英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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「チェスでさえ先攻と後攻がある。対等な勝負なんてありえない」 
by クルト・アーヴィング(戦場のヴァルキュリア3)







凄愴の敗戦

「ん」

 

「ん?」

 

「”ん?”じゃありませんわ‼ このわたくしが、”わざわざ”昼食を作ってきてあげたのですわよ‼ 何か言うことは―――」

 

「この卵焼きコゲすぎじゃね?」

 

「第一声がそれですの⁉ ちょっとルナ‼ あなたからも何か言ってやって下さいまし‼」

 

「どれどれ……うわー、デュバリィ、ちょっとこれはないですわー。せめて人に食べさせるならもうちょっとマトモな形になってから出すべきだと私は思います」

 

「そもそも料理初心者が手ぇ出すなら卵焼きよりスクランブルエッグとか、そこらへんだろ。いやまぁ食べるけどさ」

 

「揃いも揃ってわたくしをディスり過ぎじゃありません⁉ い、いいですわよ。そんな無理して食べなくとも……」

 

「精一杯努力して作ったんだろ? だったら食うよ。お前に悪いし」

 

「う……ま、まぁ、そこまで言うのなら」

 

「まぁ晒し者にはするけどな。おーい、アイネス、エンネア。こっち来いよ、面白いモンがあるぜ」

 

「何かしら? ……あぁ、成程ね」

 

「何だこれは? 魔獣用の毒物トラップか何かか?」

 

「オニ‼ 悪魔‼ やっぱりあなたに情けなど掛けるべきではありませんでしたわッ‼」

 

「悔しかったらいつか俺の舌を唸らせてみろ。できるものならなぁ‼」

 

「きぃぃ―――っ‼ いいですわ‼ いつかあなたをギャフンと言わせてみせますから覚えていなさい‼」

 

 

 

「相変わらず言動の小物臭がハンパないですねー」

 

「戦ったら普通に強いんだけどなぁ。ルナ、あいつが変に捻じ曲がったりしないようにちゃんと見てやっててくれないか?」

 

「分かってますよ。あれでも一応同期ですから」

 

「サンキューな。……それはそうとコレお前も食べろ。案外イケ……なくもないような気がしないでもない」

 

「……やっぱり罰ゲームじゃないですか、コレ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 目が覚めると、そこには満天の綺羅星が散りばめられた夜空があった。

 

 季節はもはや夏に差し掛かろうというのに、やけに肌寒い。しかし今の自分の状況を改めて理解すると、納得はできる。

軽く身じろぎをすると、頭の下の柔らかいモノの感触が如実に伝わってくる。幸福感というよりかは安心感を覚えたのと同時に、自らの式神である女性が顔を覗き込んできた。

 

「おや、お目覚めですか? 主」

 

「……おっかしいな。確か俺寝た時は大岩に寄りかかって寝てたと思うんだが、何でお前の膝の上にいんの?」

 

「何を仰いますか。何の邪魔もなく主を可愛がり―――ゲフンゲフン、我が命を預けた大切な主を岩場になど寝かせられません。えぇ、そうですとも」

 

「……どうでもいいけど前屈みになるな。胸が邪魔でお前の顔が見えん」

 

 異性どころか同性をも魅惑するその胸部を邪険にするその姿は、他人に見られれば非難の嵐は免れないだろう。だが生憎と、今ここには彼ら以外に人はいない。

 否、人どころか生物の一体すらも見当たらない。標高がそれほど低くない山の山道から見渡してみても、それらしきものを探り当てる事はできなかった。

レイはシオンの膝の上からどいてむくりと上体を起き上がらせる。直後、クラリと平衡感覚が乱れて体勢を崩すも、右手を地面につけて支えとすることで再び倒れこむ事を防いだ。

 

「無様だな。一撃掠っただけでこの有様だ。やっぱり衰えてやがる」

 

「……あまりご自身を責められませぬよう。既にリィン殿たちの下へ式を向かわせました。せめて今宵は体力の回復に専念したほうが宜しいかと」

 

「分かってる。ありがとな、シオン」

 

 そう言いながらレイは、自分の左腕に巻かれた包帯を見やった。昼間に負ったその傷は外傷こそ既に塞がっているが、体内に入り込んだ”モノ”まではまだ駆逐できていない。

シオンの諫言通り、まずは体力を取り戻すことが先決だと理解して、再び地面に横たわった。

 すぐ近くには山が見える。山岳地帯の中間部であるここは、凡そ開放感とは無縁だった。

一体どれほど先にリィンたちが赴いた場所があるのだろうか。そんな詮無き事を思ってしまうあたり、随分と弱気になってしまっているらしい。

 

 

「随分と懐かしい夢を見た」

 

「ほう」

 

「”アイツ”が来たから思い出したんだろうな。あのアホは未だに料理なんぞ作れないだろうが、それでも、うん、思い出せて良かったとは思ってる」

 

 回顧するのは、何年も前の出来事。完全な闇の世界に身を窶していた頃の、一時の平和なやり取り。

あの時はまさか、学生となって級友と共に時間を過ごすなどという自分の未来像など想像していなかっただろう。

毎度イジり倒してきた戦友の顔を思い出して苦笑すると、レイはゆっくりと立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

「あー、それ私も覚えてますよ。筆頭が初めて料理した日の事でしょう? 笑おうにも笑えませんでしたからねー、あの時は」

 

 

 

 

 

 途端、背後から声を掛けられたが、レイに警戒の色はなかった。

振り向いた先に立っていたのは、白銀の軽装鎧を纏った一人の女性。傍らに一角を有した白金の馬を侍らせたその人物は、柔和な笑みを浮かべて二人に近づいてくる。

 

