英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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PCの調子が本気でヤバい今日この頃。

私はイースを始めました(アドルくんがメッチャ好青年‼ 誰だコイツは‼)


完全で瀟洒な従者 後篇 ※

「簡潔に聞きます。どうしてシャロンをこっちに寄越したんですか?」

 

 草木も枯れる丑三つ時……とまでは言わないものの、宵も深くなった時間帯の第三学生寮管理人室。

元々は物置として利用されていたそこは、今は新しい管理人であるシャロンの部屋として生まれ変わり、十全とは言えないが設備も整っていた。

その一つが通話機器だ。元よりラインフォルトグループから仮出向のような位置づけでトリスタに赴いているシャロンには、元来の業務であるイリーナ・ラインフォルトの補佐という仕事がある。

寮の管理と並行して滞りなくその業務も執り行うため、遠く離れたルーレとの連絡手段は必須だ。

 そして普段はシャロンが専用で使っているその電話を、今はレイが本人の許可を取って使っている。

相手はシャロンをここに寄越した張本人。今まで何度か顔を合わせ、見知っている人物だ。

 

『その疑問に答える必要はあるのかしら?』

 

「他の皆はぶっちゃけどうでも良いと思ってるでしょう。アリサだって案外すんなりと受け入れました。でも生徒を代表して俺だけは意図を知っておきたいんです」

 

『建前は省いてくれて結構よ。どうせ分かっているでしょうに』

 

「…………」

 

 その声色は、氷で作られた刃を彷彿とさせる。

 現ラインフォルトグループ、ルーレに本社を構える『RF社』の会長を務める才媛にしてアリサの実母。

加えてトールズ士官学院における三名の常任理事の一人、イリーナ・ラインフォルト。

 

 数多の商売敵との契約争奪や国外の軍需産業との差別化、巨大なグループの統括者として幾度も修羅場を潜り抜けて来た彼女は、声色だけで虚偽の全てを見抜く。

 どうせすぐにバレるだろうと思っていた”建前”をものの数秒で見抜かれたことに関しては何も言う事はない。騙しきれるなど毛頭思っていないし、更に言うならばそれが分かっていて尚聞いているのだ。

 

『まぁ、あなたの事だからそれでも聞くのでしょう? 時間がないから簡潔に説明するけど宜しくて?』

 

「……ありがとうございます」

 

 礼は述べたが、返事は帰ってこない。

分単位、否、秒単位で一日を生きている彼女にとって、無駄な行動こそが何よりの敵だ。つまりは、そう捉えられたのだろう。

それに対して、レイは特に不満を漏らすという事もない。本来であるならば、今は一介の学生であるだけのレイからの個人的な電話に応える事自体有り得ない事なのだ。そこから判断しても、過去のやり取りの末に信頼されているという事が分かる。

 

 

『理由は二つ。一つはあなたも想像がついているように単純にビジネスよ。レイ・クレイドル(あなた)というパイプを介して≪マーナガルム≫との繋がりを構築する。戦火の臭いが濃くなってきたこの情勢下での”正義の猟兵”との繋がりは持っておくに越したことはないでしょう』

 

 ゼムリア大陸の戦場において活躍する組織というのは、大別して二つに分かれる。

一つは国家・または国家に属する貴族や大富豪が抱える軍隊。これは言うまでもなく専業軍人と呼ばれる類のもので、絶対数では一番多い。

二つ目は傭兵、または猟兵団と呼ばれる個別組織。武力を前面に出して自らを売り込むというその性質からか名の売れている組織は比例して練度も高い。

 

 一概にどちらが強いとは言い切れない。それこそ軍事国家であるエレボニアの正規軍、その中でも精鋭と謳われる部隊であれば並の猟兵を蹴散らす力を有しているし、規律という鋼の意思のもとに統率された彼らを本当の意味で突き破るのは困難と言わざるを得ないだろう。

 

