「強さにかける男の人の想いは狂気だ。女の身では到底理解できない域で、彼らは強いという称号を全身全霊求めている。弱い自分を殺したいほど恥じ、憎んでいる」
by 世良水希(相州戦神館學園 八命陣)
AM5:00―――
遊牧民族の朝は早い。考え事をしていたせいでいつもより眠りが浅かったリィンは、もはや日課となった朝の鍛練を行うため、ノルドの集落でガイウスを除いたⅦ組勢に用意されたゲル式の家から外へ出る。すると、民族衣装に着替えたガイウスが、集落の馬の世話を行っていた。
「おはよう、リィン」
「あぁ、おはよう。随分と早起きなんだな」
「集落にいた時はいつもこれくらいに起きて馬や羊の世話をしていた。早朝の高原の空気を吸うと、帰ってきたと実感できるんでな」
それを聞いたリィンは、一度深く深呼吸をする。
鼻腔から気道を伝って肺に送り込まれたのは、青々とした植物の香りと、冷えた高原特有の風。故郷のユミルとはまた一味違った空気を吸い込んだリィンは、どことなく気分が晴れやかになったような気がした。
「確かに、いい風だ。こんな広々とした場所で育ったんなら、ガイウスの器量の大きさも頷けるな」
「実際は穏やかではない事も日常茶飯事で起こるがな。家畜の脱走程度ならまだしも、狩りに出かけた男衆が大型魔獣に襲われて怪我をする事もある」
それは決して、都会で住んでいる者には分からない危険だ。
自由であるが故に、危険が身近にある。何にも束縛されないということは、何にも庇護されないという事だ。
だからこそ、ノルドの民は強い。生き抜くために強くなるという人間の本質を生まれながらに理解しているからこそ、頑健な肉体と精神を養う事ができる。その在り方は、素直に羨ましいと思えた。
「責任感が強くなるわけだ」
「そう言ってもらえると悪い気はしないな。―――ところでリィンは、朝の鍛練に起きたのか?」
「あぁ。バリアハートの時は流石に無理だったが、ここなら体を動かすことはできそうだったからな」
「なら俺も付き合おう。数分待っててくれ。馬の世話を終わらせてしまう」
「別に急がなくてもいいさ。……それにしても」
リィンは、徐にガイウスが世話をしていた馬のほうに視線を向けた。
艶やかな栗毛に引き締まった四肢。胴体にも無駄な肉が一切ついておらず、顔立ちも精悍としている。故郷で少なからず馬の世話を体験していたリィンの目から見ても、頑強な名馬であるという事が一目で分かった。
「噂に違わず、ノルドの馬は名馬揃いみたいだな。ユーシスがいたら多分テンション上がってただろうに」
「遊牧民族には馬は必要不可欠で、家族のようなものだ。特にコイツは俺が子供の頃から世話をしていた馬でな。愛着もある」
ガイウスが鬣を撫でる度に気持ち良さそうに鼻を鳴らすその姿に、言う通りの信頼関係が垣間見えた。
思わずリィンもその体に触れようとしたが、触れる直前でその手が止まった。
「…………」
決して馬に限ったことではないが、動物というものは人間の感情の機微を同族以上に感じ取る。それが古くから人間に接し、人間と共に生きてきた動物ならば尚更だ。
狩りを趣味としていた父の影響を受けて、リィンも何度か馬の鞍に跨った事がある。その都度、修行の事などで不安を抱えたまま乗りかかると、決まって馬が不機嫌になったものだった。
そして今の自分もまさにそれだ。自分に対する劣等感と不安感、そういった思いが心の中に燻ぶっている。そんな手でこんな育ちのいい馬に触れることに罪悪感を感じたリィンは、そのまま手を引っ込めた。その動作は限りなく自然に行ったと思っていたのだが、洞察力の高いガイウスを騙せるはずもない。
「……では行こうか。集落の外れに、ちょうどいい場所がある」
「よ、よろしく」
しかしガイウスは、その事には触れなかった。
リィンほどではないが、ガイウスとて同じ悩みを抱いている。馬を不安にさせるという愚行こそ犯さないものの、級友の背中を前にして何もできなかったという後悔は、一晩が経った今でも抱き続けている。
だからこそ言えない。同じ内容で悩んでいるのに、無責任に慰めの言葉など掛けるべきではないと、そう己自身が窘めるのだ。