「よぉルナ。警護しててくれたのか?」

 

「はい。レイ君に何かあったら私の責任問題ですから。いやぶっちゃけ、本気で副長に八つ裂きにされかねないんですよね……」

 

 労苦の加減が一目で分かる悲哀の表情を浮かべて恐らくキリキリと痛んでいるのであろう胃の辺りを鎧越しにさするルナを見て、レイが同情の視線を向ける。

 

「あー、その、あれだ、ドンマイ」

 

「同情するならこの役目変わって欲しいんですよねぇ……ホント、ストレスで髪が抜けたらどうしてくれるんでしょうか副長は」

 

「ルナフィリア殿、目、目からハイライトが消えておりますよ」

 

「精神ぶっ壊れ一歩手前だな、コイツ」

 

 奔放な上司を持つ社畜もかくやという程の精神状態を見せつけられながら、この異質な三人組は北方の山岳地帯にて夜を明かす。

 

 そのきっかけとなった出来事が起こったのは、今より数時間前の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  【6月 特別実習】

 

 

 

 

 

  A班:リィン、アリサ、エマ、ガイウス、レイ

  (実習地:ノルド高原)

 

 

 

 

 

  B班:ユーシス、マキアス、フィー、ラウラ、エリオット

  (実習地:ブリオニア島)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろ俺とリィンは別行動にしてもいいんじゃねってのは建前で遺跡島行きたいんだけどどうにかならない?」

 

「おいちょっと待て建前バラすの早過ぎないか? 流石に少し傷つくぞ」

 

「だからアタシにはどうにもなんないって言ってんでしょうが。それよりアンタら相変わらず仲良いわね。さっき文芸部の部長がアンタたちを見て鼻血噴出しながら印刷所に行ったわよ」

 

「「悪い(すみません)ちょっと急用を思い出した(ました)‼」

 

 

 

 ―――と、そんなやり取りがあってから数日後。

 レイたちノルド行き一行は、駅の中で軽くいがみ合っているユーシスとマキアス、視線をあまり合わさずに黙り込んでいるフィーとラウラ、その板挟みにあって憂鬱とした表情を浮かべているエリオットらB班を横目にまずは帝都行きの列車に乗り込んだ。

 

 ノルド高原は、帝国北東部に位置する、帝国国境を越えた先にある大高原地帯。つまりは外国である。

辺境の地の、そのまた辺境であるといっても差支えのないそこは、当然辿り着くまでにも相応の時間を有することになる。

ルートとしてはまずトリスタから帝都へ赴き、そこからルーレ行きの急行便に乗り換える。そこまでは普通の旅路だが、問題はここから先。

 帝国の北東国境線、ゼンダー門までは通常列車が行き来しておらず、ルーレ市から先は軍の貨物列車に便乗させて貰う事となっていた。

到着までの所要時間は約10時間。大凡半日以上も列車に揺られるという経験をすることになる一行は、ガイウス以外、道の旅路に少々緊張していた。

 

 

「はぁ……空気が重い」

 

「弱音を吐くな、阿呆。あの二人とて常識は弁えている。最悪の事態にはならないだろう」

 

「そうだといいんだけどねぇ……」

 

 帝都までは同行したB班の面々の内、男子三人組が帝都ヘイムダル駅の構内で愚痴を漏らした。

その対象となっているのは、ラウラとフィーの二人の存在だ。互いを露骨に避けているわけでもなく、一言二言の会話は普通に成立するのだが、どうにもその後が重い。

と言っても、フィーは普段からそこまで話題を振るようなタイプではないし、ラウラとてそこまで無駄口が多いわけでもない。一見すると普通の光景に見えるのだが、張り詰めた空気の形容し難い重圧感が班内の雰囲気を真綿で締めるようにキリキリと下げていく。今はまだ耐えられるレベルだが、これから数日昼夜問わず背中を預ける身としてはどうにも不安感が拭いきれない。

 

「……心情は察するよ」

 

「まぁ、何かあってもお前ら二人(ユーシスとマキアス)程深刻な事態にはならねぇだろうさ。変に気負い過ぎないで、いつも通りやって来い」

 

「……当事者なのに少し安心してしまった自分が嫌になってくるよ」

 

 マキアスが嘆息すると、エリオットが半ば強引に話題を変えようと、ガイウスに向き直った。

 

「で、でもガイウスの故郷かぁ。帰ってきたらお土産話、期待しとくね」

 

「あぁ。任せておいてくれ」

 

 鷹揚と頷くその姿に少しばかり安心した面々は、最後に再び互いを鼓舞する言葉を交わしあった後、それぞれの目的地へと向かう列車のホームへと向かうために別れる事となった。

 

 ルーレへ向かうA班が北方への急行便に飛び乗ったのはそれから数十分後。

目的地到着まで約2時間。その間に朝食を摂っていなかった5人は、今朝方寮を出る際にシャロンが持たせてくれたサンドイッチと水筒に入ったホットレモンティーに舌鼓を打ちながら、他愛のない会話を交わす。

 

「しかし、本当にシャロンさんの料理は美味いな」

 

「そうですね。サンドイッチ一つにもおいしくするための工夫が幾つも感じられます」

 

「前から気になっていたんだが、シャロンさんとレイはどちらの方が料理上手なんだ?」

 