 だが一部の、所謂超人じみた人材を多数有する猟兵団を相手取った時には必勝を約束することはできない。

数こそ正規軍には遠く及ばないが、常に屍山血河の地獄絵図を体現する戦場を渡り歩く彼らは、有体に言えば”慣れている”。常に神経を張りつめるという事に、敵の裏をかくという事に、そしてなにより、人を殺す事に慣れている。

 しかし、基本的には猟兵というのは忌み嫌われる存在だ。武装した敵兵士を殺す事は勿論の事、彼らは必要とあらば無辜の民間人であっても躊躇いなく殺める。略奪や放火の類も嫌悪感なく行う。

だからこそ七耀教会や遊撃士協会は猟兵という存在を忌避し、対立している。国によっては、猟兵を雇う事それ自体を犯罪として法律に記している国もあるくらいだ。

 

 そんな中で、唯一とっても良いほどに、あまりそれらの嫌悪の感情を向けられていない猟兵団がある。

 

 

 猟兵団≪マーナガルム≫。設立年代こそ約5年前と最近ではあるが、その打ち立てた戦功は大きい。

構成人数も一般的な中堅猟兵団とさほど変わらない規模ながら、西ゼムリア大陸を中心に数々の戦場を渡り歩いてきた一団。物量という側面から見れば最上級の猟兵団には劣るものの、構成員の質という面から鑑みれば、≪赤い星座≫とも渡り合えるのではないかとも言われており、その評判だけでも優秀であることが垣間見える。

 しかし彼らの名が売れている本当の理由は、イリーナが言った”正義の猟兵”という異名にある。

 

 彼ら≪マーナガルム≫が手にかけるのは武器を持った敵兵士のみ。民間人の虐殺・略奪・放火の類は設立以来一切行っておらず、それに準じた契約も一切行っていない。

あくまでも”戦闘者”として、殺すべき者のみを慈悲なく潰す。引き金を引く対象は自分たちと同じ戦場に立つ人間であり、無関係な一般人は仕事における埒外。故に殺さない。

 その信条を掲げ、それを現在まで貫き通しているからこそ、その異名がついたのである。

尤も、同業者からは”半端者””臆病者”と蔑みの視線を送られることもよくあり、教会や協会の関係者からも”狂人の皮をかぶった偽善者”と評価を下されることも少なくない。

だがそれらの評価を全く意に介さず信条を貫き続ける彼らを信頼する組織もまた、一定以上に存在する。

 

 しかしレイは、僅かな自虐の意も含んだ微笑を浮かべた。

 

「何を言っているのやら。人を殺して、手を血に染めた時点で正義もクソもありゃしないでしょうよ」

 

『否定はしないわ。それならその要因となる武器を売り捌く私とて正義とは程遠い。私もあなたも同罪なのだから、せめてそう嘯くくらいは自由ではなくて?』

 

「ま、それもそうですね。それと、言っておきますけどそういう話は直接奴らの団長にどうぞ。今現時点で大陸のどこで何してるかも分からない俺をパイプにしたところで効果は薄いと思いますよ」

 

『あら、そう? てっきりあなたが一声かければ集まるものだとばかり思っていたのだけれど』

 

「ジョークを言える程度には余裕があるみたいですね、イリーナ会長」

 

 深い関わりがある、という事実をいまさら否定はしない。そんな事は彼女の護衛を何度も務めていた時に根掘り葉掘り聞かれてしまった事だ。

だがそれでも、まるで()の猟兵団が今でも自分の私兵であるかように言わないでほしい。今の自分はあくまでも学生で、戦場とは今のところ縁がない身である。

最近そういった風評被害が激しいなと心の中で苦笑をして、続きを促した。

 

「それで? 二つ目の理由は?」

 

『そちらも単純よ。腕の良い専属の護衛を引きずり込んできなさい(・・・・・・・・・・・)とあの子に命じただけ』

 

「組織バックに外堀埋めにかかるイリーナ会長マジ容赦ないっすわ」

 

 それにしても言い方というものがあるだろうと思うのだが、なるほど確かに単純明快であるがゆえに分かりやすい。

もっとも、引きずりこまれる本人に言うべきことではないだろうとは思うが。

 