彼にとっても、レイ・クレイドルという存在はとても重要だった。
身長差こそ同年齢とは思えない程にあるが、その胆力と人間としての器の大きさは間違いなくガイウスを凌駕する。
そして、生まれてから父に教えを乞うて鍛えてきたノルドの槍術の全力で挑んでも穂先が掠りもしないその強さ。
手合わせをしたのはガイウスが初めて朝練に参加した時。まず実力を見たいという事で対峙した。しかしその結果はその通り散々なもの。レイに刀を抜かせる事すら叶わず、見事に地面に沈められた。
僅かな悔しさと洗練された強さに対する羨望を抱いていた時に、レイはガイウスを見下すでもなくしゃがみこんで手を伸ばして言った。
『やっぱお前ポテンシャル高けーわ。初速も早いし体力も膂力もある。後は直線的すぎる槍捌きと戦い方さえ覚えればマジで強くなれるぜ。それこそ、ドライケルス大帝の挙兵の時に付いていった伝説のノルドの戦士並に、な』
その言葉に少なからず心が躍ったのは仕方がない事だろう。
時は七耀歴949年、異郷ノルドの地で手勢許なく挙兵したドライケルス・ライゼ・アルノール。そんな彼を朋友と呼び、共に戦場へと赴く事を選んだノルドの一騎当千の若武者達、総勢15名。
彼らの存在は集落でも伝説として語り継がれ、ガイウスもその逸話を綴った書物には何度も目を通してきた。
故に、信じられなかった。自分がこれから先の努力次第でそんな彼らと並べる実力を手にする事が出来るかもしれない。たとえそれが今の時点ではただの可能性の話であったのだとしても、ガイウスはその言葉に笑みを見せた。俺を鍛えてくれと、レイに対してそう願ったのはその後すぐの事だった。
レイの指導は的確かつ実践的なものだ。彼自身は槍使いではないが、知り合いに強い槍使いがいると言っていた彼の言が嘘ではないという事はすぐに分かった。
槍の間合いを、竿状武器の弱点を、対人戦・対魔獣戦における槍使いの戦い方を、全て熟知していた。それを彼自身が実践することはなかったが、アドバイスは無謬なもので、ガイウスは今まで自分が生きていた世界がいかに限定的なものであるかという事を否応無しに思い知らされたほどである。
だが、否、だからこそ、リィンと同じくレイに薫陶を受けた者として、あの場面で退かねばならなかったことについては忸怩たる思いがあった。
状況が不利であったことは分かっている。あの場において、自分はリィン以上に適していなかったと言えるだろう。
しかしそうだからと言って、仕方がなかったと納得してしまえるほど、ガイウスは達観していない。本音を言えば悔しさが胸中を渦巻いていた。
それでも、実習地として訪れたのは自分の故郷であるノルドの地だ。悲観している状態を見せるわけにもいかず、平静を装って帰郷を果たしたのだが……やはりというか何と言うか、両親、特に父の目は誤魔化せず、事件のあらましから自分が抱いた感情まで曝け出す事となってしまった。
集落最強の武人であり、同時に自分に槍術を教えてくれた師でもある父親は全てを言い終わったガイウスを叱る事もなく、かと言って慰める事もなく、ただ一言「―――そうか」と言った後に目を伏せ、そして一拍置いた後に続けた。
「それを知れただけでも、お前を士官学院に入れた意味があったという事だ。―――誤解はするなよ? 私はお前の友人のその行動に敬意を評している。それと同時に、その場で潔く退いたお前たちの判断も間違っていない」
大事なのは己の無力さを恥じた事だと、父・ラカンは力強く言った。
己の弱さを真正面から受け止め、それを悔い、起点として強くなっていく。本来武人というのはそういうものだ。―――普段口数がそれほど多くない父の滔々としたその言葉に思わず母・ファトマの方を一瞥すると、ただくすりと微笑していた。
自分はまだ弱い。それこそ目標としている伝説のノルド戦士達の足元にすら及んでいないだろう。
しかしそれを悲観していても何も始まらない。前を向かねば目標には永遠に届かず、その手伝いをしてやると稽古をつけてくれている友人にも申し訳が立たない。
反省はしよう。慚愧の念も受け止めよう。だが俯くことはもうしない。
そんな気持ちの整理がついたからこそ、ガイウスは一夜が明けた今、気持ちのつかえはある程度解消されていた。