 ガイウスの口から出た何気ない疑問に、リィン、エマ、アリサは”そういえば……”という表情を浮かべてレイに視線を集めた。

その当の本人は一口サイズに残ったサンドイッチを口に放り込んで咀嚼した後に、一瞬考え込むような素振りを見せてから首を僅かに傾けた。

 

「考えたこともなかったな。そもそも俺やシャロンは別に専門店で料理作ってるわけじゃないからそういうライバル心的なものには疎いんだよ。大事なのは如何に限られた時間で最高に近い料理を作って食う側に”美味い”と言わせられるかどうかだからな。逆を言うとぶっちゃけそれしか考えてねぇから他人との腕前の差異に興味ない。アイツは俺が作れない料理を作れるし、俺はアイツが作れない料理を作れる。明確に差があるとすればそこしかない」

 

「へぇー。シャロンに作れない料理なんてあったんだ」

 

 少しばかりズレた所に反応したアリサ。

しかしそれもそのはず。シャロンの料理の腕前を9歳の時から知っている彼女にとって、そちらの方が興味を持てる。

 

「中華料理以上に特別な技法が必要だったりするからな。モノは俺の……というか俺の先祖が暮らしてたカルバードぶち抜いて更に東に行ったところにある場所の伝統料理だ」

 

「すごい興味がありますね」

 

「材料がないから完璧な再現が難しい。昔は時々作ってたんだがなぁ」

 

「? 昔?」

 

「あぁ、いや、コッチの話」

 

 そこでレイは、ここでその話は終わり、とでも言いたげにレモンティーを一啜りした。

それを察したリィンは、食後の時のために持参した飴を口に入れてから、アリサへと視線を移した。

 

「そう言えばルーレはアリサの故郷だったよな。一時的に寄るだけとはいえ、一応帰郷ってコトになるのか」

 

「あー、うん、そうなるわね」

 

 帰郷とはいえ、半ば家出も同然で飛び出してきた身の上だったため、あまり気乗りはしない。歯切れが悪くなったのもそのためだった。

とはいえ今から考えてみれば当時の自分の行動も全て母親の手の平だったという感覚が拭えなくなって来たため、忌避感はそれ程でもないのだが。

 思えば反抗期にしても青過ぎたなとは思う。相手は身内の贔屓目なしでも、帝国産業の一翼を担う傑物だ。そんな人物の目を、世間も碌に知らないような小娘が出し抜けるわけがないというのに。

 

「……まぁ、故郷に帰り辛いって理由があるのは、何となく分かる。俺にもそういう思いがあったりするからさ。それで、アリサが居辛いって言うなら早めにルーレは出立しよう。三人も、それでいいか?」

 

「あぁ、異論はない」

 

「そうですね」

 

「構わねぇけど、メシ買って行こうぜ。餓死するぞ」

 

 ある意味自分の我が儘に二つ返事で了承してくれた仲間たちを見て、くすりと笑う。

 いつだってそうだ。Ⅶ組という場所は他人の心の傷口を余程の事がない限り探ってはこない。それはアリサにとってはありがたかったし、恐らく他の面々にとってもそうだろう。

そんな中でも、リィンとレイの二人には様々な場所で助けられた。

母親と、そしてシャロンと面識のあるレイには既に最初から身元は割れており、特に抵抗もなく自分に接して来た。オリエンテーション以来、ギクシャクしていたリィンとの仲を回復させようと色々してくれた恩人でもあり、その点に関しては深く感謝している。まぁ、それとスパルタ特訓の恨みはまた別問題なのだが。

 だが、リィンに感じている感謝の念は、また別物だ。

出会いはそれこそ最悪だった。不可抗力とはいえ不埒な事をされた挙句に強烈な張り手をお見舞いし、以降はどうにも煮え切らない関係がずるずると続いてしまったものだった。

切っ掛けがあれば謝ろうとも思っていたのだが、その切っ掛けが掴めない。レイのさり気ないフォローも見て見ぬ振りしてスルーした結果、結局特別実習の日までその関係が維持されてしまったのだ。

 お人好し、という言葉が二人には似合う。しかしその内容が二人の間では異なると、アリサは思っていた。

 

 レイのお人好し具合は、言ってしまえばシャロンから滲み出ているそれと同じ種類のものであり、具体的に言えば庇護欲の一部だ。見過ごせないから、しょうがないからと自分を納得させて世話を焼く。それがありがたいというのもまた事実だが、どうにも彼は自分達と同じ立場にはいない(・・・・・・・・・・・・・)ように思えて仕方ない。

一体それが何を示しているのか、はたまた自分の勘違いなのかは定かではないし、それを聞き出そうとも思わない。それは恩人に対する、アリサのせめてもの礼儀だ。

 一方リィンのお人好し具合はレイとは違い、自分たちと同じ目線からのそれだ。困っているから、助けを求められているからと、理屈云々より先に行動し始める類のもの。親切心と言い換えてもいいかもしれない。

それに安堵感を覚えた。勝手ながら、彼は自分とどこか近しいのだと、そう思えるようになったのだ。

 

 しかし、アリサが現段階で自覚しているのはここまでである。

彼女が色々とリィンに対して頭の中で人物評価を更新している間、手持無沙汰になったレイは彼女の横顔をそれとなく観察していた。そこで分かったことはただ一つ。

 

「(おーおー、随分と楽しそうな顔しちゃってまぁ)」

 

 嬉しさが内面から滲み出たかのような笑みが隠しきれていないアリサを見て、レイは内心で苦笑した。

 さてどうしたものかと考える。今まで散々人の女性関係やらを嗅ぎまわってくれた本人が自分の感情に気づいていない。これをどう弄ってくれようか。

ひとまず実習が終わって寮に帰ったらシャロンと悪巧みの相談をしよう。そう考えてレイは、背もたれに寄りかかったまま静かに目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