「今更俺にハニートラップなんか効かないって知ってるでしょうが」

 

『あの子があなたに抱いているのは偽りではなく本当の愛。私はその背中を押して尚且つ利用した。互いに不利益は蒙らない、交渉としては上出来な部類よ』

 

「物はいいようだと一瞬感心したんですけどそこに被害者の考えを念頭に入れてないあたりやっぱ鬼畜だなぁって思いました」

 

 彼女と浅い付き合いしかしていない人物は言うだろう。”鉄の女が、今更どの口で愛を口遊むのかと”と。

 しかしそれは誤解だ。イリーナ・ラインフォルトはその鉄面皮の下に人並みの情愛を隠している。それが向けられるのは実の娘であり、今は亡き自らの夫であり、会長の座を奪い取った父であり、そして専属メイドとして長く傍に侍らせているシャロンである。

だがそれを、イリーナは決して表に出そうとはしない。どこまでも合理的に、どこまでも冷徹に、実力主義という名の具現化を体現するために抱え抑えて生きている。

 故に、鬼畜であっても外道ではない。

レイが信頼を寄せるのに、それ以外の条件など必要ない。

 

「応えられるかは不明瞭ですよ」

 

『構わないわ。こちらとしても後者はついでのようなものだから』

 

 どうだか、と、内心で呟く。

 

「まぁ、努力はしましょう」

 

『えぇ』

 

 その言葉通り、確約などは何もない。

 だが慕ってくれる異性を無碍にするほど屑でもない。しかしどうしたものかと悩みながら、夜の静寂を破らないようにそっと受話器を置いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 試験終了のチャイムが鳴ると共に、全員の体から緊張感が抜け落ちた。

中間試験の日程は都合三日。その期間に合わせて研ぎ澄ました緊張感をできる限り張り詰めていたため、他のクラスの生徒に「お前ら何? 戦場にでも行くの?」と恐れられた事は記憶に新しい。

 一般的に中間試験、それも一年時のものといえば、慣れてきた学院生活の中で過度な弛みを許さないようにという思惑と、真面目な生徒に試験というものの重要さを知らしめる、所謂”お試し”であるという側面もある。それを知ってなお侮って本気を出さず、結果期末試験で雪辱を晴らすという残念な事になる生徒も間々いたりと、ある意味で悲喜交々な行事ではあるのだが、Ⅶ組の面々は違う。

 

 全員が全力で挑んだ。燃え尽きるほどに。

お試しの行事? 期末試験がある? そんな事はどうだっていい。点数別の順位でより高みへと至りたいという願望はもちろんあるが、彼らの背中を容赦なく突き飛ばしたのはフィーの存在だ。

 

 仲間に負けることが恥だとは思わない。恐らく悔しさは感じるだろうが、切磋琢磨できる存在がいるということはとても僥倖な事だ。

だがそれと、実際に負ける事とは話が別だ。フィーの成績は入学当初の時点で恐らく一年の中でも底辺に近かった。それが今回猛烈な追い上げを見せてきたのだと分かれば、前を走っていた面々とて悠長にペースを保ってなどいられない。

背水の陣、という諺とは少しばかり意味が違うが、やってる事は同じだろう。むしろ背後から猛スピードで迫ってくるという時点で難易度は更に跳ね上がっている。

油断をし、侮れば呑まれる。Ⅶ組は一様に奮起した。

その結果―――

 

 

「……終わった」

 

「どっちの意味で?」

 

「ポジティブな方」

 

「同感」

 

 精神的にグロッキーになっていた。レイとフィーという、常人の精神力メーターを振り切る二人を除けば、だが。

 

「起きろお前ら。まだLHRが―――あー、いや、もういいか、メンド臭ぇ」

 

「寝たい」

 

 しかしそんな二人も、それぞれの本心を口にする。

特にフィーの方は、今まで戦場でしか発揮してこなかった集中力を三日間に渡って維持してきたのだ。精神力は高いが、肉体の方はそうもいかない。

レイの方は単純に、心根の問題だが。

 