だが、目の前の友人はそうも行っていないようだ。
それも当たり前だろう。Ⅶ組の中で一番長く、そして深くレイの薫陶を受けているのが他ならぬリィンなのだ。何も出来なかったという慚悔の気持ちは、自分よりも数段深いに違いない。
だからこそ、自分が慰めるのはお門違いだ。―――幸いにも今回の実習の班の中には、そんな彼を叱り飛ばせる仲間がいる。そちらは任せようと整理をつけ、ガイウスは槍を取った。
「さて、始めるとしようか」
一陣の風が吹き抜ける中、ガイウスは颯爽とそう言い放った。
―――*―――*―――
PM4:00―――
「やっとアイゼンガルド連峰を抜けたか……」
「噂に違わぬ峻厳な山脈でしたねー。まぁこの子なら楽勝でしたけど」
ゴツゴツとした岩肌の麓付近をルナフィリアの愛馬、アルスヴィスに乗って闊歩していく二人。
手綱を握っているのは勿論ルナフィリアであり、レイは彼女の腰に手を回す形で掴まっている。当初は恥ずかしいからと断ったのだが、疾駆するのは平地ではなく山脈だ。振り落とされる可能性が高いと言いくるめられて、こういう形をとることになった。
「さて、と。ここからノルド集落までどれくらいだろうかな」
「そうですね……北北東の方向に3000~4000セルジュってトコでしょうか。正直まだまだ先は長いです」
山を下りきると、そこに広がっていたのは無限に広がる高原世界。青々とした草が風に揺れ、若干橙色に染まりかけた西日が大地に降り注いでいる。
「うへ、気が遠くなるな。ならアルスヴィスは休ませた方がいいんじゃないか?」
「問題ありませんよ。今のこの子なら一日で10000セルジュくらいなら休まずに踏破できますから。むしろ今の山越えで体が温まったでしょうし」
「マジか。俺がいなくなってから5年経ってるか経ってないかなのに成長しすぎだろ、コイツ」
レイが最後にアルスヴィスの姿を見たときはまだ仔馬であり、それだけの距離を踏破する事はおろか人を乗せて走ることすら叶わなかった程の大きさだったのだ。
普通ならばそれほどのポテンシャルを持っている事そのものが珍しいのだが、アルスヴィスはその頭部についている鋭利な角が指し示す通り、ただの馬ではない。特別な環境でのみ生まれる、≪霊獣≫と呼ばれる類の存在だ。
「まぁ流石に常に全力疾走というわけにも行きませんし、到着は夜になってしまいますけどね。やっぱり線路に戻って貨物列車に無断便乗させてもらった方が早いっちゃ早いです」
「このままでいいよ。コイツの背に乗るのも久しぶりだし、一日くらいサボった所で実習には支障は出ないだろうしな」
「後半だけ聞くとただのダメ学生ですね」
ルナフィリアは苦笑して、再び手綱を引く。それから待ってましたと言わんばかりにアルスヴィスが駆け出したのと同時に、レイに言葉をかけた。
「そういえばレイ君、体調はもう大丈夫ですか?」
「心配ない。お前とシオンが頑張ってくれたお陰でもう大丈夫だ。ありがとう」
実のところレイは昼まで熟睡していてルナフィリアを盛大に呆れさせたのだが、長く休息を取った分、体内の毒素は完全に駆逐され、起きた時には全快していた。
ほんの僅かな怠さは残っているが、それは体を回復に費やした副作用のようなものだ。あと数時間もあればそれも消え失せるだろう。
叶うなら手慣らしの意味も含めて魔獣と戦いたいのだが、手応えのある存在でなければ意味がない。ただの狼型魔獣程度では、レイどころかアルスヴィスに蹴飛ばされて終わってしまうだろう。
「相変わらず反則じみた自然治癒力ですよねー。羨ま………………すみません、今不謹慎なことを言いかけました」
「気にすんなや。多少の無茶しても死なないし、便利だぞ」
「……人外レベルの怖さはレイ君と副長とマスターで身に染みて理解してるのでノーサンキューで」
「だよなぁ」
そんな呑気な言葉を返すレイを、ルナフィリアはちらりと見やった。
適切な処置をすれば瀕死の重傷であっても僅かな時間で回復する驚異的な自然回復力。そして、既知の薬物・毒物に対する絶対的な抵抗力。
前者は後付け、後者は生まれ持った体質であるという事は知っている。そして前者に対して必要以上に言及する事は、レイの過去における琴線に触れかねないという事も。