「それで? アリサの方はどうなの、シャロン」

 

「はい会長。ご心配されなくとも大丈夫ですわ」

 

 

 RF社本社ビル。その中でも代表取締役の執務室が設けられている23階にて、特別役員用の高速エレベーターで階下へと下っている最中に、イリーナ・ラインフォルトは徐にそう問いかけた。

傍らにいるのは彼女の秘書でもあるシャロン。現在はトリスタに出向しているはずの彼女は、腕によりをかけて作った昼食弁当をA班の面々に届けるという目的と、ただ単に先回りされて驚き慌てふためくアリサの顔が見たいという目的のためだけに帝都から定期飛行船に乗り込み、ルーレへと先回りしていた。

 そんな経緯の疲れなど全く見せず、いつも通りの笑みを浮かべて、彼女はそう答える。

 

「ご存じの通り学業成績も優秀であらせられますし、何より良いご学友の方々にも恵まれております」

 

「そう」

 

 イリーナは簡潔に、その一言だけで了承の解答とした。

 世間一般の目から見れば冷血ともとれるだろうし、実際そうとも呼ばれている。だが本当に冷血であるのならば、分単位で激務に追われる彼女が、娘の事を気にかけるはずなどない。

前会長にクーデターを仕掛けてまで奪い取ったこの役職。それを蔑ろにすることなど出来るはずもなく、ともすれば対比的に娘に接する時間は短くなってしまう。

母親として褒められた行動ではない事は分かっているし、容認してもらおうとも思わない。だがそれでも、娘が選んだ道でどのように成長しているかどうかが気になる程度には、まだ”親”を止めているつもりではなかった。

 シャロンをトリスタに送り込んだ理由の一つはそれだ。定期連絡と称して、アリサの様子を報告させている。それができたのも、イリーナがトールズにてとある役職を拝命しているからである。

 

 トールズ士官学院常任理事―――ルーファス・アルバレアと同じくその役職に就いている三人のうちの一人に名を連ねており、学業成績などは黙っていてもイリーナの手元に通達される。

だが当然の事ながら、私生活までは知る事ができない。だからこその判断だった。

 

 

「それで、あなたの方はどうなの?」

 

「…………」

 

 その言葉に一瞬反応できずにシャロンが黙り込む。その珍しい行動にイリーナが僅かばかり驚いていると、すぐに答えは帰って来た。

 

「気持ちはちゃんとお伝えしましたわ。振り向いていただけるかはまだ……」

 

「そう」

 

 結婚し、子供を産んだ経歴を持つイリーナにとっても、悲恋は好ましいものではない。表向きの理由としては思慕の念が募りすぎて業務に支障が出ては困るといったものだったが、そうさせるように仕向けたのは紛れもないイリーナ自身だ。”優秀な青年を籠絡して専任秘書兼ボディーガードとして引きずり込め”という、尤もらしい理由はつけたが。

 

「まぁ、せいぜい頑張りなさい」

 

 突き放したような言い方だが、これでも彼女にとっては立派な鼓舞の言葉だ。その意味を理解したシャロンは、ただ一言を返すだけ。

 

 1階に辿り着き、到着を知らせるベルが鳴る。向かう先は取引先ではなく、ルーレ駅だ。久しぶりの対面、二人はどんな言葉を交わすのだろうか。

出来るなら剣呑な雰囲気にはならないでほしい。シャロンは心の中で、そう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ノルド高原という場所は帝国領ではないという外国地帯ながら、実は帝国史において非常に重要な場所である。

その出来事として挙げられるのが、250年前の≪獅子戦役≫の英雄としてその名を今に語り継いでいる皇帝・ドライケルスの挙兵。ノルドの民らと共にこの地で挙兵した際の味方は僅か十数人。それが数万人に膨れ上がって戦役を終結させるに至ったのである。

そのため、帝国軍人のノルドへの関心は高い。一介の遊牧民が注目されている要因でもある。

 

 主産業は牧畜と軍馬の生産。といいつつも集落の中で自給自足の生活をしている彼らにとって輸出産業は副業のようなものであり、必要最低限しか外部とのコンタクトは取っていない。

しかしノルド産の軍馬は速力、持久力共に優秀。エレボニアの紋章である≪黄金の軍馬≫のモチーフとされる程であり、多くの愛好家に好まれている。

 

 ルーレを出発した貨物列車が向かうのは更に北東。帝国最大の山岳地帯である≪アイゼンガルド連峰≫を抜けたその向こうに目的地は存在し、つい先ほどから列車は長いトンネルを何度も通過していた。

 

 

 

 

「う……しくじった。ワンペアだ」

 

「私は、えっと、ツーペアですね」

 

「この役は確か……俺はフラッシュだな」

 

「ふふふ、私はフォーカードよ‼ さぁレイ、手札を見せなさい‼」

 

「ストレートフラッシュ」

 

「だからなんでいっつもいっつも良い役出してくるのよ‼ イカサマしてるんじゃないでしょうね‼」

 

「馬鹿か、金も賭けてない勝負にイカサマ使う程素人じゃねーよ」

 

「流石クロスベル仕込み」

 

「あそこってカジノ街あったんでしたっけ?」

 

「ふむ、見事な先見の目だな」

 

 

 

 そんな中で五人はトランプを使ってのポーカーに興じていた。その中でアリサだけは先刻溜まった鬱憤を晴らすかのように一際テンションが高い。

 レイは全員の手札を集めてもう一度山札をシャッフルしながら一つ溜息をつく。

 