「はーい、お疲れ様ー……ってもうグロッキー?」

 

「やり切りました。悔いはありません」

 

「もしかしたら入学試験より本気で挑んだかもしれないな」

 

 教室に入って来たサラの声にテンションがワンランクダウンした声で応える面々。

 

 切っ掛けはどうであれ、集団の中での個々人の高め合いというのは効果的だ。それも常に寮で寝食を共にしている面々ならば尚更であり、今回は図らずもそれを証明した形になる。

代償として倦怠感は覚えるが、それと引き換えに好成績が残せるのならば安いものだろう。少なくともレイはそう思っていた。

 

「はいはい、ダルいのは分かるし私だって同じだからLHRはとっとと済ませるわよ。まず明日は―――」

 

 そう言って説明を始めるサラもどこかやる気がない。恐らくこれから行われるであろうテストの採点という名の苦行に憂鬱しての事だろうが、正直関係ない。

数日くらいは酒を断って真面目に過ごしてくれれば、レイとしても酔っぱらいの相手をしなくて万々歳なのだが、そうも行かないだろう。

 ともかくやる気のない担任教官とやる気が抜けた生徒のどうしようもないグダグダな時間は、宣言通り五分程度でお開きとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 普通の学生ならば、テスト明けの時間というのは各々羽を伸ばすために使う事が多い。それは士官学院であるトールズでも例外ではなく、学院を出てく学生の中には気晴らしに部活動へと赴いたり、気分を入れ替えるためにカフェに行ったりと思い思いに過ごす光景が目に入るのだが、ことⅦ組においては例外であり、全員が寮への帰宅を選んだ。

テスト前では滅多にない、十人全員での帰宅の道中で、思わず安堵の声が漏れる。

 

「ん~、やっと終わったね」

 

 背伸びをしながらのエリオットの言葉に全員が同意した。

 

「ホントに疲れたわね。肩が凝るなんて初めての経験だったわ」

 

「学生たる者本分は勉学だということは理解していたつもりだったが、まさかここまで真剣に取り組むことになろうとはな」

 

「まぁ、その分いい経験はできただろう。僕も今回は満点の自信があるが……エマ君はどうだった」

 

「ふふっ、私も少し自信がありますよ」

 

「ガイウス、古典の読解は解けたのか?」

 

「あぁ、ユーシスのおかげで問題はないはずだ」

 

「寝たい」

 

「レイ、さっきからフィーが”寝たい”としか言ってないんだが大丈夫なのか?」

 

「委員長、寮に帰ったらコイツすぐにベッドに放り込んでやって。気合いで動いてる状態だわ」

 

 他愛のない会話をしながら駅前広場を通り過ぎ、寮への一本道に入る。

そして一同のその視線の先には、寮の玄関前で淀みない動きで掃除をしている新管理人、シャロンの姿があった。

 

「あら皆様、お帰りなさいませ。昼食の支度はすでにできておりますが……どうやらフィー様はお部屋にお運びしたほうが良さそうですわね」

 

「頼む。多分夕食時まで起きねーと思うけど」

 

 レイがフィーの手を引いて預けると、シャロンは柔和な笑みのままに彼女を抱きかかえる。

その行為に安心したのか、フィーはそのまま瞳を閉じて寝息を立ててしまった。

 

「うふふ、何とも可愛らしいお姿ですこと」

 

「限界まで集中力を酷使してたからな。俺らはともかく、コイツには少しキツかったんだろう」

 

「ではフィー様をお部屋までお運びして参りますので、皆様方は食堂の方でお待ちくださいませ。―――お嬢様、昼食はお嬢様のお好きなカルボナーラをご用意しておりますわ」

 

「あ、ありがとうシャロン」

 

 では、という一言と、恭しい一礼をしてから、シャロンは寮の中へと入っていった。

 

 

「……シャロンさんが来てからもう三日になるのか。何というか……直ぐに馴染んじゃったな」

 