失敗した、と思いはしたが、当の本人は笑い飛ばした。その反応を見るだけでも、彼が成長しているという事実を垣間見る事ができる。
その様子に思わず口元を緩めた直後、ルナフィリアが張っていた警戒心の網の中に何かが飛び込んできた。
思わず手綱を操ってアルスヴィスを止まらせる。するとレイも同じ違和感を感じ取ったのか、背中から降りて静かに長刀を構える。
異変が起きたのはその直後。突如数アージュ前の空間がぐにゃりと歪曲した。
まるで渦巻きのように空間そのものが捻じ曲がる異様な光景。普通の人間なら驚愕するところだが、生憎とその場に居合わせた二人はこの程度の現象ならば見慣れている。
それは兆候だ。普段であれば”この世に在らざるモノ”が、何らかの原因に引っ張られるようにこの世界に顕現する。半径20アージュはあろうかというその巨大な歪曲の中から這い出てきたのは、青白く発光する、冷ややかな氷に覆われた四肢を持つ獣だった。
しかし、ただの魔獣ではない。精錬された物質に覆われた巨躯は、そこいらの魔獣とは比べ物にならないほどの”神秘”を内包している。体の全てをこの世界に顕現させた”ソレ”は、産声を上げるが如く咆哮する。その余波だけで、周囲の草が薙ぎ払われて宙に舞った。
「≪アンスルト≫―――まさかここに顕現するとは思いませんでしたね」
「おっかしいな。確かに腕慣らしはしたいって思ったけど≪幻獣≫クラスを引っ張って来いとまでは言ってねぇぞ。―――ま、別にいいけど」
何が原因で自分たちの目の前に現れたのかはこの際関係ない。リィンたちがもし目の前にすれば絶対的な強敵として立ちはだかるだろうが……レイには僅かに訛った体の動きを矯正するためのカモでしかない。
手応えのある相手―――奇しくもそれが現れた事にレイは口角を釣り上げて白刃を覗かせた。
「自重―――はしませんよね。えぇ、その顔見れば分かります」
「久しぶりにちょいと手応えのあるヤツと戦えるからな。手出し無用だぜ?」
「はいはい。お好きなようにどうぞ」
闘気が満ちる。四肢の隅々、それこそ髪の毛の一本に至るまで、体が戦闘用に変化していく。
愛刀を片手に足を動かす。ただ目の前の標的を滅するために。せいぜい保てよ、楽しませろと、闘気で狂気を上塗りして、レイは駆け出した。
Ⅶ組の中ではフィー以外に見せたことのない、≪天剣≫として戦う時のレイの表情。
それを久方ぶりに目の当たりにしたルナフィリアは、体の内から来るゾクリとした感情に、僅かに身を震わせた。
―――*―――*―――
PM8:00―――
ガイウスの実家で夕食を食べたリィンは、一人外に出て地面に腰掛けながら上空に浮かぶ星辰を眺めていた。
馬の風土病予防のために使う薬草の調達、高原の北東にある帝国軍の監視塔への配達やゼンダー門から発布された魔獣退治、果ては名所の撮影に行ったきり戻らなくなったカメラマンの保護など、一日で今まで以上の依頼をこなしたためか、僅かに疲れが出ている。
その疲れを癒すために本来ならば今日の夕食は豪勢なものになるはずだったのだが、レイがまだ到着していない時に自分たちだけ良い思いをするわけにはいかないと、ガイウスがそう申し出てくれた。そんな彼の、いや、彼らの意を汲んで、ガイウスの母親であるファトマは通常通りの家庭料理をリィンたちに振る舞ってくれた。
しかしそれも充分に美味しく、一日中我武者羅に馬に乗って駆け回り、腹を空かせていた一同はついつい限界を超えて食べてしまったのである。
「レイがいたら目を輝かせてただろうな」
ポツリと呟いてしまった言葉だが、易々と想像が出来てしまう。
それと同時に、やはり彼はまだ自分たちの所にはいないのだと、そう再確認してしまった。
前回のバリアハート実習でも、一時別々に行動をしていた時はある。
しかしその時は別段彼が窮地に追い込まれているわけではないと何となく分かっていたし、彼がいない分自分たちが頑張らなければならないと奮起したものだった。彼の事を良く知っているフィーが一緒にいたというのも、心配なく実習を続行できた一因であると言えるだろう。
だが今はどうだ?