「アリサ、今のお前アレだ、酒宿場で酔っぱらって絡んでくるヤツみたいだぞ」

 

「……言われてみれば酔っぱらったサラ教官の癇癪に似てるような気がするな」

 

「ちょっとそこの男子二人、今から矢の的にしてあげるからそこ動かないように」

 

「あ、アリサさん駄目です‼ 軍の貨物列車の中で武器なんか取り出したら大変な事になりますよ‼」

 

「委員長、引き止める理由はそれではないと思うが……」

 

 

 荒れている理由は分かっている。だからこそ雰囲気が暗くならないようにと協力しているのだし、これで彼女の気が紛れるのならば安いものだ。

 アリサが母親を”嫌っていない”のは分かっている。本当に嫌っているのならば、そもそも言葉を交わそうともしないだろう。

とはいえ多感な年頃の女子が一見突き放されたような言葉を掛けられて憤らないはずがない。唯一イリーナの性格を知っているレイはそこで「あぁ、やらかしたな」と思ったほどである。

 

 どれだけ背伸びをしようが、所詮自分たちはまだ16、7の子供だ。親がいるのならちゃんと見て欲しいと思うのは当然だし、それがなければ不快に思うのも当然だろう。

それが理解できるからこそ、彼女の鬱憤を晴らすために付き合っているのである。まぁ、それと接待勝負が出来るかどうかというのはまた別の問題なのだが。

 

 

「お? 何だか盛り上がってんなぁ」

 

 そんな時に声を掛けて来たのは、貨物列車の乗組員である一人の男性だった。

どうやら入学前のガイウスとは面識があったらしく、足を止めて世間話を振ってくれた。

 

「しっかし、あの時のお前さんがまさか士官学院の入学生だったとはなぁ。その制服、中々カッコイイじゃないか」

 

「そうか……ありがとう」

 

「ガイウスは背が高いから士官学院でも目立つのよね。上級生含めてもかなりの身長じゃないかしら」

 

「そうだよな。レイはどう思う?」

 

「タコ殴りにされたいのか貴様。俺だって好きでチビなわけじゃねぇんだぞ」

 

 男にとって身長というのは一種のステータスだ。それがなければ異性として魅力的に映らないこともあるし、年相応に見られない事も少なくない。

それを考えればガイウスは男性としてはⅦ組の中で最も魅力的な体を持っているとも言える。リィンがノルドの民は皆ガイウスみたいに高身長なのかと聞くと、本人は首を横に振った。

 

「いや、俺より背が高いのは俺の父くらいだな。弟はこれから伸びるとは思うが……」

 

「ノルドの民マジ羨ましい」

 

「ちょ、レイ、悪かった。悪かったから胸倉掴み上げるのはカンベンしてくれ‼」

 

「ははっ、仲良さそうで何よりだぜ。それじゃ、実習とやら頑張れよ」

 

「えぇ、ありがとうございます」

 

 苦しむリィンを解放し、乗組員が歩いて行った方を見やる。ああして他人に警戒心を抱かせない器の大きさが、ガイウスの真骨頂であるともいえる。それは素直に、身体的特徴以外に羨ましいと思えた。

 

「さて、ゲームを再開しようか」

 

「次こそは絶対負けないわよ、レイ‼」

 

「敗北フラグいただきました」

 

「しかしレイの運の良さは羨ましいな。いや、勝負の運び具合が上手いのか」

 

「こればかりは経験でしょうからねぇ」

 

 そうして再びポーカーを再開しようとしたところで、ガラッと音がして車両の扉が開いた。

扉を開けて入って来たのは黒に近い紺色のローブで全身を覆った人物。その顔も目深に被られたフードのせいで確認する事が出来ず、そのせいで見た目の不気味さがより際立っていた。

どう見てもここの乗組員ではない。とはいえそれ以外で乗車している民間人は自分達だけのはず。それを先程の乗組員も不審に思ったのか、その人物に声を掛けた。

 

「あ、おいアンタ、乗車の券は持ってるのか? ないならここにいちゃ―――」

 

 その瞬間、レイの人並み外れた視力が、フードの裾から僅かに刃が覗くのを確認した。

それと同時に愛刀を構えて席を蹴る。正面からではなく、横から回り込むように、席の背もたれを足場にしてたったの二歩で攻撃圏内に辿り着いた。

 

「―――フッ‼」

 

 殺傷能力こそないものの、攻撃の威力は間違いなく伝わる柄尻の刺突を容赦なく叩き込む。食らったその人物は連結部分の扉を抜けて隣の車両へと弾き飛ばされた。

 

「え? な、何が……」

 

「下がってください‼ リィン、護衛をしながら別車両に退避させろ‼」

 

「わ、分かった‼」

 

 その言葉、正確にはレイが動き出した瞬間に既に太刀を持っていたリィンがそれに応じて乗組員の前に立ち、一歩遅れて駆けつけたガイウスの協力も得て別車両へと退避させた。

その間数十秒。その間レイは一瞬たりとも後ろを振り向かず、ただローブの人物が吹っ飛んでいった先を睨み付けていた。

その理由は、手応えが軽かった事にある。確かに攻撃はヒットこそしたものの、あの状態で威力はほとんど受け流された。

それが出来る技量を持つ者が沈んでいるはずがない。そう睨んでいると、その視線の先でゆらりと黒い影が起き上がった。

 

「―――ッ‼」

 