「まぁシャロンはどこに行ってもあんな感じだから。まず間違いなく母様の差し金なんだろうけど……何でかしらね、怒る気が起きないわ」

 

「大方、怒るほどのものでもないと理解したのだろう? レイ(コイツ)とサラ教官に振り回されていれば、その程度のこと些事にしかならん」

 

「それね」

 

 ”考えるだけ無駄”という、凡そ十代の女子らしくもない境地に至ってしまった事にアリサは軽い自虐感を覚えたが、正直な話ユーシスの指摘通りなのだ。

トールズに入学した当初はそれこそ、ファミリーネームを隠すほどに実家への反抗心があったアリサだったが、ケルデッィクでの一件を乗り越え、実技演習で扱かれ、更に日に日に色々な意味で逞しくなっていくクラスメイトに流されるようになってから、彼女自身の胆力も随分と鍛えられた。

 実家との、更に限定して言えば母親との確執は未だ残っている。だが、それをただ引きずって悶々と過ごす選択を、今の彼女がとるはずもない。

 結果、シャロンの事は早々に受け入れた。

早くに父を失い、一人っ子だったアリサにとって、シャロンは姉、つまり家族のようなものだった。

仕事に忙殺される母親の代わりにアリサに教養を身に着けさせたのは祖父とシャロン。アリサが9歳の頃からラインフォルト家に仕えるようになった彼女の事を心の底から信頼するのは当たり前のことだろう。

故に、彼女に不満などあろうはずもない。

メイドとして最上級の腕前を持っているであろう彼女が来たことで家事の一切を取り仕切っていたレイの負担が減るという利点があるのも勿論の事、アリサ個人も彼女に聞きたいことはあった。

 

 やけに似ているのだ。

頼んでもいないのに世話を焼くところ、家事を妥協なく行うところ、こちらの心を見透かすような言動をするところ―――無論異なる点など挙げてしまえばキリがないのだが、以前ケルディック実習の際に思わずレイに溢した言葉を、今になって再確認した。

 レイ・クレイドルと、シャロン・クルーガー。

 初対面ではないという事は分かっている。仮にも母親であるイリーナの護衛を何度かしていたというのならその過程で彼女と顔を合わせないというのは逆におかしい。

だがそれを差し引いても、あの二人の距離はやけに近い気がするのだ。

 そんな事を気にするのは、別にアリサがレイに懸想をしているというわけではない。要はミステリアスな姉のプライベートが気になる妹の感情であり、それ以上ではない。

しかしそれでも、一度気になってしまえば忘却するのは不可能なのだ。

 

「ど、どうしたんだアリサ。一人百面相みたいになってるぞ」

 

「へ? あ、いや、何でもないの。そう、何でも―――」

 

 と、そこで妙案を思いついた。

声をかけてきたのは、Ⅶ組の生徒の中で一番レイに近しいであろうリィン。彼もおそらく、二人の関係は少なからず気になっているはずだ。

 

「……ねぇ、リィン」

 

「? 何だ?」

 

「ちょっと、付き合ってくれない?」

 

 だからアリサは、罪悪感など欠片も抱かずに、お人好しな仲間を巻き込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 ラインフォルト家の専属メイドというのは、実はシャロン以外には存在しない。

 というのも、そもそも貴族ではなく、巨大会社の経営者の一族という身分であるこの家系は特段大きな屋敷を居住地として構えているわけではない。自宅はルーレにある本社ビルの高層階であり、使用人を何人も侍らせるほどのスペースではないというのがまず一つ。

そしてもう一つは、産業スパイを警戒しての事だ。

導力車や大型の機械などを製造すると同時に軍の兵器を製造して売り捌いているRF社は、他の会社に比べて潜入してくるスパイの数が多い。

だが辣腕であるイリーナはそれすらも逆手にとって未だ大きな損害を出さずに経営を続けているのだからその手腕の高さは推して知るべしなのだが、それでもわざわざプライベートにまで警戒心を張りたくはない。