生きているという事は分かっている。色々と桁外れのレイの事だ。きっと実習中にピンピンした状態で自分たちと合流するだろうという事も何となく予想がつく。
しかしそれでも、焦燥感がこびり付いて離れない。今までのレイやサラ教官から受けた指導のお蔭で実習の依頼は滞りなく達成できたのだが、依頼を遂行している最中にも、内から湧き上がってくる形容し難い感情を掻き消そうと躍起になっていた感じは否めない。
レイは同性の友人だ。少なくとも自分はそう思っているし、そう思う事に疑いなどない。
だが自分は、あまりにもレイの事を知らなさ過ぎる。彼が持っているであろう顔の一面しか、リィンたちは見る事が出来ていないし、また見る事を許されていない。
サラやシャロンはそれを知っている。しかしリィンたちがその事について聞くと、一様に口を閉ざしてしまうのだ。
理不尽だとは思わない。それを彼から聞き出す役目を担っているのは、他ならない自分たちだ。
でも―――と、更に深く考えようとした時に、軽い足音が背後から聞こえた。
「皆に黙って外に出たと思ったら……やっぱり思いつめてるような感じね」
「アリサ」
金糸のような髪を揺らして近づいてきたのは、どこか吹っ切れたような表情をしているクラスメイト。
アリサはそのままリィンの隣に移動すると、そのままちょこんと座った。
「あー、お腹一杯。……ホント、私たちの周りって料理上手い人が多いわよねー。まぁ、幸せな事だと思うけど」
「ははっ、そうだな。でもそういうアリサだって最近シャロンさんによく料理教わってるじゃないか」
「あ、あれはいいのよ。せっかく学生の身の上なんだから新しい事に挑戦しようと思っただけ。それだけだから」
僅かに顔を赤らめて動揺したアリサは、その直後にコホン、と一つ咳ばらいをした。
「……私も大概妙な事で悩み続けてるけど、あなたも相当よね、リィン」
「いや、俺はそこまでは……」
「嘘。ずっと悩んでるでしょ。襲撃された、あの時から」
図星は突かれたが、別に驚きはしない。その程度の意識の共有は出来ているつもりだったし、アリサとて、程度の差こそあれ同じような感情は抱いているはずだったから。
しかし、次にアリサの口から出てきた言葉は、予想外のものだった。
「―――それだけじゃないわね。リィン、あなた、レイの素性の事について考えているんじゃない?」
「え? な、何で……」
「分かるわよそれくらい。あなた程じゃなくても、Ⅶ組の全員が気になってる。それこそフィーとかは少しは知ってるんでしょうけど、レイの事だから全部は話してないんでしょうね」
「……アリサは、凄いな。いつも良く人を見てる。羨ましいよ」
「ヒントはあったでしょうに」
昨日、ゼクス中将が言っていた言葉。
レイが≪天剣≫という異名で呼ばれているという事。一体どれ程昔からなのか、どういう経緯でその異名が広まったのか。情けない事ではあるが、リィン達はその真相の欠片も掴んではいない。
「そうでなくても、ね。別にこれは悪口でも何でもないんだけど」
「?」
「レイって、ふとした時に私たちとは違う”どこか”に立ってる気がしない?」
それはリィンも常々思っていた事だ。
達観、諦観。それらとはまた少しばかり違うが、形容し難い雰囲気が時折彼に纏わり付いている時がある。
圧倒的なその強さは元より、自分たちとは決定的に違う”ナニカ”を見て育ったかのような違和感。いつもⅦ組を賑やかしてくれてはいるが、ふとした瞬間に霧の如く消えてなくなってしまいそうな不安感が、どこかにある。
「あぁ……だからか」
「え?」
「いや、俺が昨日から焦ってた理由が、何となく分かった気がするんだ」
両手を地面につけて体を支え、夜空を見ながらリィンは、自分の心の中につかえていた靄をポツリポツリと語りだした。