 それと同時に、レイは柄を斜めに旋回させて自分に向かってきたそれを弾き飛ばす。キィン、という甲高い音と共に本来の軌道を外れて車両の壁に突き刺さったのは、刀身に幾つものギザギザの突起が生えたナイフだった。

その武器の凶悪性、そして一寸の狂いもなく自分の蟀谷を狙ってきたその腕前から脅威度を再確認したレイは叫ぶ。

 

「ガイウス‼ 委員長とアリサを守りながら退避しろ‼ リィンは殿(しんがり)だ‼」

 

「え、ちょ、レイ―――」

 

「了解‼ ガイウス、先行してくれ‼」

 

「あぁ‼」

 

 せめて理由を問おうとするアリサの声に重なるようにリィンが応え、ガイウスは女子二人を背に隠しながら、十字槍の穂先を侵入者に向け、じりじりと後退する。

それにリィンも続き、全員が連結部分を抜けたところで扉が閉められた。

 

「(あぁ―――それでいい)」

 

 閉まる音で無事に退避したことを確認したレイはスラリと刀身を引き抜き、剣先が相手を向き、視線と平行になる刺突の構えを取る。

 

 リィンとガイウスが一切の躊躇いもなく撤退したのは英断だ。元より朝練参加組には教えていた事だったとはいえ、実際に危機的状況に陥った時に実践できるというのは彼らの呑み込みが早いという事と同義だ。教えた側としても鼻が高い。

だから、今度は自分がそれに応えなくてはならない。

 

「八洲天刃流【剛の型―――」

 

 繰り出すのは刺突。【瞬刻】で加速した最速の状態から右手の瞬発力を利用して放つ技。

周囲の大気をも巻き込むこの技は、この狭い室内で回避する術はない。故にレイは、車体を大幅に破損させない程度に威力を調節して、それを放った。

 

 

「―――塞月(とさえづき)】」

 

 

 さぁ始めようかと、そう内心で宣戦布告を叩きつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リィン‼ 何であそこで退いたの⁉ 私たちがいればレイだって―――」

 

「それじゃ駄目なんだッ‼」

 

 

 戦闘が勃発した車両から二区画離れた車両で、リィンが絞り上げたような声をあげ、壁を叩いた。

その声色の必死さたるや、問い詰めようとしたアリサを問答無用で黙らせ、車内のガラス窓を震わせるほど。扉を背後に仁王立ちをする姿は、ここから先へは行かせないと屹立する門番にも似ていた。

 否、実際そうなのだろう。リィンは今、この先の区画へ、友が戦っているそこへは、誰一人とて行かせる気はなかった。

 

「今俺たちがあそこへ行っても、足手纏いになるだけだ。あのローブの侵入者は、多分俺たちより強い」

 

「でも……」

 

「アリサだって、本当は分かってるんだろ?」

 

 核心を突かれて、再びアリサが口を閉じる。

無論、分かってはいた。戦場(フィールド)は足場と射線がこれでもかという程に限定された狭い車両内。そこに射撃型の自分がいたところで、徒に誤射(フレンドリ・ファイア)を誘発するだけだ。

エマのアーツならば補佐くらいは務まるのだろうが、典型的な後衛であるが故に彼女は一度接近戦に持ち込まれたら弱い。それを前衛が補佐しようにも、狭い室内という場所が、長物を使う彼らの行動を妨げる。

そしてレイは、危機に陥ったメンバーを見捨てず助けようとするだろう。それが原因となって致命傷でも追えば、自分たちはあのローブの侵入者に対抗する手立てを失ってしまう。

 あぁ、分かっている。今自分たちが戦場(あの場所)で出来る事など何一つないのだという事は。

それを一番身に染みて分かっているのは他ならぬリィンだ。自分たちがまだ弱いから、まだ力がないから、彼と肩を並べて戦う事ができない。

その事実を知りながら……いや、知っているからこそ即座に退いたのだ。例えそれが自分にとってどれ程屈辱であったとしても、彼我の実力差が戦場に赴くことを許してくれない。

 

 気がつけば、リィンは歯を食いしばって双眸から僅かに涙を滴らせている。壁に叩きつけられた拳は震え、ただ単純に、自分の弱さを慚悔していた。

 

 

「……俺とリィン、ラウラはレイに付き合って貰って朝練をしていてな。その時に、よく言われていた」

 

 徐にガイウスが口を開く。そんな彼が槍を握る手も僅かに震えていた。

 

「”何の柵もない内ならば、逃げる事は罪じゃない。逃げて次に勝てるなら、それは勝利と変わらない”―――それを思い出せたから、俺はすぐに退く事が出来た」

 

「あぁ、俺もだよ。俺たちはまだ、戦場(あの場所)に立てるほど強くない。―――なら」

 

 そこで顔をあげたリィンの顔には既に涙の跡はなく、堂々と前を見据えていた。

 

「レイが託してくれた背中を守る。もし何かあった時に、機関室を守れるのは俺たちだけなんだから」

 

 その視線の先にあるのは、貨物列車の心臓部ともいえる機関室。

幸いこの便では火薬類は運搬していないと聞いていたため、最優先で守る場所はそこだった。

既に騒動は先程の乗組員によって機関部へ伝わっている。だがそれでもなお走行が続いているという事は、走り続けるリスクよりも緊急停止した際のリスクの方が高いと判断したからだろう。

 侵入者の目的は未だ不明だが、もしこの列車を狙ったテロであったとしたら、止めた場合に外部を伝って直接機関部に乗り込まれる恐れがある。

それをさせないための最終防衛ライン。考えたくもないし考えられないが、もしレイが敗れた時、ここを守れるのは自分達しかいない。

 