 その点、シャロンは実に重要な存在であったと言える。

 出自が明確であるために疑う必要はなく、メイドとしての技量もさることながら秘書としての腕前も申し分ない。

イリーナとしては良き仕事のパートナー。アリサからすれば良き姉にして憧れの存在。

未だ齢は20を少ししか過ぎていないというのに、あらゆる仕事を完璧に、かつ優雅にこなしてみせる。

一家全員が”シャロンがいれば大丈夫”と思うように至ったのは、そう最近の事ではない。

 

 

 

「鍛練お疲れ様でございます、ラウラ様。タオルをお持ち致しましたので宜しければお使いくださいませ」

 

「あぁ、申し訳ない」

 

 

「エリオット様、バイオリンの弦が少々緩んでいたようでしたので矯正をさせていただきました。後でご確認ください」

 

「え? あ、ありがとうございます」

 

 

「ガイウス様、先日群青の絵の具のチューブを切らしておられたそうなのでご用意致しました」

 

「そういえば……いや、感謝します」

 

 

 試験の呪縛から解き放たれて、寮で趣味や日課に勤しむⅦ組一同。

そんな中でのシャロンのサポートは恐ろしいまでに的確で、優秀の枠を突き抜けてその上を行っていた。

 どこからともなく、それこそ雲が空を漂っているかのような自然な在り様でありながら、いつの間にか望みを叶えるためにそこにいる。

決して出過ぎた真似はせず、あくまでも軽く背中を支え、影の如く付き従える。そこには僅かな粗もなく、あらゆる仕事をただ無謬にこなしていく。

 

 凄くなったものだと、レイは自室の机の上でペンを回しながら感動していた。

 

 

「いやはや、シャロン殿の仕事ぶりはいつ見ても美しいものです。超一流とは、ああいう事を言うのでしょうな」

 

「ま、そうだろうな。あれならどんな大貴族の家からも引く手数多だろうよ」

 

 机の脇にちょこんとぬいぐるみの状態のまま座ったシオンが、主の気持ちを代弁する。

それに対してそっけない反応を返したレイだったが、それも予想していたと言わんばかりに続けた。

 

「嬉しいのでしたらお伝えになられてはいかがですか? 主とて、思うところがないわけでもありますまい」

 

「深読みするなよ。そこまで久しぶりに顔を合わせたわけでもねぇんだから」

 

 また何とも分かりやすいと、シオンが心の中で嘆息していると、自室の扉が控えめにノックされた。いつもの癖で気配を探ってみたが、リィンではない。

 

 

『シャロンでございます。レイ様、少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか?』

 

 噂をすれば本人が来たというこの状況に一瞬だけ焦ったが、すぐに平常を取り戻す。

 

「あぁ、大丈夫だ。入って来いよ」

 

『失礼致します』

 

 そう言って、いつもの服装いつもの雰囲気のシャロンが入ってくる。ドアノブを捻る音、開けた際の扉の軋む音などを一切出さずに入ってくるあたり、やはり一流だと、そう思った。

 

「……思えばこうして面と向かって時間がある中で話すのは結構久しぶりかもしれないな」

 

「ふふ、左様でございますわね。シオン様もお変わりないようで嬉しゅうございます」

 

「シャロン殿もな。色褪せぬその手腕も健在でなによりだ」

 

「光栄でございます」

 

 軽い挨拶を交わしたところで、シオンがぬいぐるみのままふわりと浮いた。そのまま浮遊すると、窓に手をかけて開け放つ。

 

「さて、今少し談笑したい気持ちはありますが、どうやら私はお邪魔の様子。屋根の上で日向ぼっこでもして参りましょう」

 

「変なところで気が回るよな、お前」

 

「式としては当然の事。ではシャロン殿、また後程」

 

「えぇ。また後程」

 

 そんな言葉を残して開いた窓から外へと出ていくと、再び窓が閉まる。

風の音も聞こえなくなり、僅かな間静寂が訪れた。

 

 

 

「……シャロン」

 

「はい」

 