「あいつには―――レイにはいつも助けられてた。それこそ剣の稽古から人間関係まで、さ。あいつは本当に色んな事ができて、でもそれに見返りを求める事なんかなくて……正直羨ましかった」
「…………」
「俺はあいつに少しでも追いついて少しでも恩返しをしようと思って、鍛えてた。そのお陰で最近は随分強くなったような気がしてさ。あいつの隣に立つことは無理でも、同じ場所に居ることくらいは出来るようになったんじゃないかって―――そう己惚れてた」
結果は、昨日の通りだった。
自分は何を勘違いしていたのか。同じ戦場に立つどころか、役立たずでしかない。居ても邪魔であり、居ない方が彼のためになる。
なまじ彼の薫陶を受けて半端な考え方が出来なくなっていたからこそ、その変えようのない事実は幽愁となってリィンの心を蝕んでいたのである。
「……じゃあリィンは、どうしたいの?」
「強くなりたい」
だからこそ、逡巡する事もなくそう応えられる。疑問などない。躊躇う事などない。
その願いはケルディックでのあの時に抱いたものと同じではあるが、曖昧な羨望で思ったあの時とは違う。
強さをその目でしっかりと焼き付けた。己の弱さをしっかりとその身に刻み付けた。未だ届かぬ領域を、Ⅶ組の皆と共に目指したい。
「俺一人だけじゃない。皆と一緒に強くなって、堂々とレイと肩を並べたい。”俺たちもいるから心配するな”って、胸を張って言えるようになりたいんだ」
ただ真っ直ぐ、いっそ愚直と言えるまでに純粋な力への渇望。しかしそれは己のためではなく、それ故に捻じ曲がった方向へは向いていない。
まるで年端もいかない子供が一点の曇りもない夢を語っているようでもあるが、リィン自身、それが一筋縄ではいかないという事を知っている。
それでも、その未来を望むのだ。置いて行かれる寂寥感も、何もできない無力感も、二度と味わいたくないから。
「…………」
そしてその精悍な横顔を見て、思わずアリサの視線が止まる。
何が原因だったのかは分からない。元々自由行動日の時などにたまたま会って一緒に時間を過ごしていたり、シャロンの事を嗅ぎまわる時に助手兼道連れとして同伴させたりと、何だかんだで絡んでいる時間は多かったりする。ただしそれはあくまでクラスメイトの範疇であり、それ以上どうなろうとも思っていなかった。
ただそれにしては我ながら親しくなるのは早かったような気はしないでもない。何となく波長が合うというか、
その理由はなんだのかと改めて考え、そして今、彼の澱みのない願いと横顔を見て、その一つが分かった。
「はぁ、まったく。そんな事聞かされたら羨ましくなっちゃうじゃない」
「え?」
「羨ましいって言ったの。あなたみたいに真っ直ぐな人って、今まであんまり会った事ないから」
帝国屈指の大企業、ラインフォルトグループの嫡女。生まれにその肩書きがあったために、アリサ自身、幼いころは同年代の子供たちと同じ場所にはいられなかった。
身分的には平民ながら、実家の財力と権力は紛う事なく”普通”のそれとはかけ離れており、遠慮がちに接してこられるのが日常茶飯事。
さりとて貴族という訳でもなく、爵位も持っていない癖に生意気だと、そう罵倒されることも少なからずあった。軍事の一翼を担い、小型の銃から破壊兵器まで製造する家の異色度に巻き込まれて”死の商人一族”と揶揄された回数はもはや数えきれない。
周りには親の言葉に左右され、また親の威を借る幼稚な子供と、ラインフォルトの次代を担うであろうアリサを見定めようとする大人がほとんどだった。そんな状況下で生きていたからこそ、アリサは無意識ではあるが、人を見定める癖がつくようになった。
