「いえ、そちらにはそちらの考えがあるでしょうから、自分は口を挟みません。その代わり、自分も自分で動かせてもらいますけど」
傍らに立てかけていた刀袋に包まれた柄の部分を軽く指で弾く。
黙っている気など毛頭ないという意思表示に、ルーファスは再度苦笑した。
「もし彼に何らかの危害が加わったとして、君の仲間はそれを傍観するかな?」
「それはないでしょう。えぇ、誓ってもいいです。あいつらは、リィン・シュバルツァーは仲間の危機を人任せにして背を向けられるような器用すぎる人間じゃありませんから」
勿論自分も、と付け加えようとしたが、それは口から出てこなかった。
ウィスパーに貰った二杯目の紅茶に口を付けながら、レイは再び先程までのルーファスとにやり取りに思考を戻す。
そこで思い出した。最後に一つだけ、聞いておきたいことがあったのだと。
「ルーファス卿、先程自分に士官学院に入学した理由を問われましたよね?」
「あぁ、それが何か?」
「いえ、少し引っかかった事がありまして」
考えてみれば、いくらトールズの理事の一人であるとはいえ、今の段階でそれを聞くのは少しおかしい事だ。
世話を焼いている弟の近くにいるクラスメイトの確認などがしたかったのかもしれないが、あの真剣な眼差しと声色にはそれ以外の緊迫した感情が含まれているように思えたのだ。
「一つだけ聞かせてください。
返ってくる言葉はない。ルーファスはその言葉を何度も反芻するように受け止めた後、「ただ、気になっただけさ」とだけ言い、以降は会話も途絶えた。
そして数分後、シオンから念話を介して情報が送られてきた。
考えていた事態に、発展してしまったという事を。
話し合いの場面というのを書いたのは初めてだったので、大げさだったり中身が軽かったところもあったと思います。そこは、以後も精進していきたいです。
レイ君の対話の席でのスキルはそこそこではありますが、ルーファスクラスの人には上手を取られるというレベルです。というかあの人たちが特別高いだけなのか……?
ルーファスさんにはⅡのユミルで3回連続Sクラフト食らって全滅した苦い思い出があります。まさかあそこまで強いとは思わんかった……。