 長く言葉を交わす必要はない。レイの言葉に答えると、シャロンはスッと、頭の上に乗せたホワイトブリムを取った。

その後にシャロンが見せた笑み。それはメイドとしての彼女のそれではなく、ただ一人のシャロン・クルーガーという妙齢の女性のものだった。

 

 

「うふふ、やはりレイさんと話すときはこちらの方が良いですね」

 

 丁寧な物腰は変わっていない。相手を立てる謙虚さも変わっていない。

しかしそれでも、普段の彼女の言動を見ている人間からすれば、それは大きな変化だという事が分かる。

僅かばかりに砕けた口調と態度。それは彼女がラインフォルト家に仕えるようになってから、基本的にレイにしか見せていない一面だ。

 

「アリサが今のお前を見たら、驚くどころの騒ぎじゃないだろうな」

 

「私としてはお嬢様のその様子も見てみたいですけれど、それでも控えておきましょう」

 

「? 何でだ」

 

「この私は―――あなたにだけ見せる私ですから」

 

 蠱惑的に微笑むその姿に、心臓の鼓動がわずかに跳ね上がったのは言うまでもない。

 男というのは独占欲の強い生き物だ。特に異性に関しては、その特性が顕著になることが間々ある。そしてそれは、恋愛感情というものに縁が薄いレイであっても例外ではない。

 ”あなたにだけ見せる私”―――その言葉に平静を崩されたのがその証拠だ。

 

「……お前は本当に相変わらずだな。確かに付き合い自体は長いが、そこまで俺に固執しなくてもいいだろうに」

 

「そう言うレイさんも相変わらずですね。他の女性にも、そう言って来たのでしょう?」

 

 言葉に詰まる。確かにその通りだ。反論のしようもない。

 察しの良さ、とりわけ人の心を汲み取る力にシャロンは長けている。それはメイドとして奉仕する生活の中で鍛え上げられたのだろうが、昔の彼女(・・・・)も人並み以上の洞察力を持ち合わせていた。そしてそれは、レイにも言える。

 

 そうでもないと生き残れない世界に居たのだ。

今こうして平和に話し込んでいる時間ですら、かつての時では考えられない。そんな世界に。

 

「妬けてしまいます」

 

 キシ……という僅かな軋みの音を伴って、シャロンが部屋のベッドの上に腰掛ける。

 

「あなたに命と心を救われたのが私だけではないというのは、嬉しくもあり、寂しくもあるんですよ」

 

「我武者羅にやってた結果だ。自分が救ったなんていう自覚すらなかった」

 

「それでも、あなたを慕う方は多いのですから」

 

 ふわりと、シャロンの髪が小さく揺れる。シオンが閉めていったはずの窓は、しかし僅かに開いており、梅雨の最中の晴れ間に吹く暖かい風が入り込んできた。

 

「勿論、私もその一人です。このシャロン・クルーガーは、今でもあなたをお慕い申しています」

 

「ぁ……―――」

 

 その言葉に、男として何か言葉を返さなければならないと思って口を開いたが、立ち上がったシャロンの白魚のような指が、レイの口元を抑えて塞いだ。

 

「お返事は要りません。今のあなたがそういう想いに応えられないという事は分かっていますから」

 

 どこか達観したようにそう言ったシャロンだったが、生憎とレイには分かっていた。

変わらず浮かべている微笑み。その笑みの中に、どこか哀愁にも似た感情が混ざりこんでいた事を。

 

「…………」

 

 どこまでも酷い人間だという自覚はある。男として、惨めで悪辣だということも。

そも女性にこんな表情をさせてしまう時点で落第点だ。この状況で気の利いた言葉の一つでも囁ければどれ程良いだろうかと思う。だがそれができる人間、きっとそれは自分ではないのだろう。

 再確認する。自分の心の中に打ち込まれたままの楔。それがどれほど大きな物なのかという事を。

シャロンだけに限った話ではない。彼女らの想いを無下にし続けてまで歩いているこの道は、確かに茨道だ。歩く度に足も腕も顔も、それこそ全身を傷つけていく。

 だがその起源が幼い頃に体験した地獄にある限り、歩みを止めない。止めるわけにはいかない。

自分だけが幸せになるわけにはいかない。それだけは絶対に、あってはならない事なのだから。

 