「俺は信じる。それしかできない」

 

 今までに感じた事のない歯痒さを感じながら、四人は剣戟の音が微かに聞こえる方に意識を集中させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 分が悪いと、そう感じたのは戦闘開始直後からだった。

 元より長刀を振るうには狭すぎる場所。横薙ぎの一閃ですら障害物に阻まれる可能性があるこちらに対して、相手の武装はナイフとダガー。

小回りが利く上に、投擲も可能。戦場における優位性を鑑みた場合、どちらが全力を振るえるかなど、考えるまでもない。

 だが、それはただの言い訳に過ぎない。

戦場での殺し合いはチェス盤でのそれのように対等(イーブン)の状態で始まる事などありえない。例え奇襲を受けようが罠に嵌められようが、そこから起死回生の一手が打てなければ生き残れないのがその場所だ。

自分にとっての不利な状況は常に理解しながらも、悲観論は全て頭の中から抹消する。ローブの裾から放たれるナイフを弾きながら、一瞬の隙を狙って肉薄しようとするが、こちらが攻撃を加えようとする時に限って、武装を二振りのダガーへと変更する。

先程、威力を抑えたとはいえ、破壊力一点突破の【塞月】を防いだ武装もそれだ。

相当な業物だという事も理解できるが、危惧すべきはその膂力と破壊力をいなす事が出来る技術力。平地で戦えればここまで苦戦はしないのだろうが、この人物は武器の特性と己の戦法(スタイル)を理解し尽した上で最大限の力を振るっている。

 

「(厄介―――だなっ‼)」

 

 再び【塞月】を放てる程の隙は見せてくれない。技巧特化の暗殺者(アサシン)じみた戦い方を得意とする人間は知り合いに二人ほど存在するが、慣れているとはいってもやはり厄介な事に変わりはない。

 既に弾いたナイフの数は30を数えるだろう。ローブの下にあとどれだけの武器を隠し持っているのかは知らないが、一瞬たりとも気を抜けない状況なのは変わりない。

未だ一撃たりとも攻撃を食らっていないが、こちらが攻め込めず、あちらも必殺を為し得るだけの手を持ち合わせていないという意味では千日手だ。

 更に言えば、目の前の人間が男か女か、それすらも分からない。見た限りの体型は華奢で女のように見えるが、それだけで決めつけるのは早計だ。それでも何合も刃を交わせば凡そ予想はつくのだが、思わず首を傾げたくなるほどに分からない。

 

「(ローブ自体に認識阻害系の魔術か呪術でもかかってんのか? だとしたらフード剥ぐしか見分ける術はない、か)」

 

 レイが扱う呪術の中には付加系の術をキャンセルさせるものもあるのだが、まさかこの状況下で詠唱を行うわけにもいかない。

 

 直接的にも間接的にも攻めあぐねていた時、列車がトンネルを抜けて山道沿いの線路を走り始めた。

今まで闇が支配していた窓の外から、一転して燦々とした陽の光が差し込んでくる。すると、それを合図にしていたかのように侵入者が別の行動を取った。

 いきなり横に飛び退いたかと思うと、先程ナイフが被弾して割れた窓ガラスから外へと身を乗り出したのだ。一瞬逃走かと思いはしたが、侵入者はまるで曲芸師のような軽やかな動きで身をくねらせると、そのまま車両の屋根へと飛び移った。

 

「チッ‼」

 

 無論、放置するわけにもいかない。疾走する列車の窓際を伝って屋根に飛び移る事が出来るだけの身体能力を有しているのならば、そこを渡って機関室へと行くこともできるだろう。

 レイは躊躇うことなく窓からその小さい体を乗り出させると、昔取った杵柄のやり方で同じく屋根の上へと立った。

 

 侵入者は、特に動くことも無く悠然と立ったままそこにいた。吹き付ける山間からの風もまるで気にしていないと言わんばかりに、両手に漆黒のダガーを構えたそれは、律儀にレイの戦闘準備を待っていた。

 

「(列車自体が目的じゃない? だったらコイツの標的は―――)」

 

 推測がそろそろ結果に辿り着こうとしたその時、進行方向を背にしていたレイにとっては予想外の事態が起きた。

差し掛かったのは緩やかなカーブ。普段地に足を付けて歩いていれば気にならないそれも、時速100キロ以上のスピードで走行する乗り物の上に立っていれば、その影響は甚大だ。

 

「しまっ――――――⁉」

 

 強靭な下半身を持っているレイですらもその大幅な揺れには耐えきる事が出来ず、ほんの僅か、足の位置がずれた。

しかしどれだけ僅かであったとしても、この状況下での体勢のズレは致命的となる。勿論それを相手が見逃すはずもなく、コンマ数秒のその瞬間にダガーを逆手に持ち替えて一気に肉薄して来た。

 だが、レイの驚異的な反射神経がその直撃を許さない。右からの攻撃を長刀の刃で防いで弾き、時間差で迫って来た左からの斬撃を返す刀で防ごうとした時に、その黒刃がほんの少しだけ、レイの左腕の制服を裂いて腕を浅く傷つけた。

 勿論そんな傷を気にかけている余裕などなく、反撃をしようと刀を振るったが、相手は目的は達成したと言わんばかりに軽やかな動きで距離を取った。

 

 

 ―――瞬間、形容し難い極度の痺れと嘔吐感がレイを襲った。

 

 

「ッ‼ ―――ガハ……ッ⁉」

 