一体この人は何を考えているんだろう? どんな考えでここにいるんだろう? そんな意識を、精度こそ高くはないものの、他者に向けるようになったのだ。
変な方向に捻じ曲がったという事は自覚している。だが、今ここに至ってはその捻じ曲がった癖も役に立ったと言えるだろう。
青臭いとも言える理想を語ったリィンの姿は、アリサにはとても眩しく見えた。
自分の癖を見抜き、何事にも誠実であろうとするレイも一側面では魅力的なのだろうが、アリサがこの瞬間、”叶えてみたい”と思ったのは、リィンが語った理想の方だ。
「ねぇリィン。あなたの言う”みんな”の中には、私も入ってるのよね」
「勿論。というかアリサにはいてくれなきゃ困る」
「へ?」
「アリサには色々振り回されて来たけどさ、正直結構楽しかったんだよ。まぁレイにちょっかいかけて俺だけとばっちり食らうパターンは今後は御免被りたいけど……」
ハハ、と力ない苦笑をしてから、それでも、と続けた。
「いつも俺たちをしっかり見ていてくれてる。それでしっかりと言いたいことを言ってくれる。俺にとってはそれが嬉しくて、ついつい頼りたくなるんだ」
「リィン……」
「アリサには一緒に居て欲しい。俺にはアリサが必要なんだよ」
「え……えぇっ⁉」
ここでほんの一瞬ではあるが、リィンとアリサの間に、認識の齟齬が生じた。
リィンは特に深い意味はなく、”仲間として”一緒に居て欲しい、”仲間として”必要だと、そう言っただけに過ぎない。純朴な彼が衒いもなく言ってくる時点で分かる人間には分かるだろう。
だがアリサは、言われた直後に違う意味での解釈をしてしまった。即ち、”仲間として”の所が”気になる異性として”に変換されていたのである。
とはいえ、ここでアリサを責める事など間違ってもできないだろう。戦犯は全て、そちらの解釈にミスリードするような言い方をしたリィンにある。
勿論数秒後にはそれが誤解だろうという事はきちんと理解できたが、一度頬に灯った熱は簡単には冷めない。いっそ一発頭を引っぱたいてやろうかとも思ったが、更に
「(何となく分かってはいたけど……相当な朴念仁ね)」
せめてもの抵抗でキッ、と睨み付けてはみたものの、気付かれてすらいない。大物なのかただ疎いだけなのか、限りなく後者に軍配が上がるだろうが、次の瞬間にはアリサもくすりと笑っていた。
「(私にここまで言ったんだから、ちゃんと有言実行しなさいよ? 出来る限り、支えてあげるから)」
さてそう決めたのなら、まず先にすべきことは何だろうか?
それも決まっている。まず自分を知ってもらうところから始めるべきだろう。
「それじゃあリィン、次は私の話に付き合って貰うわよ」
「ん。聞かせてもらうよ」
高原に吹くそよ風に乗せるようにして、アリサは自分の生きて来た日々を語り始める。
大好きで優しかった父と母。色々と自分に教えてくれた祖父。その日常が父の死で壊れた後も、彼女は必死に孤独と戦い、生きて来た。
その道程に後悔はない。ただ仕事一辺倒となり娘の事を顧みなくなってしまった母に面と向かって言ってやりたい。私はこんなに立派になった、と。
滔々と語られたその話が終わったのは、様子を見に来てくれたガイウスとエマが、二人の仲を茶化すような発言をして、アリサの顔が真っ赤に染まった時だった。
ヴェンデッタの人気投票、やっぱり総統閣下が一位だった。おめでとーございます。
まぁ予想はついてたけどさ。
あの人のパラメーター表に”意志力”って項目追加した方がいいんじゃないかって思うのはおかしいですかね?
私? 私はシスター・オブ・シスターさんに一票入れましたけど何か問題でも?
どうでもいいけれど、総統閣下のガンマ・レイとFateガウェインのガラティーンってどっちの方が強いんだろ? いや、単純な威力って意味で。