 

「俺は馬鹿だぞ」

 

「知っています」

 

「俺は屑だぞ」

 

「それがどうかしましたか?」

 

「慕ったところで何も良いことはないかもしれない」

 

「そんな事は承知の上で慕っているに決まっているじゃないですか」

 

 強い女性だ。本当に、自分とは釣り合わない。

サラも、クレアも、何故ここまで強く在れるのか。

 単に重ねた年月がそうさせたのではないという事は分かっている。自分は、自分の中で決定的に壊れているナニカを直さなければそうは思えないのだから。

 

 

「……ありがとう」

 

 だから、今言えるそれだけを、レイは偽らず口にした。

シャロンはそれに言葉を返すでもなく、頷くでもなく、ただレイを抱きしめる事で答えとする。

時間にして一分もなかったが、自虐の念で傷ついた心を癒すのには、充分な時間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、と」

 

「はい」

 

 レイがシャロンから離れ、ゆっくりとイスから立ち上がる。それを合図に、シャロンは再びホワイトブリムを頭に乗せ、両脇のリボンを結ぶ。

かくして彼女はメイドへと戻り、それを確認してからレイは―――扉の鍵を開けて勢いよく開け放った。

 

「がふっ‼」

 

「り、リィン⁉」

 

 扉のすぐ近くで聞き耳を立てていたのは、先程仄暗いことを企んでいたアリサと、それに巻き込まれたリィン。

しかし位置的な問題で急に開け放たれた扉の直撃を側頭部に食らったのはリィンだけだった。

 

「さぁて、盗聴の真似事をしくさってくれたお前らにはどういう仕置きをしてやろうか。なぁシャロン」

 

「うふふ。お嬢様、淑女たる者出歯亀のような真似をなさってはいけませんわ。では少々こちらに」

 

「ちょ、ちょっと待ってシャロン、いつになく笑顔が怖いんだけど‼ ご、ごめんなさい‼ 謝るから許してー‼」

 

 あくまでも暴力的ではなく、しかし確実な手法でアリサを連行していくシャロン。

その様子を見ていたリィンは、その無駄のなさに顔を青くしていた。

 

「さて、残ったのはお前だが……」

 

「すみませんでした」

 

 アリサの末路を見て恐ろしくなったリィンは言い訳をするという過程をすっ飛ばして土下座をしていた。

その一分の隙もない完璧な土下座に思わず吹き出しそうになってしまったが、ギリギリで平静を保つ。

 

「分かってるから顔上げろ。どーせアリサに巻き込まれてたんだろ?」

 

「い、いやまぁ、それはそうなんだが」

 

「それに、内密な話を外に漏らすなんてヘマをするはずがないだろうが」

 

 二人が聞き耳を立てていたのは、シャロンが部屋に入ってきてからすぐの事だ。その気配は完全にバレバレだったし、だからこそシャロンも扉から離れたベッドのそばで話を始めたのである。

一枚も二枚もこちらの方が上手。隠密の技量で、自分たちを上回れるはずがない。

 

「俺とシャロンの関係が気になるんなら本人に聞け。案外普通に話してくれるかもしれんぞ」

 

「レイは話してくれないのか」

 

「男はそういうの話すのは苦手なんだよ」

 

 照れ隠しも交えてそう言ったレイの姿は、何故だかリィンにはとても”男らしく”映っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 私は小説の中で報われない恋心を見るのがあまり好きではありません。それが自分の書いている小説であるならば尚更です。

 つまり何が言いたいかって言うと、バッドエンドとかないので。幸せにしてあげたいので‼


あ、それと、シャロンさんへの愛が深すぎて気づいたらイラストを描いていました。
コレジャナイ感がそこはかとなく漂っていますが、大目に見ていただけるととてもとてもありがたいです。


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