 両足に力が込められず、屋根の上に両膝をつくと同時に激しく喀血する。喉奥からとめどなく溢れ出てくる真紅の液体は列車の屋根を汚し、レイはその不浄の水たまりに頭から倒れ込むのを渾身の気力を振り絞って何とか防いだ。

 

 毒だ。それも自分以外に(・・・・・)使用すれば即死レベルの麻痺毒と神経毒の混合毒。加えて即効性と来た。

随分とえげつないものをダガーの刃ごときに仕込んでくれたものだと思うのと同時に、幸か不幸か、これで得心が言った。

 

「(コイツの狙いは……俺かッ‼)」

 

 生来の劇物に対する抵抗力が功を奏してまだ意識を保っていられるが、本来ならこの時点で既に息絶えていてもおかしくない。否、確実に事切れているだろう。

そんな凶悪な毒を自分に埋め込んだのは、自分ならばこの程度では死なないと理解していたから。つまり、レイの生まれも、体質も、知り尽くされている。

 

「(ドジ……踏んだな……)」

 

 戦闘で昂った影響で早く流れる血流の流れに乗って、毒が容赦なく全身に回り始める。それでも死にはしないだろうが、次第に苦しくなっていく呼吸に対して歯軋りをしながら、自らの甘さを悔いた。

 昔ならば、列車の安全よりも短刀系の武器に付与された毒の方を危惧していただろう。ただ己のみを案じ、敵を排除するために全力を出していたに違いない。

だが今はどうだ。仲間の身を案じ赤の他人の安全を考慮に入れて動いた結果、このザマである。しかしレイは、己の行動に全く後悔はなかった。

 

「チッ……カッコ悪いなぁ……」

 

 右脇から衝撃が飛んでくる。横から蹴られたのだと理解したのはその直後。

慣性の法則から放り出された身は、線路すらも飛び越えて山間部の崖下へと落下していった。

そのまま重力に身を任せて落ちれば待っているのは死だろう。いかに超人的な身体能力を持っているとはいえ、数百メートルの高さから落下して無事でいられるはずがない。

 レイは震える手で何とか制服の内ポケットから式用の紙を取り出すと、自分の真下にそれを落とす。すると紙は人一人を乗せられるほどの大きさの鳥の形に変化し、レイを背中に乗せると手近な平らになっている場所に主人を運んだ。

 

「ぅ…………」

 

 式の背中から転がるようにして降りると、僅かに草の生えた岩肌に倒れ込む。意識を失う前にシオンを呼び出そうと符に力を込めようとするが、その腕を黒いブーツの靴底が踏みつけた。

 

「うわ……マジ、かよ……」

 

 見上げてみるとそこにいたのは直前まで相対していた敵。どうやって追いついてきたのか、どうして俺を狙うのか、問いたいとこは無数にあったが、自分に向けられたダガーの刃先がその疑問を抑え込んだ。

死を覚悟するのはいつぶりだろうかと皮肉交じりに思い、虚ろな目を閉じようとしたその時、突然暴風と共に煌めいた雷光の一閃が敵を吹き飛ばした。

 

「………………‼」

 

 流石に予想外だったのか、声にならない声をあげて、岩壁に叩きつけられる。

その見覚えのある光に再び瞼が開く。そして攻撃が来た方向に首を動かすと、そこに一人の女性が立っていた。

 

 

 

「狼藉はそこまでですよ、≪X≫。そこから先はあなたの任務ではないはずです」

 

 

 目に入ったのは白銀に輝く軽装鎧と、機械じみたヘアバンドの両脇から伸びた二対四枚の純白の羽。

透き通った長いプラチナブロンドの髪は後頭部で一括りにされて風に揺れ、翡翠色の瞳は殺気の籠った視線を対象にぶつけている。

 そしてその左手に携えているのは、鎧と同色の一振りの長槍。青白い光を纏った穂先は、一撃を放った後も変わらず敵の姿を捉え続けている。

 

「退いてください。これ以上続けるというのなら……この≪雷閃≫のルナフィリア、全力を持ってあなたを排除しにかかります」

 

「……………………」

 

 その警告が効いたのか、はたまた元よりそうするつもりだったのかは定かではないが、≪X≫と呼ばれたその人物は、その直後、岩場の影に溶け込むようにしてその姿を消した。

 気配が完璧に外に消えたのを確認してからその女性―――ルナフィリアは槍の穂先を下げると、先程までの凛とした態度とは打って変わって、最上級に焦った表情でレイに詰め寄った。

 

 

「あー‼ ホントにガチで死にかけてるじゃないですかぁ‼ ちょっとしっかりして下さいレイ君‼ 君がいなくなったらあのアル中パワハラ上司の面倒を一生私が見なくちゃいけなくなるんですからぁ‼ ちょっとシオンさん⁉ いるんでしょ⁉ 早く出てきて助けてあげてください‼」

 

「―――っぷはぁっ、や、やっと出てこれました。主からの呪力の供給がないと正直符からの直接召喚は厳しい―――ってそんな事を言っている場合ではありませんでしたな‼ お久しゅうございますルナフィリア殿。早速ですが手伝っていただけますか?」

 

「はい勿論‼ ああもう、やっぱ私不幸すぎますよぉー‼」

 

「おまえ、ら……うるせぇ、よ……」

 

 レイの力の入っていない声は、しかし知己の二人に届くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




突きつけられた現実。


友として隣で戦うことすら許されない自らの弱さを悔いる。
強くなりたいと、ただそれだけを希う。






Ⅶ組強化フラグですかね。特にリィン君。






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